街を縦横に巡る水路。断崖をくり抜いて建てられた巨大な聖堂。
そして商人達で賑わう大きなバザールが目玉となる街ザネフ。
その町外れに建てられた家から悲痛な叫びが漏れていた。
「あら、いけない! もうこんな時間だなんて・・・」
掃除に洗濯、ついでに庭の手入れ。気が付けば太陽が大分傾いていた。
黄昏時を告げる晩鐘が長々と空を震わせている。
「急がないと旦那様が帰って来ちゃう!」
財布と買い物籠を掴み、大慌てで外へ飛び出す女性。
晩御飯の支度をする為にも急がねばならなかった。
「お、アルちゃん。そんなに慌ててどうしたんだい?」
「すみません、まだミルクは残ってますか!?」
アルと呼ばれた女性は、息を切らせながらも露店の主へ訊ねた。
「いやぁ、今日の分は売り切れちゃってねぇ・・・」
ポリポリと頭を掻きながら申し訳無さそうに店主が謝った。
既に露店の荷台には空白部分が見える程だった。
「そうですか、今夜はクリームシチューは作れないかなぁ・・・仕方ないから
ビーフシチューでも作ろうかな? 忙しい中、お騒がせしてすみませんでした」
アルは頭を深く下げた。旦那様と今朝に交わした約束を守れないのは
心苦しい。何とかして他の店から買えると良いのだけれど・・・。
「いやいや、気にしないで良いさ。旦那さんの為なんだろう?
もう夕暮れなんだ。早く帰って温かい晩御飯を作ってやんな」
「有り難う御座います! ではまた・・・」
温かい言葉を掛けられながら、帰路に着くアル。見渡せば暖簾を
下ろした店も多い。駆け足で通りを抜け、虱潰しに店を巡るものの、
目当ての物は見つからない。
「ああ・・・ミルクが無いなんて・・・」
がっくりと肩を落とすアル。彼女の心を
代弁するかの如く空は暗く染まっていた。
「おや、お困りかい? なら、うちの品物を買っていきな」
しわがれた声がアルに掛けられた。彼女が振り向くと、
腰の曲がった老婆が開く露店が開いていた。
「ミルクが有るんですか!?」
歓喜の声を上げて老婆の下へと駆け寄るアル。しかし、荷台の上には肝心の
ミルクは見当たらない。有るのは奇妙な見た目の植物や瓶詰めにされた水薬だけだ。
「お乳が出なくて困ってるんだろう? なら、これを飲みなさいな。
一口で溢れんばかりに出る様になるよ。試しに飲んでみるかい?」
得意げに小瓶を手に取り売り文句を紡ぎ始める老婆。どうやら
アルの呟きを聞き間違え、お乳が出ないと思い込んだらしい。
「あの〜、そうじゃなくて・・・」
勘違いを訂正しようと口を開き掛け、ふと脳裏に名案が閃いた。
自分のミルクを使えば旦那様にシチューを用意できるのではないか?
暫く考え込み、アルは薬を買おうと決心した。
「これ、売って下さい!」
「はいよ。折角だし、こっちの薬も――」
薬を受け取るや否や駆け出したアル。老婆が代金を受け取り、別の品を
見せようとした頃にはとても声が届くような距離には居なかった。
「飲み方も訊かずに帰るなんて、よっぽど急いでたんだねぇ」
夜の帳に溶け込むように・・・否、老婆の姿は文字通り溶けて消えてしまった。
代わりに現れるたのは若き女性。ただし、その下半身は液体の様に揺らめいていた。
「さてと、お仕事を済ませないとね」
家路についたアルを異形の女性が追う。その事をアルは知る由も無かったのであった。
@ @ @
「サラダよし。お米も炊けた。後は・・・おかずだけかな」
鍋に油をケチらず注ぎ、細かく刻んだ野菜を入れて炒めながら塩胡椒を振りまく。
コクを出す為に牛肉を少々加え、程よく水気が抜ける頃には充分に火が通っている。
後は時間を掛けてミルクで煮るだけだ。
「じゃあ、後は薬を飲んで――」
そこで漸くアルは気付いた。どれくらい飲めば良いのか訊いていなかった。
「あ〜、やっちゃった・・・。でも、お乳が余ったら樽に入れておけば良いかな」
どの道ミルクは補充しなければならない。なら、却って好都合だと思おう。
「うふふ・・・愛する旦那様の為に、一肌脱ぎましょう〜♪」
鼻歌交じりにエプロンを脱ぎ去り、胸を曝け出して瓶の薬を一気飲みするアル。
喉を数回鳴らしただけで瓶の中身は空となった。
「んっ・・・!?」
じわりと胸元が疼き始めたかと思うと、乳首の先端から白い雫が染み出した。
鍋にポタリと零れたかと思えば徐々に水音は増え始め、瞬く間に鍋は母乳で
満たされてしまった。
「凄い、こんなに出るのね・・・でも、どうすれば止まるのかな?」
母乳を注ぐ先を鍋から樽へ切り替えて様子を見守るアル。が、白い奔流は
治まる様子が無い。むしろ刻一刻と勢いを増すばかり。乳首を指で挟んで
押さえてみるものの、母乳は隙間から噴き出している。
「あれ? おっぱいも大きくなってるような・・・」
元よりバストサイズは87cmと常人よりは大きかった。それでも足元を見下ろす位は
問題無く出来ていたが、今は湧き出す母乳で膨れ上がり爪先すら見えなくなっていた。
乳首も合わせて肥大化しており、噴き出る母乳の量も相応に増え始めている。
「う〜ん、こんなに大きくなっても重くないのが不思議ね〜」
胸の中から滾々と湧き上がる母乳の量は噴き出る量よりも多く、乳首から溢れるより
早く双乳に蓄積している。恐らく片方の乳房だけで軽くバケツ一杯分の母乳が溜まって
いるだろう。にも関わらず胸から感じる重さは大して変わっていない様に思えた。
「こんなに出るなら、お風呂に入れてみようかな。愛情を込めて出した
私のミルクに浸かって貰えば、きっと旦那様も喜んでくれるはず・・・」
ヒノモト料理の基本曰く、愛情を込めた分だけ料理は美味しさを増す。
ならば愛情を込めて出した母乳は質が良くなっている事だろう。
(でも、「おっぱいは小さい方が素敵だったよ」なんて言われたらどうしよう!?)
ふと想像してしまった夫の反応に血の気が失せるアル。記憶を失い、身元も
不明な自分を助けた愛しい旦那様に嫌われる事は何よりも恐ろしい事だ。
乳房は膨れ続け、今や真っ直ぐに伸ばした腕よりも迫り出した胸の方が長い有様。
たわわに実った双乳は肩幅よりも横に広がり、乳首は握りしめた拳よりも大きい。
乳腺に至っては水道の蛇口を優に超える勢いで母乳を出せる程度には開いている。
控えめに言っても万人受けする見た目では無いだろう。
「神様、御願いです! どうか旦那様には嫌われない様にして下さい!」
アルは嫌な想像に堪らず目を瞑り、両手を組みながら祈りを捧げた。
刹那、彼女の周囲で大気が揺らめいた。この光景を見る者が居たならば、
それは魔力が溢れ出したのだと気付けただろう。そして肥大化した胸に
魔力が集まると、噴き出す母乳が次第に治まり始めていた。
「・・・・・・あれ? お乳が止まってる?」
ふと気が付けば、間欠泉も顔負けな勢いで噴き出ていた母乳がピタリと止まっていた。
試しに胸を揉んでみるものの、先程まで溢れ出ていたのが嘘の様に出ない。
「う〜ん、薬の効果が切れたのかな?」
首を傾げて唸るが、他に思い当たる節は無い。そうこうしている内に
鍋が噴き零れかける音が耳に届いた。
「いけない、お鍋が噴いちゃう!」
アルは慌てて鍋を火から降ろす。もうすぐ愛する旦那様が帰ってくるのだ。
体の事も気になるが、まずは食事の準備が一番である。汗を流せるように
お風呂の準備もしなければならない。
「うん、味は問題無いかな。お風呂の準備もしてと・・・」
せわしなく動き回るアル。その姿を見つめ続けている者が居るとは
全く気付いていなかったのであった。
@ @ @
「流石は元女王アルドラ。完全に制御されちゃったかぁ・・・」
時を同じくして、外ではアルを追跡していた異形の少女が独り言を呟いていた。
その体は周囲の風景と溶け込み、余程注意深く見なければ見落としてしまう程
巧妙な擬態。まさしく人外の技であった。
彼女の名はメローナ。シェイプシフターと呼ばれる魔物であり、先程薬を売った
老婆の正体でもある。見た目から性質まであらゆる物に変身できる特殊能力が有り、
体を鉄の様に硬くしたり強力な酸に変えて浴びせるのは朝飯前。使い方次第では
相手の血肉に変身し傷を癒す事すら可能なのだ。
「沼地の魔女のご命令と言ったって、アレと敵対するのは危険過ぎるから撤退だね」
メローナはアルの正体を知っている。以前大陸の支配者として八年間も君臨した
前女王アルドラ。メローナが仕えている主が敵対する相手であり、退位した今も
尚警戒されている美闘士。潜在的な脅威としては最高クラスの相手である。
「漸く隙を突けたと思ったのに、これだもん。いや〜、おっかないこと」
先程渡した薬の中身はメローナの肉体を一部変化させた物だった。
表向きは真っ当な薬として使えるが、メローナの意思一つで自由に
強酸などにも変化出来るので実質的には罠であった。
「あわよくば色々と仕込めたら良かったんだけど、あまり欲張るのは危険かな」
薬を飲んだ事でメローナの一部はアルドラの体に同化した。それを起点として
色々と呪いを仕込む予定だったものの制御権が奪われた。記憶を失ったものの
女王時代に冥界の悪鬼を使役していた支配の力は今も健在だったようだ。
「他にもやる事は有るし、邪魔にならないなら放っておこうっと」
彼女の主たる沼地の魔女は、いずれ敵対するであろう不穏分子に対して妨害工作を
する様メローナに命じていた。呪いをかけ、姿を真似て悪事を働き指名手配をさせる。
時には潜入工作をしたりと色々忙しいのだ。アルドラ一人だけに構う余裕は無い。
「じゃあね〜。ボク達の邪魔をしない事を祈ってるよ」
極端な豊胸効果、並びに母乳体質化を仕込む事は上手く行った。これなら
かつての様に武芸を振るう事は出来ないだろう。最低限の仕事はしたと考え、
メローナは静かに去っていくのであった。