胸いっぱいの高校生活

ヘリオトロープ 作
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 コチ、コチ、と、時計の秒針が時を刻む音が遠くで聞こえる。
 穏やかな光が差し込む空間で、僕は極度に緊張していた。誰に促されたわけでもないが、円卓の前でちょこんと正座し、両手はグーで膝の上。出来るだけ、目の前にある光景を意識しないように、脳内で無関係な物事への思考を回転させる。

「――シュウちゃん、ここはどうするの?」
「そこは……こっちの公式の応用だから、同じように因数分解して……」
「はぁ〜、数学なんてマジ面倒なんですけど〜」
「我が儘、言わない……」

 目の前で行われている、女の子三人の数学勉強会。
 左手に星夜さん。右手に野守さん。そして正面に木蔦さんが座る。
 この内、木蔦さんと星夜さんは数学が――と言うより勉強が苦手な様子で、野守さんが二人に教えている構図になる。木蔦さんはそれを比較的真面目に聞いているが、星夜さんはそもそも課題を片付けるのが面倒なようだった。
 ……しかし、何と、まぁ……。
 嫌でも目に入ってしまう、圧倒的な存在感を放つ、三人の胸。机の高さが丁度胸を持ち上げる様な構図になっており、卓上にはブラウスに包まれた福よかな膨らみが三つもひしめき合っている。そのせいで、ノートや教科書を置くスペースが遮られている上に、彼女たちが身動ぎする度、それらがぷるぷると、むにむにと、狭い机の上で扇情的に踊る。

「ねえ、香希もウチに教えてくんない?」
「はぃ?!」

 突然星夜さんに話しかけられ、声が裏返る。「うわ、ビックリした」と目を丸くした星夜さんの指先は、因数分解の数式を示していた。

「……あ、あー、そこはね、えっと……普通に解の公式を使えばいいよ」
「……カイノ、コウシキ?」
「あ、解の公式っていうのはね、Xイコール――」

 星夜さんに二次関数の説明をする。ここは僕も苦手だった所で、繰り返し勉強して覚えた記憶がある。出来るだけ星夜さんのノートだけを見るようにして……彼女の胸元を視界に入れないようにして、解法を口伝する。

「――だから、ここの値が7になる。……解る?」
「えぇ〜……? ……数学マジでダルい……」

 どうやら上手く理解して貰えなかったらしい。まあ、この項目は僕の主観では結構難しい方だから、仕方ないだろう。お手上げ状態の星夜さんは、小さくなった消しゴムを顔の前で弄り始めた。
 ……星夜さんは、所謂ギャルという女性なのだろうか。言葉遣いも木蔦さんよりだいぶ砕けているし……教室で見た時も思ったが、ブラウスをはだけて着こなすのが彼女のスタイルらしい。ボタンの外れたVゾーンから見える健康的な肌色の谷間は、かなり攻撃的に僕の視線を攫おうとしている……。

「天音、終わらせないと、明日は居残り……」
「だー! 分かってるっつーの!」
「えへへ、アッちゃんは特に数学苦手だもんね〜」
「メグうっさい!」

 野守さんの一声で、再び机に向かう星夜さん。どうやらこの三人組では、野守さんが頭脳派らしい。途切れ途切れになりがちな言葉の端々に、落ち着いた印象が読み取れる。目は少し眠たそうだが、まあ、そういう顔なのだろう。
 そして……まあ、僕にとってはどうでもいい事なのだが、この三人の中で一番大きいのは彼女なのだろう。おそらく同じサイズのブラウスを着ているのだろうが、彼女は胸の頭頂部に位置するボタンが、地肌が少し見える程に左右に張り詰めてしまっている。その隙間からは、女性特有の透き通るような肌色と、身に付けているであろう下着の水色が露出している……。

「コウちゃんって、頭良いんだね。羨ましいなぁ」
「……ありがとう」

 今日初めて出会った木蔦さんからそんな言葉を貰い、悪い気はしなかった。あんなアクシデントも気に留めない彼女は、僕にとってはかなり異質に見える。……いや、もしかしたら、そんな僕自身こそ、彼女たちから見ると異質なのかも知れない。
 そして、やはり目を引く彼女の体。真正面にいることで、その存在感は左右の二人よりも大きなものになる。一度触れてしまったあの感覚が、脳内に再び想起される。右手を暖かく包み込んだ、ふわりとした触り心地。言うなれば、低反発のマットレスにそのまま手を沈めているような……。

 って、いかん! これじゃあ只の変態の感想じゃないか! 今は大事な勉強会だ、集中するんだ、下月香希……っ!

「……コウちゃん、大丈夫?」
「な、何がっ?!」

 再び声のトーンを盛大に外して返答する。悶々とする思考を振り払って顔を上げると、三人の女の子がこちらを不思議そうな表情で覗き込んでいた。

「なんか、すっごく辛そうな顔してるけど……」
「体調悪い? 横なった方がいいんじゃない?」
「無理は、禁物……屋内でも、熱中症になるから」
「だ、だだ大丈夫だよ! さぁ続き続き!!」

 全員が身を乗り出してこちらを見つめる。その下にぶら下がる、豊かな実りを誇示するように。
 この熱量からいち早く脱出するため、僕は三人に勉強会の続行を促すのだった。


  *


 ……その後、一時間程で、勉強会は閉幕した。
 三人とも課題を無事に済ませ(野守さんは既に完了していたが)、「終わった〜!」と背伸びをする。同じ姿勢を取り続けていたせいで、背骨がポキッと音を立てた。僕も彼女たちの誘惑から解放され、何とか理性を保ち続けた事に安堵する。

「これで居残りしないで帰れるね」
「んじゃ、明日は帰りにどっか寄る? また美味しそうなスイーツ見つけちゃったんだよね〜」
「え、ホント? どこどこ?」
「ほら、ココ。何気に良いっしょ〜?」

 教科書の片付けもそこそこに、木蔦さんと星夜さんはスマホの画面に釘付けになっている。僕にはよく分からないが、女の子はやはり甘いものが好きらしい。星夜さんがその甘味について熱く語り、木蔦さんは目を輝かせてその話に聞き入っている。
 その横で。野守さんは読書を始めていた。単行本に紺のブックカバーをして、無言で文章を読み始めている。二人の会話には興味が無いのだろうか、と思ったが、「萩子も行くっしょ?」という星夜さんに「うん」と返したので、ちゃんと話は聞いているらしかった。

 僕は玄関先に向かい、扉を開けて、僕の部屋の入り口を見た。
 そこは、クリーム色の作業着を着た男性が二人、ドアノブに向かって格闘しているところだった。……まだ工事は終わらないらしい。

「……あの、まだ掛かります?」

 僕がそう訪ねると、一人が「あ、どうも」と一礼して、すぐ困った様な表情を見せてきた。

「はい。ノブの交換に手間取ってまして……もうしばらくお待ち下さい」
「そうですか……」

 うぅ、早くその部屋に入りたいのに。もうドアノブ強引にもぎ取ってガムテープで戸締まりした方が手っ取り早いんじゃないの?
 などと考えても埒があかないので、仕方なく諦めて、きゃあきゃあと二人が盛り上がっている声が聞こえる、木蔦さんの部屋に引き返す。

「まだノブ修理掛かるって――」
「あ、そうなんだ」

 そう言いかけて、僕は目の前の光景に硬直してしまった。
 そこに立っていたのは、ブラウスを脱ぎ、ピンクのブラジャー一枚で上半身を守る木蔦さんと、その胸をブラ越しに触れる星夜さんだった。

「ぶはぁ!?」
「おお、いいリアクションじゃん♪」

 これがギャグ漫画なら、鼻血を噴出して昏倒していただろう。
 慌てて視線を外す僕に、星夜さんはカラカラと悪戯っぽく笑った。

「メグがまたおっぱい大きくなったって言い出したから、ちょっと確かめてた訳」
「えへへ、凄いでしょ〜!」
「凄いとかの問題じゃないと思うよ!!」

 えっへん、と文字通り胸を張る木蔦さんに申し訳程度にツッコミを入れる。顔がものすごく熱い。多分、火が出たくらいに真っ赤なんだろう。

「と、とにかく! 年頃の女の子が男の前でそんな格好して……!」
「えぇ〜? なーにオッチャンみたいな事言ってんの?」
「別に私は、コウちゃんに見られても恥ずかしくないし……ほら」

 慌てて部屋の隅に逃げた僕だったが、木蔦さんにその手を引き取られ、また部屋の真ん中に誘われる。屈託のない、ごく普通の女の子が見せるように振りまかれた笑顔が、この状況とのミスマッチをより強く演出していた。

「感触忘れちゃってるなら、もう一回試さないとね」
「な、何を――」
「えいっ!」

 むっにゅうぅぅ!

 手首をしっかりホールドされた僕の両手が、彼女の両胸へと引き付けられた。

「だあぁぁ!?」
「えへへ、どうかな? 私の胸、おっきくて柔らかいでしょ?」

 むにゅぅ、むにゅぅ……。
 木蔦さんが僕の手首を操り、大きく弧を描くように胸を揉ませてくる。女性の力だけならすぐ振り解けるのだが、あまりの行動の突飛さに脳がショートしているのか、腕が石膏で固められたように動かない。ブラジャー越しに掌に伝わる温かさは、正に今朝体験したあの感覚そのものだった。まるで、特大のマシュマロを掴まされているみたい……。

「……なーんか悔しいんですけど。メグ、こっち借りるね」
「あ、ちょっと!」

 池の鯉の様に口をぱくぱくさせていたら、今度は星夜さんが僕の左腕をひったくって、同じように手首を掴んだ。そして、そのまま右の胸へとスライドさせる。

 ぐにゅううぅぅ!

「あ、あばば」
「ウチのおっぱいも負けてないっしょ〜♪ 大きさはちょっと負けるけど、ウチの方が張りあるんだよ?」

 ぐにゅっ、ぐにゅっ……。
 星夜さんは僕の手を無理矢理前後させる事で、指先を胸に埋めては浮かべる動作を行う。強く当て付けられる度、彼女の言うとおり、僕の手を包み込み、同時に元気よく跳ね返そうとする反発力が感じられた。木蔦さんより小さい、と言ったが、大きさは殆ど変わらないように思える。こちらは喩えるなら、巨大なフルーツグミのようで……。

「ま、ままま待ってってば!!」

 彼女たちのペースに飲まれる寸前で、僕は渾身の力で彼女たちの胸から腕を引き剥がす。一瞬力んでしまったことで指先が強く二人の胸に沈み、「きゃっ」とか「やんっ」とか短く楽しそうな声が彼女たちから漏れた。僕はと言えば、ふぅ、ふぅ、と変な呼吸が自然発生している。

「ホントにコウちゃんは初心なんだね〜」
「その反応、超可愛いんですけど♪」
「か、からかわないでよ! それに僕、そういう事にあまり興味無いから……!」

 悪戯な顔をする二人から距離を置き、手をバタバタさせて拒否の意思表示をする。酒や煙草を勧められた時のような言い訳だが、今の僕にはこれが精一杯だ。……嘘は吐いてない。

「ホントぉ? 私たちの胸、触りたくないの?」
「ウチらの体に興味無いとか……もしかして、香希って、『ソッチ』?」
「ち、違うよ! そうじゃなくて、こう……今日初めて会ったばっかりの異性に、そんなことするのは、あの……年頃の女の子として、どうなのかなって」

 僕は至極当たり前のことを口にしているつもりなのだが、どういう訳か二人にはそのニュアンスが理解できないらしく、顔を見合わせて首を捻っている。……何故だ。何故この言葉が伝わらない。都心で見ず知らずの女性の体に触れたら、即刻お縄になるというのに。

「だから、その、本当に興味が無いから、僕にそういうことをするのは――」
「興味が無い、なら、興味が出るようにする」

 二人を何とか説き伏せようとすると、先ほどまで沈黙を保っていた最後の一人が、木蔦さんと星夜さんの背後で遂にその均衡を破った。パタンと読んでいた本を閉じると、すっとその場に立ち上がり、僕の方に向き直る。

「……の、野守さん?」
「二人掛かりでダメなら、三人で。毛利の教えにもある」
「わお、シュウちゃん大胆!」
「待ってましたぁ〜!」

 たじろぐ僕をよそに、まるで歌舞伎の大向うからの歓声のように木蔦さんと星夜さんが野守さんを囃し立てる。そんな二人の間を抜けて僕の目の前に立った野守さんは、徐に胸の頭頂部のボタンに指を掛け、プツッと音を立てて外した。
 先ほどまで微かに見えていただけの肌色と水色のコントラストが、ダイヤモンドの形に開いた小窓からその存在感をアピールする。

「あ、あぁ……」
「……大きさは、私が一番」

 野守さんの表情は、先ほどから全く変わらない。こちらを試すような悪戯っぽい顔をした二人とは違い、ほぼ無表情のまま、今度は上から一つ一つボタンを外していく。プツッ、プツッと音が響き、見える肌色の面積がどんどん増えていく。日に焼けていない清潔感のある柔肌が、ブラウスの中でみっちりと深い谷間を形作っている。

「……私の胸も、感じてほしい」

 すっと伸びてきた彼女の両腕が、僕の後頭部に回される。その行動が意味することを、僕の脳が理解し回避するまで、僅かに時間が足りなかった。

 もっにゅぅん!

「ふもぐっ!!」

 顔面に押し当てられた、野守さんの柔肉。ただ大きいだけじゃない。顔の凹凸を隙間無く埋める程に、その柔らかさは群を抜いていた。さしずめ、巨大なプリンを頭から突っ込んで食べているような、得も言われぬ新感覚。微かに存在する空気層を伝って鼻から呼吸すると、女の子特有の馨しい匂いが嗅覚を支配する。

「ほら、どう……? 女の子の体、気持ちいいでしょ……?」
「シュウちゃんの必殺技が決まったぁ!」
「早いトコ降参しとかないと、マジ窒息するよ〜?」
「んむんむぅ〜!!」

 女の子たちの声が聞こえるが、返事をしようにも口を塞がれているので不可能だ。
 野守さんが時折体を動かして胸を振動させるせいで、彼女の胸の柔らかさが波のように、たっぷん、たっぷんと押し寄せる。や、ヤバい……初めてプールに入って溺れた時の記憶が頭を掠める。

「よし! これが効果的なら、私もやってみる!」
「……じゃあ、選手交代……」
「っぷはあぁ! はぁ――っんぷぅ!」

 野守さんの腕の力が抜け、やっと呼吸が出来たのも束の間。今度は別の柔乳が僕の鼻孔を覆う。さっきの声からして、これは、木蔦さんだ……。野守さんの直後だと、その違いがよく分かる。体温が高めらしい彼女は、野守さんのよりもより温もりがあった。

「ちょい待ち! ウチを外さないでよね!」
「うっぷぅ!?」
「あ、天音、ずるい。朝もやってたのに」
「んぐぅ?!」

 今度は星夜さんが叫んだかと思えば、突如左右の後頭部に、計四つの膨らみの感覚が伝わってくる。より張り感のある星夜さんの胸が、柔らかく包み込む野守さんの胸が、後ろから僕の頭を押さえ込み、木蔦さんの胸へと向かう圧力を更に強くする。前後から襲い来る三つのおっぱいのサンドイッチに、僕は既に限界だった。

「ほらほらぁ、気に入って貰えたかな?」
「ウチ等の胸、癖になっちゃうっしょ?」
「香希、自分に素直になって……」

 三者三様の言葉が、凶悪なトリプル・ブレストスムーザーに苦しめられる僕の耳に微かに届く。
 本当に、溺死しそう……胸で……!
 これで死ぬなら、男の本望、という奴なのだろうか……!



「――すみませーん、終わりましたよー」

 その声は、突然やってきた。
 業者の男性の一言で、三人の力が一瞬だけ緩んだ。僕は本能的に体を動かしており、彼女たちからの拘束から刹那の隙を突いて抜け出し、一目散に玄関に向かっていた。

「あ! コウちゃん逃げた!」

 木蔦さんの声を振り切り、玄関先に立っていた業者のお兄さんの横をすり抜け、僕は隣の扉を疾風の如く潜り抜け、自分でも褒めたいくらいの手際の良さで部屋の鍵を閉めてドアチェーンを掛け、そのまま玄関先にもんどり打って倒れ込んだ。
 ドタンドタンと凄い音がしたのだろう、業者さんの「どうしましたか!?」という切迫した声が、ドアの向こうから聞こえていた。

 ……もう、無理……。

 精魂の全てを使い果たした僕は、そのままの体勢で意識を手放していった。
 ……気絶は脳が情報過多にパンクしないようにする防衛反応であると聞いたことがあるけど、本当にそうなんだね――。