夏美の夜の夢

ブラン(物語)・冷暖坊(挿し絵) 作
Copyright 2014 by Buran (story)
Copyright 2014 by Reidanbou (picture)

稲垣夏美が目を覚ますとそこはいつもの自分の部屋ではなかった。
窓の隙間から差し込む陽の光が見慣れない漆喰の白い壁を照らしていた。
「目を覚ましたわね。」
早乙女先生の声であった。夏美のベッドの横にはもう一つベッドがあり、どうやら
早乙女はそこで寝ていたようだった。先生は窓の方へと歩いてゆき、木の板で出来
た窓をゆっくりと開けた。強い朝の陽ざしが差し込み、部屋の中を照らし出した。
夏美は飾り気のない室内を見回した。ここがどこなのか見当もつかなかった。
ベッドから身を起して窓の外を見に行こうとする。大きな胸の重みがずっしりと肩
にのしかかった。夏美は見慣れない簡素な布の服に身を包んでおり、大きな胸がそ
の布地を押し上げている。窓の下には土埃に煙る街道が見え、中世の雰囲気を漂わ
せた石造りの家々が立ち並んでいるのが見える。街道には夏美と同じような簡素な
布の服を着た人たちや鎧で身を包んだ剣士、商人や僧侶のような者が歩いている。
夏美は眼を丸くしてその光景の前に立ちすくんだ。
「そう、ここは夢の中の世界よ。」
早乙女先生は言った。
壁の向こうからガタガタという音がした。
「冴木君も起きたみたいね。となりが冴木君一人の部屋なの。」
先生は部屋の扉を開けて出ていくと、隣の部屋をノックして入っていった。
しばらくして先生が冴木を連れて部屋に戻ってきた。冴木は夏美と同じ簡素な布の
服を着ており、夏美と同様目に映る光景に目を丸くしていた。先生はきょとんとす
る二人にまずこの世界の基本情報を説明した。
「驚くのも無理はないわね。そう、ここは約600年前の中世ヨーロッパ世界。
場所は今のルーマニアとハンガリーの間くらいにある小さな王国よ。国の名前はリ
ムナス。私の研究の結果、この世界のどこかにグランポワの魔法を解く方法が隠さ
れている。それを今日から見つけにいくってわけ?どう?ゲームみたいでしょう?」
夏美と冴木の二人は少し楽しそうな先生をみて顔を見合わせた。
「でも、現代のように甘い世界ではないわ。外には夜盗、盗賊の類がうようよしてい
るし、うっかりしてると命を落としかねない。私たちは外部者だから何かのことで
捕えられるかもしれないし、慎重に行動しないといけないわ。」
先生は急に神妙な顔を作って二人に言った。
「さてと、まずはこの宿屋の一階で腹ごしらえを兼ねて情報収集ね。まだ我々が行
くべき方向すらわかってない状態だから・・・。そうそう、そのままの格好って訳
にいかないから皆の衣装を準備してあるわよ。」
先生はそういって大きな布の袋を指さした。
「これは冴木くんが身に着けるものよ。」
袋の中のものをベッドの上に放り出す。皮で出来た小手や胸当て、ヘッドギア、
それから細身の剣まで用意されている。冴木は初めてみる真剣に恐れをなした。
「今日から君が私たち二人を守るんだからね。さあ、それを持って自分の部屋で着
替えてきなさい。それとも私たちの着替えを観察するつもり?」
冴木が出ていくと早乙女先生は夏美の衣装を袋から取り出した。それは修道女が着
る青い服だった。
「夏美のはこれね。修道服。あなたの胸が納まりそうなのがこれしかなかったのよ。
それから・・・」
早乙女は長い巻物状の布を取り出す。
「ずっとノーブラって訳にはいかないでしょう?これをさらし替わりに胸に巻くの
はどうかしら?」
夏美は着ていた服をすっぽりと脱いで裸になると、巻物状の布の一端を握りくるく
ると胸の周囲に巻き付けていく。巻きつけ方が緩いと見て早乙女先生が布をぐいと
引っ張り梱包を完成させた。
さらしを巻いたとは言え、胸の膨らみは大きく前に突き出しており、修道服を上か
ら被ってもその大きさは隠しようもなかった。
早乙女はというと、魔術師が着る黒いローブを羽織り、帽子をかぶった。これで杖
でも持てば立派な魔法使いになれそうである。このようにして、恰好だけは戦士、
僧侶、魔法使いの3人のパーティーが完成したのであった。

3人の身支度が揃うと階段を下りて1階の食堂に向かった。
食堂には食欲をそそるいい匂いが漂い、朝だというのに明るい声が飛び交い、わい
わいと賑わってる。この宿屋の女主人は食事時は給仕として料理をテーブルに運んで
いる。
「さあ、お三人さんはこちらのテーブルに!」
女主人は髪を短く切り一見男のように見えた。きっぷがいい性格で客にあけすけに
冗談を言って笑わせている。早乙女は当面の三人分の宿代を前金で支払っていたので
女主人の機嫌もすこぶるよいようだった。
「こんな小さな国に旅の方が来られるなんて珍しいこともあるもんだね。先代の王
の時代はそりゃあ、国は栄えて行き交う人も多かったけど、時代は変わっちまった
からねぇ・・・税金は上がるわ、2年続きの凶作でモノの値段もあがるわで大した
料理は出せないけど我慢しておくれよ。」
夏美たちは支持されたテーブルに腰かけ、女主人が運んできた野菜と芋、鶏肉を煮
込んだスープとパンに手を付けた。スープはシンプルな味付けであるが素材の味が
よく出ており、パンは焼きたてで香ばしかった。三人はそれらを黙々と食べ進めてい
ると、遠くのテーブルから騒がしい連中が声をかけてきた。
「見ない顔だな。旅の者だって?」
身なりからこの国の兵士であることがわかった。警備の仕事で徹夜明けらしく、朝
から酒をあおっている。
「姉ちゃんたちなかなか美人じゃないか!」
「お、おい、左の娘みろよ。」
「うおっ、なんと豊満な。」
兵士たちだけでなく他の客たちの視線も一斉に夏美の大きな胸のふくらみに注がれ
る。
夏美は突然のことにびっくりしてスープを掬う手を止めた。
「旅の方たちがびっくりされてるじゃないか!」
女主人が夏美の前で壁となり皆の視線を遮る。そして夏美にやさしく喋りかけた。
「娘さん、この国には胸の大きい女子は豊穣の女神の生まれ変わりという伝説があっ
てね。皆ありがたがるんだ。誰も襲いやしないよ。しかし、なんとも立派な・・・
私も拝ませてもらうよ。こりゃあ、景気が上がる前触れかも。」
女主人が手を合わせるのを見てほかの客たちも我先にと夏美の前まで来て手を合わ
せ始める。
「女神様、お願いだ。触らせてもらえってええか?」
「だめだよ、男は離れな!」
「お姉ちゃん、一杯おごるからこっちのテーブルにこないか?」
「うちの大事なお客さんだ。手出しは許さないわよ!」
「まったく、イザベルにはかなわんわ。」
イザベルというのが女主人の名前らしかった。イザベルが客たちを制してようやく
騒ぎが落ち着いた。
「ところで、このリムナスに何しにきたんだい?」
早乙女がその質問に答える。
「実は私たちは魔術の修行でいろんな国を旅しているの。この国は特に進んでいる
って聞いたのでやってきたわけなの。」



「へーえ。魔術なんて私ら庶民には縁のない話ね。」
魔術と聞いて客たちが口ぐちに知っていることをしゃべり始める。
「魔術に詳しいといえばノラ司祭じゃな・・・」
「司祭は国におらんじゃないか。今は辺境の地パローナに住んでおられる。」
「じゃあ、モゼフ老師が詳しいのでは?」
「モゼフ老師は法律家。元司法省の長官じゃったから、魔術には明るくないだろう。」
「あと、司祭といえばマドラか・・・」
「そういえば司祭じゃったな。まぁ、ろくなもんじゃない」
マドラという名前が出ると客たちは発言を控え、あまり喋らなくなった。
「マドラというのは?」
早乙女は一人の老人に尋ねた。老人は3人に近づいて小さな声で話し始めた。
「この国の権力者じゃ。旅の方は存じないと思うが、以前この国では二人の王女が
王位継承をめぐって争いをしたんじゃ。といっても王女同士がいがみ合っていたの
ではなく、それぞれの取り巻き達が自分の王女を女王にしようと争いを始めたわけ
じゃ。結局、姉のオリビア姫が勝ち、女王の座についた。オリビア姫に付いておっ
たマドラは姫が女王になると一気に権力を握り、今では実質的にこの国を牛耳って
おるのじゃ。」
女主人が老人の言葉に続けた。
「大きな声では言えないが、とにかく評判は良くないわ。妹のメリル姫についた者
たちを次々と失脚させて追い落し、利権は自分ととり巻き建ちに独占させている。
干ばつ続きて作物がとれないのに税金はあげるし。どうしようもないわ。」
さらに老人が続ける。
「メリル姫はノラ司祭を伴って辺境の地パローナに移られた。理由は明かされていな
いが、マドラが追放したというのがもっぱらの噂じゃ。女王のオリビア姫も病を患
って、人前に姿を現されなくなった。すでにマドラが女王を亡き者にしたとの噂もあ
る。」
早乙女は食堂で得た情報を整理した。魔術に詳しそうなのはノラ司祭かマドラの二人。
しかし、ノラ司祭はこの国にはおらず、マドラは評判の悪い独裁者だ。宿の人たち
のアドバイスでは、先ずモゼフ老師に会ってみるのがよいということだった。魔術
は専門外だがこの国一番のものしりで通っているそうだ。三人は早速、モゼフ老師
を訪ねてみることにした。