二人の果て

−前篇−

書いた人 乾


「…おにいちゃん」

水面に小石が落とされる。静かに細波が起き次々に波紋が生まれていく。生まれ出でたところから遠ざかるにつれ波は段々と弱く小さくなり消えてしまう。やがて新たな波紋も生まれなくなるだろう。

「おにいちゃん起きて!」

先程よりも大きな石がより勢いよく落とされる。すばしこい波紋が次々と生まれていく。先程の小石より生まれた波紋はそれらに飲み込まれて消えてしまう。しかし、この新たな波紋たちも時間と距離と共に力強さを失い水面へと沈んでいく。やがてまた、新たな波紋も生まれなくなるだろう。

「ねぇ、遅刻しちゃうよ」

ガバッ、正にそんな音がしそうな程に勢い良くシンジは起き上がった。シンジの顔を覗き込むようにしていたレイは、咄嗟のことに上手く避けることができず、バランスを崩してしりもちをついてしまう。

「ちょっと、びっくりするじゃない。そんなに勢いよく起きないでよ」

そんな非難の言葉も聞こえてか聞こえないでかシンジは、

「レイ、今何時なの?」

「えっ、えーと、8時だけど」

それを聞いてな〜んだと胸を撫で下ろすシンジ。

「じゃあ、まだ十分時間あるじゃない。そんなに一生懸命に起こさなくても」

ふあぁ〜っとあくびしながら言う。

「よくいうわね〜。大体さ、当番の日なのに全然起きないおにいちゃんが悪いんだから」

やれやれと両手をひらひらさせてレイが言う。

「あれ、そうだっけ。えーと今日は」

部屋の壁に掛かっているカレンダーを見ようとするが、レイが間に立っているのでよく見ることができない。

「レイごめん。ちょっとどいてくれるかな?」

「カレンダーを見るまでもなく今日は水曜日よ。まったくいつもいつも...」

腕を組んで心底あきれたといった表情だが目は笑っている。

「ほんとごめん。えっと朝食は」

「もちろんつくってあります。ついでに言うとゴミ出しも済ませました。おにいちゃんのすることはもうありませんよ〜だ」

ふふん、どうだっとレイ。

「えっと、ごめん。ほんとにごめん」

妹に向かって両手を合わせて深々と頭を下げて謝りまくるシンジ。まったくもって様にならない。

「はいはい。わかったからもうそれは止めてさっさと着替えちゃって。ご飯が冷めちゃうから。あ、それともわたしに着替えさせてほしいのかなぁ。ほんっと甘えん坊なんだから」

「ちょ、ちょっと、レイ。着替えくらい自分でやるからいいよ。ほら、出てって、出てって。すぐ行くからさ」

シンジは顔を真っ赤にして慌ててレイを部屋から追い出す。

そして超特急で寝巻きを脱ぎ捨てると制服を着こむ。その間約30秒。

「ふふ。ほんっとからかい甲斐のあるおにいちゃんよねぇ」

その様子をドア越しに聞いていたレイは一人笑みをこぼすとキッチンへと向かい兄が来るのを待つことにした。

 

「ふあ〜あ。おはよ、レイ」

着替えて顔まで洗ったにもかかわらず、まだシンジは寝ぼけ眼だ。

「まだ眠そうね、おにいちゃん。夜更かしでもしたの?」

「い、いや、そんなわけじゃないんだけど」

このどもりようでは、はいそうです、と言っているのと同じだ。

「ふ〜ん。まっいいけどね、おにいちゃんが夜更かしあ〜んど寝坊してさ、わたしが当番を代わる分には」

「ほんとに?じゃあこれからは毎日レイが朝食をつくってくれる?」

シンジが上目がちにレイを見ながらそう言う。

「ほらぁ。またすぐそうやって人に甘える〜」

腰に手を当て可愛らしげにシンジをにらむレイ。

「ごめん。ただ言ってみただけだから...次からはちゃんとやるよ。それにレイに代わってもらった分も返さないといけないし」

「しっかり頼むわね。でも、代わった分は返してもらわなくていいのよ」

「え、でも親しき仲にも礼儀ありだから...」

困惑してよくわからないことをいうシンジ。

「いいの、いいの。その代わりにしてもらいたいことがあるから」

にっこり笑って言うレイだが、シンジはまた何かあるなと心なしか顔を引き攣らせて身構える。

「で、レイ。おにいちゃんに何をしてほしいのかな」

シンジが恐る恐る訊ねる。

「やだなぁ。そんなに身構えなくても〜。この間のショッピングのこと?あれだってちょっと荷物を持ってもらっただけじゃない」

「あれがちょっと?」

確かに、両手に背中に首からと持てるだけ持たされた状態をちょっととは普通言わない。

「ちょっとは、ちょっと。それにちゃんと運べる量だったでしょ」

ギリギリの線ではあったが運べない量ではなかった。でも、ちゃんとそこまで考えて買っていたのかなあとシンジは思った。

「ちゃんとおにいちゃんのことを考えてたのよ」

そっかあ、ちゃんと考えてくれてたんだ、と単純にシンジは内心喜んでいた。

その喜びが顔に出てしまったのかレイは、

「そうよ。わたしはいつだっておにいちゃんのことのためを思っているんだからぁ」

と言い、益々シンジはジーンとする。

「それで、してほしいことなんだけどね。ジオフロントに新しく遊園地ができたでしょ。次の休みの日がちょうど開園日なんだ。それでおにいちゃんと一緒に行きたいなぁって」

レイが目をキラキラさせながら言う。

ふ〜ん、遊園地くらいお安い御用だなと思っていたシンジだったが、何か頭の中に引っかかるものを感じた。心配になって急いでその引っかかりを掘り起こしてみる。

「あ、あそこって世界最大級のジェットコースターが売り物じゃなかったっけ」

不安は的中した。

「そうそう。ああ、世界最大級のジェットコースター。今からワクワクするわ。う〜ん、土曜日が待ち遠し〜」

益々キラキラするレイとは対照的にどんよりとしてしまったシンジは、

「え〜と、二人だけなのかな?友達は誘ったんでしょ?」

と言うが、

「誘ったんだけどみんな都合が悪いって断るのよね〜。せっかく新しいジェットコースターに乗れるっていうのにね」

レイのジェットコースター好き、いやジェットコースターに限らずフリーフォール、バンジージャンプ、はたまたお化け屋敷と、とかくこわいもの好きなのは既に周知の事実であり、レイが遊園地へ行こうと誘っても、もはや誰もうなずくものはいないのだった。

シンジもまたかつて、連続10回耐久フリーフォールの後、ジェットコースターに乗り、身も心もボロボロになったという苦い経験がある。レイと遊園地の組合せは鬼門なのだ。

「そ、そうだ。え〜とぼくも土曜日は急に用事ができるからだめなんだけど...」

できたから、ではなく、できるからと言ってしまう。嘘がつけないシンジ。

「できるから?」

案の定レイに突っ込まれる。

「い、いや、できるからじゃなくて。うん、用事があるんだ。大切な用事がさ。ほんとに、ほんと」

と言いながら説得力、真実味ともにゼロであるとシンジ本人もわかっていた。

「へ〜。で、ほんとは用事なんてないんでしょ」

疑問形ではなく断定で問い詰める。

「う、うん。」

やはり嘘がつけないシンジであった。

「じゃ、土曜日の遊園地行きは決まりね」

またまた待ち遠しいなぁと浮かれるレイを尻目に、シンジは天災だと思ってやり過ごせばどうにかなるさ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだと繰り返していた。

「おにいちゃん、何をぶつくさ言ってるの?早く食べないと本当に遅刻しちゃうよ」

その言葉にシンジはハッと我に返り、ご飯を掻け込む。ちなみに碇家の朝食は例外なく和食であり、一汁三菜をきちんと守った伝統的かつ健康的な食事である。

「そうやって急いで食べるとノドに詰まらせるわよ」

とレイが言い終わるか終わらないうちに、シンジがウッとうめいて苦しげに胸をトントン叩く。

「レイ、水...お願い...」

「言わんこっちゃないわ。はい、どぉぞ」

レイがコップに牛乳を注いで手渡す。

「ん、ありがと。......ああ〜、助かった」

それを一気に飲み干して復活するシンジ。

「わたしは後片付けしてるから、おにいちゃんは学校行く準備してて」

「わかった」

シンジは階段をせわしなく駆け上がり部屋へ戻っていった。

「それじゃチャッチャと終わらせましょ。チャッチャと」

遊園地へ行ける嬉しさか鼻歌交じりに食器を洗う。

再び階段を歩く音が聞こえてきたのとレイが最後の皿を洗い終わるのは同時だった。

「お待たせ、それじゃ行こうか」

さっさと玄関に向かい靴を履こうとするシンジだが、

「おにいちゃん、ちょっと待って。忘れているわよ」

「あ、そうだった。ごめんごめん」

と、慌てて引き返す。

キッチンの向かいに位置する和室、二人はそこに入る。部屋の一角の鎮座しているのは仏壇。そこに置かれている写真には、あごひげと赤の入ったレンズの眼鏡が特徴的な長身の男、そして男の傍らで屈託なく笑うショートカットの似合った女性。そう、碇ゲンドウと碇ユイ。兄妹の亡き両親であった。

仏壇の正面に神妙にして座る二人。二人ともしばらく目を閉じて黙祷していたが、レイが口を開いた。

「お父さん、お母さん。行ってきます。今日もわたしたちのことを見守っていてください」

「それじゃ、行ってくるよ。父さん、母さん」

そして二人はゆっくりと腰を上げると玄関へと向かった。

 

「ねえ、もう疲れた。ちょっと休もうよ、レイ〜」

息も絶え絶えに言うシンジ。

「休んでいる暇なんかないわ。急がないと遅刻よ」

こちらはまだだいぶ余裕がありそうだ。

「レイがもう少し早く起こしてくれれば良かったのに」

息絶え絶えでも文句は言えるようだ。

「寝坊したのはそっちでしょ。自業自得。早起きしたわたしも一緒に走っているんだから文句言わないこと」

でもさあ、朝っぱらからこんなに走ると疲れちゃって勉強が...」

「はいはい。疲れてなくても寝てるくせに。しゃべっていると余計に疲れるわよ。黙って走りましょ、黙って」

「うん」

結構きついシンジだが、レイが自分のペースに合わせてくれていることを知っているので、一生懸命に走る。

 

そして、黙って走りつづけた二人は大通りに出た。横断歩道を渡って右折、しばらく行って左折すると学校だ。信号はちょうど青。しかし二人はペースを段々と落としていくと横断歩道の手前で一旦停止した。

「おにいちゃん、ごめん」

レイがそう言って右手をおずおずと差し出す。さっきまでの快活さが嘘のような表情。

「いいんだよ。さ、行こう。遅刻しちゃうからね」

シンジは差し出された手をしっかりと握って歩き出す。ゆっくりと一歩一歩進んでいく二人。やがて、横断歩道を渡り切った。つないだ手を離すレイ。

「ありがと。おにいちゃん」

そして控えめに笑う。

「いいんだよ、レイ」

応じて微笑もうとするシンジだったが、その時、

「ちょっとお二人さん。良い雰囲気のところ悪いんだけど」

二人の後ろから声がかかる。パッと同時に振り返るシンジとレイ。

そこには、亜麻色の髪、青い瞳を持った少女が立っていた。

「えっ。何?」

シンジが怪訝そうな表情で訊ねる。

「あんたたち第三東京市立第一中学の生徒よね」

そうなんでしょといった顔で訊く少女。

「う、うん。そうだけど」

そのやけに自信有りげな威勢に押されたシンジはちょっと後退りしながら言った。

うんうんやっぱりねと頷く少女。

「で、何かな?」

「学校はどこなの!」

いきなり声を大にして言う少女。シンジとレイはびっくりして、また後退る。

「へっ!?学校?」

シンジはサッパリわからんといった感じだ。

「だから学校はどこにあるのかって訊いてるの!まったくこの街ときたら計画都市だか何だか知らないけど、はっきりきれいに碁盤の目のように造られていてどこもかしこも同じに見えるし、ほんとに無味乾燥というか無個性というか、ドイツとは大違いだわ。大体…」

なおもしゃべりまくろうとする少女を見て、これはまずいと思ったシンジが口を挟む。

「えっと、学校の行き方を教えてほしいんだよね。あそこのパン屋さんで左に曲がって、そのまま真っ直ぐ行くと学校だよ」

シンジが指で指し示しながら言う。

「…あっそう。ありがと」

セリフを遮られて一瞬憮然とした少女だったがすぐに気を取り直したらしく、それだけを言うと脱兎の如く駆けていった。

その場には二人が残される。

「一体なんだったんだろう」

「さあ。とにかく忙しい人だったわね」

台風一過したとしみじみとつぶやくシンジとレイだったがハッと気がつきそれぞれ腕時計を確かめる。無常にもデジタルの数値は1限始業の4分前を示している。

「やばっ。わたしたちも急ごう、おにいちゃん」

バッと駆け出すレイ。

「レイ、ちょっと待ってよ〜」

情けない声を上げつつも、遅刻だけは避けたいシンジは必死でレイの後を追った。

 

−つづく 

 


こんにちは、駄文書きの乾です。夏だしここは一つ明るめの話でも書こうということで出来たのがこれです。

ゲンドウ&ユイが亡くなってたりしてどこが明るいんだ!って感じですがそれは伏線というか何というか、笑いと悲しみと両方あって人間なんだというか。 良く分からなくてすみません(^^;

ともあれ、まだ学校にも着かないうちにそこそこの長さになってしまったので分けることにしました。続きはまだ全然書いていませんけど...

一応これもEF5の10万ヒット記念として、送らさせてもらいます。

それでは。


 レイとシンジ両親がいないということで助け合って生きてきたようで仲がいいですね,
異常なほど(*^^*)

 ユイはもともと死んだようなものだしヒゲ・・・ゲンドウは死んでもだれも悲しみませんから十分明るいと思いますよ。
今まで乾さんの作品は暗めでしたからいいですよ新鮮で。

素晴らしい小説を書いて下さった作者にぜひ感想を!
感想は作者への感謝と次回作を生み出すエネルギーです。


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