レイナがザネフから旅立った翌日。戦火に晒された街では多くのシスター達が復興の為に奔走していた。
怪我を手当てする者、瓦礫を片付ける者、炊き出しを行う者・・・様々な形で人々を支えている彼女達に
混ざり、一際巨大な双乳を揺らすシスター達も居たのであった。
「ふぅ・・・一先ず峠は越えましたよ」
「おぉ、有難うございます・・・!」
額に浮かぶ汗をぬぐいつつメルファは答える。どうにか怪我人への治療は済んだ
だが、他にも助けを必要とする人は多い。弱音を吐いている暇は無かった。
「それにしても、酷い有様です・・・」
怪我で動けない人々の為に家々を訪ねて治癒の奇跡を行使すると、否応なく荒らされた街並みを
目にするのだが・・・屋根や壁に穴が空いたりしていて雨風を凌げそうにない家が並んでいる。
元通りに復興できるまで暫く掛かるだろう。
「とはいえ、これでも運が良かった方なのでしょうね」
不幸中の幸いと言うべきか、聖乳に近い効果を持つアルの母乳が有り余っていた状態だった事で
応急処置は迅速に行えた。海賊に応戦した美闘士のお陰で損害は抑え込めた。これ以上の結果を
望むのは贅沢が過ぎるという物だ。
「こっちも片付いたぞ」
メルファが家を出ると、大きく抉られた穴の側には山積みとなった瓦礫が台車に積まれていた。その中には
スイカよりも巨大な砲弾も混ざっている。よくもまぁこんな物を撃ち込まれて住人達が軽傷で済んだ物だ。
「お疲れ様です。アルドラさんも休憩しませんか?」
「そうだな・・・作業も一区切りついたし、一息いれるとしようか」
二人が着ている修道服は変色する程の汗を吸い取り、肌に張り付いている。
汗をぬぐいつつメルファとアルドラは被災者の家に背を向けた。
「それにしても、まさかアルさんがアルドラさんだとは思いも寄りませんでした」
かつてアルドラが女王の座から退いた時、一時的に彼女の身柄はメルファによって保護されていた。
その時に聖なるポーズの訓練を受けたりしていたのだから、ディヴァインパワーが使えるのも納得だ。
当時は妹の捜索の手が及んでいなかったヒノモトに向かってから消息不明となっていたが・・・まさか
こんな身近に戻って来ていたとは。
「無理も有るまい。記憶を失い、何もかも様変わりしていたのだからな。
そのお陰で女王軍から逃れられ、夫に恵まれる事になるとは思わなかったが」
膨れ上がった腹を愛おしそうに撫でながらアルドラは笑みを浮かべた。
「だからこそ、マトモに動ける今の内に動かねばならん。残された猶予は今年一年が
限界だろうからな。それまでに女王の座からクローデットを離れさせねば大陸
全土が荒れ果てる。下手をすれば沼地の魔女の一人勝ちも有り得るだろう」
自然と険しくなる彼女の表情に、メルファの顔も真剣になった。
「政には疎いのですが、それ程までに危険な状態なのですか?」
「出来る物なら今すぐにでも女王の座を奪いに行きたい位だ。このままだと飢饉からの
野盗多発、最後は内乱で崩壊・・・そして沼地の魔女が漁夫の利を得て独り勝ちだろうな」
大局的な視点を持たないメルファへ解説を始めるアルドラであった。
「女王への反乱の為に各地の抵抗勢力は軍を率いているが、兵を運用する為には兵糧も必要となる。
人間だと武装無しなら30から40、馬なら100から200キロ。荷馬車が有れば2トン位は運べる。そして
馬も人間も生きている以上は自前で消費する食糧が必要。補給線を引く際にはこれを計算した上で
予算を組まねばならん」
往来で食事を楽しむ人々を尻目にアルドラは語る。そろそろ昼時だけあって
美味しそうな匂いが二人の鼻をくすぐった。
「つまり【送り込む戦力が消費する食料】+【その食料を輸送する人馬にかかる食料】+
【その食料を輸送する人馬に、さらに食料を送るため人を動かすための金銭や食料】・・・となり、
見かけ以上に出費は多くなるのだ。規模次第では一月で平時の半年分の予算が無くなる事も有り得るぞ」
ついでに言えば、行軍中の身の回りを世話する人の事も考えねばならない。具体的には
飯炊き要員から馬の世話要員、更には物資調達を担う商人等だ。説明が面倒になるので
省いているが、こうした非戦闘員も本来ならば計算しなければならない要素となる。
「だが、こんな効率の悪い事をしていては迅速に動けん。なので最低限の食料を持って出発し、
道々の町で食料を要求。可能なら買い取り、駄目なら徴発。最悪は略奪だ。最終的に敵地の
要衝を包囲、周辺地域に食料を要求するか略奪しつつ、包囲、攻城戦。攻め落とした勢いで
帰りの分の食料を敵地から補給し、恐怖を植え付け支配確立となる」
魔導石の普及で魔法が身近になったとはいえ、未だ主力武器は槍や弓。無くとも最悪投石や棍棒でどうにかなる。
故に食料さえ有れば攻城戦以外は戦闘が出来るので如何にして食料を確保するかが軍を維持する肝なのだ。
「だが、奪われる側は堪ったものではない。食い扶持を奪われるだけでなく、街道が整備されていない
地方まで行軍するとなれば人の手が入った土地・・・つまり農地が人や馬で地面が踏み荒らされる。
魔物との接触を避け、各個撃破のリスクを避けるなら止むを得ないからな。当然畑の作物は勿論、
土まで使い物にならなくなり、農地の復旧には時間が掛かる。無論、その間は食料は生産不可能だ」
道中の危険は敵勢力だけとは限らない。天候や魔物、あるいは野盗。不意を打たれれば
いつ死んでもおかしくない脅威が身近にある以上、安全な道を選ぶのは道理という物だ。
支配するまでは敵地なのだから、畑を潰すというのも立派な戦術。後先を考えなければ
移動経路としては一考の余地がある。
「喰うに困った農民は生きる為に軍へ下るか野盗に落ちぶれるか・・・どちらにせよ
作物生産の担い手が減り、流通量は減る。ザネフでも物価の値上げが始まるのは
時間の問題だろう。徴税する民が居なくなれば、今いる民から搾り取るしかないからな」
一から作物を育て直すまでの食糧すら無ければ有る場所から奪うしかない。そして奪われた側の
村に住む人々まで流民となるだろう。この繰り返しが広がり過ぎてしまえば都市部の飢饉すら
いずれ招きかねない。八年間も大陸を支配していた彼女の発言と有れば、メルファも重大さを
真剣に受け止めねばならなかった。
「真っ先に打つべき手は戦争の逆行を防ぐ事だ。メルファよ、気付いておるか? 魔導石の普及が
進んでからは幾多の兵を率いる才能よりも、個人の力量が勝敗を左右する要因となっている事に」
アルドラは新聞をメルファに差し出した。その一面には大穴が空いた城壁の写真が載っている。
まるでバターを切り分けたかのように積み上げた煉瓦が平らな断面を覗かせていた。
「たった一人の兵士が魔導石を用いた新装備を身に着け戦った。それだけで城壁は切り裂かれて意味を
成さなくなり、戦局を左右しうる要素となってしまった。恐らく、これから先は人件費を減らす為に
女王軍は少数精鋭主義へ移行するだろう。兵達は職を失い、浮いた予算は魔導石を用いた装備へ
充てられる。今後は魔導石を買える富裕層と女王軍の力が増す一方で、更に民が困窮するだろう」
兵士とは生産性の無い職業だ。資金を費やして安全を確保しても、それ単体で利益は産みださない。
確保した安全で何かしらの産業を育てねば利益は産めないのだから、兵士は少なく済むならそれに
越した事は無いのだ。勿論、一人に負担が集中する事を避ける為には多少なりとも護衛を残すだろう。
それでも現状よりは減るに違いないが。
「民は疲弊し、それでも戦火は拡大の一方だ。今は敵対勢力から強奪した財産で出費を
賄って経済が回っているが、長くは持たぬ。それに、支配を終えて奪える財貨が無くなれば
今までの皺寄せが一気に戻ってくる。敵が減れば余分な戦力を抱える必要も消え、多くの
兵士が解雇されるだろう。何もかも失われた土地に放り出されて・・・な」
故郷へ帰るにしても、今女王軍に居る兵士の大半は喰うに困って仕官した連中だ。荒れ果てた
土地に戻った所で食い繋げるとは限らないし、腕っぷし以外で誇れる技術も無い。そんなのが
転職できるかと言えば難しいだろう。つまり彼女らも潜在的な野盗予備軍と言えるのだ。
「盗賊に落ちぶれた連中から身を守るには武力を・・・解雇された兵士なりを雇い、
身を守るのが手っ取り早い対策だ。当然護衛代で商人の出費は増えるし、観光客も
今より減りかねん。そうなれば水先案内の仕事も減って余の稼ぎも減ってしまいかねんわ」
このまま指を咥えて見ていれば、自分の暮らしが脅かされる。そうと分かれば
黙って見ているなぞ出来る訳が無い。これから子供が増えて出費が増えるのに
生活苦となったら困るのだ。
「故に民衆の暮らしが限界を迎えていない今の内に対処せねばならん。貴族制度を
廃止したところで復興の為に女王が重税を取り立てるのであれば意味が無いからな」
「アルドラさんの考えは分かりましたが、私に何を頼みたいのでしょうか?
私もそこまで手助けできる余裕が有る訳では無いのですが・・・」
枢機卿の孫であり、上級司祭でも有るメルファの立場は原理主義派でも上の方だが
そもそも原理主義派は勢力として劣勢だ。世俗への影響力は他の派閥より劣るし、
個人としても出来る事は少ない。
「心配するな。頼む事は夫の保護だけだ。敵対した報復として夫を狙われては敵わんからな・・・
故にザネフの人妻アルと元女王アルドラは別物だと誤認させねば動けん。だから妻を海賊に攫われ、
落ち込んだ夫を支えると言う建前で定期的に見守って欲しいのだ。無理強いはせぬ。時間が有る時に
足を運んでくれればそれで構わん」
アルドラとて立場が逆なら人質作戦を決行しない理由が無い。正面から戦闘すれば返り討ちにする
自信は有るが、夫を盾にされてはどうなるか分かったものではない。丁度良く女海賊リリアナから
襲撃を受けたばかりなのだ。人攫いの罪を被せてカバーストーリーに利用させて貰おう。
「旦那さんは承知の上なのですか?」
「うむ。それに、消火やらで飛び回った以上は少なからず目撃者が居る筈だ。指名手配が
掛けられるのも時間の問題。宮廷魔術師の目が向く前に街を去らねば正体が暴かれかねん」
占い等で女王の補佐を務める宮廷魔術師が占星術でアルドラの位置を割り出す可能性は有り得るし、
クイーンズブレイドが開催されていた時は魔術によって全国に闘技シーンを映し出す報道陣としての
役割も担っていたのだ。民衆が使う新聞や手紙とは段違いの速さで情報のやり取りが出来る優位は
自分が何よりも知っている。だからこそ急がねばならない。
「余が狙われる分には自業自得で割り切れるが、子供と夫まで巻き込む訳には行かん。
それに、シギィが余の正体を知れば間違いなく殺し合いとなる。世話になった恩人を
手に掛けるのは気が引けるのでな・・・」
異教徒や悪魔崇拝者を断罪する異端審問官のシギィにとって悪魔の血を引くアルドラは
不倶戴天の敵である。下手をすれば悪魔の父親となった罪を裁くと言い出して夫まで
火炙りにしかねない。そのリスクを考えればザネフに留まるのは危険過ぎた。
「とは言え、この惨状のまま去るのもどうかと思うのでな。とりあえず
今日までは復興を手伝おう。休憩が済んだら、もう一頑張りせねばな」
「ええ。頼りにさせて頂きますね」
暫く戻れぬであろう街の景色を目に焼き付けつつ、アルドラは旅立つ決意を固めるのであった。