空を埋め尽くす厚い雲。絶える事無く鳴り響く雷鳴の下で蠢くは死して尚も
沼地を彷徨い続ける屍の兵達と怪物。それらに囲まれて聳え立つ館の中で
生ける者の気配は一つ。主たる沼地の魔女のみ・・・否、もう一つ有った。
「ふむ・・・・・・またしても予言が外れたと?」
蜘蛛を象った禍々しき背もたれの玉座に脚を組んで座る沼地の魔女が問い返す。
「はい。レイナは途中で戦線離脱。代わってアルドラが迎撃を果たしました」
眼鏡を掛けた鳩羽色の髪が映えるメイドが向ける視線には困惑が混じっていた。
「他所の世界と繋がる事は読めておった。されど、こうも結果が狂うとは・・・まこと、愉快なり」
独り言を呟きながらも愉快そうに沼地の魔女が笑みを浮かべた。
「やはりクイーンズゲイトは今も存在する筈じゃ。とは言え、相変わらず場所は読めぬか」
股間に張り付いた蜘蛛の飾りが禍々しく輝く。そして暫し沈黙が続いた。
「・・・・・・試してみるのも一興じゃな。誰ぞ、手隙の者はおるか?」
「御用命とあらば、なんなりと申し付け下さいませ」
猫の如き耳と尻尾を持つメイドが音も無く姿を現した。
「宝物庫に冥界との門を開く術を記した手引書が有った筈じゃ。
それをアルドラへ届けるのじゃ。名目は懐妊祝いとすれば宜しい」
「承知致しました」
足音一つ立てずに猫耳のメイドが姿を消す。
「さて、この一手は如何なる波紋を齎すか見物じゃの」
ニヤリと口元を歪ませながら、沼地の魔女は鷹揚に座すのであった。
@ @ @
「ふぅ・・・何とか辿り着けたわね」
ズッシリと重い袋を背負いながらレイナは古めかしい関所へと辿り着いていた。
かつては多くの人々が行き交っていたのだろうが、今は人影も見当たらない程
寂れ切っている。しかし、門の向こうで煙が昇っているので誰かが居るのは確実だ。
「おーい、私よ! 門を開けて!」
手を振りながら大声で呼びかけると、少しばかり時間を経て大扉が開いた。
その内側には様々な年齢の子供達が居た。だが、大人の姿は一人も見当たらない。
「元気そうで良かったわ。少ないけど、足しにしてね」
「わーい!」
無邪気に差し出された袋を広げる子供達。その中には食料や何かの種が詰め込まれていた。
「さてと、リスティは・・・」
「おう! 無事に着いてるよ。お前も飯にするか?」
炭火の臭いを漂わせながら日に焼けた肌と赤髪が目立つ知り合いの美闘士が姿を現す。
焼いたばかりなのか、白煙を上げる骨付き肉を手にしている。どうやら食事中だったようだ。
「あんまり食べ過ぎると体を壊すわよ?」
「こんぐらいへーきだって。あたしの体はそこまで弱っちゃいねーさ」
引き締まった筋肉質の体は如何にも屈強そうだ。豊満な胸も重力に
負ける事無く形を保っている。少なくとも体は衰えていないようだ。
「とは言え、寝足りないのだけは勘弁して欲しいけどな。ったく、面倒な呪いを掛けやがって」
欠伸を噛み殺しつつリスティが悪態を吐く。彼女も沼地の魔女に危険視され、呪われた
美闘士の一人だ。どんな事にも満足を得られる事が無い不屈の呪いにより、常に飢餓や
睡眠不足と同じ感覚を味わい続ける羽目に陥っているのだ。
「それはそれとして、向こうの様子はどうだった?」
「駄目ね。ヒノモトは武者巫女達が沼地の魔女に捕まったそうよ」
「エルフの森も落とされたって話だし、こりゃ拙いよなぁ」
「海賊の襲撃だって増えて来てるし、いよいよ動き出したわね」
互いに目当ての相手と出会え、さっそく情報交換を行うものの暗い話ばかりが飛び出てくる。
旧知の美闘士も呪われたり捕まったりで連絡が付かなくなった。今や前女王の治世を再び
望む声すら民衆の中から出てきている程だ。
「マジかよ・・・あ、そうだ。こんなのが出回ってたんだが、何が有ったんだ?」
思い出したかのようにリスティが丸まった紙切れを差し出した。レイナは
受け取って広げると、そこにはアルドラの人相書きが描かれていた。
「海賊と協調し混乱を招いた危険人物に付き指名手配・・・? 妙ね。
ザネフで見かけた時は、海賊から襲われていた人達を助けていたわよ」
「へー、あいつが居たのか。どんな様子だった?」
思わぬ情報に興味津々と言った様子で身を乗り出すリスティ。
美闘士の中でも実力が上位に位置する相手となれば、血の気の
多い彼女が興味を持つのも当然だった。
「どういう訳か知らないけど、カトレアさんより胸が大きくなってたわよ。
後、結婚して旦那さんと一緒に暮らしているみたいね。妹は居ないみたいだったけど」
「は? アイツ、結婚したのか!?」
驚きのあまり顔が引き攣るリスティ。女王時代の彼女を知る身からすれば無理も無い反応だ。
「ええ。幸せそうに暮らしてたけど、お腹がここまで大きくなってはいなかったわよ?」
人相書きに描かれた彼女は臨月の妊婦としか思えないのだが、先日会った時の腹回りは
至って普通だった。ザネフを離れて数日と過ぎていないにも関わらず指名手配が出され、
見た目が変化しているのは一体どういう事なのだろうか? まさか偽物が居る訳でもあるまい。
「ん〜・・・そこん所は考えても仕方ないだろ。それより子供の数が増え過ぎて
ここで匿うのもキツくなってるんだってよ。このままじゃ直に限界になっちまう」
「思ってた以上に被害は深刻になって来てるわね」
レイナは表情を曇らせて周囲を見渡した。
新女王の強権政治によって出兵が増えた結果、各地の農村は通り道として踏み荒らされた。当然畑も荒らされて
使い物にならなくなり、今や食うに困った子供が売られたり出稼ぎの為に家族が離散してしまうのは珍しい事ではない。
そして、この関所跡地は家を失った子供達が身を寄せ合って暮らす避難所代わりに再利用されていた。リスティ達は
隠れ家として此処を利用するついでに子供達への支援も行ってはいるが・・・個人の支援では焼け石に水だ。
「最近は喰いっぱぐれた美闘士が護衛に雇われてるのを見かけるようになってさ、腐れ貴族や
悪徳領主から略奪するのも厳しくなってきてるんだよな。やっぱ手の内が割れてるのはキツイな」
以前から義賊として民衆から慕われ、前女王時代のクイーンズブレイドにも参戦していた
彼女を知る者は多い。呪いの影響も有り、ゲリラ的に活動していくのも限界が近づいていた。
「いい加減こっちから女王に打って出ないと干上がるのも時間の問題だぞ」
「そうは言っても、伝手も拠点も無いのに動く訳にもねぇ・・・」
レイナは腕組みをして頭を悩ませた。
どこもかしこも戦乱に巻き込まれ、表立って使えそうな物件は大体手が付けられている。
旧知の美闘士は沼地の魔女に狙われて戦力を削られ、そうでなくとも女王軍に与するか
抵抗する勢力に所属して生活の糧を得ている。まして、指名手配を受けている自分達に
協力できる程の余裕や度胸が有る相手は早々見つかる筈も無し。まさしく詰みかけていた。
「頼れそうなのは噂の叛乱軍くらいかしらね」
「あー。あたしも聞いた事が有るな。珍しく女王軍に喧嘩を売ってる奴らだろ?」
真っ向から女王軍に抗い、時には自衛する術を持たぬ村落を助ける為に魔物を
退治する等の善行が噂される集団。この時勢の中では珍しく民衆の味方として
支持を集めているらしい。
「ただ、味方にも容赦しないとも聞いたりもするし、所詮は噂だろ? 話半分に考えておいた方が良いかもしれねぇ」
「それでも今の所は調べてみる価値は有りそうね。次はそこを当たってみようかしら」
「ま、このまま何もしないでいるよりはマシか。さてと、そうと決まったら一暴れして探ってみるか」
食べ終えて骨を茂みに放り投げると、手早く旅支度を整えるリスティ。
次にやるべき事は決まった。女王の圧政に対抗すべく、在野の美闘士達は
人知れず準備を進めていたのであった。