胸いっぱいの高校生活

ヘリオトロープ 作
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 ――クラスメイトたちからの『熱烈な歓迎』を受けた後、僕はすぐに阿礼先生に詰め寄った。こんな話聞いていません!! と力を込めて文句を言ったつもりだったのだが、元来怒るのが苦手な性分のせいであまり真剣さは伝わらなかったらしく、「これがB高校なんですよ〜」と、やっぱりふわふわした口調で言い放たれたのだった。

 B高校は、形式としては共学である。それは間違いない。
 だが、何の因果か、この高校に入学する子供たちは皆女性ばかりであり、更に容姿も端麗で、2-Bの様な恵まれた体を持った子供が集まってくるのだという。両親は学校の下調べを碌にしないまま、共学というキーワードだけで無作為に編入先を選出したらしく、たまたま引き当てたのがB高校だった、という訳らしい。システム的に男子が入学することを禁じていないため、学校側も快く了承したのだそうだ。……そんな馬鹿な。

 これは、ある意味で死活問題だ。
 全校生徒の中で、たった一人の男子生徒。イメージだけで言うなら、彼女たちから迫害され、退学に追いやられる未来が想起されるものだろう。しかし、現実はその真逆。僕を心から迎え入れてくれる――のはありがたいが、初対面の男にいきなり「胸を触って感想を述べよ」と宣うクラスメイトが周囲に三十人近くいてご覧なさいよ。正直きついよ、これ。

 勿論、即刻両親に相談した。電話で。
 僕が置かれている状況を事細かに説明し、即刻元の学校に戻れるように手配して欲しい――そうお願いしたのだが。
 返ってきた返答は。


『人生に深みを持たせるべく、現状を維持するべし』


 ……何じゃその教育方針!?

 ということで、僕はこの天国にも地獄にも受け止められる超特異な学校――B高校で、編入生活を送ることを余儀なくされたのだった。


  *


 頭を抱えながら、帰路に着く。
 結局あれから、隙あらば胸を押しつけてくるクラスメイトたちに弄ばれながら、午後の授業も無事に(?)消化し、そそくさと教室を後にした。とりあえず今日はもう帰って状況を整理する時間に充てたい。うん、それが先決。
 さて、僕は一人暮らしをするに当たり、学校から程近い場所にあるアパートを借りることになっていた。家賃はそんなに高くないし、1DKでそこそこの広さ。両親が支払いの一部を負担するとのことで、一般的な一人暮らしよりは楽な生活が出来そうだ。学校に心を落ち着かせる場所が見出せない現状では、この部屋が一番の心の拠り所になってくれそうだ。

「ここだな……」

 二階の奥から二番目。角部屋の隣の部屋が僕の新居だ。
 ポケットから鍵を取り出し、ドアノブに差し込む。どんな内装なのだろう、と期待しながら、鍵を回す。
 が、手応えが無い。
 あれ、と思ってもう一度回すが、何の抵抗もなくするっと一回転してしまう。念のためドアノブを捻ってみたが、ドアが開いている形跡は無い。押しても引いても、扉は固く閉ざされていた。
 まさか、鍵の故障?

「うわ、酷いな……」

 全く、初日からついていないなぁ……。今年の初詣に引いたおみくじが末吉だったことが軽く頭をよぎる。どうしたものか、と思案し、こういうのは管理人さんに報告するのが手っ取り早いと判断し、僕は踵を返した。

「……あ」
「……え」

 眉毛に掛かる長さの前髪。少し伸びた丸みを帯びた襟足。
 階段の最下段、今正に上ろうとしていた一人の人物と目が合い、互いに声を上げる。

「き、木蔦、さん?!」
「コウちゃん! 何でここにいるの?」

 まるで飼い主が帰ってきた子犬の様に眼を輝かせ、小走りでパタパタと階段を上ってくる木蔦さん。彼女が一歩一歩踏み上げる度、ブラウスのボタンをきつそうにしている胸部が上下にぼよんぼよんと大きく揺さぶられている。僕は慌てて視線を反らして、横目で木蔦さんと相対した。

「何で、って……ここ、今日から僕の部屋で」
「ホントに?! すっごい偶然だね、私の部屋、こっちなの」

 そう言って、木蔦さんは角部屋の扉を指さした。
 何ということだ。まさか、木蔦さんの隣の部屋が僕の部屋だなんて……! こんな偶然ってあるのか? まさか仕込まれてないよね? 物陰から黄色いヘルメットの人が「テッテレー」とか言いながらプラカード持って出てこないよね?

「部屋も隣で、席も隣なんて……私たち、すっごく仲良くなれそう!」
「あ、ああ……そうだね」

 余程嬉しいのか、その場で飛び跳ねて喜びを表現する木蔦さん。
 ……やめてください。その、おっきなのが、嫌でも目についてしまいます。ぽよんぽよん跳ねてますよ。

「……で、何で入らないの?」
「あ、ああ、実は――」

 木蔦さんに事の経緯を話すと、彼女は真っ先に「大家さん呼んでくる!」と言って、僕の代わりに一階に下っていってくれた。結構、行動力のある人なんだな、木蔦さん。


  *


 更なる不幸が僕を襲った。
 部屋の鍵が壊れていたのだ。施工不良だったらしく、ノブを全部取り替えないといけないらしい。業者をすぐに手配してくれるとの事なのだが、作業時間を見積もっても日が落ちてしまうかも知れない、との事だった。スマホで調べると、近場にファミレスやコンビニなどはあるため、時間は大いに潰せそうだ。
 どうしようかと思案を巡らせていたら、木蔦さんがおもむろに口を開いた。

「私の部屋でゆっくりしてていいよ?」
「えっ?!」

 思いがけない申し出だった。
 普通に考えたら、とてもありがたい。そこそこ暑いし、涼を感じられる場所に身を置けるのは願ったり叶ったりだ。
 ……しかし、今回は状況が悪い。何せ、相手は女子生徒。そうそう簡単に男を連れ込んで良い筈が無い。まして、木蔦さんはさっき僕に『熱烈な歓迎』をしてくれた人だ。これは相当に手の込んだハニートラップなのかも知れない。
 だが、当の木蔦さんはそんな邪推を全く見透かしていない様子で、屈託の無い笑顔をこちらに向けてくる。

「これからもっと仲良くなる訳だし、親睦会開こうよ、親睦会!」
「は、はぁ……」

 人懐っこい木蔦さんに、僕の疑心も少しずつ打ち砕かれていくのが分かる。
 そして、トドメの一撃。

「……ダメ?」

 上目遣いで嘆願。
 ……だめだ、断れない。断ったら、後で尚更危険な気がする。

「……じゃあ、お邪魔しようか……な」
「やったぁ! じゃあ、早速案内するね!」

 ぱあっと一気に明るくなる木蔦さん。まるでヒマワリみたいな満開の笑顔に、これで『さっきみたいなの』がなければいいのにな……と思う。
 木蔦さんが扉の鍵を開けて、僕に入室を促した。

「さ、入って入って!」
「お、お邪魔します……」

 玄関先に足を踏み入れて感じ取る独特の香りに、嫌でも緊張してしまう。僕は一人っ子で年の近い異性と積極的に関係を持ったことが無いため、何もかもが新鮮に感じ取れる。

「間取りは全部屋共通だから、コウちゃんの部屋も同じだと思うよ」
「そっか……」

 小綺麗に整頓された部屋の片隅に、いかにも彼女が好きそうな動物のぬいぐるみが数匹鎮座している。小物は全体的に暖色系で統一され、散らかっている様子は見られない。

「……木蔦さんも一人暮らしなの?」
「うん。高校に入ってからだから、もう一年くらい経つかな」
「へぇ……」

 参考になるところは真似しよう、などと考えながら、そわそわと腰を下ろす。うぅ、やっぱり落ち着かない。あまりにも挙動不審だったのか、麦茶の入ったコップを二つ持った木蔦さんは僕を一目見て苦笑した。

「もー、コウちゃんおどおどしすぎだよ?」
「ご、ゴメン……女の子の部屋に入るの、初めてなんだ。姉妹もいないし」
「へぇ、そうなんだ」

 木蔦さんはそう言って、僕の前にコップを差し出した。それを受け取ると、キンと冷えたコップの感触が指先に刺さり、少し浮ついていた心をすっと落ち着かせる。喉も渇いていたので、躊躇わずに嚥下する。

「コウちゃんは、どうして私たちの高校に来たの?」
「……いや、何でだろう……な……」

 正面で頬杖を付いて僕の目をじっと見据える木蔦さん。質問に答えようとしたが、やはり彼女を直視出来なかった。……彼女の顔の下、頬杖を付いていることによって、机の上に胸が乗り、その存在感を露骨に呈している。出来るだけ視線を合わせないように、微妙に視線をずらしながら、彼女との会話に参加する。

「……その、両親が変わった人でさ。僕に色んな体験をさせたい人で、まぁ、色々と習い事とかしてきたんだけど、今回もその一環で」
「へぇ〜、珍しい親御さんだね」
「うん。凄く変わってる」
「習い事ってどんな? 習字とか、そろばんとか?」
「うん。それもあるし、あとはピアノとかも」
「え、凄い! ピアノ弾けるんだ!」
「まぁ、人並みには……?」

 当たり障り無く身の上話をする。木蔦さんは余程僕に興味があるらしく、質問を矢継ぎ早にしてくる。僕のこれまでの暮らしのこととか、趣味のこととか。僕自身も人に話して引かれるような生活は送ってないつもりだし、隠すことも無く淡々と回答する。
 ……しかし、それもすぐに瓦解する。

「……ねえ。さっきからどこ見てるの?」
「え……」

 少し不服そうな彼女の一言に目を向けると、木蔦さんはむーっとふくれっ面で、こちらを覗き込んでいた。通常、その言葉は体をじっと見つめられた女性が放つものだと思っていたが、木蔦さんの態度はそれとは真逆のものだった。

「コウちゃん、私のこと全然見てくれないもん。人とお話するときはちゃんと目を見なくちゃ」
「は、はぁ……」
「……私は、コウちゃんに興味があるし、目以外も見て大丈夫だけどね」
「ん……?」

 何て言った? と、こちらが聞く前に、木蔦さんが先に動いた。

「まだ、さっきの感想も貰ってなかったし」
「あ、あの、ちょっと……?」

 僕の目の前で、木蔦さんがブラウスのボタンに手を掛けた。こちらをじっと見据えて、クスクスと笑いながら、プチッと音を立ててボタンを外す。惰性で微かにユサッと弾んだ胸元から、ちらりと谷間が見え隠れしている。

「コウちゃんは、こういうことは習わなかったんだね。私が教えてあげようかな〜?」

 不敵な笑みを浮かべ、木蔦さんが四つん這いになってこちらに寄ってくる。朝の情景がそのまま脳内にフラッシュバックし、僕は慌てて木蔦さんから距離を取る。

「ちょちょちょっ!」
「……あっははは! コウちゃんってば、可愛いなぁ」

 まるで小悪魔みたいな……、見たことは無いけど、夜の蝶、みたいな、そんな雰囲気さえ感じられる艶っぽい笑顔で、木蔦さんは僕に笑いかけた。……くそっ、良い感じに手玉に取られている気がする。
 僕が心の中で悔しがっていると、突然インターホンがピンポーンと鳴った。

「あれ?」
「ん?」

 二人して玄関の方に目を向けると、その数秒後に扉がトントンと叩かれ、その向こうで誰かが喋っているのが聞こえた。

『メグ〜、来たよ〜?』
「……あ、はーい!」

 数秒の間があり、木蔦さんが慌てて立ち上がって玄関に走って行った。ガチャッと扉が開き、彼女の背中越しに人影が見える。

「アマネちゃんごめん、すっかり忘れてた! 勉強会するんだっけ」
「そんなことだと思ったって。メグってば、例の転校生の事しか頭に無かったっしょ?」
「そうかも。シュウコちゃんもごめんね?」
「……別に、いい」

 ん? 二人?
 顔が見えないからよく分からないが、どうやら彼女の友達が二人来ているようだ。
 ……待て、よく考えたら、それマズくないか? さっきの教室での『熱烈な歓迎』が頭をよぎる。まさか、アレの再来、なのか……?!
 僕が一人で戦慄しているのを尻目に、木蔦さんは「あがって〜」なんて言って、友達を中へと案内してくる。そしてすぐに、その人物と目が合った。

「……あれぇ?! 転校生!」
「……あ、ホントだ」
「あ、ど、どうも……」

 片方は、教室で木蔦さんを要所要所で茶化していた女の子。もう一人は、顔は一回見ているが、多分会話は無かった……と思う女の子だった。

「聞いてよアマネちゃん! コウちゃん、隣の部屋に越してきたんだって!」
「マジ? 凄いじゃん、メグってば、持ってるねぇ〜」
「強運、なんだね」

 片方の女の子は肘で木蔦さんを小突き、もう片方の女の子はクールに感想を述べた。全く毛色の違うタイプの女の子で、しかしどちらも可愛らしい。それに……まあ、分かりきった事だが、二人ともなかなか立派な、胸、だ……。

「そういえば、コウちゃんはまだ二人のことは知らなかったよね」
「あ、そーだね。自己紹介する暇無かったし。ウチはホシヤアマネ。『星』の『夜』が苗字で、『天』の『音』が名前。よろしくね」

 木蔦さんと比較して、少し短めの前髪。外にふわっと広がった明るめのブラウンヘアー。星形の髪飾りを付けた彼女は、見た目からして結構今風の雰囲気が漂う。

「……私は、ノモリシュウコ。苗字は、『野』を『守る』って書いて、名前は『萩』に子供の『子』。……よろしく」

 左右に結われた短いお下げに、少し長めのカールした前髪。眠たそうに細めに開かれた目が、こちらをじっと見据えている。
 ニカッと笑う星夜さんと、あまり表情が崩れない野守さん。星夜さんは木蔦さんと同じように僕に興味があるようで、横に腰を下ろし、僕をまじまじと見つめてくる。

「な、何?」
「……へぇ、結構可愛い顔してんじゃん。ポイント高いよ、ソレ」
「は、はぁ」

 何がだろうか。
 はだけたブラウスの隙間を視界に入れないように、彼女の言葉を受け流そうとする。木蔦さんよりも距離をぐいぐい詰めてくる人のようだ。

「でしょ? コウちゃん凄い人なんだって。色んな習い事してきて、習字とかピアノとか出来るんだってさ」
「マジで? 多才な男子って奴か〜。実は金持ちの息子さんとか?」
「そ、そんなんじゃ無いけど……」
「……二人とも」

 僕が二人の対応に困っていると、いつの間にやら教科書に目を通していた野守さんが声を上げた。

「……まずは、勉強。お楽しみは、それから」
「あ、そうだね。まずは課題、片付けちゃおっか」
「おっし、おっ始めますか。……香希も手伝ってよ。同級生なら解るっしょ?」
「あ、うん」
「心強い……三人寄れば文殊の知恵、よりも、人数が多いから」

 そんな訳で、僕は三人と一緒に勉強会をすることになった。まあ、密室空間でさっきみたいに女の子にもみくちゃにされるよりはマシだ。


 ……ん?
 野守さん、「お楽しみ」って、何……?

 そしてこれは、転入初日に起こった、最後の災禍の幕切れになるのだった……!