試験前の土曜日の朝。今日は、絵美が由里の家にきて一緒に勉強をする約束の日である。
「よし、これで準備は万端!」
という由里の眼の前に広がるのは今日の昼食と夕食、そしておやつのクッキーの生地である。試験直前の勉強をする日だというのに、一体この少女は何を考えているのであろう。猫に引っかかれた日以来、由里の体には何も起こっていなかった。また、この地域には珍しく、雪が連日で降っていたが、今日は昼から晴れのようだ。
ピンポーン
アパートの呼び鈴が鳴る。
「はーい!」
「絵美だよー!!」
「ちょっ大声すぎ」
「ごめんごめん」
「今開けるね!」
このアパートはどの壁も薄いので声が容易に他の部屋に伝わってしまう。あまり大声を出すと壁ドンが隣から飛んでくるのだ。由里も隣がうるさい時にやったことがあるが、体が軽いせいであまり効果は無かった。
由里が扉を開けると
「おっはー!…ごめん、悪いって」
ちょっと古くさい挨拶に由里が睨みつける。
「はぁ、絵美が来るたび壁をドンッってされるの、帰った後一日中」
「え、ナニソレコワイ」
「…気にしないで」
冗談があまり上手くなかったようだ。
「さ、入ってー」
「お、いい匂いー!またとびっきり美味しいご飯用意してくれたんだ、通りで机の上が空っぽなワケダー」
「あ!ごめん、今勉強道具持ってくるー」
「もう、いろいろと抜けてるんだよね!由里は」
さすが洞察力の鋭い絵美である。さて、10分かかってようやく勉強の準備が整い(勉強道具を出してくるのもあったが、待っている間に絵美が漫画を読み始めてしまったためでもある)、由里の特訓が開始された。いつものように絵美はボーっとしているようだったが、真剣に由里を助けた。由里も集中を途切れさせることなく、勉強を続けた。そのうちあっという間にお昼の時間になった。
「あ、晴れてきたねー!」
「本当、時間もちょうどいいし、ご飯にしましょうか!」
「さんせーっ!お皿出すの手伝うよ!」
「いつもそれだけじゃん!まあ、絵美に料理させるのも不安だからいいけど」
「なんだとー!これでもお米ぐらい炊けるよっ!」
「それくらい炊飯器でできるじゃん。さ、お皿出して」
「はーいっ!」
こんな会話でも終始ニコニコしている。だが、
ドンッ!
本日一回目の壁ドンである。その後は二人とも静かに、昼ごはんを食べた。
昼食後、
「こんどの春休みさ、スキーとか行かない?」
由里が会話を切り出す。
「いーねいーね!時間があったらどこでも行こうよ!」
「どこでも、って、私そんな遠くまで行けるお金ないよぉ」
「私が出してあげるって!」
「え、私の分は私が出すよ」
「いいっていいって!ママに聞いたら絶対出してくれるから!」
「え、じゃあお言葉に甘えて」
絵美の家族は上流家庭に入るんじゃないかというくらいの金持ちで、毎年海外旅行に2,3週間行っているらしい。
「じゃあ、何処行くか!北欧?カナダ?それとも…」
「国内にして」
「じゃあ北海道にしよ!」
ドンッ
「…北海道でいい?」
二回目の壁ドンに声を潜める絵美。
「絵美の時間があればね」
「…分かった」
「じゃ、お片付けして勉強再開しましょ」
「りょーかい」
午後も同じペースで勉強を続け、気づけば日光が赤くなっていた。
「最近、日が短いよねー」
「だね。…ん、その手の甲のマーク、赤くなってる?」
「何?…あっ!」
「いやー勉強してる時にそのマーク気づいたんだけど、願掛けかなと思ったし由里が集中してるから聞かないでおいたんだよ。でも、すごいインクだね。」
「これはそうじゃなくって、この前話し…くっ!」
ドクンッ!
今回は一発、強い衝撃があっただけだったが、前に座っている絵美には変化がわかったようだ。
「由里、あんた…」
「絵美…」
ガバッ
「!??」
「少しだけど、膨らんでる!」
いきなり絵美が乗り出して胸を触ってきた!
「イヤァッ!」パァン!
思わず平手打ちする由里。
「ごめんごめん、ふむふむ、ちょっと目線が上がってるし、それに髪のクシャクシャ感も減ってない?ということは由里が話してたことは夢じゃなかったんだね」
「…驚かないの?」
「ん?…え!どうしたの由里!」
「遅すぎ」
「…そんなことないって。あ、ちょっと今日用事があるの思い出しちゃった!勉強の方は、多分その出来具合なら試験は問題ないよ!じゃあ!」
「え!」
絵美は手際よく荷物をまとめると、ドンドン足音を立てながら駆け出していった。
「え、お夕飯はどうするの?」
ドンッドンッ!
また壁ドン。
「ひゃっ!すみません!」
途端に謝る由里。いろいろあって、ごくわずかだった自分の体の変化のことは忘れてしまった。結局夕食の半分は迷惑をかけた隣の人にあげたとさ。