NOV.15th
NOV.15th
2061
2061
Layer-7
Layer-7
TOKYO-3, Japan
TOKYO-3, Japan


五島ナオミは地を這うケーブルに足をとられて転倒した。
「だからここに来るのはイヤだったのよ」
倒れこんだ先にもケーブル。
中を通る電気信号による発熱で生温かく、
湿度の高い空気のため結露している。
ナオミは生き物めいたその感触に嫌悪感を抱いた。
「よっっ、と。急がないとね」
弾みをつけて勢いよく立ち上がると、間髪なしに走り出す。





dark & long
dark & long
dark & long
dark & long




悪名高き電脳楽園は大遷移(グレートパラダイムシフト)の訪れとともに崩壊し、
後に残りしは赤錆びた機械に白く焼けた基盤。
あちこちで山をなしているのは、
ギガビット半導体チップにホロキューブ、DVD-ROM。
朽ち果てることもないその姿は見るものに言いようのない空しさを与える。
しかし、カラフルに配色されたケーブルは死にぞこないのゲイトウェイたちに
相互接続され今なお有象無象なるデータを運んでいる。
ツイストペアの蔦が絡み付く、同軸の維菅束を持った枝には、光ファイバの花が咲く。
ビットの川流れる熱帯雨林。
ワイアードTOKYO-3の事実上の生命線。
それが、第三新東京市ジオフロント第七層



「よくもこんなところに住めるものね。人の住む場所じゃないわ、ここは」
カラフルに色分けされたケーブル群。
半壊した家屋やビルディング。
ひげを生やした巨大なサイコロに見えるのは、
無音で作動中の静的積層脳盤コンピュータによるゲイトウェイサーバ。
無制御で投影されゴースト化したヴァーチャルたちが無言で歩き回っている。
濃密な電磁気と空気の中、生き物の気配だけが全くない。
「まんま墓場ね。ぞっとしないわ」
仕事でなければ絶対に来る所じゃない。
いや、仕事でもさっさと済ませて帰りたくなる場所だ。
「これで人がいたら逆に気味が悪いかも」
そう呟いた途端に後ろに人の気配を感じた。
「誰っ!」
振り向いたが誰もいない。
かぶりを振ってまた走り出した。



第七層はシフト後すぐに廃棄地区に指定された。
居住は禁止され公的には住民ゼロである。
つまり、不法居住者がいるということだ。
もちろん一般の人間が好き好んでこんな気味の悪く不便な場所、
−食料を調達するには管理区を超えて第四層まで行かなくてはならないようなところ、
に住むはずがない。
第七層に広がるケーブルジャングルはいわばTOKYO-3の本体であり、
そこに住まうものも半ばビット世界の住人ともいえる人々、
テックジャンキー(技術中毒者)、ハッカー/クラッカーの類いと相場が決まっていよう。
四度にわたる省庁再編の果てに生まれた日本国最大の組織情報省。
その末端の一役人であるナオミが下層まではるばる天下ってきた理由は、
彼らのうちの一人に会うために他ならなかった。



「こういう事態に対応できる人間も機材もない。ウチの局は情報省の名折れだわ。
 外部の人間に頼らざるを得ないなんて情けない」
垂れ下がるケーブルを掻き分け、リチウムイオンの水溜まりを飛び越え、
液晶ウエハースを踏みしめつつ、どんどん奥へと進む。
時折出会うゴースト・ヴァーチャルに話し掛けてみたが、
しゃべることすらできないと分かったので今は無視している。
ピクセルが荒く向こう側が透けて見える彼らは一段と実体感が薄く、
まるで幽霊そのもの。
無表情な顔からは悲壮感も恨みつらみも感じ取れないが。
「えっと、ここは右に行けばいいかな」
ろくにシールドもされていないケーブルのせいで、
かなりの電波障害が起きており、
携帯している端末によるポジショニングは不可能。
ナオミはシフト前の地図を片手に目的地を目指していた。



2014年以来日本の首都である第三新東京市は旧神奈川県に位置する計画都市だ。
この都市はグラウンド(地上部)とジオフロント(地下部)に分けられる。
各種行政機関・企業施設および政治家・官僚・資産家の面々の住宅がある地上街。
商店や一般市民が住まうジオフロント第一層から第四層は上層(アッパー)と呼ばれる。
都市機能を維持するための管理区域である第五層・第六層、それに廃棄地区第七層が下層(ロー)だ。
行政便宜上ナンバーが振られているものの、
ジオフロント各層にキチンとした仕切りがあるわけではない。
各々のレイヤーもまたいくつかの階層に分かれており、
その複雑に入り組んだ様子はクレタの迷宮さながらである。
他の街から来た者はナビゲーターがあってさえ一度は迷うと言われている。
住人でも全体像を把握するものはほとんどいないだろう。
特に第七層はシフト前に好き勝手な改造が施された上、
シフトによって大きく破壊されて、昔の地図は役に立たない。
また、廃棄地区となった現在の姿形を正確に記した地図は存在しない。



再び気配を感じた。
「さっさと出てきてくれない?話があるなら聞くわよ」
見えないよりは出てきてもらった方が心理的にいいと考えたからだ。
まだ目的地までしばらくあるだろう。
それまでの間、見えない追随者と同行する気はナオミにはなかった。
ほどなく崩れ落ちた商店の裏から男が現れた。
中肉中背、これといった特徴のない男。
ただ、次々とフラクタル図形を描いているスーツが
ファウンデーションのメンバーであることを表している。
「どうも初めまして、五島ナオミさん」
抑揚のない声。ヴァーチャルよりもよほど機械的だ。
「さっきからわたしに何の用なの?
 こっちは仕事で忙しいんだから邪魔しないでくれる」
「わたしはあなたをつけたりはしていませんよ。勘違いでしょう。
 あなたを見つけるのには苦労しました。ここはひどい場所ですからね。
 こちらも仕事ですから、要件だけを手っ取り早く言います。
 あなたには今すぐ地上に帰ってほしいのです」
言いながら近づく男。
スーツの上で樹形図が繰り返されている。生えては消える木々。
赤い瞳は網膜投射ディスプレイ。
「いやよ」
「危険なんですよ。分かっているでしょう?」
男はわざとらしく両手を挙げる。
「ファウンデーションは情報省に対して介入権を持っていないわ」
「我々がしたのは提案ですよ。
 今ワイアードTOKYO-3に起こっている厄介事を引き受けましょうとね」
「これはわたしたちの仕事よ。あんたたちのお世話にはならないわ」
男がナオミに掌を向けて片手を挙げる。
「たった今提案は受理されました。
 もうあなたがここにいる必要はありません」
図形がマンデルブロー図に変わる。
極色彩のそれにナオミは眩暈がしそうだった。
「あんたたちが何を考えているのかは知らないけれど、
 わたしはわたしの仕事をするだけ」
「省の人間としてではなく、あなた個人としてという意味に取っておきます」
「そうしておいて。わたしはやりかけの物事と隠し事が大嫌いなの」
もうこれ以上話すことはないというように言い切って、男に背を向けるナオミ。
「世の中知らない方がいいことが沢山ありますよ」
初めて男の顔に表情が生まれた。適度に抑制された笑顔。
「取り敢えず忠告はしておきます。
 しばらくワイアードには行かない方がよいでしょう」
振り向くナオミ。
「古き神々は死んだ。新たな神が人を導く。
 時代がまた変わろうとしているのですよ、五島さん」
「新しい神?」
「人間だけに任せていては、人はどこに行きつくかわかりませんからね。
 それでは、健闘を祈ります」
スーツの柄はニューラルネット。発火するシナプスが見える。男は去った。
しばらく無言で考え込むナオミ。
やがて顔を上げると再び行路を急いだ。









ナオミが人の背丈もある太さのケーブルを攀じ登って越えると、
「丁領域」と看板のかかった五階建てのビルの前に出た。
窓という窓のガラスはない。
そこからケーブルスパゲッティが外のジャングルに向かって延びる。
壁には派手なひび割れ。
3階部分まで達する高さの建物左右の瓦礫の山は倒壊したビル。
この建物もそう遠くない日に崩れ落ちるだろうと思わせる老朽ぶり。
「ラッキー、やっぱ頼るべきは女の勘ね。一発だわ」
結局地図を見たのはただ一回。目的のビル名を確かめた時だけだった。



入り口に陣取っているのは半牛半人。
殴られすぎて潰れたような人の顔。
頭からはカーボンチタンな感じに光る2本の角。
腕や胸の筋肉は筋増強剤をやっているかのようだ。
幅2メートルはある入り口を塞いでいる。
「ハロー。わたし、あなたのご主人様に用があるんだけど通してくれる?」
ナオミは少し距離を置いて話し掛けた。
「レディ五島ですね。お待ちしていました。マスターは5階におります。
 エレベーターは使えませんので、階段で登って下さい」
怪物が横に退け、ひと一人通れるスペースができる。
「あら、ありがと。怪物にしては礼儀正しいのね」
「それから余計なものには手を触れないようにお願いします。危険ですから」
「トラップ?用心深いのね。気を付けるわ」
驚くことに自動ドアは生きていて、ナオミが前に立つとすぐに開いた。



外見ほどには中はひどくはない。
中に入っても長居する気にさせないくらいには。
オゾン臭い空気は空気清浄器の作動を感じさせる。
等間隔に整列させられた、息苦しさを感じるほどの数のマシン。
狭い隙間に悪い見通し。
「RICO、APPLE、IBM、NEC。
 シフト前どころか前世紀の骨董品(クラシック)まであるわ。
 ノイマン型ってやつかしら。よく集めたものね」
スイッチは入っており、それぞれが繋がっている。
絶え間なく点滅するアクセスランプ。
磁気記憶装置があげる低い唸り声。
音もなく動く冷蔵庫に似た半導体記憶装置。
「何かの実験かしら。まあ、忠告されたことだし詮索はよしとくわ。」
天井では大きなファンが寝ぼけたように回っていた。



階段はマシンのストリートを3本越えた一番奥。
狭くて急な具合から連想されるのは滑り台。
踵の高い靴を履いたナオミは苦行を味わった。
2階から上も沢山の旧型がLANしている。
5階もほぼ同様。異なったのは、一角に後づけでセパレートされた部屋。
マシンの隙間を縫ってドアへ向かうナオミ。
ノックは3回、2回、3回。
「オーケー、ちょっと待ってくれ。こっちで開けるから」
疲れたような男の声。カチっと音がしてドアが開く。



「ようこそ。おれはカズキ。高野カズキだ」
自己紹介したのは長身痩躯の男だった。
年の頃は30代半ば。額には深い皺。
服装はお決まりのTシャツとジーンズ。
ソファーベッドに寝そべったまま。顔色が悪い。
良く整頓された部屋。マシンも紙もゴミも全て同じく。
「五島ナオミよ。よろしく」
名刺を出しながらお辞儀するナオミ。
「よろしく。適当なところに座ってくれ」
受け取ったそれに一瞥だけくれて脇に置くカズキ。
ナオミは冷却保存漕漬けの生体コンピューターの隣に、
ピザボックスの山をどかしスペースをつくって座る。
「で、情報省のお役人さんが一体何の用だって?」
「仕事の内容はメールで送ったはずよ」
ハンドバックから取り出された情報省の紋付き書類が舞う。
依頼書と契約書。
「自分の耳で聞かないと信じられないたちでね。
 悪いがあらためて説明してくれ」
カズキは書類には目もくれない。
「ハッカーのくせにウェブが信じられないの?思っていたより変人ね」
「シフト前ならともかくな。情報省だってあちこち蜘蛛の巣張ってるだろ。
 デートのお誘いが不幸の手紙になってたって驚かないね」
カズキがやっとのろのろと身体を起こす。
「うちは覗きはやってもいたずらはしないわよ。
 最近ウェブの信頼性が落ちているのは否定しないけれど」
「税金払ってるんだからちゃんと仕事してほしいね、情報省にはさ」
「はっ。不法居住者なのに税金払ってるんの。律義ねえ」
「金があるときにはね。仕事場はキレイな方がいい。
 仕事は気持ちよくしたいからな」
「で、無駄話はこれくらいにして。その仕事の話よ。
 ただし、依頼者は省ではなくわたしよ」
「どっちでも構わんさ。報酬さえきちっともらえればね」
あぐらを掻き、壁に背をもたれさせた姿勢のカズキ。
「ラットが大量発生して困っているのよ」
「知っている。ジェノサイダ撒いとけばいいじゃないか」
そう言ってまた横になる。
「仕事の話してる時に寝ないでよ。
 こっちだってやることはやったのよ。
 クーリーエージェントに運ばせて。
 でも、クーリーは戻ってこないし、効き目はないしで。
 付近のビットストリームは目茶苦茶よ。
 何個所かでテラビットレベルのトラフィックが起きはじめてる。
 って、だから寝ないでってば」
目をつむるカズキ。怒鳴るナオミ。
「悪い。さっきリセットかけて強制退去したもんで。脳がプリンなんだ」
だるそうに答えるカズキ。
「 プリンでもゼリーでも仕事はしてもらうわよ」
「無理だな。2、3日は潜れない」
カズキは目をつぶったまま言う。
「今ワイアードに厄介なことが起こっているのは知っている。
 だが、おれや五島さんがちょっかい出してどうにかなる問題じゃない」
「ナオミでいいわよ。ここに来る途中ファウンデーションの人間に会ったわ。」
「なら、こっちもカズキと呼んでくれ。
 なるほど。ワイアードLAが騒がしいと思ったが、こっちでも動いているのか。
 益々手におえないんじゃないか。コーヒーでも飲むか?」
カズキはのろのろと立ち上がる。唯一乱雑なデスクからコーヒーメーカーの発掘。
「長くなりそうだし、もらうわ。ところで、ここに住んでいて危険はないの?」
「まあな。クラシックな石はコレクターに人気があるんで、
 素行のよくないあさり屋や山師がうろちょろしてるよ。
 それにローグも見かけるようになった」
コーヒーメーカーがセットされる。粗雑な作りのキッチンに立つカズキ。
水道管から、四角い缶に水を入れコンロにかける。
「だから半牛半人を?趣味が悪いだけなのかと思っていたわ。
 あ、水は大丈夫なんでしょうね?」
「上から引いている。だからちゃんと同じくらい不味い」

「あれは、ヴァーチャルのはりぼてだけどね。
 ミノタウロスなのは、レイヤー7だからちょっとした洒落だ。」
カズキは青い炎を眺めつつ言う。
「なあ、ファウンデーションは置いておくとしても、
 実際おれが降りても上手くはいかない。
 さっきも言ったが少し前、無理に戻ってきたからな。
 まともにシンクロできずに酔っ払い状態になるのがオチだ」
「カズキはレタードじゃないの?称号付きのハッカーは特別なんでしょ」
「昔の話だよ。よく知ってるな」
「学校ではネットワーク史が専攻だったわ。教科書にないようなことも色々調べたのよ」
「なら、称号(レター)なんて何の役にも立たないことも知っているはずだ」
「仲間内の遊びだったってことは知っているわ。
 でも、能力がなければクラスを自称できなかったことも知っているのよ。
 レターは非公式な権威の象徴だった」
「なるほど。勉強熱心だね」
「褒めてくれてありがと。で、カズキのクラスは何なの?」
「おいおい、カマをかけたのか。まあいい。
 おれはA。考古学者(archaeologist)だ。だからここに住んでいる。
 ここには昔のチップやボードが腐るほど埋まっているからな。
 下にあるのもおれが発掘したり、探した部品で組み立てたりしたものだ」
カズキが器用にペンチで缶を持ち上げた。
湯を注ぐとわずかにコーヒーの匂い。

しばしの沈黙。水槽の立てる水音とコーヒーの水滴が落ちる音。
「安コーヒーだが、どうぞ」
「ありがとう」
ナオミがカップを受け取りカフェインを少し摂取する。
「ファウンデーションの人間はワイアードにはしばらく行くなと言っていたわ。
 時代がまた変わるとも」
「古き神々は死んだ。新たな神が人を導く。だろ。
 やつらの教義は聞き飽きた。ファウンデーションの目的なんて興味ない。
 だが、やつらがワイアードを荒らすのは気分が悪い」
カズキは熱いコーヒーを勢いよく啜る。
「なら、」
言いかけるナオミを制するカズキ。
「相手が悪い。情報省だって黙認しているんだろ。
 NERVだってまだ動いていない。
 余計な危険は避けるべきだ。
 君子危うきに近寄らず」
「NERVね。彼らのせいでここでの省の力が弱いのよ。
 現在は国連下とはいえども元は私設機関だと聞いているわ。
 ゲートの管理も独占的に行なっている。
 情報公開は一切なし。NERVも解らない組織よ」
「NERVは一応は味方だ。少なくとも利害は一致しているといえる」
「どんな利害よ」
「おれたちに新たな神は必要ない。ワイアードは人間のものだ」
「あなたは色々知ってそうね。わたしも知りたいの。
 ワイアードで起きていることを」
「分かった。きみが行けばいい。自分の目で確かめるんだ。
 おれがナビゲートするし、ミノタウロスもつける」
「危険はどのくらい?」
「危険がないとは言わない。
 だが、省の人間に直接手は出さないはずだ。
 それに、ミノタウロスは強いからな。まず心配は要らないよ」
カズキがキーボードを叩く。
と、室内に表にいた1/2サイズの半牛半人が現れた。
「こいつはおれが一からロジック設計した、Aが4倍角のAIだ」
ミノタウロスの肩を叩こうとするカズキの手は素通りして空を切る。
怪物は直立不動の姿勢のまま。
「非常にシンプルか、その場限りかの命令しか受け付けない。
 ドア番をしろ。ナオミを守れ。みたいなね。
 非自律AIだから、くそエージェントのように逃げたりしない。
 いい番犬、ボディーガードだよ」
カズキがまたキーボードを叩くと、ミノタウロスが段々とぼやけてくる。
ミノタウロスのヴァーチャル体を構成する個々のピクセルが大きくなっている。
形が分からなくなるほどそれらが大きくなり、やがて消えてしまう。
「これで準備はいい。後はナオミが入り込むだけだ。
 どうする?ホントに行くのか?」
黙っているナオミをカズキがじっと見ている。
「行くわ。わたしも自分の目で見ないと信じないたちなの」
「オッケー。じゃあ、ここに寝てくれ。セットする」

カズキがナオミをソファーベッドに寝かせ、水槽のインターフェイスからコードを引っ張って来る。
「ちょっと我慢してくれ。
 あんたが結線(ハードワイアード)してればこんな面倒はいらないんだが」
伝導クリームを顔や頭に塗りたくり、そこへ円状の端子を貼りつける。
「脳を針金でぐるぐる巻きはごめんだわ」
苦笑するカズキ。
「もっともだ」
続いて耳や唇にクリップ端子を取りつける。
最後に暗視ゴーグルのような眼鏡をかけさせる。
「これがメイン出力だ。視覚を通じて脳にデータを送る」
「これでオーケーなのカズキ?いやに簡単じゃない?」
「こんなもんだよ。人間の脳は案外単純なんだ。
 地磁気と同周波数の信号を上手く使えば結構騙せる」
「そんなもんなの。ま、いいわ。続きお願い」
「始める。目を閉じてリラックスしてくれ。進入はすぐ済む」
無言で頷くナオミ。
頭を引き伸ばされるような酩酊感。
まるで落下する夢。









「いいよ。目を開けて」
ワイアードの地図を表示するサブモニタを確認したカズキが言った。
「え?もう?あ、ちょっとくらくらする」
「デバイスはおれ用にカスタマイズされてるからな。
 フィードバック調整が済んでないんだ。
 すぐ良くなるよ」
メインモニタ上のセンスモニタが白い空間を映し出す。
ナオミが目を開けたからだ。
「ここは?」
「おれのコンピュータ内だ。右の奥にドアが見えるだろ。
 あれが外への入り口だ」
「ねえ。説明をお願い。
 歴史は知ってるけど、実際の仕組みは全然だから」
「わかった。簡単に説明する。
 ワイアードの基本構成要素はクラスタとストリーム。要するに部屋と廊下だ。
 いくつかのクラスタで一階層。その階層が無数に存在する。
 ただし、部屋は不確定存在だ」
「不確定存在?」
「ストリームはワイアード空間上の同座標同位置に常に固定されている。
 これにはビットストリームの物理的性質が作用している。
 しかし、クラスタは決まった形、大きさが規定されていない。
 誰かに認識されることによって確定される。
 つまり誰もいなければそのクラスタは存在しない」
「存在しないところへどうやって行くわけ?」
「クラスタとストリームはもちろん繋がっている。
 というか実はクラスタ自体もストリーム上にあるんだ。
 クラスタの下にあるストリームはバックストリーム。
 ストリームの末端に近づけばクラスタは生成される。
 まあ、奇妙な仕組みだが気にする必要はないさ」
「ワイアードにある銀行とかはどうなってるの?
 行く度に違う場所にあるわけ?」
「おっと、言い忘れていた。完全に不確定なのは空のクラスタだけだ。
 銀行やらショップやらのあるクラスタは固定されている。
 銀行やショップの存在自体がクラスタを確定しているからだ」
「ふ〜ん」
「とりあえず、ドアを開けてストリームに乗ってくれ。
 流れに乗るだけで隣りの部屋に着く」
「オーケー」
ドアを開けるナオミ。
「へえ、ホントに廊下ね」
センスモニタには白く長い通路。
青くもやもやと光る床。
中央に黄色い線。
「この黄色いの?」
「そうだ」
ゆっくりと運ばれるナオミ。
「あら、楽ちんね」
「だろ」









「ラットばかりね。気持ち悪くなるほど」
行くクラスタ全てラットに溢れていた。
ミノタウロスが先陣を務めラットを破壊。
ストリームへの出口を見付け次のクラスタへ。
その繰り返し。
どこにも人の姿はない。
「全然人を見かけないわね」
「そうだな。ラットが多いから避けてるのか。
 あるいはファウンデーションが締め出してるのか。
 おそらくその両方だな」
そう言う間もラットを叩き潰し続けるミノタウロス。
「なにも手がかりなしじゃない」
「そうだな。いい加減戻るか?」
「もう少し頑張るわ。ファウンデーションの人間はどこかにいるでしょ」
「そうか。無理するなよ。長時間の接続は神経に負担がかかる」
「わかったわ」
そして、また次のクラスタへ。









3階層下。39番目のクラスタ。
フラクタルスーツの男。
「おや、こんな所までよく来ましたね」
無関心な物言い。
「あんたがラットをばら撒いたのね」
「これがわたしの仕事。掃除ですよ。
 ここのリソースを最大限利用するために余計なモノを排除しているだけです。
 そろそろ仕上げに掛かるところですからお早く帰った方がいいですよ」
「TOKYO-3のリソースは莫大だ。あるいは全ワイアード中一番かもしれん。
 だが、それだけのものを利用できるビットストリームがないぞ。
 ゲートは閉じられているからな。  リソースがどこへ流れているか調べる」
口を挟むカズキ。
「それだけの力を何に使うつもりなの?」
「新しい神。その拠りしろとなるモノの誕生ですよ」
「また、神様。厄介な人たちだわ」
「そう言わないで下さい。これは人類のためなんですよ。
 独善的と云われようと我々はこの道を信じています」
左右に両手を広げる男。
カズキはTOKYO-3から外に繋がるストリームをトレースしている。 「わかったぞ。軌道都市だ。衛星を使ってやがる」
「軌道都市!」
「わかりましたか。あそこは静かで良い所ですよ。
 なりより余計な邪魔が入りませんからね」
「そこがあんたたちの本拠地なわけね」
「私たちはワイアードと共にあります。
 さて、時間が来ました。お別れです」
そう言って男は消える。

「やつはヴァーチャルなのか?退去にしては早すぎる」
「さあ。また言いたい事だけ言って消えたわ」
「神の拠りしろとなるモノか。何なんだろうな」
「何かの機械かしら」
「さっぱりだ。ネットでやつらの情報を手に入れるのは難しいからな。
 それにしても、ここまでの大事を起こすとは思わなかった。
 軌道都市まで使えるとはな。知られているより遥かに規模が大きいようだ」
「そうね。省と取引できるくらいだから」
「さて。ナオミ、そろそろ戻った方がいいぞ。
 やつの言っていた仕上げというのが気になる」
「どうすればいいの?」
「できれば、最初の所、こっちへ戻って来たほうがやり易い。
 そこでも退去できるが。そっちが良ければすぐにプログラムを走らせる」
「オーケー」
リリースルーチンの用意をするカズキ。
周囲を確認する為にサブモニタを見た。
ナオミの30ブロックほど先。蠢く沢山の小さな点。
嫌な予感のしたカズキはそのセンスモニタの映像をズームさせた。
「くそっ。スラッシュだ!嫌な鳥どもがいる。
 仕上げってのはこいつか」
「スラッシュ?あれが小鳥には到底見えないけど?」
癇に障る甲高い鳴き声。
「名前や見た目はどうでもいい。あいつらは危険なんだよ。
 いいか、ワイアード空間においてきみは
 単位オブジェクトのリレーションネットワークとして記述されている。
 あいつらはいわばきみを構成する細胞を一つずつ食っちまうんだ」
「食われるとどうなるの?」
鳥はまるで温泉卵の頭に鶴の子餅の胴体でできている。足はストローだ。
頭パーツには目も嘴もなにもない。
細かなディテールというものは存在せず、全体的にひどくのっぺりしている。
「はっきり言ってうまくない。
 オブジェクトはメソッドとデータの集合体だ。行動と記憶と思ってくれればいい。
 笑ったり泣いたり、駆けたり飛んだり。
 一つ食われるたびに一つずつそういったことができなくなる。
 同時に付随する記憶も失われる。
 掃除には最適だな。
 ミノタウルスに任せて、さっさと離れろ。」
カズキはクラスタへストリーム上流からウォッチャー(観察虫)を送り込んだ。
サブモニター上では長さ対幅40対1の黄色い長方形で表された
バックストリームの上流に無数の青い点が現れる。
下流方向に動く赤い点はナオミだ。
「でも、食われるのはワイアードのわたしよ。
 AIならともかく、イグジットしたら関係ないんじゃない?」
青い点がどんどん消えていく。鳥に食われているのだ。
しかし食われる直前にデータを送ってくれている。
そのデータが統計処理される。
サブモニタのウインドウが切り替わり、いくつかグラフが描かれた。
鳥の数は恐ろしく多かった。
「関係ないもんか!
 ワイアードからのデータは脳へ直に送られているのは知ってるだろう。
 視覚、聴覚のデータは大脳新皮質へ、他の感覚も扁桃体・海馬体などの古い脳へ、
 目・耳・舌などの感覚器からの情報をトラップしてリダイレクトされてるんだ。
 そっちのきみとこっちのきみは完全同期(フルシンクロナス)している。
 そうでなければそっちで活動できないからね。
 だからデバイスにフィルタかけてても
 きみの脳ニューロンは上書き(オーバーロード)されちまう。
 食われるのが少しならホログラフィックの効果で影響ないかもしれない。
 だけどへたすりゃ廃人だ。鳥は飛ぶんだ。早く逃げろ。戻って来い」
さらに鳥の数は増えている。自己増殖型。最悪のパターン。
みるみるうちに縮まる距離。
「冗談じゃないわ!なんで膨らむのよっ!」
ナオミの目の前でミノタウロスが食われ始めた。
温泉卵が筋肉質の腕にぴったりとくっついている。
この鳥は突ついたり、かじったりではなく、吸い込むのだ。
オブジェクトを食った鳥はどんどん膨らんでいく、
その時点では食ったものはまだ腹の中だ。
しかし、限界を超えると。
「破裂したわ!」
同時にミノタウロスを構成していた一部が失われた。
その影響は徐々に現れる。
「これだけ多いと、ミノタウロスにも叩き潰しきれん。
 ミノタウロスが消える前に逃げるんだ!」
今やミノタウロスは鳥に覆われて姿がよく見えない。
食われ切るのも時間の問題だった。
「そんなこといっても、やつら飛び回ってわたしたちを囲んでるのよ。
 どうやって逃げるのよ。
 強制退去はできないの?」
「無理だ。切断している間に食われる。
 くそっ。ミノタウロスはもう駄目だ。
 焼け石に水だがワームを送って時間を稼ぐ。
 どうにか安全なところに避難してくれ」
サブモニタ上に青い点は見えない。ウォッチャーは全滅。
カズキはセンスモニタに視線を戻す。
鳥の隙間から見えるミノタウロスもピクセルが荒い。
オブジェクト構成数が最小値限界を下回った時点で
リレーションネットワークが離散し、ミノタウロスは消滅。
新たに送り込んだワームもすでに数を減らしている。
「畜生!打つ手無しだ...」
ワームを送り続ければいつか鳥と相殺されるだろうが、そんな時間はない。
「NERVに応援を頼む。
 やつらだって監視しているはずだ。いまだに助けにこないのが不思議だが。
 くそっ。ラットといい鳥といい、ブロック当たりの数がLGの致死数を超えている。
 おそらく基本ロジックが異なっている。
 ファウンデーションを甘く見ていた。  一体何をするつもりなのか...」

カズキの呟きもナオミには届かない。

「最悪っ。こんなことろでミスって廃人になんかなりたくないわ」
ミノタウロスだったピクセルのかけらが雪片のように融けて消える。
のたうつワームが多少は鳥を押え込んではいるものの、
依然としてナオミは囲まれている。
「包囲が一番薄いところを狙って走って逃げるほかないわね。
 もう、多少食われても仕方ないわ。廃人よりはるかマシよ」
鳥の飛び交う合間を駆け抜けるナオミ。
上手く隙を突いた。
「ストリームまで抜ければ」
ナオミの目にクラスタ末端壁が見えてくる。ストリームに繋がる穴もまた。
「もうすぐ」
一層足を早めるナオミ。
スラッシュの鳴き喚く声もだいぶ後ろ手だ。
「いける!」
ナオミはストリームに到達した。
クラスタ・ストリーム間のドアを閉める。
「これで大丈夫...」
緩やかなストリームの流れに身を任せる。



隣りのクラスタに着いた。
白く何もない小部屋。
「何もいないわね...嘘っ!!」
部屋の中央に立つナオミ。それ囲むように現れるスラッシュ。
「最悪!しつこいわね」
次第に包囲を狭める鳥たち。
甲高い鳴き声がナオミを苛む。
「また走るしかないか...」
諦めを感じる力のない声。
覚悟を決めて臨走態勢に入るナオミ。
「消えて」
突然、苛立ちを込めた静かな声。
「えっ!?」
途端、嘘のように消えてなくなるスラッシュ。
代わりに現れたのは少年と少女。
「ぼくは碇シンジ。こっちは妹のレイ」
「あなたたちは一体」
「NERVの指令で来ました。来るのが遅れてすみませんでした」
「あなたたちNERVの人間なの?」
「属しているわけではないわ。手伝いをしているだけ」
「なんであんなことができるの?レタードにも無理な芸当じゃない」
「現実世界とクラスタ世界は鏡のこっちと向こうなんだ。」
「どういう意味?」
「鏡の前に立てばそこに自分が映る」
「つまり?」
「すでに居るのだから、別に入り込む必要はないんだ。
 もちろんデバイスを使う必要もね」
「デバイスがいらない?そんなはずはないわ。あなたたちは一体何者なの。
 もしかしたらAIなのかしら?それならまだ納得いくわ」
「違いますよ。ぼくたちは人と人の間から生まれた人間です」
「傷つけば血を流す人間よ」
「普通の人間はデバイスなしではワイアードに入れない」
「違うわ。わたしたちが特別なのは目覚めているということだけ」
「そう。ぼくたちチルドレンは気付いているんだ。二つは同じだということに。
 本質的にデバイスは人を疎外する。デバイスがここをリアルに見せないんだ」
「...」
「五島ナオミさん。あなたは帰った方がいい」
「今鏡の中が激しく荒れ狂っている。ファウンデーションの実験の余波よ」
「わかったわ。大人しく帰ります。でも、今度会ったら教えてくれるわよね。
 あなたたちのこと。そして、ワイアードで起こっていることを」
「約束はできませんが。また、会うことがあったなら」
「あなたに再びワイアードに来る勇気があるなら」
「本当にありがとう。また会いましょう」
 辺りが白い光りに包まれる。光と共に兄妹も消えた。
「チルドレンか」





「お〜い。ナオミ。大丈夫か。
 スラッシュの反応が消えているようだけど、何があったんだ?」
カズキの呼びかけ。
「大丈夫よ。どこも食われちゃいないわ。
 子供たちが助けてくれたのよ」
「子供だって?」
「詳しいことは後で話すわ。早く戻らせて」
「オーケー。リリースルーチンを走らせる。
 しばらくじっとして待ってくれ」
「手早くお願い」
「こっちも話したいことがある。後でな」
上に引っ張られるような奇妙な浮遊感。
ぱちんと弾け散るイメージ。
そして重力が戻った。

「もう帰ってきたよ。お疲れ様。気分はどうだい?」
ナオミにはカズキがやけに声を遠くに感じられた。
「最悪よ。わからないことが増えたわ」
「子供たちって言ってたな?」
「そうよ。中学生くらいの子供二人に助けられたの。
 碇シンジとレイ。兄妹って言ってたわ。
 彼らは鳥を一瞬で消した」
「ふむ。碇シンジとレイ...」
「知ってるの?」
「NERVの司令が碇ゲンドウという男だった」
「だった?」
「ああ。彼は今も司令だ。ただし、行方不明。
 5年前、どこかへ行ってしまった」
「チルドレン」
「なに?」
「あの子たちは自分たちのことをそう呼んでいたわ。
 デバイスなしでワイアードに入れるって」
「デバイスなし?
 ...昔聞いたことがある。
 ヒトゲノムプロジェクトの成果を利用し、
 ネットワークに適した人間を創る計画。
 京都計画といったか。
 確か失敗したはずだ。資金不足と民衆の反感で」
「NERVの母体だった組織は京都にあったわ」
「なるほどな」
カズキがそう言ったのと同時に、
「メッセージアライブド」
柔らかな女性の声が到着を告げた。
「ロード」
空中に投影される映像。
羊皮紙。バックにフラクタル図形。
際限なき反復の象徴。



かつて古き神々が死んだ。
かつて古き神々が死んだ。
いま、救世主は生まれた。
いま、救世主は生まれた。
そして新たなる神が人を導く。
そして新たなる神が人を導く。
門は再び開かれる。
門は再び開かれる。
新たなる時代の訪れに歓喜せよ。
新たなる時代の訪れに歓喜せよ。
-The Human Evolution by Technology Foundation
-The Human Evolution by Technology Foundation


「関係ないという顔ではいられなくなったな。おれはNERVに協力するつもりだ。
 やつらの勝手にはさせないよ。ナオミはどうするんだ」
「わたしは物事をやりかけにするのが嫌いなの。それに隠し事もね。真実が知りたい。
 でもNERVの世話にはならないわ。役人としての意地もあるから」
「わかった。手が必要だったら言ってくれ。仲間にも伝えておく。連絡先は44SLASHだ」
「ありがとう」
「ああ。またな」
「そうね」
ナオミが部屋を出たあともカズキはディスプレイのメッセージを睨み続けていた。








アトガキ

どうも、こんにちは乾です。
lainのせいかサイバーなのが書きたくなりました。
もどきくらいにはなってるといいけれど。
わざとらしい説明は好きでないので
最初は説明なしで書いたんですが、
いつもより更に意味不明になったため
多少の説明は入れておきました。
書いているうちに思ったより長くなったから
多少端折って書いてるのと、
文体がぐちゃぐちゃなのが気残りですが、
まあ、こんなものでしょう。
尻切れですが、この話はこれで一応終わりです。
ところで、いくつか用語・設定を借りてきてますが、
どれがどこからだか分かります?
あとタイトルも好きなグループの曲名から取ってます。
それでは。

1998.09.06-09.18 乾


なしつぶです

 最近Lainにハマッている乾さんの作品です。
「Lain」とはテレビ東京系で月曜深夜にやっているテレビ番組です。
なしつぶも最初2,3回見ていたんですが訳が分からなくて挫折しました(^^;;;
 

素晴らしい小説を書いて下さった作者にぜひ感想を!
感想は作者への感謝と次回作を生み出すエネルギーです。  



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