Four seasons

ジグラット(物語)・Kroah(挿し絵) 作
Copyright 2005 by Jiguratto (story)
Copyright 2005 by Kroah (picture)

 1. Happy new year

「あの…よかったら、一緒に帰らない?」
 帰ろうと鞄を持ち上げた所で、いきなり後ろから声をかけられた。冬の陽が落ちるのは早い。明かりを消された教室の中は既に薄暗くなり始めていたが、他に誰もいないと思っていただけにびくっとした。



「なんだ委員長か…」
 振り返ると、同じクラスの藤掛理沙子が立っていた。委員長と言っても別にクラス委員とかそういう訳ではない。しかしそのいかにも生真面目そうでおとなしいキャラクターから、いつしか皆からそう呼ばれるようになっていた。
「あ、ごめん。驚かせちゃった?」
 申し訳なさそうに顔を俯かせる。辺りは冷え冷えとしてるのに、まるでほてってるかのように頬が上気していた。
 正直俺はとまどっていた。3年間同じクラスにいたことは確かだけども、さして親しくしていた訳でもない。用事のある時以外で話したことなんて数えるほどしかないだろう。なんでいきなり――。
 どうしていいか分からないうちに何もない時間がただ流れていく。藤掛はその空気に堪えきれないかのように俯いたままちらりと上目遣いにこちらを見る。大きな眼鏡の向こうから覗く瞳は思いのほかつぶらで、俺はちょっとどぎまぎした。
「――だめ?」
 ほとんど聞こえるかどうかぎりぎりぐらいの小さな声が口から漏れる。
「あ、いいよ」俺はなんというか、勢いで言ってしまった。別に断る理由はないし、それに――藤掛と一緒に帰るのも、なんかいいかな、という気がこの時ふっと湧いてきたのだ。
 藤掛の顔が、ぱーっとみるみる嬉しそうに輝いた。こんなふうに明るい顔をした藤掛なんて見た事がない。(あれ、こいつ――ひょっとして…) 鈍感な俺でも、なんとなく気づくものがあった。

 とはいえ藤掛の格好はいつもととりたてて変わったものではない。制服なんだから当たり前と言えば当たり前だが、その制服の着こなしも人並みはずれてきっちりとしていた。彼女のことを「歩く校則」なんてからかうやつもいたけど、そう言われてもしかたがない。パーマも脱色もしたことないだろうその髪は、ひたすらまっすぐ背中まで伸び、もちろんしっかりと後ろで束ねられている。顔にも化粧っ気はまったくない。おそらく口紅ひとつさしたこともないのではなかろうか。校則くそくらえで制服を改造したりちゃっかり化粧している他の女生徒の中に混じると、地味すぎて普段は存在自体が埋没してしまいそうなくらいだ。
 ただ、そんな彼女でも、体の中でただ1箇所、人並みはずれて目立つ所があった。それが胸だった。別に太っている訳ではぜんぜんないのに、今もセーラー服の布地を大きく突き上げてこんもりと盛り上がり、強烈に存在感を主張している。胸だけで言えば雑誌をにぎわすグラビアアイドルなんか問題にならないほどの大きさだ。俺の記憶では1年の頃は確かそれほどでもなかったと思うけど、いつの間にかこんなに大きく膨らんでしまっていた。さすがにこの胸に関してはは男子の間でも時々どれぐらいあるのか話題になるけども、サイズは間違いなく1メートルを大きく上回っていて、おそらくブラジャーは特注品だろう、ともっぱらの噂だった。
 その胸が今、俺の目の前でたふたふと揺れている。妙にうきうきとしているようで体全体をはずませるように俺のそばを駆け回り、そのわずかな動きものがさずに増幅して跳ね回っている。
(すげ――)
 俺は思わずその胸を食い入るように見つめてしまった。しかし藤掛はそんなあからさまな視線にすら気がつかないほど浮かれているようだった。

 校門へと並んで歩く。藤掛はセーラー服の上にコートを着込んでいるのだが、それでもその胸の大きさは隠しようがない。コートの襟から胸にかけてぐうっとものすごい角度で盛り上がり、ちょうどバストの先あたりを頂点にストンとまっすぐ下に落ちている。だから一見太って見えないこともないのだが、鞄を手で保とうとお腹のあたりを押さえると、どこまでも奥深く手が埋もれていって、胸だけがぐぐっと浮かび上がってくる。それで却って胸の大きさが強調されてしまっていた。
「委員長って、家どっちの方だっけ?」
 何話していいか分からず、とりあえずありきたりなことを訊いてみた。考えてみればこんなことさえ知らなかったんだな、と今さらながら驚く。
 しかし答えを聞いてさらに驚いた。びっくりするほど自分の家の近くだったからだ。最寄り駅こそひとつ手前だけども、歩いたっておそらく15分ぐらいしかかからないだろう。
「なんだ、そんなに近かったの?」
「うん」藤掛は嬉しそうにうなずいた。どうやら――むこうはこっちが近所だってことを知っていたみたいだった。
 そんなだったから、そのまま別れるでもなく、自然と2人は同じ方向の電車に一緒に乗りこんだ。その間、特に話がはずむという訳ではなかったが、ぽつりぽつりと、それでも途切れずに会話が続いた。
「野球部、もうやめちゃったんだね…」
「あったりまえだろう。だってもう3年だぜ。年が明けたら受験だしさ」
「大学入ったら――またやるの?」
「うーん、もうこれからは草野球でも楽しみたいな。部活でやるのはもうちょっとね…」
 藤掛はびっくりしたような顔をした。
「野球、やめちゃうの? ――秋山くん、かっこよかったのになぁ」
 これにはこっちの方が驚いた。藤掛が部活の野球を観てたこと自体知らなかったし、それにうちの高校は甲子園を目指すなんて夢のまた夢、3回戦まで残ったためしがないぐらいの弱小校だ。しかも俺は、どうやら3年でレギュラーにはなったものの7番セカンド、目立たない上に特に活躍した憶えもない。野球は好きだったけど、正直とっくの昔に自分の実力に見切りをつけていた。
「へぇ、委員長、野球なんか観るんだ」
「うん――秋山くんが出る試合は…応援してた」
(え…!?) 自分がもてる男ではないという自覚があったから、さっき気づいた事も(まさかなぁ)と半信半疑だったのだが、こうしてまた、言った瞬間耳まで真っ赤にした藤掛を見て、その疑惑がまたむくむくと湧きあがった。
(藤掛って、ひょっとして――俺のこと…)
 それに俺の方も、なんだかそんなけなげな様子を見て、なんか藤掛の事がとてつもなくかわいく思えてきてしまったのだ。その長い髪も一見無造作にしばられているようだが、変なことしてないせいか少しも痛んでなく、黒く輝くようにつややかだし、化粧っ気のない顔も、肌がつるんとしてこの上なくみずみずしかった。それになによりその胸…。上気していささか荒くなった呼吸に合わせて、コートの上からでもはっきりと分かるほど隆起している。
 恥ずかしげに俯いたままの藤掛をついついじっと見つめてしまう俺。なんとかこの気恥ずかしさを打ち破りたいんだが、喋ろうにも頭の中がぐるぐる空回りするだけでなんにも浮かんでこなかった。
 その時、身体中に強烈なGがかかる。電車がいきなり急停車したのだ。
「あっ」小さな叫び声を上げて、藤掛が俺の方へと倒れこんだ。
 真正面に向き合ってたから2人の体がまともに重なり合う。その途端、俺の胸の辺りをとてつもなく大きな、今まで感じたことのないやわらかい感触が覆った。
(こ、これは――)
 服の上からでもはっきりと分かった。藤掛の巨大な胸が、俺と彼女の体の間に挟まれてひしゃげて、俺の胴体をすっぽり覆わんばかりに広がったのを。
 それは今まで想像したことのない、信じられないぐらいやわらかい感触だった。まるで形のないもののようでいて、それでいてぷりぷりとしたなんともいえない弾力。単にやわらかいのではない、コシというか、そんな不思議な躍動感があった。
「停止信号です。しばらくお待ちください」
 社内に無機的なアナウンスが流れる。電車はまだ動かないままだ。俺と藤掛も動かず――いや、動けずにぴったりと寄り添ったままじっと立っていた。
「藤掛、大丈夫か」
 気がつくと、俺は"委員長"ではなく苗字で呼んでいた。そして心配するような風を装いながら、彼女の体をそっと抱きかかえようとした。
「うん――」
 藤掛はどうともとれるあいまいな返事をした。体を起こそうとしてより一層2人の体が密着する。それとともに――どくん、どくんと藤掛の心臓の音がこちらまで伝わってくるぐらい激しく伝わってきた。
(緊張――してるのか?)
 自分の腕に寄り添った藤掛の手に力がこもる。どくんどくんどくんどくん――。みるみるうちにその鼓動がどんどん早くなっていった。
(え?)
 それとともにある変化に気がついてきた。2人の間にはさまれた胸が――徐々に張りつめてきて、むくむくと一層盛り上がってくるように感じられたのだ。
「あっ、だめっ!!」
 藤掛はいきなり、俺の体を突き飛ばさんばかりの勢いで体を離した。顔つきは赤いのを通り越して紅潮し、息もほとんどぜいぜいと音が聞こえてくるぐらい荒くなっていた。
「あ――ごめんなさい…」
 俺を突き飛ばしてしまった事に気づいて、そのままいつものおとなしい藤掛に戻ってきたようだった。
 間もなく電車は再び走り出したが、それから藤掛は一言もしゃべらず、俺もきっかけがつかめずに気まずい空気が流れた。
「じゃ、わたしはここで――。秋山くん、さっきはごめんね…」
 電車が藤掛の降りる駅に着くと、ほとんど消え入りそうな声でそれだけ言ってさっと降りていった。俺の体には、さっきの不思議な感触だけが今も身体中になまなましく残っていつまでも消えてくれそうになかった。

「きのうはごめんなさい」
 次の日、休み時間に藤掛は必死に勇気を振り絞るようにして俺に声をかけてきた。その口調は相変わらずたどたどしく、会話はとぎれがちだったけど、俺はその様子があまりに一所懸命なのでこちらからもなるべくちゃんと返した。それにあの日、体を合せた時の感触がいつまでも忘れられないこともあって、いつしかこちらからも話しかけるようになった。俺が話しかけると、藤掛はもう嬉しくてしょうがない、という風ににっこりと笑った…。
 そうしていくうちに、俺と藤掛の間にはどこかうちとけた空気が流れるようになっていった。別につきあってるとかいう訳ではなく、学校以外で会うこともなかったが、帰ろうとするとどこからともかく藤掛が現れて、なんとなく一緒に帰る日も多くなっていた。俺はいやでも気がついていた。藤掛が、俺と2人でいる時、他の時とは明らかに違って浮き立つように嬉しがっている事を…。
 俺の方も、だんだんに藤掛といる時間を心待ちにするようになっていった。帰る時、ついつい目で彼女の姿を探してしまうのだ。そして見当たらない日は訳もなくがっかりくる。
 そして一緒に帰る日は――なんてことはない会話を楽しむようになっていた。家族のこと、進路のこと――。俺の第一志望の大学が、藤掛と一緒なことが分かった時の彼女の顔ったらなかった。「大学、一緒に行けたらいいね」さりげない言葉だったけど、その声はかすかに震えていた。まるで喜びで爆発したいのを必死で抑えているかのような…。俺も、2人で同じキャンパスに通う姿を想像して、ついにやけてしまった。俺にも、とうとう春が来るのかもしれない――。
 とはいえ浮かれてばかりもいられない。俺達はなんといっても受験生、本当に"春"が来るかどうかはこれからの頑張りで決まるのだ。藤掛への気持ちをひしひしと感じつつも、今本能のまま突進したら一気に箍がはずれてしまいそうで、結局「その次の一歩」がいつまでも踏み出せずにいた。

 そうするうちにいよいよ年も暮れてきた。陽は本当に短くなり、家に帰る頃には真っ暗になってしまう。結局今年のクリスマスも何事もなく終わり、終業式の日を迎えた。この日もなんとなく2人一緒に帰途につく。2人とも何もしゃべらない。明日から冬休みだからしばらく会えなくなるのだ。なんとなく――言いたい事はたくさんあるのに、言ってしまったらとめどなくどこまでも止まらない気がして…却って口を開けないでいたのだ。
 それに、もうひとつ気になってしょうがないことがあった。藤掛の胸のことだ。あの一件以来ひと月たらずの間に――藤掛の胸は、明らかに前よりもずっと大きくなって見えた。変な言い方だけど、胸の標高があの時と比べても1〜2割高くなったみたいで、それと共に裾野はもっと格段に広がったというか――ぶっちゃけた話、体積で言うと倍ぐらいになっているような気がしてしょうがないのだ。ただでさえ大きかった胸の存在感は明らかに倍増していて、藤掛の顔を見ようと思ってもどうしたって胸も一緒に飛び込んできてしまう。今やその頭よりも明らかに大きくなったものが胸にふたつも飛び出していて絶えずゆらゆらと揺れて――俺の心の箍も一緒に揺れ動いてしまう。
 その日も、悪いけどできるだけ藤掛の方は見ないようにして――だから一層気まずかった。
「あの…」
 藤掛の方が、やっとのことで口を開いた。俺は気を緩めないようにそっちを見たのだが、目つきが鋭くなってたのだろうか、相手がちょっと体をすくめるようなそぶりをみせた。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してたものだから」しかし藤掛は口をつぐんでしまった。このままではまた気まずい思いをしなければならない。必死で誘い水を出した。「で、何?」
「あの――」藤掛はごくりとつばをのみこんで、また勇気を振り絞るように話しかけた。「今年ももうすぐ終わりだね」がっくりくるぐらい普通の話だった。
「ああ、そうだね」
「年が明けたら、もうあっというまに入試が始まっちゃうね」
「ああ、ほんともう、時間がぜんぜんないよ」
「うん…。今年はもう、お正月どころじゃないと思うけど――。あの、秋山くんの町のほうにさ、小さな天神様があるじゃない」
「あああそこ、俺んちのすぐそばだよ」
「そうなんだ。あの…今さら神頼みだって訳じゃないけどさ…」まるで緊張して息が続かないかのように一旦そこで切った。たいした話でもないのに、その顔は端から見ても顔が引きつって見えるほど思いつめていた。
「あの、よかったら――元旦の日、わたしと一緒に天神様におまいりしない?」
 今度はたたみかけるように一気に言った。言い終わった途端、みるみると耳まで真っ赤になっていった。まぬけなことに俺は、その時になって、初詣に一緒に行こうと誘われたことに気がついた。
 藤掛はそのままの姿勢でじっと俺を見詰めている。おそらく息も止めているだろう。身体も、胸もぷるぷると震えている。俺はこう言うしかなかった。
「いいよ」
 藤掛は、ほんとに、ほっ――としたように長く息を吐いた。

 どこか遠くからかすかに除夜の鐘が聞こえてくる。俺はじっと数えて最後の108つめが鳴り終わると、一目散に家を出た。待ち合わせた天神様までは歩いて5分、藤掛の方が時間がかかるだろうとゆっくりと歩いていくと、意外にも彼女の方が先に着いて待っていた。
 なんだか人ごみの中、藤掛の顔だけが浮かび上がってくるように見えた。藤掛の方も、俺を見つけた途端、顔がぱあっと明るくなったのが遠目からでもよく分かった。それを見て俺も足を速める。近づいていくにつれ――なんだか遠近感が狂っているような気がしてしょうがなかった。なんか藤掛の胸、やたら大きいような…。しかし――見間違いではなかった。たった一週間ぶりだというのに、藤掛の胸はその間にさらにずっと大きくなっていた。
 すぐそばまで来て、そういえば制服じゃない藤掛を見るのは初めてだな、と今さらながら気がついたけども、いつもの地味っぷりが板についたように、その服装は無地のセーターに大き目のジャンパーを着込むというきどらないものだった。しかしその胸はだぶだぶのセーターを突き破らんばかりにはげしく盛り上がり、ジャンパーは明らかに大きすぎるサイズにも関わらず前のジッパーは到底締められそうになかった。その時になって気がついた。そのどちらも明らかにサイズ違いで、それも間違いなく男物だろう。しかし、彼女のここまで大きくなった胸をかろうじてでも覆うためには、そうでもしなければ追いつかなかったのだ、と。
「あけましておめでとう」藤掛はじっとしていられない風で一気にまくしたてた。
「おめでと。でも早いなぁ、フライングしたんじゃないのか?」
「ううん。でも、一生懸命走ってきた」
 よく見るとまだ少し息が荒い。短めに切れる息に合わせて胸がぽよんぽよんと揺れるのが、セーターの外側からでも見て取れた。どうしても胸のほうに目をとられてしまう。俺は足早に駆けていって胸が盛大に揺れている藤掛の姿を想像して思わず顔がゆるんでしまった。

 2人並んで型通りにお賽銭を投げて、鈴を振って、手を合わせて――。藤掛はずいぶんと長いこと目をつぶったまま動かなかった。なんかすごいぐらい必死な気があふれていて――ついつい後で訊いてしまった。
「ずいぶん長かったな。いったい何お願いしたんだ?」
「え!?」なぜか藤掛はずいぶんあわてていた。「何って――合格祈願に決まってるでしょ。受験生がこの時期天神様におまいりして、他に何があるって言うのよ」しかし眼鏡の向こうで目が泳いでいてこちらをまともに見れない。なんとなく分かった気がして俺はにんまりした。
 初詣自体はあっさりと終わってしまった。しかし俺も藤掛もなんとなく別れるでもなく、そのまま辺りをぶらぶらしていた。
 吐く息が白い。呼吸するたびに口から白い筋が長く伸びていくのだが、見ると藤掛の胸の先まで届かずにすべて消えていってしまっている。ほんと、思った以上にその胸は大きくなっていた。
「なんか――混んできたね」
 確かにそうだった。俺達は年が明けて早々に駆けつけたからかそうでもなかったが、ぼちぼちあちこちから集まり始めたのだろう、狭い境内の中に人が密集し始めていた。
 藤掛はほとんど無意識のうちに大きく突き出した胸をガードするように腕を前にかざし、さらに体を俺の方に向けた。しかもまわりから押されて、俺と藤掛の距離は次第に縮まってきた。
 今や2人の間はほとんど隙間がない。藤掛は相変わらず俺の方に向いているから、いやでもその突き出した胸が俺の体に当たってしまう。
「あ、ごめんなさい」最初は藤掛もそう謝っていたが、いつしかぎゅうぎゅうに押されて密着状態になっていた。俺の胸と腹に、藤掛のバストの感触がいやが応にも伝わってくる。また胸の鼓動まで聞こえてきそうだ。
「も…もう出ましょう」
 藤掛が顔を真っ赤にしながら言う。俺は正直しばらくこのままでいたかったけど、仕方ない。そうだな、とだけ答えると人ごみを縫って出口へと向かった。

「ふうっ――」
 やっとの事で外に出て、人気のない空き地に抜けると、藤掛は暑苦しそうにひと息つき、はだけたジャンバーを手でばたつかせて風を送った。
「なんか、暑くなっちゃった。気持ちいい…」
 その顔はまだほてったように赤かった。それになんだか無理矢理でも自分を落ち着かせようとするかのように何度も何度も深呼吸を繰り返している。
 しかし俺は、まだ先ほど感じた藤掛の胸の感触が体にくっきりと残って、簡単に消えてくれそうにない。ほとんど引き寄せられるように体を近づけていき、手をその胸に伸ばした。藤掛の口がかすかに動く。
「あ…だめ」
 小声だが、しんとした夜の空気にその声ははっきり俺の耳に入ってきた。よく見ると顔もしかめ気味だし、なんだか息苦しそうに胸に手をあてている。先ほどの深呼吸もそのせいかもしれない。
「どうした? 苦しいのか?」
「ううん、なんでもない――つ…」
 言ってるそばから、顔をさらにゆがませた。しかしそれをはねのけるように顔を俺の方に向けた。
「秋山くん、今日はどうもありがと。受験がんばろうね。今日は――もう帰んなきゃ」
 まるで俺の前からさっさと立ち去りたいかのように――少し足元をよろかせながら俺の元を立ち去ろうとする。しかし心配になって、思わず彼女の腕を掴んだ。
「きゃっ!」いきなり掴まれて藤掛はバランスを崩し、背中から俺の方へと倒れこんでしまった。一緒につんのめった俺の顔の前に、藤掛の胸の谷間がぐんぐん迫ってくる。
 どよん。
 そんな音がしたような気がする。そのまま俺の顔は、藤掛の胸の谷間に"墜落"した。なんてぷにぷにとしてやわらかいんだろう。俺は顔全体に埋まった感触に我を忘れ、その谷間にさらに突進しようと顔をうずめ込んだ。
「え、なに…?」
 藤掛のとまどうような声が聞こえる。しかし俺はその感触をむさぼるように味わい尽くそうと無我夢中になっていた。
 俺の変化に気がついた藤掛の声が、あわてたように鋭くなった。
「ああっ、や、やめてぇっ!!」
 しかしもう止まらない。なんだか頭の中で、今まで懸命に締めてきた理性の箍が、ぶちぶちと音を立ててはじけ飛んでいく音が聞こえてくるような気がした。
 俺は一旦顔を上げると、今度は藤掛のセーターの裾をつかんで一気にまくり上げた。その時下に来ていたTシャツまで一緒にめくってしまったらしい、その下からは、彼女の清楚なイメージにぴったりな純白の――しかし文字通り山のように大きなブラジャーが現れた。俺は一瞬そのまるで白い高原のように広々と続くブラジャーの面積の大きさに驚いたが、そのブラでも小さいのか、彼女のおっぱいが――今にもブラからあふれ出さんばかりになっているのを見て、箍の最後の一本までもが吹っ飛んだ。
「うぉぉぉぉ」俺は訳の分からない雄たけびを上げながら、ブラの上から構うことなく彼女の胸をわしづかみにした。かなりごつそうなブラジャーの上からでも、彼女のおっぱいのとてつもないやわらかさ、跳ね回るようにぴちぴちとした生きの良さがダイレクトに伝わってくる。まるで胸の上で2つの別の生き物が懸命に蠢いてるように、俺の手の中でおっぱいがはじけまくった。俺はますますがむしゃらにその胸をもみしだいていく。しかし彼女の胸はあまりに大きくて、俺がどんなに手をいっぱいにひろげても指の間からどんどん肉が逃げていって、ほんの一部しか握れない。それがくやしくて、ますます力まかせに腕を胸に押しつけた。
 藤掛は最初驚いてとまどっていたようだが、状況を把握するにつれ痛いんだかなんだか、ちょっと読めないような顔をした。
(え…)
 俺は次第に手に伝わる感触が変わってくることに気がついた。最初はひたすらやわらかかったおっぱいが、だんだんと中身が何かで詰まってくるような気がして、しまいには中身がぎゅうぎゅうになるほどぱんぱんに張りつめてきたのだ。
 似たような感触、前にも感じたことがあったような――。そう、最初に一緒に帰った日、電車が揺れて藤掛が寄り添った時感じた、あの不思議な感触だ。しかし今、俺の手のすぐ下で起こりつつある変化は、あの時とは比べ物にならないほど急激だった。
「ああっ、だめっ!! ま、また…おっぱいが大きくなっちゃう…」
 え? と俺はとっさにその言葉の意味をとらえかねていると、手の下で、胸がむくむくむくとふくらんでいって、文字通りブラを突き破ろうとさらにせり上がってくるのがはっきりと伝わってきた。
「ああっ! もうだめっ!!」
 藤掛が叫んだ途端、遂に耐え切れなくなったブラジャーがみちみちとうなりをあげ、背中の方でばしっ、ばしっと次々と何かがはじけた。あまりに激しい膨乳にブラが耐え切れず、背中のホックがすべて吹っ飛んでしまったのだ。
 その時になって、俺はようやくハッと我に返った。自分はいったい何をしようとしたのだ――。
 ――気がつくと、藤掛は涙を流しながらゆっくり上体を起こした。手には、使い物にならなくなったブラジャーの残骸を持って、カップを押さえてどうにか胸を隠していた。その胸たるや、つい先ほどと比べてもあきらかに倍以上の大きさになっており、両腕を懸命に伸ばしてもやっと抱えきれるほどにまでなっていた。自分の目で見てもにわかには信じがたい、驚くほどの急成長ぶりだった。
「その胸は――いったい…」
 俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、訊かずにはいられなかった。2人がまがりなりにも"つきあい"だしたひと月ほどの間だけでも、彼女の胸は目に見えて大きくなっていた。そして今も――。これはいったい…。
「わたしね、胸がドキドキすると――おっぱいが大きくなっちゃうの」藤掛はなんとか涙をぬぐうと、やっとそれだけ言った。
 また沈黙が流れる。俺はとにかくなにか言葉をかけようとは思うのだが、一言の言葉も浮かばない。そうするうちに藤掛がまた口を開いた。「そういう体質なの。なんでもドキドキするとなんとかっていうホルモンが大量に分泌されちゃって、おっぱいが一気にふくらんじゃうんだって」
 しゃべっているうちに少しづつ落ち着きを取り戻してきたようだ。それにしてもそういう体質って――俺はその胸のあまりの大きさに改めて驚いていた。この大きさ、どう考えてもブラはもちろん、セーターもジャンパーも入りそうにない。この寒空の中、俺は大変な事をしてしまった、と今さらながら後悔した。
「その――大きくなっちゃったら、もう元には戻らないのかい?」
「あ、落ち着いたらある程度は戻るよ」その言葉に俺はちょっとほっとした。「ある程度はね――。でも元の大きさまで戻る事はないの。戻っても、その前よりは必ず少し大きくなっている――」
 肌が外気に触れているせいか、かすかに体が震えている。少しでも寒さをしのげれば、と俺は着ていた上着を脱いで藤掛の胸にかけた。
「ありがと。こんな変な体だって、いつかは言わなきゃとは思ってたんだけど…どうしても今まで言えなくって――ごめんね」
 そんな――悪いのは俺の方なのに…。と言おうとしたがハッとした。藤掛は、まるで今かけた上着から俺の体温を感じ取っているように、じんわりと嬉しそうな笑顔を浮かべていることに――。
「わたしね、中学の頃は胸も普通だったんだよ。むしろ人より小さいぐらいで…。でも、高校に入ってから、ドキドキが始まっちゃったの…」
 まるで昔を思い起こすように目を閉じた。
「学校帰りのグラウンドで、たまたま野球部が練習しているのを見て――その中の一人、球拾いしている1年らしき男の子が目に入ったの。まだクラスメイトの名前も全部憶えきってない頃で、見た顔だな、とだけ思ったんだけど――その途端、自分でもなんだろうって驚くぐらいドキドキしちゃったの…。それが秋山くんだった。――それから3年間、秋山くんを見るたびにドキドキのし通しで…。どうにも止まらなくって、こんなに――」藤掛は自分の胸をちらりと見た「大きくなっちゃった――」
「でも高校も終わりに近づいてきて、このまんま秋山くんとお別れしたくはなかった。たとえだめでも、とにかくぶつかっていってなにか結果を残したかった…。だからこの前思いきって声をかけたの――。嬉しかった…。以来、少しづつだけど秋山くんと仲良くなってきて、しょっちゅうお話するようになれて、もう今まで以上にドッキドキの毎日で…自分でも信じられないぐらい胸が大きくなっていったの。今日だって、初めて学校以外で2人で会えるって考えただけですっごく嬉しくて――自分でも押さえが利かなくなりそうだった。このブラだって、あんまり大きくなっちゃったから、急遽新年用に特注で作ってもらったんだけど――」
 ふと言葉を切り、まるでため息をつくよう深く息をはいた。
「ご、ごめん」
「ううん、こっちこそごめん。こんな変な女の子に、今日もつきあってくれて――ありがとう…」
 その途端、俺はさっきと別の意味で理性が吹っ飛びそうになった。そんな――悪いのは絶対俺の方なのに、藤掛と来たらまるで自分のせいみたいに…申し訳ないのととともに、そんな彼女がかわいくてしょうがなくなってしまったのだ。
「あの、こんな時に言うのはどうかと思うけどさ――俺、藤掛とさ、今年も、これからも、ずっと――つきあいたいと思ってるよ。その、俺…藤掛のこと、好きだ!」
 つい勢いで言っちまった。藤掛は一瞬きょとんとしたような顔をしていたが、みるみるうちに先ほど以上に顔がどんどん紅くなっていき、思わず顔を伏せた。
「嬉しい――」伏せた顔からくぐもった声が聞こえる。というのも――抱え込んだ藤掛の胸が、先ほどと比べてもはるかにすさまじいスピードで、またむくむくと大きくなっていき、顔が胸にうずもれそうになっていったのだ。
「あ、ま、またすごいドキドキしてきちゃった――大きくなっちゃう…。止まらないよー」

 それから1時間、俺はなんとか落ち着かせようといろいろ他愛ない事を喋り続け、藤掛の胸は、ようやく少しづつではあるが元に戻ってきた。しかし…今日、最初に会った時に比べるとそれでもだいぶ大きくなったような――しかしこれ以上は無理のようだった。
 それでも、ブラジャーは壊れてどうしようもなかったが、シャツやセーターはどうにか胸を覆うことができるまでにはなっていた。ノーブラの胸はそれでもみっちりと前方に盛り上がって先ほどよりもさらに激しくセーターの胸を突き上げ、ほとんど伸びきってしまっている。しかも少し動くたびに大波のようにゆったりたっぷんたっぷんと波打っているのだ。俺はそんな彼女を夜道にひとり歩かせるわけにはいかなかった。もういいから、という藤掛の言葉を無視して、強引に彼女の家までぴったりついて送っていった。
「あの――本当にここでいいから…」藤掛と書かれた表札の前で、彼女は振り向いてそう言った。まあいきなり家に上がりこむ訳にもいかないから、今日はここでお別れせざるを得ないだろう。
 しかし俺は、なんとなくまだ立ち去りがたい気持ちでいっぱいだった。
「あの――今さらだけど、受験、がんばろうね」
 藤掛もおそらく同じ気持ちだったのだろう。一生懸命言葉を捜して時間をつないでいた。
「でも…今また秋山くんにさわられたら、わたしの胸、どうなっちゃうかわからないの。だから、今は――かんべんして」その声はほとんど哀願に近かった。別に嫌だって訳ではないんだという事をなんとか分かってもらいたいと必死になっているかのように。
「ね、そして一緒に合格して、おんなじ大学に行こう。そうしたらその時は――」
 かーっとこれ以上ないほど赤くなった。そしてしどろもどろになりながらも、俺の耳元で、ほとんど聞こえるか聞こえないかの声でこうささやいた。
「おっぱい、さわらせてあげるから――」

 しかしもうこれ以上引き伸ばすこともできない。最後に彼女は、まっすく俺を見てこう言った。
「それじゃ、あらためまして――。あけましておめでとうございます。ことしも――これからも、よろしくおねがいします」ぺこんと頭を下げると、玄関の向こうに消えていった。
 彼女がいなくなった後も俺はまだなんともその場を去りがたく、しばらくじっと玄関を見つめていた。しかしもう再びドアが開く気配はない。俺はしかたなく自分の家の方にゆっくり歩き出した。
(合格したら――その時こそ) 俺の手に、さっきのむくむくと盛り上がっていく胸の感触がまたあざやかに蘇ってきた。

 ――――――――――――

 そして今、窓の外では桜が満開に咲き乱れている。あれからどうなったのかというと――。
 藤掛はその後も順調に試験を受け、見事第一志望校に現役合格をはたした。今日はその入学式。彼女は今それに出かけているはずである。一方俺はというと――この初詣の時の彼女の胸の印象があまりに強烈過ぎた。あのぱんぱんにはちきれんばかりにふくれ上がった胸、そのやわらかくぴちぴちとした感触…すべてが脳裏に、そして手に焼きついていつまでも消えなかった。勉強していても試験を受けていてもそれが生々しく思い出されてきて受験どころじゃない。結果として――俺は第一志望はもちろん、絶対確実と言われていたすべり止めまでことごとく落ちて、浪人が確定してしまった。だから、「一緒に合格したら」という約束も、今だ実行されてない。もちろん落ちたと分かった時は、本当に心配そうに俺の元に駆けつけてくれたのだが――あいつの頭はやっぱり"委員長"だ。条件がそろわないからと、今だにあの胸に頑としてさわらせてくれない。あの約束は来年の春まで持ち越しなんだと。
 これから1年間、藤掛は大学へ、俺はさびしく予備校に通うことにるだろう。彼女をひとり大学にやって、その間に誰か言い寄ってこないだろうかと心配にならないと言ったら嘘になるのだが――どうやら今のところそれは杞憂らしい。藤掛はなにかというと「勉強を見に」毎日のように俺のところに押しかけるようになった。そして今も少しづつ――しかし確実に、彼女の胸は大きくなり続けている。ありがたいことに、どうやら俺への「ドキドキ」は今も続いているらしいのだ。
 来年こそは――絶対合格してやる。そして約束をはたすのだ。そしてその頃には、藤掛の胸はいったいどれほどまでに大きくなっているだろうか。俺はそれだけを楽しみに、今も机に向かっているのだ。