転生 一日目―1

F_able 作
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 朝八時半。
 『俺』は鏡に映る『女』をじっと見つめていた。
 起こしに来た妹は、俺の一連の発狂に驚くことも無く、首を傾げてさっさと階下に降りて行った。
 朝食の匂いが俺の部屋まで届く中、俺はジャージ姿のまま、姿見の前で棒立ち状態が続いている。
「……これが、俺……?」
 そう呟いた声も、もともとの俺の声とはかけ離れた高い声。アニメの中の女の子がそのまま喋っているような、そんな可愛らしい印象を受ける。
 俺が右手を動かして顔を触ると、鏡の中の『女』も同じように左手を動かして顔を触る。最近ニキビができ始めて悩んでいた肌は、女性らしく張りのあるそれに代わっていた。頬をなぞる我が人差し指も細く嫋やかで、簡単に折れてしまいそうだ。
 その手は自然と下に向かっていく。ジャージのファスナーを内側から押し広げる二つの大きな膨らみは、雑誌で見たグラビアアイドルに勝るとも劣らない程の迫力を眼前に晒している。俺はそっとファスナーを下ろし、ジャージを肌蹴てみる。窮屈な衣類から解放された柔肉が、ぷるんっと微かに震えて外に飛び出した。
「んっ」
 自分が放つ微かな声に、鼓動が高鳴る。
 当然、その膨らみを押さえておくもの――ブラジャーなど付けているはずも無く、女性の象徴が丸裸にされていた。
 そっと手を宛がう。片方の膨らみは、俺の掌に収まらない程大きく、下を向くと足元の視界を完全に遮っている。それでいて先端の蕾は小さくて綺麗な桜色で、肌触りは、マシュマロと言うか、餅と言うか……とにかく今まで触れていた物に喩えがたいほどに柔らかく、そして弾力に富んだもの。揉み絞ると、指と指の間から柔肉がはみ出し、内側から掌を押しのけようとする力を感じる。なかなかの大きさを持つにも関わらず、重力に負けることなく完璧な球形を保っていた。
 しばらく呆けていた俺は、胸から手を離して腰にやった。もともとの俺の腹囲とはけた違いに細くくびれている。お尻も触ってみた。こちらも大きく、胸よりも張りがある。所謂『ボンッキュッボンッ』という体型に相違ない。
 そして最後に、俺はお尻に宛がった手をそのまま前に持ってくる。
 そこに存在するはずの男の象徴は――その存在感を跡形も無く消していた。

 間違いなく、俺の体は、『女』だった。

「……な、なんでこんなことに……?」
 俺は必死に記憶を逆算した。
 確か、俺は交通事故に遭った。あそこで俺は死んで――死んだかどうかは分からないが、気が付いたら何もない空間にいて、そこで誰かに会った気がする。確か、ピンク色した髪の毛の、名前は何と言ったっけ――そう、チェルとかいう女だ。そいつと何かの話をして、契約って単語が出てきたような……そして、目覚めたらこんな体に……。

「気に入った?」
「だぁっ!?」
 背後から急に声が聞こえた。
 慌てて振り返ると、そこには見覚えのある顔がいた。ピンク色の髪の毛、俺より頭一つ分くらい低い背丈。身に包んだローブのような黒い服。
「お、お前……チェルか?」
「あは、覚えててくれた。どう? その体」
 チェルは無邪気に笑った。
「い、いや、気に入るとかどうとか……じゃなくて、何だよこれ!」
「何って……女の子の体だよ?」
「それは分かる。散々触ったから分かるんだよ。何でこの体なんだって聞きたいんだよ」
 すると、チェルは悪戯っぽくクスクスと笑った。
「だからぁ、『もう一度人生を楽しむ』って言ったじゃない。私なりに考えて、『ユーキが女の子だったら楽しいだろうな』って思って」
「何故そう思った!?」
 発想が突飛すぎる……これが人間と悪魔の考え方の違いってことか。
 俺はビシッとチェルに人差し指を突きだして言い放った。
「……まず、百歩譲って女の体にしたことは許そう。何でわざわざ、こう……む、胸とかデカくしたんだよ」
「ん? どうせなら女の子っぽい方がいいじゃない。今の悪魔のトレンドは貧乳より巨乳だよ?」
「お前らの流行なんか知るか!」
 とにかく、悪魔と人間は決して相容れないことが分かった。
「まあまあ落ち着いて、ユーキ。この状況を私が簡単に説明するから。そのために来たんだもん」
 チェルはコホンと咳払いをした。とりあえず聞いてやろうと、俺は腕を組んで待った――俺の細い腕に、胸の膨らみが見事に乗った。
「まず、これからユーキは女の子として過ごしてもらいます。いつも通りの日常だから、あまり気負わなくていいからね。そして、ユーキと関わったことのある人は、全員ユーキが元から女だったと思ってるから、大丈夫だよ」
「そ、そうなのか? ……ああ、だから優衣も俺のこと『お姉ちゃん』って」
 チェルは「そうそう」と頷いた。
 『優衣(ゆい)』と言うのは俺の妹の名前。今は一階で朝飯を待ってるだろうか。
「で、私からの大サービスで、洋服とか下着なんかも全部女の子のものに変えておいたから」
「ま、マジか……」
「疑うなら、クローゼットの中見てみたら?」
 俺は言われるまま、クローゼットを開いた。
 そこには、おおよそ男が着るものではない可愛らしい衣類がハンガーに釣り下がっていた。俺が通う高校の紺色男子生徒指定の制服も、女子生徒指定の若草色と白を基調としたセーラー服になっている。わざわざ女物を買いそろえることは無い、ということだ。これは助かる。
 引き出しの中には、女性物の下着とブラジャーが入っている。トランクスとは違い、明らかに面積が小さすぎる様な、お尻を隠すためのパンツ。フリルの付いた可愛らしいブラジャーも、目にすることはあっても、着けたことなど勿論ない。
「さ、ユーキも着替えなよ。いつまでも裸ジャージでいるのは恥ずかしいでしょ?」
「あ、ああ……」
 チェルに促されるまま、俺は適当に下着を手に取った。青と白のストライプ。
「お、女ってこんな物履くのか?」
「うん。さ、早く脱いで〜? ユーキのストリップショーの始まりだよ〜」
「……チェル、お前楽しんでるだろ」
「へへ、バレた?」
 こいつ、後でぶん殴ってやろうか。
 脳裏にそんな考えが過りつつ、俺は恐る恐るジャージのズボンを脱いだ。流石に着ているものを変えることはできなかったようで、女の腰に合わないぶかぶかのトランクスを履いていた。俺はそれをゆっくりと下ろし、できる限り下を見ないようにして、女性物のパンツを履いた。
「さ、次はブラだね」
 チェルから手渡されたブラジャーを受け取る。カップを胸に宛がうと、そのまま紐を背中まで持っていく。
「……ん、あれ?」
「あ、もしかして締まらない? サイズ間違えたかなぁ」
 何度もぐっと引っ張ってみても、ホックまで届かない。無理な力を加える度、我が豊満な胸に窮屈な引き締めが襲いかかる。結局チェルに手伝ってもらって、何とかホックがはまった。
「やっぱりきつい?」
「ああ、少しな……」
 若干呼吸がしづらくもある。というか、この胸一体何センチあるんだ……。
 それからちゃちゃっと着替えを済ませると、俺は再び姿見の前に立った。
「どう? 生まれ変わったユーキの格好は」
 隣でチェルが言う。
 俺はその姿に、正直見惚れていた。はっきり言おう。滅茶苦茶可愛いし、スタイルも抜群にいい。こんな女の子が街を歩いてたら、俺はガン見するだろう。
「……気に入ってくれた?」
「……あ、ああ」
「でもね〜、その喋り方までは変えられなかったよ。ユーキの喋り方って、『ザ・男』みたいな感じなんだよね〜」
 と、チェルは残念がった。「まあ『俺っ娘』も萌え要素だよね」と一言言ったのは無視する。
「さあ、朝ごはん食べてらっしゃいな。妹ちゃんも待ってるよ?」
「お、おう」
 俺はようやくそのことを思い出して、部屋を出て階下に向かった。


  ☆


「お姉ちゃん、おはよう」
「お、おう……」
 妹、優衣は、リビングにあるソファに座ってテレビを見ていた。テーブルの上には二人分の食事が置かれている。今日の朝飯はベーコンエッグのようだ。
 俺の家族はこの妹と、お袋と親父がいる。親父は今、海外に単身赴任中で、家に帰ってこない。たまにスカイプで元気な声を聞かせてくれるから、心配はしていない。
 お袋も勿論まだまだ元気で、高校二年生と中学三年生の子供を二人持ちながら、周囲からは「お若い、お若い」と言われているらしい。
「……母さんは?」
「え? お姉ちゃん何言ってるの? お母さんは今婦人会の旅行中だってば」
「……あ、そうだったな」
 そう、現段階ではお袋も家を空けている。昨日から一週間くらいだろうか、九州に出かけて行った。いいお土産を期待している。
「早く食べよ」
「ああ」
 俺と優衣は食卓に着いて、同時に「いただきます」と言った。
 食事は普通に喉を通る。味覚も変わらないし、普通に美味い。優衣は料理が得意なのだ。
「……なあ、今日って何曜日だ?」
「土曜日。部活も無いの」
 俺は「そっか」と短く返した。
「お姉ちゃんも暇だよね」
「まあなぁ……」
「じゃあ、後で買い物行こ?」
「買い物? いいけど……何買うんだ?」
 俺は聞き返した、味噌汁を啜る。
「ん? 水着」
 口から味噌汁が逆流した。
 親父、そしてお袋。今日から長い戦いが始まりそうだ。