全体

7.漫画スクールリニューアル
2000年10月号において、2001年1月号から始まる「りぼん漫画スクール2001」の詳細が発表されました。もっと大きく変わるかと思ったのですが、小規模の変更でした。

まず、2001年を迎えたことによるスクール名の変更や、今の準りぼん賞をりぼん賞に、佳作を準りぼん賞にしたりという名称を変更。
次に、担当編集者がつくこと、研究費の支給、投稿者への特典、賞金のアップなどといった「りぼんNEW漫画スクール」の時にもやっていたことを改めてやる変更。
これらはいずれも小さい変更だと感じました。

今回の変更で最も大きいのは、佳作(今度から準りぼん賞)=デビューということにすることでしょう。今までは、準りぼん賞では即デビューでしたが、佳作ではS・B賞(シーズン・ベスト賞)によってデビューできたり、できなかったりしていました。これは、S・B賞の無意味化であると思います。「りぼんNEW漫画スクール」でデビューする人のほとんどが、今までは佳作だったわけで、それが即デビューとなると、デビューしやすくなる一方、S・B賞がある意味がなくなることになります。今の努力賞(今度から佳作)の人をふるいにかけるということになるから。

「わかりにくいと不評だった」(どこがわかりにくいんだろう。佳作の作品をデビューできるレベルのある作品かどうか、3ヶ月後に一度判断するというのはわかりやすいでしょう。ただし、審査員の負担は軽くなるのは確かなので、漫画家の負担軽減の意味が絶対に含まれていると思う。)というS・B賞は、1981年8月号に「りぼん漫画スクール」が「りぼんNEW漫画スクール」(第142回)と名称が変更したその際に生まれたシステムです。

「りぼん漫画スクール」から「りぼんNEW漫画スクール」への変更は、今回の変更よりも大きいものでした。現在、「りぼんNEW漫画スクール」常識となっていることはすべてこの時に生まれたものであるといっても過言ではありません。
まず、点数の付け方を具体的にしたもの。スクールの点数は、絵・ストーリーの部分は細かくそれぞれ3つに細分化されて評価されていますが、それが始まったのがこの時でした。(もう一つ、センスという項目がありますが、個人的にこの項目は“新人の漫画センス”って何だろうと思うと、“将来性”のことじゃないかと思っています。でも、将来性とかすると問題あるでしょうから。このあたりが上手いという感じ。)
さらに、もうひと息賞にも点数が表示がつけられ、A、B、Cクラスの作品にも欠点対策マーク(ハート、ダイヤ、クローバー)もつけられました。

そして何よりも大きい改革が、S・B賞の創設でした。それまでの「りぼん漫画スクール」では、S・B賞はなく、準りぼん賞はデビューしていましたが、佳作以下のデビューについては随時という感じで読者側からは不明確でした。
それを3ヶ月に1回(第1回目は8月号でしたが、その後は3、6、9、12月号にS・B賞発表ということが明確となっていきます。)改めて再審査することで読者側にとっては、「りぼん新人漫画賞」のように、「受賞したからデビューします」という前置きとなり、わかりやすさを提供してくれたシステムだったと思います。今後、S・B賞がどのような形になるかはわかりませんが、年に4回=シーズンベストというネーミングも私は好きなので、いい形で残していってほしいと思います。

さて、今回の変更で、今後は準りぼん賞が今の佳作になるということで、一部ですが、今までのりぼん賞・準りぼん賞について触れておきます。

  • りぼん漫画スクール…りぼん賞
    1974年4月号「すみれ色の季節に」(内田善美)
    内田善美先生は、最初は今はなき『りぼんコミック』のマンガスクールに投稿されていましたが、『りぼんコミック』が休刊になったのを期に『りぼん』のマンガスクールに投稿先を変更。4回目の投稿で、りぼん賞を受賞されました。
    編集部の評価は、「将来性十分です」「とにかくセンスがあり今後、期待できる人です」などと書かれていたそうです。(内田善美「星の時計のLiddell」より)
  • りぼん漫画スクール…準りぼん賞
    1979年7月号「心にそっとささやいて」(水沢めぐみ)
    今も『りぼん』の漫画家として活躍中の水沢めぐみ先生は、高校生の時に準りぼん賞でデビューし、将来を嘱望されている作家でした。
  • りぼんNEW漫画スクール…準りぼん賞
    1983年4月号「お父さんは心配症」(岡田あーみん)
    岡田あーみん先生は準りぼん賞でデビューするという華々しいデビューを飾っている作家です。苦難の道をたどり、『りぼん』で裏街道とかいうのではなく、本誌連載も即ですし、実は表街道をひた走った作家であったと私は思っています。
  • りぼんNEW漫画スクール…準りぼん賞
    1987年10月号「涙のメッセージ」(椎名あゆみ)
    現在も『りぼん』で活躍中の椎名あゆみ先生のデビューは、今まで「りぼんNEW漫画スクール」で私が最も印象的だったことです。この後、準りぼん賞はでなくなるわけですが、準りぼん賞なんてという衝撃がりぼん中駆け抜けてたという感じでしたから。椎名先生は即本誌読み切り→本誌連載という順調な活躍をその後見せることになります。

「りぼんNEW漫画スクール」では、現在までのところりぼん賞は出ていません。
今回の改革は「りぼん新人漫画賞」の入選・準入選に、「漫画スクール」のりぼん賞・準りぼん賞とのあわせる狙いもあったと思われます。「りぼん新人漫画賞」では、入選・準入選までが即デビューなのに、「りぼんNEW漫画スクール」では佳作がデビューでしたから。
ちなみに「りぼん新人漫画賞」のトップ賞である入選を受賞した作家は、46回の「りぼん新人漫画賞」の中で太刀掛秀子先生ただ1人です。「漫画スクール」のは372回で5人ですから、数値的にあうということになるんです。

1981年8月号にこんな文章があります。

担当者より
NEW漫画スクールはいかがでしたか?疑問点、ご要望がありましたらお知らせ下さい。このページをより楽しくするために……。

漫画スクールを担当していた編集者は、投稿者だけのために漫画スクールを作っているのではなかったのです。読者みんなが楽しめるそんなページを目指しての改革だったことが読み取れます。漫画を投稿していなくても、漫画スクールを読むのを楽しみにしている読者も多いと思います。昔にこんな編集者がいたからこそ、今も楽しめる方向性にあるのではと思います。今後はどうなっていくかはわからないですけれど。

私は1984年あたりの「りぼんNEW漫画スクール」が好きです。私が『りぼん』を読みはじめた前後の時期なのですが、国会図書館で最初に閲覧したときに、独特の口調での厳しい一言や、余白へも飛び出して語る熱さなどに驚いたのです。
「りぼん新人まんが傑作集」の創刊や、現在では3巻目となった「まんが虎の巻」を最初に作ったのは時期のことです。『りぼん』の部数が爆発的に増加を開始する以前のことだからかもしれませんが、必死さと気合いを感じたのです。(今はさしずめ、余裕と貫禄といったところでしょう。)『りぼん』が必死になっている姿を私はほとんど見たことがないので、(70年代初頭の『りぼん』を見ても、すでに貫禄がある雑誌なのですから。)それが面白かったのかもしれませんけれど。

あと、「りぼんNEW漫画スクール」が「りぼん漫画スクール2001」になっても通算回数は変えないと思います。折角、「りぼん漫画スクール」・「りぼんNEW漫画スクール」で、通算第374回も積み上げた漫画スクールの回数を0にするのは、創刊45年という数字を0にするのと一緒でもったいないでしょうから。(「りぼん漫画スクール」から「りぼんNEW漫画スクール」への変更時にも変えませんでしたし。)

「りぼん漫画スクール」から「りぼんNEW漫画スクール」に変えた渡辺浩志編集長(1976年7月号〜1985年11月号)の『りぼん』の時代は、“陸奥・田渕・太刀掛・篠崎・佐藤”→“池野・萩岩・高橋・小椋・本田”へ『りぼん』がシフトした時代です。
着任5年目の1981年8月号に変革を行ったわけですが、今から考えるとこの漫画スクールの変革がいろいろな意味で今の『りぼん』を形作ってきたと思います。

今井鈴人編集長は1996年5月号に編集長になられたわけですが、“池野・水沢・矢沢”→“種村・高須賀・藤井”へ『りぼん』はシフトしたりとか、着任4年目の2001年1月号での変革ということで、似ているなと思うのです。ということは、今回の変革の成果も、今井鈴人編集長が変わった後出てくるののかなと思います。それを見るのは、今のりぼんっこでなく、これからのりぼんっこでしょう。


8.
関連誌の発行部数
**Review**の「雑誌発行部数から見えるもの」でも、関連誌については触れていません。
『りぼん』の関連誌(『りぼんオリジナル』・『りぼんびっくり増刊号』・『りぼんおたのしみ増刊号』)の発行部数について触れておきます。

触れない理由は、単にデータがないからです。日本雑誌協会には、『りぼん』以外のデータはありません。「新聞雑誌総かたろぐ」には、『りぼんオリジナル』以外の『りぼん』関連誌のデータはありません。
データがない理由は、国会図書館で、『りぼん』・『りぼんびっくり増刊号』・『りぼんおたのしみ増刊号』の整理番号(Z32-290)が一緒だからだと推測しています。(『りぼんオリジナル』は整理番号が別なため、「新聞雑誌総かたろぐ」では別な雑誌として扱われています。)

1991年以降の『りぼんオリジナル』の発行部数は以下に示すとおり、細かい変動がない・切りのいい部数表示に妖しさを感じたので、HPでは扱っていません。

年度 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000
りぼん 230 240 240 240 228 228 182 162 136 132
りぼんオリジナル 40 40 40 40 40 40 35 35 35 21

<注意>
・単位:万。
・“1999”は1999年3月時点での公称の発行部数で「2000新聞雑誌かたろぐ」からの引用です。(他の時期も同様)

『りぼんオリジナル』の発行部数はを推定します。
1991年での発行部数の比率が、『りぼん』:『りぼんオリジナル』=5.75:1なので、それを1999年に当てはめると『りぼんオリジナル』は23.6万部となります。
このことから、私は35万部という数字よりも、25万部あたりが妥当でしょうと思っています。

『りぼんびっくり増刊号』・『りぼんおたのしみ増刊号』の発行部数はどれくらいなのでしょうか?
『コミック・ファン』1999年04号P69の少女誌編集者のインタビューを引用します。

本誌よりも『ザ・マーガレット』や『ザ・フレンド』『デラックス別冊少女コミック』だったりといった、ぶ厚い少女誌が好評らしいんです。というのも、作家や作品で選ぶというよりは、“まんが”を読みたいから買うというかんじらしくて、とにかく量が載っているものを買うみたい。あえていうなら、そういう子たちはまんがを読まない子に入るかもしれない。月刊誌を毎月買う子としては想定できないですからね。

『ぶ〜け』が休刊して、『Cookie』として生まれ変わりましたが、『ぶ〜け』の“ぶ厚い”関連誌『ぶ〜けデラックス』は残りました。これは『ぶ〜け』の名前を残すとかいうことではなく、単に『ぶ〜けデラックス』の方が売れていたからだそうです。(『りぼん』出身・『ぶ〜け』でも活躍していらした中野サトミ先生のHP・Small S(What I'm doin' now、2000年2月/2)より。文章のテーマとは関係ないですが、Profile「りぼん」長編賞に入賞しデビューするが担当さんと折合わず挫折?プロの漫画家が楽しいことばかりじゃないと思い知る。」と、What I'm doin' now2000年2月/2の編集者への感謝の言葉を見ると、挫折があった中で成長されたのだなと感じました。)

以上のことから、近年はぶ厚い少女誌は好調であるらしいのですが、上の文章はは読み手である少女たちの顔が見えてこないという流れで出てきたので、「たとえ読者に大人がある程度いようと、幼年誌で小学生向けであるというスタンスを崩さないことで」という文章も同ページにあることから、『りぼん』においてぶ厚い関連誌が好調であるかはわかりません。

しかし、最近の『りぼん』の漫画スクールの応募数の増加を見ていると、読者=漫画家志望増えているという傾向を感じます。漫画家志望の読者は新人漫画家を身近な存在に感じるものです。(反対に、『りぼん』歴が長くなるほど、自分がデビュー時・ブレイク時から知っているキャリアの長い漫画家に親近感を感じます。)
新人漫画家の作品(ご贔屓の漫画家の作品)を読むために関連誌まで買う読者は多いはずです。このようなコアな読者が増えているのでのであれば、
『りぼんびっくり増刊号』・『りぼんおたのしみ増刊号』の部数は、本誌が落ち込みよりは悪くはないなのではないかと想像されます。

しかし、「とりあえず漫画を読みたいから関連誌」ではなく、「この作家・作品が読みたいから関連誌」となるためには、本誌(月刊誌)を買ってくれる読者を増やしていくことが重要だと思います。『りぼんオリジナル』の発行部数をマメに修正しないのは、「本誌をなんとかすれば関連誌はついてくる」ということのように思えます。今の『りぼん』関連誌は、『りぼん』の関連誌についてで書いたように独自の路線は薄いですから。

ということで『りぼん』関連誌の発行部数は、十分なデータはないですし(推定など当てにならない)、数値を見ることよりも傾向を掴むことが重要なので(上がったのか、下がったのか、他誌と比較してどうなのかといった)本誌を見れば十分ではないのかと私は考えています。


9.編集長の存在

漫画雑誌のファンページは数多くあれど、トップに編集長の言葉を載せているページも珍しいのではないでしょうか?
読み始めた当初から意識していたわけではありませんが、私は『りぼん』を読む際に、編集長の存在を意識しています。

私が『りぼん』を読み始めた当時は、編集長の顔写真が『りぼん』に載る事も珍しいことではありませんでした。りぼん新人漫画賞の選考風景での写真では、漫画家の方に混じって編集長がいたりなど、意識するというよりもまるで空気のような存在でした。

私が意識するようになったのは「お父さんは心配症」(岡田あーみん)からです。「お父さんは心配症」には、編集長がちょくちょく出て来て、作品の危ないネタに警告を発したりしているのです。岡田先生の次の連載「こいつら100%伝説」でも、編集長が主要キャラ3人を暗殺させる計画を立てるという話などもあります。
岡田先生の作品を読んで、編集長にマイナスのイメージを持つ人はいないでしょう。完全に面白い存在として頭にインプットされました。

その後、私は自分が読み始める前の『りぼん』の漫画家・作品にも興味を持ち始め、漫画関連本を読むようになりました。その中にいくつか、編集長の存在を強く意識せざるおえないようなものがありました。
まずは、「たそがれ時に見つけたもの−『りぼん』のふろくとその時代」(大塚英志)。
これは、70年代前半から80年代初頭にかけての時代を、『りぼん』のふろくという観点から社会学的に分析した本なのですが、編集長により、『りぼん』の考察を行っている部分があります。こういう見方もあるのかと思って衝撃を受けました。
さらに、元『少年ジャンプ』編集長の西村繁男さんの著書を3冊(「さらばわが青春の少年ジャンプ(ハードカバー・文庫共)」「まんが編集術」)。
これは、かつて編集長であった方が書かれたものなので、意識しないわけにはいきませんでした。

編集長 期間
長野規 1955年 9月号〜?
梅村義直 ?〜?
木曽義昭 ?〜1974年 5月号
徳永孝雄 1974年 6月号〜1976年 6月号
渡辺浩志 1976年 7月号〜1985年11月号
山田英樹 1985年12月号〜1992年 4月号
中森美方 1992年 5月号〜1996年 4月号
今井鈴人 1996年 5月号〜2001年 8月号
村井憲司 2001年 9月号〜

上記は、歴代の『りぼん』の編集長とその就任期間を示した表です。

■長野規1955年 9月号〜?)
初代編集長の
長野規さんは、『りぼん』と『少年ジャンプ』双方の初代編集長です。(『りぼん』の方が先に創刊されたので、『りぼん』と『少年ジャンプ』は姉弟関係になります。)
『少年ジャンプ』の3本柱である「努力・友情・勝利」のように、『りぼん』の3本柱「愛・夢・笑い」も、
長野規さんが編集長をされていた時代に決められたものであるかどうかという点が私は気になります。
また、「さらばわが青春の少年ジャンプ」によると、『少年ジャンプ』の方針は手探りの中で決められていますが、『少年ジャンプ』と『りぼん』は雑誌の方針が重なっている部分があるように感じられるので、その関係が長野規さんによる部分があるのかとうかも気になります。

長野規さんから、木曽義昭さんまでの編集長の経緯は不明です。
編集長は、雑誌の奥付で確認しているのですが、国会図書館にある70年代前半の『りぼん』はすでに製本されており、奥付を確認することは不可能なのです…
『りぼん』は、1967年にりぼん新人漫画賞を創設しています。りぼん新人漫画賞の創設は、雑誌の方針として大きな影響与えたと思うので、この時代の『りぼん』の編集長の存在は気になるのですが。

木曽義昭(?〜1974年 5月号)・徳永孝雄(1974年 6月号〜1976年 6月号
木曽義昭さんと、徳永孝雄さんの時代の『りぼん』の特色は、
たそがれ時に見つけたもの−『りぼん』のふろくとその時代」に詳しく記載されています。
簡単にいうと、木曽義昭さんの時代は、24年組時代(一条ゆかり・おおやちき・もりたじゅん・弓月光etc.)、徳永孝雄さんの時代は、乙女ちっく創成期(陸奥A子・田渕由美子・太刀掛秀子etc.)といえます。

渡辺浩志(1976年 7月号〜1985年11月号
次の編集長の渡辺浩志さんの時代は、乙女ちっく最盛期からポスト乙女ちっく時代(小椋冬美・高橋由佳利・萩岩睦美・池野恋・本田恵子etc.)といえます。
私が『りぼん』を読み始めた時期の編集長は、渡辺浩志さんでした。

渡辺浩志さんに関しての気になる事は、70年代初頭から1981年1月号まで、『りぼん』の読者のコーナーの担当編集者の“ひろし”が渡辺浩志さんを思い浮かべてしまったのですが、これは鶴谷浩三さんです。また、初代という言い回しから、“ひろし&りぼんネーサン”が象徴的な存在であることも確認できました。

一条ゆかり先生の元アシスタントで、のちに『りぼん』出身漫画家のみなもと太郎先生の奥さんとなられる後藤静香さんが、『りぼん』の読者コーナーを担当(りぼんネーサン)されていました。後藤静香さんの存在は、BSマンガ夜話の「ホモホモ7」(みなもと太郎)で、いしかわさんが話題とされたり、集英社文庫コミック版「すくらんぶる★えっぐ」の解説エッセイで姫野カオルコさんも触れられていて、当時の読者としては印象的なことだったと思われます。

後藤静香さんは、『りぼん』の編集者でもなく、『りぼん』の漫画家でもありません。そんな方が、いきなり読者コーナーに出て来るのは不自然な話です。しかし、読者コーナーの担当編集者が、一条ゆかり先生の担当もされていたのなら、アシスタントさんが出てくるのは不自然ではなくなるのです。

鶴谷浩三さんはもりたじゅん先生の担当もされていて、1974年に『non・no』編集部に移動されました。後に『non・no』編集長となられたのですが、編集長であった1990年前後(「一条さんちのお献立て」より。初版が1990年7月18日。)の一条先生の仕事を見てみると、『non・no』に関わる仕事を2回されています。元担当さんが編集長をされている雑誌でお仕事だったというわけです。

『少年ジャンプ』の純血主義は有名ですが、『りぼん』は、徳永孝雄さんは、『週刊セブンティーン』から、『りぼん』に来て、いきなり編集長を勤められた方ですし、今井鈴人さんも、いつかはわかりませんが、当然『別冊マーガレット』からいらした方なので、『りぼん』の編集者は純血種ではないのです。たぶん、渡辺浩志さんもどこかから来た方だと思われます。

山田英樹(1985年12月号〜1992年 4月号
山田英樹さんの時代は、“躍進期”といえます。「ちびまる子ちゃん」・「姫ちゃんのリボン」のアニメ化を始め、『りぼん』にメディアミックスの風を起して部数を上げました。
山田英樹さんは、「お父さんは心配症」・「こいつら100%伝説」に出てくる編集長です。その後、「少女コミックを描く」(NHK趣味百科)で顔写真を拝見したのですが、岡田先生の描いている絵に特徴が上手く出ていて、笑ってしまいました。

中森美方(1992年 5月号〜1996年 4月号
中森美方さんの時代は、“バブル期”といえます。『りぼん』が最大の発行部数を記録して、さらに部数の伸びに陰りが見え始めた時期です。
中森美方さんは、現在は『マーガレット』の編集長ということで、『マーガレット』にいる『りぼん』出身の漫画家には影響があったものと思われます。(浦川まさる先生は中森さんが担当だった時があったようですし、柊あおい先生は「銀色のハーモニー」時代、副編集長が担当だったらしいので、その副編集長が中森さんという可能性もありますし。(副編集長の人数は、『コーラス』では1人ですが、『少年ジャンプ』3人で、『りぼん』も編集部の規模から考えると、2人ぐらいはいそうだからあくまでも推測です…)

『りぼん』の改革としては、関連誌の拡充があげられると思います。部数が増えたじきなので、デビューする漫画家の数も増え、部数だけれはなく漫画家の数もバブル状態で、それを補うために、『りぼんオリジナル』の隔月刊化や増刊号の増強・創刊などを行いました。今の『りぼん』の関連誌の性質は、この時期の影響は非常に現れていると思います。

今井鈴人(1996年 5月号〜2001年8月号
1996年の時点で、私は完全に編集長の存在を意識するようになっていたので、変わったことを知り、『りぼん』の今後を考えて身震いがしました。

普通は編集者の名前はわからないものなので、編集長の名前も着任されてから始めて知るわけですが、私は今井鈴人さんの名前を知っていました。
くらもちふさこ先生の作品で「わずか5センチのロック」(1976年2月号『別マ』掲載)から始まるバンドグループ“蘭丸団”のシリーズがあるのですが、蘭丸団のボーカルが“今井鈴人”なのです。
蘭丸団のドラムスは“甘利博正”なのですが、現在の白泉社のコミックスの発行人に甘利博正さんのお名前があり、くらもちふさこ先生が当時の『別マ』の編集部にいた方の名前を使ったのは明らかです。

そして、「くらもちふさこの本」(集英社、別冊マーガレット特別編集、1985年)で確認したら、P132に今井鈴人さんを発見しました。

I氏■芸名・チャーリー今井。カラオケの名手。(へんしゅーよりタレントのマネージャーの方が、似あいそう。)ジョークのキツさも、なかなかだが、人あたりはとってもやさしい、おにーさま。
(“おにーさま”が濁点で強調されています)

今井さんがカラオケの名手だから、蘭丸団の今井鈴人がボーカル担当だったんだなと気がつきました。しかし、これを読んだがために、今井鈴人さんを心の中では“チャーリー今井”と呼ぶ始末…
Tailさんのご協力により、『りぼん』編集長・今井鈴人さんの写っているVTRを見たのですが、くらもち先生が描いた似顔絵そのままで、山田さんの時に続いて、またも笑ってしまいました。似顔絵は15年も前のものなのに髪型もいっしょですし、見事に特徴をとらえていました。
心理描写も巧みなくらもち先生のことですし、きっと性格もご指摘通りの方なのでしょう。
別に編集者さんの写真を見てもどうしようもないですが、似顔絵プラスだと面白いものです。

さて、現段階での、今井鈴人さん時代の『りぼん』の印象は、“再建”です。
今井鈴人さんが編集長になって以降、『りぼん』の部数が上がった事はありません。(1999年5月現在ですが。)部数が下がりつづける状態でバトンタッチをされた部分が、今までの編集長の交替ではなかったことだと思います。

「出版社の徹底研究」(1998年『創』)という記事の中で、『少年ジャンプ』編集長の鳥嶋和彦さんのインタビューが載っています。
その中で、鳥嶋和彦さんは「新陳代謝、新人の入れ替えは実を結んでいます。」と新人の育成に力を入れている点を最初に触れています。
「ある時期ジャンプ』を支えた顔の人達が戻ってきてくれている。だから新人には頑張ってほしいと思っています。」という感じで、ベテランに話が移っても、新人に話が戻るという状態でした。
2000年11月6日の日本経済新聞(朝刊)に、「首位マガジンにジャンプが肉薄」という記事で『少年ジャンプ』の部数が底を打って、2誌の部数が接近してきたことを伝えています。
記事の中盤には「明暗を分けたのは新旧作品の交代。集英社は三ー四年前からジャンプの作品を大幅に入れ替え、低年齢読者を意識した新人漫画家の作品を強化した。」とあり、鳥嶋和彦さんの狙ったことが成功していることが読み取れました。

『りぼん』は『少年ジャンプ』のように、編集長のインタビューも、記事もないので推測するしかないのですが、『りぼん』と新人漫画家の関係からは、1997・1998年のデビュー率の異常な上昇が読み取れますし、漫画家年齢・漫画家歴リストからは、1996・1997年に積極的に新人漫画家にチャンスを与えていることが読み取れ、『少年ジャンプ』と似たような意図を感じました。

また、1999年以降は、デビュー率も元に戻りましたし、新人漫画家に与えるチャンスも通常の状態に戻りましたが、1998→1999年には、池野恋・水沢めぐみ先生を、1999→2000年には矢沢あい先生を放出するなど、『Cookie』創刊を期に順次入れ替えを行っていこうという意図が、引き続きあることが感じられます。

今井鈴人さんが現在までに行った印象的なことは、『Cookie』の創刊と漫画スクールの改革です。
『Cookie』の創刊号の編集長は『ぶ〜け』の編集長さんなので、直接は関わりないように思えるのですが(『りぼん』の増刊号の時の『Cookie』の編集長は当然今井鈴人さん)、『Cookie』の位置づけは、『りぼん』のお姉さん雑誌(
『コーラス』のHPより)な訳で、実際に『りぼん』の漫画家が行き来しているので気になるのです。
漫画スクールの改革については、
ここに書いたように今井鈴人さんが編集長を下りた後に結果が見えてくるものだと思います。

部数が底打ちしたというデータを手に入れてはいませんが、派手ではないですが、努力はしているという印象を持っています。

ただし、失策もあると思います。それは、1999年1月号の別冊ふろく秋本治「N少女いずみ」・「こちら葛飾区亀有公園前派出所」と、「ファンシーララ」です。
前者については、ここでも記しましたが、新人を育てるという基本から逸脱した行為で、二度とやってほしくない企画です。『りぼん』の読者は、何のために『りぼん』を読んでいるかというと、『りぼん』の漫画家のマンガを読みたいからであるという事を見失われては困ります。
後者は、何だったの?って感じでした。マンガ連載開始と同時にアニメの放映がはじまったのですが、なんの盛り上がりもなく終わったという感じがします。何を考えていたのかその意図すらわかりませんでした。「神風怪盗ジャンヌ」のアニメ化も中途半端って感じでしたが…秋本治さんの別冊ふろくとは違って、怒りは感じませんでしたけれど。(あらま失敗だったね、みたいな感じで。)


以上に述べたように、編集長毎に『りぼん』を斬ってみると、それぞれの時代の特徴が明確に見えてくるような気がします。


10.欄外コーナー

『YOU』の2001年No.1・2合併号を買いました。「Dekomaru通信」(太刀掛秀子先生のエッセイマンガ)のため、当分の間『YOU』を定期購読することになります。『YOU』を買ったのは、2000年No.3(本田恵子「いちげんさん」掲載)以来になるので、ほぼ一年ぶりです。

『YOU』は、いつもは定価340円らしいのですが、合併号ということで、ふろく付きで値段が380円でした。直前に、2000年『りぼん冬休みおたのしみ増刊号』を買っていたのですが、これと偶然に同じ値段だったのです。
しかし、以前に書いたように『りぼんおたのしみ増刊号』の満足度は散々でしたが、反対に『YOU』はとても満足できました。この事実に多少なりともショックを受けました。

もちろんこれには、私の年齢が関係しているとは思います。私は24歳ですが、この年齢は『りぼん』よりも『YOU』にの対象年齢に近いわけですから。あとは、関連誌というもの自体が私の肌に合わない可能性も考えられます。
でも私は、本当に『りぼん』が好きで長年読みつづけていますし、想い入れがありすぎて他の方が作成されたページでは想いがおさまりきれず、自分でファンページを作って暴れているくらいです。
反対に、『YOU』はほぼ初見です。出筆されている漫画家も、太刀掛秀子・田渕由美子先生方(ご存知のように『りぼん』出身の、『りぼん』で一時代築いた漫画家両名)以外は、名前は知っていても作品はほどんど知りません。

マンガは本誌と関連誌の番外編を比べても仕方ないのでしませんが、『YOU』は欄外コーナーなども楽しめました。
“21世紀に望む漫画!!”というテーマで、読者のコメントが並んでいるのです。『りぼん』の“りぼんっ子名鑑”がつまらないと感じていたので、『りぼん』でも“21世紀に望むりぼん!!”とかでやればいいのにと思いました。

私は最近ずっと『りぼん』の欄外コーナーにつまらなさを感じています。きっと大量に応募がきて、イラスト付きということもあって、印刷に出すまでの作業も大変なんでしょうけれど、だからなんだという気分です。
似顔絵ではなく、文を手書きにすると、『別マ』・『花とゆめ』とかはその路線だった記憶があるので、真似したくなかったのかもしれませんけれどその方が面白いですし、『コーラス』の“はみだしVoice”は、企画は単純ですが、コメントが作品と絡んでいることが多く楽しめます。

欄外コーナーは、文通相手の希望から始まりましたが、これは無理だと思います。
“○月生まれです”は、短かったので不評だったのかもしれませんが、テーマ的にはつまらなくても1ページに2人載ったので人数がかせげていたので、掲載率の面からはいい企画だったと思います。
“わたしのなんでも自慢”はテーマ的には面白いのですが、期間が長すぎて飽きましたね。
その後が“りぼんっ子名鑑”となるわけですが、私はこれが一番つまらなさを感じています。

テーマを考えるのは大変なことではないはずです。毎月テーマを変えろとは思いませんが、もっと読みものとして楽しめる企画にしてほしいものです。りぼんっこの本音がみえてくるようなもので、投稿自体がアンケートを兼ね備えている具体的なテーマがいいと思います。

私は自分が『りぼん』の話がしたいだけなので、「Love Dream Smile」はコミニティの要素はほとんどありません。(管理人が裏方に周るのが、コミニティ系のサイトだと思っています。私は自分が語って表に立っているので、正反対。)
ご存知のように、今の『りぼん』関連サイトの中心はコミニティ系の要素が強いサイトです。誰かの意見を聞いたり、誰かと交流したいというよりは、いろいろな人の意見を聞き、いろいろな人と交流し、そして自分も発言していきたいとりぼんっこが望んでいることの証明だと思います。

誌面では交互に交流はできなくても、ちょっとした意見の主張をできるような場所にできる可能性が、欄外コーナーにはあるのではないかと思います。(読者コーナーでは交流の方に重きがおかれるますが。)
『りぼん』の欄外コーナーが面白くならないかなと、『YOU』を読みつつ感じてしまいました。


11.りぼん編集部

ここ最近に、村井編集長に変わってからの初の本格的な漫画家の担当替えがあったようです。これからが村井体制のスタートなのだと思います。

『りぼん』編集部にいる編集者の数ですが、10人だそうです。(2002年8月時点)

村井編集長(♂)、松田さん(♂)、トミー(♂)、キクゾー(♂)、まっち(♀)、小池さん(♂)、ハンちゃん(♂)、ジョバンナ王子(♂)、ぢぶさん(♂)、モリー(♀)

これで10人です。

しかし、改めて考えると『りぼん』の編集部のメンバーの若さに驚くばかりです。(すぐに、私と同世代が中心編集者になるのかと思うと…)

ちなみに、読者コーナー担当の“まこ”は架空のキャラで、そのような編集者は『りぼん』にはいないそうです。直接確認したことなので間違いありません。(まこは、ジョバンナ王子なのか、おおいま奏都先生なのかわかりませんが。)

まこがいないとなると、問題は2002年6月号の“王子とマコちゃん、どっちが主役にふさわしい?”がヤラセであることになります。
投票が実際にジョバンナ王子が多かったかもわかりません。これはウソをついていないとしても(これがウソだったらジョバンナ王子には読者コーナーから即刻読者コーナーから降りてもらわないと。今の世の中は、ウソは許さないわけ。1つのウソですべての信用を失う時代です。)、投票がジョバンナ王子よりもまこが勝った場合、まこがいないのでは問題になるわけです。つまり、最初からジョバンナ王子が投票が多いことがわかっている、ヤラセなわけです。

なんで、こんなことになってしまったのでしょう。まこがいないので残念ではありますが(女性編集者に活躍してほしいわけで、他の女性編集者に期待ってことで。)、そのことが問題ではありません。
読者コーナーとは、『りぼん』の若手編集者が読者の声を真摯に受け止めて(読者コーナーは大変なわりに、見返りがないところ。)『りぼん』が漫画家だけでなく、編集者も頑張っているところが見えるコーナーなのだと思います。
それをヤラセでコーナーを盛り上げたり、『りぼんオリジナル』の読者コーナー「なんでも屋ぷくぷく堂本舗」のように、キャラのみで構成したりと(佐藤キリエ先生の努力むなしく、ちっともおもしろいと思いません。)、違う方向に行っている気がします。

「ジョバンナ王子のうらら王国」がはじまった時点では、現在はわかりませんが、ジョバンナ王子のおおいま先生の担当編集者では(小池さんが担当)ありませんでした。
「ジョバンナ王子のうらら王国」以前は、読者コーナーの担当編集者が読者コーナーの作画担当の漫画家の担当編集者であったと思われます。読者コーナーの歴史は長いのですが、編集者と作画担当の漫画家で組んでの読者コーナーは「みーやんのとんでもケチャップ」以降のことです。(『りぼん』2002年1月号感想、参照。)「ふろくファンルーム」でも木月先生の担当はまっちではなくハンちゃんでしたが、「ふろくファンルーム」は今までも関係ない時が長かったので意識しませんでしたが。
おおいま奏都先生の採用に関しては、『りぼん』側からのプッシュとみられますが(読者コーナーの担当は漫画家が表に出てきますので、他のコーナーとは重さが違います。担当ではない漫画家を持ってくるということは、プッシュされてのことだと考えられます。)、ジョバンナ王子の担当している漫画家で何が問題だったのかはよくわからないところです。(読者コーナーにふさわしい漫画家はたくさん抱えていらっしゃるはずなのに。)

ただが読者コーナー、されど読者コーナーと感じることですが、『りぼん』側の気のゆるみや、力みを感じるなと思いました。

『りぼん』を取り巻く環境は、決して楽ではありません。その中で最たる問題が部数に関するものでしょう。
2002年9月号に『ちゃお』表紙に部数が100万部を超えたという大きな文字がありました。とはいえ、私は『りぼん』が、『なかよし』や『ちゃお』に部数で抜かされるとはまったく思っていませんが、『りぼん』に元気を出してほしいとは思っています。

『少年ジャンプ』が『少年マガジン』に部数を抜かされる例から考えると、部数の逆転の要因に

  • 人気作品の連載終了
  • 読者層が他誌に挟まれる

が挙げられています。(「低迷・少年漫画誌」の研究続(?)・少年マンガ国盗物語、参照)

人気作品に関しては、キャラ・作品重視の企画主義を取る『ちゃお』・『なかよし』の方が、メディアミックスよりも、漫画家の人気で雑誌を引っ張る『りぼん』の方が影響は少ないと思われます。(また、ベテランに走らず、次々と新人を繰り出すことで読者を引き付ける手法は守っている。)

読者層に関しては、『りぼん』は他誌よりも高く推移していることから、低年齢層(小学生)を『ちゃお』や『なかよし』に取られている可能性はあると思います。
高年齢層の読者に関しては、『クッキー』、『マーガレット』、『別マ』への移行があると思います。しかし、人気漫画家を確実に囲い、『りぼん』の中心漫画家もそろって集英社の雑誌で活躍している現状では、『りぼん』を読むのを辞めても、単行本単位で集英社の作品を読んでいる読者は多いと思います。『りぼん』の読者層を広げる意味もありませんし、高年齢層に関しては、集英社全体からのみれば問題はないと思います。
『りぼん』は、小学校高学年〜中学生を確実に押さえる必要があるわけです。現状を見ていると、『りぼん』のターゲットは、アイドルとオシャレとかわいいキャラ好きの『ちゃお』、『なかよし』の小学生ではなく、ファッション誌と男の子に興味を持ちはじめた中学生を狙っているように感じます。

私はファッションはマンガの中で完結させるのがいいと思うのですが、ふろくにいれたりかなりの力のいれようです。
ファッションを本格的に取り入れたいなら、ファッション誌とのタッグを組むと面白いと思うのですが集英社にはローティーンファッション誌(『プチレモン』、『ラズベリー』、『ニコラ』等。ちなみに私は小学生の時には、『プチレモン』とか『レモン』を読んでいました。)がないので、ファッションブランドとか、デパートとあわせた取り組みを模索してもいいと思います。(すでに、ファッション誌とブランドやデパートは組んでいます。マンガ雑誌の市場はファッション誌よりも大きいのだから、確実に面白いものになるはず。)

とにかく、作品の人気が雑誌の売り上げにつながらない時代です。『ちゃお』、『なかよし』のように、ふろく攻撃により雑誌の発行部数を上げようとするのは楽な手法だと思います。(ただ、宣伝費や、ふろくのラインナップから考えて、『ちゃお』は『りぼん』よりもかなり原価率が高いことが想像でき、売り上げではなく、利益の面からはかなり厳しい手法でしょう。最近は単行本もふろく付きが多く出回り、単体では売る自信も、売れる保証もないのでしょう。)それに、『りぼん』の作品の単行本の売り上げは、『なかよし』・『ちゃお』は単行本の売り上げとは比較にならない規模だと思います。

しかし、『りぼん』が『ちゃお』や『なかよし』よりも何が優れているかというとブランド力・漫画家の力でしかなく、編集者の力ではないと思います。
村井編集長に変わってからの『りぼん』は、ふろくに走ることももなく(特別ふろくとかかなり中途半端。最先端を走ることなく、時代の流れに適当に載っているという感じ。)、メディアミックスに走ることもなく(「満月をさがして」のアニメ化、「GALS」のゲーム化にしても、単体で人気がでているとは思えません。あくまでも、『りぼん』のマンガ作品をアニメ化しました、ゲーム化しましたレベル。)今までと変わらない『りぼん』の方針を受けついでいるように思います。

今後の『りぼん』がどうなっていくのかは本当に楽しみなところです。


12.新人漫画家とデビュー時期との関係

新人漫画家の『りぼん』においての重要性はりぼん新人漫画賞が起動に乗り出した70年前後から変化はないと思いますが、『りぼん』の漫画家の新人とベテランの構成は、時期により大きく異なっています。(『りぼん』における新人漫画家の意味・重要性は、『りぼん』と新人漫画家の関係を参照下さい。)

りぼん新人漫画賞が創設された1968年〜2000年の間に『りぼん』でレビューした漫画家の中で、本誌連載3作以上(20ページ未満のショート作品においては2年以上)連載した漫画家をデビュー年毎に並べると(ただし、毎号10ページ未満の作品を連載していた漫画家は除く。連載作品数が3作未満でもトップの人気を得た漫画家はいれるものとする。♪は『りぼん』でトップクラスの人気を得た漫画家。★は表紙・巻頭カラーが未経験の漫画家。〔  〕は今後3作本誌連載することが確実な漫画家であることを示す。『りぼん』漫画家デビューリスト、参照。)

1968年…一条ゆかり、弓月光、もりたじゅん
1969年…山岸凉子、のがみけい
1970年…田渕由美子
1971年…久木田律子
1972年…佐伯かよの、坂東江利子、金子節子、篠崎まこと、大矢ちき
        佐藤真樹、陸奥A子

1973年…太刀掛秀子
1974年…荒井裕子
1975年…なし
1976年…小椋冬美
1977年
なし
1978年
萩岩睦美、高橋由佳利
1979年
池野恋、小田空、樹原ちさと、水沢めぐみ
1980年
本田恵子
1981年
浦川まさる
1982年
楠桂、高田エミ、佐々木潤子
1983年
岡田あーみん
1984年
柊あおい、吉住渉、さくらももこ
1985年
矢沢あい、きたうら克巳
1986年
谷川史子
1987年
あいざわ遥、椎名あゆみ
1988年
大塚由美、森本里菜、倉橋えりか
1990年
長谷川潤、小花美穂、藤井みほな
1991年
彩花みん、高須賀由枝
1992年
なし
1993年
松本夏実、亜月亮
1994年
あゆかわ華、藤田まぐろ
1995年
なし
1996年
種村有菜、〔榎本ちづる
1997年
なし
1998年
朝比奈ゆうや
1999年
槙ようこ
2000年
〔酒井まゆ

表にすると一目瞭然だと思いますが、90年代に『りぼん』でデビューした漫画家は、70年代、80年代と比較して、『りぼん』本誌で活躍する数が少なくなっています。
1998年以降の漫画家は、これからの活躍の可能性もあるので単純に比較はできない部分もあります。しかし、1997年までにデビューして路線にのった漫画家はすでに本誌で試されています。現状を見る限り、その試された漫画家、あるいはそれ以外の漫画家が、今後に『りぼん』で3作以上連載したり、トップの人気を得る可能性はかなり低いと思われるので、やはり少なくなっていると判断せざるおえません。

最近は、デビュー人数は一時期よりは落ち着いてきており、デビュー直後の新人漫画家のフォローも以前よりずっと丁寧に感じます。(かつては、デビュー作から4作以下で消えた漫画家も結構いたものですが。)
また、新人の抜擢もここ最近では多くなっています。今は、新人にとって非常にチャンスが多い時期だといえるでしょう。

人気漫画家を多く搬出した年の後、3年くらいで、『りぼん』ではそれらの新人漫画家が主流となってきました。しかし、発行部数がピークを迎えた1991〜94年の時期から、新人の抜擢が慎重になりはじめ、新人の爆発的なパワーが『りぼん』から薄れていました。
そこへ種村先生が登場。種村先生の人気は『りぼん』における新人漫画家の価値を改めて認識したようにも思います。(まあ、潰れてもしらないからしゃぶりつくすみたいな部分も含めて。プッシュ時の漫画家にはその周辺って異常な雰囲気があるものです。今、文庫になった作品を読むと、当時の異常さが垣間見えたりできます。)

私が『りぼん』を読みはじめた1984〜85年は、別格の一条ゆかり先生、トップは萩岩睦美、池野恋、本田恵子先生、トップのピーク過ぎに太刀掛秀子、小椋冬美先生(トップを極めた田渕由美子・陸奥A子先生はすでに本誌落ち)、本誌の常連に高橋由佳利、樹原ちさと先生、若手に、佐々木潤子、浦川まさる先生、新人は、柊あおい、高田エミ、水沢めぐみ、岡田あーみん、さくらももこ、矢沢あい先生でした。
池野先生のプッシュは種村先生真っ青のものでしたし(今の種村先生のピークぶりなんかかわいいものよ。)、新人は初連載から長編人気作品になるは当り前だは(この時期だけで「月の夜 星の朝」、「エース!」、「星の瞳のシルエット」、「ポニーテール白書」、「お父さんは心配症」、「ちびまる子ちゃん」が初連載での長編大ヒット作。)、ストーリー漫画からギャグ漫画、さらには読者コーナーまでが一体となった今考えたら異常な高揚感がありました。

今の『りぼん』を見ていると、異常さをつくりだそうとしているように感じます。
例えば、最近騒ぐ人が多い「本誌初登場・初連載」だと、所詮企画ものの3ヶ月連載なわけで、「初連載から長編人気作品」の方が異常さはすごいし(新人へのチャンスの与え方を豪華にしただけ。本当にすごい扱いなのは、短期的に本誌へ読み切りを何作も投入することだと思いますが、連載にした方が人気も見やすいですし。)、「高校生連載」も、昔は女子大生漫画家を売りにしてた時代(意外なギャップがあるところでは岡田あーみん先生とか。吉住先生など漫画家になりたかったのではなく、女子大生漫画家に憧れたとまで言っています。今だと理解しにくい部分だと思いますが、吉住先生が最も夢中になった時期の作品はヒロインで大学生とかも往々にしてありましたし、当時の人気漫画家の短大・大学への進学率は高く、女子大生漫画家も非常に多かったのです。)があったことを考えると、取りたてて騒ぐことでもないことです。(売りがクサイということならよくわかるけれど。

私としては、カラーページが減ったりすることの方がよほど大問題。今ほどトップのカラーページが減った時期は、74年から『りぼん』を集めていますがありません。オイルショックで世の中に紙がない時期にだって、『りぼん』が薄くなろうとも、カラーは頑張っていました。)
上で書いた新人の初連載で長期作品はもちろん、別冊ふろく100ページ6ヶ月連続(今のページ数に換算しても50ページ6ヶ月連続読み切り)、ふろくが1作家、1作品の特別編集雑誌とか、今だったらありえないだろうなということは『りぼん』ではたくさんあるのです。

今の『りぼん』を見ると、「本誌初登場・初連載」とか、「高校生連載」とかいう事実そのものではなく、異常な状況をつくってでも、人気漫画家がほしい厳しさと、ようやく目覚めてきたかな(バブルの後遺症でハングリーさを忘れている。)という面白さを感じます。
あとは、結果をだしてくれないと意味がないで、しっかりと結果をだしていってほしいものです。


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