夢を見ていた。
そうと分かるのは、これが夢だとはっきり分かるからだ。なぜなら、僕の目の前には、こちらを見つめる芦野楓花の姿がある。本来なら絶対にありえないシチュエーション。芦野楓花は僕の目をじっと見ている。夢の中とはいえ、その姿は現実の芦野楓花を完全に再現していた。艶やかな黒髪、可愛らしく端整な顔立ち、大きく張りつめた柔らかそうな胸。その芦野楓花が、僕の顔をただ見つめて、時折瞬きをしながら、こちらの様子をうかがっているようだった。
――どうせ、夢の中なんだから。
僕は、ゆっくりと手を伸ばしていく。目の前にある、芦野楓花の胸部にそびえ立つその巨大な柔肉に向かって――。
僕こと後藤諒大は陰湿な人間であるが、太陽の光が好きだ。温かい日差しを受けていると、つい眠くなってしまう。たとえそれが授業中であったとしても、だ。
「後藤!」
先生が強い口調で僕を指名する。僕ははっとして現実世界に舞い戻って起立が、時すでに遅し。
「この英文、訳してみろ」
「え、えっと……分かりません……」
「バカタレ、ちゃんと聞いてろ。座れ」
教師は呆れながら着席を促す。僕はゆっくりと席に座る。いつも僕をパシリに使っている男子の笑い声が微かに聞こえる。そうでなくても、僕には好奇の目が集まっている。穴があったら入りたいような状態だが、僕はそれよりも、素敵な夢を中断させてくれた教師に腹が立って仕方が無かった。
昼休み。
僕はパシリの役目を果たすと、すぐに図書室に向かった。この日もいつもと同じように扉を開けて、辺りを見回して彼女を探す。
「――いない……」
小さく消え入るように、自然と言葉が呟かれた。芦野楓花の姿は見当たらない。今日は来てないのだろうか……いや、少し待てば来るかもしれない。今日は少し早く来すぎた。僕は席について、ダミーの本を机に置くと、僕は出入り口の扉をじっと見つめ始める。ここから芦野楓花がやってくることを願って。
果たして、その時は来た。
図書室の扉が開かれると、そこには誰が見ても目立つ大きな胸が目に入る。芦野楓花だ。僕の心臓は期待で一気に跳ね上がる。心の中で何度もガッツポーズをする。
その時、僕の目はその瞬間をとらえた。
彼女は急いでいるのか、少し小走りでこちら側に向かってきたのだ。
たっぷん、たっぷん。
歩くタイミングに合わせて、大きな胸が豊かに弾む。僕の目がその光景を逃すことはなかった。記憶の引き出しの中に瞬時にその光景が焼き付けられる。
「……ん、あった」
芦野楓花は小さく言った。どうやら、昨日読みかけだった本を取りに来たらしい。借りて行けばよかったのでは、と思ったが、そんなことは僕にとってはどうでもいいことだ。
彼女はその本を取ると、くるりと振り返ってこちらに向いた。惰性で胸が横にぷるんと揺れる。僕は思わずごくりと生唾を飲みこんだ。
そんな僕の視線に気づくことなく、芦野楓花はとことこ歩いて、席についた。
――ああ、なんと幸運な日だろう。彼女は僕の斜向かいに、こちらを向いて座った。横顔ではなく、今日はほぼ正面から彼女を見ることができる! 僕はより一層集中して彼女の姿に見入った。
正面から見ると、やはりその巨大な胸に目が行く。机の上に乗っかった極上の柔肉は、セーラー服の中にぎゅうぎゅうに詰まっていて、ふとした瞬間に弾けてしまいそうな瑞々しさを持っているようだ。どんなに隠そうとしても隠しきれない、年相応に見えない大きな胸。一体何センチあるのだろう……80、いや90センチ、もしかしたら1メートルあるのだろうか。それに可愛らしい顔立ちが揃っているのだから、絶世の美女といってもいいだろう。
……触れてみたい。
さっきの夢みたいに、彼女に触れられたなら、何と幸せだろうか。
それは決して叶うことが無い夢のまた夢、せいぜい僕の中の妄想でしか成立しない行為。陰湿な男が脳内で行う不純で不気味な変態行為。最低な人間だと人は僕を笑うだろう。だが、これこそが僕の中の幸せなのだ。他に何の娯楽も要らない、芦野楓花こそが僕の中に幸福を与えてくれる存在なのだから。
じっと見続けていると、その欲望はいよいよ激しくなって、自分の中の男としての本能が暴走しそうになる。その度に、僕の高校生としての理性が自制を促す。ここで本当に触れてしまえば、この後の僕の高校生活は完全に破たんする。厭らしい変態学生のレッテルを張られ、一生を棒に振りかねない。……でも、この退屈な生活が永遠に続くとするなら、ここで楽しんで終らせてしまった方がいいのではないか。……いや、それは僕の両親が泣くだろう。何のために僕を産んでくれたのか――。
そんな葛藤を脳内で延々と繰り返しているうち、僕はふと視線を上げてみた。
目が合った。
「……っ!!」
慌てて目を逸らす。
確かに、芦野楓花は僕を見ていた。僕が初めて出会ってから今に至るまで、一度も見たことが無いであろう僕の目を、彼女はしっかりと見た。見てしまった。
血の気が引いた。
まずい。これはまずい。僕という存在が彼女に知られてしまった。最悪の結末だ。これを機に彼女が図書室に来なくなったら、僕はどうすればいいのか。芦野楓花は図書室に来ない。なぜなら、陰湿で内気な怪しい男子生徒が、厭らしい眼差しで胸を凝視してくるからである。このことが学校に知られたら、僕はいよいよ立場を追われる。パシリが変態になって、誰からも助けてもらえない生活に陥るのだ……。
僕が絶望していると、かたんと音がした。
顔を上げると、芦野楓花が席を立って、本棚に本を返しに行く様子が見える。彼女はまた別の本を取って、胸を揺らしながらくるっと振り返り、また同じ場所に戻ってきて、座った。重そうな胸を机に乗せ、本を読み始める。
……よかった。どうやら気のせいだったようだ。
額を触ってみる。妙な脂汗がびっしりと指先に絡みついた。
僕は、これ以上はもう限界だと判断し、僕の方から立ち上がって、図書室を出ることにした。その帰路はとても歩きにくかった。なぜなら、僕の分身は完全に興奮の絶頂に達していて、ズボンの中で固まっていたからである。