な ご り 雪

作:眠猫







 ひとみは病院のベッドの上で目を覚ました。
 白い壁に囲まれている。
 最初は病院だとはわからなかったが、自分の手に点滴がされているのを見てようやくそうだと思った。
「う・・・」
 身体を起こそうと思ったが、身体中が痛い。
「どうして・・・」
 ひとみはどうして、自分が病院にいるのかわからなかった。
「私・・・パパと・・・」
 ひとみは記憶を辿った。
 父の友一がドライブに誘ってくれた。
 そうして、家を出た。
 長いドライブでいつの間にかひとみは眠ってしまった。
 覚えているのはそれだけだ。
「あら、目がさめたのね」
 白衣を着た看護婦がひとみを覗き込んだ。
「よかったわね。1週間も眠っていたのよ」
 看護婦が優しく微笑む。
「1週間?」
「ひどい事故だったもの。命があったのが、奇跡ってくらいよ」
「事故?」
 ひとみは首を捻った。
 自分は事故にあったのだろうか?
 ならば、友一はどうなったのだろう?
 運転をしていたのは友一だ。
「パパは?あの、パパは?・・あっ!」
 ひとみは身体を起こそうとしてうめいた。
 身体中がきしむようだ。
「お父様は・・・別の病院に運ばれたのよ。心配しないで寝てなさい。貴女が気がついたって、ご家族に連絡しますからね」
 看護婦はひとみをベッドに寝かせたまま、微笑んで部屋を出て行った。
 ひとみはほっとして息をついた。
 事故なら同じ病院に運ばれなかった事もありえるだろう。
 他の病院に友一は入院している。
 どんな怪我かはわからないが、生きているのだろうと安堵した。


 ひとみはそのまま、一人で寝かされていた。
 家族に連絡すると言っていたが、母の章子は病気がちで療養所暮らしだ。
 友一はほとんど自分の親戚と付き合わなかった。
 章子の親戚は昔、何かあったのかもしれないが、付き合いは一切無い。
 ようするにこう言う時に頼りになる親戚が誰もいないと同じだ。
 だが、緊急事態だ。
 誰かは来てくれるだろう。
 それに年に数回しか会わない母だが、さすがに夫と娘が事故で入院したとなれば来てくれるはずだ。
 友一が違う病院にいるなら、章子はそちらに行っているのかもしれない。
 章子に会う嬉しさにひとみは顔を赤らめた。
 親子と言うのに章子とは数えるほどしか会った事がない。
 何の病気かは誰も教えてくれない。
 年に1回か2回、章子は自宅に戻るだけだ。
 その時も、ほとんどひとみとは会話を交わさない。
 寂しくはあるが、病気だと言う事で我慢してきた。
 でも、今回は甘えられるかもしれない。
 自分が事故に遭った事も忘れて、ひとみは嬉しかった。
 甘えてみたいと思う。
 まだ16歳のひとみには当然の気持ちかもしれなかった。
 時々、看護婦が様子を見に来て、医者も診察に来てくれた。
 それ以外は何時間たっても誰もこなかった。
「パパ・・・ママ・・・」
 いい加減に心細くなって、涙が出そうになった頃、ドアがノックされた。
「誰?」
 ドアが開いた。
 カーテンがあるので、よくわかないが、看護婦ではない。
 看護婦ならすぐに入ってきてひとみに声をかける。
「あの・・・どなた・・・?」
 不安そうにひとみが再び、声をかけた。
「失礼する」
 背の高い男と中年の女性が入ってきた。
 男も女もスーツ姿だ。
 ひとみは二人に会った事がなかった。
「身体はどう?」
 女が聞く。
 ひとみは寝たまま、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます・・・大丈夫です・・・」
 女がじろりとひとみを見る。
 その目は冷たかった。
 男はひとみを見ようともせずに、ベッドの横の椅子に腰をかけた。
「初めて会うわね、私はね、貴女の叔母の斉藤よ」
 友一には姉と弟が1人いると聞いた事がある。
 その叔母なのだろうか。
「初めまして・・・」
 ひとみはおずおずと挨拶をした。
 叔母だと言うが目は冷たく、凍りつくようだ。
 意地悪な感じをひとみは受けていた。
 身内と言う感じがしない。
「こっちは叔父さんよ」
 叔母はじろりと目で男を指した。
「おじ様・・・初めまして・・・」
 ひとみは叔父の方を見たが、叔父はひとみを見ようともしない。
 仕立てのよさそうなスーツを着込んで、なかなかハンサムだ。
 暗い瞳をしていると言うのが印象だった。
 だが、叔父も親戚と言うにはあまりに雰囲気が冷たくて、ひとみは何と言っていいかわからなかった。
「貴女はね、退院したらこの幸人が引き取ってくれる事になりましたからね」
「え?」
 叔母の言葉の意味がよくわからない。
 次の瞬間、友一の怪我がひどいのだろうと青ざめた。
 退院が長引くのかもしれない。
「パパは・・・そんなにひどい怪我・・・なんですか?」
 ひとみは何とか身体を起こした。
 手と足にギブスが巻かれている。
 身体も痛んだが、今は友一の事が心配だった。
「怪我?」
 叔母は眉を潜めた。
「だって・・・」
「友一は死んだわよ。即死だったのよ」
「えっ・・・」
 ひとみは絶句した。
 叔母の言葉が信じられない。
「だって・・・他の病院に・・・いるって・・・」
「誰がそう言ったのか知らないけど、死んだのよ。お葬式も済んだわ。全く、恥さらしな」
 叔母は吐き捨てるように言う。
 ひとみの目は大きく開かれたままだ。
「そんな・・・」
「破産して、心中なんて・・・みっともないったら」
「破産?・・・心中って・・・」
 ひとみの声が震えた。
 叔母の言葉が理解できない。
「会社が倒産して、破産したのよ。知らないの?」
 叔母が嫌な顔をしながら、話をはじめた。
 友一は父の会社を引き継ぎ、中堅の輸入業社をしていた。
 昔からのなじみも多く、堅実な仕事だったが、不景気には勝てなかった。
 大きな負債を抱えて、先日、不渡りを出し、銀行との取引が停止された。
 友一は自宅に自分とひとみの生命保険料を使って借金を清算して欲しいと遺書を残していたと言うのだ。
「パパが・・・」
 ひとみは叔母の話をぼんやりと聞いていた。
 友一もあまり、ひとみに話し掛ける事もなかった。
 いつも仕事ばかりしていた。
 だが、あの日、珍しくひとみに笑顔を見せ、一緒に食事に行こうと言った。
 二人で初めてフランス料理店で食事をし、その後、友一はドライブをしようとひとみに言った。
 ひとみはそれが嬉しかった。
 はしゃいでいたが、友一から渡されたコーヒーを飲んだあと、眠くなった。
 友一はひとみを一緒に連れて行く為に誘ってくれたのだ。
「友一一人の生命保険で消えるような小さな借金じゃないのよ。とりあえず、遺産の放棄をして、しのいだけどね」
 叔母はうんざりするような口調だ。
 迷惑だと思っているのだろう。
「親戚中の面汚しよ、まったくね。親の遺産を全部、食い尽くして」
 それが、一番、叔母に取って気に触るようだ。
 祖父から受け継いだ遺産は莫大だったと聞いている。
 都内の一等地にある家だけでも、相当な資産だった。
「だから、もう、家もなければお金もないのよ、あんたには」
 叔母は憎らしそうにひとみを睨んだ。
「私・・・」
 ひとみは何と言っていいのかわからない。
 ショックが大きすぎて、考える力も残っていない。
「・・・ママは・・・」
 ようやく、ひとみが声を絞り出した。
 章子の事も心配だ。
 療養所にいる章子もお金がなくて追い出されてしまうのだろうか。
 それよりも何よりも友一の死にショックを受けているのではないだろうか。
「お前のお母さんは葬式にも来なかったわよ」
 叔母が吐き捨てるように言った。
「ママも・・・ショックだったんだわ・・・病気だから・・・」
 章子を庇いたかった。
 叔母は敵意を剥き出しにしている。
 ひとみは章子を庇いたかった。
「病気?馬鹿な事を言うわね。ぴんぴんしてるわよ、あの女は」
「え?」
 叔母の言葉は意外なことばかりで、ひとみは目を丸くする。
 章子が健康だと叔母は言うが、信じられない。
 ずっと療養所にいると信じていた。
「あの・・・一体・・・」
「お前の母親って言うのは男好きで、今だって男の所にいるわよ。まったく、友一がおかしくなったのは、あんたの母親のせいなんだからね」
 まるで吐き捨てるように叔母は言う。
 ひとみはますます混乱するばかりだ。
 男の所にいるなんて信じられない。
「とにかく、友一も死んで、お前は行く所もないのよ。無一文だしね。関わるのはみんな、ごめんだって思ってるけど、この幸人が奇特にも引き取るって言うから感謝しなさい」
 ひとみは幸人をようやく見た。
 暗い表情だった。
「せいぜい、いい子にして、お情けで養ってもらいなさい」
 叔母はイライラとしているようだ。
「全く、お前の両親は回り中に迷惑をかけるんだから。お前だって助からない方が幸せだったわよ。皆の厄介者なんだからね」
「いい加減にしたらどうです、姉さん」
 叔母の容赦ない言葉にひとみが呆然としていると幸人が口を開いた。
 低い静かな声だ。
「親の遺産を全部、無くされた事に怒ってるみたいだけど、姉さんだって結婚する時に充分な物を貰って出た筈だ。八つ当たりが過ぎるんじゃないのか?みっともないですよ」
 まるで叔母をあざ笑うかのような口調だった。
 見る見るうちに叔母の顔が赤くなる。
「まあ、姉さんの旦那の会社も苦しいらしいから、兄貴が死んで、おこぼれに預かろうと思った当てが外れたのはわかりますけどね」
「な!何て事を言うの、幸人。あんた、めかけの子の癖に・・・」
「結構ですよ。でも、俺は自分の力でちゃんとやってますからね。親兄弟の遺産なんて当てにせずね」
 幸人は喉の奥で笑っていた。
 叔母の顔が赤くなったり、青くなったりしている。
「とにかく・・もう、私はお前とは関わりはないって事を言いたいのよ。友一の遺骨はお墓に入れておくけど、今後、2度と関わらないで頂戴ね。私まで借金取りに追いまわされたらたまったもんじゃないからね」
 叔母は幸人への怒りをひとみにぶつけた。
「そうですよね。姉さんは自分の借金取りで精一杯ですよね」
 叔母が幸人の言葉に歯軋りしながら乱暴にドアを開けて、病室を出て行ってしまった。
 病室にはひとみと幸人が残された。
「あの・・・私を・・・引き取ってくれるんですか?」
 おずおずとひとみは幸人に聞いた。
 幸人が初めて、ひとみを見た。
「まさか、16の小娘をほかりだすわけにはいかないだろう。世間体が悪い」
 叔母のヒステリックで感情的な言葉よりも冷静で事務的な幸人の言葉の方がひとみには堪えた。
「まだ、1ヶ月は入院しないと駄目らしい。たまに家政婦をよこすから」
 それだけ言って、幸人は立ち上がった。
「あの・・・」
「なんだ?」
「ありがとう・・・ございます・・・」
 ひとみはやっとの思いで礼を言った。
「仕方ないからな」
 幸人はそれだけ言って、静かに病室を出て行った。


 ひとみの入院生活は寂しかった。
 怪我の理由が理由だけに級友達の見舞いもない。
 担任の教師が2回ほど来てくれただけだった。
 後は週に2回、幸人の差し向けた家政婦が着替えを持ってくる。
 寂しくて気が狂いそうな気がしたが、看護婦や医師には可愛がられていた。
「元気でね」
 気安くなった看護婦がひとみに笑いかけた。
 2ヶ月の入院生活を終えて、今日退院する。
 腕の包帯はまだ取れていないが、何とかなりそうだ。
「ありがとうございました」
 ひとみは看護婦に笑いかけたが、心の中では泣きそうだった。
 一人で退院して、幸人の家までタクシーで来るようにと家政婦が言った。
 幸人は迎えにも来てくれない。
 最初に叔母と来た時しか、会ってはいない。
 ひとみは不安だった。
「でも・・・きっといい人なんだわ・・・」
 そう思うしかない。
 父も死に、母は連絡も取れない。
 ひとみには行くところがないのだ。
「口が悪いだけよ・・・」
 会った時の幸人のそっけなさが気になってはいたが、自分の中で否定した。
 一人になったひとみを引き取ってくれると言うのだ。
 それに叔母が暴言を吐いていた時に、助けてくれた。
 叔母の言葉を止めてくれたのだ。 
 不安で胸が押しつぶされそうだ。
「ありがとう」
 着いたと言うタクシーの運転手にお金を払って、ひとみは車を降りた。
 幸人の家の前に立った。
 家といってもマンションだが、大きな豪華な感じのマンションだった。
 指示されていた通りにオートロックを解除して、エレベーターに乗った。
 下りるとすぐそこが玄関になっている。
 ワンフロアー全てが幸人の家になっている。
 ひとみは目を見張った。
 自分の家も大きかったが、ここもすごい。
 インターフォンを鳴らすと、中年の婦人が出てきた。
 幸人の使っている家政婦のようだ。
 病院に来てくれた家政婦とも違っている。
「おかえりなさいませ」
 丁寧に頭を下げた。
 ひとみの荷物を持ってくれた。
「こちらがお嬢様のお部屋です」
 6畳ほどの部屋に案内された。
 ベッドと机と洋服ダンスとTVがある。
「旦那様は今日もお帰りが遅くなると言って見えました。お嬢様にはお部屋で休んでいるように言ってました」
 家政婦は事務的に説明をする。
 愛嬌も何もない性格のようだ。
「キッチンとお風呂とトイレをご案内します」
 簡単に家の中を案内された。
 他にも部屋はいくつかあるようだ。
「広いのね」
「他の所には一切入らないようにとの事です」
 釘を刺すように家政婦が言った。
 ひとみは小さく頷いた。
 その言葉が寂しく感じるが、お情けで引き取ってもらたのだ。
 言われた通りにするしかない。
「こちらがキッチンです。お食事の用意はしてあります」
 キッチンに行くと食事の用意がされていた。
「それでは、私は時間ですので」
 家政婦が頭を下げた。
「え?」
「私は通いで1時から4時までのお約束ですから」
 そそくさと家政婦は帰っていってしまった。
 まったく取り付くしまもない。
 幸人がわざわざ愛想のない家政婦を選んでいるのをひとみは知らない。
 ひとみはキッチンでラップの掛かった食事を見ながらぼんやりとしていた。





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