選択肢 その9.5 外伝 あるマネージャーの憂鬱と悦楽

かるぼん 作
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 ある日の昼下がり。見上げれば視界を埋め尽くす積乱雲。けたたましいほどのセミの合唱。ねっとりとした蒸し暑い空気。
 タイトなスーツに身を包んだ女性が独り、職場である事務所のオフィスでタブレットを眺めていた。
 それが私だ。
「……はぁ」
 端的に言って、とても憂鬱だった。
 私がマネージャーを務めるアイドル、ルナン――芸名みたいだが本名だ――。彼女に彼氏がいたことでネットの一部で炎上。
 まあ、ここは良い。よくある話だ。幾らでもリカバリーできる。なんならこの程度のスキャンダルは炎上商法的にバラエティ界に殴りこむためのきっかけにもできる。
「本当に余計なことをしてくれたな……」
 問題は、スキャンダルが発覚した情報源。
 ルナンの“元同僚”だったか。本名を七尾 恵理(ななお えり)とかいう、目を惹く容姿のフリーの記者。
「私は元々ルナンの同僚で、彼女の何でも知っている」と称し、恋愛中であること以外にも、あることない事ぶちまけているのだ。
 記者としてもふさわしくない。まさしく、下種の権化であると言わざるを得ない。
 私はペットボトルの抹茶ラテを一口。そうして、無意識に眉間に寄ってしまったしわを揉み解した。
 今回のケースで厄介な点は、二つ。
 一つ、記者でありながらプライベートを知る人間として執拗なまでに根も葉もない情報を発信し続けていること。
 民事訴訟として闘争の最中だ。心証が悪くなる言動は本来なら避けるべきだが、彼女はそれすらお構いなし。まき散らすように言葉を吐き出し続けている。
「一体、何がそこまでさせるんだ」
 二つ、法廷へともつれ込んでしまったせいで、各所と締結済みだった契約のキャンセルが絶えない。私が取り付けた仕事も全部パーだ。
 もちろん、新規プロジェクトを組んでもらえるはずもなく。
 それはそうだろう。誰だって、自社の企業イメージは守りたい。
 紛争中の人物をむやみに起用するなど、自ら毒をあおるようなものだ。
「こればかりは……今すぐに解決できるものではないな」
 企業の抱く不安の払しょくの為にも、圧倒的な勝利が欲しい。
 七尾 恵理は敵ではなく、ルナンに蹴散される路傍の小石でなくてはならない。
「ともあれ、状況そのものは致命的ではない」
 ルアンはアイドルだ。此度の勝利条件は法廷で勝ち、多額の賠償金をせしめる……ことではない。
 まあ、私の夢の為にもルナンの懐が潤うのは良い事ではあるのだが、金銭は副産物だ。
 ここで欲しいものは大衆からの支持。
 俗っぽくはあるが、恋愛絡みのスキャンダルは世間からの同情あるいは共感さえあれば、そうそう再起不能になることは無い。
 契約の減少もいずれ回復し、より多くの活躍の場を得られるだろう。
 時刻は十八時ちょうど。定時通りにタイムカードに打刻をする。
 野暮ったい印象を与えるための伊達眼鏡とジャケットを脱ぐとぽいっと……知性と共に放り捨てた。

「お仕事おーわりっ!」
 IQ? なにそれ。よくわかんない。多分、8くらいだと思う〜。横に倒すと∞だよ。わたし、最強! えへへっ。
 ここから先は、“オフのわたし”の時間。
「やりたいことを好きにする、それが子どもの仕事の一つだ」ってパパも言ってたもん。
 エゴサとかだってしちゃうもんね!
 タブレットを操作して、青い鳥マークのSNSを開く。
 そこは、色んな人が色んなことを好き勝手につぶやく、途方もなく大きな交換日記みたいな場所だ。
 ハッシュタグを駆使して……出てきた出てきた。今のルナンについて、みんな好き勝手言っている。
 酷い誹謗中傷、こっちは見せられないにゃ。全部の人間から好かれるアイドルなんて無理だから、この辺は頭の中のごみ箱にポイしちゃうし。
 クイっとフリックしてめぼしい呟きを探す。

「おっ、この人V(ブイ)の者じゃんか」
 Vの者――主に動画配信サイト等を使い、イラストやアニメーション、3Dモデル等で表現される、仮想空間に受肉した、現代アイドルのもう一つの形。
 そして、強い影響力を持ったインフルエンサーでもある。
「『バブみの波動を感じる……ママが彼氏持ち? むしろ赤ちゃん産んで。早く私を産んで』。ふっふっふ、そうじゃろそうじゃろ。ルナンママはわしが育てた」
 アイドルの追っかけをするアイドルとして売り出していた、ある美少女のアイコン。
 彼女のフォロワーに、その熱は瞬く間に広がっていった。
「『ママ…ルナンママ…』『あっ、あっ…しゅき(語彙力)』『大丈夫? おっぱいのむ?』『のむ―』」
「こいつぁ、ひでぇ。変態どもめ……でも、わかりみが深い。ママ……早く私も産んで」
 わたしの口角が自然と緩む。もう、ゆるっゆるなくらいに緩む。
 こっちまで明るい気分にさせる笑顔。途轍もなくおおきなおっぱい。どんなことも優しく包み込んでくれそうな包容力の大きな体。
「ママ、ママ。もっと大きくなってね。大丈夫、家事なんてできなくて良いよ。わたしがママのメイドになるから」

 間御間 みま(まみま みま)。ルナンのマネージャーにして、引退後も彼女にその生涯を捧げた筋金入りのメイド。
 あるいは全国に何万人といるルナンの熱烈なファン、“ルナンママの千の子供たち”の中心人物の一人。
 見かけとオフの時の言動に見合わぬ暗躍をし、恵理との法廷闘争に異例の短期間で圧勝するとその後もルナンの影として彼女を支え続けた。