若奥様の悩み

voros 作
Copyright 2021 by voros All rights reserved.

「あ〜あ、面倒な事になっちゃってるよ」
 右往左往する人々を見下ろす影が一つ。潜伏していたメローナは目下の光景に頭を悩ませていた。
 巻き添えを食わないように屋根上で身を潜めたのは良いが、ヤバイ連中が足元で暴れ始めた結果
 下手に身動きが取れなくなっていたのであった。

「よりによってレイナとアルドラを敵に回しちゃうなんて、リリアナも運が悪いね〜」
 各地で指名手配されている武芸者マリア。その正体は大陸西部を治めるヴァンス伯爵家の次女にして
 大陸の支配者を決める決闘儀式、クイーンズブレイドの第30回優勝者。人呼んで流浪の戦士レイナだ。
 女王として国を支配する権利を辞退した後、繰り上がりで女王の座に就いた実の姉たるクローデットが
 豹変して始めた暴政を止めるべく彼女は身分を隠して各地を放浪している。
 
「今の内に捕まえておければ良かったけど、見張りが居たんじゃ駄目そうかな」
 先代女王アルドラを下した実力を危険視され、同時に有望な手駒として沼地の魔女に白羽の矢を
 立てられた彼女は罠に掛けられていた。顔に着けている仮面は睡魔を齎す呪物であり、一日の内
 十六時間以上は眠らなければ動く事さえ困難となるのだ。それでも今日に至るまで洗脳された
 女王が放つ追手を振り切り続けている時点で迂闊な真似は出来ないと察せられる。

 その厄介な相手が隙を見せたのは良いのだが、悪鬼の見張りと近くに居る聖職者達が邪魔だ。
 道は砲撃で崩れた家屋の瓦礫で使える箇所が少なく、大通りに出れば人目は避けられない。
 人間に化けてしまえば逃げるのも不可能ではないが、リリアナの襲撃で兵士達も出張る頃だ。
 火事場泥棒阻止や検問で張り込まれているであろう今から突破するにはリスクが高い。

「捕虜にしても運ぶ途中で死んじゃったら怒られるどころじゃ無いよねぇ〜…」
 異端審問官であるシギィは勿論だが、聖女と呼ばれるメルファも神官としては腕が立つ。
 逃げている途中で見つかっては手こずらされるだろう。仮にレイナが途中で目覚めたら
 三つ巴の戦いになりかねない。このまま攫うのは躊躇われる。

「かと言って、アルドラの相手をするのも……」
 さる悪鬼から借り受けた冥界の力は今でこそ失っているが、身体的なスペックや戦闘経験は
 常人とは比較にならないのだ。最下級とは言えど馬鹿げた数の悪鬼を使役しながら空を飛び、
 メローナが仕掛けた罠で肥大化して重くなった胸を物ともせずに動き回っているのだから。
 
「あーもう、何で余計な仕事が増えるかなぁ!」
 親が親だけにアルドラが神聖力を使いこなせる素養が有るのは理解できる。冥界の悪鬼は
 現世では実体を持てず、人もまた実体を持たぬ相手と子を成す事は出来ないが、例外たる
 ハーフデーモンが生まれ落ちる事は有り得る。退魔の力を使える徳高き聖人と冥界の王族。
 その二つが親という厳しい条件を満たせばの話だが。
 
 聖職者としての才能にも目覚め始め、このまま放置すれば将来的に女王時代よりも手強く成り得るだろう。
 そして直接的な戦闘力を考慮すれば圧倒的にリリアナが不利だ。万が一にも彼女が討たれようものならば、
 自分の仕事がどれだけ増える事になるか……考えたくも無いものだ。

「しょうがない。仲間の誼でちょっと手伝ってあげるか」
 アルドラが呼び出した悪鬼へと姿を変え、メローナも空飛ぶ船を目掛けて後を追うのであった。











@                      @                       @







「はぁ〜、折角のぶらり襲撃の旅が台無しですわ」
 場所は変わり海賊船の中。甘い果物に舌鼓を打ちながらもリリアナは溜息を吐いた。
 死後再び自由を手にして海賊生活を楽しんでいたのに、厄介な美闘士に邪魔をされるわ
 通りすがりの一般人が理不尽な強者だったりと厄日にも程が有る。 

「それにしても、昔と比べて略奪もやりにくくなりましたわね」
 今の時代は随分と錬金術が発達しているらしい。魔導石の開発と紛争続きにより
 護身用具等も発達したせいか、略奪への抵抗も激しくなっている。衣服や武具だけを
 溶かす捕縛用スライムだの、火種入らずの煙玉だの面倒な物が普及していた。
 
「ま、それだけに実入りも増えて悪い事ばかりじゃありませんから痛し痒しと」
 決まった時期でしか食べられない珍味も栽培法の改善で割と流通するようになったとか、
 一昔前では考えられない事も出来るようになっているのは素直に嬉しい。さて、今度は
 どんな場所を狙おうか――

 その時、船全体が大きく傾いた。轟音と揺れで船内が騒がしくなる。
「何事ですこと!?」
 椅子諸共ひっくり返され、苛立ちを露わにリリアナは武具を身に着けた。
 まさか積み荷が崩れ落ちた訳ではあるまい。

「オ頭ァ! マタ胸ノデカイ女ガ――」
 部下の声は何か言い終わる前に途切れる。ほぼ同時に鈍い打撃音が塗り潰したのだ。
「見かけは立派なのに、中は酷いな。どこも埃だらけとは」
 聞き覚えのある声だ。しかし、こんな場所で聞こえる筈の無い声でもある。

「まさか、ここまで追ってきたとでも!?」
 手早く着替えを身に着けて部屋を飛び出すリリアナ。ギシギシと床鳴りを
 響かせながら足音が近づいてくる。コツンと一度硬い音。廊下の先から
 頭蓋骨が転がりこんで動きを止めた。そして少し遅れて上下に弾む
 規格外の双乳が姿を現す。その先端からは白い雫が垂れていた。

 舷窓から漏れる光に照らされ、異形の女性が立ちはだかる。世に女性は
 数多く居るが、ここまで大きな胸を持つ相手は他に居ない。間違い無く
 略奪を邪魔立てした若奥様とやらが追って来たのだ。

「折角身を清めたのに蜘蛛の巣やら黴やらで汚れてしまったぞ。
 見栄ばかり磨く暇が有ったら掃除の一つでも済ませたらどうだ?」
 外見の違いやらも正体を隠した魔物だったと考えれば納得も出来る。
 此方が素の本性なのだと考えれば口調の変化も理解できよう。
 
「あら、でしたら勝手に入り込んで来た鼠の掃除から始めましょうか」
 なればこそ油断ならない相手であろう。魔に属する者は常人よりも
 基礎的なスペックは上回る。リリアナとて生前よりも蘇生された
 今の方が使える手札が増えている。部下の亡骸を操り、船を飛ばす
 力は以前ならば使えなかったのだから。

「そうだな。街を荒らすドブネズミなぞ駆除せねば迷惑にしかならん」
 アルは右腕を高々と上げ、肘を曲げて真紅の太刀を背中で隠しながら構えた。
 上段構えの一種たる『貴婦人』の構え。それは降り下ろしから始まる一撃の
 重さ、得物を体の陰に隠す事で間合いを読み辛くする点が強みである。

「減らず口は立派ですこと」
 対してリリアナは半身になってレイピアを突き出す。クァルトと呼ばれる突剣における
 基本の構えであった。ここから左右に剣をしならせる事で変幻自在の攻撃を仕掛けるのだ。

「囲んで叩くしか能の無い小物如きが余に楯突く事の愚かさ、身を以って知れ」
 巨大な刃が唸りをあげて降り下ろされる。ただし、狙われたのは転がっていた
 頭蓋骨だ。床ごと粉砕せんばかりの一撃を器用に転がって避けると、瞬く間に
 膨れ上がって人に近い姿となった。

「ちぇっ……あわよくば不意打ちしたかったんだけどなー。どうしてバレちゃったんだろ」
 舌を出して残念がるメローナ。擬態には自信が有っただけにショックも大きい。実際に
 今の今までリリアナは気付いていなかったと見えて目を丸くしている。
 
「貴様、余の眷属を喰らったな? 臭うぞ」
「あ、そっちか。つまみ食いは止めとけば良かったかな」
 その一言で失策を悟る。アルドラが呼び出した悪鬼を捕食したのが原因だったようだ。

「ま、お肉はたっぷり増えたし何とかなるかな?」
 シェイプシフターは動物の肉を喰らう事で際限なく肥大化する。そして如何なる物にも
 擬態できる特性を駆使して相手から優位を得て追い詰めるのだ。食事を済ませた今の
 メローナは普段よりも調子が良い。格上だろうと早々遅れは取らないだろう。

「こんな所で会うとは奇遇ですわね。いつから居たのかしら?」
 知り合いの顔へ視線だけ投げ掛けて訊ねるリリアナ。
「君の船がドンパチ賑やかに騒いでた辺りからさ」
 答えながらもメローナは姿を変える。桃色の肉体が変わり始め、次々と防具や得物を
 擬態によって生み出す。そして気が付けばマリアそっくりに姿を変えていた。

「とにかく、細かい事は後。今は生き残らないとね」
「敵の前で暢気に喋る暇が有るとは随分余裕そうだな!」
 膝上まで隠すグリーブや縁を鋭く研がれた盾などマリアと武装は大分異なるが、
 声音や外見は同一。やりにくさを感じながらもアルは大きく踏み込んで斬りかかった。
 
 中段へ横一文字の大薙ぎ。メローナは盾、リリアナはレイピアで受け流す様に凌ぐが
 あまりに重い斬撃で後ろに体が仰け反る。アルは勢いのままに回転し、草を刈る様に
 下段へ加速した追撃を放つ。堪らず二人が足を跳ね上げて回避すれば、咄嗟の回避は
 足が浮いているが故に困難となる。その隙を狙って切り返した上段斬りが迫った。

「いきなりは勘弁してよね!」
 作り出した剣を打ち付けて勢いを削ぐも重心が崩れたままでは十全には防げない。
 弾き飛ばされてメローナは大きく後退する。されど、一人分の重量を受けた事で
 迫る刃の速度は落ちた。身を屈めて避けたリリアナが床を這う様に距離を詰める。

  シャークス・バイト
「荒鮫の一咬み!」
 水面から飛び出す鮫が如く低い姿勢から突きを放つ。剣を振り切った瞬間ならば
 切り返しは間に合わない。たわわな胸へと白刃が突き立てられ――

「ふん、遅いぞ」
 ――アルの左腕に阻まれる。剣の側面を籠手の甲を以って叩き、いなす。
 軽い細剣故に質量任せの一撃で骨を砕かれるリスクが少ないから可能な
 無刀取り。お返しとばかりにアルが右腕を振りかぶり、反撃へ移る。

「く、うぅっ!」
 流石に徒手で斬撃を受け止めるなんて真似は不可能。故にリリアナは迫る
 アルの右腕を自らの腕にて抑え込む。一種の鍔迫り合いとなり、両者の
 動きが一瞬止まる。だが、予想以上の剛腕で抑え込むのが精一杯だ。

「脇が甘い!」
 リリアナの鳩尾に衝撃。堪らず転倒すると視界の端に紫の鞭――否、
 尻尾が踊っていた。豊満な双乳の陰に隠れて見逃した武器が拮抗を
 崩し、畳み掛ける様に真紅の大刀が降り下ろされる。

「そうはさせないよっ!」
 飛び込んだメローナが盾ごと体当たりを仕掛けて切っ先を逸らした。
 そのまま剣を突き込むものの、アルに飛び退かれて反撃が止まる。
 入れ替わる様にリリアナは下がり、呼吸を整えた。

「流石に手数の差は如何ともし難いな」
「貴女、本当に何者ですの?」
 一対一の勝負ならリリアナは既に押しきられていたに違いない。
 最初の三連撃で首を刎ねるか、転んだ隙に頭を柘榴さながらに
 カチ割られるか。どちらにせよ無事では済まなかった筈だ。
 
 しかも剣を受け流した腕が痺れて動きが鈍い。馬鹿げた膂力は勿論、
 異様なまでに戦い慣れている。幾ら乱世とは言え在野の天才程度で
 説明できる実力ではない。体系だった剣技を会得している点も含め
 名の有る戦士だと言われた方が納得できる。

「愛する夫の為に頑張る妻に過ぎん」
 応じながらも剣戟を繰り広げるアル。薄暗く足場が揺れる狭い船内でありながら、
 大刀を壁に引っ掛ける事無く器用に立ち回っている。突き出た巨大な胸に刃先を
 滑らせるどころか、交戦して尚も無傷のまま。恐るべき技量である。
 
「真面目に答えるつもりは無いと」
 気丈に構えるリリアナではあったが、内心は冷や汗ものだ。空を逃げても追えるし、
 単純な力量は向こうが上。加えて聖性を宿した母乳が出せるという点が厄介なのだ。
 この船も部下と同じく魔力によって復元した代物だ。故に退魔の力との相性が悪い。
 現に床や壁に乳首から漏れ出た母乳が触れると白煙が上がっているのが見える。

「あ〜あ、もうボロボロになっちゃった」
 退魔の力はアンデッドのリリアナは当然だが、魔物であるメローナにとっても毒だ。
 手にした武具も自身の体を変質させて作り出した代物。母乳の飛沫を浴びた部分が
 崩れていた。マトモに浴びれば大ダメージは避けられないだろう。
 
 ただでさえ接近戦の腕に秀でているのに、母乳による殺傷力強化や射撃が出来る。
 更には召喚術による数の暴力まで使えるのだ。今はメローナが居るので召喚術を
 迂闊に使うと捕食で回復される事を警戒し、召喚しないでいるようだ。それでも
 アルドラは手強い相手だと痛感させられる。

「これじゃ相性が悪いし……一度切り替えた方が良さそうだね」
 重装で真っ向から打ち合う戦法では組打ち等で密着した際に母乳を浴びかねない。
 いっそ防御を捨てて回避に特化した方が安全だ。またしてもメローナが姿を変え、
 肌が小麦色に染まる。衣装も鎧が消え去り、オーバーニーソックスや長手袋等の
 軽装が新たに作り出された。

「ま、こんな感じで良いかな」
 銀髪のショートヘアを軽く払い、両手から一対の剣を生やす。メローナは長剣を順手、
 短剣を逆手に構えた。その姿に妙な既視感と頭痛を覚えるアル。始めて見る筈なのに、
 何故か心に引っ掛かる。だが、今は気にしている場合ではない。
 
「さてと、掛かって来ないのかい?」
 アルは下段に構えたまま詰め寄る気配を見せない。人数差も有るだろうが、
 流派も用途も異なる構えの相手を同時に相手取るのは厳しい。それぞれの
 型に欠点は存在するが、組み合わされば弱点を突きにくい。

「焦る必要も無いのでな。余の使い魔が船を貪り終えるまで粘れば済む話だ」
 再び轟音と共に船が揺れる。先程よりも揺れの規模が大きい。
「メインマストが倒れたか? 何にせよ貴様は人の物を奪ったのだ。当然自分が奪われる側に
 回る覚悟も出来ているのだろう? 貴様の部下、財貨、尊厳……余が何もかも奪ってやろう」
 アルは口の端を釣り上げ、冷酷な笑みを浮かべて嘲笑った。

「やってくれますわね……!」
 ここまでコケにされるのは死後も含めて初めてだ。生前は如何なる追っ手をも振り切り
 世界を荒らした海賊リリアナ。それが一人の追手に翻弄され、あまつさえ奪われる側に
 貶められた屈辱に心が奮い立つ。彼女の剣に怪しげな力が纏い始めた。

 ただ逃げるだけなら幾らでも手は思いつく。アルを振り切る事そのものは造作も無いが、
 どこぞの誰とも分からぬ一般人に尻尾を巻いたと噂されれば沽券に関わる。それ以上に
 祖母の代から海賊として名を挙げた一族の名誉を傷つけられる事が許せない。
 
「なら、そろそろ本気で相手をしましょうか!」
 痺れた腕も多少は回復してきた。これだけ暴れても部下が来ない辺り、全滅したか
 増援に動けない程の窮地という事だろう。リリアナは奥の手を使う事も含めて腹を
 括った。この女は今ここで倒さねばならない……!

「そうか。どこからでも掛かってこい。もっとも、急がねば先に船が無くなるやもしれんがな」
 アルは腰を深く落とし、切っ先を床に付かんばかりに下げた『鉄の門』の構えを取った。
 大きく迫り出した双乳でアルの腕が死角に入り、間合いが読み辛い。されど躊躇している暇は無い。
 船が解体されれば自由に動ける空間が増える。そうなれば更に不利となるからだ。

「それじゃ……いっくよ〜!」
 最初に仕掛けたのはメローナ。剣で突き込む……と見せかけて左手の剣を投じた。
 そして擬態を解除し、空中で短剣は姿を変えて粘液の塊となった。散った一部が
 床や壁に触れるや否や音を立てて穴が開く。強酸と化したのだ。

「む……!」
 この狭い通路で回避は不可能。アルは太刀の宝玉から光の槍を引き抜いて叩き落とす。
 構えが崩れ、大きく隙が晒された。その刹那、リリアナが一気に距離を詰めた。

 スカル・スラッシュ
「髑髏斬り!」
 十文字の剣閃が交わる中央に魔力が集まる。そして浮かび上がる
 頭蓋骨が敵対者を噛み砕かんと顎を閉じ――

「はあぁぁっ!!」
 ――アルが大刀を振り上げた。斬撃が弾かれ、体が浮くかと
 錯覚する程の凄まじい風圧でリリアナの動きが一瞬止まる。

「ぬるい! この程度か!?」
 そのまま左手の槍を投擲。リリアナの心臓を目掛けて真っすぐに閃光が宙を駆ける。
「見くびらないでくださるかしら!」
 リリアナの足元に何処からともなく水が溢れ出し、滑る様に彼女の体を運ぶ。
 そして武器を作り直したメローナが躍り掛かる。右手の短剣が唸りを上げた。

「次はボクと踊って貰おうかな!」
 大刀を盾代わりに構えて受け止めるアル。そのまま弾き返して突きを放つも、
 左の剣が即座に手首狙いで振り抜かれる。咄嗟に飛び退けば翻った右手側が
 追い掛ける。踊るような足捌きと共に間断なく攻撃が続いて行く。まさしく
 剣舞と言えよう。その隙に体勢を整えたリリアナが援護に回る。

 激しく打ち合う刃の周囲に火花が散る。体質的に物理攻撃が通じにくいメローナが
 前衛として隙を生み出し、そこをリリアナが切り込む戦法だ。だが、二人掛かりの
 猛攻を凌いで尚も優位を保つアル。クイーンズブレイドを二連覇した経歴は伊達や
 酔狂ではないと実感させられるメローナであった。

(この強さで全盛期よりは衰えてるんだから、敵わないね)
 右目で捉えた相手を石化する邪眼、使い手の意思で自由自在に飛ばせる
 暗器、強烈な閃光で相手を幻惑する宝珠……悪鬼との契約で冥界の力を
 扱えていた頃は文字通りの必殺技が有った。その時と比べれば正面から
 打ち合えるだけマシだ。

「やっぱ真っ向勝負は駄目そうか」
 メローナは巨大な胸の死角へ潜り込む様に滑り込み、足払いを仕掛けた。
 しかし、鞭の如く振り抜かれた尻尾に絡め捕られて失敗に終わる。

「まずは貴様から散れ!」
 アルが大上段に振りかぶり、渾身の一撃がメローナへ迫る。
「やっば……!」
 咄嗟に構えた双剣で防御を試みるも、勢いも膂力もアルドラには敵わない。
 そのまま押し切られて頭へと刃が埋め込まれ――

「な〜んて、言うとでも思った?」
 突如、アルの足元が消えた。踏み出した足が宙を掻き、手元が狂って大刀が空を切る。
 こっそり床に自身の一部を擬態した状態で覆わせ、その下の床を溶かしておいたのだ。
 即席の落とし穴に不意を打たれ、アルに明確な隙が生まれた。

「貰いましたわ!」
 すかさずリリアナが脳天を目掛けて剣を叩き込む。同時にメローナも
 体を変形させ、巨大な戦槌を背中から生やした。
「はい、おまけ!」
 メローナが拘束している今ならば、回避も防御もできやしない。
 二人の同時攻撃がアルに襲い掛かる。

「舐めるなッ!」
 反撃は間に合わない。故に左腕を床へ力任せに叩きつけて砕く。
 落ちる事で時間を僅かながら稼ぎ、剣を盾として割り込ませる
 猶予を捻出。重い衝撃が右腕に響くが、致命打をモロに受ける
 最悪だけは避けられた。

「うわっとと! 無茶苦茶だねぇ!」
 慌てて体を液状化させ、尻尾の拘束から逃れるメローナ。
 あのまま落ちていれば分断されて一対一に持ち込まれていた。

「ですが、これは好都合ですわね」
 クロスボウを構えるリリアナ。アルは飛んでくるボルトに備えるが、
 狙われたのは見当違いの方向であった。

(一体何を……?)
 視線だけ狙った先へ向けるも、周囲は明かりどころか舷窓すら無い暗闇。アルは予め魔力で
 作り出していた眼帯を消し去り、闇に慣らしておいた右目を開く。そこには樽が有った。
 呼吸の為に息を吸うと、腐った卵のような臭いが鼻を突く。それは床に散らばっている
 粉末からも嗅ぎ取れた。

「まさか!?」
 大砲に使う火薬。箍に使われている金属。クロスボウのボルト。
 好都合の言葉の意味。脳裏を駆ける閃きに、アルの体が強張る。

「もう遅いですわよ!」
 小さく弓の弦が鳴る。鏃が樽の箍と擦れて火花が散る。
 そしてリリアナは手近な部屋へ飛び込んだ。

 迸る閃光と白煙、そして爆発。船を揺らす三度目の衝撃が周囲を飲み込む。
 四方八方へ木片が吹き飛んで散らばった。

「ゲッホ、ゴホッ……危ないじゃんか! ボクまで巻き込まれるかと思ったよ!」
 体に埋まり込んだ木片を吐き出しつつメローナが擬態を解く。いつのまにやら
 随分と体が小さくなっている。文字通り身を削って戦う彼女は周囲に餌となる
 生物が居なければ長くは保たない。どうやら結構危なかったようだ。

「こればかりは仕方がありませんわ。まさか、ここまで強いとは予想外でしたから」
 穴だらけとなった外套やビスチェから埃を払うリリアナ。直撃は避けられたが、
 剣の切っ先を引っ掛けられたりして小さな刃傷は至る所に残っている。命が
 有るだけ儲け物とは言え、大損害を被ってしまった。

 略奪は失敗して儲けは皆無。それどころか火薬庫を吹き飛ばした事で周囲の部屋まで
 大穴が空いている。備品も巻き添えを食って壊れてしまい、船や部下にも被害が出た。
 魔力さえ有れば船と部下はどうにかなるとは言え、奪い取った戦利品は別だ。好物の
 果物を始めとする嗜好品も瓦礫の下敷きである。正しく骨折り損と言えよう。
 
「まぁ、これで仕留める事が――」
「出来てないね。結構燃え残りが有るし、母乳を掛けられたんだろうね。
 船の底にも穴が開いているし、多分逃げられちゃったんじゃないかい?」
 安堵の溜息を吐くリリアナの表情が引き攣った。

 白い液体が所々に水溜まりとなっている。それで火薬が湿気て爆発が弱まったのだろう。
 加えて爆発は上と横には高い破壊力を齎すが、真下に対しては大幅に威力が弱まる。
 だからこそ船底が丸ごと吹き飛ぶような事態にはなっておらず、その上で穴が有ると
 いう事は力技で開けられたと考えられる。

「隠れるにしたって今の爆発で物陰は無くなっちゃったし、反撃するなら
 とっくに襲い掛かって来てる筈だよ。なら一先ず追い返せたんじゃない?」
「……クラーケン並の化け物ですわね」
 かつて船を丸ごと沈めに襲い掛かって来た怪物のトラウマが蘇る。
 脅威度だけなら良い勝負だろう。

「はぁ〜……もう二度と関わりたくない方ですわ……」
 怪我の治療に消耗した物資の補充、未だ残る使い魔の駆除。他にもやらねばならぬ事は山積みだ。
 疲れ切った体を壁に預け、頭を抱えるリリアナであった。