若奥様の悩み

voros 作
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「はぁっ・・・はっ、あっ・・・た!」
 息を切らせつつ辿り着いた船着き場。そこにはいつも通りゴンドラが浮かんでいた。
「どこか安全な場所は・・・」
 舫い綱を解いて櫂を手にするアル。海賊の船は空を飛べるようだが、乗っていた
 船員までが空を飛べる訳ではないらしい。ならば逃げ道は水路の数だけ有る。
 
「きゃっ!?」
 不意に近くで水柱が噴き上がり、船が揺らいだ。振り向けば人が浮いている。
 ちゃんと皮膚が見える辺り真っ当な人間らしい。恐らく川に落ちたのだろう。
 もし泳げない状態だったら拙い。素早く船を寄せて引き上げるアルであった。

「うぅ・・・・・・」
 黒い外套に身を包み、口以外は顔の下半分を仮面で覆っている。
 胸甲や長剣等を携えて居る辺り武芸者の様だ。少なくとも怪我は
 していない様だが様子がおかしい。目つきは胡乱で今にも意識を
 失いそうだ。
 
「大丈夫ですか!」
「か、海賊を追って来たんだけど眠くて・・・」
 こうして話している間も女性はコクリコクリと首を上下させているが、
 アルと目が合った途端に目が大きく見開かれた。
 
「あ、あなたは!」
 驚いた様に身を起こすも、すぐさま瞼が落ちて倒れ込んでしまった。
 尋常な眠気ではないようだが、何か薬でも盛られたかのような――
 
「――あっ」
 薬と言えば、膨乳薬の捜索に携わっているメルファ達が居る。
 彼女達なら亡者相手に上手く立ち向かえるに違いない。何せ
 本職の聖職者なのだから。

「教会! そこならきっと安全かも!」
 焦ると大事な事も頭から抜け落ちてしまうものだ。
 自分に言い聞かせるように呟き、アルは櫂を操り始めた。

 お昼時で火を使う時間帯が災いしたのだろう。あちこちから火の手が上がり、
 もうもうと立ち込める煙で視界が悪くなっている。生身の人間ならば熱煙で
 肺腑を焼かれない為に逃げるが、アンデットならば影響を受けない。それ故
 煙の中でも人骨達は略奪に走り回っていた。

「これは、かなり拙いかも・・・」
 不運にも人が沢山居る時に火事で煙が充満し、大砲で建物が崩壊。よって道が
 通行不可となれば、取り残された人々が逃げ道に使うのは水路だけ。我先にと
 水の中へ飛び込んだ人々に水面が埋め尽くされてしまった。これでは思う様に
 進む事は難しい。

「仕方ないけど、こうするしか!」
 倒れた女性を担ぎ上げ、護身用に船の櫂を持ち出して陸へと戻ると、
 アルはイヤリングに触れて厚くした水の鎧で自分の体を包み直した。
 そして胸が膨れて着られなくなった服を裂いて口元に巻きつけつつ、
 強引に煙の中へ突っ込んだ。

「げほっ・・・熱っ!」
 鎧の厚さは調整できても全身は覆えない為、どうしても手足に降りかかる
 火の粉は防ぎきれない。水で濡れた服を盾にしても限度があるのだ。
 急がなければ蒸し焼きになりかねない。

「うう・・・何が・・・」
「お気づきになりましたか?」
 背中から女性の呻き声。どうやら気が付いたらしい。
 散々揺らされた上に熱い火の粉で刺激されれば意識が
 戻るのも無理は無い。

「ええと、ありがとう。私はマリア。貴女は・・・」
「アルです。もうすぐ教会に着きますから――」
 ふと、煙が晴れ渡る。まだ火の手が回っていない場所に辿り着いたようだ。
 現在位置を確かめようと周囲に目を向け――

「見つけた!」
 いきなり弾ける様にマリアがアルの元から離れて駆け出した。
 その先には空飛ぶ船。歩みの邪魔となる海賊を蹴散らしながら
 人混みをすり抜けて姿を消してしまった。

「あ、ちょっと!?」
 アルも追い掛けようとするものの、道を右往左往する人々に阻まれて動くに動けない。
 そうこうしている内に完全に彼女の姿を見失ってしまった。
 
「コッチニヨコセ!」
「ひぃっ! 助けておくれー!」
 そして周囲には住民を襲う海賊達。とりあえず自力で動けているなら
 マリアを優先して心配する必要は無いだろう。
 
「今助けますからね!」
 なけなしの勇気を振り絞り、アルは人助けに動くのであった。

















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「何をグズグズしていますの?」
 積み上げられた略奪品の前で腹立たしそうに腕を組むリリアナ。優雅にして華麗な略奪を
 信条とする彼女にとって、無駄に掛かる時間は歓迎されざる物の一つだ。空飛ぶ船から
 降り立ち直接現場指揮に出向く事を決意したのであった。

「オ頭ァ、妙ニ手強イノガ居ルンデサァ」
 片腕が消し飛んだ骨が申し訳なさそうに指をさす。その方向には妙なポーズをとる女性が二人。
 一人はブリッジみたいな体制をとり、もう一人は所謂まんぐり返しの姿勢だ。

「聖なるポーズ、畏怖!」
「聖なるポーズ、破邪!」
 シギィとメルファの掛け声と共に後光が周囲を包み込む。
 それだけで周囲の人骨は動きが止まり、光に焼かれて近寄れなくなっていた。
 
「なるほど・・・腕が良い聖職者となれば手こずる訳ですわ」
 アンデットに聖職者の組み合わせは、水と油並みに相性が悪い。
 だが、そこで略奪を諦めては海賊の名折れである。

「野郎ども! たっぷり砲弾を浴びせなさい!」
「アイアイサー!」
 生身で近づけないなら遠距離攻撃だ。金属の塊ならば浄化の力は大して意味は無い。
 正々堂々と殴り合う義理は無い以上、足止めだけして目的を達成するだけの話だ。

「それにしても、妙に集まりが悪いですわね」
 天敵の邪魔が入った事を差し引いても出払った船員の数が足りない。
 他にも何か問題が起こったのだろうか。

「や、やめてくださ〜い! 盗みはダメですよ〜!」
「アルちゃん、危ないから早く逃げなさい・・・」」
 ふと、視界の端で戻ってきた船員が逃げ遅れたであろう住民の荷物を奪おうとしている様子が見えた。
 背に風呂敷を括った老婆が必死になって部下から逃げようと四苦八苦している。その老婆に人骨が
 狙いを定め剣を振りかざしていた。そこに巨大な袋を抱えた若い女性が横から割り込んでいる。

「ご老人に乱暴は許さないとあれほど言っておりましたのに」
 小さく溜息を吐き、靴音も高らかに近づくと迷う事無くレイピアを抜き放つ。
 海賊と言えど越えてはならぬ一線という物が有る。老人に手を出さないという
 鉄の掟を汚すならば、仲間であろうとも違反者には制裁を科さねばならない。
 
「お年寄りに乱暴は許しませんっ!」
 一喝し、レイピアを頭蓋へ突き刺して蹴り倒すリリアナ。散らばった骨が乾いた音を立てた。
 驚いて咄嗟に離れようとするアルだが――
 
「そうは行きませんわ」
 ――弦音が短く響き、ガツリと重い音がして短い矢が目の前の家屋に
 刺さっていた。クロスボウの矢だ。思わず怯んでアルの動きが止まる。
 
「さて、お前達は略奪を続けなさい!」
 リリアナは制裁を加えながらも部下に改めて指示を出し、彼女はアルに剣先を向けた。
「そして、あなたは出す物を出して頂きますわよ。大事な宝物を、ね」
 剣の切っ先を突き付け、不敵な笑みと共に近づくリリアナ。何を抱えているかは
 知らないが、あれだけ大きな袋なら色々な物が入っているに違いない。

「大人しく差し出すなら命は取らないであげても良いのですよ?」
 猫撫で声で迫るリリアナ。部下であろう人骨の集団も囲むように位置取りしていた。
 上には砲撃をする船、下は大勢の敵。逃げ場は無い。
 
「私の宝物は優しい街の人々と、そして愛しの旦那様です・・・っ」
 アルは地面へ倒れ込む様にして胸を押し潰し、勢いよく母乳を噴出させる。
 幻覚で誤魔化しているが、正面に吊り下げているのは荷物ではなく彼女の胸だ。
 母乳の目潰しで不意を打つ。これで今まで逃げ切ってきたのだが・・・

「あなたなんかに一欠けらだってあげません!」
「おっと、小賢しい真似を・・・」
 飛び退いて母乳を躱すリリアナ。母乳の目潰しは予想外だが、
 似たような事をする魔物は知っている。前知識さえ有るなら
 回避は難しい事ではない。

「なら、その旦那様と町の全てを私が略奪して差し上げましょう♪
 野郎ども! 蟻の子一匹残さず奪い尽くせ! ですわ!」
 売り言葉に買い言葉。号令と共に財貨どころか町の住民まで攫いに掛かる海賊達。
 その手はアルにも伸びて――
 
「今度は逃がさないわ!」
 ――閃く白刃に阻まれる。先程の女性、マリアだ。いつの間にか
 海賊達を切り伏せ、包囲を破っていたらしい。住民達は海賊達の
 居なくなった方角へ殺到している。

「どこか安全な場所に隠れていて!」
 アルを背に海賊へと躍りかかるマリア。戦い慣れていると見えて
 動きに迷いは見られない。人も減って巻き添えの心配も無くなった。
 これで思う存分戦える状況になった。

「はるばるザネフまで追ってくるとは、少々甘く見ていましたわね」
 心底面倒臭そうに顔をしかめるリリアナ。どうやら因縁が有る様だ。
 マリアも敵意を剥き出しにして剣先をリリアナへと向けている。
 
「もう略奪しないと誓うなら許してやる!」
「笑止! 略奪しない海賊なんて歌わない歌手くらいありえませんわ!」
 いがみ合いながらも互いの剣が打ち合わされ、幾重に火花が舞った。

 剣閃を見切り、剣の鎬でいなし、鋭く踏み込んで打ち合う。
 片や瓦礫を蹴り上げ、派手に飛び退き、隙を見て突き込む。
 武具の差異、積み重ねた経験、立地の有利不利が拮抗した
 戦況を生み出していた。故に場を崩すのは外的要因となる。

(また眠気・・・こんな時、に!)
 唐突に襲ってくる睡魔でマリアの動きが鈍る。その隙は言うまでも無く致命的だ。
「隙だらけでしてよ!」
 視線が逸れた瞬間、迷う事無くマリアの目を指で突くリリアナ。
 致命打にはならずとも時間と距離を稼ぐには充分。痛みのあまり
 目を開く事もままならぬマリアを尻目にリリアナは撤退して叫ぶ。

「野郎共! ずらかりますわよ!」
 合図と共に上空の船から縄梯子やらロープやらが下ろされる。
 船底からは略奪品を積み込む為に使う巨大なハンモックが
 伸びて地上に設置された。そこに続々と人骨達が群がり――

「あっ・・・!?」
 ――攫われた人々が空飛ぶ船へと連れ去られようとしていた。それを目にした
 アルは怒りで頭の中が凍てつき、周囲の喧騒も火傷の痛みも意識から吹き飛ぶ。
 手にした櫂の柄が潰れんばかりに握りしめられ、ギシリと軋み始める。もはや
 逃げる事なぞ頭の片隅にすら残っていなかった。

「許さない・・・絶対に、許さない!」
 今ここで海賊を逃がせば別の場所で悲劇が繰り返される。そしていつか
 再び愛する夫が攫われるかもしれないと考えただけでも胸が張り裂けそうに
 辛いのだ。それが延々と続く上に他人も同じ恐怖を味わい続けるなんて
 耐えられる訳が無い。

「こ、これ・・・は?」
 異様な気配に思わず怯んだリリアナ。アルは先程までの温和な雰囲気は消え失せ、
 底冷えのする殺気を纏わせている。しかも禍々しい魔力が高まり続けているのだ。
 それなりの距離が有るにも関わらず、この威圧感は無視できる物ではない。

「もうこれ以上・・・悪さはさせません!」
 力任せに櫂を横に薙ぎ払うアル。巻き起こる旋風は嵐さながら。
 特に誰かを狙った訳でもないにも関わらず、その余波で海賊の
 手下達は木の葉の如く吹き飛ばされる。

「早くお逃げなさい! 宝も捨てて――」
 あれは拙い。そう判断したリリアナの判断は素早かった。
 積み込み途中の略奪品を引き上げる暇も惜しんで撤退を
 決めるのは正しかっただろう。だが、相手が悪すぎた。

「いぃぃぃやあぁぁっ!」
 略奪品を載せたハンモックのロープに掴みかかると、アルは絶叫と共に
 引き千切ってしまった。これでは船へ引き上げるまでに略奪品が
 落ちてしまう。もはや回収は不可能だろう。

「やってくれますわね!」
 元は航海用に誂え、嵐の中でも帆を支え続けられる強度を持ったロープだ。
 刃物でも簡単には切れる筈が無いのだが、力技で切るとは尋常ではない。
 
「逃がしませんよ!」
 マリアに倒され、海賊が落としたサーベルを拾い上げるアル。振りかぶって投げつけた
 先にはリリアナの掴むロープ。ブツリと嫌な音が彼女の頭上から響いた。見れば半分程
 ロープに切れ目が入っている。

 このままでは引き上げられる途中で落ちる。リリアナは即座に見切りをつけて
 飛び降り、改めてアルに対峙した。可視化できる程に溢れ出る紫の魔力の光は
 今や彼女の全身に纏わりついている。その威圧感たるや、リリアナを蘇生した
 沼地の魔女を髣髴させると言っても過言ではない。

(奥の手も考えた方が良さそうですわね)
 じっとりと滲む脂汗を拭いもせずに身構えるリリアナ。
 用意した砲弾にも限りがある以上、時間を掛ければ
 聖職者達も直に詰めてくる。形勢は不利になる一方だ。

「とは言え、そう易々と捕まりはしませんわよ!」
 レイピアを真っすぐに突きつけ吠えるリリアナに対し、
 櫂を担ぐ様に構えつつ冷酷な笑みを浮かべるアル。
 今此処に眠れる獅子が目覚めようとしていた。