いつもより早い時間にシャワーを浴びた後、ショーツひとつで姿見の前に立ってみる。この鏡もあれからより大きなものに買い換えたはずなのに、今はもう胸だけはギリギリではみ出してしまそうだ。
ついつい自分の体を見つめてしまう。やはり胸の膨らみが際立っている。隅々までみっちりと詰まっていて、その大きさにもかかわらず重力に反発するかのようにたわむことなく力強く盛り上がっていて、何の支えもないのに両の乳房が激しくぶつかり合って勝手に深い谷間ができあがっている。
(今日も、元気いっぱい…)
ますます大きく張りつめて、ほんと際限がない。なにより気になるのは、胸の中のしこりが小さくなるどころかますます大きくなって、もはやしこりなのかおっぱいなのか分からないぐらいになっていることだ。一見やわらかそうに見えても指で少し押すだけですぐにしこりにぶつかって、途端に胸に稲妻のような痛みが走る。最近では自分でも触るのがはばかられるぐらいだった。
でも、それなのにこの胸、嫌いにはなれない。なににつけても自信が持てないわたしでも、胸だけはいつにも増して自信に満ちあふれて満々に張りつめている。時々、わたしには分不相応なんじゃないか、とすら思う。落ち込んだ時も、胸を見て何度心が救われたか知れない。
(こんなこと、誰にも言えないけども)
他人に見せるものじゃない、それはわかっている。けど…このあいだ海に行った際、冴木くんには、この胸を、見て…もらいたい、そんな気がちょっとだけした。こんな気持ちになるなんて自分でもびっくりしたけども、だからこそ――直前になってこっそりとビキニなんてものを特注した。
「どういう心境の変化?」藤原さん驚いてたっけ。なにしろ今まで機能最優先で競泳水着一択。ビキニなんてたよりないもの、着ける人の気が知れないとずっと思っていた。それが――。
ただ、持ってきたものの、鞄の一番奥にしまい込んだまま結局つけることはないだろうと内心思っていた。なのに2日目の朝、初日はなんとか着けられた競泳水着がどうにも胸が入らなくなってしまい、(ひょっとしてこれなら…)と取り出したのがビキニだった。初めてつけるビキニ。不安だったけど、後ろでなんとか紐が縛れた時はなにかに背中を押された気がした。
この日もいい天気で、泳がないなんてもったいない。誰もいないビーチをひとり、おそるおそる海に入った。胸がちゃんと固定されてなくてなんとも心許ないけど、一方で妙にわくわくして、冴木くんが来るのを待っている自分がいた。冴木くん、これ見てどう思ってくれるかな――。
しかし――その結果は思いもよらないものだった。見てすぐに失神してしまった冴木くんを慌てて抱き上げてコテージに運び込み介抱した。そして…。
「歩友美ちゃんの体は男の子には毒なんだから!」
仁美ちゃんの声が耳にこびりついて離れない。え? わたしって…毒なの?
記憶力はいい方だ。というか無駄にいい。一度ちゃんと見聞きしたものは基本頭に入って忘れないし、だから学校のテストぐらいで苦労したことはない。というか授業で1度やったことを書き記すだけなのになんの問題があるのか、と前から不思議だった。これが他の人は普通そう簡単ではないと分かったのはわりかし最近のこと。でもこの記憶力のおかげで現在机の上は胸で一杯になってノートも広げられないのに不都合なく済んでいるのだからありがたく思わなければならないのだろう。
しかし今回、この記憶力を初めて疎ましく思った。忘れられるものなら忘れたい。
ひょっとすると、冴木くんには自分が思っている以上に迷惑をかけ続けているのかもしれない、とあの日から気になってしょうがない。冴木くんやさしいからそんなことおくびにも出さないけど、ひょっとしたら本心は、わたし、疎まれているのかも――。
なんだろう。そんなこと考えてたら、途端に胸が苦しくなって息ができない。
冴木くんに――嫌われたくない…。
隠さなきゃ。この胸、冴木くんの前ではなんとしてでも隠さなきゃいけない。わたしは思い立ってブラジャーを手にする。藤原さん特注のブラジャー、耐久性強化のためだろう、最近は殊にワイヤーが縦横無尽に走っていて、振っても叩いてもカップが頑丈でびくともしない。だから今目の前の視界をほとんど奪っているこのカップがわたしの胸の大きさってわけで――こうして見ると改めてその巨大さに驚く。前屈みになって胸をそのカップの中にすっぽり挿し込むと、両脇で固定してぐんと背筋を伸ばす。間髪を入れず両手を後ろに回して上から順にホックを留めにかかる。そのホックも首のすぐ後ろから腰の辺りまでほとんど隙間なくびっしり並んでいる。もはやいくつあるのかなんて数える気にもならない。留めようとする度に胸が抑え込まれまいとぐいぐい反発してくるので、それを封じ込めるように指先に力を込める。毎日のことだから慣れているけども、胸がカップに無理矢理押し込まれて苦しそうで、その反発も日に日にますます強まってくるのをいやでも感じてしまう。留めた無数のホックもその圧力に負けて徐々に変形していくのを抑えることができない。まだ替えてからそんなに経ってないけども、このブラもおそらくあと1週間ともたないのは察しがついていた。
ブラジャーをつけ終わると暴れ胸の動きの大半が抑制されるのが分かる。次はブラウスだ。こちらも表向きのボタンとボタンの間に隠しボタンが実に3つついていて、さらにボタンの数が増えてしまった。でも問題なのはこちらは前にボタンがあること。胸の先の方のボタンは、もう腕を目いっぱい伸ばしても指先が届かなくなってどうにも留められない。だから最近はその辺りのボタンは着る前にまず留めておいて、そのまま頭からかぶって服を胸にはめ込ませるようにしている。それから胸を左右に揺さぶって服に馴染ませ、最後に残りのボタンを手で留めていく。面倒だけどもそれしか方法がなかった。
おかしいところがないか姿見でチェックした後、最後にネクタイを締める。でもなんか心配になって、念のためその上にさらにベストをかぶった。これも胸の辺りだけすごく大きく作られた特注品だけども、それでも胸の所が張り裂けそうなほど引き延ばされて、ブラウスの上から胸が思い切り締め付けられてしまう。でも、これも我慢だ。
(これで大丈夫…だよね)
ほんとはもっと重ね着したいけど、この季節じゃこれが限界だ。冴木くん、どう反応してくれるだろう。頭の中はそのことばかり気になっていた。