化学のチカラ その5

せい 作
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「・・・つまり、その店に仕返しがしたいの?」

「あ、いえ。そういうわけじゃ・・・」

朱音の家の客間に、女性が訪れていた。


彼女の名前は飯島 果歩(イイジマ カホ)。今年で24を迎えたらしい。
その年にしてはかなり大人っぽく、セクシーな体つき。
肩まで降ろした黒髪は艶があり、ムチムチとした下半身がなんとも大人っぽい。

24にしてあの店の店長を務めるあたり、かなりのやり手なのだろう。
実際、話していても結構プライドが高いのが分かる。

胸も大きく、スーツをこれでもかと押し出している。
聞くとMカップだそうで、母乳はこの前の測定で7,2リットルをマークしたらしい。



「あはははっ。でも、こうして毒を吐くのもなかなか無いんじゃない?客商売って大変でしょ?」

優太が寝たせいか、小声ながらも気さくに話しかける朱音。
本来彼女はこのように気さくな性格であり、愛する優太の事に触れなければ会話も普段通り成り立った。

あの時、沙紀や由利達が客間で話をするとなっていたら、今のように談話も出来たのかもしれない。


「そうですね・・・いろいろ思うことはあっても、外に出すことはあまりないかも知れませんね。」

「でしょう?そういうものよ。皆何か譲れないものがあって、それを必死で守ろうとするの。」

そう言ってお茶を飲む。

「・・・朱音さんは、そういうものがあるんですか?」

「私?決まってるじゃない。この子よ。」

そう言うと、Qカップにまで成長した胸の谷間に挟まるようにして眠る少年を、実に母親らしい慈愛のこもった瞳で見つめる。

「この子のためならなんだってするわ・・・なんだってね。」

朱音の台詞に、果歩は少し試したくなった。



「じゃあ・・・もしその子をいじめる人がいたら」

「消すわ。」

半ば話を奪い取るように断言する。
朱音の瞳には冗談など微塵も隠れていなかった。

「・・・その子が『この人嫌だ。嫌い。』という人が現れたら」

「だから、消すわ。そんなのこの子の幸せにならないじゃない。」

「それが・・・例えばそれが私だったとしたら」

「悪いけど、あなたの人生はここまでね。」

やはり冗談抜きで消すらしい。
いっそ清々しいまでに「消す消す」と言える朱音に想われるこの少年はなんと幸せなことか。

「・・・じゃあ、その子には嫌われないようにしないと・・・ですね。」

「ええ。是非そうして頂戴。私に嫌われるならまだしも、この子が嫌いっていった時点で終わりだからね。」

朱音はまたお茶に口をつけた。
果歩もそれに倣って湯呑を持ちあげる。



「・・・そうだ。今日この後時間はある?」

「え、今日・・・ですか?」

言われるがままに腕時計を見下ろす。
時刻は9時。そろそろいい時間になって来たが、まだ何か用があるのか。

「うーん・・・少しなら良いですよ。でも、日付が変わるようなら・・・」

「ああ、その時はここに泊まってくれたらいいわ。布団もあるし。」

「そんな。迷惑じゃないですか?」

本日出会ったばかりの客と店員がすることではない。
そう思った果歩が遠慮するが

「いいのいいの。あなたが絶対にこの子に悪さしないならね。」

それだけ言い残して、朱音は部屋を後にしていった。







(朱音さん・・・か。)

今日1日で、多くの衝撃を与えられた。
あれだけ母乳が出る人は初めて見たし、あれほど胸が一気に成長するのも初めて見た。
それにあれほど母性のある女性も。あれだけ確固たる意志を持って息子の敵を排除しようとする人も。

(悪い人・・・では無いわよね。)

そう。悪い人では無い。
むしろとんでもなく母性が強すぎて、少し狂ってしまっている人。
だが、彼女の行動基盤があの少年にあるというだけで、それ以外の所は普通の女性。胸と母乳は普通ではないが。


あの時、賭けに負けた時。私のプライドはズタズタにされた。
こんなに胸の小さかった人が、自分より遥かに母乳を出して、さらには胸が大きくなって、お釣りまで出されて・・・

でも、それと同時に何かが自分の中で芽生えた気がした。

壊れたプライド。その空き地にスッと入り込んできて芽生えた感情。
憧れ?いや、違うか・・・とにかく彼女は自分とは違って、Eカップだったのに自信たっぷりで、現に母乳を出してみせて。

(・・・敵わない。)

賭けに勝ってもおごらず、かといって高飛車な態度ではなく普段は母性がとてつもなく強いだけの女性で。


果歩には朱音がひどく魅力的に見えた。それもかなりのもの。
それと同時に

(あの人だったら・・・私の下着もつけてくれるかな。)

店に入ると既製品ばかりを売る毎日。
一度だけVカップの物を作ったが、それっきり。
上層部からは「勝手な真似はするな」と怒られ、下着を作ることを許されない。


本当は自分で下着を作って、売りたかった。
今の給料や待遇に不満は無い。不満は無いが、満たされない毎日。

そんな毎日を、彼女なら救ってくれそうに思えた。


(でも・・・迷惑、だよね。)


彼女には既に養うべき子が居る。
それなのにも関わらず、自分という二人目を彼女に背負わせるのは気が引けた。

(はぁ・・・お店、やめた方がいいのかなぁ。)

結局行きつくのはいつもの考え。
しかもそれは答えが出ないもので、同じところをグルグルと廻る。
いい加減その考えには飽きていた。

(結論、出さなきゃだよね・・・)

そう考えながら、果歩は目の前の湯呑を手に取った。










「・・・待たせたわね。」

「あっ、朱音さん。どこに行ってたんですか?」

時刻は11時前。あれから都合2時間ほど客間で待つことになった。
途中何度か朱音がやって来て「あの本読んでいていいから」だとか「お茶のお代わりはコレね」だとか言われていたが、何をしているのかは教えてもらえなかった。


「ん〜?まあ、それは後で説明するとして・・・はい。」

そう言って朱音が果歩の前に出したもの。

それは


「・・・お薬、ですか?」

白い錠剤が3つ、目の前に置かれた。
それは皆同じ大きさで、傍から見ればどれがどれだか見分けがつかない。

「ええ。全部同じものよ。」

「・・・はぁ。」

朱音が果歩の目の前にある湯呑にお茶を注ぎ足す。
その手つきもやはりお母さんっぽいなと思いながら見つめていると


「・・・あなた、自分の殻を破りたいと思わない?」

「へっ?」

朱音が急に話を始めた。
だが、その話はまるで先が見えないもので、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「色々思うことがあるんでしょ?やりたいこととか、言いたい文句とか。」

「・・・・・・・」

「その薬はね、そんなあなたの殻を破るためのものなの。飲んだら新しいあなたが生まれるはずよ。」

「・・・新しい、私?」

自分の湯呑にもお茶を注ぎ、飲む朱音。
そして、喉を潤わせると、話を続けた。


「そう。今までとは全く違うあなた。やりたい事をやって、言いたい事を言えるあなた。どう?嬉しくない?」

「そ、そりゃあ嬉しいですけど・・・なんか怖いです。」

果歩の返事に、思わず笑みを浮かべる朱音。

「あははっ。そりゃそうか。『自分』が変わっちゃうんだものね。でも・・・」

そう言うと、彼女は先程の錠剤に手を乗せてきた。


「・・・今ここであなたが変わると決心するなら、この薬を飲みなさい。決心出来ないなら・・・この薬は捨てて、2度と作らない。」

「作らないって・・・」

「うん。これ私が作ったの。私薬を作るのが得意でね?今回も楽しく作らせてもらったわ。」


ニコリと微笑んだ彼女に、果歩はさらに悩まされる。
今のが嘘なのか本当なのか分からない。

何かの話で「歯磨き粉を薬だとして処方したら、病気が治った」だとか言うのがあるが、これもその類いだろうか。
実はこれはラムネ菓子で、気の持ちようが変わるだけ、なんていうオチ。

だが、そのために2時間も時間をかけるものだろうか。
それに彼女はあまり冗談を言わない。今だって真剣な目をしている。


「さぁ・・・決めて。新しいあなたになるか、それともそのまんまか。どっちにしても私は何も文句は言わないわ。全部あなたに任せる。」


彼女の言葉が胸に刺さる。

――――本当にこのままでいいのか?やりたいことは他に無いのか?

数年前からグルグルと廻っていた考えが、この薬で解決出来そうな気がした。

いろんな衝撃的な体験をした今日。全ては目の前の朱音から与えられたもの。
もしかしたらそのついでに・・・最後に大きな衝撃を与えてくれるかも知れない。

例え気の持ちようが変わるだけでも良いじゃないか。これがラムネ菓子で、騙されても良いじゃないか。

そう思うと、自然と口が開き



「・・・飲みます。」


ハッキリと伝えることが出来た。



「ええ。どうぞ。お茶はここにあるわ。3つ一気に飲んでね?飲んだら段々効いていって・・・1分も経てばあなたは『新しいあなた』になってるわ。」

そう言われながら、錠剤を3つ一気に口へ放り込む。
そして、お茶と一緒に流し込むと



「・・・ふぅ。あ、っくぁ・・・!!」

一瞬のうちに目の前が真っ白になって、果歩は意識を失った。













(・・・ここは?)

真っ白な空間。上も下も無い。
その中で目を覚ました私は、辺りを見回した。

「・・・どこかしら。」

記憶はある。飯島 果歩。24歳。
さっきまで・・・そうだ。朱音さんとお茶してて・・・




『本当にこのままでいいの?』



「誰っ!?」

急に空間の中に声が響く。
だが、どこを見ても真っ白で、誰からの声か分からない。
分からないが、妙に聞き覚えがある声。




『やりたいことは他に無いの?』



「誰?何を言って・・・」

この声、このセリフを聞くとなんだか頭がグルグルしてくる。
だが、なおも言葉は続く。




『言いたい事、あるでしょ?やりたい事、あるでしょ?』



「言いたい事?やりたい事?わからないわよ・・・」




『嘘よ。いっぱいあるわ。あなたは我慢してるだけよ。』



「何を我慢してるって言うのよ!!」

意味が分からない。何が言いたいのかが分からない。
だが、確実にその声は『私』を抉っていく。蝕んでいく。




『下着、作りたいんでしょ?作った下着を着てもらって、褒めてもらって、認めて欲しいんでしょ?』



「そ、それはっ! そう、だけど・・・」

でも、今は無理だ。
今の状況では下着を作っても売らせてはくれなくて、いくら良い物を作っても着てもらえなくて、認めてもらえない。
せめて私の胸がもう少し大きくて、あの店舗で働いていればもう少し融通が効いたかもしれない。
あの店は本社との繋がりが強いって聞くし・・・




『そのままでいいの?』



「いいわけ、ないけど・・・でもっ!!」




『誰も救ってくれない?』



「・・・・・上に言っても誰も首を縦に振ってくれないし。我慢するしかないよ。」

まただ。またこの考え。
もう何度も悩んできたが、結局これ。

だが、聞こえてくる声は違った。




『・・・本当に誰も救ってくれない?』



「ええ。誰も・・・」




『・・・朱音さんは?』



「っ!!!」

思わぬ名前に思わず声が出ない。
だが、必死になって反論を試みる。

「あの人は、今日出会ったばっかりで!」




『それが?』



「あの人はお客さんよ!?私は店員!」




『それが?』



「それに、あの人にはもう既に守るべき子が居て・・・」




『それが?』



「・・・だから。」




『また逃げるの?』



「逃げてなんかっ!」




『逃げてない?本当に?こんなにやりたい事があるのに?こんなに我慢してるのに?』



「・・・・・・」

何も言い返せない。
正体の見えない言葉に完全に論破されてしまう。
そして、自分は逃げてばっかりだと改めて気づかされる。

と、その時




『・・・朱音さんは、あの人はいろいろ与えてくれたよ?』

『いっぱいビックリしたけど、あの人は自信たっぷりだったよ?』

『あの人にも守るものがあって、それに真っ直ぐだったよ?』

『薬を作るのが得意なんだって。すごいね。楽しく薬を作ったって。あなたは?』



「あ、う、あ・・・・・」

一気に声が押し寄せる。
何も言い返せない。ただただ受け入れるばかり。
段々と『私』が壊れていく感覚が分かる。


そして





『・・・朱音さん・・・ううん。朱音様はあなたに全てを与えてくれるよ?』




『私』の言葉を聞いた瞬間、『私』は『私』では無くなった。














「さて、どうなるかしら?」

果歩に投与した薬。
それは自分の感情を積極的に表に出す薬としては間違いが無かった。
だが、それとはほんの少し異なり、場合によっては歪んだ作用をもたらす。

「・・・そろそろかしらね。」

彼女は今、『彼女』と自問自答を繰り返し、一つの結論を出す。
それが自立なのか、暴走なのかは分からない。それは彼女が選んだ道であり、口出しするつもりもない。
そもそも、優太にとって害で無ければなんだっていいのだ。自分はただ、彼女の悩みを解決してやっただけの話。
その結果優太に害をなすのであれば、その時は彼女を消すだけ。


「・・・ん、んん・・・・・」

「おはよう、果歩さん。気分はどうかしら?」

彼女がゆっくりと目を覚ます。
艶のある黒髪がハラリと揺れ、ちゃぶ台に突っ伏していた頭をゆっくりと持ちあげる。
そして、閉じられていた目が開き、こちらを向くと





「・・・朱音様。」



彼女は一つの結論を出した。