「おや、また一人孕んだようだな♪」
幸せそうな笑みを浮かべつつ腹を撫でると、微かな胎動が掌へ伝わる。
実を結んだ愛の結晶は今日も元気に育っているようだ。そこに衣擦れの音が
耳に届く。振り向くと愛する夫が此方を見ていた。
「む? 起こしてしまったか? ああ、無理に起きなくても構わん。
一晩に何十回と精を放ったばかりなのだ。動けなくても仕方あるまい」
目覚めた夫の視線は、異様なまでに膨らんだ腹に視線が向けられていた。昨日までは
スラリと引き締まった腹回りが、一夜にして臨月の妊婦より丸みを帯びているのだ。
その大きさたるや花火の大玉にも匹敵している。気になるのも当然だろう。
「ふふ・・・腹が気になるか? この中には今まで授かり続けた
子供達が育っているのだ。昨日から新たに一人増えたようだがな」
容姿は昨日から変わらず悪魔然としているものの、纏う雰囲気は別物であった。
野獣が如き獰猛さは鳴りを潜め、気品に満ちた所作が堂に入っている。それ以上に変わった点は
桁違いの威圧感であった。ただ在るだけで平伏したくなる独特のカリスマとも言うべき典雅さと
合わさって浮世離れした雰囲気が部屋を支配していた。
「混乱しているか。まぁ、無理も有るまい。万全な姿になれたのは
これが初めてなのでな。さてと、まずは何から話すべきか・・・」
夫の困惑は一目で理解できる。一応自分がアルだと察しているようだが、どうして姿が
別物になっていたり急な妊娠宣言を告げたのかまでは分からないと言った所だろう。
尤も、胸のサイスからして同じような人物は早々居ないので見抜くのは楽だったろうが。
「ああ、先に言っておくが余の正体が先代女王であるとの見立ては正しいぞ。
くくっ・・・どんな気分だ? かつての支配者を我が物に出来る愉悦は?」
からかう様な口調で頬を緩ませるアル・・・もといアルドラ。その横顔は
たっぷりと母乳を蓄えて膨れた超乳に半ば隠れて見えなくなっている。
「とりあえず一番気にしていそうな事から話すとしよう。先程も言ったが余はアルドラ。見ての通り
魔人である。そして今貴様が見ているのは、今まで封じられ続けた魔人の力そのものと言った所か」
少しだけ魔力の奔流が弱まれば、その部分だけ本来の姿が露わになる。翡翠の如く輝きを放つ目は
金褐色に戻り、額から角が消え失せる。
「こんな言い方をするのも何だが、余は余自身が目を逸らし続けてきた醜さなのだ。女王として
君臨した時から余は自分の有り余る強大な力が怖かった。全力を出せぬ様常日頃から自ら目を
塞いで暮らさねば安心できぬ程にな。そして、その判断は今でも正しかったと思っている」
自分の事でありながら他人事のように話すアルドラ。その目はどこか胡乱だ。
「古来より魔人は災いを招くと言われ、爪弾きにされて生きてきたのでな。
実際、王位を退いても命を狙われる事は多々あった。東ならばヒノモトの
甲賀忍軍に沼地の勢力、西は貴族の末裔、南の蛮族から子飼いの元部下と
我ながら今まで上手く生き永らえてきたと驚かされるな」
恨みを持つ者、魔人の力を利用したいと目論む者、政治的な理由で狙う者・・・
動機こそ異なるが共通して命を狙う点で皆等しく敵であった。王位を退けば当然
軍勢を始めとした後ろ盾は無くなる。その隙を狙わない理由は無いだろう。
「侵略を仕掛け、敵を排除すれば当然の報いであろうが・・・それが妹を見つける
足がかりになるなら、妹が不自由なく暮らせる生活基盤を整えられる手段ならば
手を下せた。女王になる以前は親の顔も知らぬまま行く当ても無く彷徨い・・・
遂には唯一の身内とも生き別れた。あんな思いは二度と味わいたくなかったのでな」
吐き捨てるように言葉を搾り出すアルドラの表情が険しくなる。
どうやらアルと違って過去の記憶を持っているようだ。
「それがきっかけで冥界の悪鬼と契約を結び、女王として君臨するに足る力を得た訳だが
良心の呵責が無かった訳ではない。貴様も普段の姿を見ていれば分かるだろう? 余の
本質は覇道を好まぬ。だからこそ、かつては己の力を十全には扱おうとしなかったのだ」
実際闘技会でアルドラは右目を封じた上で挑戦者を下している。遠近感が狂い、
視界に制限を課されるハンデは言うまでも無いだろう。それを補って余りある
冥界の力が有ったというのも勝利の理由では有るが、万に一つの敗北を避ける
つもりであったのであれば、不利を背負う必要は無かった筈である。
「意にそぐわぬ汚れ仕事に手を染め、より多くの悪意に晒されて心を病むまで時間は
掛からなかった。そうして余が余として生まれる事になったのだ。心が擦り切れて
しまわぬ為、己が良心に代わって力を振るわせる摂政としての人格をな」
部下を処刑する時も、政敵を始末する時も常にアルドラの良心は悲鳴を上げていた。
しかし、力の大半と共に体の主導権を譲った女王時代で彼女の内心を知る者は居なかった。
別の世界であれば、彼女は多重人格や解離性障害と診断されていた事だろう。
「女王となり、密偵を放ち、侵略を仕掛けてまで世界全土を調べ尽くしたにも関わらず
妹を見つける事は叶わなかった。そこで心の支えを・・・力を振るう意味を失った。
残されたのは幾多の敵と、呪われた力だけ。絶望のあまり自暴自棄となった結果、
何もかも全てを投げ捨ててしまいたいと願った訳だ」
妹の生存だけを信じて8年もの月日を費やし、その結果が梨の礫では打ちのめされるのも無理は無い。
まして、世界中を探した結果では縋りつける希望も無い。あるとしたら別世界に住んでいる可能性が
有る程度だが、次元の壁を超えるなんて真似は簡単にできる物ではない。それこそ御伽噺に出る秘宝、
クイーンズゲイトでも無ければ。
「斯くして自分を自分で呪った結果が記憶喪失になり、そして貴様と出会った。
余は忌まわしき物として封じられてはいたが、自分を消し去る事なぞ出来ぬ。
故に結婚してからも悪夢として過去を見る事はあった。その時は罪に向き合う
覚悟を持ち合わせて無かった故に苦しんでいた。貴様にも心当たりはあろう?」
寝言で謝り続けるアルの姿は夫も何度か目撃していた。されど起きたところで
過去は思い出せず、何に対して謝っていたのかまでは不明であった。それ故に
踏み込んだ話をする訳にも行かなかった。
「だが、貴様は思い出したくもない汚点を・・・余を受け入れた。それがどれ程の
救いとなったか想像も出来まい。同時に余も再び表立って動ける機会を得られた。
尤も、既に力の大半は取り返されて満足に礼をする事も出来ぬのだがな」
そう話している側から翼や角が消え始めている。そして本来の姿が露わとなった。
「これ以上は無理か。他にも色々と話したい事は有ったが仕方あるまい。
今回はこれで仕舞いだな。では、また話せる機会を楽しみにしているぞ」
膨れた腹は元通りにへこみ、魔力で編み出した衣装も消え失せた。
その言葉を最後に逢魔の女王は姿を消したのであった。
「ん・・・おはようございます、旦那様♪ ちょっと寝過ごしちゃったかしら?」
入れ替わるようにアルが目を覚ます。昨日の豹変を感じさせない朗らかな笑みを
浮かべ、あくび交じりに窓を開ければ眩しい朝日が部屋を照らし出す。
「さてと、朝御飯の支度をしなくちゃ。少しだけ待っててくださいね」
いつも通りにキスを交わして台所に向かうアル。その足取りは普段よりも軽やかであった。