ミルクランナー 後編

ジグラット 作
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 そして大会当日――香はスタートラインのそばに集合している世界の錚々たるアスリート達に囲まれて、自分の立場を忘れて浮かれていた。
(うわーすごい、普段TVでしか見れないトップランナーの本物がこんな間近で見れるなんて――あ、あれは久ちゃんだ。久ちゃ〜ん)
 思わず手を振ってしまう。しかし彼女は香に不思議そうな一瞥をくれただけでにこりともせずに視線を逸らしてしまった。その見たこともないきびしい表情に、香はハッと現実に引き戻された。
(そっか、わたし、これからこんな人たちと一緒に走るんだ――)
 途端に気持ちが引き締まる。改めて高張選手の方を見る。近くで見ると、その体は香よりも小さいぐらいだ。しかしまるで全身がバネのようにしなっているのはちょっとその動きを見ただけでも痛いほど分かった。
(やっぱり強敵だわ、久ちゃん)
 香は中身を確かめるように、胸を両手に抱え持ってゆさぶった。今日の午前中に軽く走った後、さっきトイレで徹底的に搾ってきたばかりだ。
(よし!)
 手をはずすと、胸が勢いよくたぷんと揺れた。
「なにあの胸、あんなんで走るつもり?」
 ふと横から声が聞こえた。思わずそちらの方向を振り返る。
 見ると、2人の日本人ランナーがこちらをちらちら見ながらこれ見よがしにしゃべっていた。見たことない顔だ。
「ほんと、まるでスイカ2つ抱え込んだみたい。本物〜?」
「まさかニセ乳つけて走る人いないでしょ。でもさー、すごいハンデね」
「まったく、同じ日本人として、恥だけはさらしてほしくないものだわ」
 なによ〜、と香はふくれた。確かに香の胸は、この1ヶ月間の集中トレーニングのおかげでさらに大きくふくれてしまっていた。しかし彼女の人並みはずれた筋力のおかげで、それすら気にならないような走りを見せることができた。
 でもくやしくて顔をそむけると、そこにコーチの姿が目に入ってきた。
(そうよね、コーチ。わたしには必勝の作戦があるんだもんね。これさえあれば、久ちゃんだって敵じゃないんでしょ)
 きのうの下見の時を思い出して、にっこりと笑った。

 ――――――――――――

 コーチの車に同乗して今日のコースをひた走っている時、不意にコーチはブレーキを踏んだ。
「どうしたんですか? まだ途中なのに…」
 香は不思議そうにコーチの顔をのぞき込んだ。
「水沢…。ここがスタート地点からおおよそ25キロの地点だ。ここまで走ってきて、お前の胸はいったいどうなってると思う?」
「はい――おそらくもう、相当いっぱいにふくらんでいると思います」
「そう、そこだ。このまま走り続けていけば、お前は後数キロで間違いなくリタイアする。しかしどうだ。ここで一旦胸がからっぽになったとしたら――」
「そんなことができるんですか!?」
「いいから答えなさい。どうなる?」
「そうなったら――残り後17キロあまり――余裕で全力で戦えます!」
「高張にも勝てるか?」
「はいっ!!」
「よし! では作戦を与える」
 それだけ言うとコーチは再びアクセルを踏み、車を走らせた。しかしすぐにハンドルを左に切り、舗装もされてない小道に入った。
「コーチ、ここコースじゃありませんが――」
「いいんだ。水沢、このポイントをよく憶えておけ。お前はここでコースアウトするんだ」
「き、棄権ですか?」香の声のトーンがいきなり1オクターブ上がった。
「そうじゃない。いいか、マラソンのルールでは、コースを離れたといってすぐ棄権ということにはならない。その分タイムはロスするが、コースに戻ればレースに復帰できる。お前はここで、そのロスをはね返すほどに有効なことをするんだ」
 小道に入って100メートルほどの所で車を止めると、そこにこんじんまりとした小屋があった。
「ここは――」
 見るまでもない、公衆トイレだった。
「ここを明日一日、お前のために占有するよう話はつけてある。ここで明日、その、なんだ――ここでたまったミルクを一気に吐き出しなさい。そして、身軽になったところで今一度レースに復帰するんだ」
 香はおそるおそる中をのぞき込んだ。外から見る限り、かなり古くて、どう見ても女の子が気軽に入れる雰囲気ではない。(こういうトイレって、中はたいがい――) 中を見る時、思わず目をつぶってしまった。
 しかし、そーっと目を開くと、意外にもそんなに汚くない。もちろん古ぼけてはいるけども、かなり小ぎれいにされている。しかも――どうやらつい最近、徹底的に掃除され隅々まで磨きあげられているらしかった。
(ひょっとして――コーチが…)
 大きな体を折り曲げて、便器を磨き上げているコーチの姿が頭にうかんで香の顔はほころんだ。その顔のままコーチを仰ぎ見ると、コーチはちょっと照れた感じでつけ加えた。
「ま、お前をこんな小汚いところに連れてきて、申し訳ないとは思っているよ。ただ、他に適当な場所がなかったもんで――許せ」
「ありがとうございます!」香の元気いっぱいの声に、コーチは思わずビクリとした。「明日、よろこんでここを使わせていただきます!」

 ――――――――――――

 パーン。
 スタートの銃声が鳴る。全走者一斉に飛び出していった。参加者は多い。一般参加で、しかも最年少の香は、集団のかなり後方からのスタートとなった。
(――いいか、お前は25キロ地点でロスすることは最初から織り込み済みなんだ。だから初マラソンだからって臆するな。全長25キロのつもりで走りぬけ。それまでで2位に数分の差をつけるぐらいのぶっちぎりのレース展開でいけ)
 香は走りながらコーチの言葉を噛みしめていた。気軽に言ってくれるじゃない。しかし――やらなきゃ勝ち目はない…か。
 香は最初からマラソンとは思えないハイペースでぐんぐんと飛ばし続けた。走るたびに胸がだっぷんだっぷんとダイナミックに揺れる。しかしその動きをものともせず、力感あふれるストライドでぐいぐいとまわりの選手を追い抜き続けた。間もなく、先頭グループをひた走っていた高張選手が見えてくる。それすら香は横目で見ながら難なく追い抜いていった。
(久ちゃん、今はお先に失礼します。おそらく25キロ地点で追い抜かれちゃうけども――それからが本当の勝負よ)
 5キロを通過した時点で、香のまわりにはもう誰もいなかった。あこがれの久ちゃんですら見えないほどの後方にいる。それはどう考えてもマラソンのペースではなかった。未経験ゆえの張り切りすぎの暴走――誰の目にもそう映っていた。
 しかし10キロ地点でも15キロ地点でもそのペースは一向に衰えなかった。最初はいつまで持つかね、と高をくくっていた観衆もひょっとしたら――という思いに変わっていった。何より、走るたびに盛大に揺れまくるバストに、観衆もTVの前の人たちも釘付けになっていた。

 しかし――20キロ地点を過ぎたあたりから、観衆も香の変化に気がつき始めた。
(なんか――さっきよりずっと胸が大きくなってないか?)
 そう、遠目からでもはっきり分かるほど香の胸は巨大化していった。それとともに徐々にペースも落ち始める。慣れないレースの緊張感と、常識無視のハイペースが、香の体力を普段以上に奪っていたのだ。
(おかしい…。まだ20キロちょっとなのに――おっぱいが、もう、パンパンになってる。これじゃあ――25キロ…もたない――)
 しかしそれでも香はペースをそれ以上落とそうとはしなかった。端でじっとレースを見つめ続けていたコーチも、香の胸がいつも以上に大きくなっているのに気づかざるを得なかった。
(やばい――あれはもうリタイア寸前の胸だ。もうこんなになってしまうとは――俺の作戦ミスだ)
 かといってここで終わってしまっては今までの努力が水の泡だ。コーチは心を鬼にして、なおも走り続ける香に叫びかけた。
「水沢、がんばれ、あと3キロだ!!」
(あと――まだ3キロもあるの?) その言葉は今の香には逆効果だった。おっぱいはもう限界まで中身を詰め込んだ水風船のようにいっぱいになり、足を踏み出すたびにその振動が張り裂けんばかりに胸に響きわたる。乳首が我慢できずにひくひくと蠢いているようだった。
(ああ――もうだめ。久ちゃん、ごめんなさい――)
「水沢、気をつけろ、高張が後ろから迫っているぞ」
(え、久ちゃんが!? まさか――)
 香の背中がびくんとなった。(まさか…あんなに離してたのに…) しかし久ちゃんならそんな底力を見せてくれるかもしれない、と懸命に足を踏ん張った。こんなところでリタイアする訳にはいかない。香は張り裂けそうな胸の痛みを必死でこらえながら、後ろも見ずにさらに足を踏み出し続けた。
「よし、水沢。計画通りこっちに入るんだ!」
 その時、聞こえてきたコーチの声に耳を疑った。そんな――久ちゃんがすぐそこまで来てるのに――逃げたくない! 香は初めて後ろを振り向いた。

 誰も、いなかった。

「水沢、こっちだ!」
 コーチの必死の顔が見えた。香はようやくコーチの意図を理解した。あのままではどう見てもここまで来る前にリタイアしていたろう。香を奮い立たせるための、コーチが初めてついた――嘘、だったのだ。
 しかしたとえ本当に久ちゃんが迫ってきていたとしても、もうどうにも香の胸は限界に達していた。横道に入っての100メートル、香はマラソンを始めて以来、これほど走るのがきついと思った事はなかった。一歩踏み出すたびに、ずんと楔のようにおっぱいに衝撃が伝わる。(ああ、もれちゃう…) しかしなんとか耐え続け、計画通り女子トイレに駆け込んだ。

(――お前は胸がいっぱいになった時、どれぐらいで全部搾り終わる?
――えっと…10分もあれば…。
――それじゃ間に合わん! 最大5分で終わらせろ!)
 あまりの胸の痛みに朦朧としてきた頭で、きのうのコーチとの会話を思い出していた。
(5分なんて、むりだよー)
 実際、香の胸は自分でもそれまで経験したことのないほど巨大にふくれあがっていた。いったい、どれほど大量のミルクが中に詰ってるのか、見当がつかない。
 しかしもう一刻の猶予もなかった。もう体を1センチ動かすのすらきつい。あふれ出したミルクがもうじわりとゼッケンを濡らし始めていた。
 タンクトップの裾をつかんで一気に引き上げる。どこかがビリッと裂けたような音がしたけど構ってなどいられなかった。しかし、その下のスポーツブラは――文字通り張り裂ける寸前までピーンと張りつめて、とても脱げそうになかった。しかし我慢の限界を突破した胸からはミルクがドドド…とあふれ出し始める。
(ああん、だめぇ、どうしよう――)
 その時、背中にいきなりひんやりとした感触があり、ジャキンという音が鳴り響いた。その途端、限界いっぱいに張りつめていたブラが文字通り吹っ飛び、おっぱいが中からあふれ出てきた。
(え、何?)
 一瞬自体が把握できなかったが、気にしている暇はない。胸から待ってましたとばかりに噴き出し続ける大量のミルクを搾るのに精一杯だった。
(あ、あ、気持ちいいよぉ…)
 溜まりに溜まったミルクが一気に噴き出し続けるうちに、胸の張りがどんどん退いていくのが手に取るように分かった。
 しかし、自分でも未体験なほどに大きくふくれ上がったおっぱいは、いくらミルクを出しても一向に終わる気配がなかった。時間だけが無常に過ぎていく。とても5分では終わりそうにない――。
「コーチ、いるんでしょ、そこに!!」
 香は両手でぎゅっぎゅとおっぱいを搾りながら大きな声を出した。もう分かっていた。さっき香がブラを脱げないで往生している時、咄嗟にコーチがハサミを出してブラを切り裂いてくれたことを。
「コーチ、このままじゃ、とても間に合いません。お願いです。その――一緒に、おっぱい搾ってください!!」
 しかし返事はなかった。トイレ入り口のすぐそばにいる気配は確かにしてるのに――。
「コーチ!!」
「いや、わ、わたしは――」
 恥ずかしそうにのっそりと顔を出す。大きな体が小さく見えた。
「コーチ。わたし、このまま終わりたくないんです! すぐにでもコースに戻って、久ちゃんに、高張選手に勝ちたいんです!!」
 香の必死の言葉に、コーチは覚悟を決めたように顔を上げた。
「よしっ。――水沢、ごめん!」
 コーチはなるべく香の胸を見ないように目をそむけながら、そのごつい手で張り裂けんばかりにふくらんだ乳房を強引につかみかかった。
(なんて大きくて力強い手…)
 香は、自分の乳房すら片手で包み込んでしまいそうなコーチの手の大きさに驚いていた。そのお世辞にもやわらかいとは言えない手で、精一杯丁寧に香の胸をもみしだき始めた。香の何倍もの握力がありながら、無骨でもできる限りやさしく香の胸を扱おうとしているのが掌から伝わってくるようで嬉しかった。
「あん、コーチ、違う…。そこをもうちょっと強く…」
「こうか」コーチが力を込めると、今までの何倍もの勢いで、胸の先からぴゅーとミルクが噴き出してきた――。
 香は、胸に初めて触れられた他人の手の感触にほとんど恍惚となりながら、ふと、いつまでもこうしてもまれていたい、と場違いなことを考えていた――。

 一方レース会場は大慌てだった。それまでダントツでトップを走ってきたダークホースとも言うべきランナーが、いきなりコースアウトしていなくなってしまったのだ。そのまま何分経っても戻ってくる気配はない。騒然としているうちに、後続のランナーが次々とその地点を通過していった。そこでトップに立ったのは、本命、高張久子その人だった。
 トップを走っていた高校生がコースアウトしたまま戻ってこない事は既にコーチから聞き知っていた。いよいよ自分の本領発揮とばかりにペースをあげ、抜群の勝負強さでトップを堅持し続けていた。
 もうあの高校生はリタイアした――誰もがその存在を忘れかけた頃、脇の小道を駆け上がってくる一人の女性が見えた。香がコースに戻ってきたのだ。
 胸も足も軽い――香は絶好調だった。こうなってしまえば香の体質はすべてプラスに転化する。ミルクとともに今までのすべての疲れも吐き出してしまい、まるでスタート時に戻った気分だった。いや、残りはあと17キロあまり、それまでをはるかに上回るペースで早くもスパートをかけていた。
 今、香の胸には、コーチが「勝手に持ってきて悪い」と申し訳なさそうに差し出した替えのスポーツブラがついていた。ハサミもブラも、すべてを予想して用意してくれたのだろう。「あのコーチに付いてきてよかった」と今日ほど思ったことはない。見ててくださいコーチ、絶対、その恩に報いてみせます! 香の足はさらに力強く踏み出された。

 間もなく40キロに到達しようという頃、独走態勢でトップをひた走っていた高張選手はふと後ろを振り向いて愕然とした。あのコースアウトしたはずの女子高生がすぐ近くにまで迫っているではないか!
(なに! この子、リタイアしたんじゃなかったの!!)
 自分で自分の目が信じられなかった。しかし間違いない、あの大きな胸――いや、スタート地点で見た時よりもはるかに巨大になっているように見えた。それをぶるんぶるんと大きく揺らしながらもそれをものともせず、長い足を生かしたきれいなフォームでぐいぐいと迫ってくる。その走りには、40キロ近く走ってきたという疲れなど微塵も感じられない。それに、これ以上近づいてきたら、そのダイナミックに揺れまくる胸に自分がはじき飛ばさせてしまうのではないか、という空想が一瞬浮かび、背筋に恐怖が走った。
(なに、この子…化け物――!?)

(うう…またミルクがたまってきたぁ)
 香は再び大きくふくらみつつある胸を抱えるようにしながらも、しっかりと目標を見据えて走り続けた。40キロといえば彼女にとって未体験ゾーンだったし、搾ったとはいえその後の15キロにわたる全力疾走は、確実に今までにないペースでミルクを量産させていった。
 かといって今、レースをやめるわけにはいかない。ずっとあこがれ続けていた久ちゃんに、今まさに迫ろうとしているのだ。おっぱいのことなんか気にしてられないとばかりに、香は足に力を込めた。
 遂に香は高張選手に並んだ。しかしさすが百戦錬磨、高張もここまで溜めておいた最後の足を出して、香を追い越させなかった。40キロを過ぎた時点で、レースは稀に見るハイペースの戦いが続いていた。
 刻一刻と胸にミルクが蓄積されていくのを感じながらもペースを落とそうとしない香、世界の意地にかけて決して追い抜かせない高張。2人だけのデットヒートは1キロあまりにわたって続いた。しかし――遂に41キロを過ぎた時点で、徐々に高張選手が遅れ始めた。スパートを早くかけすぎたのだ。
(ああ、久ちゃん…)
 少しずつ視界の後ろに消えていく高張選手を見送りながら、香は前を見据えた。とうとう自分は久ちゃんを抜いてトップに立ったのだ。残りはあと1キロほど。それさえこのまま走りぬけば、わたしは――。
 香は気合を入れて胸を張った。その途端、
(うっ――)
 胸に張り裂けんばかりの激痛が走った。香自身、自分のペースを無視してあまりに根を詰めすぎたレース展開の結果、気がつけばおっぱいの中には既に、今まで経験したことないほど大量のミルクがたまりすぎていたのだ。
(ああ、おっぱいが、おっぱいがぁ…)
 しかし今や、搾っている場所も暇もない。差をつけたとはいえ少しでも隙を見せればすぐさま高張選手はあっという間に追いついてしまうだろう。今、絶対にペースを落とすわけにはいかない。香は足を踏み出すたびに楔のように打ち込められる胸の痛みに耐えながら、ほとんど無意識のうちに足を運び続けた。
 前方に競技場が見えてきた。(ああ、戻ってきた――。あと、もう少し…)
 香は最後の踏ん張りとばかりに大きく足を広げた。

 競技場ではコーチが落ち着かない様子で待ち受けていた。
(自分ができることはすべてやった。後は――運を天に任せる…)
 しかしその態度はとても天に任せたようには見えない。一刻も落ち着いていられないようにうろうろと辺りを歩き回っていた。
 遂に香が一番でトラックに帰ってきた。スタンド全体を揺るがすような歓声で香の登場を迎える。しかしコーチは、香の胸を一目見るなり思わず叫んでいた。
「いかん!!」
 香の胸は、すでにコーチが驚きの声を上げるほど大きくふくらみきっていた。目測だが、バストはおそらく2メートルに達しているだろう。こんなに大きくなったのは、今までコーチですら見た事がなかった。ここまで来るのにいったいどんな過酷なレースをしてきたのだろうか、コーチですら想像がつかない…。
 その時、先ほどを上まるほどの歓声が湧きあがった。日本のエース、高張選手の登場だ。香との差は30メートルほど。その目は、まだレースをあきらめてはいなかった。香のペースがちょっとでも乱れれば、すぐさま追い抜かんとチャンスを虎視眈々と狙っている。レースはまだあとトラック1週半も残っているのだ。今の状態では、香の方が不利だ。
「水沢ぁ…」
 コーチがいつになく弱弱しくつぶやく。今や香と高張のペースはほとんど互角だった。香の、あきれかえるほど大きくふくれ上がったバストが、顔にぶつからんばかりに大きく揺れている。もうこれ以上ないほど必死の形相を浮かべながら、それでもなおペースを落とそうとしない。おそらく今や、ひと足踏み出すごとに、ものすごい勢いでミルクがさらにバストの中に噴き出し、たまっていってるだろうに――。コーチは今や気が気ではなかった。次の瞬間、香のバストが遂に耐え切れず一気に破裂してしまうのではないか、という悪い予感がしてしょうがなかったのだ。
(ああ、できることなら今すぐ飛び出していって、また――あの胸からミルクを思いっきり搾りだしてやりたい…)
 できないことはわかっている。しかし、先ほど手についた感触を思い出しつつ、コーチの指先はいつしかわなわなと震えていた。
 しかしゴールまで後100メートルまで、という所にせまった。これならば――と思った瞬間、アクシデントは起こった。
 ブチッ!
 スタンドまで響かんばかりの大きな音だった。歓声の音にかき消されたものの、コーチの耳にはまるで断末魔のように聞こえた。あまりのすさまじい膨乳に耐え切れず、つけていたブラが遂に引き千切れたのだ。
 今まで押さえに押さえつけられていたバストがいきなり開放され、それまでより2まわりほど大きくなったように見えた。それとともに香の胸の上で一斉に踊りまくり、香はたまらず体勢を崩した。
「ああっ、水沢!」
 コーチの願い空しく足がもつれ、立ち直るの数秒を要した。それは、高張が追いつくには充分すぎる時間だった。
「水沢ぁ、来るぞう! 高張が、すぐ後ろにぃ!!」

(ああ、もう…だめ――)
 香はブラが吹っ飛んだ途端、一瞬あきらめかけた。胸はもう一瞬たりとも途絶えることなくじんじんと張りつめ続け、動けるのが不思議なぐらいなのに、その上今、支えを失って自分の体が持っていかれるほどの勢いで暴れまくっている。もう1秒だって耐えられそうにない。
 しかしその時、歓声の中からかすかにコーチの声が聞こえたような気がした。
「水沢ぁ、来るぞう! 高張が、すぐ後ろにぃ!!」
(コーチ、またですかぁ。もうだめですよ、ウソはぁ…)
 しかしその途端、すぐ後ろまで迫ってきた人影にハッとした。嘘ではない、その脇から感じる圧倒的な存在感で咄嗟に誰だか悟った。
(久ちゃん…)
 負けられない。限界をとっくに超えていたはずの香に、不思議な力が宿った。両腕で脇から押さえ込むように胸を抱えると、そのままの姿勢で必死に前に進みだした。高張選手とは完全に横並び一線である。前を見ると、そこには数10メートル先にテープが張られている。
(ああ、あそこがゴールだ…。お願い、もって! わたしのおっぱい…)
 しかしそこまできて、じりっ、じりっと高張選手の体が香より前に出始めた。脅威の粘りだ。ゴールはもう目前、しかし胸を押さえているため腕が振れない香の足は、あともうひと伸びが足りなかった。
(ああっ、だめだ…。やっぱ久ちゃんはすごいや)
 眼前のテープを先に切られるのを見てられなくて、香は思わず目をつぶった。その瞬間――。
(え?)
 自分の胸の先に、確かにテープが当たった感触を受けて目を開けた。そこで見たのだ。確かに胴体は高張選手の方が前に出ていた。しかし、ミルクが満タンになって大きく前に張り出していた香のバストは――高張選手のさらにずっと前にまで突き出していたことを! 先にテープを切ったのは、間違いなく香の方だった。

(うそ――わたし…勝ったの?)
 思わずボードを探す。そしてそこの1位の欄に自分の名前を見つけても、にわかに信じられなかった。すぐ横では高張選手が不服そうに審判員を見つめているが、結局、判定は覆らなかった。
(久ちゃんに――勝った…) 香は体中の力が抜けていくのを感じた。それとともに、我慢に我慢を重ねてきた胸が遂にこらえきれなくなり、手も触れてないのに両方の乳首から勝手にすさまじい勢いでミルクを噴き出し始めた。
「水沢ぁ」
 スタンドから飛び出してコーチが駆け寄ってくる。その顔を見てほっとして、ミルクはさらにビュービューと勢いよく噴水のように噴き上がっていった。
 コーチはそのミルクを頭からかかるのをものともせず、香に抱きついた。
「水沢、よくやった、よく我慢した」
 興奮するコーチとは裏腹に、香は切羽詰ったようにまるっきり別の事を言い出していた。
「コーチ、お願い、また、ミルクしぼって、さっきみたいに、その大きな手で思いっきりぎゅーっ、って…」

 ――――――――――――

 そしてこれが、香が出場した最初で、そして最後のフルマラソンとなった。その後も香のバストはどんどん大きくなり続けたが、それとともに噴き出すミルクの量も一緒に増大していったため、結局ノンストップで42.195キロを走りきる事が最後までできなかったのだ。
 さらにこの、唯一出場した大会においても、その後レース中にコーチがあまりに関わりすぎた事が問題となり、結局香は失格、優勝も取り消されてしまった。
 そのために、この、ミルクを噴き出す爆乳ランナーは、公式記録のどこにもその名を残すことなく、そのまま消えうせてしまった。

 しかし一方で、このレースを観戦していた人々の多くは、香のことを強く記憶に焼き付け、後々まで語り継いだ。伝説の名ランナー高張久子も、後年、現役時代最も印象に残るレースはと訊かれると、真っ先にこの香とのデットヒートだと即答していたほどだ。
 その後、残されていたTVフィルムから、香がコースアウトしてから戻ってくるまでの正確な時間が割り出された。その時間実に8分12秒。そしてこの中断分を差し引いた、彼女が純粋に42.195キロを走っていた時間を計算した時、誰も皆その数字に驚いた。それは、それまでのレコードをはるかに上回る、文句なしの世界新記録になっていたからだ。
 もちろん公式の記録の中に彼女の名前はない。あくまでも「もしも」の記録であると重要視しない人も多い。しかし、決して少なくない人々の間で、彼女は今もこう呼ばれ続けている。「影の世界記録保持者」と。

 香の「影の世界記録」は、今だ破られていない。

 ――完――