ミルクジャンキー 〜epilogue

ジグラット 作
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「――と、これが3ヶ月前に起こった事件のあらましって訳」
 目の前の少女は、こうして長い話を一気に語り終えた。
 私は一応取材と言うことで最初のうちは逐一メモを取りながら聞いていたのだが、途中からこの話をどこまで信じていいのか分からなくなってしまった。あまりに常識はずれで、荒唐無稽すぎる、そんな気がしてしょうがなかったのだ。こんな話、大真面目で取り上げたらこちらの頭の方が疑われかねない…。

 3ヶ月前、都内のとある私立中学校で不可解と言うしかない怪事件が起こった。使われてないはずの最上階の一室からいきなり大量の――推定200トンとも300トンとも言われている――牛乳と思われる液体が一気に湧き出してきて、校舎といわず校庭といわず一面ミルクまみれになってしまったのだ。まったく前例のない、訳の分からない事件に世間はとまどった。この不可解な謎ゆえに、一時期は週刊誌やワイドショーなどでさんざん取り上げられ様々な憶測が流されたが、確かな情報が絶対的に不足しており、その後特に謎の解明が進展を見せなかったこともあって、いつしか人々から忘れ去られていった。ミルク漬けになっていた校舎は一時使用中止になっていたが、その後夏休み中に大規模な洗浄作業が行われ、二学期が始まった今では通常通り授業が行われている。実際、今この学校を訪れてもそのような事件があったという事を想像するのは難しいだろう。
 しかし――駆け出しのフリーライターである私には、なぜかこの事件にひっかかるものを感じてしょうがなかった。裏に何かとてつもない秘密が絶対隠されている。ジャーナリストのカンのようなものではあるが、うまくすればスクープをものにできるかもしれないとその後もひとり調査を続けていた。その結果いろいろ興味深い事実が分かってきたのだが、遂に今日、事件の当事者とされるひとりの女生徒に接触し、学校近くの喫茶店でインタビューすることに成功した。
 しかし、その女生徒――里見利佳子が語った事件の真相は自分の想像を絶するものだった。彼女の話をそのまま発表したら、私は頭がおかしくなったと思われてこの業界にいられなくなるかもしれない。しかしそれでもなお…このとんでもない話を単なる作り話だと断言する気にはならなかった。いや、むしろ信じたくなっていたのだ。本当にミルクジャンキーなんて薬が存在し、あの何100トンものミルクがこの目の前にいる少女の胸から噴き出したということを――。なぜならこの話は自分が調べた様々な周辺調査と恐ろしいほど合致していたし、それにこの少女の話も荒唐無稽ではあるがそれなりに首尾一貫し、矛盾は見当たらなかった。そしてなによりも――。

「それで、その事件の後、君は――」
「気がついたら、あの部屋の中でひとりぽつんと立ってたわ。あまりのことに呆然としちゃって、しばらく自分が誰だかも分かんないくらいだったけど、我に返ると、とてつもないショックなことに気がついたの!」
「いったいどうしたんだい?」
「おっぱいよ。あんなに、もうあの部屋いっぱいになるほどまでに成長していたおっぱいが、それはもう跡形もなく元通りぺっちゃんこになっちゃってたんだもん」
「まるっきり元通りに?」
「あ、うーんまるっきりってのは言いすぎかな。前よりもちょっとはふくらんでたようには思う。けどほんとにちょっとだけ」 少女は、親指と人さし指の間でほとんどくっつかんばかりのわずかなすき間を作ってみせた。「結局――ほんとうにあの胸、ぜんぶミルクが詰ってできてただけだったみたいなの。先生はミルクによっておっぱいそのものが成長するみたいな事を言ってたけど――うそじゃない、ってこの時ばかりは先生をうらんだわ」
 自分のことなのに屈託がない。基本的に非常に楽天的で健全な性格であることが見て取れた。
「そのうち、部屋に智ちゃんと明美がおそるおそる入って来たの。わたしを見つけるや否や『利佳子、大丈夫だったの!?』って感動の再会。その時になって初めて、ああ、わたし助かったんだ、生きてたんだって実感が湧いてきたの…」
 その時の事を思い出したのか、少女の目から自然に涙がこぼれてきた。ごく自然な感情の発露だった。

「それで、その保健の先生――橋本先生って言ったっけ――はその後…」
「それっきりよ。行方不明」この時ばかりは少女の口調が少し重くなった。無理もない。よき相談者としていろいろ手助けしてくれた恩人だと思っていた人が、この子を拉致監禁し人体実験するような真似をしたのだから。「ひょっとしてあのまま――とも心配になったんだけど、ミルクが退いてから学校内のどこを探しても見つからなかったの。ひょっとしたらどこかで生きているのかもって気がしてしょうがないの」
 あんな目にあってもまだどこかに信じたい気持ちがあるのか、それとも単に自分のせいで人を死に追いやったと思いたくないだけなのか、彼女の口調には当の先生への心情がまだ感じられた。
「その橋本先生なんだけども、こっちでも調べていくうちに、これまでの事がいろいろ分かってきたんだ」
 私は取材用ノートをめくると、その部分を読み出した。
「まず、橋本というのは偽名だな。本名は福原鮎子、27歳。東西京北大学を最優秀の成績で卒業、その後大学院に進み、博士課程まで行った才媛だったが、2年前に突然休学してそのまま行方をくらませている。専門は生物工学だが薬学や化学の方にも造詣が深く、最後の頃はそっちの方ばかり研究して本業がおろそかになってたらしい。大学を去る少し前につきあいのあった友人の話によると、『わたしは今、史上最強の豊胸薬を開発してるの』ともらしていたという。その友人がそんなのやめて本業に帰れと諭すと、実はもう自分で実験済みだという。確かに、その友人の話によると、彼女は元々、その…貧乳がコンプレックスになっていたそうなのだが、その時は見違えるほど豊かな胸になっていたそうだ」
 そういうと私は、この少女の胸をまたちらと見てしまった。このネタ、元々はたいして重要視してないクズネタのつもりで一応拾っておいたのだが、こうなってくると俄然重要性を帯びてくる。

「それにしても、先生、なんであんなことをしたんだろう――」
「さあね、自分の発明に酔ってマッドサイエンティストになってしまった、と言うのは簡単だけど、それだけかなぁ。なんというか、その行動を調べていくと、"業"みたいなものを感じるんだよね」
「"業"――ですか?」
 少女はよくわからないと言う顔をした。無理もない、というかまだ分かってほしくはなかった。
「あの薬も、元はといえば自分のために作ったみたいなもんだろ。それが自分では思ったような効果が出ず、里見さん、君に投与して初めて本来の効果を発揮した。だから実験だなんだとか言いつつ、彼女は君に自分の姿を投影してたんじゃないかと思うんだ。君の胸がどんどん大きくなるのが、わが事のように嬉しかったんだよ、きっと。だから最後は、ひとり自分の身を投げ打ってまで君を守ろうとした――」
 少女は何事かを考えているように黙りこくってしまった。しばらくして、ふと思い出したように別の事を口にした。
「けど、あの頃の事を思い出してみると――とても先生ひとりではできるようなことじゃなかった気がするんです。なんというか、この町ぐるみで盛り上がったような――」
「そのことなんだけどね、調べてくと、彼女にはスポンサーがついてたんだ」
 そう言って、私はある有名企業の名前を挙げた。その会社は乳製品では国内でダントツのシェアを誇る超優良企業だったが、先年自社の牛乳で食中毒が起こったのをきっかけに、その品質管理の目を覆わんばかりの杜撰さが白日の下にさらされ、一気に社会的信用を失ってしまった。現在も青色吐息の状態が続いている。
「実は君の学校の給食でもそこの牛乳が使われてるんだ。さらにほら、そこの駅前のスーパーでも、事件前10日間ほど、いきなり通常の数10倍から最大100倍もの牛乳が入荷され、しかもすべて売り切れてしまったことが分かっている。その時大量に仕入れられていた牛乳のメーカーも――ここだったんだよなぁ」
「それじゃあ――」
 そのミルク、きみが全部飲んじゃったんだろう、と言おうとして口をつぐんだ。やっぱりそのことにはあんまり触れられたくはないだろう。
「その橋本――もとい福原鮎子は、このメーカーになんらかの形で働きかけたんだろうな。牛乳の売り上げを飛躍的に伸ばす方法があるとかなんとか言ってさ。そしてそれは一時的には成功した。
 その資金を元に、彼女はさらに研究を進め、君を閉じ込めたあの部屋を密かに整備し、時には牛乳そのものの供給を受けたりしながら、その――"実験"を進めていたんだ」
「そう――」先生の裏の面を知るにつれ、彼女は複雑そうな顔をして黙りこくった。

 暗くなってきた雰囲気を吹き飛ばそうと、私は話題を変えた。
「ところで、他の友達は元気なのかい? その、智ちゃんとか、明美ちゃんとかは」
「ええ、みんな元気よ。明美は本当に元通り胸がぺっちゃんこに戻っちゃってくやしがってるわ。智ちゃんはね、そりゃあの時よりはずっと小さいけど、元々巨乳だったのが、あの件で一層成長が刺激されちゃったみたいなの。前以上に大きくなってるわ。確かこの前とうとう1メートルの大台を達成しちゃったんですって。ブラは今…Kカップって言ってたかな。いやーなかなか立派なものよ」
 少女は余裕さえ感じさせるような笑みを浮かべていた。
「そりゃすごいね。それで君は――」
 私はさっきから訊きたくってうずうずしていた質問をやっと発することができた。事件の後、元のぺっちゃんこに戻ってしまったとさっき彼女は言っていた。しかし今、自分の目の前にいる少女の胸は、私が今までみたこともないほど巨大に盛り上がり、どっさりとテーブルの上に乗り上げていたのだから――。
「わたし? わたしは――見ての通りよ」そう言って自身ありげにゆさっと自分のおっぱいを揺らした。「あの時、ミルクといっしょにおっぱいの中のミルクジャンキーもほとんど流れ出しちゃったらしいの。だからあれ以来憑き物がとれたみたいに、あんな風にのどが渇くことも、牛乳をばか飲みすることもなくなったわ。でもね――」少女は身体を乗り出すようにすると、秘密を打ち明けるように小声で語りかけた。「どうやら、わたしの身体に完全に染みこんじゃった分が、わずかながら残ってるみたいなの」
 私は目をむいて驚いた。本当だとするならば、この事件唯一の、そして最大の遺留品が、彼女の体内に残されていることになる。
「あの時、自分のおっぱいがきれいさっぱりなくなっちゃってるのに気づいた時の喪失感ったらなかったわ。ああ、やっぱりわたしは胸が大きくなりたいんだって、あの時改めて痛いほど思い知らされたの。
 だからしばらくは本当に落ち込んでたわ。夏休み中に、高畑くんが突然転校しちゃったって聞いてさらに落ち込んだし――」
 あの事件の最後のきっかけを作った高畑純一についても一応触れておくべきだろう。生徒には知らされていないが、彼はあの事件の時、なにかとてつもない恐ろしい体験をしたとかで極度のショック症状からPTSDにかかり、直後に入院したまま現在も治療中である。しかし、この事はやはり彼女には言わないでおいた方がいいだろう。
「けどね、そのうちやっぱり牛乳を飲んでくと少しづつ、少しづつだけどまた大きくなってきていることに気づいたの。嬉しかった。ほんとうにちょっとづつなんだけどね…」
「それで少しづつですか?」私はいささかあきれた。だって、あれからまだ3ヶ月しか経ってないのだ。まっ平らな状態からこんなにも大きくなったのだとしたら、まさしく急成長と言っていい。
「そうよ。だって――たった1メートル大きくなるのに3ヶ月もかかったんだからね!!」
 少女は大真面目に言う。私は思わず吹き出しそうになった。基準が違いすぎる。とてつもない膨乳を体験した彼女にとっては、これほどの急成長でも、亀の歩みのようにまどろっこしくてしょうがないのだろう。
「明美のやつ、またこの胸からミルクが出るんじゃないかってねらってるわ。でもおあいにくさま。今度はそんな気配はまったくないの。
 ま、これは想像なんだけど、3ヶ月前のあの事件の時に、余剰分のミルクジャンキーは全部出ちゃって、自分の身体に本当に必要な分だけが残った、ってそんな感じがするの。やっぱりね、今思えばあの時はやりすぎてたと思うし。智子にも言われちゃったじゃない、ミルクを飲んでんじゃない、ミルクに飲まれてるんだって…。本当にその通りだったって今は思う。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。さっきは成長が遅いって文句みたいな事言っちゃったけど、本当は今のこの状態、すっごくいいと思ってるのよ。今は本当に自分の意思でミルクを飲みたいから飲んで、結果としておっぱいが大きくなっている感じなの。今度こそ、ミルクでむりやり膨らましたんじゃない、本当の意味でおっぱいが成長しているって気がするんだ。だからね、今の正直な気持ち――また先生に出会えたら、やっぱり、ありがとう、って言いたい。実験はもうかんべんだけど、やっぱりこの胸のことは感謝したいの」
「それでまた、どこまで大きくする気なんです?」
「そりゃできる限り大きくよ」胸を大きく張って答えた。張りつめた制服のボタンが今にもはじけ飛びそうにひきつり、その間からちらりと白い肌が垣間見えた。「でもね、今度はもう部屋いっぱいのおっぱいってのはいいかな」少女の目に、ふっと暗い影が宿った。やはりその高畑という少年に化け物を見るような目で見られたのが、今もまだ心に棘のように刺さっているのかもしれない。「いくら大きくっても、部屋から一歩も出られないってのは問題よね、やっぱり…」
 しかしすぐ明るさを取り戻し、少女はまたいたずらっぽく笑った。
「それにね、事件の後、あの部屋の中でね、――いーいもの見つけちゃったんだ」少女の意味ありげな言葉に、私も好奇心を持って身を乗り出す。いつの間にかこの少女の言う事を100%信じている自分に気がついていた。
「あのね、藤原さんが作ってくれた、あの時のブラジャーなの。わたしからはずした後、先生、部屋の奥にあった高い棚の上に置いたままほっといたらしいの。だからあの事件の後、ミルクもかぶらずにそのまま残っていたのを見つけた時は、もう飛び上がっちゃうぐらいうれしかった。もうこのブラをつけられるおっぱいはなくなっちゃったけど、あまりにもったいなくって持って帰っちゃった。だから、実は今も家に置いてあるの」
 少女の目がきらきらと輝いた。
「時々出してみるんだけど、ほんと、自分がこれつけてたとは信じられないぐらいの大きさよ。しまうんだって、それひとつでクローゼットがいっぱいになっちゃうんだもん。けどね、見るたんびにこれをつけて学校に行った日の事が思い出されちゃってね――うん、あのなんともいえない高揚感みたいなのは忘れられない――なんというか、闘志がわいてくるの。また絶対、このブラがつけられるぐらいの胸になってやる!って。だからこれが今のわたしの目標。この目標が達成されたら――うーん、また考えるわ」
 少女の顔は本当に希望に燃えて輝いていた。今の彼女の胸でもわが目を疑うばかりの私にはそのブラジャーの大きさがとても想像できないのだが、この目標が達成されるまでに、そう長い時間はかからないだろう、という予感がした。なぜなら――。

「ああ、しゃべったらまたのど渇いちゃった。おじさん、もう1杯、いい?」
 この時ばかりはおずおずと上目遣いに尋ねる。やれやれ、取材でいくらこっちのおごりだからって思った以上の出費だ。かといって断るわけにもいかない。ゆっくり首を縦に振った。
「ありがと。それじゃ、すいませーん!!」振り返って元気よく店員を呼ぶ。
「特大ミルク、大盛りでもう1杯ね」と空の特大ジョッキを指差しながら注文する。なんでかはしらないが、この店の名物として、優に1リットルは入りそうな特大ジョッキになみなみと注がれたアイスミルクなるものがメニューにあるのだ。つられて自分もたのんでみたが、冷たくてほのかに甘いのどごしは確かにいいものの、いかんせん量が多すぎて、まだジョッキに半分近く残っていた。彼女はさっきからそればかりを、さらにジョッキからあふれんばかりの大盛りにして、何杯も何杯もおかわりしていたのだ。今や2人の間に置かれたテーブルの上は、現在183センチあるという彼女の特大バストと、10数個の特大ジョッキに占拠されてしまい、取材ノートを置くスペースすらまったくなくなってしまっていた。
 やがて店員がそーっとお盆に乗せたジョッキを運んでくる。その中には、表面張力でほとんどあふれそうになっているミルクがこれでもかとばかりに注きこまれていた。
 少女は慎重にそのジョッキを受け取ると、テーブルに置くことなく、満面の笑みを浮かべながらそのまま口をつけて、こく、こく、こく、とさも美味しそうにひと息で飲み干してみせた。

 胸のボタンがひとつ、ピーンと弧を描いて私の手元まで飛んできた。

 ―― ミルクジャンキー 完 ――