胸いっぱいの高校生活

ヘリオトロープ 作
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「ここか……」

 早くも夏の気配が迫る五月某日。
 都心から電車を乗り継いで辿り着いた見知らぬ土地に、僕は立っていた。ビルなどは勿論無く、平屋や二階建ての家が建ち並ぶ住宅街には、人の気配はあれど密度は比にならない程に低い。近くに川が流れているのは、散歩コースに最適だと一目で気に入った。

「場所も間違いない、ね」

 眼前にある石門と、そこに掘られた縦書きの文字列――私立B高等学校。手元にある資料に記載された地図と照らし合わせ、そこが間違いなく目的地であると確認する。そして、A4紙に書かれた文章に目を通す。

『貴殿 下月香希 氏 を、B高等学校へ編入なさることを許可します』

「……行こう」

 微かに心拍数を上げた我が心臓に手を当てて、僕は厳かに校門をくぐった。


  *


 下月香希(しもつき こうき)。高校二年生。
 僕自身を一言で表すなら、「しがない男子学生」と言いたい。取り立てて外見に特徴がある人間では無いけれど、まあ、人並みな男なのだろうと思っている。
 この度、僕は元々通っていた都心の学校を離れ、電車で数駅ほど離れた校外にあるこのB高校に編入することになった。別に、同級生に苛められたとか、逆に問題行為を起こしたとか、そういう理由じゃない。単に、両親から告げられたのだ。

 曰く、『人生に磨きを掛けるべし』、と。

 ……いやいや、急すぎるでしょ。
 と、一応は反論したのだが、変わり者の両親とその両家親族から後押しされ、僕は高校二年生にして親元を離れ、一人暮らしをしながら学校に通うことになったのである。別に、北海道から沖縄までの距離があるわけではないし、両親の元へは休日には帰れる程度なので、問題ないと言えば問題ないのだけれど。

 さて、昇降口に入る。
 電車の都合で、朝の登校には間に合わなかった。その旨は伝えてある筈なので、職員室に行って先生と会うことが次の目的になる。
 今は授業の合間の移動時間の様で、遠くからざわざわと会話する声が聞こえてくる。全体的に声のトーンが高めな気がした。女子生徒が盛り上がっているらしい。
 内履きに履き替え廊下に出ると、すぐ前に職員室の扉が見えた。良かった、学校の中で迷子にならなくて済んだ。どんな人が迎えてくれるんだろう、と考えながら、一歩前に踏み出す――。

「はわああぁ!!」
「え」

 突如左から、誰かの叫びが聞こえた。そちらに顔を向けると、目の前にあったのは。

 二つの、白く、大きな、膨らみ。


 むっぎゅうぅぅ!


「んぶっ……?!」

 それが何かと確認する前に、その物体が僕の顔面に勢いよくぶつかった。かなり速度が出ていたが、それが柔らかさを持っていたようで、痛みは感じない。しかし、その突進の勢いはこの体では抑えきれず、僕はそのまま後方に倒れ込んだ。

「ひゃんっ!」

 僕が尻餅を搗くのと同じタイミングで、可愛らしい女の子の悲鳴が耳に入る。ふわりと良い匂いが鼻腔を刺激し、柔らかな体重が僕の上にのしかかる感覚。
 気がつくと、僕は仰向けに寝転んでいて、目の前には息を切らせた見知らぬ女性の顔が、ほぼ間近に迫っている状態だった。

「ご、ごめ……っ」

 謝り掛けた彼女の顔が、一瞬の間に引きつる。
 どうしたのか、と刹那に考えるが、彼女の視線が下に向いていることに気付き、その先に目をやる。
 右手に感じる、ふくよかな弾力。
 僕が今掴んでいるのは、紛れもなく、彼女の――。

 ――胸。

「きゃああぁぁ!!」
「わあああぁぁ!!」

 同じタイミングで絶叫し、彼女は僕からバッと飛び退き、僕は手足をばたつかせて彼女から後退した。両腕で胸を押さえながら、怯える表情で僕を凝視する女子生徒。謝ろう、謝ることが先決。そう判断するまで、脳内でコンマ一秒。

「ご、っごごごごごごめんなさい!!」

 咄嗟の判断で、僕は人生で初の土下座を披露していた。いつかドラマで見たような、悪役の常務が見限られた際に見せるような、我ながら完璧とも呼べる土下座だった。
 しかし、すぐに頭の上でパタパタと音が聞こえ、顔を上げると、女子生徒はもう走り去ってしまっていた。えんじ色のスカートがふわりふわりと弾み、曲がり角を曲がって消えていった。

「……あぁ……」

 ことの重大さに気付いた僕は、頭を抱えざるを得なかった。
 登校初日から、事故とは言え、女子生徒の胸を触ってしまったのだ。下手をすれば、軍法会議ものの学級裁判が行われるかも知れない。そうでなくても、僕のこれからの高校生活に何かしらの傷が付いてしまうことは明白だった。

「やってしまった……」
「あら、どうしたの?」
「へぅ?!」

 突然話しかけられ、変な声が出た。
 見ると、職員室の扉が開き、大人の女性が一人、不思議そうにこちらに視線を向けている。怪訝そうな顔を見せていたその人は、ああ、と一言言って、僕の側に歩み寄っていた。

「あなたが、下月くんですね?」
「え、あ、あぁ、はい、そうです」
「ようこそ、B高校へ。私が、担任のアレイです」

 そう言って、彼女は左胸に付いたネームプレートを僕に見せてきた。
 阿礼灯佳、と書かれた四文字の漢字を見て、もう一度女性の顔を見て、僕は少しずつ落ち着きを取り戻していた。

「……アレイ、トウカ……先生、でいいですか?」
「はい、合ってますよ。じゃあ、早速、色々説明させて下さいね」

 阿礼先生は僕の手をすっと取って、職員室の中へと誘導する。滑らかな女性特有の肌に触れ、僕はまたドキッとするのだった。


  *


 阿礼先生からの説明を終え、僕は先生と一緒に教室を目指して歩いていた。僕の新しい教室は2-B。先生の担当科目は古文で、丁度そのクラスで授業があるらしく、ついでに僕の紹介をしてくれるらしい。
 しかし、先生から説明を受けている間、僕は違和感を覚えていた。今まで通っていた高校では感じなかった、しかし原因が分からない謎の違和感。判然としないまま、僕は先生の背中を見つめながら、その理由を頭の中で探っていた。

「ここは自然も豊かですし、田舎過ぎることもないですから、皆いい子で伸び伸びと過ごしているんですよ」

 ふわふわした語り口調で、阿礼先生は自慢してくれた。そうなんですか、と少々生返事になりながら、振り向いた先生の姿を見て、思わず眼を背けてしまう。

「……どうかしました?」
「あ、ああ、いえ、お構いなく……」

 きょとんと首を傾げる先生。
 ……だって、直視できない状態。両手に抱えた教科書が、丁度先生の胸の下にあって、それを押し上げるように膨らみを強調させていたのだ。一応、僕も健全な男なんだし、いきなりそんな刺激的な格好を見せられたら、そりゃあ……。さっきの女子生徒とのトラブルもあって、変に意識してしまうし……。

「さあ、ここですよ」

 先生の声に、はっと我に返る。
 目の前にあるのは、2-Bと書かれた札の付いた扉。遂に、新しい学習環境が眼前に迫っていた。
 先生は、待っててくださいね、と一言言って、先に教室に入っていった。扉越しに聞こえる彼女の「座ってくださぁい」というおっとりした合図に、ざわついていた教室に少しずつ静寂がもたらされていく。
 女子生徒の声で「起立」、「礼」、「着席」の後に、先生が語り出した。

「はい、今日は授業を始める前に、皆さんにお知らせがあります。今日から、このクラスに新しいお友達が加わることになりました」

 その直後、再び教室ががやがやし出す。その声色は全体的に高めのトーンで、何となくクラスは女子生徒が多いのだろう、と感じ取れた。ここまで来ると、より緊張してしまう。
 ……それにしても、『新しいお友達』って、幼稚園みたいですね、先生。

「はーい、静かにして下さい。……それじゃあ、どうぞ〜」

 僕は、緊張感を深呼吸で軽く解し、意を決して、教室の扉を開けた。

「――っ?!」

 その時、僕に電流が走った。
 僕の視界に映ったのは、机に向かっている、クラスメイトたち。その視線が僕だけに集中している――だけではなかった。

 最前列は、全員女の子。
 最後列も、全員女の子。
 中程を見ても、女の子、女の子、一人飛ばさなくても、女の子。

 2-Bの生徒は、全員が女子生徒だったのだ。

「……下月くん?」
「あ、は、はいぃ!」

 思わず声が裏返った。
 そこで、僕の抱えていた違和感の理由が分かった。
 ここまで視界に入った学校関係者が、全員女性だったのだ。廊下でぶつかったあの子も、説明をくれた担任の先生も、その時職員室にいた他の教職員の方々も、廊下ですれ違った事務員らしい人も、窓の外からグラウンドを見たときに走っていた生徒たちも。
 僕以外の人間が、全員、女性だったのだ。

 ……なんだこれは、どうすればいいのだ。

「あ、え、えっと……どうも、下月香希、です……」

 あまりの出来事に思考回路はショート寸前だったが、何とか平静を保ちつつ、自己紹介も簡潔に頭を下げる。ヤバい、本当は色々と自分のこと語りたいと思ってたんだけど。何も頭に出てこない。パニック寸前だ。
 などと心の中で慌てふためいていたら。

「ああぁー!!」

 聞き覚えのある声がして、はっと顔を上げる。そこには、更に僕のパニックを加速させる人物が、目を丸くして椅子から飛び上がっていた。

「……あ゙」

 さっき、廊下でぶつかって、胸を触ってしまった女子生徒だった。
 ……こんなことってあるのか!?

「あ、えっと、その」
「さっきはゴメンね!」

 え。
 てっきりこの場で吊し上げられるかと思いきや、予想外に切り出されたのは彼女からの謝罪だった。

「急いでたから、謝らないでほっといちゃって……」
「え? あ、ああ、いや……あはは……いいよ、別に」
「もー、メグってばいっつもぶつかってばっかじゃーん」

 彼女の斜め後ろの席の女子生徒の茶化しを皮切りに、クラス中がどっと笑いに包まれた。それに合わせて、僕の緊張の糸も少しずつ緩む。ああ、許された……よかったよかった。

「……んんっ、はーい、静かにして下さいね〜」

 と、阿礼先生が咳払いをして、またクラスが静かになった。「質問タイム無しですか〜?」という声に「休み時間にお願いしますね」と一言制して、先生は僕に視線をくべる。

「じゃあ、丁度そのメグミさんの後ろの席が空いているので、下月くんはそこに座って下さいね」
「は、はい」

 僕は左右から物珍しそうな女子生徒たちの視線を感じながら、一つだけ空いた席に着く。ふう、と一息吐いたところで、前の席の彼女がこちらに向き直った。

「私、キヅタメグミ。漢字で書くと、こうだよ」

 彼女はポケットからネームプレートを出して、僕に見せた。木蔦愛美と書かれた文字を一瞥して、僕も名前を名乗る。

「僕は下月香希。これからよろしく」
「うん、よろしくね、コウちゃん」
「こ、コウちゃん?」
「うん。コウキだから、コウちゃん」

 早速あだ名を付けられた。
 目の前の彼女――木蔦さんは、結構フランクな人らしい。さっきはボディタッチによってかなり怯えていた様だったが、気にしていないらしく、ほっと胸を撫で下ろす。だが、一応重ねて謝っておくべきだろう。

「……その、さっきはゴメン」
「ううん、いいよ。私も急いでたから」

 良かった、本当に気にしてないみたいだ。登校初日から囲われたりなんかしたら、これからの学校生活の先が思い遣られてしまうし。

「……おっぱい触られたのは、ビックリしたけど」


 …………。


 ザ・ワールド。
 それまで微かにざわついていた教室が、一瞬にして凍てついた。
 正にエターナルフォースブリザード。相手は死ぬ。

「……あ、いや、その……あはは……」

 取り繕って、引きつった笑いが出る。
 これから僕はどうなるのだろう。私刑に処され、八つ裂きにでもされるのだろうか。ああ、神様。願わくば、来世は貝になりたい。

「……どうだった?」
「…………は?」

 続けて木蔦さんから発せられたのは、予想の斜め上を行く言葉だった。

「私の胸を触った感触、どうだったのかな〜って思って。感想聞かせて?」
「……え、えっと……え、ええ……?」

 何、その要求。初めてなんですが。
 意図が分からない。答えに窮するとは正にこのことなのだろう。どう答えて良いものやら、皆目見当が付かない。
 だが、僕が狼狽している間に、更に事態は進行していく。

「マジ? メグのおっぱい触ったの?」
「うぇっ!?」

 さっき木蔦さんに茶々を入れたさっきの女子生徒が割って入る。僕を覗き込むその顔の真下には、着崩したブラウスと、その中にある柔らかそうな谷間。思わずとも視界に入るその存在感に圧倒されていると、彼女は更に詰め寄ってくる。

「へぇ、大人しそうな顔して、結構ガッツリ行く系? なんなら、ウチのも触る?」
「あ、ちょ、ちょっと」
「あー、ずるーい! あたしのも触ってよ〜!」
「狡い……私も……」
「こっちも見てちょうだーい!」
「あ、ああぁぁ……!」

 あっという間に、女子生徒に囲まれる。そして360°が、すし詰め状態の胸、胸、胸。
 木蔦さんもかなり大きい方だと思ったけど……もしかして、このクラス……全員女子だけじゃ無くて、全員がこう、巨乳なのか……?!

「ちょっと、コウちゃん! まだ感想聞いてないよ〜?」

 むぎゅっ!

「わあぁ?!」

 僕の右手首が捕まれて、何か大きく柔らかいものに触れさせられる。これはきっと、木蔦さんの仕業だろう。しかし、抵抗しようにも、視界が全部おっぱいに囲まれている状態で、思うように力が入らない。

「じゃああたしはこっちの手〜♪」

 もにゅっ!

「ちょ、ちょっと、待っ」
「腕に押しつけちゃうね〜」

 ふにゅんっ!

「あ、わわ、わ」
「じゃあ、ウチがトドメに〜……うりゃっ!」

 むっにゅうぅぅ!

「んんん〜!!?」

 右手、左手、右腕、左腕、両肩、肩甲骨、そして顔。
 体中のあちこちを這い回る柔らかい感触。強い弾力を持つものから、沈み込んでしまうそうな柔らかさを持つもの、千差万別のおっぱいが、僕の前身に押し当てられ、ぐにゅぐにゅと形を変えているのが分かる。ああ、これが天国……? いや、ある意味では地獄、かも……!!

「も、もう! 席に着いて下さい! 授業はじめますよ〜!!」

 先生が涙声になって叫んでいる声が、遙か遠くから聞こえたような気がした。