頼りたい背中

ジグラット(物語)・あんきもザウルス(AIイラスト) 作
Copyright 2023 by Jiguratto (story)
Copyright 2023 by Ankimosaurus (AI picture)

 最初に足を踏み入れた時、あまりに静かすぎて少し不安になった。
(ここで…いいんだよな) 倉本さんから渡された案内状を見直す。場所は間違いなさそうだ。決して広くはない、こじんまりとした海岸だが、両側が小高い丘で囲われて外から遮断されたようになっていて、どこか他とは隔絶された空間と言った趣きがあった。湘南にこんな所が残されてたなんて驚きだ。さんさんと容赦ない陽射しが降り注ぐ好天にもかかわらずまったく人気が感じられないというのもなんとも言えず格別感がある。
(いったい…どこに) 倉本さんが先に来ているはずだ。改めてぐるりと見回すと、少し離れた砂浜に背中を上にして横たわっている人影が見える。あれか?と1歩踏み出すと、向こうもこちらに気づいたらしい、いきなり腕を立てて勢いよく起き上がった。
 (え!?) 思わず目を疑う。腕を伸ばした途端、砂の中から、なにか巨大なものが引き釣り出てきたのだ。(イリュージョン…) とっさにそんな言葉が頭をよぎる。そのままこちらを振り向くとにこやかに立ち上がった。
「冴木くん!」
 間違えようがない。倉本さんは手を振りながらこっちに走り出した。足を踏み出す度に競泳水着に包まれた2つのふくらみが中でダイナミックにぶつかり合い、たっぷんたっぷん激しくバウンドする。しかし本人はそんなことお構いなしとばかりに一直線にこちらに向かってくる。そのまま僕のそばまでたどり着くと、立ち止まって嬉しそうに大きく両手を広げた。
「今日は、わたしのプライヴェートビーチに、ようこそ!」勢い勇んでそう言い放つと、「なんてね」とちょっと顔をかしげて恥ずかしそうに笑った。
 思わず息を呑む。お互いの体の間にはまだそれなりの距離があるのに、胸の先はもう今にもぶつからんばかりに近接しているのだ。しかも走ってきた胸の勢いはまだ収まりきらず、目の前で今も元気に跳ね回っている。それにこの水着――倉本さんの巨大な胸をとにかくすべて押し込めようとしていることは分かる。けどその結果――まるで中身を詰め込みすぎた風船みたいにみちみち音を立てんばかりに張りつめて、どこもかしこもぴっちり隙間なく貼り付いている。だから、その…胸のラインがこれ以上ないほど浮き彫りになってしまっているのだ。
 おっぱいが、真空パックされてる!。
 胸を凝視したまま何も言葉が出ない。けど今日の倉本さんはテンション高い。いつもの物静かな様子はどこへやら、いきなり僕の手首をつかむと「こっちこっち」と波打ち際に引っ張り出した。
 ちょ、ちょっと…。こっちは着いたばかりでまだ着替えてもいない…けどそんなことお構いなしにぐいぐい引っ張られ、足を取られないよう注意して砂浜を走り続けるのが精一杯だった。
 海岸線がぐんぐん接近してくる。あともう少しで海、という所でいきなり右足が空を踏む。(え…)まるでクレヴァスに落ち込んだように体のバランスが崩れた。「きゃっ!」腕をつかんで繋がっていた倉本さんも、いきなり引き釣り込まれるようにこちらに倒れかかってくる。
 意外なほど深い。その穴に僕が、続いて倉本さんが倒れ込む。その――倉本さんの体が否応なしに僕に覆い被さってきた。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」すぐさま倉本さんが体勢を立て直す。ほんの一瞬だったけど、顔から体からその大きな胸の感触に包み込まれ、あちこち体中に芳香がただよった。幸い砂がクッションになってくれてどこも痛めた感じはない。僕も立ち上がろうとしたら、目の前に巨大な胸が迫ってきて、あともうちょっとでぶつかってしまいそうだ。
「大丈夫。けどなんでこんな所に穴が…」
「あ…」倉本さんが何かに気づいたように小さな声を上げた。改めて見ると、砂浜に、腰まですっぽり埋まりそうな大きな穴が2つ並んでいる。そういえばこの辺り、さっき倉本さんが寝っ転がってた所じゃ…。「あ…」僕も気がついた。先ほどのイリュージョンの正体は…。
「すいません…。これ、わたしです」倉本さんがいたずらが見つかった子供のように恥ずかしげに目を逸らす。「すごい久しぶりに、うつ伏せになれたものですから、なんだか嬉しくて…」
 そう、ここにさっきまで、倉本さんの胸がすっぽり埋まっていたのだ。確かにこの胸じゃ、うつ伏せなんて絶対できそうにない。でも砂浜ならば、こうすれば、倉本さんでも――。でもこの穴の深さに、改めてその大きさを実感していた。
「ちょっと、歩友美ちゃん待ってよぉ」後ろからもうひとり水着姿の女の子が駆け寄ってくる。倉本さんより小柄で、こちらはかわいらしいワンピースタイプだった。息が荒い。「いきなり駆け出すんだもん、追いつけないじゃない」そしてこちらを見て言う。
「やっときたのね。ずいぶん遅かったじゃない」それは今日のもうひとりの招待客、佐伯さんだった。

「なにぼーっとしてんの、早く着替えてきたら」どれぐらいそのままだったろう、あまりのことに呆然としていたら、佐伯さんがなにか不機嫌そうに声をかけてきた。実際いつまでも固まっている僕に倉本さんも不可解な顔をしている。
「あ…ああ。倉本さん、今日は招待ありがとう。そうだね、すぐに着替えてくるよ」
「あ、あそこのコテージで着替えられますので、どうぞ」倉本さんが奥の方にある建物を指さす。コテージと言っても、正直海の家に毛が生えたようなものだという印象を受けたけど。
「あ、あたし案内するね」佐伯さんが先導するように僕の前に立った。

「ほらここ」コテージにたどり着くと、佐伯さんは入り口脇にあるボタンを指でポツポツ押す。するとガチャンと音がして鍵が開いた。「こんなんだけどちゃんとオートロック。申し込む度に暗証番号が変わっててそれを知らないと入れないようになってるんだって。入ってすぐが居間で、共有スペースのになってるの。それと寝室は3つ。もちろんそれぞれにオートロック付きよ」
 なるほど。一応セキュリティは考えられてるんだな。ちょっと見直した。
「ほんと、なんでいきなり遅刻するのよ、歩友美ちゃん、心配してたわよ」
「面目ない」もともとはいつものように倉本さんの家の前で待ち合わせて2人一緒に海に、という予定だったのだ。なのにいきなり今朝外せない用事が入ってしまい遅れざるを得なくなり、不安だったけど倉本さんを先にひとり電車で行かせることになってしまったのだ。
「歩友美ちゃん、今朝結局始発で来たんだって。ほとんど誰もいないのはいいんだけど、すごく心細かったって言ってた」超特急で用事を終えてすぐここに駆けつけたのだが、着いたのは昼すぎのこの時間になってしまった。
「お昼はピザ取っただんだけどさ、歩友美ちゃんに任せたらいきなりLサイズ10枚も頼んじゃうんだもん。突然えらい数届いてあわてちゃった」佐伯さんが訊かれてもないのに話し続ける。ああ。倉本さんのあの食欲を思い出して思わず納得してしまった。「弘和くん知ってたの? 歩友美ちゃんがあんなに食べるって」よっぽど衝撃だったんだろう、口が止まらなくなっている。「こんなにどうしよう、って途方にくれてたらさ、歩友美ちゃん、あっさりと次々たいらげてくんだもん。こっちがあわてて自分の分確保しなかったらひとりで全部食べちゃうぐらいの勢いで」知ってんなら教えてよね、とばかりに理不尽に恨まれてしまった。「でもこれで歩友美ちゃん伝説のひとつが解けたわ。なんでお昼時になるとこからともなく姿を消しちゃって誰とも一緒に食べないのかって。確かにあれあんまり他人に見られたくないかも」その口調は徐々に自分に向かっていった。
「それにしてもうかつだったわそうよあれだけの勢いで大きくなり続けてんだものそのためには膨大なカロリーが必要なはずでその意味であの食欲は充分納得できるものだわ今もさっき食べた栄養がことごとくおっぱいに吸収されているに違いない――」なんか最後は自分を納得させるようにぶつぶつつぶやいていた。

 とにかく水着に着替えて合流しよう、と着ていたシャツを一気に脱ぐ――と、佐伯さんがまだそこにじっと立ったままこちらをまじまじと見つめていた。
「な、なんだよ」
「あ、大丈夫。気にせずに続けて」
「なんだよ、恥ずかしい。それに倉本さんひとりにしちゃったら…」
「ここなら平気よ。他に誰もいないし。それに正直歩友美ちゃん、海となったら人が変わったみたいに夢中でさ。こっちなんかほったらかし。ひとりでどんどん泳いでいっちゃうんだもん」
 前に学校のプールの時でもあのはしゃぎようだ。それが久々の海となったらそれ以上なのは容易に想像できた。しかしだからって――。佐伯さん、上半身裸になったこっちを食い入るように見つめている。
「な、なんだよ」
「いやぁ、よく鍛えられてるなぁって。弘和くん夏休み中もジム続けてるんでしょ」
「それより――やめてくれないかな、僕を、その…名前で呼ぶの」久しぶりに会って、いきなり呼ばれたからドキリとした。
「なんで? 弘和くん」
「ほらそれ。なんか、誤解されそうで…」
「だからぁ、おんなじサエキなんだからしょうがないじゃない。混乱を避けるためよ」
「でも」なんかとりつく島がない。「とにかく、せめて人前ではやめてくれよ」いつ倉本さんに聞かれてしまうか分からない。なんか変に思われてしまわないか、気になってしまう。
「それより――」佐伯さんは釘を刺すように言った。「あんたは歩友美ちゃんの護衛役なんでしょ。変な気おこしちゃ、駄目だからね」そう釘を刺すとようやくコテージから出て行った。

 ようやくひとりになり、着替え始めた。しかし――。
(こんな所で――水着になれるのか、俺) 別れ際の口ぶり、佐伯さん、おそらく気づいてる――。
 さっき見た倉本さんの水着姿が目に焼き付いて離れない。あの競泳水着、この前トリオンフィでちょっとだけ見たことがあるけども、明らかに、その時よりも胸が収まりきらなくなってる。伸縮性がある素材だって藤原さん言ってたし、たしかにそのおかげでまだかろうじて胸が入っているのは確かだが、その代わり極限まで伸びきって肌にピッタリ貼り付き、まるで第二の皮膚のように胸のラインが生々しくダイレクトに浮かび上がっている。それにしてもどこもかしこもなんて魅惑的な曲線でできてるんだろう。あんなもの見せられて――まともでいられる男がいるとはとても信じられない。
(倉本さんの胸…マジで危険だよ)
 佐伯さんが以前倉本さん本人に吹き込んだことはある意味当たっている。あんな水着姿がもし人前にさらされたら、それだけで海岸は大騒ぎになってしまうだろう――。今ここに僕以外の男性がいないことを感謝した。
 今回の話を聞いた時、最初は倉本さんと2人で海に行けるのかと早合点したけども、よく聞くと真っ先に佐伯さんを誘っていたらしい。3人まで泊まれるそうなのであとひとり、となったみたいだけど、正直今となっては佐伯さんがいてくれてありがたかった。こんなところで倉本さんと2人きりになったら――昂ぶりすぎてどうなってしまうか自分でも見当がつかない。そんな中に海パン一丁になって、また股間の膨らみを見つけられたら――もう二度と倉本さんの前に出られそうにない。一応、トランクス水着の下にけっこうきついサポーターをつけたけども…どれぐらい効果あるか不安だった。

 けどこの心配は幸いなことに杞憂に終わった。というか佐伯さんの言うとおり、倉本さんはもっぱら自分が泳ぐのに夢中でこっちのことにほとんど注意を向けさえしなかったのだ。ほんと、よっぽど泳ぎたいという欲求を長いこと抑え込んでいたのだろう、いつもの物静かでおとなしい雰囲気は微塵もない。本当に好きなものの前では、まわりにお構いなしにのめり込むタイプらしかった。前にも思ったけど、こういうところ、やっぱりちょっとオタク気質なのかもしれない。この海岸からかなり沖の方に小島がかすかに見えるのだが、途中で倉本さんはその島に泳いで渡ろうとしてうずうずしていた。正直僕も佐伯さんもそこまで泳ぎきれる自信はないし、途中でどんな潮の流れがあるかもわからない。ボートもないのに行こうとするのは無謀だ、と説き伏せるのにどれほど苦労したか。
 それからも、結局陽がかなり傾くまで、倉本さんはひとりでどんどん泳ぎ続け、僕ら2人はついて行けず早々に離脱して海岸で見ているしかなかった。
「佐伯さん」
「ん?」
「倉本さんの、あの無制限の元気ってどっから来るんだろうね」
「さあねえ…。ひょっとして、あのおっぱいの中に元気の素が目いっぱい詰まってるんじゃない。知らないけど」
 僕はと言えば突っ込む元気もなかった。

 倉本さんがようやく海から上がり、開口一番発した言葉といえば「お腹空いた」だった。むりもない。逆に言うとそれさえなければまだまだ泳ぎ続けていたんじゃないかな。夜はバーベキューするんだと倉本さん出発前から盛り上がってて、実際に自分で食材を持ち込んできたけど――その量に僕らは目をむいた。とてもじゃないが食べきれると思えなかったのだ。けど、彼女の食べる量を知っている僕は察しがついた。また意外な料理の才を見せたのも倉本さんだった。自分で火をおこして山のような食材を次々と火にかけて、絶妙な火加減でつぎつぎと皿に乗せていく。で、それらを真っ先に次々と食べ尽くすのも倉本さんだった。その食べっぷりに佐伯さんは唖然としていた。「また歩友美ちゃん伝説がひとつ生まれちゃった」佐伯さんも知らなかった倉本さんの一面を僕は知ってたんだな、と思うとなんだか誇らしかった。

「ね、歩友美ちゃん、お風呂、一緒にはいろ」たっぷり食べてひと息ついた頃、佐伯さんはいきなり倉本さんに言い寄ってきた。
「え…でも…。わたしと入ったら――その、狭いですよ」
「いいからいいから。わたしは気にしないよ。それに一度歩友美ちゃんとはいりたかったんだ」
 ほとんど引っ張るように2人で浴室に向かう。ふと佐伯さんがこちらを向いた。
「絶対覗いちゃだめだからね」
 のぞかねーよ、と言い返したものの、実は気になって仕方がない。居間でひとりじっと座っていても耳は浴室の方にロックオンしたまま一音たりとも聞き漏らすまいとした。とはいえ実際聞こえてくるのはかすかな水音ぐらいで何も分からなかったが。
 いかん。なんかまいってきた。考えてみるとここに来てから倉本さんのことがずっと頭にあって気が休まる時がない。それになかなか出てこない。女の子のお風呂が長いって本当なんだなぁ。
 一旦席を外してしばらく夜風に当たる。戻ってみると、いつの間にか佐伯さんがジャージ姿でソファに座っていた。
「あ、出た? 長かったな」
 しかしなんか佐伯さんはぼーっと心ここにあらずの感じで反応がない。
「どうした?」いつもじっとしている時のない台風娘がこんなになるなんて、なにがあったんだと気になるじゃないか。
「わたし、今何を見てしまったの?」どこか虚空を見つめたまま口だけが動く。
「想像を絶する、奇蹟の絶景を目のあたりにしてしまった」はぁ? どこに話が飛んでんだ。
「これから先、どんな世界遺産を見ても色あせてしまいそうな気がする」
 なんか知らないけど、倉本さんの裸に衝撃を受けてしまったことだけは伝わってきた。
「遅くなってごめんなさい」後ろから声がする。振り向くと、倉本さんが髪を拭きながらパジャマ姿で近づいてきた。
 倉本さんのパジャマ…。もちろん特注だろう、胸の所がとてつもなく大きく立体裁断されているみたいだが、それでも中身がぎっちぎちに詰み込まれすぎて、隅から隅まで満ちあふれんばかりに引き攣れている。それが足を踏み出す度にみっちみっちと音が聞こえてきそうなほどにぶれ回っているのだ。今までの経験から分かる。倉本さん、今、ブラジャーしてない。一見いつものように上向き加減に突き出してるからわかりにくいけども、体を動かすと振動がダイレクトに伝わって大きくたわむのだ。ごくふつうのパジャマ生地が、あの巨大な胸の圧力をまともに食らって今まさに限界に達しようとしている。この布1枚の向こうに、あの、想像を絶するどでかいものが無理矢理押し込まれてて、少し動いただけでゆっさゆっさ苦しげに蠢いているのが伝わってくる。ボタンだって普通のものだから、胸が揺れるたびにボタンとボタンの間に隙間が広がったり閉じたりして、まるでおっぱいが呼吸しているみたいだ。
 パジャマに包まれててもこの迫力。佐伯さんはこの布のさらに向こうを見てしまったのか。同性だからといって、いや、同性だからこそ衝撃はより大きかったのかもしれない。
「お風呂空きました…って、どうかしました?」2人の様子が変だと感じたのか、倉本さんが怪訝そうな顔をする。いかん、と僕は平静を装って「じゃ入ろうかな」と立ち上がるが、佐伯さんの方はまるで力なくふらーっと立ち上がった。
「ごめん、なんだか疲れちゃった。歩友美ちゃん、先に寝るね」そういうとたよりなげに自分の部屋に入って行った。
「仁美ちゃん、大丈夫でしょうか…。さっきまで元気だったんですが」まさか自分に理由があるとは思わないで倉本さんは解せなそうだ。「いやぁ、1日海で遊び倒したからじゃない」僕が言っても「でも、あれぐらいで…」倉本さん、自分を基準に考えてるのか、まだ腑に落ちない感じだった。

 風呂場は思ったより広々としていた。外見はちょっとしょぼかったけど、このコテージ、内装はけっこう充実している。でも、もしここに倉本さんと一緒に入ったら――あの超乳がどこもかしこも空間を占有して、途端に狭く感じてしまうかもしれない。あの調子では、倉本さんも佐伯さんとこの中でもさして気にせずに接していたみたいだし――。
(にしても、ついさっきまで、ここで、倉本さんが…) さっきのパジャマ姿が勝手に頭の中に湧き上がってくる。自分の一部が意思とは関係なく反応してしまうのをどうにもできなかった。(倉本さん、自分がどれほどとてつもない存在なのか、分かってないんだよな)

 僕が出ると、今度は倉本さんが座ったままなんか動きが緩慢になっている。よく見ると目がとろんとなって、かすかに頭が揺れ動いている。
「あ、やっぱり疲れた?」無理もない。今日は始発だっていっていたもんな。
「すいません、楽しみすぎてゆうべなかなか寝付けなくて…」そういえばいつもピシッとしているから、こういう緊張がほどけて無防備な倉本さんって初めて見たかもしれない。
「なんならそこでちょっと横になったら?」
「いやいいんです、お構いなく」その拒み方が妙に頑なだったのでなんか気になる。さらに促すと、おずおずとやっと口に出した。「その…わたし、すごい寝付きがいいんです」
 それが何か?
「横になったら秒で眠っちゃうんで…」言ってるそばから頭が前後に大きく船を漕ぐ。「あんまり、その、だらしない寝顔をみられちゃうのは…」けどどう見ても眠気がもう限界そうだった。
「すいません、わたしももう失礼します」どうにも我慢できないように立ち上がると、ふらふらと自分の部屋に歩いて行った。

 まだ時間は早いけど立て続けに2人寝てしまい、居間にひとり取り残されて手持ち無沙汰になってしまった。けど僕はむしろ眠くなるどころじゃない。倉本さんが、あの無防備な格好でひとつ屋根の下で眠っているのだ。そう考えるだけで体の奥から何かがぐーっとこみ上げてきて、目がどうしようもなく冴え渡ってしまう。
 もちろん寝室は別々だし、それぞれに鍵がかかるようになっている。どうしようもないことは分かっている。でも、今まさにこのドアの向こうに倉本さんが――そう思ってそちらに顔を向けると、思わずわが目を疑った。
 ドアにわずかな隙間が見える。まさか…。いけないと分かっていても、勝手に足がそちらに向いてしまう。いやいや、安全のため確かめるだけ、と自分に言い聞かせながらドアの前まで行き、ノブをそっと押した。すると――やっぱり! ドアは音もなく部屋の内側へと開いていった。
(まさか、誘ってるんじゃ…) いやいや。すぐさま頭から都合のいい妄想をたたき出す。さっきすごく眠そうだったし、うっかりちゃんと閉めずに寝てしまっただけだ。このままドアを閉めればいい。そうすればオートロックで鍵がかかるはずだ。それで、静かな夜が訪れる――。
 分かっている。しかしどうしてもドアを引くことができなかった。しばらくそのまま心の中で葛藤が渦巻いた後、結局僕はさらにドアを押してしまった。かすかなきしみを立ててドアが開く。そんなごくわずかな音にさえきりきりと胃が痛む。それでも僕はそっと部屋の中に足を踏み入れた。
 部屋の奥に置かれたベッドに倉本さんが仰向けに横たわって静かに寝息を立てている。さっきまであれほど活発だったのに、まるでスイッチが切れたみたいに動かなくなってしまっていた。寝付きがいいのは本当らしい。闖入者がいることなど夢にも思わないのだろう、やすらかな寝顔だった。
 おそるおそる、ベッドの脇まで足を進め、枕許に置かれた椅子に腰を下ろす。今倉本さんが目を覚ましたらすべてはおしまいだ。もちろん別にその眠りを邪魔する気は毛頭ない。ただ、目にした以上そこから視線を外せなくなってしまっただけだ。
 こんな時でも倉本さんの寝姿はきっちりしている。両肩をぴっちりと布団につけ、両腕も体の脇にぴったり伸ばしていて寝乱れている様子は微塵もない。呼吸も穏やかだ。ただ、その体の上にはとてつもない高みに達した山が連なっていて、その頂にタオルケットが1枚かろうじて引っかかっている。ノーブラでなんの支えもないはずなのに、その峰はまったく型崩れすることなく、どっしりと比類なき霊峰といった風格でそびえ立っている。こんな大きなものが乗っかって、重くないんだろうかと不思議だけど、別にそんな様子もなく、呼吸とともにかすかに上下していた。
(無邪気な顔しちゃって) これほどの圧倒的な胸を持ちながら、相変わらずその顔は無垢な純真さを宿していた。同年代の男が一緒に泊まっているというのに、疑いのひとかけらもなさそうだ。それだけ僕は、信頼されているということか、友達として。
(僕はいつまでも、"友達"のままなのかい?)
 倉本さんが僕に心を開いていて、他の人には見せない、無防備な姿をさらけだしてくれている、それは分かっている。でもそれはあくまでも"友達"として。恋愛感情の類いはないときっぱり断言されてしまっている。それでもいいと思ってきた。でも――もうそろそろ限界だ。心にどんなに蓋をしても、僕の中の"男"がどうにもあふれ出てきそうになって抑えきれない。
 "友達"が寝室に侵入し寝顔を覗き込むような真似をしていると知ったらどんな顔をするだろう。見てみたい気もする、けど――それは一種の破滅願望だ。でも…そう、今ここでちょっと手を伸ばせば、その未踏峰の山の頂に届くのだ。勝手に息が荒くなってきて、それだけで気がつかれないかと心配になってくる。
「ん…ん」その時倉本さんが体を少しだけ揺さぶる。頂にかろうじて引っかかってただけのタオルケットが外れてぺろりと麓までずり落ちた。
(!) 今や胸を覆うのはたよりなげなパジャマだけ。寝息はそのまま落ち着いたものになったが、何も遮るもののなくなったパジャマは、息を吸い込むだけでボタンとボタンの間がぐーっと開き、中の柔肌が見えてしまいそうだ。
 (この布1枚の向こうに…) 僕はいつしか顔を胸の上に覆いかぶさるように前のめりになり、必死でその隙間を覗こうとしていた。いかんいかん、これ以上はだめだ。このまま立ち去ろう。頭ではいくらそう考えても体は腰が抜けたように硬直して動けない。
 そうするうちに、意思に反して右手が勝手に胸に向かって伸びていく。あと3センチ…あと1センチ…それだけであのまだ誰も触れたことのない胸に手が届く――。
「やめて…」不意に倉本さんの口から声が漏れた。後もう少しの所で、僕の腕は沸騰したやかんに触れたかのようにびくんと引っ込む。
 気づかれた…? しかし倉本さんの目が開く気配はない。けれどそれまで静かだった息が次第に激しくなり、苦しそうに身をよじりだした。それまで微動だにしなかった山脈が地震のように揺らぎ始める。
「やだ…もう…無理…。これ以上、入らない――」倉本さんの口調がだんだん切迫したものに変わっていき、顔には苦悶の表情が浮かぶ。今まで見たことのない顔だった。悪い夢でも見ているのだろうか。いや、それにしては妙にリアルだ。どうやらこちらに気づいた訳ではなさそうだけど――それじゃこれはいったい…。
 胸を襲った地震は微動から脈動にと変わり、両腕が胸を抱えようとするかのように浮き上がって空をつかむ。暗闇の中、どうにかして胸を押さえ込もうとするかのように。
(え…) 暗闇に慣れた目に、次第に信じがたい光景が映ってきた。胸が脈動しながら、今まさに徐々に大きさを増しているかのように見える。先ほど呼吸の度に少し広がっていたボタンの間が、今まさにぐーっと大きく開いていく。
「だめ…入ってこないで。おっぱい…壊れちゃう…」次の瞬間、山の中腹を押さえていたボタンが耐えかねたようにポンと飛んだ。口調はますます鋭く、もはや切羽詰まったものに変わる。なんだか今まさに胸が破裂するのではないかとすら思えてくる。その鳴動はさらに激しさを増し、パジャマそのものがはじけて胸があふれ出すのではないかと期待、もとい心配になるほどに、ボタンの隙間が、ぐーん、ぐーんと音を立ててこじ開けられていく。
「あ、あ、もう、だめ…」その声は今やあえぐように息絶え絶えになり、パジャマの隙間から垣間見えるおっぱいがぐちゅぐちゅいやらしくきしみ合っている。その姿態が急に大人びて見え、その圧倒的ななまめかしさ…なんか、そう。めちゃくちゃ官能的だった。
「助けて――冴木くん…」
 え…。思わず反射的に腰が浮いた。なんで僕が…。いきなり自分の名を呼ばれて、一気に我に返る。(僕に…何ができる…?) 倉本さんを護らなければ、その意識が戻ってきたのだ。しかしどうすることもできない。こんな姿を見てしまったと知られたら、僕は完全に立場を失う。なにせ、僕自身倉本さんのあられもない姿態に完全にやられて目をギンギンにギラつかせているのだ。本能が襲いかかろうとするのを必死でこらえるのに精一杯で、微動だにせずその場に立ち尽くしていた。
 どれぐらい時間が経ったろう。倉本さんは…。次第に落ち着きを取り戻し、あれほど荒れ狂った胸の震動も収まり寝息も次第にまた静かなものに戻っていった。
(なんだったんだ…今のは?) 先ほどの肉感的な姿が信じられないほど元通り穏やかな眠りだった。こちらが夢を見ていたのか…いや、さっき飛んだボタンはそのまま床に転がり、空いた隙間から先ほどとは比べものにならないほどぽっかり大きな穴が開いている。それに…。
(やっぱりさっきより…大きくなってないか…?)
 にわかには信じられないけれど、わずかな間に胸が少し体積を増しているように思えてしかたなかった。

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 とにかく、僕は倉本さんの見てはいけない秘密に触れてしまったのかもしれない。なんとも申し訳なくなって、そっとその場を立ち去り、これ以上ないほど細心の注意をはらってドアを閉める。閉じた途端、カチャリと鍵がかかった。
 一瞬の安堵とともに、僕の心にどうしようもないわだかまりが残った。そのまま自分の部屋に戻って布団の潜りこむ。
(僕は…いったい何を見たんだ) 先ほどの倉本さんのあえぎ声、苦しそうな顔、そしてにわかに活性化したかに見える胸――すべてが頭に焼き付いて離れない。忘れようにも忘れられなかった。まるで清純そのものに見える倉本さんの内に秘めた妖艶な部分を垣間見てしまったような――。悶々としたまま、ベッドの上でいつまでものたうち回っていた。


 ――ふと目を開けると窓の外が明るくなっている。あれ、いつの間にか眠っていたのか。今、何時? 時計を見ると針が8時半を指していた。(チェックアウトには…まだ間があるよな) 確か12時前に出ればいいはずだ。ちょっと安心した。
 共有スペースの居間に出ると、佐伯さんの部屋は相変わらず閉まったままだが、倉本さんの方はドアが大きく開いていた。(大丈夫なんだろうか…) 夜中のことが思い起こされ、気になって中を覗くと、部屋の中に人影がない。ベッドの上はきちんと畳まれており、もうすでに起き出したようだ。
(どこに…?) コテージの中に気配はない。とりあえず水着に着替えて外に出ると、海岸近くの浅瀬で誰かが海に入っているのが見えた。
(あれか?) 駆け寄って名前を呼ぼうとしたら向こうも同時に反応する。顔をこちらに向けるや否やざばんと一気に海面から体が飛び出した。
 一瞬遅れてとてつもなく大きなものが姿を現す。そのあまりの迫力に思わず足が止まる。間違いなく倉本さんだ。でも、そ、その格好は――。
「遅いですよ、冴木くん」そのまま海から上がってこちらに歩いてきた。大きく突き出した胸の先からもぽたぽたと水滴が落ちてくる。そこに昨晩の苦しげな様子は微塵もない、いつもの倉本さんだ。海を前にしたテンションの高さはまだ持続しているらしい。
「今日の昼までなんですからね。寝坊するだなんてもったいない」
 ただ違うのはその格好だ。きのうの競泳用の水着ではない。その…胸は三角形の真っ白な布地に左右それぞれ覆われており、その広大さたるや片方だけでもまるでヨットの帆を思い起こさせた。しかしその三辺から伸びているのは単なる紐で、そこから首と背中に結びめができている。だから…その…要するに…着ているのは純白のビキニだったのだ。
「倉本さん、その…水着は…」
 指摘されるとちょっと恥ずかしそうに視線を逸らす。「えと、念のために持ってきてたんですけども――よかったです。これなら結び目で調節できますから」そう言うとくるりと背を向けた。背中と首に紐を這わせて結び目ができている。はっとした。ということは――やっぱり――きのうの競泳用水着がたった一晩でどうにも胸が入らなくなってしまい、急遽予備に持ってきてたビキニを引っ張り出してきたって事? しかも改めて見ると、三角形の底辺からも下乳が思いっきりはみ出しているし、背中の結び目だって紐がなんとかギリギリいっぱい届いていて、かろうじて無理矢理結び目を作って固定しているだけ。ちょっと力を加えれば今にも引き抜けてしまいそうだ。
「ご心配なく。これ、絶対ほどけない結び方してますから」自信ありげに言いながらこちらを向くと――ぶおん。それだけで胸がうなりを上げてこちらに向かってくる。いや、ぶつかるほど近づいてはないが、風圧でこちらがなぎ倒されるかと思った。やはり布と紐だけのビキニではその胸を制御する力はない。左右の胸がお互い好き勝手に暴れまくって野放図にぶつかりあい、ぱんぱんに張りつめた2つの球体がむっちむっちと音を立てんばかりの勢いで、限られた体のスペースを互いに奪い取ろうとするかのようにせめぎ合う。どうにか結びつけられた紐はあわれその圧力をまともに喰らってなすすべもなくたわんではひっぱられを繰り返し、いつ引き千切れてしまってもおかしくない。どんなに布面積が広かろうと谷間を遮るのは紐1本。完全に丸見えで、彼女のわずかな動きにも反応してヨットの帆はあふれかえる乳肉の大波にもまれて絶え間なく翻弄され続け、今にも転覆してしまいそうだ。これだけダイナミックに体重移動を繰り返していながら、当の本人は体がぶれることなく平然と佇んでいるのがむしろ不思議だった。その重量感は圧倒的だ。なにより胸の露出がきのうとは比べものにならない。きのうの水着も胸の線がこれ以上ないほど浮き立っていたけども、生の迫力は桁外れだ。両のおっぱいが丸々と張りつめて胸の上で思い切りひしめき合ってその間にとてつもない深淵ができあがっている。それに――純白のビキニと倉本さんの抜けるように白い肌が陽光の下で溶け合い、まるで何もつけてないかのように見えてしまう。
 あまりの情報過多に頭が追いつかない。かーっと血が上ってどうすることもできずに立ちつくしていると、倉本さんはちょっと困惑したように首をかしげ、上目づかいにこちらを見た。
「どう、ですか?」言葉を失った僕の反応に不安になったのだろうが、ちょっとお伺いを立てるような口調とは裏腹に、胸を心持ち突き出すようにして、体からあふれ出さんばかりの勢いでこちらに迫ってくる。静かにしていると徐々にその波はおだやかになってきたとはいえ、まるで心臓の動きに呼応するかのように絶えずふるふると波立ち、こちらの心をもざわつかせてやまない。ぶつからんばかりに弾みまくり、膨大な質量でほとんど物理的に迫ってくる。
(あ…)その途端、あまりの迫力に頭が完全にオーバーフローしてどこかからかぷしゅーと何かが抜けていくのを感じる。体に力が入らず、ぐずぐずと崩れていく。
「冴木くん! どうしました? 大丈夫ですか!?」倉本さんの声が急速に遠くになっていくようだった――。

 ――次に気がついた時、僕はコテージの中で横になっていた。すぐ脇には水着姿のままの倉本さんが立ちつくしていて、それに向かって、目を覚ましたらしい佐伯さんがきつい口調で何か言っていた。手に持ったおっきなバスタオルを倉本さんの胸に掛ける。「だから言ったじゃない。歩友美ちゃんの体は男の子には毒なんだから。それを…ビキニだなんて…」
 なんか大変なことになってるな、と他人事のように頭をもたげる。
「弘和く」「冴木くん!」
 僕に気がついたのは、佐伯さんの方がちょっと早かった。けど一瞬遅れて、倉本さんは佐伯さんを押しのけるようにこちらに向けて駆け寄った。
「冴木くん、気がつきました?」せっかくかけられたタオルはその勢いであっさりとずり落ち、また目の前に生のおっぱいが迫ってくる。また気が遠くなりそうになるのを必死でこらえていると、後ろから佐伯さんのあきれたような顔が目に入った。

 結局そのドタバタで午前中の大半の時間を費やしてしまい、2日めはほとんど泳ぐ間もなく倉本さんは残念そうに水着から着替え、3人はあわただしくチェックアウト時刻ギリギリにコテージを後にした。そして電車で帰路についたが、倉本さんはまだ泳ぎ足りなそうな顔をしている。むりもない、次いつ泳げるかまったく目処が立ってないのだから。
 途中乗り換えのために電車を降り、そこで2対1に別れる。佐伯さんはここから別路線になるのだ。発車時刻までまだ少し余裕がある。さよならの挨拶をしようとしたところで、佐伯さんから「ちょっと」と呼び止められた。
「大丈夫?」ひとり僕だけを呼び寄せていきなり小声で訊く。
「え、何が…」
「これから歩友美ちゃんと2人になるけど、身体もつの?」
 何を?と言いたいけどもなんとなく察しがついてしまった。きのうといい今日といい、佐伯さんがいてくれてある意味助かった。2人きりだったら――自分が抑えられたかどうか自信がない。
「わたしも人のこと言えないけどさ、きのうから歩友美ちゃんに振り回され続けて、ずいぶん疲れた顔してるよ。そうとう体がまいってるんじゃない? 歩友美ちゃん、あの様子じゃまだまだ元気そうだし、まともに相手してたら体が持ちそうにないよ」
 ほんとにあの胸、エネルギーの塊みたいじゃん、と笑った。
「それにしても歩友美ちゃん、夏休みの間だけでも――すごい大きくなったよね」
 佐伯さんがぽつりという。
「学校ないから会うのが飛び飛びになると、その成長度合いを実感するよね。もう会うたんびに見違えるというか。ほんととどまるところを知らない感じで――どこまで大きくなるんだろう。あれでまだわたしと同じ15だっていうんだから。成長期真っ盛り!」
「ああ、大丈夫だと思う。倉本さんとはけっこう会ってるし」そう言うと佐伯さんはなんか悔しそうな顔をした。「ね、夏休みの間、歩友美ちゃんとは何回ぐらい会ったの?」
「えと、考えてみればなんだかんだで週1ペースで会っているかな」
 佐伯さんは信じられない、という目でこちらを見つめた。
「わたしとは2回だけ…」

「じゃあね、帰ったら海パンすっごくよく洗った方がいいよ」電車の時間が迫ってくると、佐伯さんは最後に意味ありげな視線を向けた。分かっている。ビキニ姿に失神した時――その、情けなくも中で大放出してたのだ。気がついた時、一面べとついていて気持ち悪かった。
「い、言われるまでもないわ」けどすごい心配になってきた。佐伯さんに気づかれた。ということは、倉本さんも――。
 僕の顔色を読み取るようにじっとこちらを見た。「大丈夫。歩友美ちゃんは気づいてないよ」そしてはーっとため息をつく。
「歩友美ちゃん、すっごいいい子なんだけど、男の子のそういうところは全然わかってないからなぁ」
 そう言うと、なんだかまじまじとこちらを見つめている。え、何?と戸惑っていると、佐伯さんはそのままじっとこちらを見たまま言った。
「わたしなら…わかってあげられるよ」
 え?それはどういう…。しかしそれには答えず、佐伯さんの顔はみるみる真っ赤になっていった。
「なんでもない。それじゃまた、学校でね」
 それだけ言うとひとり改札を駆け抜けていった。

 佐伯さんと別れて戻ると、僕は倉本さんと一緒の電車に2人並んで座った。
「さっき、仁美ちゃんと何話してたんですか?」
「え? それは――えーと」なんか本当のことを言うのがためらわれて、とっさに誤魔化してしまった。「そう、宿題。後どれぐらい残ってるかって、確認してたんです」
「え? まだ終わってなかったんですか」 休みの最初の方で早々に終わらせてしまった倉本さんは、信じられないという顔をした。
「それと、あの…ちょっと気になったんですけど」
 何かを逡巡するように少し時間をおいてから、おずおずと、倉本さんが口を開いた。
「ひょっとして冴木くん、仁美ちゃんとおつきあいされてるんですか?」
 思わず咳き込んだ。な、なんで…。
「あ、別にそれがいけないとかではなくて、ただそうだったら、今回知らずに2人に声をかけてしまって、却ってご迷惑だったんじゃないかって。その――本当は2人きりで行きたかったんたんじゃ――」
 思わずあうあうと口が空を切る。どうしてそんな風に思われてしまうんだ。
「さっきもそうですけど、2人で話しているのを聞いているとすごく仲よさそうだし、それに…」倉本さんはちょっと口にするのをためらっているようだった。「聞いてしまったんです。さっき、仁美ちゃんが咄嗟に、冴木くんを、その…下の名前で呼んでいるのを」
 これか…。絶句した。聞かれちゃったんだ。違う! 誤解だ。僕は、あなたのことが…。
「すいません、こういうこと、わたし全然疎くって…」
「違います!」思わず声が鋭くなった。「あれは…なんか佐伯さんが、おんなじ苗字だと呼びにくいって、勝手にああ言ってくるだけです。別にそんなんじゃありません」
「そう…なんですか」それだけ言って倉本さんは口を閉じた。なんだかさっきより表情が穏やかになったように見えたのは気のせいだろうか。

 それっきり言葉が途切れた。お互いしゃべらずに並んで座っていると、なんだか緊張してくる。倉本さんの誤解とは裏腹に、僕の頭ではこの2日間の倉本さんのあれこれが勝手に思い浮かんでしまって止まらない。特に、昨晩の悩ましげな姿が頭にこびりついてしまって――。(なんだったんだろう、あれは…) 今でもなんだか夢の中の事のように思えて現実味がない。普段の清楚な様子とはあまりにかけ離れて――その、要は…むちゃくちゃ淫靡だったのだ。
 ちらりと横顔を見る。今、倉本さんは落ち着いたタータンチェック柄の半袖シャツを着込んでいるが、彼女が着ると胸があり得ないほど突き出して生地がどこもかしこも満タンに引き延ばされ、チェック柄が凸型に大きく歪んで却ってその膨らみを際立たさせてしまう。加えて――今朝、あのビキニからあふれかえった生おっぱいを見てしまった。これまでは、いったいこの服の中にどんな風におっぱいが収まっているかスケールが違いすぎてイメージしきれないところがあったのに、あれを見た後だと、服の内側にあのおっぱいがいっぱいいっぱいに詰め込まれてている様がまるで透けて見えるように鮮かに思い起こせて、腹の奥からぐーっと熱いものがこみ上げてきてとめどない。なんだかその圧力で胸の辺りの空間がねじ曲げられ、歪んでいるようにすら思えてきて、頭がクラクラしてくる。とてもじゃないが直視できない。けど視線を逸らしながらもやっぱり惹きつけられて、ついチラチラと脇見を繰り返していた。
「あの…」言葉が出ないで押し黙っていると、倉本さんが気がかりな風に話しかけてきた。「体、大丈夫ですか? 呼吸が荒いですけど」
「あ、へーキヘーキ。こっちこそ、今朝はすいませんでした。せっかくの貴重な時間を削ってしまって。今日はほとんど泳げませんでしたね」
「そんな…」こちらの口調が浮ついているのを悟ったのか、倉本さんも言葉を止めた。
「なら…いいんですけども」
 そのまま、お互い次の言葉を探して沈黙がしばらく続く。
「わたし、冴木くんをなにか怒らせたんでしょうか?」先に口を開いたのは倉本さんだった。「さっきから、目を逸らしてばかりで全然わたしを見てくれないのは」どうしても訊いておかなければ、と切羽詰まった口調になっていた。
「やっぱり…わたしの、せいなんでしょうか」
 そう言って自分の胸をじっと見つめている。今やほとんど視線を落とさなくてもその膨らみが丸見えだ。「今日、また仁美ちゃんに言われてしまって――。わたしの体は、男の人には…その、毒、だって…」確かにえらい剣幕でいわれてたよな。
「あ、いや、その…」今までずっと倉本さんの一番の味方になって、護っていきたい、そう思ってきた。しかし今日のことでなんだか自信がなくなってきた。いつの日か、僕が――真っ先に倉本さんに悩殺されてしまうかもしれない。
 しかし倉本さんはといえば、やはりその気持ちが分かりかねるのか困惑しているようだった。
「あの後仁美ちゃんからは、言い過ぎた、って謝られたんですけども――」ああ、やっぱさすがにフォローしたんだな。「わたしの体は――そんなに、いけないものなんでしょうか」その目は俯いたままこちらを見ない。まるで自分の心を見据えているかのようだ。
「わたし、このことについて何も言えません。でも、これがわたしなんです。だから――ありのままのわたしを、受け入れてくれたら、うれしいです――」ぽつりぽつり、自分の心を掘り起こすように言葉を紡いでいく。
「冴木くんには――わたしの体、嫌ってほしくない…」
「違うんです!」倉本さんのそんな顔は見たくない。気がつくと思い切り否定していた。何を言っていいかわからないけど何かを言わずにはいられなかった。
「それは――倉本さんが…あまりに魅力的すぎるからです」
 言ってしまった。思わず倉本さんはこちらを向く。しかしその目は見開いたまま、やはりピンときてないようだった。
「わたしが…?」思いもよらない言葉だったらしく不可解そうにしばらく考えこみ、ようやく口を開く。
「それって、矛盾してませんか? 魅力的だったら――むしろ見てしまうんじゃないでしょうか。そうでないって、やっぱり…」
「いや、そうじゃなくって」どう言っていいのか分からない。「その、あまりにまぶしすぎて、まともに見れないんです。なんていうか、太陽を直視できないみたいに」
「はあ…?」ますます分からないと言った風だ。言い訳じみて聞こえただろうか。自分でも何を言っているか分からなくなってきた。
 結局なんだか分からないまままた会話が途切れる。気まずいまま何も話さず電車はひたすら進んでいく。この狂乱の2日間も終わろうとしていた。黙っていると夕べよく眠れなかったことが今になって効いてきて、電車の単調なリズムに乗って急激に睡魔が襲ってきた。
「冴木くん、もうすぐ着きますよ」心配そうに話しかけられる、がもう目が開けてられない。倉本さんの声が妙に遠くから聞こえる。自分が急速に眠気に取り込まれていくのを感じた。ちょっとでいいから、寝させてくれ…。
 すぐそばに倉本さんがいる。それはなんとなく分かる。意識を失う直前、倉本さんがこちらに向けてこう呼んだのを聞いた気がした。
「弘和くん…」

 不意に肩を揺さぶられて目を覚ます。横では倉本さんが立ち上がろうとしていた。
「着きましたよ、冴木くん」その様子はいつもと変わらない。先ほど、名前を呼んだ気がしたのは夢だったんだろうか。改札を降りていつものように並んで歩き出す。日常が戻ろうとしていた。
「宿題、終わらないんだったら一緒にやりませんか?」
 え、でも…。倉本さんはもうとっくに終わってるんじゃなかったっけ。
「ご心配なく。いろいろ助けられるとは思いますから」そして、何事もないようにこう提案した。
「それで――こんどは冴木くんの家に伺ってもいいですか?」
 え、でも…。自分の部屋の狭くてきたない様を思い出し、そんな所に倉本さんが――と想像するだけで恐れ多い。思わず腰が引けた。
「ずるいです」しかし倉本さんの反応は意外だった。
「え?」
「冴木くんわたしの家を知ってるのに、わたしが冴木くんの家を知らないのは。不公平です」
 どんな理屈だ、と思ったけども、結局押し切られて、そのままてきぱきと、お互いの予定を照らし合わせて訪問日を決めてしまった。
「それじゃあまた、冴木くん」そう言うと倉本さんは自分の家に消えて行った。
 この強引さ、なんだか倉本さんらしくない。それはまるで、次に会う約束を決めておかないと不安で落ち着かないかのようにすら思えた。