「ユーミル姉! コソ泥はどうした!?」
白服の店主が走り寄って黒服の店主へと迫る。
「すまぬ、見失ってしまったようじゃ・・・」
ユーミルと呼ばれた黒服の店主は、がっくりと肩を落とした。
それを見て白服の店主は背負っていた大槌を振りかざした。
「何をしていたのじゃ! わちの商品は盗まれて構わんと言うか!?」
「そんな事は言うとらんじゃろうが!」
「まさか、わちの売り上げに嫉妬したか!」
「何たる侮辱じゃ! 取り消さんかエイリン!」
余程腹に据えかねたのか、戦槌にて殴りかかる白服の店主エイリン。
売り言葉に買い言葉で堪忍袋の緒が切れたのだろう。ユーミルも戦斧を
抜き放って迎え撃つ。通りに金属音が幾度も響き始めた。
「あっ・・・ちょっと!?」
「おい、ケンカだ!」
「斧のねーちゃん押されてるぞー! 頑張れー!」
アルが戸惑っている内に野次馬が集まった。周囲から囃し立てる声が投げかけられる。
「ええと、どうしましょう!?」
後ろは野次馬で通り抜けられず、前は言うまでも無く危険地帯。
目の前で始まった喧嘩に巻き込まれて途方に暮れるアルだった。
往来の真ん中で武器を振り回し始めた店主達の見た目は子供同然。とは言え、
人間とは段違いの身体能力を持つのがドワーフである。4、50キロ近い重さの
武器を片手で振り回すのは朝飯前。そんな連中を凡人が止められる訳が無い。
「ふん、人間の下で暮らす内に腕は錆び付いた様じゃの!」
戦槌の重さに任せた荒っぽい打撃。唸る風切り音が一撃の重さを知らしめていた。
掠るだけで石畳の表面が弧を描いて削り取られる。
「なにをっ!」
エイリンの挑発に負けじと切り返すユーミル。槌の側面を叩いて逸らし、
柄を引っ掛けて鍔競り合いに持ち込む。削れた石畳を蹴り上げて目を潰し、
二丁目の斧を抜き放ち手数で押し込む。両者の実力は拮抗していた。
「俺ぁ、黒い方のねーちゃんに掛けるわ」
「白い嬢ちゃん! 頼むから勝ってくれよ!」
野次馬は暢気に賭け事を始める始末。周囲は完全に御祭り騒ぎと化していた。
だが――
「あっ!」
一際高い悲鳴。かち上げられた戦槌がエイリンの手を離れる。小手狙いで
放たれた一撃が武器を奪い取ったのである。そして・・・・・・
「しまった!」
そのまま吹き飛んだ戦槌は見事に野次馬の下へ飛んで行ったのだ。
「危ないっ!」
人を押し退け咄嗟に飛び退くアル。ズシン、と一拍遅れて目前の石畳に皹が入る。
少しでも反応が遅れていたら怪我をしていた事だろう。
「すまん、大丈夫か!?」
「私は大丈夫ですけど・・・」
駆け寄る二人はアルの視線を辿ると、押し退けられて転んだ老婆が
辛そうな表情で腰に手を当てていた。
「すみません、突き飛ばしてしまって・・・」
「ちょっと腰を痛めただけですじゃ。家も近いですし、心配には及びませんぞ」
人の良い笑顔で老婆が言葉を返すも、立ち上がる事すら満足に出来ていない。
これでは歩く所ではないだろう。
「済まぬ事をしてしまった・・・せめて、お宅まで送らせて欲しい」
「わしらが調子に乗り過ぎなければ・・・」
頭が冷え、せめてもの償いに老婆の肩を支えて立ち上がらせる店主達。
アルも続いて老婆の荷物を持った。
「私も突き飛ばしてしまいましたから、お宅まで荷物を持ちますね」
「わざわざすまないねぇ・・・それじゃあ、お言葉に甘えさせて貰いますぞ」
こうして四人は町を後にするのであった。
@ @ @
目が覚めれば、鼻を突く黴と汗の臭いが肺腑に染み込んだ。
見渡せば周囲は真っ暗。僅かに見える光は格子状に切れている。
檻のような場所に居るらしい。そして頭は妙に痛かった。
「ぅん・・・・・・?」
更に言えば体が重い。気怠いのではなく物理的に重い。何かが自分の体に
乗っかっているようだ。心なしか温かみを感じるような気もする。
身じろぎをすると、それは動いた。
「こど、も・・・?」
少々ぼやける視界に映るは幾多の子供。襤褸を纏い、傷だらけで痩せ衰えた
子供達が折り重なるようにアルへと身を寄せていた。これは一体何事か?
体を起こすと一人の子供と目が合った。
「あっ・・・!」
驚きの声を上げたのは子供かアルか。目の前に居たのは昼間に財布を盗んだ
あの子供だった。母乳を飲んでいたと見えて口元が白く湿っている。周囲の
子供達も似たような物だ。とりあえずアルは事情を訊いてみる事にした。
「ねぇ、ちょっと降りてくれるかな?」
「う、うん・・・」
努めて優しく声を掛けると、子供達はアルから離れた。ひやりと冷たい
空気が肌身を刺す。そして微かに葡萄の香りが鼻をくすぐった気がした。
「ありがとね。ところで、此処は何処か訊いていい?」
「・・・地下室」
ぽつりと一人が答えた。その眼には怯えの色が浮かんでいる。
「ふんふん、それじゃあ・・・皆は何で閉じ込められてるの?」
ちらりと横目で格子に目を向けてアルは再び訊ねた。
「・・・稼げなくて人攫いに売られるから」
蚊の鳴くような更に小さな声で答えられる。アルは漸く合点がいった。
「つまり、あのお婆さんが犯人だったのね」
意識が飛ぶ直前までの記憶を辿り直すアル。腰を痛め動けなくなった
お婆さんの荷物を家まで運んだ時には日が傾いていた。その礼として
夕食を振る舞われていたのだ。
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「いやぁ、美味かった。馳走であった!」
「すいません、お相伴に預かってしまって・・・」
パンとスープの簡素な食事であれ、好意と共に振る舞われた
食事は格別な味がするものだ。アルは素直に感謝を伝えた。
「こちらこそ楽しい一時を過ごさせて貰った事に感謝しますぞ」
空になった食器を片付けながら老婆は微笑む。
「こうしていると、遠くに住んでいる孫娘を思い出すのでのぉ・・・」
食後の茶を準備しながら老婆の語りは続く。
「わしらの年齢を知ったら目玉が飛び出るじゃろうな!」
ドワーフたる二人は人間より遥かに年上だ。とは言え、
見た目だけで判別するのは無理に等しいが。
「いかん、満腹になったら眠くなってきたのぉ」
うつらうつらと舟を漕ぎ始めるエイリン。そのままテーブルに
突っ伏して寝息を響かせ始めていた。
「おや、やっと薬が効き始めた様ですのぅ」
「え!?」
ニコニコ笑う老婆の口から驚くべき言葉が飛び出た。
即座に反応するユーミルであったが、その動きは鈍い。
「もしや、先程の食事、に・・・」
重くなる瞼に抗えぬまま三人の意識が落ちてゆく。
「ええ、眠り薬を少々ね」
老婆から出る声が若々しくなっていた。先程まで着ていた服が振り払われ、
若々しい女性の姿が在った。
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「まさか、見張っていたなんて思わなかったわね」
眠気も振り払い、漸く頭の回転が元に戻った。
恐らく教会に預けた子供も見張られていたのかもしれない。
それでは助けを呼べる筈が無いのも当然か。
「そう言えば、あの二人が居ないわ。白と黒の服を着た人達は見てないのかな?」
「すっごく危ないからって鎖で吊るしてた。まだ上の部屋に居ると思うけど、
運び屋を呼んでヒノモトに売るって言ってたから――」
「そっか・・・まだ大丈夫なのね」
教会に預けた子供が人攫いの居場所をシギィ達に話したかは分からない。
となると、助けが来るかどうかは不明だ。アルは身の回りの状況を確認した。
財布や買い物袋は取り上げられたが、服や装飾品は無事。しかし外を覗ける
窓は無い。どうするべきか。
「とにかく、此処から出なくちゃ・・・!」
攫われた事も怖いが、愛する旦那様に心配を掛けたまま失踪する方が
もっと怖い。悲しみに暮れたまま死なれたら、それこそ死んでも死にきれない。
何が何でも帰ろうとアルは決意したのであった。
「みんな、此処から出たいよね? 鞭で痛い目に遭いたくないよね?」
「え? う、うん・・・そうだけど」
戸惑いを隠せぬ様子で子供達は頷く。
「なら、お姉さんがどうにかしてあげる。だから、ちょっとだけ手伝ってくれる?」
この地下室、どうやら昔はワイン蔵だったのだろう。ひんやりと冷たい土壁で
牢の中は覆われている。これならどうにかなりそうだ。アルは子供達に
ウインクをして微笑むのであった。
@ @ @
「最悪な人間じゃったの・・・」
「まったくじゃ。ちと油断しすぎたか」
同時刻、上の階にてエイリンとユーミルは手錠をされたまま宙吊りにされていた。
「なんじゃ、もう目を覚ましたのか」
「当たり前じゃ。あんな小細工程度が効く訳無かろうて」
冶金に携わる者の嗜みとして様々な毒物への心得は持ち合わせている。
鉱毒より遥かに劣る薬効程度でドワーフが止められるのは一時だけだ。
「じゃが、こいつを壊すのは手間じゃの」
手錠に繋がれた鎖は柱を通って壁に結ばれている。両手が塞がっている以上
出来るのは柱を蹴り壊す程度だろう。だが、下手に家の柱を壊そうものなら
屋根が崩れて自分たちどころか子供達も巻き込まれる可能性が高い。
「子供でも盗みを働いた以上は罰を受けねばならんが、死人は出したくないからのぉ」
「ま、悪党の根城が潰れる分には構わんな。むしろ潰れた方が世の為じゃ。
財布を盗まれたくないからと客足が減れば、商売あがったりじゃからな」
軽口を叩きつつ周囲を見渡す二人であった。
昼間財布を盗んだ子供は女の下っ端だったらしく、再び顔を合わせていた。
女は子供へ盗みの対価として出来高に応じた食事を出していたのだ。しかし
金額が少なければ量を減らし、皆無とあらば八つ当たりで鞭を振るう最低の
下衆であった。それを目の前で見せられては同情の余地なぞ有りはしない。
「さて、どうしたもんか・・・?」
ふと、耳を澄ませば変な音が聞こえる。形容しがたい音だが、例えるならば
田んぼの泥に足を突っ込んだ際、空気が押し出される粘っこい水音だろう。
もしくは煮立たせたチーズの気泡が弾ける様な音か。
「なんじゃ、この音は。地下の方からかの?」
聞こえてくる方向としては食事を済ませた子供達が戻って行った扉から聞こえる。
「もしや、あのデカ乳女が何かやっとるんかの」
おっぱいが牛みたいな大きさの女性客が引きずられていったのが印象深い。
あれだけ巨大なら母乳も沢山出るだろう。そんな事を考えていると――
「ふ〜っ、何とかなって良かったぁ・・・・・・」
その本人が部屋へと入って来た。が、どう言う訳か泥だらけだ。何処も彼処も
土で薄汚れており、彼女の後から続く子供達は全員ずぶ濡れになっている。
「あ、お二人共無事で良かった。大丈夫ですか?」
「お主こそ大丈夫か? 何がどうなってそんな有様になったんじゃ」
予想の斜め上を行く事態に呆けるドワーフ二名。地下で何があったのだろうか?
「気が付いたら牢屋に閉じ込められていたので、壁に穴を掘ったんですよ。
幸い壁は土でしたから、母乳を掛けて柔らかくすれば何とか崩せました。
大事な飾り物が壊れたのは残念ですけど・・・とにかく、こちらは無事です」
これが石壁やら煉瓦やらで積み上げられていたなら上手く行かなかっただろう。
掘削道具代わりにヘッドドレスやらマジェステのスティックやらを使ったので
壊れてしまったのだが、背に腹は抱えられない。
「随分と手荒く使った様じゃの。とにかく降ろしてくれんか」
「そうですね。人攫いが戻って来る前に急がないと」
悪党の拠点に長居は無用。さっさと引き上げるべきだ。
アルは壁に留められていた鎖を外し、手錠の螺子を外して二人を開放した。
「おお、商品は無事の様じゃ。良かった良かった」
「こりゃ一つ借りが出来てしまったのぉ。お主、名は何と言うのじゃ?」
奪われた手斧を取り返し、笑みを浮かべつつもユーミルが訊ねた。
「私はアル、ですけど・・・」
「わしはユーミル。こっちは妹のエイリンじゃ。
この借りは必ず返す。此処は任せて先に行けぃ!」
荷物袋から取り出した道具で玄関扉を抉じ開けてユーミル達は仁王立った。
「えっ? 今の内に助けを求めないと・・・」
「全員で行ったら誰も人攫いを捕まえられんじゃろうが。わしらは戻って来た連中を
捕まえておく。ほれ、さっさと行かぬか。衛兵でも何でも呼んで逃げ道を塞がんと
解決にならんからな」
アルや子供達が逃げて行った事を見届けるユーミル。
完全に姿が見えなくなった頃を見計らって扉を閉めると、
意気揚々と先程の部屋に戻り、家探しを始めたのであった。
「さーて、今の内に奴らが溜め込んだ金を頂くとしようかの」
「ユーミル姉・・・ちゃっかりしとるのぉ」
逃げ切るまでの護身用に剣でも売りつけるかと思いきや、素直に見送った
ユーミルの様子に疑問を抱いていたエイリンは漸く納得がいった。
「衛兵に没収されるなら、わしらの下で生きた金として使ってやった方が
有意義じゃろう? そして、人助けの事が伝われば宣伝になるからな。
エイリンも後で礼代わりに小物を渡したらどうじゃ。良い宣伝になるぞ」
「よくもまぁ知恵が回るのぉ。じゃが、それは名案じゃな」
呵呵大笑して箪笥やら引き出しやらをひっくり返す二人。子供達が
今日集めた金は流石に足が付きかねない。それだけは残して財貨を
漁る二人であった。