「大変なのよ瑠璃ちゃん」
なぜか訪問予定よりも一日早く来た乳命は、いきなり有無を言わさぬ口調で言った。
「いえ、こっちも大変なんですよ乳命さん」
瑠璃も妹二人に起こった珍事を乳命に伝えるべく口を開いた。
「とっっっても大変なんだってば」
「あの、妹がですね…………」
「私の猫が逃げちゃったのよ。大変大変」
「いもう…………」
「人界に行くって置き手紙があるにはあっ短から、来るならここだろうと思ったんだけど……居ないみたいね。まったくアイツめ。見つけたらでいいから教えてちょうだい。ねっ、乳命ちゃんからの一生のお願い」
「い…………」
「私もこうしちゃいられないわ。探さなきゃ。じゃまたね」
ピンクの煙が場を包み、それが晴れた時には乳命の姿は無かった。連絡先も告げずに見つけたら教えろというのはよっぽど焦ってるのか著しくアホなのかのどっちかなのだろう。
「…………言えなかった」
一人残された瑠璃は、ポカンと乳命のいた空間に手を伸ばしていた。
今、乳命が何か変なことを言っていた気がする。
猫の置き手紙……?
ミカンのダンボール箱を机に、一生懸命何か手紙を書いている猫の姿が瑠璃の頭に浮かんだ。
(か、可愛い……)
ほわーんとした幸せ顔になる瑠璃。が、それは現実には有り得ない光景だ。
瑠璃は頭をひねった。
次の日、朝から瑠璃はかなり憂鬱な気分だった。
今日の夜、両親が帰ってくるからだ。
それよりも早く乳命が来た時は天の助けと思ったがさっさと帰ってしまったし、あの様子では今日も来ないだろう。
妹2人のことを、何といって説明すればいいのやら。
旅行からかえってきたら、小学生のはずの娘が急成長。
自身の病気でもかなりの迷惑をかけたのに、これ以上心労を重ねさせたくはない。知らず知らずにため息もでる。
「フゥ……」
伏し目がちに通学路を歩きながらため息をつく瑠璃の姿はかなりの視線を集めた。
学校でもそんな調子だったので、調理実習の時間違えて妹の給食着を持ってきているのに気付いたけどどうしようもないからそれを着てやたらボディラインの浮き出る服装でクッキー焼いたり、掃除の時はバケツの水汲んでくる時にスッ転んで頭から水をかぶって服が透けたり、体育のマラソンの時は靴のヒモを踏んで前を走っていた女子に向かって転んだりした。倒れこんだ瑠璃の胸が、汗を含んだ体操服ごしに女子の身体に覆いかぶさり押しつぶしている様はだいぶインモラルだった。
何とか学校が終わり、家にたどり着くと、家の玄関にふあふあのもこもこが寝ているのに気がついた。
猫である。生後一年くらいの三毛猫。
目を柔らかくつむり、鼻ちょーちんをぷくーぷくー膨らませながら幸せそうな顔で丸まって寝ている。首には黒い首輪。どうやら野良ではないらしい。
(か、可愛い……)
それが第一印象。思わずほっぺたの辺りをつついてみる。
ぷにぷにしていた。それでも猫は起きない。調子に乗って背中をなでてみる。さらさらすべすべした感触が愛撫を受け止める。小さくゴロゴロ唸りだす喉。こうなるとやめられない止まらない。
無心に猫をなで続けること30分。鼻ちょうちんが割れ、ゆっくりと猫の目が開き、猫の顔立ちをチェックするために瑠璃の目が少し開かれる。
満月色の目に緑の瞳。洋猫の血が入っていると見てとれた。まるまっちいパーツで顔が構成されていて非常に可愛らしい。
猫はしばらく寝ぼけた顔でぼんやり辺りを見回し、一心に自分をなで続ける瑠璃がその瞳に映すと、
「アンタがルリちゃんかにゃ」
「ね、ね、ね、猫がシャベルカー?」
「ちがうにゃ。それを言うなら猫がしゃべったにゃ」
ぺしっ、と猫に裏拳でつっこまれたのを最後の記憶に、瑠璃は気を失っていった。
瑠璃の意識が戻った時、見慣れた天井がまず目に入った。周りを見渡すと見慣れた壁と見慣れた家具。自分の部屋。枕元の時計を見ると5時少し前。額に濡れた手ぬぐいが乗っていることに気付く。
布団に寝ている瑠璃の脇には、妹が二人座っていた。
肩を惜しげもなく出したキャミソールを着ている藍は、正座して瑠璃を心配そうに見ていた。その膝いっぱいに服からハミ出た胸が乗っているので、足がしびれるのも早いだろう。
キレ長のへその見える(そういう仕様なのではなく、胸を覆うので精一杯)黒のタンクトップに短めハーフパンツ(ハーフパンツが短いのではなく、翠の脚が長い)であぐらをかき、鼻ちょうちんをぷーぷー膨らませながら寝顔も健やかに寝てる翠。
状況を理解する前に、瑠璃は自分に何かあったらしいというと直感した。
だが、何があったのか? 身体には特に異常が無いように思える。胸の上に何か乗ってて息苦しい感じがするのはいつものことだから。訊いてみることにする。
「翠、藍、何で……?」
「あ、お姉ちゃん気付いた? 玄関で倒れたんだって、大丈夫?」
藍に言われて、倒れたときのことを考えてみる。
……駄目だ。霧でも厚くかかっているようで思い出せない。
瑠璃が考えるのをやめたその時、5時のサイレンが鳴り、翠が目を覚ました。勢いよく割れ鼻ちょうちんが、ゆっくりと翠の目が開く。
「あれ、瑠璃姉、目ぇ覚めたの?」
……瑠璃はそれには答えない。今の翠の起き様に通じるものを、倒れる少し前に見た気がする。
「……翠と藍がここまで運んでくれたの?」
「ううん、たまちゃんが運んでくれたんだって」
「たまちゃん?」イヤな予感がした。
「ほら、あっちあっち」
翠の指差す方向、枕もとの方を瑠璃が見ると、猫目がちの瞳が瑠璃を見ていた。というか猫だった。瑠璃の脳裏にさっきの出来事がフラッシュバック。
「そういうことにゃ」
「…………やっぱり」
猫がしゃべった、ということに対する反応である。
「たまちゃん偉いねー」
翠は言うと、そのたわわに実った胸に押し付けつる様にたまをかき抱くと頭をなで始めた。たまが胸に埋まった。翠のこぼれそうな笑顔。結んだまげがフルフル左右に揺れる。アーユードッグ?
「えっと、そのね、あのね、翠ちゃん。私も、たまちゃんなでたいんだけど……ダメ?」
控えめに藍が言った。
「ダメ」
即座に翠が答える。
「さっきだって、なでて、た、なでてたくせにぃ……」
マズイ。泣く3秒前だ。場に走る緊張。
「ほ、ほら藍、たまちゃんあげるから泣かないで、ねっ?」
急いで藍に差し出される猫――たま。
「たまをあげるって……たまはモノじゃないにゃ」
「藍が泣いたら一時間は泣き止まないんだから……協力して」
「ぶー。ハッ、可愛いたまがブタちゃんみたいな声を出しちゃったにゃ。失態にゃ!!」
独白する間にたまは藍の腕に抱かれていた。さっきまでじんわり涙を浮かべていたのに、それだけで満面の笑顔になる藍。嬉しさのあまりついつい力も入る。
強くたまを抱きしめた拍子に、たまは藍の胸の柔らかさの中に埋没してしまった。腕組み気味の藍の両手に、胸とたまが締め付けられている。
たまは胸の中で必死にもがいた。はい上がろうと胸に手(前足)を掛けるが、ちょうど力を加えた分だけめり込んでしまう。それに対応して小さく藍が喘いだ。しかしたまは気にせずにじたばたと全身を使って抜け出ることに専心し、なんとか成功させた。たまは肩で息をしながら言った。
「あやうくクタバルところだったにゃ」
本物の死線を越えた者のみが発することのできる声だった。
「ごめん、たまちゃん……」
わずかに頬を染めつつ藍が謝る。たまが暴れた結果、そのキャミソールの胸の部分はずり落ち、谷間の露出が2割増しになっている。ここで瑠璃が口を挟んだ。
「ところで翠、藍……」
「「何?」」
さすが双子。完全にハモッた。
「その猫、たまちゃんだっけ?しゃべってるんだけど……」
「「それで?」」
またハモった。
絶句して、瑠璃は気付く。身体は大人でも、中身は現役小学生。しゃべる猫くらいは許容範囲内なのだろう。多分。
さらに瑠璃は、自分が猫について気になる情報を持っていることにも気付く。
「うんと……、ちょっとだけたまちゃんと二人(?)になりたいんだけど……だめ?」
その言葉を受けて賢明なる翠は少しだけ考え、すぐに瑠璃の心を察した。
(そうか、瑠璃姉もたまちゃんをなでたいんだけど、赤ちゃん言葉になっちゃうのが恥ずかしいんだ)
「分かった。行こう、藍」
とっても瑠璃思いの翠だった。
藍の手を引いて部屋を出て行こうと翠はした。が、藍はまたも弾みそうな音とともに出口に胸をつかえさせてしまった。
「あー、まったくもう。藍ばっかこんなになって、ズルいと思わないのもう」
「好きでこんなになったんじゃないよぅ……」
どうにか部屋からでられた二人の足音が遠ざかるのを待ち、瑠璃は猫に問い掛ける。
「えっと、たまちゃん?ひょっとして、乳命さんの猫……?」
「違うにゃ。タダしくは乳命の猫だった、にゃ。過去形にゃ。バカ乳命め、こんなにカワイイたまにオヤツをくれるのを忘れてシャザイの一つもないにゃ。たまはイカったのにゃ。盗んだバイクで走り出したにゃ」
「でも、乳命さんすごい心配してたよ。帰ったほういいんじゃない?」
たまはジト目になった。
「玄関で倒れたルリちゃんをここまで運んでやったのに、追い返そうとするなんて何て、何て……わかったにゃ。たまは帰ってご飯ももらえずにガシするにゃ。あー、せっかくルリちゃんは優しいって話に聞いてたから来たのに……」
運んでもらったのはそうらしいけどそもそも玄関で倒れたのはたまのせい、とは話に聞こえるほど優しい瑠璃は思わなかった。たまの発言に負い目すら感じる。まぁ、乳命が次に来たら引き取ってもらえばいいし、それまでならと考え、
「うん、分かった……しばらくいてもいいよ」
「『いいよ』?オンジンにその言葉づかいはないんじゃないかにゃ?」
「…………いて欲しいなぁ」
「よく聞こえなかったにゃ」
「いて下さい」
「そこまで言うならシカタないにゃ。じゃあご飯は一日5回。オヤツは3回で手を打ってやるのにゃ。たまは小食だからよかったにゃあ」
――どうしよう。それが今の瑠璃の正直な気持ち。
たまの体型は普通だ。「やせの大食い」そんな言葉が脳裏をよぎる。が、それは置いといて。
とりあえず気になってることを尋ねてみた。
「あのさ……たまちゃん。どうやってここまで運んでくれたの?」
「がんばってにゃ」
「いや、そうじゃなくって……一人で?」
「きまってるにゃ。たまの英和辞書にフカノウの文字はないにゃ」
得意そうに言うたま。でも瑠璃の顔はアレだった。
「ひょっとして、信用してないにゃ?」
「………………わるいけど、うん」
申し訳なさげに瑠璃は肯定した。まぁ、人語をしゃべれるとはいえこんな瑠璃の半分もない猫に運ばれたのだとは信用できないのも当然と言える。
いきなりたまがわめいた。
「こりゃーもう大ショックにゃ、フンガイにゃ、怒りシントウにゃ。立ち直れないにゃ。倒れたのを運んでやった恩を忘れてこの仕打ち。シントウメッキャクしても暑は夏いにゃ。ポケットの中のビスケットを叩くと2つにわれるにゃ」
興奮して一気にまくしたてるが、意味不明な部分もかなりある。
「えーい、こうなったら証拠を見せてやるにゃ。ハーっ!!」
テンション高く叫ぶと、降って湧いたピンク色の煙が辺りを包む。
視界を覆うほどの煙だったが、わりかしに早く薄れてゆく。すっかり煙が晴れた時、たまのいた場所に立っていたのは。
ハネ気味のショートヘア。パッチリとした大きな目。口の端からは八重歯が一本のぞいている。
当然のごとくネコミミも左右ワンセットで装備していた。
猫だった時の首輪は、人間サイズの革製の無骨な首輪となって、細い首をぐるりと一周している。それは何か、奴隷的なものを連想させる。
後ろに見えるシッポの位置から考えると、ズボンにはシッポ用の穴が空いているのだろう。画手には肉球グローブ。13、4歳ほどの容姿。
胸は小さい。飛鳥の半分程しか……
訂正。胸はかなり大きい。だいぶ豊かに盛り上がってる。
「どーにゃ、これで信じるキになったかにゃ!!」
えっへん、と胸を張る。更に大きく突き出された胸の下には、かなり大きい半円型のポケットがついている。
「よ、四次元ぽっけ!?」
「違うにゃ、これは多次元ポケットにゃ。何でも入る夢のポケットにゃ」
明らかに例のアレのパクリと思われた。
驚くべきことに、この状況の中で瑠璃は平静を保っていた。異常な事態には、もう、何というか、慣れてしまっていた。恐い恐い。
「そ、そうだたまちゃん。タイム ザ フロシキって持ってる?」
瑠璃は閃いた。もし持っているなら、両親の帰ってくる前に妹を元に戻せる。
「もちろん持ってるにゃ」
「貸してくれない。お願い」
「……たまはお腹がすいたにゃ」
天野さん家の冷蔵庫の中身が、半分なくなった。
「ハフゥゥゥゥゥゥゥゥ」
至福のため息をしみじみとつくたま。
瑠璃は家計を心配しながら慎重にたまへの言葉を選ぶ。持てる者と持たざる者の差は大きいのだ。
「たまちゃん、そろそろ……」
「まかせとくにゃ、のび……ルリちゃん」
ごそごそと多次元ポケット探るたま。ちなみに肉球グローブは取り外し可能らしい。物を食べる前に外した時は瑠璃も驚いた。たまの手が外に出された。布を握っている。
「タイム ザ フロシキー」
「その発音は……ドラえも」
「オット、それ以上はいけないにゃ。気づいても黙ってるのがオキテにゃ」
二回目なのでもう瑠璃は気にしないことにした。そんなことよりするべきことがある。たまからフロシキを受け取ると妹の部屋に向かった。
フロシキの柄が乳命のタイム ザ フロシキと違うのは「座敷型」と「チューリップ型」の違いと一緒にゃとたまが言ってたが瑠璃にはさっぱりだった。気づいても黙ってるのが掟である。
一人残されたたまは呟いた。
「たまはヒジョウにお腹がすいたにゃ」
天野さん家の冷蔵庫が空になった。ここで舞台は移る。
〜いもうとるーむ〜
瑠璃はノックはしたがそれに対する返事も聞かずドアを開けた。あとわずかで両親が帰ってくる。急いでいるのだ。
部屋の中には、うつ伏せに寝てる藍と、電気のヒモでボクサーしてる翠の姿。
うつ伏せの藍の胸は、フローリングの床に押し付けられながらも藍の体重に負けずに弾力で藍を押し返していた。眼下に広がる自分の胸を両手で整えて、その上に頭を乗せて藍は寝ている。人はその状態をこう呼ぶ。
『乳まくら』
翠はタンクトップごしの揺れも気にせず、ぶるんぶるんと音を立てながら電気のヒモをぺしぺし叩いていた。汗で服は肌に張り付きはじめており、高さ的に瑠璃の頭の辺りにある瑠璃の頭より大きく潤いを湛えた胸が揺れ動く。
元々子供部屋なのに、翠と藍、瑠璃が入っているので密度はかなり濃い。
「はい、二人とも、これ見て」
タイム ザ フロシキを右手で上に掲げる。その声で起きた藍と、電気のヒモ相手のボクシングを止めた翠の視線が集まる。動くのを止めた翠の胸の谷間へと、一滴の汗がゆるやかに流れ落ちてゆくのが見えた。
「る、瑠璃姉、それは……」
翠の目が輝く。どうやら覚えていたらしい。まげが左右に揺れ出した。ユーアードッグ.フロシキの柄の違いは嗅覚で嗅ぎ分けたってことにしといて下さい。
藍は寝ぼけ顔で、何だっけそれ、という感じでフロシキを見ている。
「翠、藍、何も言わずにお母さん達帰ってくる前にこれで元にもどって」
「えー、せっかくバインバインになったのに戻るのー?」
不満を隠そうともせずに翠が言った。
「ほらほら、だって瑠璃姉より大きいんだよぉ」
自分の重量感たっぷりの乳房を下から手で押し上げる翠。手の平だけではとてもとても底面全体をカバーすることなど出来ない。隠せてる部分よりハミ出てる部分のほうが大きい。
そのまま翠は前かがみで瑠璃に寄ると後ろにまわり、膝を床に着けて視線を瑠璃に合わせてから抱きついた。瑠璃の背中では翠の胸を受け止めきることができず、瑠璃のわき腹から肩の上から翠の乳房が溢れている。瑠璃の耳の裏に軽〜く吐息を吐く翠。
「ちょ、ちょっと……ふざけるのはやめて、翠」
「ふざけてなんか、ないヨ……」
艶っぽく言うと翠は指を瑠璃の口に差し込んだ。
「ちょ、ちょ……ンッ!」
瑠璃が何か言おうにも翠の指が邪魔をする。翠は瑠璃の口腔をかき回すように指を動かす。次第に瑠璃の口から唾液が溢れてきた。
「み、翠ぃ…………やめ」
後ろに手を出し、力を込める瑠璃だったが、その手は翠の胸に埋まっただけで翠はビクともしない。いや、ビクともしなかった訳ではない。「んっ……瑠璃姉、上手」と呟きが聞こえたのが空耳でないならば。背中で何かでっぱりが二つ硬くなっていくのが瑠璃に分かった。
「ほ、ほんとに止め……」
「翠ちゃん、お姉ちゃん困ってるよ。止めようよう」
見かねた藍と瑠璃の二人掛かりで、翠はようやく瑠璃から離された。瑠璃の口から糸をひきつつ翠の指が抜き出される。
「私は、元に戻れるなら嬉しいな……」
自分の胸を見ながら藍が言った。足元が見えなくて蓋のされていないマンホールに落ちても、胸がつっかえて落ちなくて済む。浮き輪が上から入らない。保健室のメジャーでは胸囲を測れない、など
といった特典つきとはいえ、さすがに邪魔だったらしい。
「翠はこのままのほうがいいなぁ……」
翠はなにやらブツブツ言っていたが、やおらそのまげがシャキーンと立った。閃いたらしい。
「ねぇねぇ瑠璃姉、大人しく元に戻るからさ、翠の胸限界まで大きくしていい?」
瑠璃は一瞬言葉に詰まる。しかしこう考えた。大人しく戻ってくれるならまぁいいか、と。ゴネられるよりは大分いい。
「うん、大人しく戻ってね。分かった?」
「分かった分かった。ヤッター」
翠が跳ねた。落下する時に風を受けてめくれあがったタンクトップから、乳房の下半分ぐらいが見えた。
「それじゃあ、はやくかけてかけて」
仰向けになったの翠の胸の上に、ふわりとタイム ザ フロシキをかける。
変化はすぐに始まった。
翠の胸のラインに沿って重なっていたフロシキが、ボンベで風船を膨らませる時の様な、成長としては冗談みたいな早さで膨らんでいく。
それは、ある程度膨らんだところで止まった。タンクトップの布地の限界と戦っているのだ。翠の顔が歪み、息遣いが熱く、激しくなる。服の隙間から際限なく成長していく胸がいびつに溢れる。
数秒後、翠がフロシキをずらさないようタンクトップをめくると、一気に押し込められていた分の体積が爆発するように外に飛び出した。いまや翠は仰向けに寝てるにもかかわらず、胸の大部分は翠の身体を乗り越えて床に着いている。
だが、それでも成長は限りなく続き…………そして。
「スッッッッッッッッゴーーーイ」
自分でも信じられない、といった口調で翠は言った。成長が終わった時、翠の胸は片方だけでも胸を除いた翠の全身の体積を悠々二回りは上回る大きさになっていたのだ。乳首だけでも人の頭より大きいのではないか。
胸の八割以上は地面に着いてる為起きるのは楽らしい。立ちあがった。
もはや巨大な二つの乳の接合部分にしか見えない翠が動くだけで、胸全体が大きく波打つ。
部屋の隅に追いやられた藍と瑠璃も目を丸くしてそれを見ていた。翠もしばらく自分の身体、いや、乳を見ていたが、
「ねぇねぇ、見てよこれ。こんなになっちゃたよ」
状況をやっと完全に理解し、目をキラキラさせながら言った。まげは左右に吹っ飛びそうな位揺れている。
「こんなに大きいと、あれできそう、あれ」
言うが早いか翠は自分の乳に向かって倒れこんだ。ぼよん、とその身体を、いまやその身体よりも遥かに大きくなった翠の乳が受け止める。
自分の身体が自分を受け止めるクッションになる時の感触はどんなものだろうか?
「へっへー、乳布団。どうだ」
両手を広げても端から端まで届かず、長身の翠の頭の上からつま先までの長さでも出も乳の直径にも満たない。翠の体の乗っていない余ってる部分の乳には、まだ何人かが寝れそうな面積があった。
「この全部が翠の胸だなんて……信じる? 自分でも信じらんないよ」
自分の四肢の全てを使って自分の胸を抱き締める。大きく、大きくそれぞれが柔らかくめり込んだ。自分の谷間い顔を埋めて頬ずりする翠。
「あのー、翠。そろそろいい?」
「うーん、もうちょっとこのまま……だめ?」
「約束したでしょ。大人しく戻るって」
「しょうがないか……うん、約束したし」
瑠璃はシブる翠の上に、さっきとは逆にしてフロシキを掛けた。
――現在「縮乳」という行為が原稿用紙10枚分に渡って繰り広げられております。今後この様な事態にならないよう臨界的努力をもって最大限善処致しますので、皆さんの理解と協力、そして愛を…………以下略。
「あー、すごかったぁ」
小学生サイズに戻った翠が、興奮さめやらぬといった感じで言った。その胸は調整がうまくいかずに、元よりも少し大きくなっている。
それでもさっきまでの大きさに比べると、とんでもなく寂しいのだが……
「ホントにびっくりしたんだよ……潰されるかと思っちゃった」
こちらは藍。やはり調整がうまくいかずに胸は少し大きくなっている。
「よかったぁぁぁ」
これは瑠璃。何とか間に合ったことに対する喜びだ。だが、不安もある。
まず両親が帰ってきたら、猫が一匹増えたことを言わねばならない。
今さっき人前でしゃべらないで変身しないでと言ったら「マカせとけにゃ」と言っていたが、限りなく頼りない。
あと、飼っている熱帯魚を襲わないようにたまに教えなくては。見つめる目が尋常じゃなかった。
両親の乗った電車が駅に着くまで、あと5分程。何気なく窓から空を見る瑠璃の目には、憎らしいくらいに一番星が鈍く輝いているのが映ったのだった。
先行き不安。