化学のチカラ その1

せい 作
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「次、小山 朱音(オヤマ アカネ)さん。どうぞー。」

白いリノリウムの床で統一された町の外れの診療所。
今月の測定はここで行われることとなり、私は呼ばれるままに測定場へと足を運ぶ。

「はい、じゃあ服を脱いで下さい。」

毎月一回の測定。それがこの世界に生まれた女性の義務。
『それ』は年齢が18を超えると義務として発生し、22歳である私にとっては4年目・・・最低でも40回は行っているだろうか。

「・・・脱ぎましたね。じゃあ、いつものようにココにお願いします。出なくなったら仰ってくださいね。」

椅子に座ったまま指示を出す女性に言われるがまま、私は狙いを定めて

「・・・・・んっ・・・」

測定を始めた。








「・・・370ml、ですかねぇ・・・はい、もう良いですよ。」

何かのメモを取る女性。彼女の前には管のついたビーカーのような物。
そこにある目盛りの丁度360mlと380mlの間あたりで、中に入った白い液体はその水面を見せていた。

「あの・・・」

「はい?なんでしょう。」

「えっと・・・370mlって・・・」

おずおずと言葉に出した私に、女性は複雑な表情を見せると

「う〜ん・・・あなたはまだ若いし、妊娠もしてないからなんとも言えないですけど・・・多くは無いですね。」

申し訳なさそうに答えてくれた。



私が測定したのは、『母乳の量』。
『母性の象徴』とみなされる乳房、特に母乳はこの世界において重要な意味を持つ。

まず、この世界の女性は皆、毎月一回の『母乳量測定』が義務とされている。
それを、世界政府の役割を持つ『宮殿』へと報告しなければならないのである。
これを怠ると激しい取り立ての他、生きていくうえでの様々な権利、保障が受けられなくなる場合がある。

・・・では、男性はどうであろうか。

勿論の事、男性からは母乳が出ない。その結果として、この世界では猛烈なまでの女尊男卑が行われ、疎まれる存在となってしまった。
というのも、この世界では『母性の強い』者ほど偉いとされ、母性の見られない男性は要職に就くことがどうあがいても不可能だったのである。

『母性の強い者』・・・すなわち、『多くの母乳を出せる者』がこの世界では要職に就き、『宮殿』の主も当然女性。なおかつ、この世界で最も多くの母乳を出す者がその位に就けるならわしだった。
もちろん、母乳を多く出そうと思えばそれだけ蓄えなければならないため、『宮殿』の主はそれ相応の乳房を持つ。


この毎月一回の測定も色々と決まりごとがあり
1、『宮殿』が任じた測定所で行う
2、測定の前々日の終わりに一度母乳を全て出し切り、その次の日、つまり測定の前日は一切母乳を出さず測定にのぞむ。
3、不正があったと思われる場合、直ちに検査官が赴き、測定のやり直しを行う。

などなど、女性達に世界規模で規せられた義務らしく決まりは多い。

特に第二条。これは測定の前々日に一度測定所に皆赴き、測定員の目の前で母乳を出し切る必要がある。
その後、検査票を一人一人受け取ることが出来るため、皆が平等に厳正な測定を行うことが出来る。




「そう、ですか・・・ちなみに、どのくらいが平均なんですか?」

女性の言葉に落ち込みが隠せないまま、私はさらなる質問を重ねた。

「そうですねぇ・・・その月々によりますけど、大体皆さん1リットルから2リットルぐらいは・・・」

「そんなにですか!?」

「ええ。でないと、生活も苦しいですし・・・」




この世界において、『母乳』は身分を表す尺度だけの意味を成すものでは無い。

――――『母乳』=『経済』

人々は母乳を通じて物を売り買いする。
物を買う際には、皆胸に搾乳機を取りつけ、その商品の価値に見合った量だけ母乳を払うのである。
商品棚には数々の商品が並び、その値札には「2リットル」であるとか「10リットル」であるとか。必ず支払う母乳の量が書かれている。

仮に「10リットル」の物を買おうとして、母乳が「8リットル」しか出なかったとしよう。
その場合は店主と相談するか、多くの場合は『頭金』という形で『売約』という札が貼られる。そして、残りをまた母乳が溜まった後に支払うのである。

だが、店の方も商売をしているため、思いもよらないことが起こる場合がある。

同じ商品を「100リットル」で買うと言われたりする場合、店によっては売約を解除することがあるのだ。
そうなると、払った8リットルの母乳は返って来ない。新鮮さが命の母乳だ。とっくに消費されているか、『宮殿』へと送られている。

つまり、母乳を多く出す女性ほど、経済的に豊かと言える。



だが、私は今回の測定で「370ml」という記録。
1日でこれなのだから、物を買おうとしたら何度も何度も繰り返し払わないといけない。
それどころか、一気に2リットルほど支払う女性が来た時、苦労して支払った母乳でさえ無駄になる。

それが導く答えといえば


「・・・確かに、苦しいです。」

貧困。困窮。
比較的母乳の出る量が少ない女性が多いこの町でも、私は特に母乳の量が少なかった。

「ですよね・・・普段はどうされてるんですか?」

女性が書く手を止め、こちらを向いてきた。

「普段は・・・知り合いに母乳を払って貰うことが多いですね。」

「お知り合いの方、ですか。失礼ですが・・・」

「はい。この町に住んでる子で、私の代わりに母乳を払ってもらって、私はその子の頼みを代わりに聞くんです。」

「なるほど・・・」

また女性が気の毒そうな顔を見せる。
人の良さそうな彼女だが、その胸は人並みに膨らんでおり、結構な量の母乳を出しそうな雰囲気。
多少なりとも悔しくなり、私は再び白い床を見つめた。

「・・・あなたは?」

ポツリと口をついて出た言葉。
その言葉に女性は少し顔を綻ばせて

「私ですか?えっと・・・今朝測ったら、3.4リットルでしたね。」

その気は無いのだろうが、自慢気に聞こえる返事をする。
私の10倍近い母乳の量に、一つ溜め息がこぼれた。


「どうしたらいいですかね・・・」

「そうですねぇ・・・薬で母乳の量を増やすのは禁止されてますし、第一測定した後の母乳検査に引っ掛かりますからねぇ・・・」

不正は認められない。
女性はいかにも測定員らしい意見を言い、私の方をちらと見る。

それに私は


「そうですよね。○○の含有量と××の含有量が規定値を超えると不正になり、また、△△を使うと今度は胸部への反応が起こりにくくなって・・・」

「えっ!?あ、ちょ、ちょっと待って下さい!」

慌てて私の発言を止めに入る女性。

「・・・へっ?あ、ああ・・・すいません。」

「いえ・・・ですが、そのような事どこで・・・」

いきなり専門的な知識や用語、薬品名などがズラズラと並び驚きを隠せない女性に、少し恥ずかしくなりながらも答える。

「・・・私、化学者なんです。化学(バケガク)の方の。」

「ああ、それで・・・」

納得した顔を見せる女性。
その道の人でもなかなか理解できないような内容を述べられ、彼女としても相当驚いたのだろう。


「じゃあ・・・あくまで噂話ですが、『母性に目覚めると母乳が出る』って言うのは・・・」

「あ、それはもうやりました。」

話を変えてきたが、既にそれは聞いたこともあり、実践済みであった。

「もうやった・・・とは?」

「えっと・・・今から4年前、丁度18になって測定が義務になった時ぐらい、ですかね。皆はもう母乳が出てたのに、私だけなかなか出てこなくて、その時にその噂を聞いて・・・」

「・・・それで?」

「・・・雨の日、近くの川の橋の辺りに、赤ちゃんが捨てられてたんです。その子は男の子だったので、捨てられたみたいなんですけど・・・」

「ひ、拾ったんですか!?」

正気を疑う声に、私も少しビクッとする。

「・・・はい。それで、今もその子を育てて・・・」

「と言うことは・・・今4歳ですか?」

「はい。でも、母性なんてなかなか湧いてくるもんじゃないみたいですね。」

自嘲気味に笑う私に、女性はなんとも言えない表情を浮かべた。


「そう、ですか・・・4年前・・・」

急に何かを思案する女性。

「・・・なにか?」

「えっ?あ、いえ・・・」

声をかけると思考は止まり、話が続けられた。

「今もお育てになってるんですか?」

「ええ、まあ・・・」

言い淀んだその時



「・・・先生、次の方が。」

部屋の扉から顔をのぞかせた女性が、私の目の前にいる「先生」と呼ばれた女性に話しかける。
彼女はこの診療所の女医であり、この町の『測定』の担当だった。

「あっ、はい・・・ごめんなさいね?」

「いえ・・・」

邪魔したらいけないと思い、席を立つ。
彼女に一礼した後、引き戸になっている扉を開け


「・・・あら、朱音。」

「えっ・・・ああ、沙紀(サキ)じゃない。あなた今から測定なの?」

扉の前には見知った女性・・・というより、幼馴染み、親友と言うべきか。
室井(ムロイ) 沙紀。私と同じ年齢で、私の家の近所に住んでいる女性。
持ち前の明るい性格からか近所の人からもよく声をかけられる彼女は、私と違って一人暮らし。それでもしばしば彼女と会っては話をする程度には彼女との仲は良好だった。


「うん。さっきちょっと頼まれごとがあって・・・あ、そうだ!朱音ぇ、ちょっと相談に乗ってくれない?」

「えっ?い、今?」

「違う違う!外に由利(ユリ)が待ってるはずだから、終わるまで待っててくれない?」

茶目っ気たっぷりに頼んでくる彼女。
その仕草はなぜか嫌とは言えないもので、元よりこの後の予定も特になかった私はゆっくりと頷いた。

「ごめんね?じゃあ、入口のところで!」

私の横をスッと通り過ぎた沙紀は、指示されるよりも前にガバッと服を脱ぎ

――――ぷるんっ

それなりに実った乳房を揺らして、その時を待つ。
私はそれを横目でチラと見ると、再度溜め息をついて部屋を後にした。








「・・・あっ、朱音ちゃん。」

「由利。なんか、沙紀に『相談がある』って言われたんだけど・・・」

入口のところで、沙紀に言われた通り由利が一人で突っ立っていた。
女性の平均的な身長に、ウェーブした茶髪。
ほんわかした雰囲気は『お姉さん』という感じを体現しており、私達3人の中で『癒し』を担当しているのが彼女、沖野(オキノ) 由利だった。

対して、沙紀は元気で活発な女の子と言った感じ。背も私達3人の中では一番低く、コロコロと変わる表情と共に揺れる短髪が、どこか愛らしい犬のようで可愛らしい。

私は女性にしては長身で、黒髪ストレートの長髪。
それ自体は自分でも似合っていると思うし、手入れにも気を使っているから褒められると嬉しい。

だが


「そうなの?沙紀ちゃんったら、また朱音ちゃんに頼んで・・・」

――――たぷんっ

少しの動作でも揺れる由利の胸。
それは先程みた沙紀のそれよりも大きく、巨乳と言っても差支えない程。
それに比べて私は・・・


「全く・・・あれ、朱音ちゃん?どうしたの?」

「えっ、あ、ううん。なんでもない。」

たった370mlではあったが、それでも母乳を出し切った自分の乳房にそっと手を当てる。
手を当てるとやっとその存在が認められるほど慎ましやかなその胸を労うように撫でていると

「ごめーんっ!二人ともー!」

測定を終えたのだろう沙紀が、測定結果の紙を振り回しながら走って来た。

「もー・・・こら、沙紀ちゃん。また朱音ちゃんに頼って!」

少し怒った顔になった由利が、挨拶もなしにいきなり沙紀を叱りつける。
まさにその姿は『お姉さん』。全員同い年の幼馴染みながら、叱られた沙紀は急にシュンとしてしまう。

「あう・・・そ、それはぁ・・・」

「大体、朱音ちゃんも忙しいのよ?今だってこの前あなたから頼まれた『お薬』の開発で忙しいみたいだし・・・」

「あー・・・由利?その位にしといてあげたほうが・・・それに、あの薬はもう調合し終わって、あとは届けるだけだし。」

私に隠れるように沙紀が背後に回る。
その姿と私の顔を交互に見比べながら、由利は一つ溜め息をついた。

それを見て許しを得たと思ったのか、今度は沙紀が雰囲気を変えるように話を始めた。

「そ、そうだっ!二人とも、測定どうだった?」

沙紀が誇らしげに測定結果の紙に書かれた数字を見せてくる。
ブンブンと動くためハッキリとは見えないが、大きく赤字で「3.800」と書かれているのは見えたため、おそらく彼女は3.800mlの母乳を出したのだろう。

(私の10倍以上・・・)

声には出さないが、落ち込んでいく。

「えっ?ああ、おっぱいの量?えっと・・・4.600mlね。」

「おぉぉ・・・さすが由利。このおっぱいの中にミルク溜めこんでたわけね!」

「きゃぁ!ちょ、ちょっと沙紀ちゃん!」

沙紀が由利の乳房を揉みこむ姿をボーっと見つめる。
由利の母乳の量は4.600ml。いわば4.6リットル。
まさしく私とは桁違いの量に、もはや溜め息しか出てこない。


「あははっ、ごめんごめん・・・で、朱音は・・・」

「っ!! 沙紀ちゃん!」

私に話を振って来た沙紀を、先程とはまるで違う慌てた表情で由利が止めた。

「えっ、あ・・・ご、ごめん・・・」

由利に声をかけられ、私に向かって思い出したかのように謝る沙紀。
それすらも今の私の心を抉るには十分な威力を持っていた。


「・・・ごめんね?」

「ううんっ!いいよ。だって親友でしょ?」

「そうよ、朱音ちゃん。それに、これだけおっぱいが出ても使い道が無かったらもったいないでしょ?」

慌ててフォローに入る二人。

私が母乳を分けて貰っているというのがこの二人、沙紀と由利。
彼女達は私と違って順調に胸を発育させて、母乳が盛んに出る体へと成長した。
平均して16歳前後。この世界の女性は皆そのぐらいの年に母乳が出始めるが、二人はその例に漏れず、特に由利なんかは14歳ごろには『初乳』を迎えていた。

私達はそれを知って、なんだか由利が一足早く大人になった気がして羨ましく、また、それを追うように沙紀も初乳を迎え、後は私が続くのみとなった。
一応つけているブラジャーを埋めるように乳房がぷっくり膨らみ、大人の女性のようにブラジャーの内側に母乳パッドをつけるのを夢見ていた。

だが、私には『それ』がなかなか訪れなかった。乳房も膨らまない。母乳も出てこない。
「自分は母乳が出ない体なのではないか」と心配になって、マッサージもしたが効果は無い。

そして、あの噂を聞いた。


――――『母性に目覚めると母乳が出る』

私はあの子を拾った。
まだ赤ん坊だったあの子は小さくて、実の子でないにしても可愛かった。

私はあの子に、どうせなら優しい子に育ってほしいと「優太」という名前をつけた。
それと共に、少し・・・ほんの少しだが、私の胸は膨らんで、遅い初乳を迎えることが出来た。

優太に与える分の母乳は何とか確保できて、私は嬉しくなって二人に報告しに行った。


『ねぇ!私もおっぱいが出るようになったの!』


二人は祝福してくれた。優太のことは話さなかった。
だが、私の心を襲ったのは母乳が出て嬉しいという気持ちではなく、その後二人から告げられた


『よかったわねぇ・・・あ、そうだ!2リットルぐらい一日に出るようだったら、母乳パッドはつけた方がいいよ。』


私とは到底比べ物にならない程の量の母乳を二人が出しているという事実。
その頃の私は、初乳を迎えたばかりのせいか、今より少し多い量の母乳を出していた。

しかし、今では落ち着いてきた・・・きてしまったのか、前ほど母乳が出てこない。
一方二人はあの頃からさらに胸の体積を増して、母乳の量も増えていった。


いつしか私は彼女らの母乳に頼らないと生活が苦しくなってきた。
まだ二人に言ってはいないが、私には優太がいる。出来心とはいえ、彼の命を無碍にすることは到底できない。

だが、私の心に、彼に対する劣等感などが確かに存在するのも認めたくない事実としてあった。



「・・・そうだ!ねぇ、朱音。頼みがあるんだけど・・・」

沙紀の声で現実に戻される。
今回ばかりは由利も話が変わることに賛成のようで、沙紀の台詞を黙って聞いていた。

「あ・・・うん。なに?」

「それが・・・私の知り合いに『好きな人が出来た』って言う子がいてね?朱音に協力して欲しいのよ。」

「協力?どうやって?」

「えっとぉ・・・言いにくいんだけど、その子のために『惚れ薬』的なものを作って欲しいなぁ・・・なんて。」

それが邪道であると彼女も分かっているのだろう。
だが、人付き合いのいい彼女の事だ。一度了承した手前、断りにくいのだろう。

「それで、私にその『惚れ薬』を作れと?」

「う、うん・・・ダメ、かな?」

縋るような目をされては、こちらとしても断ることは出来ない。
それに、彼女には母乳の件で何度も助けて貰っていた。お返しも必要だろう。


「一応やってみるけど・・・どんなのがいいの?」

私の言葉にパッと顔を綻ばせる沙紀。
そのまま捲し立てるように説明をしてきた。

「ホント!?えっと、出来れば『その薬を飲んで、一番初めに目があった相手が、その薬を飲んだ子を好きになる』ってのが・・・」

「ああ〜。つまり、その女の子が薬を好きな人の目の前で飲んで、好きな人と目を合わせて、両想いになると。じゃあ液状とかの方がいいわね。」

「うんっ!そんな感じ! お願い出来る?」

「・・・いいわ。やってみる。今日一日時間を頂戴?」

ヤッタとばかりに私に抱きついてくる沙紀。
私より幾分小さい背のおかげで、彼女のそれなりに膨らんだ乳房が丁度みぞおちの辺りに押し付けられる。

柔らかい感触に複雑な思いをよせながらも、私は彼女のお願いを引き受けた。


すると


「あ、あの〜・・・朱音ちゃん?」

「ん?なに?由利。」

今度は由利が申し訳なさそうに話しかけてきた。

「その・・・悪いんだけど、私も別の人に『朱音ちゃんに調合して貰ってくれないか』って頼まれてることがあって・・・」

沙紀の話が出たことでついでに頼みたいが、直前に沙紀を叱っているため言いにくかったのだろう由利が、こちらをモジモジしながら見つめてくる。
普段の彼女からは見られない光景になんだかおかしくなって笑みを浮かべる。

「・・・っく、あははっ。良いよ良いよ。どんなの?」

気前よく返事をすると、由利はパッと顔を明るくさせた後、すぐまた元の申し訳なさそうな顔に戻って説明を始めた。

「それが・・・前に農家の人からのお願いがあったじゃない?」

「農家?・・・ああ、あの『成長を止める薬』とか『母乳だけで生きるようになる薬』とか。」

「そうそう!それだよ。」


前に農家をしている人から頼まれた薬。
なんでも、農作物が育ち過ぎてしまうことが多く、丁度収穫期の状況で成長を止めて欲しいということで前者の薬を。
農業をする傍ら、一緒に飼ってる牛は余るほど乳を出すから、これを植物の育成に回せないかということで後者の薬を頼まれた。

これが先程二人との会話で出た「あとは届けるだけ」の薬である。忘れないうちに届けなければ。


「それでね、その人がもう一個頼んできて・・・なんでも、子どもを産んだ牛が、自分の子を育てようとしないとかでね?『母性がどんどん湧いてくる薬』が欲しいんだって。」

彼女の言葉に、私は眉をひそめた。

「『母性が湧いてくる薬』かぁ・・・悪いけど、それもう一回作ったんだよねぇ。」

「本当に!?じゃあ・・・」

「でも・・・何度作っても効果が強すぎるだろうなって物しか出来ないのよ。」


優太を拾った頃、私は『母性に目覚めると母乳が出る』という説をまだ諦めていなかった。
そこで、私は『その薬』をもう既に作っていたのだが、どうにも分量が悪いのか、人間に投与するにはあまりにも強烈なものが出来てしまい、結局使わず破棄。
だが、調合の分量はメモしていた気がする。


「うーん・・・牛さんに使うから、大丈夫じゃないかな?」

「そうねぇ・・・ま、一応何倍かに薄めて使用することを前提に作ってみるわ。確か調合メモも残ってたし、今日一日で作っとく。」

「ありがとう!じゃあ・・・明日の夕方にでも取りに行くね!」

「あ・・・朱音!私もついでに取りに行く!」

由利に合わせて沙紀も宣言してきた。

(明日の夕方・・・今日一日徹夜で調合して、仮眠を取ったら丁度いいかな。)


「分かった。じゃあ、任せといて。」

私はその後二人と分かれると、自分の家へと向かった。









「・・・ただいま。」

「おかえりなさい!」

家の奥から子どもの高い声が聞こえる。
その後、廊下をタタタッと走る音が聞こえて

「・・・ただいま。優太。」

目の前にやって来た少年に、再度挨拶をした。
だが、少年は私の顔を見るなりしょんぼりした顔になって

「・・・おかえりなさい。『朱音さん』。」

私の事を『朱音さん』と呼ぶ。


「・・・悪いけど、私お薬作らなきゃいけないから・・・どこか適当に遊んでなさい。」

彼に触れること無く廊下を歩き、研究室へと向かう。



丁度1年ほど前。私は彼をひどく怒った。
その時の私は測定の結果があまり良くなかったことと、やるべき調合がいっぱい溜まっていることが重なって、イライラしていた。

そんな時、彼は私の足元をチョコチョコと動き回って「遊ぼう遊ぼう」とわめき始める。

初めこそ我慢していた私だが、ついに限界を迎え、彼をひどくひどく怒鳴ってしまった。


それ以来というもの、彼は私の姿を・・・特に機嫌を気にするようになり、私が疲れていると彼が判断すると今みたいに『朱音さん』と呼んで、怒られないように過ごすことが多くなった。
さらには私が研究室にいる時には絶対に近づかないようになった。トラウマのようなものがあるのだろう。

私がいない時には時々イタズラしているのだろうか、たまに器具の位置がずれてたりすることもあるが、私がいるうちは顔すら覗かせない。


私はそれを少し寂しく、罪悪感を持つ半面、研究に没頭できる丁度いい距離感を心地良いと思っていた。



「あ、あのっ!」

私の背中に、躊躇いがちの声がかけられる。

「・・・なに?」

「う、ううん・・・『お仕事』頑張って・・・」

優太は寂しそうに俯くと、一人別の部屋へと入っていった。









「・・・牛用でしょ?まぁ、少々効果がきつくても薄めれば良いか。」

調合メモを開きながら呟く。
そんな呟きも、研究室に入ってしまえば誰も聞いてくれず、なんだか虚しい気持ちになる。

(・・・悪い事したわね。)

優太に対してそんな感情を抱いた時

「・・・あった。」

探していたメモを見つけた。

「えっと・・・あ、そういえば牛って何頭いるんだろ。困ってるってことは・・・薬が必要な牛が結構いるってことよね。」

濃縮量や牛の頭数などから必要な薬品の量を計算していく。

(100倍濃縮で、牛は・・・2000頭ぐらい居るのかな?あれだけ大きい体してるんだから、人間用より量を増やして・・・)

紙に書きながら計算を終えると

「うわ・・・これだけの量の薬品あるかしら。ギリギリねぇ・・・」

現れたのはかなりの量。これだけの薬品、探せばあるかもしれないが・・・

「・・・作った時の量が問題よね。」

数十リットル、数百リットルになりかねない量の薬品をどうやって持っていけばよいというのか。
残された道は一つだった。

「仕方無い・・・濃縮を1000倍・・・いや、もっとか。あとはあの薬品を入れて効果を高めて・・・」

出来るだけ出来上がりの量を減らしにかかる。
もし出来るならばフラスコに一杯ぐらいの量にしたい。薄める水はいくらでもあるだろう。



「・・・で?こっちは・・・ああ、沙紀の『惚れ薬』か。」

いくつか人間の脳に直接働きかけるような薬品を並べ、調合メモに新たな文字を書き進める。

「えっと・・・これを入れたら・・・こう、でしょ?」

脳内で化学変化後の構造式を思い浮かべ、目的の薬品へと導いていく。





彼女・・・朱音という女性は『化学』においては天才的な頭脳の持ち主だった。
迅速な計算、正確な構築、斬新な閃き。どれをとっても、まさしく天賦の才と言えた。

だが、母乳の量を増やす薬品は作れても、それを不正とみなす社会はどうしようもない。

彼女は自分の才能を趣味や頼まれ事に使うことが多かった。


「・・・いや、もうちょっと・・・・・」

彼女の静かな呟きは陽が落ちてもブツブツと続き、研究にのめり込んだ彼女が便宜上といえども息子である優太に気を回すことは無かった。













「ふぁぁ・・・っくぁ、あふぅ・・・やっと出来た・・・」

陽が昇り、夜が明ける。
眠そうに大きな欠伸をした朱音の目の前には、2つの薬品が並んでいた。

『惚れ薬』と『母性が湧いてくる薬』。ただし後者に関しては超高濃度、超高効果のため、到底人間には使えない。牛でさえバケツ一杯の水に一滴で十分ぐらいだ。

また、奥には以前頼まれた『成長を止める〜』であるとか『母乳だけで〜』であるとかの薬も並んでいた。


「うーん・・・『惚れ薬』の方もかなーり濃くなっちゃったわね。これ全部飲んで目を見られたら・・・くびったけどころじゃすまないわね。」

思わず苦笑いが出るも、今は眠気の方をどうにかしたい。

「・・・もう無理。ちょっと寝よう。」


朱音はそのままゆっくりと腰を上げると、研究室のさらに奥、自分の寝室へと向かった。









「・・・朱音さん?」

その後、研究室の中に好奇心旺盛な少年が入って、イタズラするとも知らずに。