episode12 超乳秘書 久美子(前編)
(やべーっ!)
霧原仁志は1階フロアの床の上を一目散に走り続けていた。目の前のエレベーターは既に閉まり始めている。(9時ジャストから大事な会議が始まるってのに、どうしてこういう時に限って電車が遅れるんだよ!)そんな事を言ったってしょうがないのは分かっている。しかし気分的には言わずにはいられない。待ってくれー、これに乗れなかったら完全に遅刻だ、と手を伸ばしかけた時、ドアが再びすっと開いた。
ありがたい、と息せききって駆け込む。しかしずっと全力疾走してきたので息がはげしく荒い。膝に手をあてたままどうにか呼吸を整えていると、背後から「何階ですか?」と涼やかな声が聞こえてきた。
「あ、ありがとう。8か――」
お礼を言いながらその時初めてドアの横に立つ声の主の方を見た。その姿が目に入った途端、動きかけていた口が止まった。
後姿だけでもその女性のプロポーションがいかに抜群か一目でわかった。膝上までしかないこげ茶色のタイトスカートから、すんなりとしたきれいな足がしなやかに伸びている。腰も形よくつんと盛り上がり、淡いベージュ色のブラウスに包まれたウエストは驚くほど細い。視線を上に向けると、肩にかかるほどに伸びたつややかな黒髪が、体の動きに合わせて軽やかに揺れ動いている。
(誰だろう、こんな子会社にいたかな…) ついつい注視してしまったところで、その女性が首だけこちらに向けた。「8階ですね」その細くてしなやかな指が"8"を押した。
不意に振り返ったその顔を眼にした途端、ハッとして視線が固まってしまった。想像以上だった。理知的で大きく見開かれた目、決して高くはないがよく通った鼻筋、小さく形よくすぼまれた唇、抜けるような白い肌――それらがすべて最適のバランスの上に置かれていて、見たものの心を一目で奪ってしまいかねないほどの代えがたい魅力を持って迫ってきた。
――なんてかわいいんだろう。
その印象は、美人、というより、かわいい、という方が強かった。もちろん申し分のない美人だと思う。しかし、ひょっとして10代かとも思わせる、どこか子供っぽさの残るういういしい顔立ちがそう感じさせたのかもしれない。
彼女が振り向いた刹那、彼の脳裏に、これだけの電撃が駆け巡った。しかし――それはあくまで一瞬に過ぎなかった。振り返った顔に少し遅れて、清楚なブラウスがこちらを向く。それに一歩遅れるようにして、その胸の上に乗っかったとてつもなく巨大なものがこちらの目に飛び込んできた――。あまりに大きすぎて一瞬それがなんだか分からなかった。すごく大きくて丸いものが2つ、その子の前に張り出していて、決して広くないエレベーターの空間の半分近くをまたたく間に占有してしまったのだ。何だ?と目を凝らし、それがその子の"胸の膨らみ"であることに気がついた時に驚愕は最高潮に達した。
思わずその子の顔をもう一度仰ぎ見る。大きく盛り上がった山のはるか向こう側で、妙に遠くに感じた。そんな巨大なバストの持ち主とはとても予想できないような、小ぶりな、まだ少女っぽさの残る顔がなんだか信じられなかった。とにかく胸だけで優に3人分ぐらいの空間を占有してしまっているのだ。仁志はその迫力に圧倒されてとっさに後じさって反対側の壁に背をつけた。その様子を見て申し訳なさそうに、女の子は少しでもスペースを作ろうと懸命に後ろに寄り、ぴったりと両肩を向こうの壁に押しつける。しかしそうすることにより一層胸をピンと張った状態となり、ただでさえ巨大なバストがさらに強調されてぐいっと持ち上がった。中身がおっぱいでぎゅうぎゅう詰めになっているブラウスが今にもはちきれんばかりにみちみちと悲鳴を上げているようだ。
そのあまりの重量感に思わず食い入るようにその胸を見つめてしまう。そんな仁志の視線に気づき、彼女はちょっとはずかしそうに目を逸らした。
「すいません…」そっと上目遣いにこちらに挨拶する女性――いや、そのういういしさは少女と言ってもよかった。そのはにかんだ顔を見て俺は、胸を見た驚きとは別の意味で驚いていた。
(かわいい…)
もうTVによく出てくる美人タレントなんかまるで問題にならない、と仁志は心底思った。
エレベーターが上昇を始める。ぐんとGがかかった時に、その子のバストが一瞬押さえつけられたように下を向きかけた。しかし次の瞬間、それに反発するかのようにぐぃっと上向きに跳ね上がる。
(うわっ)
仁志は顎にアッパーカットを喰らうのではないかととっさに体を堅くした。少女の顔はますます申し訳なさそうになり、さらに背中を壁に押しつける。
上昇はなおも続く。2人はお互い一言も口をきかない。仁志はなんとか場をつなごう、彼女と何らかのきっかけを持ちたいと必死だったが、しゃべろうにも何を言っていいか、脳みそが超高速で空回りするばかりで何も浮かばなかった。ええい、せっかく2人っきりのチャンスなのに…。時間の進みがやたらのろい。ただ、一方で仁志はこの瞬間が少しでも長く続けばいいと半ば真剣に考えていた。いっそのことこのままエレベーターの中に閉じ込められたら――。自分がこんな事を考えていることにふと気づいて仁志は苦笑した。ついさっきまで遅刻すると騒いでいたばかりだっていうのに。
しかしそんな都合のいい事は起こるはずもない。間もなくチンと短い音が室内に響き、エレベーターのドアが開いた。しかし仁志は少女の胸を見ることに夢中で気がつかない。
「あの、8階…」小さな声がその子の口から漏れる。仁志はようやく本来の目的を思い出した。それと同時に、じっと胸に見とれていたことが急に気恥ずかしくなってくる。
「あ、ごめん。ありがと」照れ隠しもあって、あわててドアから出ようとする。その時、二の腕のあたりにぼよんと何か大きくてやわらかいものが当たった。
「あ――」少女の顔にも驚きの表情が走る。そのあまりに大きすぎる胸がドアの大半を覆いかぶさるようになっていて、その先に腕が軽くぶつかってしまったのだ。さして強く触れた訳でもないのに、その巨大な胸がぼわんぼわんと大きく揺れる。「ごめんなさい――」少女はますます申し訳なさそうにその体を縮こまらせようとするのだが、その姿勢は胸の巨大さを却って強調するだけだった。仁志は思わず足を止めてそのままその様子をじっと見つめてしう。その揺れは目の前で急速に収まっていく。けど収まりきらないうちに仁志は閉まりかけたドアに体をしたたかぶつけてしまった。「あ、ごめん」また謝り、あわててエレベーターを降りた。
「な、なんだったんだ――あの子は…」
ドアが閉まった後も、仁志は会議も忘れてエレベーター前でじっと立ちすくんでいた。あれ、うちの制服だよな…。腕に感じたあの感触はなかなか消えてくれない。ほんの今しがたのことなのに、まるで夢のことのようでしばらく呆然としていた。遅刻のことなどすっかり頭から抜け落ちたまま…。
――一方ドアが閉まった後、エレベーターの中はその少女ひとりきりになった。「ふうっ…」長く息を吐いてようやく緊張を解くと、たちまちその顔は16歳の女子高生に戻る。
(ああ…またやっちゃうところだったよー)
視線をちょっと下に向けると自分の胸がどこまでも拡がってしまう。最近ますます暴力的なまでの激しさで成長し続けるバストをじっと見つめていた。近ごろはちょっと自分でも予測できないほど大きく突き出してしまって、ほんとよく気をつけないと、この胸でまわりの人をなぐりつけちゃいそうでちょっと怖いぐらいだ。
(大丈夫なのかなぁ、こんなで…)
さすがの久美子もこんな不慣れな環境の中ではいつもの自信は出ない。ひとりで考えるうちにどんどん不安になってきた。
(やっぱりタクの言う事なんか聞かなきゃよかった…)
しかし後悔している時間すらほとんどない。エレベーターが最上階に着く。チンという音とともに、久美子はまた表情を引き締めた。
(そう、気持ちを切り替えないと。このドアが開いたら、わたしは今日からしばらく、この会社の常務秘書になるんだからね)
自分に言い聞かせるように心の中でつぶやくと、気合を入れるようにぐぐっと胸を張った。その途端、ブラウスのボタンがぐーっと拡がってはじけそうになる。
「いけない! 一張羅が…」
あわてて肩の力を抜く。ボタンは間一髪無事だった。
――――――――――――
「へぇ、ここがタクの城かぁ」
それはほんの1週間前のこと、久美子は卓次が一人暮らしをしている部屋に初めて足を踏み入れていた。それも学校帰りの制服のままで。卓次は内心落ち着かなかった。こんな小ぎたない小さなアパートに、制服姿の女子高生が、しかもこんなとびっきりの超乳美少女がいきなり転がり込んできたのだ。なんかそこだけ光り輝いているみたいで、違和感すら覚えていた。
先に立つ卓次の後ろから、久美子はもの珍しそうにあたりを見回した。そんな目で見られると、なんかやばいものが見つかってしまうのではないかと妙に心配になってくる。
「ま、楽にしてくれよ、狭くてきたないけどな」
「ううん、思ったより片づいてるんでびっくりした」
(そりゃきのう、必死で掃除したからな)
見られて困るものはすべて排除したつもりだが――その代わり押し入れは絶対開けられない状態だった――そうあちこち見て回れると何か見落としがあるのではないかと気になってしまう。
「おいおい、何きょろきょろしてるんだ? 落ち着けよ」
「あ、ごめん。あの――男の人の部屋入るのって初めてだから…」
そう言いながらなおも興味深そうにあたりを窺っている。
「どっかそこら辺に座ってて」しかし久美子は聞いちゃいない。好奇心丸出しにあちらこちらに探りを入れている。卓次は気が気でなかった。それというのも久美子が動くたびに、胸の膨らみが盛大にぷるぷると動いて卓次の目を釘付けにしてしまうのだ。
(どう見ても――またでかくなってるよな…) 去年の秋、久美子の通う学校での盗難事件を解決した時と比べても、その胸はさらに見違えるほど大きくなっていた。本当に際限がないかのように――その破壊力はまさしく倍増していた。お世辞にも広いとは言えないその部屋は久美子ひとりが中に入っただけで、そのバストに多大な空間を占拠されて一気に狭くなったような気がした。そんな超特大バストが今もひっきりなしに動き回って部屋中を徘徊しているのだ。どうしても目がその胸を追ってしまう。
(今、この部屋に2人っきりなんだよな…)ふと卓次はそんなことを意識してしまい、思わず顔をよそに向けた。
「あ、ハンガー借りるね」
振り向くと、久美子はいつの間にかブレザーを脱いでブラウスひとつの姿になっていた。部屋に入って暑く感じたのだろう。確かにその日は2月下旬とは思えないほど暖かかったから無理もない。鴨居に無造作にかけられていたハンガーをひとつ手にとって、今まで着ていたブレザーを掛ける。脱いだブレザーの胸の部分が、中身がからっぽにも関わらず布が大量に余ってドーム型に大きく突き出しているのが分かる。始終引っぱられ続けるうちにすっかり胸の型にくせがついてしまっているらしかった。
「ま、適当に座っててくれよ」
じゃ、おじゃましまーす、と小さな声で言って、久美子はようやく、ちょっと足を崩し気味に腰を下ろした。膝上10センチはありそうなミニのプリーツスカートから、すらりと程よく発育した白い生足が伸びる。しかしその膝小僧すらほとんど隠れしてしまいそうなほど、バストが大きく盛り上がって上半身を占領していた。
視線をどうずらそうがそのバストがいやが応にも目に入ってしまう。純白のブラウスが、もうボタンが吹っ飛ばないのが不思議なぐらいぱんぱんに膨れあがっている。見ると、ボタンは普通使われるものよりかなり大きめで、太目の糸で幾重にも頑丈に結わえつけられているようだった。しかし生地自体がもう今にも引き千切れんばかりにめいっぱい引き攣れていて、その内側からは、圧力に負けて同じく白いブラジャーがそのラインの凹凸をくっきり浮かび上がらせている。あまりの大きさに、服の中身がどうなっているのか見当がつかない。見てみたいような――つい誘惑に駆られそうになった。
(やば――)
視線をそらそうと、久美子の顔をじっと見る。しかしこれがまた――別に化粧している訳でもないのに、黒目がちの大きな目に小ぶりな鼻や唇が絶妙に配置され、もう文句のつけようのないほどかわいらしい。子供の頃から知っているはずの顔なのに――その容貌は見るたびにハッとするような魅力がいや増しているような気がしてならなかった。
家に呼んだのはまずかったかな――。卓次はちょっと後悔していた。自分の家のはずなのに、どうにも気がそぞろになってしまう。仕事の話なんだから、本来ならば事務所でするのが筋のはずだった。しかし――なんだか同僚達に久美子を見せるのが気が引けたのだ。理由なんてない。ただ――なんだか恥ずかしいというかもったいないというか…要は会わせたくなかったのだ。
だから自分のアパートに呼んだ、それだけだ。なのに、普段自分がいる日常の空間の中に、久美子というとびっきりの存在が割り込んできたということに、卓次は異様な興奮を覚えていた。
(俺の部屋に――本当に久美子がいるよ…)
自分で呼んでおいてそれはないだろと心の中で突っ込みながらも、なんだか彼女のまわりだけ空間が輝いているように思えてしょうがなかった。
しかし卓次がそんなとまどいを感じていることなど久美子はまるでお構いなしだ。見慣れない部屋に好奇心を隠せないかのように、座ってもなお視線をあちこちに動かしている。
「ほら、いいかげん落ち着けよ…。今、お茶を淹れるから」
お茶っ葉の缶を出すと、久美子は「あ、わたしがやるよぉ」と無邪気にすぐそばに寄ってきた。
「いいから――」胸がぶつかりそうになってあわててよける。しかし久美子は気にしない様子でお茶っ葉を卓次の手から奪い取ると、卓次と2人分、手際よくお茶を淹れた。
「どうぞ」久美子は自分から湯飲みを卓次と自分の前に置き、また卓次の前で足を折って座った。やっと落ち着いたらしい。
ようやく話ができる、と卓次は向かい会って座ったが――そうなるとなったで、真正面に久美子の超特大バストがかざされて、却って落ち着かないことこの上ない。なんとか気をとり直そうと湯飲みに手を伸ばす。「あれ…」うまい。一口飲むと、すーっとのどの奥から豊かな香りが立ち上っていくようだった。さして高くもない茶葉のはずなのに――淹れ方ひとつでこんなにも違うものなのか…。
そっと卓次の顔をのぞきこむようにしていた久美子は、その表情の変化を読むと嬉しそうに訊いてきた。「おいしい?」
「あ…ああ。これ、どうやったんだ?」
「まあ、コツがあるのよ」やった、とばかりの笑顔だった。
「で、何? 話って…」
自分の湯飲みを両手に持ったまま膝の上に置くと、久美子はまっすぐこちらを見た。その目が期待に燃えている。もういい加減本題に入らないとまずいだろう、卓次は覚悟を決めた。
「去年の秋の事件、あれではお世話になった」久美子が嬉しそうに頷く。
「それで、この前の事を見込んで、久美子に頼みがあるんだ。ちょっとバイトしないか?」
「バイト?」久美子の目がさらに輝いた。あの時だって助手になりたいと自分から言い出したくらいだ。何か期待するものがあるのだろう。けどこれを聞けば驚くだろうな、と卓次はほくそ笑んだ。
「来月から、久美子に、ある会社の秘書になってほしいんだ」
久美子は目を丸くした。それぐらい、卓次の申し出は唐突だった。
「折原物産って知ってるか?」
「ええ、中堅どころの総合商社ね。まだ歴史は浅いけど、近ごろ急速に業績を伸ばしているわ。昨年度の総売上高は確か――」
すらすらとなめらかに口が動く。やばい、このままじゃこっちの立つ瀬がないと遮った。
「知ってるなら話は早い。そこにしばらく、秘書として潜りこんでほしいんだ」
さすがに久美子もそれには驚いていた。
「そんな――学校だってあんのに」
「来月あたまから一週間、試験休みだろ。それほど長期じゃない。その間だけでもお願いしたいんだ」
まあ聞けよ、と卓次は座りなおすと依頼内容を説明し始めた。――折原物産では、近ごろ内部機密が密かに漏洩しているらしい。極秘裏に進めていた取引先との情報がライヴァル社に事前に漏れてしまい、それで取引がご破算になるケースがここ半年ほど頻出しているというのだ。そのため今期の業績は悪化、このままでは前年度を大きく下回るのは避けられない状況だった。
「そこで」卓次は久美子を改めて見やった。「久美子に秘書をしながら、機密漏洩のからくりを調査してもらいたいんだ」
「だ、だったらタクが自分で潜入すればいいじゃない」
「いや、俺だってできればそうしたいさ。けど、男じゃ正社員しか入れないんだ。出入り業者としても社内に入れないこともないが時間が限定されてしまうし…。どうしても日常的に社内に常駐して調べる必要があるんだ」
「と、いうことは――潜入捜査ってことなの?」
「そうだ。なにかいい手はないかと探るうちに女性なら方法がないこともないことが分かってきた。――やはりこの不景気の折、女性社員は正社員を極力減らして、一部業務を外部委託させるようにし始めているんだ」
「アウトソーシングってやつね」
「そう。で、現在秘書業務も半分を派遣社員でまかなっている。ちょうどそこに今度ひとり募集が出るんでね――」
「それを――わたしに?」
「ああ、派遣された秘書として社の中枢にもぐりこんでほしいんだ」
久美子はとまどっていた。確かに以前、学校での盗難事件に関わった時に、助手として使ってほしいと自分から言い出したことがあった。そういう意味では願ってもない話だ。しかし、いきなり総合商社の秘書になれだなんて――。
「ちょ、ちょっと…。わたし、秘書なんて――やったことない…」
「いや、久美子ならできる。こちらとしても人手が足りないし、使える女性というと――久美子しか思い当たらないんだ」
卓次はここぞとばかりに頭を下げた。
「とにかくたのむ。久美子しかいないんだ――!」
そんなぁ――と思いつつ、久美子は自分の心にむくむくと好奇心が湧きあがってくるのを感じていた。秘書かぁ…。ちょっとあこがれちゃう。少しぐらいやってみてもいいかな…。
――――――――――――
「それでは本日から鈴木凛太郎常務の秘書をやってもらう堀江久美子くんだ」
朝礼時に秘書課の人員が全員揃ったところで久美子は皆に紹介された。課長以外は全員女性。一目久美子を見た途端、皆の目に衝撃が走っていた。
(なにあの胸…)
(本物ぉ?)
(大きすぎるよ…)
それぞれの目がそう語っているようだった。確かに今まで学校でもそういう目を感じることはあった。しかしこの時の視線は――比べ物にならないほど鋭く、あからさまだった。学校とはかなり雰囲気が違う。
(これが…会社ってところなのかな)
もちろん社会人の経験など皆無の久美子は、そのいつもと違う空気に少なからず圧倒されそうだった。少しでも気を抜くと自分を見失ってしまいそうで、知らず知らず足元に力を入れて踏ん張っていた。
常務の出社は10時からということで、久美子はまずは秘書課長から簡単なオリエンテーションを受けていた。社の就業規則やマナー等簡単なもので、30分ほどで終わってしまう。常務はまだ来ない。ちょっと手持ち無沙汰にあてがわれた机に座っていると、後ろから不意に手が伸びてきた。
「堀江さ〜ん、肩こってるでしょ」
いきなり背中からぐわっとばかりに両肩をつかまれてびくっとした。見ると先ほど挨拶した直後に顔を見せていた営業部の男性がすぐ後ろに立っていた。そのまま力任せにもみしだこうとする。けっこう痛い。
「だ、大丈夫です。こってませんから」
「え〜っ、そんなことないでしょう、そんな胸してて」
「いたたっ。け、けっこうです――」
「あれ、ほんとだ。変だなぁ。やわらかい」
「ええ、わたし、こらない体質なんです」
「でも、いいでしょ」なおも肩から手を離さず、むしろ一層力をこめて肩をがしかしとゆすりまくる。その動きに合わせて机の上で久美子の胸が揺さぶられて、どゆんどゆんと暴れ始めた。男はその動きを見るうちみるみる目の色が変わっていき、腕にもさらに力が込められていった。
(なに…これどういうことなの、いきなり)
「ちょっと、なにセクハラしてんのよ。うちの新人からかわないでくれる?」
いきなり横からきつい声が飛ぶ。男はあわてて手を久美子から離した。
「なんだあゆみちゃん、そんな怖い顔しないでよ。俺はただ挨拶を…」
しかしその女性がきっとにらむと、そそくさと逃げてしまった。
「まったく、しょうがない奴…」
男をあきれたように眺めながら、久美子に近づいてきた。久美子もその顔を仰ぎ見る。見たところまだ20代前半だろうに、実にしっかりとした感じだった。すらりとスリムな体つきに自信がみなぎっている。
「あの…」さっき挨拶した時にいた顔だ、とは分かったが名前をまだ聞いてない。どう言っていいかとまどっているうちに相手はにっこりと笑った。
「自己紹介がまだだったわね。わたしは椎野あゆみ。山崎専務づきの秘書をしてるの。よろしくね」
「あ…。堀江です。よろしくお願いします」久美子はあわてて頭を下げた。
「専務はきのうから出張でね。わたしは今日こっちで待機なの。ひまって訳じゃないけど少しは時間があるから、いろいろ教えてあげるわ。あの藤野ってやつはさぁ、仕事は出来るけど、すぐセクハラするから注意したほうがいいよ」
(あれってセクハラだったのか…)
久美子は改めて思い当たった。その直接的なまでの接触にただとまどっていたけども、確かに…。気をつけなきゃ。
「でも…まず机の上を片づけた方がいいかもね」
え?と見ると、先ほどのセクハラ攻撃の時に机の上をおっぱいが思いっきり暴れまくって、その上のものがもののみごとにあらかた薙ぎ払われていた。
(やだ…)
あゆみも手伝って机の上を元に戻している間に、いつしか10時近くになっていた。
「そろそろ鈴木常務が来るんじゃない?」
「あ、それじゃあ先に行ってます」
久美子があわてて立ち上がって足を前に踏み出すと、ちょうどそばを通りかかろうとした女性にその胸が当たりそうになった。
「あ…ごめんなさい」
間一髪よけると、そのベテランらしき秘書はちらりと久美子を見て、鼻であしらった。
「気をつけなさいよ。ふん、そのばかでっかいおっぱいで面接官かどわかしたって訳?」
「な…!」久美子は咄嗟のことで言葉が出てこない。顔に血が昇って赤くなっていった。
「ふん、まだお子様ね。まるで高校生みたい」
(なによ――ほんとに高校生なんだから仕方ないじゃない)久美子は思わず叫びたくなるのをぐっとこらえた。
(やっぱり…わたしには無理だよう)久美子は内心再び弱気の虫が騒ぎ出していた。
――――――――――――
「なによ、この24歳って…」
久美子は、目の前に出された履歴書を一目見て思わず叫んだ。会社への提出用として卓次が作成したもので、経歴をあちこちいじくってあったが、なによりもまず目を惹いたのが年齢だった。
「だってまさか16歳の現役女子高生だって書く訳いかないだろ。それなりにキャリアをつけ加えたいしさ」
「それにしたって…いきなり年齢五割増しなんて――無理だよ」
五割増し――久美子のいつになくあわてた表情を見て、卓次は彼女がまだ16歳にすぎないことを改めて思い出していた。秘書として通用する、最低限のキャリアを想定して24歳としたつもりだったけど、そうか、16歳の久美子にとっては8歳という年は今まで生きてきた年数の半分を指しているのだと改めて気がついた。
「無理、ぜったい無理」
久美子は自分の顔がどちらかというと幼く見られがちなのを知っていた。まして8つもサバを読むだなんて…。
「大丈夫。そんなでっかい胸した女子高生がいるだなんて想像もしないから」
「なんですってぇ」
そんな架空の履歴書ではたしてうまくいくんだろうか――密かに危惧してたのに、案に反して、たった1回の面接だけであっさり採用が決まってしまった。
「ほらな、正社員となると身元確認とかけっこう厳しいんだけどさ、派遣だとわりかし抜け穴はあるもんさ」自信満々に卓次は言う。久美子はそんな様子をちょっとたのもしく思った。
「どう、変じゃない?」
そして迎えた初出社前夜、久美子は卓次の部屋で送られてきた制服を試着してみた。もちろん既成のサイズが久美子に入る訳なく、無理言って急遽特注で作ってもらったので、届いたのは本当に直前になった。まあここまで来るにはいろいろあったが――。バストサイズ326センチなんて申請したら、そりゃ何かの間違いだと普通誰だって思うだろう、何度も「本当にいいのか?」と訊き返された上、結局1度採寸に行ってやっと納得してもらえたのだ。それでもちゃんと注文した通りのサイズで作られたのか不安があったから、確かめたくて、服が着いたそうそう久美子は着替えてみた。
ぐいっと思いっきり胸を張ってみる。久美子の顔にちょっと不安そうな表情が走った。
「サイズは大丈夫? きつくない?」
「うん――。とりあえず大丈夫そう」
そう言いつつ、小刻みに体のあちこちをゆさぶってみる。超特大サイズのブラウスはそれでも胸のあたりが中身がみっちり詰まってぱっつんぱっつんで、ただでさえ大きな胸をさらに巨大に見せているようだった。しかしそれ以上に久美子は腰のあたりを気にしていた。初めて着るタイトスカートに膝上まで足を包まれてなんとも動きづらそうだし、何より胸ほどでないにしろよく発育した腰のラインをあるがままにむっちりと描き出されているのだ。
「お尻はきついんだけどウエストはゆるゆるだし…。なにより歩きにくそう。大丈夫かな」
「ま、いいんじゃないか。うん、高校生には見えないよ」
卓次はできるだけさりげなくそう言ったが、その実ほとんど久美子を正視できなかった。まともに見たら――自分を制する自信がなかったのだ。そこにいるのは高校の制服に無理矢理その体を押し込んだ久美子ではない。急激に大人の成熟しきった体に変貌しつつあるボディラインをあからさままでに表出したひとりの女だった。
(俺はこいつにとんでもない事をさせようとしてるんじゃないか…)
今になって、そんな後悔ともつかぬ思いが頭をよぎる。しかしもう後戻りはできない。卓次はなんとなく自分の気持ちが分かっていた。自分は久美子をなるべく外に出したくないのだ。昔っから知ってる俺だって静観できない、こんな魅力的な女の子を社会に出したら、変な男どもがたちまち寄ってくるのではないか――それが心配でしょうがないのだ。こんな事を久美子に言えば思いっきり機嫌を悪くするのは分かってるので到底口にはできなかったが。
「ねえ、タク、どう?――もう…ちゃんと見てよ」
無邪気に無理矢理こっちを向かせる久美子。仕方ないので卓次はその顔をじっと見た。
「な、なによ…」
おかしなもんでじっと見つめると今度は久美子の方がとまどっていた。
「いや、なんでもない」
俺ももう覚悟を決めなければ、と卓次はこっそり心の中でつぶやいた。俺にできることは久美子を後ろからサポートするだけだからな、とひとつ大きく息をすると、久美子にひとつの箱をさし出した。
「何これ?」
「まがりなりにも社会に出るんだしね、ま、プレゼントさ」
「えー! タクが?」
「何そんなに驚いてんだよ」
「だって――そんなの初めてじゃない?」
そう言いながらも、なんだろ、と嬉しそうに箱を開く。――すると中から落ち着いた色のパンプスが出てきた。
「これは…」
「おまえ、いつもヒールのない靴ばっかりじゃん。秘書になりすますんだ、スニーカーって訳にもいかないだろう。社会に出るんなら、こういうののひとつも必要だぞ」
「へえ…」久美子はさりげなく言ったが、なんとも嬉しそうな笑みが湧き上がっていった。「ありがと」
新品だから構わないよね、と久美子はさっそく履いてみようとそれを畳の上に置いた。その様子を見て卓次は、久美子がその胸に視界をさえぎられて、まったく足許が見えてないことに気がついた。うす汚れた畳の上に並べられた靴をちょっと離れた所から見てその位置を憶え、ほとんどカンだけで足を差し込んでいく。しかしその動きに気をつけてなければ見えてないだなんておそらく誰も気づかないだろう。慣れたものだ。
トントン、と軽くつま先を打ちつけてなじませると、「へぇ…」と感触を確かめるように室内を軽く歩き始めた。しかし2〜3歩歩いたところでいきなり思いっきりバランスを崩し、つんのめって前に倒れこんだ。
「危ないっ!!」
卓次が支える間もなく久美子は前のめりに思いっきり転んだ。
ぼゆん。
え?
胸が一瞬体と床の間でつぶれ、バウンドして跳ね返ったように見えた。そのまま体が反対側にひっくり返って、勢いづいて久美子はそのまましりもちをついた。
「いったーい」
両手をいっぱいに伸ばして胸をなんとか抱えこもうとする。どうやら一番打ちつけたのは腰ではなく――思いっきり押しつぶされそうになった胸のようだった。
「大丈夫か?」
「うん平気。ちょっと油断しちゃった…」
痛みをこらえるように両手で抱え上げるように胸をさすりながらそのまま立ち上がろうとする。ちょっとふらつきながらまた1、2歩足を前に出すと、また大きくよろめいた。
「おいどうした?」
なんとか片手を机について体を支える久美子に、卓次は聞いた。
「何、これ…バランスがとれない」手で身体を支えながら三たび立ち上がる。今度はふらつきながらどうやら立ち上がれた。
「ヒールのせいかな――重心がどうしても前にいっちゃうの」
「どういうこと?」
「わたし――」ちょっと恥ずかしそうにもじもじした。「前傾姿勢、苦手なの。その…この胸の重みがまともにかかっちゃって、すぐつんのめりそうになっちゃう…」
「そんな違うか? ヒール低めのやつにしたんだけど…」
「スニーカーなら全然平気なんだけどな…。慣れてないだけだと思うけど…」
(大丈夫かな…) 卓次は初めて不安になった。
「でも、久美子がどうしていつも姿勢よくしてるのか分かったな」
「うん。これ。必要だから自然にこうなっちゃうの。イメージとしては胸の上におっぱいを乗っけてる感じかな。ちょっとでも前にかがむとつんのめっちゃうんだもん。それに――」
「ん? まだ何か」
「こんな大きなもの抱え込んでるから、背中丸めるとつぶれて苦しくて、どうしても背を伸ばさざるを得なくなっちゃうのよ」久美子はちょっと俯いて苦笑いした。
翌朝早く、2人は一旦卓次の家に集まり、出勤前の最後の打ち合わせをしていた。卓次が不安そうに訊く。
「大丈夫か? 靴」
「え? へーきへーき。最初はとまどったけどさ。すぐ慣れちゃった。もうぜんぜん大丈夫よ」
自信たっぷりに胸を張って歩いてみせる。たしかに昨晩とは雲泥の差だ。体を安定させてしっかり一歩一歩踏みしめていく。
「ならいいんだけど…」
と、言った途端にちょっとよろけた。転ぶほどではなかったが、久美子はへへっと笑った。
(ほんとに大丈夫かな…)卓次に再びかすかな不安が走った。
――――――――――――
折原物産では、常務以上になると専用の重役室が与えられている。専任の秘書も就く。久美子が軽く常務の部屋を整えていると、いきなりドアが開いた。
「おはようございます」
「や、堀江くん、今日からよろしくたのむよ」そこにはまだ40代半ばの精力的な男性が立っていた。この度、最年少で取締役に昇進したばかりの鈴木常務だった。
常務と会うのはこれが2度目になる。
この会社を初めて訪れた面接の席で、緊張している久美子の前に面接官のひとりとして常務は出席していた。自分の秘書となるかもしれない人を実際に自分の目で見てみたかったのだろう。そしてまるでなめるような視線で久美子の体をじろじろと見つめまわした。
「ほう、堀江久美子君。24歳か…。若く見えるね」
「ええ、まあ――よく言われます」だってほんとは16だもん、といいたいのをぐっとこらえる。
「これを見る限りだと、あなたは大変優秀な人らしい。よろしい。とりあえず1週間あなたと契約しましょう。その間は研修期間と思っておいてくれていい。その1週間の働き振りを見て、あなたを正式に秘書として雇うかどうか決めたいと思う。それでよろしいか?」
面接は意外なほどあっけなく終わった。まず専門的な事を訊かれてからその後生活環境のことをいくつか尋ねられたと思ったら、いきなり常務自らこう即決したのだ。その間ものの15分ほどだろうか。これでいいの?と久美子も拍子抜けしてしまった。
そして今日いよいよ久美子の仕事が始まる。表向きは彼の秘書としての業務をきちんとこなし、その合間に調査を進めなければならないのだ。秘書としても探偵としても初心者の久美子には荷の勝ちすぎる仕事だったが、その強い意志を感じる鈴木常務と相対していると、不思議と「やらなきゃ」という気持ちが湧いてくるのを感じた。
「それでは常務、さっそくですが今日のスケジュールを…」
気がつくと午前中の時間はあっという間に過ぎ去っていた。常務が外出してひと息ついた頃には正午をとっくにまわっている。やれやれと廊下に出た所で声をかけられた。
「堀江さん、今日、お昼は?」
見ると、今朝会った椎野あゆみが立っている。久美子を見るとにこやかに笑った。
「あ、お弁当持ってきましたから」
「そう、じゃ、一緒に食べましょ」
あゆみはフロア奥にある会議室に久美子を案内した。ドアの中はがらんとしている。
「ここ、たいがい使ってないから、いっつもここでお昼にしてんの」
そう言うとかわいらしい弁当箱を机に置いて座った。久美子もそれに習う。けど久美子が鞄から二段重ねの特大弁当箱を出すのを見てあゆみは目を白黒させていた。久美子だって必死なのだ。だって会社ではさすがに早弁という訳にはいかないし、本当に朝食後今まで何も食べてないのだ。こんなのいつ以来だろう。おなかが鳴らないかどうか気になって必死だった。
「す、すごいわね…。これ、全部食べるの?」
「ええ」事もなげに答えた久美子にまたあきれた。いただきますもそこそこに、久美子は弁当箱を抱え上げたまますごい勢いで箸を動かし始めた。あれだけあった中身が吸い込まれるように口の中に消えていく。箸の動きに合わせて胸がぷるぷるかすかに揺れていた。あゆみには、なんだか食べたものがどんどん胸に吸収されていくかのようにすら見えた。
あゆみはその食べっぷりに爽快さすら覚えて、思わず自分の箸が止まってしまった。
「さっきのは――気にしないでいいわよ」食べ終えた後、お茶を飲みながらあゆみが話しかけた。
「あの局はさぁ、いっつも派遣にきつくあたるから。ほら、あなたが来たことで、秘書課も生え抜きと派遣との比率が逆転しちゃったのよ。だからあっちもなにかとあせりがあるんだと思うわ」
「そうなんだぁ…」
久美子も、興味深そうに頷く。学校、それも進学校という、試験の点さえ取ればいいような社会にいる久美子には、このような世界は新鮮だった。
「で、どう? 鈴木常務の印象は」
「え?」
「すっごいやり手でしょう。あの年で取締役なんて。とにかく実力ひとつでまたたく間にのし上がってきたって人よ。重役の中でひとりダントツで若いんだもん。わたしもあんなおじいちゃんじゃなくて鈴木常務みたいな人に就きたいよ」あゆみはちょっと頬笑んだ。「あ、これ内緒ね」
久美子は常務の顔を思い浮かべた。自分の本当の年からすれば若いといっても父親ぐらいの開きで、あんまりそういう目では見てなかったが――たしかに見るからに精力的で切れる男、という感じがした。
(ま、タクとはえらい違いだな)
「でもさ堀江さん、あなたすごいもてるんでしょ」あゆみはいきなり話題を変えてきた。
「そんな。わたしなんか全然もてないよ。恥ずかしながら彼氏いない暦16年だし…」
「16年? なんか中途半端ね」
しまった、と久美子は口を塞いだ。自分が今24歳ということになってるということがすっぽり頭から抜け落ちていたのだ。
「え、あの、8歳の時、近所の子ですごい仲良かった男の子がいて…今までボーイフレンドと言えるようなのがその子しかいないものだから――さすがに1人もいないって言うのも恥ずかしくて」
「それ、却って変だからやめた方がいいよ」
「そうかな」久美子の受け答えはどこかそっけない。内心冷や汗でそれどころではなかった。(あせったぁ。それにしても8歳の時って…あ、そういえば初めてタクに会ったのって8つの時だったっけ。あの頃タクはもう高校生で――すごく大きく見えたっけな)
「ん? なにニヤニヤしてるの? あ、でも好きな人はいるな」
あゆみはいきなりとんでもない事を言い出す。
「え、そんなことないよ」
「いーや、絶対そう。わたし、こういうの当てるのけっこう得意なんだ。どんな人? 白状しちゃいなさいよ」
(そんなぁ…。タクのこと思い出してただけなのに――って、それじゃまるでタクのこと…。まっさかぁ、ありえないよ)
なにやら自分の世界に入り込んでしまった久美子を、あゆみは興味深そうに観察していた。
(どうやらホントっぽいわね。けど、それじゃこの子まだヴァージ…。でも、言われてみればなんかそれっぽいかな――。それにしても意外だな。これほどずば抜けてると却って手を出しづらいのかもね)
そう思いながら改めてその顔をしげしげと見つめていた。
(でも…この子、肌きれいよね)
自分もけっこう肌には自信あったけど、久美子の肌ときたら、自分の比ではなかった。
「ねぇ、堀江さん」
「え?」
「あなた――年、ごまかしてるでしょ」
久美子の心臓の鼓動がいきなり速まった。「え、なんで? してませんよ、そんなこと」
「だって、さっきの局の言葉じゃないけど――まるで10代みたい、その肌。ほんと子供みたいにきめ細かくてすべすべしてて。うらやましい」
「あ、ありがとうございます」
「ねぇ、あなた、お化粧って、してる?」
「え…いいえ」おずおずと訊いてみた。「やっぱり、しないとまずいんでしょうか?」
「ううん。今までぜんぜん気にならなかったぐらいだから」女の目から見ても、これ以上なにか付け加えることがあるだろうか、というぐらい文句のつけようがなかった。本当に魅力的な顔にはメイクなんか不要と言わんばかりだ。「それに、なんかあなたの場合、その方がいいみたい。自然のまんまって感じで」
「よかった」久美子はちょっとほっとしたようにつぶやいた。
「何?」
「なんていうか――あんまり向いてないみたいなんです、お化粧って。めんどくさい、とまでは言わないけど…」ちょっと間をおいた。「なんか顔作るのって自分をごまかしてるみたいで…」
そんなストレートな言葉もいやみに聞こえない。少女らしい潔癖めいた感じがあった。
「でもさ」あゆみはそこで一旦口を切った。そしてさっきから訊きたくててうずうずしてたことを、ひと息ついてやっと口にした。「堀江さん、すごいおっぱいよね。いったいブラのサイズ、いくつなの?」
久美子は、あ、来た、と思った。正直目立ちすぎるからここではあんまり触れてほしくない話題だった。だからなんとかやりすごせるよう、答えは考えてあった。
「え、あ――知らない」
「知らないって…」
「だって、特注だから、特に決められたサイズってないんです」
「それにしたって…」
久美子は、今だ納得いかない顔をしているあゆみに構わず立ち上がると、空になった弁当箱をしまい始めた。
「もうそろそろ戻りませんか? 1時過ぎちゃってますけど」
まわりの人たちが久美子のすごさを本当に実感したのはその後だった。お昼を食べてエネルギー充填したかのように午後の仕事を、持ち前の記憶力のよさと手際のよさをフル回転させて、初日ながら新人らしからぬ能率で仕事をこなしていった。
(なるべく要領よくやらないと――調査する時間が作れないものね)
久美子は久美子なりの目論見で作業を進めていく。しかしまわりの人はそんなことを知る由もない。「すごい――」久美子にちょっかいを入れた局も、その働きぶりには驚くのを通り越して半ばあきれたようにつぶやいた。
(タク、まだかな…)
何度目だろう、気がつくと卓次の顔を捜している自分に気づいて苦笑した。夕方前には今日の仕事を一通り片付けて、ちょっと手持ち無沙汰になって誰もいない常務の部屋でひとり休憩していると、頭が勝手に動き回り始める。
慣れない環境、知り合いのひとりもいない場所…それが引きがねになったのだろう、無性に卓次に会いたかった。
(今日、なんとか顔を出すって言ってたのに…)
卓次の方は、新任の取引業者の担当営業として出入りする手はずになっていた。けどもう陽も傾きかけている。常務の予定は昼に客先に行ったきり、このまま接待に繰り出すので直帰すると先ほど連絡があった。
こんなことを考えてもしかたない。久美子は常務の部屋を一通り見回した。初日は業務に慣れること最優先という事で、調査までは手を伸ばさない予定だった。しかし一日の間業務をこなし、それなりに場の雰囲気に慣れてくると、持ち前の好奇心がむずむずし始めていた。
(ちょうど部屋には誰もいないんだし、期間も限られている。やって悪い事はないよね)
久美子は手始めに置かれていたパソコンの電源を入れると、つながっているサーバーにひとつひとつアクセスし始めた。一通りの運用手順は聞いていたが、手始めにその内容を確認し、さらにどこかに隠しファイルがないかを探っていく。
しかし調べ始めてすぐ、いきなり部屋のインターフォンが鳴った。
久美子はあわててパソコンをパワーダウンする。「はい。鈴木常務の部屋です」
「常務はいらっしゃいますでしょうか。至急お渡ししたいものが――」
「常務は外出中で、今日はそのまま直帰の予定になっておりますが」
スピーカーの向こうから、あちゃーっ、と嘆く声が聞こえてきた。
「えと…。至急連絡を取りたいんですが、できませんか?」
「緊急ですか?」
「ええ、今日中に…」
「ちょっとお待ちください」
仕方ない、久美子はドアを開けた。そこには若い男がひとり立っていた。
「あれ、君は…」久美子の顔を見た途端、その男が言葉をそう漏らした。久美子も相手の顔を見る。そう――今朝、エレベーターに駆け込んだあの男性だった。
「あ、今朝は…」
知り合いのひとりもいない場で少しさみしかったから、なんだかそんなのでも妙にほっとした。
「あ、僕――いや、わたし、営業2課の霧原仁志と言います。よろしく」
「本日から秘書課に配属されました、堀江と申します。よろしくお願いします」久美子は会釈をしながら相手を窺がった。
「じゃあ、あなたが鈴木常務の?」
「はい。で、ご用件は…」
「あ、これなんだけども」相手は脇に抱えていた分厚い角型2号封筒を差し出した。「これを今日夜の会合までに渡さなければいけないんだけど――」
久美子は封筒を受け取った。ずっしりと重い。「内容は?」
「あ、それはちょっと――。ただ、『北原の件』と言えば通じると…」
「ああ」久美子には思い当たる事があった。「それでしたら、常務から承っています。それについては明日の朝でよくなったと…」
「なんだぁ…」仁志は拍子抜けしたようだった。
「ですから、明日朝、改めて持ってきていただけませんでしょうか?」
「いや、明日は俺、客先直行しなきゃならないんだよね…。ねぇ、堀江さん――だっけ、明日までこれ、預かっててくれない?」
「え、わたしが…?」一瞬、そうしていいものかどうかとまどった。が、特に問題はないだろう。久美子は封筒をそのまま胸に抱きかかえた。自分の腕に押されて、そこだけ胸がむっちりと変形する。
「わかりました。確かにお預かりいたします。営業2課の霧原仁志さんから、でしたね」
仁志はいきなりフルネームで呼ばれたのでちょっと驚いた。「あ、もう憶えてくれたんだ」
「はい。記憶力はいい方なもんで」
久美子は「それでは」とドアを閉めようとする。しかし仁志はまだその場に立ち竦んだままだった。
「まだ何か?」久美子が訊きかえすと
「あ、あの…堀江さん――。その…よかったら…」
「はい?」
しかし相手はそのまま落ち着かないように口を動かすが、なんの言葉も出てこない。
「あ、いや。なんでもないです。それじゃあ、封筒、お願いします!」
やっとそれだけ言うといたたまれないように立ち去っていった。
「?」久美子は訳が分からずそのまま早足で遠ざかる霧原の後姿を眺めていた。
霧原の姿が完全に見えなくなって久美子がドアを閉めようとした時、不意に反対側から声がかかった。「やあ、もうすっかり板についた秘書ぶりだな」
「タク!」その声を聞いた途端、久美子は体が反射的にそちらへ向かっていった。胸が衝突しそうになって卓次はあわてて腰を引く。
「なんか熱烈歓迎だな。そんなに心細かったかい?」
久美子はとっさに自分がとった行動が急に恥ずかしくなって妙に気取ってみせた。
「え、別に…これぐらいなんてことないわ」
そっと卓次を部屋に迎え入れてドアを閉める。2人きりになった途端、久美子は思いっきり深いため息をついた。
「どうした? いつになく疲れた感じだね」
「あーっ、疲れたよぉ。別に体は大丈夫なんだけども、気疲れってやつ? なんかちょっともう動きたくないって感じ」ほっとしたのか、急に疲れがこみあげてきたようだった。久美子がこんな風にバテた様子を見せるのは珍しい。
「なんかさぁ、会社ってとこはいろいろ大変だなー、って改めて思い知らされたなー」
「なにかあったのか?」
「とりたてて事件って訳じゃないんだけど、底のほうでいろいろ思惑がからみあってみたいで――あ、でも仕事はちゃんとしたよ。
その場で久美子から1日めの報告を受けた卓次は、正直感嘆していた。
「どう? 見直した?」
「ああ、予想外だよ。これなら立派に依頼を遂行できそうじゃないか」
それを聞いて久美子はちょっと得意げに胸をはってみせた。しかしその時、ちょっと踏み出したヒールが空を切った。
「あ…」
バランスを崩すと一気に重心が前にくる。2〜3歩つっかかって胸が卓次の目の前まできた所でとうとうこらえきれず前のめりに倒れこんだ。
卓次の眼前に久美子の超乳がいっぱいに拡がる――と思う間もなく、すさまじい質量が顔にかぶさってそのまま押し倒した。真っ暗だ。厖大な量の乳肉に顔が隙間なく埋まって息ができない。
「あ、ご、ごめん――。タク、大丈夫…?」
久美子はあわてて体を起こすと卓次を気遣った。しかし卓次はなかなか起き上がれない。胸に埋まった時、鼻腔の中いっぱいになんだかいい匂いが拡がったようでちょっとぼーっとなっている。
(うーん、大丈夫かなぁ、この調子で)
久美子は、なんだか自分で心配になってきた。