第2話「かさなる想い 解かれた封印」
「大丈夫です…わたしは…ご主人様のお傍にいるために…そのために守護天使になったんですから…」
俺はルミに抱き寄せられそのまま彼女の豊かな胸に顔をうずめられてしまった。その瞬間、早鐘を打つ様に高まった鼓動は不思議と落ちつきだしルミのやわらかな鼓動と溶け合いはじめる。
「でも…この部屋だとお布団を二つ敷こうとすると並べないとダメですよね…」
ルミは俺を離すと、ちょっと困った顔をして部屋を見渡した。
「確かに…」
ルミの言うとおり、俺の部屋はあまり広くないから布団二つ分のスペースを確保するとどうやっても隙間など無いも同然な程度しか布団を離すことが出来ない。いきなりルミの胸の谷間に顔を押しこまれたのがショック療法にでもなったのか俺もいまはかなり落ち付いているとは言え、密室で二人きりで並んで寝ている状態では理性を保つ自信が無い。
仮にルミが『女』としてそれを望んでいたとしても彼女はまだ13才、天使としての彼女に会ったのはたったの数時間前でしかない、いくらなんでもそれを押し倒すのは俺にはとても出来る事ではないのだから…。
「あ…台所とこの部屋の間ならなんとかなりそうですね」
ルミは台所の方を指して言った。台所とこの部屋を隔てる壁際に布団を寄せれば部屋の中央側にもう1枚の布団を敷くスペースは無いが台所の床側なら少し離れたところに布団を並べることが出来る。俺たちは布団を動かすと敷居を隔て少し離れたところに布団を並べることにした。
結局台所側に寝たのは俺だった、はじめはルミが『ご主人様を差し置いて自分がこの部屋で休むことはできません』と主張したのだが流石に女の子を板張りの台所で粗末な寝具で休ませるわけにも行かない以上俺としては当然の選択だった。とは言え『守護天使』の立場で考えれば『ご主人様を変な状態で休ませて体調を崩させてしまうのは本末転倒』なのも事実だ。結局間を取って俺のほうにいつもの布団ひとセット、ルミは押入れから出した冬用掛け布団を床に敷き、毛布やらを総動員することになったのだ。
二人の間にある敷居とその距離は俺にとって理性を維持するための防波堤として役に立ってくれる。もちろん二人を隔てる扉も何も無いし、それこそ手を伸ばせば届くようなわずかな距離だ、それはこのまま朝になって目を醒ました時にはルミが消えてしまっているのでは無いかと言う不安を和らげる距離でもあった。
「ゴメン…『行くな』っていうのは勝手な言葉だったね…」
俺は天井を眺めながら呟く様に言う。
「あの時…ルミを置いて行ってしまったのは俺のほうだったのに…」
「……」
「あの時の俺はただの小学生だった…なにも出来ない子供だった…」
「……」
いつのまにかルミがこちら側に来ていて俺を上から覗きこむ。格好こそそのままだが眠る前と言うことでブラはつけていないらしく、華奢な肢体に不釣合いとも言うべき圧倒的なボリュームを持った乳房はつんとその存在感を主張する。
「でも…ご主人様はあの時ちゃんと戻ってきてくれました…」
目の前にある覆い被さらんばかり二つの存在だか、俺は不思議と理性を保ったままルミの瞳をまっすぐと見据えた。
「わたし、牛だった時何匹も子供を産みました…」
そう、ルミは『乳牛』だったのだ。乳牛と言っても大人になれば勝手に牛乳が出るようになるわけで無いのは当然のこと、当然牛だった頃のルミは何度も子牛を産んでいる…。
「でも、一度も自分で育てたことはありませんでした…守護天使に転生して人と同じ心を持ったいまなら、それにはいろいろと事情があったことを理解できます…」
「…」
ルミの黒目がちな瞳はどこか遠くを見るような悲しみの色を一瞬浮かべるがすぐに元に戻る。
「ご主人様はわたしにとって、最後の子供みたいなものだったんですね」
ルミの言わんとすることはすぐに理解できた。たしかに俺はみちる姉さんに誘われて彼女の家の牛が子供を産むところに立ち会ったこともある。その時の子牛はすぐに母親と…つまりルミと引き離されてしまったのだが丁度その頃から俺はみちる姉さんの家の牛舎にちょくちょく遊びに行くようになったのだ。
あそこには犬や猫、うさぎ、鶏本当にいろいろな動物がいた。時に事情が有って預かったりしたヤギや羊、馬が居ることもあった。そう、幼な心にはちょっとした動物園の様に見えていたのかもしれない。
俺は動物に対してあんまり詳しい方ではないがあそこに居た牛たちがお互いを一つの群れの様に考えていたのなら…世話をしている人達や他の種類の動物までも群れ…いや家族と思っていることは不思議でない気もした。ルミはまだ現役だったとは言えあの時に居た牛のなかでは高齢の部類、あの時に産んだ子供が最後になると言う予感を薄々ながら感じることも無理のないことだ。そしてその子供と入れ替わりにやって来た俺を自分の子供だと思いこむなんてのはありえ無い話しでも無い。
「だから、あの時に戻ってきてくれた…それだけでわたしには充分だったんです…」
ルミの瞳には輝くものが溢れはじめていた。
「ありがとう…ルミ…」
俺はそう言ってルミの鼻の頭にそっと指を突き出すと軽く触れる。ルミは恥ずかしそうに少しだけ舌を伸ばし俺の指に絡めようとしたが、俺はそのまま指を頬まで動かし溢れかけていた少女の涙をぬぐう。
「…ごめんなさい…ご主人様…わたしはご主人様の守護天使なのに…逆にご主人様に心配をかけさせちゃいましたね…」
「とりあえず今夜はもう休もう…しっかり寝とかないと明日に響くから…ね?」
「はい!!解りましたご主人様」
けたたましい電子音…枕もとの目覚し時計がいつもの様に鳴り響き、ほとんど条件反射の様に枕もとに手を伸ばし手探りでその電子音の主を探すが、なぜか目覚し時計のヤツはそこにいなかった。次の瞬間目覚し時計は勝手にとまり、俺の体は何者かによって揺すぶられる。
「起きてください〜ご主人様ぁ〜、朝ですよ〜」
すぐ傍からする女の子の声に俺は慌てて布団から飛び起きる。布団の位置がいつもと違う…台所だ…まだぼうっとした目で部屋を見まわすと俺の傍にエプロン姿のおさげ髪…正確に言うと三つ編みではなくゴムだか紐だかを使ってまとめる事でそれっぽく見せているのだが…の少女が覗きこむような感じでしゃがみこんでいた。まだ頭が上手く働いていないせいで状況を飲みこむまで少しタイムラグが出来る。
昨日、俺の部屋に突然この少女が現れた、少女の名前はルミ。彼女は14年前に俺の家の近くで飼われていた牛が転生した少女で、その最期を看取った俺を守護する守護天使として俺のもとにやってきたのだと言う。はじめは少女の言葉を信じなかった俺だが、あるきっかけからそれが事実だと知ったのだ。
起きた直後はそれも夢だと思った。ある意味その牛を殺したのは俺自身なのだ…その罪の意識が作り出した都合のよい夢…。
「まだ、この台所どこに何があるのか全然解らないんですし、ご主人様が何を食べたいのかも解らないんですから手伝ってもらえないと朝食の準備ができないんですよ〜」
「ああ…ゴメン、今起きる」
ルミの料理の手際は昨日に続いて大したものだった。もっともガスコンロになかなか火をつけられなかったり、冷蔵庫のドアをおかしな方向に引っ張ろうとしたとか、換気扇をつけていなかったりと言ったこのキッチンに慣れていない部分はちょこちょこあったが、包丁捌きなど基本的な技術はそこらの主婦を軽く上回る…当然俺よりも高い技量を持っていた。
なので貧弱ながらも設備の揃ったキッチンでの料理…それも元々短時間で用意出来るように準備してある朝食二人分を二人がかりで用意するなんてのは大した事では無かったのだ。メニューは昨日に準備しておいた生地をフライパンで焼いたパンとコンソメ風味の洋風出汁巻き玉子と牛乳…自家製の焼きたてのパンなんて言うとちょっと凄く感じるが、単に事前に焼いておいて冷めたものをもう一度オーブントースターで焼くのでは電気代が勿体無いとか、卵と他の食材を一度に料理した方があとで洗う皿も少なくて済む…という一人暮し3年目という体験が産んだ成果だと言うあたりが多少物悲しいものがある。
「…ごめんなさい、ご主人様…ミルク…わたしのが搾れればよかったんですけど…」
俺はルミの言葉に思わず飲みかけの牛乳を激しく噴いてしまった。
「ああっ…すみません!!今拭きます〜」
ルミは布巾を片手に慌ててこっちに駆け寄る。かなり勢いよく噴き出してしまったためにほとんどがテーブルの上にこぼれ、朝食に影響がなかったのは不幸中の幸いだった。
ルミは大慌てで俺の横にしゃがみこむと、俺の体にこぼれた分から丁寧に布巾で拭ってゆく。
「拭き残し…ないですよね?」
「ああ、多分…」
俺は自分の体を見まわしながらそう答えると、ルミはテーブルにこぼれた牛乳を一滴も見逃すまいといろいろ視線の角度を変え、テーブルを一生懸命拭き始めた。
俺が噴き出した牛乳は結構激しく飛び散っていたために、ルミのエプロン越しにもわかるボリュームを持ったたわわな乳房がたぷんたぷんと音を立てそうな勢いで揺れると言う、凄まじく刺激的な光景が俺の目の前で繰り広げられる。
この光景はたやすく先ほどのルミの言葉を…ルミがこの幼い肢体には不釣合いに熟した果実を俺のために搾り、注ごうとする姿を想像させ、俺の心拍数は一気に撥ね上がる。
だが、いくら姿かたちは変わってしまったとは言え、大切に思っていたルミに対してそんな想像をしてしまうこと自体俺には許しがたいことに思え、慌ててルミから視線を逸らすが、それで俺はあることに気が付きギョッとした。
ルミは俺がこぼした牛乳を拭く事だけに夢中になっていたらしく、布巾を持っていないもう一方の手が俺の太腿の間に…と言うか股間のすぐ前に置いていた事に気がついてなかったのだ。そこに手を置かれてしまえば背もたれ付きの椅子の上からルミの体に触れずに逃げる事はまず出来ない。そしてこのままの状況が続くのであれば…。
「ああッ…ルミ、そんなに気にするな!いきなり噴き出した俺が悪いんだ、あとは自分でやる!」
「…でもご主人様がそこまで驚かれるとは思わずにあんな事を言ってしまったわたしの責任だと…」
「ホントに大丈夫だからルミも早く朝飯を食べろって、俺が学校に行くまでに洗濯機とか掃除機とかの使い方を一通り聞いておきたいって言ってたんだし…」
「そう…ですよね…」
ルミは俺の前に布巾を置くとしぶしぶと言った顔で自分の席に戻って食事を再開したのだった。
思ったよりも朝食とその後片付けは早く終わったのだが、意外な問題が発覚した。それと言うのも、守護天使たちが修行を積む天界の一区画…通称『めいどの世界』での実習場の施設は、『ご主人様』となる人間の住む地域に合わせたものが用意されているのだが、その設備はそれを創造した神様に一任されていたために、今の地上界のものと幾分隔たりがある…つまり有体に言って修行場にはつい最近までほとんど家電製品が無かったのだ。
確かに守護対象となる人間のところに家電製品が揃っているとは限らないし、それどころか電気炊飯器すら持っていない可能性も0ではないので、そういった状況のための訓練も当然必要になるのだが、前世で感電死したためにあらゆる電化製品に対して恐怖心を持っていた守護天使が本人ですらその恐怖心に気が付かないまま地上界に派遣されてしまうと言う事態が発生していたのを踏まえ、当時就任したばかりのメガミ様が大幅な施設の改装と修行内容の見直しを行うまでは、川に水を汲みに行き薪を使って鍋でご飯を炊く…と言った感じの調理実習が日常的に行われて来ていたのだと言う。
一応はルミも一通りの家電製品を使ったことはあるらしいのだが、彼女に掃除機の説明をしていた時、掃除機のコードを収納するボタンと間違って中のゴミを取り出すために分解するためのボタンを押して危うくゴミをぶちまける寸前になったので今日のところはほうきとちり取りでのはき掃除や雑巾による拭き掃除などからはじめることにした。
「…とりあえず洗濯物はいま洗わなくちゃいけないほどはないから、夜にでも実際に洗濯機を動かしながら説明するとして…」
「ですね」
「燃えるゴミと燃えないゴミとの分別も暫くは実例を見せながら…ってことになるし…」
「すみません…」
「お昼と夕飯の食材はちゃんと冷蔵庫に入ってるし…」
「それだと…食事の準備以外は簡単な掃除ぐらいしか出来ることがないですよね…」
ルミは済まなさそうに顔を伏せる…。
「いや、ホラ、俺今まで一人暮しだから窓拭きとか風呂の掃除とか手が回りきってないところがたくさんあるし『簡単な掃除』って言っても結構量があって大変だから!それをしてくれるだけでもちゃんとルミは役に立てるって!!」
「でも…」
俺は顔を伏せたままのルミの頭にそっと手を置き、軽く撫でる。
「それじゃそろそろ行かないと講義に遅れちまう…まだ慣れてないんだし自分のペースでやればそれで十分だよ」
「ご主人様…」
俺は身支度を整え、最後にルミからカバンを受け取って玄関を出る。
「それじゃルミ、行って来ます」
ルミに背を向けた瞬間、突然俺の背中にふにゅっとしたやわらかな感触がのしかかる。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
玄関を開けると明りは点いていなかった。俺は守護天使となった現在のルミがどんな性格をしているのかを理解できるほど知っているわけではないが、それこそ全身で喜びを表現しながら飛びついてくる…というかむしろ突撃とすら表現してもよい勢いで飛びこんでくるのではないかと心配だったぐらいだ。
なのになにも起こらないのだ、俺はそれこそ不安を感じながらルミを呼ぶ。
「……」
返事は無い…その代りに押し殺したような嗚咽だけが俺の耳に届く。外からの薄明りだけの暗い室内にやっと目が慣れて来た頃、その嗚咽の主は台所の床にへたり込んでいるルミだと判った。
「どうしたんだ…こんなに暗くなっているのに電気もつけないで…」
明りをつけるとルミはずふ濡れだった、部屋の真ん中で転がるバケツと雑巾代わりのタオル、倒れた椅子…つまり…電灯あたりを拭こうとしてバランスを崩してしまったようだ。
「す…すみませんご主人様…わたし…拭き掃除…しようと…思っていたんですけど…電気…拭こうとして…椅子から落ちて…バケツこぼしちゃって…」
さっきまでの心配が変な形で肩透かしを食らったような気分に一瞬怒りが湧き起こるが、ずぶ濡れになったまま俺を上目遣いに眺めるルミの表情に、怒ろうとしていた気持ちが急速に姿を消した。上手く行かなかったにせよ彼女なりに一生懸命やろうとしていたのだから…。俺は無言のままルミの頭に静かに手をかける。ルミは一瞬俺に叩かれるとでも思ったのか首をすくめ身構えた。
「あ……」
この失敗に対して『ご主人様』から叱られると思いこんでいたらしく、その黒目がちな瞳がわずかに涙で潤んでいた。
「ルミ…怪我は…無かったか?」
「え…ええ、わたしは大丈夫です…椅子や…バケツはもしかすると壊れちゃったかもしれませんけど…ごめんなさい…ご主人様…」
「そうか…」
俺はルミのバケツの水で濡れたままの髪をくしゃくしゃと撫でながら、ルミと同じ目線の高さまでしゃがみこむ。濡れたせいでゆったりとした緑色のタンクトップはぴったりと彼女の肌に張りつき、豊かな双丘とそれを覆う下着のラインを浮かび上がらせていた。
「ルミは一生懸命やっていたんだろ?」
「…はい…」
「でも失敗して痛い目にあったんだろ?」
ルミは無言のまま頷く。
「ルミはちゃんと反省して謝ったんだ…だから今回は俺がこれ以上叱る必要は無い…」
「すみません…ご主人様…」
俺は一旦、脱衣所からタオルを取って、ルミにも渡すと二人でこぼれたバケツの水を拭き始めた。そして汚れたタオルを洗面所でざっと洗ってから他の洗濯物と一緒に洗濯機に放りこむ…そして俺はその時になってあるとんでもない事に気がついたのだ。そう、ルミは身一つでここにやって来たのだ…つまり着替えになるようなものは何も無い。
「どうしました?ご主人様」
思わず天を仰いで考えこむ俺に対してルミは小首を傾げて応じる。
「いや、昨日は少し濡れた服を乾燥機で乾かすだけだったから、ルミがシャワーを浴びている間でなんとかなったけど…いくらなんでも雑巾を洗った水でびしょ濡れになった服をそのまま乾かして着るわけにもいかないし…」
「そうですよね…」
「でも…その間のルミの着替えになるようなものが無いんだよなぁ…」
ルミがなにに気が付いたのか不意にポンと手を打つ。
「ああ…そういうことでしたか!ご主人様、それなら心配いりません!!」
「え?」
「ちょっと見ててくださいね」
次の瞬間、ポンと小気味のよい小さな爆発音とピンク色の煙が上がり、その煙が晴れるとルミの服が一瞬で乾いていた。
「…えっと…ルミ…いま…何をやったんだ…?」
「服を一旦消して、もう一度出現させました」
「……」
目の前で起こった出来事に対して俺は驚きのあまり言葉を失った。少なくともルミ自身は『特に術は使えない』と言っていたので、正直ルミにこんなことが出来るとは全く思っていなかったのだ。
呆然とする俺をルミはきょとんとした表情で見上げてくる。
「…ご主人様…もしかして…驚かせてしまいましたか?」
「…ああ…」
「すみません、服を出したり消したりするのは守護天使にとっては普通のことなんでご主人様に驚かれてしまうとは気が付きませんでした…」
ルミの着替え問題はこっちが悩んでいたのが馬鹿らしくなるほどあっさり解決してしまった。
服を出したり、消したりする能力は守護天使にとってはまさに基本的な能力らしく、それこそ天使としての肉体を得た状態であれば一番下級である9級守護天使でも普通に使うことが出来るらしい。
もっとも下級天使の場合、出現させられるのが守護天使の制服と一番イメージしやすい普段着一揃いの2種類だけに限られることが多いらしいが、それでも守護天使にとっては『当たり前』の能力だ。そのためルミは普通の人間に見せたら驚かれる可能性があることを完璧に失念していたらしい。ただ昨夜は大雨の音にルミは動転していたので、本人も完全にこの能力のことを忘れていたのだが…。
あくまで綺麗になったのは服だけでルミ自身が綺麗になっていたわけではないが、お風呂の準備が終わるまでということならとりあえず問題は無い、お風呂にお湯が張れるまでの間、とりあえず洗濯機の使い方を説明したり、夕飯の準備をすることにした。
夕飯の準備の途中でお風呂にお湯が張り終わり、雑巾バケツの水ですぶ濡れになっていたルミが先にお風呂に入ることになった。
ルミは『まだお夕飯の準備も終わって無いのにご主人様よりも先にお風呂に入るのは…』と言い出しかけたが、俺が先に風呂に入り夕飯の仕上げをルミに任せた場合、雑巾の水を頭からかぶった汚れが残ったままの状態でテーブルにつくか、ルミが風呂から上がるまでの間俺が一人完成した夕飯を前に待ち続けるか、俺が一人で先に夕飯を食べてしまうかの3択になる。
ルミとしては守護天使の仕事として俺の身の回りのことをやっていてそれで汚れる自体は全く気にしていない様だし別に自分を待たなくても構わないと言うのだが、やっぱり人として中学生ぐらいの女の子にそこまでさせるのはどうかと言う部分は当然あるわけで、拭き掃除でついた汚れを綺麗に落した状態で二人一緒に食べる方がいい…と説得したのだ。
結局、夕飯が出来るまでにルミが上がった場合はそのあと仕上げをルミがやって、俺が交代で風呂に入る事になってしまったが…。
「ご主人様、ただいま、お風呂空きました〜」まだ夕飯が完成していないのにルミはもう風呂から上がって来た。
「意外に早かったんだな…」
ルミが部屋に入って来ただけでなんとも言えない甘い香りがふわりと部屋に漂い出す。自分と同じ石鹸やシャンプーを使っているはずなのに…これが女の子の香りなのかな…なんて思ってしまった。
「わたしの場合、服を脱ぎ着する時間が必要無いですし、ご主人様一人に料理させるわけにも参りませんから…」
確かに…ルミは脱衣所に持ちこんでないはずのエプロンまで身につけ、夕飯の準備を手伝う気まんまんでこちらにやってくる。
「じゃあ…あとはわたしがやりますからご主人様もお風呂済ませちゃってください」
「ああ・・じゃあ頼む」
そう言って俺は台所を後にした。
「ふう…」
俺は湯船につかりながら風呂の天井を見上げる。思えば昨日はルミが来てから結構あわただしい状態が続いていて風呂に入っていなかった事すら気がつかなかったのだ。ルミとの生活も暫くすれば慣れてきて落ちつくとは思うが、解決しなくてはいけない問題は残っている。
部屋の広さと構造自体はどうすることもできないからともかく、食器はある程度買い足す必要もあるし、寝具一式だって必要になる。もともと仕送り自体が家賃と学費を払ってしまったらそれほど余裕のない状態だったことに加えてバイト先が倒産してしまったのだから、そういった出費どころかルミの分の生活費を賄うのすら大変なことは目に見えているのだ。
そんな事を考えていると脱衣所の洗濯機が作業終了のブザー音をたてる。ウチのは値段の関係で全自動ではなく二槽式なのでわざわざ脱水機に洗濯物を移さなくてはいけない。洗濯機が止まった事に気がついたルミが脱衣所に入ってきてその作業をはじめた。
あんまりルミを待たせる訳にはいかないので俺も湯船から上がり、体を洗うことにする。
「あ…ご主人様、もうお風呂から上がられますか?」
「いや、まだこれから体を洗うところだから…こっちに気にせず続けて」
「わかりました、ご主人様」
作業を中断して脱衣所から出て行く必要がないと判って安心したのかルミは安堵の声を上げる。もしかすると洗濯物はまだ脱水側にはほとんど移せていなかったのかも知れない。
「…ところで…ご主人様、まだお体を洗われていない様でしたらわたしがお背中だけでも流しましょうか?」
「え!?…いや…そこまでして貰えなくても…」
「そうですか…」
ルミの突然の申し出におどろいた俺は慌てて断ろうとしたが、風呂場のガラス越しに届くルミの声の様子にちょっと罪悪感を覚えた。『守護天使』にとってご主人様の役に立つ事は存在意義そのものなんだろうと思う。だけどルミは掃除での失敗の後始末に俺を手伝わせてしまったことや結果として夕飯の準備の大半を俺にさせてしまった事をかなり思いつめてしまっているのかもしれない。
「ごめんなさい…わたしまたご主人様に迷惑かけちゃったみたいですね…」
「いや…突然の事で驚いたただけ、頼めるかな?」
「はい!!」
風呂場のガラス戸を開けてルミがこっちへやってきた。てっきりエプロン姿だと思っていたら違った。
体にぴったりとした紺色の生地の…水着、しかもいわゆるスクール水着だ…。他の部分は華奢なのにその胸元のふくらみは生地を破らんばかりにその存在を主張している。
「そ…それって…」
「え?わたしぐらいの年格好の女の子が水にはいる時はこのデザインの水着を着るんじゃないんですか?」
ルミは黒目がちな瞳を大きく見開いて小首を傾げて見せる…中学生の少女が着る水着としては確かに間違ってはいない。
「確かに…間違っちゃいないが…その水着…守護天使の能力で出したんだよね?」
「ええ…そうですけど…どこか変ですか?」
俺は女の子の水着について詳しいわけではないのだがなんとなく、サイズが一回り小さいのか胸元はその豊かなふくらみの全てを覆い隠し切れずちょっとばかり食いこんでいる感じに見え凄い事になっていた。
「いや、それ自体は変じゃないけど…」
そこまで言って俺は大変な事に気がついた…スクール水着は水着としては地味な部類に入る。ルミのグラビアモデル並のスタイルを押し込んでしまったためにこんな状態になっているわけだ。ルミに頼めば簡単に別の水着に替えることが出来たとしても、いまの状態よりも過激な水着を披露してくる可能性もありえなくも無い。
「…まぁ…いいか…じゃあ頼む」
俺はそう言いながら、自分の体を洗うために用意していたタオルをルミに手渡した。
後ろからスクール水着姿の女の子が俺の背中を一生懸命洗っている…これが普通の中学生ならともかく、ルミの場合スタイルが規格外なので湯気で雲ってしまった鏡に写る姿ですら刺激的なものがある。
ゆったりとしたタンクトップと違ってぴったりした水着…どころか小さいサイズの水着に無理に押し込んでいる状態だとルミの豊かな乳房は昨日以上に大きく見えた。昨日には少なくともE以上だとは思っていたが実際にはGカップを越えてたりするのかも知れない。
ルミは一生懸命に俺の背中を洗おうとするので、上下のタオルの動きにあわせてその双丘が水着からこぼれそうなぐらい揺れるのが曇った鏡越しに展開されているのが目に映る。
当然、背中だけではすぐに終わってしまうので、ルミはいろいろな場所を洗いたがるが、既に俺はルミを前に周らせてはいけない状態になってしまっているのであとは髪と腕ぐらいしか残っていない。
「じゃあご主人様、わたしは髪を洗わせていただきますので、前側はお願いしますね」
「ああ…判った」
ルミは俺の肩越しにタオルを手渡すと、シャンプーの瓶を手に取り俺の頭を洗い始めた。しかし、よく考えるまでも無いことなのだがシャンプーの泡が垂れてくるので、そのたびに自分の体を洗う手を止めることになり二人かがりと言うほどの効率は上がらない…まあ、ルミが楽しそうにしているのでさほど問題は無いのだけれど。
さすがに背中よりも高い位置を洗うため、ルミは膝をつき俺を見下ろすような格好で俺の頭を洗っている。ルミの水着に目いっぱい押し込まれたふたつの膨らみは丁度俺の俺の後ろに鎮座していた。そのままルミに前側を覗き込まれるような気がしてつい、前かがみになって逃げてしまいそうになる。
「御主人さまぁ〜、前に逃げたら頭が洗えません〜」
だがこの行動は裏目に出た。一生懸命になっているルミは俺か逃げる分そのまま距離を詰める。そのたびに俺の背中や後頭部にルミの極上のクッションがぶつかってしまうのだ。迂闊に逃げてバランスを崩し、ルミの下敷きになってしまったら正直理性を保つ自信は無い、ここは諦めるしか無いようだ…。
ルミは俺が自分のタオルを洗面器に入れてすすいでいるのを見て、湯船からお湯を汲んで俺についた泡を流し始める。ルミはあらかた泡を流し終わると最後の一杯は俺に洗面器のまま手渡してくれる。
「サンキュ、ルミ」
「どういたしまして、ご主人様」
受け取りざまにルミの顔を眺めると、ルミはお湯に漬かっていた訳でもないのに肌がほんのりと紅潮しながらも精一杯の笑顔で応じてくれた。やっぱりその辺は13才の女の子、恥ずかしいのを我慢して一生懸命洗ってくれていたんだ…。
「じゃあ、わたしは先に上がりますね」
「ああ…ありがとうルミ」
ルミは俺の視線を受けてどこと無くぎこちないしぐさで自分についた泡を流すと脱衣所のほうへ向かった。すりガラス越しにルミが髪や体に残った水滴を拭うシルエットが映ったかと思うと、あっという間にルミは台所に向かって行ってしまった。いつまでもルミを待たせるのも悪いので俺も風呂に再び浸かるのもそこそこに風呂からあがることにした。
台所につくと、夕飯の支度は終わっていてルミは自分の席に着いていた…着いていたのだが様子がなんかおかしい。なぜかいまにも泣き出しそうな表情をしている。
「どうしたんだ!ルミ」
「…ご主人様…わたし…服が上手く出せなくなっちゃいました…」
「どこもおかしくは…え!?」
慌てて俺もルミの服に目を走らせ、そしてすぐに気が付いた。なんというか…ルミの同年代の女の子どころかグラビアアイドルと比べても遜色のないサイズの乳房に入浴前と違って下着がかなり食いこんでいるような状態になっていた。
「もしかして…わたし…この能力すらなくなっちゃうんでしょうか…なにか掟に反する様なことを知らずにしてしまったんでしょうか…もしかして…『めいどの世界』に帰らなくてはならないんでしょうか…」
もはや、ルミは半狂乱だった。服の出し入れと言うのは下級天使でも当たり前に使える基本的な術だがルミはそれしか使えない。もしそれが上手く使えなくなったと言うのならここまでショックを受けるのも当然だろう。
俺は思わず天を仰ぎ、メガミ様とやらを恨んだ…13年もずっと俺の元に来る事を目指して修行を積みつづけた彼女が、このまま『めいどの世界』とやらに戻らなければならないのなら…たった1日だけしか時間を与えないのはあんまりじゃないのか…。
だが俺にはルミにかけてやる言葉すら見つからず、ただ立ち尽くすだけしかできなかった。
<第2話 了>