写真撮影の一件があってから、ゆり子は甘い物の誘惑を断ち切って真剣にダイエットを始
めた。その成果が少し現れ始めているところであった。
今日は坂崎まどかから呼び出しの電話があり、マルトウ・プロモーションの事務所の応接
室に来ていた。
「えっ!テレビのレポーターの仕事ですか?」
「そうよ!大チャンスよ、ゆり。この間のポスターを見た人からこの娘はだれだって問い
合わせが殺到しているのよ、それでうちの社長の目にも止まってすっかりゆりのこと気に
入ったみたい‥‥。」
「え、ちょっと、喋るのがあまり得意じゃないし、そういうのは無理ですよぉ。テレビの
レポーターなんか‥‥」
ゆり子の弱気な発言を聞いて坂崎まどかの顔が急に険しくなった。
「ゆりって、今何かやりたいことってあるの?ないのならこういう世界に入ってみるのも
選択肢のひとつよ。ま、もちろん私が決める事じゃないから任せるけど‥‥。うちの社長
の気が変わらないうちに返事ちょうだいよ。」
ゆり子はタレントのような仕事には自分は向いているわけがないと思っていた。かといっ
て、大学を出て何をやりたいかって言われると、特に明確なイメージも持っていなかった。
家に帰ってから親友のサヤに電話をかけた。サヤの答えはあっさりとしたものだった。
「チャンスじゃない、ゆり子!もしダメだったとしても失う物ないんだからぜひやるべき
よ!」
ゆり子はサヤの楽観的なアドバイスにも背中を押されて坂崎に仕事を受ける旨の返事をし
た。電話口から坂崎の明るい声が響いた。
「わかったわ!じゃあ契約成立ね。これから私が責任をもってゆり子を売っていくから
ね。」
レポーターの仕事が始まった。地方局であったが、ここを登竜門としてトップアイドルに
上り詰めたものも珍しくない。ゆり子はスタッフから次のクールから始まる番組の説明を
受けていた。
「えーと。篠原ゆり子さんは巷で話題になっているスイーツや新しく発売されるお菓子を
視聴者に紹介するレポーターをやって頂きます。心配なさらずともすべてスタッフの方で
店との調整や面倒な段取りはやりますので、ゆりさんは食べて感想をいってもらうだけと
いうことになりますね。」
「スイーツですか・・・(ダイエット中なんですけど‥‥)は、はい。」
「ゆりさんはケーキの食べ歩きが趣味ということですから、プロ級のコメントをお願いし
ますよ〜。はっはっは。」
番組でゆり子が担当するコーナーは週に1回、それも話題になっているケーキショップを
訪れて人気の商品を紹介し、そのうちのナンバーワンをゆり子が試食して感想を言う段取
りである。4週間分の放送を1日で撮影してしまうので、1日で4個のケーキを食べる必
要があった。しかし、4週間に1日の頻度であればダイエットにも特に差し支えなさそう
だった。
「では、ゆり子さん。試食の方をお願いします。」
「はーい!いただきまーす!」
ダイエットで甘い物を絶っていたゆり子は久しぶりにケーキが食べられるということで目
をキラキラと輝かせ自然と笑顔になっている。ゆり子にとっては初めてのテレビ撮影であ
ったが緊張する様子も見られない。
彼女はケーキにフォークを入れると満面の笑みを浮かべながら一口分を口に運び入れた。
口に入れた瞬間、生クリームの甘さとバニラの香りがさらに彼女のテンションを爆発させ
た。
「んーーーっ‥‥‥‥おいしい!!!」
そういうと撮影の段取りも忘れて、ぱくぱくと一心不乱に1つのケーキを食べ終えてしま
う。
「(あ、コメントだった‥‥)。もう、すっごいおいしいです!!まず、生クリームのきめ
の細かさからパティシエの力量が伝わってきます。それから、バニラビーンズとフルーツ
ソースの香りが適度に甘い生クリームと見事に調和していて絵も言われぬ香りが口の中に
広がります。それからストロベリーのババロアとタルト地の食感のコントラストがなんと
もいえず最高です!!」
食べ終えたゆり子の顔には感動でうっすらと涙が浮かんでいる。
「カットーォ!ゆりちゃん、ナイスリアクション!段取りでは、一口だけ食べてから感想
だったけど、今の食べっぷりはグッドだからそのまま使っちゃうよー。コメントはさすが
だね〜。」
「す、すみません!」
他の3店でもゆり子の多少オーバー気味のリアクションと鋭いコメントが炸裂して本日の
ロケは終了した。彼女は大好きなケーキを思う存分食べられて満足げに帰路についたのだ
った。
ゆり子のスイーツのコーナーが放送され、それは大反響を呼んだ。
おしとやかで清楚な美人がハイテンションでケーキをガツガツと平らげてしまう様子が面
白いとたちまち話題になったのだ。
視聴率にも大きく貢献したとのことでテレビ局側では緊急の企画会議が行われ、ゆり子の
コーナーの枠を増やすことが即座に決定された。
それによると、週に1回の放送が月曜から金曜の毎日、つまり週5回の放送に変更された
のだった。
「ええっ、まだ食べるんですか‥‥?」
ロケは週に1度になり、その日は朝から夕方まで5回分を収録するというスケジュールに
なった。
「今日はあとまだ2件まわってもらわなくちゃならない予定なんですよ。」
体重のことが気がかりであったが、大好きなケーキを存分に食べられることはゆり子にと
って申し分のない仕事だった。近頃は雑誌の記事でもスイーツ大好きタレントとして紹介
されており、ケーキを無心で食べている様子を撮らされることも多く、ロケ以外にもケー
キを食べることが多くなっていた。
残り2件のケーキショップでのロケを終えると今度は事務所に戻り、雑誌のインタビュー
に答えることになっていた。そこでも記者がケーキを準備して待ちかまえていた。
「(ぱくぱく)‥‥お、おいしーい!!」
食べる前に覚える罪悪感も一口ケーキを口にすると吹き飛んでしまい、ゆり子の顔は満面
の笑顔で満たされる。そして、プロ顔負けのコメントが止めどなく溢れ出てくるのであっ
た。
着替えのときにスカートがまたきつくなったような気がしたが、彼女はそれには目を向け
ないことにした。