僕はそれから心優しい商店街のご厚意に甘えながら1週間を労働に費やした。魚屋さんや精肉店などでバイトして少ない賃金と食料を得て、洋服店や理髪店では同じく少ない賃金と生活の糧を得た。その他にもファーストフード店、仏壇店、デパートなんかにも金を稼ぐために日中問わず働き通しの毎日だった。中学生と言うのは働き口さえ与えてもらえれば、後は若さを武器にして頑張るだけであり、働いている間は祖母の死を、そして僕の家に押しかけて来たあの自称姉の存在を忘れる事が出来た。
「ふぅ……。まぁ、こんな物、かな?」
僕はそう言いつつ、汗水を流して日夜酷使し続けた身体をゴキゴキと鈍い音を鳴らせつつも、懐かしき寝るためだけに帰っているあの古ぼけたアパートの扉を開く。
「ただいまー」
「おかえり!」
すると、どうした事だろう。誰も居ないはずのこの部屋から声が返ってきた。あろう事かその声の主はあの自称姉と名乗っていた宮本瑠璃さんだった。
「遅かったね。どこまで働きに行っていたの? 一君、まだ学生をしていたんだから、あまりあくどい仕事に手を付けたら駄目よ」
そう言いつつ、彼女は真っ白なタオル(上等なタオルなので、これは彼女の私物だろう)で僕の身体の汗を拭き、水筒などを入れた古ぼけた中等部用の鞄をサッと取って部屋の中に置く。
「ど、どうしてここに……宮本さんが……」
「大家さんに『家族です』って言ったら素直に開けてくれたわ。優しそうな人だったわ。あと、瑠璃で良いわよ。姉さんも要らないけど、家族なんだから名前で呼び合わないとね♪」
……大家さん。人が良いのは美点ですが、今この時ばかりはもっと疑って欲しかったです。
「それに今日は大丈夫! 一日中、一君の家に居られるわ!」
「えっ!?」
こ、こんな美しい人、瑠璃さんと一夜を共に……いやいや、姉と考えれば何も可笑しい事はいや、この歳で兄妹がこの狭い部屋で一夜を共にとか可笑しいから!?
「い、家には帰らなくていいんですか!?」
そ、そうだ! もしかしたら帰ってもらえるかもしれない……と思ったんだが、
「大丈夫! 同じ役者一家の川萩さんの家に泊まりに行くって言ってるから。彼女、こっちの事情は理解済みだし、大丈夫よ」
「は、はぁ……」
「あぁ、ちなみに川萩さんは私達の従妹よ! 確か……私の父の弟が、嫁いだ先の妹の夫婦が川萩一家よ。役者って意外と横につながりが深いのよ」
そうなんだろうか? まぁ、これで彼女に帰ってもらうと言う選択肢は無くなったわけなんだが……そう思っているとムニュリと大きな胸を僕の背中に押し付ける瑠璃さん。
「み、宮本さん!?」
「ダーメ、瑠璃さんよ。る・り・さ・ん♪」
「……瑠璃さん?」
「そう! 嬉しいなー、一君から呼んで貰えるだなんて♪」
そう言いながら僕の背中に大きな胸を押し付けながら喜ぶ瑠璃さん。それはとても子供らしいが、僕としてはこの自称姉の瑠璃さんに対して欲望を押さえつけていられるか分かりません。
「あっ、そうだ。料理を作ってたんだ! 待っててね! 家から持ってきた料理で、とびっきりの料理をご馳走するから! 大丈夫、私、家事も得意なの!」
「は、はぁ……」
家事“も”得意……ね。まるで他の教科も当然のように得意と言う言い草である。まぁ、当然か。僕のように捨てられたんではなく、彼女は普通にお金持ちの家庭にて英才教育なりなんなりを施されてきたに違いない。そもそも僕と住む世界が違う人間なのだ。例え相手が姉を自称したとしても、僕は本当にそれが正しいのか知らないのだから。
☆
はっきり言って、彼女の料理は美味しかった。多分、僕が生まれてから食べた中で2番目に美味しかったと褒めてあげたら、
「1番じゃないの!? だ、誰が一番なの!?」
と問い詰められ、「……お、おばあちゃんの料理」と答えてしまい、空気が重くなった。風呂が無いので近くの銭湯に行こうと言う話になり、番頭のお爺さんが彼女のたゆんたゆんな胸を見たんだろうか、凄い鼻血を出したのが印象的だった。その帰り道。
「ふー♪ 温まったー♪ やっぱりたまにはこういうお風呂も良い物ね、一君♪」
「……そう……だね」
僕としてはさっさと呆れられたり、失望されたりして僕から興味を失わせるために戦闘へと連れて行ったのだが、どうにも意味は無かったようだ。
「……そう言えば」
「……? 何、一君?」
僕の言葉にきょとんとした顔でこっちを見る瑠璃さん。
「寝室、どうします?」
そう。それが問題なのだ。あの部屋は机を隅に片付けて布団を敷くのだが、布団は二組しか置けず、なおかつ僕やおばあちゃんならば多少狭いくらいで何とかなったが……彼女も大丈夫かと言えば無理そうである。
「やっぱり、どこかネカフェとかで僕は寝て……」
「それはダメ!」
僕の言葉に大きな声で反論する瑠璃さん。僕は驚きつつ、彼女の方を見る。彼女は言葉を続ける。
「ダメ! ダメなの! あの部屋は……私のための部屋じゃなく、一君の部屋であって……。それを私が追い出すような形だなんて……。そんなのって……」
そう言いながら、ぽろぽろと涙を流す瑠璃さん。その姿にドキッとしたが、騙されてはいけない。相手は本当に家族かどうか、姉かどうか分からない人物なのだ。そう思っているはずなのに、
「―――――――え?」
いつの間にか僕は彼女の頭をポンポンと叩いていた。きょとんとした顔をする瑠璃さん。僕もどうすれば分からないと言う感じで困惑する。
「えっと……その……なんだ。こんな所で、泣かれても……」
「……そうだよね。ごめん、一君」
そう言いながら頭を下げた瑠璃さん。
「いやいや……別に気にしなくても……」
僕がそう言うと共に、彼女の口元がニヤリと歪んですぐさま僕の身体に抱き着いて来た。
「じゃあ、姉弟同士! 一緒のお布団で寝よう! それなら2人でも大丈夫!」
「えっ? えっ!?」
困惑する僕に対して、ニヒヒと意地の悪い顔をする瑠璃さん。
「一君、断らないよね? 断ったら、泣いちゃうんだからね♪ 本当に泣いちゃうんだからね♪」
可愛らしい脅迫に僕は嘆息するしかなく、その日は彼女に抱き着かれ、彼女の大きくて柔らかい胸の感触と、この歳の女子の誰もが放つ甘い香りに刺激されて、一晩中眠れなかった。