episode 10 超乳には向かない職業
今朝もまた、久美子はなんとかしてブラジャーにおっぱいを詰め込もうとひとり格闘していた。
サイズ的にはまだ余裕があるはずだった。しかし近頃ますます大きく、むちむちと張りつめてきたバストはなかなかこちらの言う事を聞いてくれそうにない。まるで胸に巨大な別の生物が2つ張りついているかのように暴れまわるのだ。
「こら、おとなしくしなさい」
ひとりの時など、たまについ自分の胸に向かってツッコミを入れてしまう。カップの中におっぱいをはめ込もうとかがむと思いっきり重心が前にきてしまい、ちょっと格好が苦しい。毎日のことでコツはつかんでいるとはいえ、最近ますます手におえなくなってきているみたいだ。あたかもこんな窮屈なものに押し込まれてたまるもんかと精一杯自己主張するかのように、ブラをはじき飛ばさんばかりに跳ね回る。かといってノーブラのままじゃ一層好き放題に暴れまくってしまうし――。
(よし、ここだ…)
胸の動きを読んでうまいことカップの中にぱくっとすべり込ませると、ぐんと胸をすくい上げるように上半身を一気にそらす。するとうまいぐあいにバストがブラに張り付くようにきれいに納まった。
むりやり押し込められておっぱいが少し苦しそうだったけど、こうなったらもうこっちのものだ。腋を固めたまま器用に背中に手を回し、パチリ、パチリとホックを留めていく。すべて留め終わると久美子はにっこりと笑った。
(よし、完了)
ブラを胸になじませるように2、3回体をゆさぶってみる。動きを制限されたバストが少しの間あがくようにわさわさと揺れ、納まるべきところに納まったように安定した。まわりをしっかりガードされているため、動きはつける前とは比較にならないほど小さくなっている。
(やっぱりあんなに揺れちゃ、ちょっと動きにくいもんね)
そうして背筋をぴんと伸ばしてみる。張りつめたバストが胸の上にうまく乗っかったように安定した。
久美子はにっこりと笑うと、もうまるでそんな胸など気にならないかのように、しゃきしゃきと動いて、制服のブラウスを手に取った。
(なんかさぁ、ますます大きくなってきてるよねぇ…)
昼休み、学校の廊下を久美子と並んで歩きながら、加寿子は感に堪えないように心の中でつぶやいた。今だって、2人の胴体は横一線になっているのに、その胸の先は――いったい何10センチ前に飛びだしているんだろう。なんだかその頂点の方は少しかすんで見える気すらする。いや実際、歩くたびにふるふると絶えず揺れ動いていてじっと見てたら目が回りそうだ。
二学期が始まってから2ヶ月あまり。夏休み明けの時の成長ぶりにも驚いたけども、この2ヶ月ほどの間だけ見ても久美子の胸の成長はますます勢いづいていっているようだった。もう誰にも止められないブルドーザーのような力強さでバストを押し拡げていく…。
しかし、当の久美子はそんな急激な成長をまるでなんてことないかのように受け入れてしまっていた。
それほどまでに、久美子は近ごろ絶好調だった。以前みちるに「胸ん中にエネルギーが詰まってんじゃないの?」なんてからかわれたことがあったけど、なんだか本当にその胸が巨大なエネルギータンクに思えるほど、身も心も充実しきっていた。傍から見てても溌剌として、暗い所は微塵も感じられない。
(どうしたんだろ、近ごろなんだか体が軽い…) バストの重みはますます増大しているはずなのに、久美子はそれをもものともせず、動きもきびきびと無駄がなかった。なんだか胸の奥から、元気ややる気が際限なく満ちあふれて体のすみずみまでいきわっていくような――そんな気がするのだ。
久美子はふと、自分の下半分の視界をすべて覆わんばかりのバストを見下ろしながらこんなことを考えていた。
(ひょっとしたら――おっぱいって本当にわたしのエネルギータンクなのかもね) なんの確証があるわけでもないけども、なんとなくそんな気がしてしまうのだ。そう考えると、こうしてバストがぐんぐんふくらんでいくのもなんだか嬉しくなってしまう。(ま、いろいろあるけど――これからもこの調子でどんどん大きくなっていってね) 気楽にそんな事を考えていた。
(ふたつの胸のふくらみは なんでもできる証拠なの――か。ふふっ) ふと、こないだTVで耳にした古いアニメソングの一節が頭に浮かんできた。久美子の頬に、思わず笑みがこみあげてくる。
「久美子、なに笑ってんのよぉ」加寿子が横から訊いてきた。
「え?」一瞬久美子はきょとんとして、そして今さらながら自分が笑っていたことに気がついた。「別に…。思い出し笑い」
「やめなよ。ちょっとびっくりした」
しかし久美子は意に介さず、さらに鼻歌でも歌いたい気分だった。
――ひょっとすると、久美子自身が一番、自分の体に今何が起こりつつあるのかを把握していなかったのかもしれない――。
2人がたまたま校長室の前を通りかかった時、ちょうどドアが開いて中から人影が現れた。久美子はハッとして反射的に体を大きく後ろに退く。でないと出てきた人と胸がぶつかってしまう、ととっさに判断しての行動だった。しかし一歩退いただけでは足りなかったのか、胸の先が相手にぶつかってしまいそうになる。なのでさらに腰を反対側にひねってなんとか紙一重でよけきることができた。相手も目の前にいきなり巨大な胸が現れてぶぉんと音を立てんばかりに揺れたものだから一瞬びくりとしたようだった。
「すみませ――」久美子は相手に謝ろうとドアから出てきた男の方を向く。が、その顔を一目見るなり、驚きの表情を浮かべたまま固まってしまった。
「タク…! どうしたの?」
「久美…子――か?」そこには、まだどこかスーツが板についていない小早川卓次の姿があった。いきなりの思いもかけぬ再会に一瞬びっくりしたようだが、すぐに顔をほぐすとにこやかに応対した。「ひさしぶり――ってほどでもないか、夏以来だな」
「ねえ久美子、知ってる人?」ひとり置いてけぼりにされた加寿子が久美子に食いつくように訊いてきた。
「あ、うん。ちょっとね」突然の再会にとまどって、久美子はそれだけ言った。「でもタク、どうして学校に…?」
「それはここではちょっと――」後ろを気にしながら言った。「ちょうどいい。授業が終わったら、ちょっとつきあってくれないか。話があるんだ」
(あーびっくりした。あの制服――ってことは、そっか、ここの生徒だったんだ。こちとら超名門校に足を踏み入れてびくついてるのに――やっぱり頭いいんだな) 久美子と別れてしばらく経っても、卓次はまだ驚きが納まらなかった。
(それにしても――) 平静を装いながらも、卓次は久美子の胸を見て内心驚愕していた。(ちょっと見ない間に、またさらに胸が大きくなっている…)
そう、久美子のバストは、この夏に会った時と比べても、一目で分かるほど一層大きく成長していた。もちろん服は夏の頃のような薄着ではなく、その胸は制服のブレザーにきっちり包みこまれてはいたが、その厚手の生地を内側から強引に押し上げるような盛り上がり方は、あの時よりはるかに迫力を増しているように見えてしょうがなかった。
(いったい何センチあるんだ? あのバスト…)
「276センチ、かぁ…」
保健室で、細川先生はひとりため息まじりにつぶやいた。机の上には、久美子のバストサイズの変遷を記したグラフが置いてある。そのグラフは相変わらずに右肩上がりを示し――いや、ますますその角度は上昇の一途をたどっていた。
改めて見るとちょっと恐ろしくなる。1年生の時、久美子のバストは年間70センチも成長した。これだって驚異的な数字である。しかし2年になってからの成長は既に78センチ、早くもその記録をあっさり破ってしまっていた。まだ11月に入ったばかりだというのに――。この調子では3メートルを突破するのも時間の問題だろう。
このままほっといていいんだろうか…細川先生は決心がつかなかった。6月に相川先生の診察を受けて以来、久美子の胸がどんどん大きくなっていくのがはたしていいことなのかどうか、不安をよぎることが何度もあった。そんな不安をよそに、久美子のバストはみるみるとふくらんでいく――。まるで年々倍増していくかのように…。先日測った時など、ほんとびっくりした。乳房の隅々まで充実しきっていて、ちょっとでも触れたらはちきれてしてしまうのではと心配になるほどだった。ただひとつの安心材料は、当の久美子がまるでそんなことをまるで気にしないかのように元気そのものだったことだ。むしろ胸が大きくなるにつれますます溌剌としてきたようにすら見える――。2た月ほど前、そう、愛原みちるというもうひとりの超乳少女が突然現れ、またすぐ転校していった後には一時期妙に落ち込んでいた時もあったけど、それも間もなく立ち直り、最近は本当に生き生きとしている。そんなだから、細川先生もその後の経過を相川先生に報告しないでいた。けどはたしてこれでいいのだろうか――。
「こんにちわ」
そんなことを考えていたら、突然、当の久美子が保健室に顔を出した。この前新調したばかり、と言ってたはずのブラウスもブレザーも、今にも中から突き破らんばかりにふくれあがっている。一応校則にのっとってブレザーのボタンまですべて締められているが、それもちょっと深く息を吸っただけで全て吹っ飛んでしまいそうだ。これでは近いうちにまた作り替えなくてはならないだろう。それに胸だけでなく、体中から元気がみなぎっていてあふれ出しそうだった。
「堀江さん、どうしたの今日は?」
「へへーっ、まぁ、特に用事って訳でもないんですけどね」
「ん? なんかいいことでもあったの? 妙に嬉しそうじゃない」なんだかいつにも増して、笑顔が自然にこぼれ出しているように見えた。
「えーっ、別に。ただ、ここんとこ、すっごく調子いいんです」
「ここは本来、そういう元気な人が来るところじゃないんだけどなぁ」
久美子は照れ隠しのようにへへっと笑った。
「――じゃ、病人になってもらいましょうか」
「え?」細川先生の思わぬ言葉にきょとんとなった。
「ほら、ここに横になって」
服を楽に、とブレザーを脱がせると、久美子を奥のベッドに寝かせた。
「これ、何をするんですか?」
細川先生を信頼しきっている顔だった。何の不信感も抱かずにそのまま仰向けに寝っころがる。
「本当はうつ伏せに――といきたいんだけど、ちょっと無理っぽいから」久美子の胸を一瞥しただけであきらめの表情が浮かぶ。「体を横に倒して――そうそう、そのままで…」
「いったい何するんです?」
「ちょっと簡単な診察よ。そんな胸してて、体に思わぬ負荷がかかってるかもしれないからね」
(こんな胸じゃ、重みでさぞかし肩こりも――あら? そうでもないわね) 触ってみると、予想に反して肩の辺りもこりこり感はなく、ふわっとやわらかかった。しかし一見きゃしゃに見えるその肩にも、押し込むと奥に非常に発達した筋肉の存在が感じられ、指をはじき返してくる…。
「先生、くすぐったい」
驚く細川先生をよそに、むしろ久美子の方はなんてことなさそうに平然としていた。
「堀江さん、あなた…肩、凝ったりしない?」
「えーっ、別に気にしたことないけど…。若いんだし」
(すご――。本当にこの子の体には驚かされることばっかりだわ。常識がまるで通用しない…)
しかし細川先生が背中や足を中心にマッサージしていくうちに、やっぱり気持ちいいのかおだやかに寝入ってしまった。ベッドの上ですうすうとかすかに寝息を立てている。
「ごめんね」自分への信頼を盾に、だますようなことをしてしまった。すべては久美子をここで眠らせるために行ったことだった。前に彼女がいつも眠る時の格好を聞いていたのでその通りにさせたし、ひそかにリラックスさせるアロマオイルを処方し、さらにマッサージで体をほぐして眠りに誘った。
久美子がよく眠っている事を確認した上で、細川先生はそっと電話をかけた。相手が出ると、小声で受話器に話しかける。「すいません、相川先生をお願いします――」
卓次は、学校そばの喫茶店でひとり待っていた。約束の時間をもう30分ほど過ぎている。どうしたんだろう…と心配になってきた頃、ようやく久美子が店に現れた。
「ごめんなさい」卓次を見かけるや、久美子はその胸をゆさゆさと揺すりながらこちらに突進してきた。その迫力に思わず身構えてしまったが、久美子は目の前でぴたりと止まって頭をぺこんと下げた。少し息が荒い。懸命に駆けてきたことが口にしなくても伝わってきて、なんだか責める気もなくなってしまった。
「どうしたんだ?」
「ちょっと保健室寄ってったら、そのベッドでうっかり寝ちゃって――気がついたら約束の時間過ぎてんだもん。びっくりしちゃった」
「保健室? どこか具合が悪かったのか?」
「あ、ううん。気にしないで。ま、ちょっとヒマだったからさ。サボリみたいなもん」
「まったく、気楽なやつだなぁ」
昔なじみの他愛のない会話を続けながらも、卓次の視線は気がつくとちらちらとその胸に見入ってしまう。
向かい合って座ると――卓次の目の前は、ほとんど久美子の胸でいっぱいになってしまいそうだった。精一杯深々と座っているにも関わらず、その胸はテーブルの上で縦横に厖大な体積を占めて乗っかり、紺色のブレザーがまるで深遠な海のように拡がっていた。その海を途中からまっ2つに裂くように白いブラウスが顔を出し、その内側には山のようなふくらみが2つ、くっきりと浮き上がり、それが体を動かすたびにぷにぷにと生き物のようにひしめき合っている。襟に結ばれたえんじ色のリボンタイがその上を浮き草のようにぷかぷかとたゆたっていた。水を持って席に近づいてきたウエイトレスも、テーブルの上にコップの置けるスペースを探してひどくあわてふためいていた。
「えと…」オーダーを終えて2人きりになると、卓次は改めて小声で言葉を切った。話すことは決まっていたはずだが、卓次はその胸に目を奪われて思わず頭の中が吹っ飛びそうになってしまう。子供の頃、峰子さんの胸を初めて見た時と比べても比較にならないほどの強烈な衝撃が卓次を襲っていた。
「連続窃盗事件? うちの学校で!?」
久美子の声が思わず高くなった。卓次は人差し指を立てて唇に当てる。
「声を小さく。まだ内々の話なんだから。でも何か聞いたりはしてないか?」
「別に――あ、でもそういえば…」
確かに最近、2〜3ものがなくなったという噂は耳にしていた。しかしあくまで断片的な情報ばかりで、それがつながっているものとまでは判断できなかった。
「で、久美子は大丈夫なのかい?」
「ええ――わたしは」卓次はなんかほっとした。「でもどんなものが…」
「生徒の持ち物ばかりなんだ。しかも女生徒のものに集中している。制服や体操服から始まり、文具やらノートやら…。金額的にはたいしたことないが、その傾向から変質者の疑いも持たれている。
本来なら警察に届けるところなんだが、ひょっとして生徒の中に犯人がいる可能性もある。そこでなんとか警察沙汰を避けて穏便に済ませたいってことらしくって、うちの探偵社に声がかかったんだよ」
「へぇ…」久美子は興味深そうに少し前に身を乗り出した。当然、その胸もぐっと卓次に迫る。
「もちろんこの事は友達にも黙っていて欲しい」卓次は思わず胸から目を逸らした。正気を保てる自身がない…。「しかし――久美子がこの学校にいるんなら好都合だ。どんな些細なことでもいいから、何か不審な情報があったら全部僕に知らせてくれないか? 僕が始終この学校に詰めている訳にもいかないからね」
話を終え、卓次に続いて久美子が立ち上がると、またたぷんと胸が大きく跳ねた。
「久美子、お前、すごい大きくなったな」ついその胸に目を奪われ、思わず口にしてしまった。
「分かる? この前測ったらちょっと大きくなってたんだ。今162センチ。でも今どきこれぐらい普通だと思うけど」
162センチ!? それもすごい数字だが、その数字でも到底間に合わないような――。でも、久美子が頭の上に手のひらをちょっとかざすようにしているのを見て、身長のことだと勘違いしてるのだと気がついた。確かに身長は普通だ。けどそのバストは――間違いなくその身長よりもはるかに大きいだろう。
このような超乳を抱えて街中を歩いたら、まわりの人たちはどう反応するのだろうか。元気よく手を振りながら別れていった久美子を見つめながら、卓次は心の中で「気をつけろよ」と案じずにはいられなかった。
翌日、久美子が教室に入ると、しのぶが興味津々といった顔で待ち構えていた。
「ねえねえ、誰よきのうの。ずいぶんと親しそうだったじゃない。けっこうかっこいいし。ひょっとして、久美子のカレ?」
「え?」久美子は話が見えずきょとんとした。
「見ちゃったんだ。きのうの夕方、そこの喫茶店ですごい仲よさそうにしてたじゃない」どうやら卓次と話している所を見られたらしい、と今さらながら気づいた。
「あ、あれ? そんなんじゃないわよ」久美子はとっさに説明しようとして、口をつぐんだ。今まであまり考えたことなかったけども、いざ口を開いてみると卓次との関係を説明するのは案外めんどくさい。
「まあ、いとこみたいなもんかな」心情的には嘘はついてはいない。子供の頃から田舎で時々会う、親戚の一人のような感覚が久美子にはあった。しかししのぶはこういう話になるとけっこうしつこい。なかなか引き下がろうとはしなかった。
「"みたいなもの"ってどういうことよ? なんか意味シーン」
「なによそれ」
「いやー、今まで全然男っ気がなかった久美子にもついにねぇ」
「いやだからぁ」仕方なく重い口を開いて説明した。自分の母親が父以外の男と再婚していることなどあんまり喋りたくなかったけど、仕方がない。
しかし久美子が話し終わっても、しのぶの憮然とした表情は変わらなかった。
「久美子、それって結局、血筋はもちろん戸籍上も全然つながってないじゃん。それのどこがいとこよ」
「じゃあなんて言うのよ」
「そうねぇ、この場合一般的に一番ふさわしい言葉は――"幼なじみ"かな?やっぱり。 わ、けっこういいシチュエーション」
まったく、面白がってる。タクとはそんなんじゃないのに。ただ、なんていうか…。でもそれ以上突っ込まれると久美子自身なんと言っていいかはっきりしなかった。
「まあいいや、それでそのイトコサンがなんで学校に来てるの?」
一瞬盗難事件の事が口から滑り出しそうになってあわてて口をつぐんだ。もちろんこの事を明かす訳にはいかない。
「いや、たまたま仕事の関係でこの学校に来てたんだって。もちろんわたしがいるだなんて知らずに。それで久しぶりに会ったからお茶してた、ってそれだけよ」
なおも追求しようとするしのぶを振り払い、ほら授業始まるよとけしかけた。この時はまだ久美子もきのう卓次が話した事をあまり重要視していなかった。この日のうちによもや自分が事件の当事者になるだなんて思いもせずに…。
(え――?)
久美子はロッカーの前で立ちすくんでいた。その日の夜、久美子はいつものようにひとり学校のプールを借り切って泳いでいたのだ。気持ちよく泳いでいるうちにいつしか2時間近くも経ってしまい、あわてて着替えようと誰もいないのをいいことに更衣室で水着を全部脱いで素っ裸になっていた。まずジーンズを穿いて続いてブラを…と思った所で久美子は初めて気づいた。ロッカーにしまったはずのブラがどこにもない。
(いったい誰が…)
あんな大きなもの、どこに隠せるはずもない。連続窃盗犯――。きのう卓次から聞いた話がいきなり現実となって久美子を襲った。
誰かがあのブラを持っていった――。そう思った途端、久美子は恥ずかしさでカーッと顔が赤くなっていった。
「誰?」
ドアの付近で何かが動く気配がした。まるで今まで潜んでいたのが脱兎のごとく駆け出したかのような――。
(犯人?)
駆け出そうとして気がついた。久美子は今、上半身まっ裸なのだ。このまま外に出て行くなんて――。犯人は久美子が今すぐ動けない状態なのを見越してこのタイミングで逃げたのだろうか。
とにかく追わなければ…。しかし少なくとも裸のままでは外にとても出られない。ええい、とノーブラのまま着替えのTシャツだけをかぶると一気に廊下に出た。
(どっち?)
他に人気はない。かなり遠くはなったが、廊下の先で懸命に駆けて行く小さな人影が見えた。久美子の足なら、これぐらい追いつける。そう思うが早いか勝手に足が動き出していた。
(逃がさないんだから!)
「待てっ!」
怪しい人影を追って、久美子は廊下を駆け出した。しかしノーブラの胸が、Tシャツの中でいつもよりも何倍も激しく、遠心力も加わってぶぉんぶぉんと音をたてんばかりに跳ね回る。シャツが今にも跡形もなく吹っ飛びそうなほどの暴れっぷりだった。懸命にシャツの裾を手で抑えながら、なんとか体勢を保って走ろうとする。しかしその無理な姿勢と暴れまくるおっぱいの動きが久美子の体重の移動を何倍にも大きくし、急速に体力を奪っていった。さらに胸が絶えず四方八方に引っ張られて千切れそうで、徐々に痛みすら覚え始めてきた。距離が長くなればなるほど人影との差が拡がっていく。
遂に久美子は足をもつらせてその場に倒れ込んだ。
「はぁ…はぁ…。ブ、ブラジャー…さえ…はぁ…してれば、はぁ…何キロだって…走れるのに…」
みるみるうちに人影は暗闇にかき消されていく。久美子はくやしげにこぶしを地面にたたきつけた。
――――――――――――
「やられた…」
駆けつけた卓次の前で、久美子はただそれだけつぶやくと押し黙ってしまった。
「何を?」
卓次が訊いても、久美子はうつむいたまま何も言わない。
時間はもう10時をまわっている。「お願い、すぐに来て」ただそれだけの電話だった。こんな遅くにいきなり呼び出されて学校に駆けつけたのに、これでは埒があかない。しかし――何が起こったかはそれでも充分すぎるほど察しがついた。
人気のない学校で、ただひとつ煌々と明かりのついた保健室。その中には久美子と卓次、それに居残っていた細川先生の3人だけが向かい合うように座っていた。久美子は、卓次も先生も見た事がないほど落ち込んでいた。
「おい、どうしたんだ、何を盗られたんだ?」
思わず卓次の声が荒くなる。挑みかかるような姿勢に細川先生は思わず手で制しそうになった。その様子を目を伏せながらじっとうかがった後、久美子はようやく本当に聞こえるか聞こえないかの声で「ブラ…」と言った。
「え? なに? もっと大きく」
久美子は観念して、小声ながらはっきりと言った。
「ブラジャーを盗られたの」
「え…」卓次は思わず久美子の胸を見つめた。まさか…。
「じゃあ、ひょっとして、今――ノーブラ?」
久美子は恥ずかしそうにコクリと小さくうなずいた。
「誰にも言わないで」
卓次はどうしても胸から目がはなせなくなってしまった。まるで巨大な山のように盛り上がり、張り裂けんばかりにパンパンに膨らんでいるいるTシャツの布1枚下には、じかにそのとてつもなく大きなバストが詰め込まれているのか、と思うとTシャツがまるで薄紙のようにもろく思えて、今この瞬間にもはちきれてしまいそうな気がした。しかも、水泳後充分に拭かずにむりやり着たせいか、シャツのあちこちがじんわり濡れていて、肌に張りついて中身が透けそうになっている。よく見れば確かに胸の揺れがいつもと比べものにならないぐらい大きい。ちょっと動いただけでも、どこに行くのかと心配になるほど大きく振れた。そしてそれぞれのふくらみの頂点は、注意するとかすかにぽつんと突起していた。
(あ…)
卓次は思わずごくりとつばを飲み込むと、なんとか冷静になろうと努めた。自分は今事件の現場にいるのだ。己の欲望に振り回されてはいけない。
「とにかく、何が起こったか話してくれないか」
久美子はプールから上がってからのあらましを順序だてて話してみせた。事件が起こったタイミングや状況を説明するその話は、久美子の記憶力のよさも手伝って実に手際よく整理され、ツボを押さえていた。卓次はその微細ぶりに感心していたが、いざ話が犯人を追跡する段になると、久美子は感情が昂ぶってきたのか身を起こし、身振り手振りも加えて口調も力が入ってきた。Tシャツにかろうじて押し込まれているバストが無防備に揺れる。
「あぶない!」
走るまねをしようとした久美子が一瞬バランスを崩しかけた。こちらに倒れかかったその体に向けて卓次は咄嗟に手を差し伸べる。その次の瞬間――両手にとてつもなくやわらかい感触が伝わってきた。しかもとてもじゃないが手に持ちきれる大きさではない。持とうとしたそばからどんどん手のひらからあふれだしていってしまう…。
卓次は、久美子の胸を正面から触ってしまったことに気がついた。しかもノーブラの、Tシャツの布1枚だけを隔ててじかに…。それはなんという感触だったろう。形がないかと思うぐらいやわらかく、かと思うとぎっしりと中身が詰まっているような充実感があり…思わず手にぎゅっと力かこもった。
久美子はその手を払おうとしたが、いきなりのことに動転したのかなんだか体が思うようにならなかった。
「タク…や、やめ…」ようやくかすれながら出た声を聞いて、卓次はハッと我に返って手を引っ込める。ほとんど本能的に、その手はバストをさらにめり込むように力を入れていたのだ。
「ご、ごめん」
胸が解放されると、久美子もまるで力が抜けたかのようにまたどっさと腰を下ろした。さっきより少し息が荒い。呼吸のたびに胸が大きく鼓動していた。
卓次は久美子が落ち着くのを待ってじっと様子をうかがっていたが、久美子は何かを思い出したように手で顔を覆った。
「どうしよう…おっぱい、見られちゃったかも知れない――どうしよう…」
指と指の間から垣間見えるだけからも、顔がみるみる赤くなっていくのが見て取れた。
次の日の朝、登校前の久美子をつかまえて卓次は改めてきのうの事を尋ねてみた。
「なんでもいい、思い出したことがあれば話してくれないか?」
今の所、犯人らしき人物を目撃したのは久美子ひとりなのだ。どんな些細なことでもいいから手がかりになるようなことが欲しかった。
久美子はきのうの興奮状態からはだいぶ落ち着きを取り戻したようだったが、まだどこかショックが抜けきらない様子が見えた。
「で、あれから何か分かった?」
逆に向こうから訊いてくる。
「いや、きのうの今日じゃ何も…」
久美子は顔を上げて不満そうに卓次を見た。なんだか自分の無能ぶりを責められているような気がしてあわてて口を開いた。
「ただ、今回の事件でひとつはっきりしたことがある。犯人は女性じゃない。間違いなく男だろう」
「どうして?」
卓次は問い詰められてちょっと詰まった。「だって…お前のブラジャーだろ。女性だったらあんなサイズ盗んでどうするって言うんだ? こりゃやっぱり…」
「やめて!」久美子は耐え切れないように小さく叫んだ。
やばい、無神経だったかとあわててとりつくろおうとしたが、どう言葉をかけていいか分からなかった。久美子はしばらくの間顔を伏せていたが、やがて何かを決意したかのようにこちらをきっちりと見据えた。
「もういい。タクにはたのまない」
「え?…」
既にもう久美子は立ち直っていた。
「ぜったい――わたしが犯人をつかまえて、ブラジャーを取り戻してやる!」
一度言い出したらもう後には退かない。そんな性格は昔からだった。卓次がどんなに説得を試みても頑として受け入れず、とうとう卓次も条件つきでだがそれを認めざるを得なかった。
その日から、久美子は精力的に学内を聞き込みに回った。一見、普通に学校生活を送っているようでいて、休み時間になるとわずかなつてをたどってあの日の情報を探っていた。あくまで秘密裏に、とあれだけ言ったのに、そんなことはお構いなしだった。第一久美子は目立ちすぎる。
もちろん卓次だって負けてはいない。本職としてのプライドから、学校に日参して競うようにくまなく調査を続けていった。
「さて、どうだった?」
放課後、久美子と卓次はいつもの喫茶店で落ち合った。毎日、その日調べた情報をすべて話して2人で共有すること、これが、久美子が「自分で調べる」と言った時、卓次が「絶対守ること」と出した条件だった。
実際、久美子の情報収集能力には卓次も驚いていた。現役の学生であるという地の利があるのはもちろんだけども、ここ1週間ほどの間だけで、あの夜、学校にいったい何人の人間がいたか、というのもここ数日の調査ですべて久美子が調べ上げていた。
「まったく、誰もいないと思ってたのに他に生徒が6人もいただなんてね。原稿描きしてたマン研が3人と手芸部が2人。しかもその2人ってが加寿子と菜保美だっていうんだから。さらに忘れ物をとりにしのぶまで学校にちょっと顔を出してたっていうじゃない。みんなけっこう神出鬼没よねぇ」
執念というべきなのかもしれないが、卓次の方が舌を巻く調査ぶりだった。こいつ、案外こういう仕事が向いているのかもしれない、と内心ふと思った。
「ま、タクの説によるとこの女性3人は犯人から除外していい、ってことになるけどもね」
どんなもんよ、とばかりに得意げに卓次を見て、久美子は話し終えた。次は卓次の番だった。あれを報告しなければならない。そう思うと――卓次の顔はどうしても晴れなかった。
「タク、どうしたの?」久美子が思わず訊く。
「いや、まぁ、どう言っていいのか分からない事態がでてきたもので…」
「どういうこと? まあ、とにかく話してみてよ。2人でしゃべってるうちに突破口が見つかるかもよ」
「いや、その――目撃者が、出たんだ」
「え、すごいじゃない。なのにどうしてそんな元気ないの?」
「いや…出たことは出たんだが――」卓次はまだ煮え切らない。ようやく観念したように重々しく口を開いた。
「久美子がブラを盗まれた例の夜、時間からするとその少し後のことなんだが、久美子が見失った廊下のちょうどその先あたりの教室で、やはりあの晩ものがなくなっている。そしてたまたまその近くを走り去る人影を警備員が偶然見かけていたんだ」
「あの犯人を見たの?」
「はっきりとじゃない。ちらりと、それも後姿だけだったそうだ。しかし久美子と違ってわりあい至近距離だし、容貌はそれなりに憶えていてくれた。なにせ特徴があったからね――。意外なことに、すらりとした女性だったそうだ」
「女性…」久美子は思わず繰り返した。
「髪は肩にかかるぐらいの直毛、走るたびに左右に揺れていたという。そしてなにより大きな特徴は、後ろ向きから見ても、はっきりとわかるほど――その、とにかくとてつもなく大きな胸をしていたというんだ。それはもう、胴体を覆わんばかりに巨大な山のようなバストがね。思わずそれを見て威圧されてしまった、というんだ――」
久美子の目が見開いた。卓次が何を言おうとしてるのかは察しがついた。
卓次はしばらく久美子の様子を伺った後、覚悟を決めたように、その顔を正面から見つめた。「あの夜、僕に電話をくれてからここに駆けつけるまで、だいたい40分ぐらいかかっている。そしてその目撃の時間はちょうどその40分間の間なんだ――。僕だってこんなこと信じたくはない。けど、立場上こう訊かないわけにはいかない。あの夜、10時5分から10時45分の間、久美子、君はいったいどこで何をしていた? そしてそれを証明してくれる人は?」
「タク――わたしを疑うわけ? わたしの事件は、狂言だ、と――?」
「いや。僕だってこんなことは言いたくはない。しかし、目撃証言は――はっきり君を指し示しているんだ」
「そ、そんなぁ…」
「――僕だって君を疑いたくはない。しかし、いろいろな可能性を考え、状況に合わせていろいろ論理を組み立てていって、もしそれがどんなに信じられない結論になろうと――」
それからしばらくの間、久美子は何事かを必死で考えているかのようにじっと動かなかった。仕方がない。卓次は久美子をうながすように説得を続けた。
「ちょっと待って!」
自分の言葉に酔ったようにしゃべり続ける卓次を、久美子はいきなり制した。まるで針を刺すような鋭い声だった。
その鋭さに気を殺がれて卓次はハッとした。「どうした?」
「わかったわ」
「わかってくれたかい。じゃあ、正直にすべてを話してくれ」
「ううん、違うわ。犯人が分かったの。動機も、方法もすべてね」
「――本当かよ」
「ええ」ここ数日見たこともないような晴れやかな顔だった。
「わたしの推理が正しければ――すべてはまるく納まってくれるわ」
――――――――――――
「いったいどうしたって言うの? こんなところに呼び出して」
菜保美が不思議そうな顔をする。
「もう――今日は早く帰って宿題やんなきゃなんないのに」
しのぶが不満そうにぶつくさ言った。横では加寿子が「まあまあ」としのぶをなだめている。
そこは例の事件の起こったプールの更衣室。3人とももう家に帰っていたのにいきなり呼び出されて不服そうだった。そして呼び出した卓次自身、なぜこの3人をここに集めなければならないのかまったく知らされていないのだ。
「悪いけど、これから電話をして学校に来るよう伝えてくれない? あとはわたしが全部やるから」
3人の名前と連絡先を渡されてとまどう卓次に、久美子は「だいじょうぶだから」とさも自信ありげにうなづいた。不思議と、本当に大丈夫だと思わせてしまうような力強い笑顔だった。
しかし――ほとんど面識のない女子高生に囲まれて、卓次は立つ瀬がなかった。先ほどからちらちらと見定めるような目つきでこちらを見ているのだが、こっちだって何も言える事はない。無為な時間がただ過ぎ去っていった。
「ごめんね、待たせちゃって」3人がいい加減いらつき始めた頃、プールの方から久美子の声が聞こえてきた。
「いったいどういうつもり? 久美子ったら――」
声の方を向いたしのぶがハッとした。久美子はもう制服ではなく、ジーンズとTシャツという軽装だった。
(あれは…) 卓次には見覚えがあった。あの事件の夜のあの格好だ。場所といいその服装といい、あの夜を再現しようというのか?
――ということは…。思わず卓次は久美子の胸を見た。体のわずかな動きもとらえて逃さず、重々しそうにたゆたゆと揺れ動いている。やっぱりノーブラなのか…。そこまで同じにしようというのか!? ただ、ちょっと違うのは――わずかあれから1週間しか経ってないのに、なんだかあの時よりさらに一回りぐらい胸が大きく見えるような気がしてしょうがなかったことだ。同じはずのTシャツの胸が、動くたびにひきつれてチリチリと音を立てているのが聞こえてくるようだった。
「さてここにお集まりの皆さん、わざわざご足労願って恐縮です」
久美子はまるで演説をぶるように妙に気取った口ぶりで話し始めた。
「集まっていただいたのは他でもありません。先週わたし自身に降りかかった盗難事件についてのことです」
そう言うと、久美子は簡単に事件のあらましを語り始めた。先週、ひとりでプールに入っていたこと、出てみると着替えがなく、怪しい人影が走り去ったので追いかけたけど逃げられたこと…。3人はおそらく聞き込みの際に多少は聞いていたのかもしれないが、どうやらまとまって話されるのは初めてだったようだ。興味深げに聞き入っている。
(しかし――) 卓次はそんなやりとりを聞きながら内心苦笑していた。(どっかのミステリー小説みたいにここで推理を披露してみせようとでもいうのか? 当事者を集めて…) そこまで何気なく考えていて、卓次はあることに思い当たって愕然とした。(ま、まさか、久美子――お前、この中に…)
「で、久美子。どうしてわたしたちが呼び出された訳?」一通り話し終わったところで加寿子がたまらずに声を出した。他の2人も同じような顔をしていた。
「ええ。ここにいる小早川卓次さんはね、実は優秀な探偵なの」いきなりそんな風に紹介されて卓次は内心あせった。「今回の事件についても、非常に事細かく調べてくださってるわ。で、その直後に起こった別の事件現場でわたしを見たって目撃証言があったんだけど…」
「じゃあ、犯人は久美子だってことに…」菜保美が口走った言葉を久美子は素早くとらえた。
「そこがトリックなのよ。言っとくけど、わたしはそこにいなかったわ。証拠はないから、信じてもらうしかないけども…。でもわたしじゃないわ。
それに、わたしがそこにいたっていう確証だって、その証言だけでしょ。ねえタク、その警備員が見かけた人影って、本当にわたしだったのかな?」
卓次はいきなり矛先が自分に向けられたのでちょっとちょっとあわてた。そう言われてしまえば、自分が実際に見ていないために断言はできないかった。
「どうしてそれが分かったの? 顔まではっきり見た訳じゃないんでしょう 」
「いや、薄暗いし後ろからだけだから顔までははっきりと…。でも…」
「じゃあなんでわたしだって思ったの?」
「そりゃ…」
「どうせ胸だけで判断したんでしょ」
図星だった。卓次はぐっと息を詰まらせた。
「だって、そんな胸してると言われれば、誰だって…」
久美子は軽くため息をつき、改めて口を開いた。
「つまりはそういうことよ」久美子は自分の胸を両腕をめいっぱい伸ばして抱え込んだ。「仕方ないとは思うわ。確かにこの胸、これさえあれば隠れようもなくわたしだと分かってしまう。しかし逆に言えば、この胸さえあれば、誰だって難なくわたしに化けられるのよ」
「そんなこと言ったって、そんなこと――」卓次は思わず横から口を挟んだ。
「タクはちょっと黙ってて。さて、それじゃその人が見たわたしって誰でしょう…」
そこで久美子は一旦言葉を切って、3人を見回した。
「ねえ菜保美。あの晩、加寿子と一緒に学校に残ってたそうね」
「久美子――まさかわたしたちを疑ってるんじゃ…」菜保美が思わず腰を上げた。「わたしじゃないわ。だってずっと――加寿子と一緒だったんだもん。ね、しょうでしょ、加寿子」
「――うーん、2人共犯だったらわからないわよねぇ」久美子はちょっと面白そうに頬笑んだ。「それに、四六時中一緒だったってんでもないんでしょ」
「そ、そりゃずっとべったりって訳じゃ…」
「ま、3人に一応話を聞こうかな、とも思っていたんだけど、どうやらその必要もないようね」
久美子は3人の前に立ちはだかると、自信満々にぐいっと胸を張ってみせた。
「犯人はこの中にいるわ」
一瞬にして部屋の空気が凍りついた。菜保美はおそるおそる言う。「久美子――それ、ほんと?」
「えへ、1回言ってみたかったんだ、このセリフ」
いきなり茶目っ気を出した久美子に、場の空気は一気にゆるんだ。しのぶなどまわりに聞こえるほど大きく息をついたほどだ。
「なぁんちゃって、ね」しかし久美子は再度顔を引き締め、しのぶの前に立ちはだかった。その眼はもうおちゃらけてはいない。
「な…なに、久美子、どうしたの?」一度はほぉっとしたしのぶの顔が一瞬にして再び引きつった。
卓次もちょっと気にはなっていた。しのぶは久美子がTシャツ姿で入ってきた時から、何かに気づいたようにハッとなったまま息を殺してじっと黙っていたのだ。いつもうるさいぐらいにおしゃべりのしのぶを知っていたら、それだけで変に思っただろう。
「目撃者がいたのよ。事件直後、あの廊下の先のあたりで、わたしらしき人影を――いえ、正確にはわたしそっくりの人をね。しのぶって、背も体型も、髪型までよく似てるじゃない。後姿だけだとよく間違われるほどにね…」
「そ、それが何か? そりゃわたし、あの晩学校に行ったけども、忘れ物とったらすぐ帰ったわ。久美子のブラジャーなんて知らない…」
「あれ、わたしさっき、ブラジャー盗られたなんて言ったっけ?」
久美子の一言にハッとして、助けを求めるように加寿子達を見た。だけれど2人はちょっと不思議そうな顔をしながら、静かに首を横に振った。
「やっぱりちょっと恥ずかしくってさぁ、"着替え"なんて言ってぼやかしたつもりだったんだけどな。いつしゃべっちゃったんだろう」
しまった!という風に顔をあわてて俯かせて、そのまましのぶは口を閉じたまま微動だにしない。それはほとんど自白に違いなかった。
しかし卓次は腑に落ちない顔で久美子に訊いた。
「し、しかし目撃証言では、その女性は手に何も持ってなかったという話だぞ。あんな大きなものを持ってて隠せるはずはない。それに、その、彼女は…」その胸が気の毒なぐらいまっ平らなことは一目で分かった。目撃証言でも胸の大きさの事は特に印象的に語られていた。間違えるはずはない、という確信があった。
しかし久美子は、まだわからないの?という顔をして卓次を見た。
「タクは女を見る目ないなぁ。その2つの謎を一挙に解決する、うまい隠し場所があるじゃない。木の葉を隠すなら森の中へ。ブラジャーのありかは――ここよ」
いきなり手を伸ばすとしのぶの服の裾をつかんで持ち上げてみせた。
卓次はあわてて目をそらそうとしたが――意外なのはしのぶの反応だった。すべてを悟ったかのように無反応で、久美子のなすがままにされていたのだ。その下にはかわいらしいAカップのブラジャーがちょこんとなんとか胸にへばりついているだけだったのだが、しのぶはしばらくわなわなと震えたまま動かなかった。だいぶ経ってからようやくかすかに口が動き、かろうじてこちらの耳に届くぐらいの小さな声で、たったひとつの言葉を漏らした。
「ごめんなさい…」
「お願い、わたしたちだけで…」
久美子の一言で卓次達は席をはずし、しのぶと2人だけで自分たちの教室に場所を移した。しのぶのロッカーからは――他の中身をすべて出してもめいっぱいに詰め込まれた、超特大のブラジャーがひきずり出されてきた。
動かぬ証拠を前に、しのぶは涙声になりながら、ひたすら「ごめんなさい」を繰り返していた。
いい加減泣き止んだ頃、ようやくしのぶはぽつぽつと話し始めた。
「だって、1回でいいから久美子みたいな胸になってみたかったんだもん。本当は無理でも、ちょっとでもその感じだけでも味わってみたかった――。だから…あの晩、帰ろうとしてプールの横を通った時、驚いたの。だって誰もいないはずのプールに明かりがついてるんだもの。何だろうと思って更衣室に入ってみたら――久美子がひとりで泳いでいるのが見えたの。プールへは鍵がかかってて入れなかったけど、ガラス越しに見えて…。久しぶりに久美子の水着姿を見て――ほんと、信じられないぐらいバストが大きくなってて、どうにもうらやましくてたまんなくなっちゃったの。そしたら更衣室の中に――ブラジャーが脱ぎ捨てられてるのが目に入って――気がついたらついふらふらとそっちに足が向いちゃってた。それで悪いと思いつつ、上を脱いで自分の体につけてみて――。出来心なの、信じて! でも、――驚いちゃった。ほんと、アンダーバストはぴったりで、なんの問題もなくつけられちゃったんだもの。けど、そうしたらわたしの胸、ほんとうに信じられないぐらい大きくなっちゃって…びっくりしちゃった。そりゃ、中身がからっぽなのはよーく分かってるけど、見た目だけでも久美子の超爆乳に自分もなったみたいで――。嬉しかった。ほんの少しのつもりだったのに、あともうちょっと、もうちょっとってずるずる引きのばしちゃって…。ついついちょっとその姿であたりを歩いてみたくなったの。ちょうどその日着てたセーターがすごいぶかぶかで、これならなんとかなるかな、って素肌にブラつけた上にセーターをかぶせてみたの。そうしたら生地があまりまくってたはずのセーターの胸の辺がもうぴーんと張りつめて破裂しそうなほどうすーく伸びきっちゃって…。ちょっと鏡を見たら自分が本当に久美子みたいなすっごいプロポーションに変身したみたいで、もう嬉しくて飛び跳ねたくなっちゃった。
でも――その時、ちょうど久美子がプールから上がってこちらに入ってきたの。大慌てて物陰に隠れたけども――大きく突き出した胸があちこちにぶつかって苦しいし、それにどうしたってブラがなくなってることに久美子は気づいちゃうし――。久美子がブラがないっておろおろしてるスキをついて、思わずそこから逃げ出しちゃったの。
けどいざ走りだしてみたら足元も全然見えないしすぐ胸があっちこっちにぶつかるし…うまく走れなかった。それに、後ろを振り向いたら久美子が――ほら、ちょうどこの格好で、もうTシャツの胸をだっぽんだっぽん振り回しながら真剣な顔で追いかけてきてるのが見えて――。とんでもないことをしちゃった、って今さらすごい後悔が襲ってきて…。もう追いつかれたら終わりだと思って、後ろも見ずに走ってたの。誰かに見られてたなんてのも今日初めて知ったわ。
なんとかこの教室のそばまで来たら、不思議と久美子が追ってこないのでその間に大急ぎでブラをはずして自分のロッカーに隠そうとしたの。でもそのままじゃ大きすぎてとても入らなくってね…。あわてて中のもの全部出して力づくで押し込んだの。だからこんなにあちこち変形しちゃって――ごめんなさい…」
長い語りを終えると、しのぶは顔を机につっぷしたままいつまでも動かなかった。
久美子はしばらくうつむき加減でしのぶの様子を見つめていたが、やがて嘘のように晴れやかな顔になって顔を上げた。
「いいわ。このブラ、しのぶにあげる」
「え…だってこれ、久美子の大事なブラ…」
「いいの。だって実は…そのブラ、もうわたしには小さくてつけられないんだもん――」
「え? ついこないだまでつけてたじゃない、これ」
「だめなの」そうしていきなり上着を脱ぎ出した。「あの時だって、もうずいぶんきつかったんだから」
服の下からは、さらに一回り大きなブラジャーが現れた。
「久美子…」
「今してるブラ、あれよりもう1サイズ大きいの。最近じゃ2週間ともたないから――」
上半身ブラだけの姿になった久美子は続けた。
「それにね、例えしのぶにわたしの胸がついたとしてもわたしにはなれないわ。おそらくその途端、立ち上がることもできなくなるかも…」
そしておもむろに背中に手を伸ばし、パチンパチンとブラのホックを外していった。すべてを外し終わり、中からぷるるんとあふれ出したバストを見てしのぶは目を丸くした。大きい。5月に温泉で見た時とも比べ物にならないスケールで、しのぶの眼前に2つの乳房が相変わらず形よく前に突き出していた。
「ね、持ってみて」久美子はしのぶの手をとり、胸を下からあてがうようにいざなった。
「え…?」
「いいから」
「じゃ…失礼します」
久美子のおっぱいを下からあてがうようにして持ち上げようとした。しかしその途端ずんと強烈な重量が手のひらに感じてぜんぜん持ち上がらなかった。
「重い…。いったいどうなってるの?」久美子はいつも平気な顔で走り回ったりしてるのに――不思議でならなかった。
「これでもけっこう苦労してるのよ」
久美子はすずしそうに、しかしちょっと誇らしげに言った。
しのぶはじっと久美子を見上げながらしばらく考えた後、思い切ったように口を開いた。
「久美子、せっかくだけど、やっぱりこのブラ返すね」
なんで?という顔をした久美子に、しのぶはかすかに首を横に振った。
「もらってももう2度とつけることはないと思う。あの時、短い時間だったけど、わたしにはどうにも動きづらくてとてもやってられなかった。でもこれを久美子は毎日24時間ずーっとやってるんだと思ったら――なんか尊敬しちゃった。やっぱりこの胸、小さいけどもわたしにはふさわしい大きさなんだって思ったの。今、久美子のおっぱいさわって、それをさらに実感しちゃった」
しのぶの顔にも、いつもの朗らかさが戻りつつあった。
「解決よ」
外で待っていた卓次に、久美子はちょっと誇らしげに言った。
「じゃ、連続窃盗犯は――」
「ううん、しのぶが盗んだのはわたしのブラだけ。完全な出来心だったわ。そう、つまり、わたしの事件はいわゆる一連の窃盗事件とは別物だった訳よ。この2つを分けて考えればおのずと答えは出たわ。まあこっちの方は友達の単なるいたずらってことでいいわよね…」
「ああ、被害者である君がそれでいいなら…。でもそれじゃ、連続窃盗事件の方はまた振り出しに戻ったわけか…」
「それなんだけどさ、本当に連続窃盗なのかな?」
「どういうことだ?」
「いや、タクの調書見させてもらった時にも思ったんだけどさ、なんかそれぞれの事件の方向性がバラバラのような気がするのよね。下手につなげようとするとこんがらがるけど、それぞれ単独で見てみたら、案外単純な事件なんじゃないかって…」
「まさか…」
しかし久美子の言うとおりだった。改めてひとつひとつの事件を、関連性を考えずに調べていくうちに、次々と今まで見えなかった糸がほどけてきたのだ。久美子も面白がって調査に協力し、毎日放課後でお互いの調査報告をぶつけ合っていくうちに、次々と事態は快方へと向かった。ほとんどは生徒同士のいたずらやいざこざの類と分かっていき、内々で解決していった。そして半月と経たないうちに――事件はひとつ残らず解決していったのだった。
卓次は内心、久美子の手腕に舌を巻いていた。いろんな情報を集め、それを漏れなく記憶して整理し、解決に導いていく上で、何度となく助けられたのだ。ほとんど本職のこちらが形無しだった。
「タク、面白かったね」
最後のひとつが解決したその日の放課後、久美子は学校からの帰り道を晴れ晴れとした顔で、卓次と並んで歩いていた。
「まあ、面白かった、で済ませられる事件で今回はよかったけどな」
卓次は、すぐ横で小刻みに揺れ続ける胸に目を奪われないように目を逸らした。
「タクは明日からもうここには来ないの?」
「ああ、事件はすべて終わったからな。もうお役御免さ」
久美子は、ふ〜んと何気なく相槌をうったが、どこか物足りなさそうな感じだった。
「ねえ、タク、わたし、けっこう役に立ったでしょ」
立ったどころか、今回の事件解決の立役者に違いなかった。久美子がいなかったら、この一連の事件がこれほど上首尾に終わることもなかっただろう。それは卓次自信が最も痛感していた。「ああ。正直予想外だったよ。こんな事を認めるのは癪だが、久美子の協力がなけりゃ、解決はもっと手間取ったろうな」
久美子はそれを聞いて、はしゃぎまわるように飛び跳ねた。そして胸を思いっきり躍らせながら卓次の前に詰め寄ると、盛り上がった胸を盾にするようにして挑みかからんばかりの勢いで立ちはだかった。
「ね、今度またなんかあったら――わたしを助手に使わない?」
卓次はなんとなく――いつかそんな事を言い出すんじゃないかという気がしていたので、来たか、と言った風に受け止めてみせた。
「だめだ。お前には向いてないよ」
「えーっ、どうしてぇ。たった今、ほめてくれたばっかじゃない」
だって――しかし、卓次はその先の言葉を呑みこんだ。確かに役には立つだろう。けれども――その胸は目だちすぎる。それじゃ尾行も張り込みも到底無理…。けどそんな論理も久美子の胸を前にするとどうしても口に出せなかった。実際、今回久美子と仕事ができてすっごい楽しかった。本音を言えば、また一緒にこんな風にすごせたらどんなにいいだろうか…。
だがそれは言ってはいけないような気がした。ひと度口にしてしまえば、なんだか自分の方が押さえがきかなくなるような気がして…。
とにかく今は理屈ぬきで否定する以外、卓次に選択肢はなかった。
「えーっ、どうしてよぉ。タクだって、こんなかわいい助手がいた方がやる気がでるでしょーに」
「自分で言うな。まだ高校生のくせに。大人をからかうんじゃない」
「あーっ、またそれ言うんだからぁ」
結局その日、久美子は別れる瞬間まで一向に引き下がろうとはしなかった。
――――――――――――
保健室の電話が鳴る。細川先生が出ると、受話器から押し殺したような声が伝わってきた。
「この前はありがとう。堀江さんの最新の血液を採取してくれて」
「いえ。こちらこそ遅れてしまってすいません。で…どうでした?」
「それなんだけど――。今、大丈夫?」
「ええ、構いませんけども――どうしたんですか? やはり何か…」
「堀江さんの様子はどう? あれから何の変わりもないの?」
「ええ。むしろ、最近とみに元気ですけど――」
息を呑むような、声にならない声が伝わってきた。
「どうしたんですか? あの血液から、何か分かったんですか?」
沈黙に耐えられずに細川先生の方から口を切った。
「どうしたもこうしたもないわ。この前――6月に彼女を診た時、あなたにも話したわね。乳腺をダイレクトに発育させるホルモンが通常の80倍も分泌されているって」
「ええ…」
「今回測ってみたら――もうそんなもんじゃ済まされなかったの」
「い、いくつあったんですか?」
「120倍よ」電話の主は吐き捨てるように言った。「つまり、わずか半年足らずの間に分泌量がさらに1.5倍にもなっているわけ。それに、あなたから貰った添付資料によると、バストサイズもさらにスピードを上げて成長し続けているわね」
「ええ…」
「今度こそ本当に信じられない数値だわ。6月時点の予想では、こんな数値――もういつ胸がどうにかなっちゃっても全然不思議じゃないものなの。なのに、今だに平気な顔で生活をし続けているって…。ますます元気ですって!…なんてことなの…」
再び言葉が途切れる。もう何を言っていいのか分からないかのようだった。
「いったい、あの子のバストはどうなっちゃってるの!?」