『りぼん』2001年4月号感想

表紙画像

来月号(5月号)の感想は、会社の導入研修が泊まり込みであるため、4月20日以降のアップ予定のことを、最初にお断りしておきます。
来月号から感想が当分きちんと書けないかもしれないので、今月号はたくさん書きました。


先日、東京都立図書館に、少女マンガ雑誌の発行部数を調べに行きました。
少女マンガ雑誌全体については、「また会う約束」のReviewで整理してから取り上げますが、『りぼん』に関する部分だけを速報をおしらせしておきます。

『りぼん』発行部数の減少が止まりました。
『りぼん』の部数は、「2000年出版指標年表」からのものしかなく、これは1999年のデータしかないので、「2000新聞雑誌かたろぐ」と同じ時期のものしかわかりません。

児童向け少女マンガ雑誌の発行部数
雑誌名 2000新聞雑誌かたろぐ 日本雑誌協会 2000年出版指標年表
時期 1999年3月 1999年後半 1999年
りぼん 136万部 131万部 135万部
なかよし 55万部 51万部 50万部
ちゃお 72万部 85万部 65万部

そのため、これだけでは『りぼん』の発行部数の具体的な数値はわかりませんが、

最近の発行部数動向
出版月報 コメント
1999年12月号P11 「りぼん」「なかよし」が低迷、「ちゃお」の好調が目立つ。
2000年7月号P12
2000年上半期出版動向
少女コミック誌は「りぼん」「なかよし」が下げ止まり、横ばい堅調。「ちゃお」は成長著しく70万部に到達した。
2000年12月号P13 『りぼん』『なかよし』の部数が底に達し、『ちゃお』は推定73万部に伸長。

「出版月報」の以上のような、発行部数の動向についてのコメントより、『りぼん』の部数低下が落ち着いたことが確認できました。『りぼん』の発行部数の底は、日本雑誌協会からのデータ、131万部か、それ以下であると考えられます。

「出版指標年表」のデータによると、『りぼん』の部数は1994年をピーク下がり続けていました。今井編集長は、就任からずっと部数が下がりつづけていたので、誰よりもほっとしているのではないかと思います。(部数会議はに出るのは編集長でしょう。)
私もほっとしました…


◆あたしはバンビ(槙ようこ)
槙ようこ先生周辺に関して感じていることを先に書いておきます。

☆巻頭カラー

「あたしはバンビ」の予告を最初に見たときに目に入ったのは、“巻頭カラー”の文字でした。(2001年1月号の感想(巻頭カラーでの新連載)と、2001年2月号の感想(4月号から新連載)に書いた予想が当たりました。)
本誌連載2回目での初回巻頭カラーは、吉住渉「ハンサムな彼女」以来だったことから、私は槙ようこ先生を吉住渉先生と重ねています。

表紙・巻頭カラー分析に書いたように、“巻頭カラー→表紙”(槙先生は表紙はまだ担当されてはいませんが、すぐにあると思われます。)は、新人漫画家で前回の連載がある程度好評だった場合の新連載開始時にあるものです。編集部のプッシュも必要とされ、かなり珍しいことです。
ここ16年では、浦川まさる「いるかちゃんヨロシク」、吉住渉「ハンサムな彼女」、矢沢あい「マリンブルーの風に抱かれて」の3作品です。また、本誌連載2回目での初回巻頭カラーは、浦川まさる「いるかちゃんヨロシク」、吉住渉「ハンサムな彼女」の2作品となっています。
吉住渉先生は、本誌初連載「四重奏ゲーム」で、本誌初登場=連載というストーリー作家では偉業といえる経歴があります。担当編集者さんも気を使ったのでしょう。扉絵には、“りぼんオリジナルで圧倒的人気!!!”との文字があり、マンガの脇の空白には、吉住渉先生をアピールするコメントが並べられていました。

つまり、「あたしはバンビ」の本誌連載2回目での初回巻頭カラーは、吉住渉先生の時ほどではないにしろ、10年に1度あるかないかというとても珍しいことなのです。
このような珍しいことが起こるのは、吉住先生と槙先生の人気が急激に伸びているからだと思いますが、それだけではない要因があると私は感じています。

「ハンサムな彼女」の連載開始は1988年11月号、「あたしはバンビ」の連載開始は2001年4月号です。これら2つの連載開始時期に共通し、ここ16年で2回しか起っていないことがあります。
それは、集英社少女マンガ雑誌のリニューアルです。

「ハンサムな彼女」の時には、『マーガレット』が創刊されました。『マーガレット』は『週刊マーガレット』のリニューアルで、リニューアル創刊号は1988年4月20日に発売されました。
「あたしはバンビ」の時には、『Cookie』が創刊されました。『Cookie』は『ぶ〜け』のリニューアルで、リニューアル創刊号は2000年5月26日に発売されました。

雑誌のリニューアルが、なぜ『りぼん』での新人漫画家のプッシュにつながるかというと、『りぼん』の漫画家が、リニューアルした雑誌の看板漫画家(『マーガレット』には本田恵子先生、『Cookie』には矢沢あい先生)として引き抜かれたからです。
「ベテランも、若手も頑張っているけれど、抜けた穴を埋め、風を起させるような(本田恵子先生や矢沢あい先生の代わりとなる)新しいスターがほしい。」
そんな思惑を感じてしまうのです。

本田恵子・矢沢あい・吉住渉・槙ようこ先生の4人に共通するのは、現代を舞台にした恋愛モノを描く少女マンガの王道路線の漫画家であるという点です。
本田恵子先生と吉住渉先生は、運動部所属歴&高学歴、矢沢あい先生と槙ようこ先生は、今風のおしゃれさ、というキーワードで結び付けることもできます。

『りぼん』には、池野恋「ときめきトゥナイト」、水沢めぐみ「姫ちゃんのリボン」、種村有菜「神風怪盗ジャンヌ」のような、ファンタジーもののヒット作もあります。
しかし、『りぼん』ではこのような作品を描ける漫画家をただ待つだけで、『りぼん』に続けざまに投入して、育てるという意識を感じません。ファンタジーものの作品(漫画家)は単独行動なのです。
大ブームにならなくても(アニメ化できなくても)、安定したヒットを呼び込める現代の恋愛モノを描ける漫画家をすかさず補完するあたりに、私は『りぼん』の手堅さ(保守的な部分)を感じてしまいます。

ちなみに、『コーラス』は少女マンガ雑誌のリニューアルではない(編集部を新しく立ち上げるところからのスタートしている。)ので含まれてはいません。
『りぼん』からは一条ゆかり先生が看板漫画家として引き抜かれましたが、『りぼん』において一条ゆかり先生は別格の扱いだったので、一条ゆかり先生の抜けた穴を新人漫画家でどうこうという意識は生まれないと思います。(池野恋先生にりぼん新人漫画賞の審査員長の引き継ぎはあったのですが。)

☆年齢

槙ようこ先生を種村有菜先生と重ねている人が多いと思われます。
私はプッシュの形という面では、槙先生を種村先生と重ねませんでしたが、若さという共通点では重ねました。

槙ようこ…1981年7月11日生17歳でデビュー。
         「ソラソラ」(19歳)、「あたしはバンビ」(19歳〜)。
種村有菜…1978年3月12日生、18歳でデビュー。
         「イ・オ・ン」(19歳)、「神風怪盗ジャンヌ」(19〜22歳)。
以上のように今の槙先生の年齢は、種村先生の「神風怪盗ジャンヌ」の連載時と一緒です。

さて、槙先生や吉住先生と同様にプッシュを受け、かつ若いという『りぼん』関連の漫画家には萩岩睦美先生がいます。萩岩睦美先生は『りぼん』編集長の今井鈴人さんが担当してブレイクした漫画家です。(「銀曜日のおどぎばなし」第1部まで担当。)
萩岩睦美…1962年1月12日生、16歳でデビュー。立て続けに本誌掲載。
         「小麦畑の三星等」(19〜20歳、初連載初回巻頭カラー&全3巻)
         「銀曜日のおどぎばなし」(20〜22歳、文庫化済で殿堂入り)。

漫画家の年齢傾向に書いたように、近年『りぼん』では、デビューの平均年齢が上がる一方、『りぼん』で活躍した18〜20歳の漫画家の割合が増えるという現象が起っています。(1998〜2000年のデータを参照して下さい。また、今井さんは1996年 5月号から編集長をされています。)

以上のことから、今井編集長がご自身の経験から若い新人漫画家の可能性を信じて、チャンスを与えている部分もあるかもしれないということが想像されるのです。(詳しい記述は編集長の存在を参照して下さい。)

☆イメージ

読者は漫画家に対していろいろなイメージを持ちます。そのイメージは、作品を読む際にプラスになることもあれば、マイナスになることもあります。
私は槙ようこ先生に対していいイメージも悪いイメージもありませんが、わからない人というイメージを持っています。

槙先生を、現役の『りぼん』の漫画家では吉住・種村先生と重ねて話を展開していましたが、槙先生ご本人から私がイメージされるのは、吉住先生でも、種村先生でもなく、小花美穂先生です。
槙先生と小花先生のプロフィールを比較していただければ一目瞭然だと思いますが、似ているのです。

  槙ようこ 小花美穂
好きな言葉 どうにかなる
適当
なんとかなるなる
「てきとう」
2001年の目標 とにかく生きる ちゃんと生きる

出典:
「永久保存版りぼんオールまんが家名鑑」(『りぼん』1997年10月号)
「まんが家情報秘密を探して・3000km!!」(『りぼん』2000年6月号)
「りぼんオールまんが家名鑑」(2000年『りぼん冬休みおたのしみ増刊号』)
槙ようこ「枯れ気に恋を咲かせます」

小花先生は嫌われないイメージのある方です。自分を落とし、ギャグにしてしまうという部分が関係していると思います。
私は以前、小花先生にわからない人というイメージを持っていました。ギャグでごまかされていると感じている部分がいろいろとあったからです。どこまでが小花先生なのだろうと感じたものです。
今では、小花先生に余裕がでてきたためか、そのような印象を感じることはありません。少し前には考えられないくらい、迷いとか、誤魔化しがなったということに驚きさえ感じたりしています。(「こどものおもちゃ」連載以後です。)

槙ようこ先生には、かつての小花美穂先生のイメージが重なります。しかし、小花先生に似ているということは、小花先生に輪をかけて誤魔化されている印象を受けてしまいます。そして、小花先生の例があることでその誤魔化しが確信犯的であるようにさえ感じます。

槙先生には、余裕がある部分と余裕がない部分の両方を感じます。
余裕がある部分は、確信犯的にイメージを作っているようにように感じるところであり、余裕がない部分は、“適当”(P442の「スクープ!まんが情報」より)という言葉を繰り返すことに落ち着けと言いきかせているように感じる部分です。私は槙先生が“適当”な人物であるようには思えません。むしろ“しっかり”した人物である印象を持っています。

私は誤魔化しのない槙ようこ先生自身をみたいと感じます。
とりあえず、読者と目を合わせない似顔絵(注)をやめるだけでも違うと思うのですが、誤魔化さなくなるためには、余裕が必要だと思うので、当分はみられないかもしれません。

では、「あたしはバンビ」の感想ですが、細かい部分は来月号からにします。

タイトルの「あたしはバンビ」については、バンビから、ディズニーのバンビを連想しました。だから、「ダンボ」や、「ライオンキング」にも共通しますが、子供だった主人公が、困難を乗り越え、成長していく物語かなと想像していました。
P442の「スクープ!まんが情報」の槙先生の“麻衣の成長漫画なので”とコメントがあるので、タイトルは想像したとおりのネーミングのように感じます。

3月10日にチャット大会“「槙ようこ」徹底分析”を行いました。チャット大会で“高校に入学することを期に変わる”という設定について盛り上がったのですが、この設定について私は、上手いなと感じる部分と、危ないなと感じるところがあります。

上手い部分は“変身する”要素をいれた部分であり、危険な部分はあまりにも定番過ぎてありきたりなものになってしまうという可能性がある部分です。
高校への入学を期に外見が大きく変わるというのは、少女の変身願望を刺激するものです。最近の『りぼん』の変身ものは、「神風怪盗ジャンヌ」がありますが、少女の変身願望を満たすのは、何もファンタジーものである必要はないのです。

  少女マンガは少女の「内面」を描くもの、と言われて久しい。
「内面」=自己。
  つまり少女マンガは、世の中がこんなにも「<私>探しの時代」に入るずっと前から、営々と「<私>探しの物語」を紡ぎ続けてきたのである。
(中略)
  つまり、女の子の自我は二重底になっているのだ。外から見えている「今の現実」の私と、「私の中に眠っているもう一人の私」と。
(中略)
  同じ「将来の理想の自己」を夢見るといっても、それは明らかに、「今は貧乏でも、俺だっていつかビッグになってやる」といった少年マンガ的な自己のあり方とは違う。少年マンガの場合は、「あるべき自己」は今の延長線上にあるが、少女マンガの場合は、必ずどこかで転換が必要だ。そして多くの場合は、その転換は憧れの異性によってもたらされた。これは、女性のアイデンティティーが、最終的には、やがてめぐりあう相手と<対>を作ることによってはじめて確立する、相補的なアイデンティティーだとされてきたことと大きな関係があるだろう。

藤本由香里「少女マンガに見る「自分好き」(『AERA』01’1.15 p40〜p41)

上記の文章では“転換”という言葉で書かれていますが、「あたしはバンビ」が今後、麻衣の外見的な“変身”だけでなく、内面部分の“成長”を描くと槙先生はいわれていらっしゃいますが、それが少女マンガというものなのです。

“外見を変える”という話は、きたうら克巳「今夜も眠れない」(『りぼん』1986年10月号から1987年2月号)があります。“ぼく、根暗な男・吉川晃一 転校をきっかけに180度のイメージチェンジを計画。2枚目ぶって、明るい青春を送るんだーいっ!!”(『りぼん』1986年10月号扉より。)
「今夜も眠れない」は、きたうら先生の本誌初連載のコメディです。新人なので未熟な点はありますが面白いので、是非古本屋で探して読んでみてほしい作品です。
「今夜も眠れない」では、晃一が根暗な人間になったというきっかけに過去のトラウマが絡んでいましたが、「あたしはバンビ」では、明るくなったきっかけに過去のトラウマを絡ませています。

『りぼん』以外の作品では、ドラマ化された「恋の奇跡」(もりたゆうこ、全10巻)が有名です。女同士(やせて美人になった女と、整形して美人になった女)の対立(家族の復讐と、恋愛絡み)を描くことで盛り上がった作品です。明るくなったきっかけはそれぞれ復讐と、イジメ・レイプです。
少女マンガの作品では、過去を捨てるという設定の場合、復讐(一条ゆかり「デザイナー」)、イジメ・レイプ(惣領冬実「MARS」)が最も多い要因です。

以上の点からも「あたしはバンビ」の設定が定番であることがいえます。
設定が定番であるということは、それを面白くできるか、つまらなくなるかは、槙先生の腕次第ということだと思います。


◆GALS!(藤井みほな)
進学が絡んできました。4月から半年間、アニメを放映して、さらに半年から1年連載を続けて、最終回を迎えるという流れが見えてきます。

P81の「資格を取れる所なんかいいんじゃなか?」はある意味リアルに思えます。まあ、“資格がとれる”ではなくて、“就職ができる”の方が真実に近いと思いますが。藤井先生の作品はこのあたりのリアルさは弱かったので、珍しくいい感じだと思いました。大学は本当に楽しいところなので、美由には短大に進学してほしいものです。

美由は周りに促されて進路を決めていますが、P85の最後のコマの「上から押しつけられてベンキョーさせられるくらいならあたしはダブる方を選ぶ」のセリフから、蘭が自分で進路を決断するような気がします。蘭が将来をどのようなことがきっかけとなって決断していくのかは、楽しみなところです。蘭の正義感に絡めて、恋愛も絡めてになると思いますけれど。

P93の大和のセリフをつまっているときに言われたら私はかなり弱いかもしれません。
「俺はちゃんと将来の準備をしているから好きなことやりなさい」には、親じゃないんだから、一緒に将来を考えようといってしまいそうな感じがしますが。初めて大和が格好いいと思いました。

P98の蘭のモノローグには驚きました。「GALS!」にはヒロインのモノローグがほとんどないことが特徴ともいえるのですが、P98の最後のコマと、P99の1コマ目は今月号で最も好きなコマでした。

しかし、アニメのタイトルの超GALS!寿蘭ですが、前の部分はSがついて複数系なのに、後ろの部分が寿蘭と単数なのが気になります。

漢字とカタカナの複合体による「漢漢漢漢カカカカカ」というタイトルが主流だが、小さいお友達は文字が読めないわけだから、最初に受ける洗礼は耳から入る音である。

斎藤美奈子「紅一点論」(ビリッジセンター出版局、p13)

アニメのタイトルの法則に沿ったために、変なタイトルになったのでしょう。「美少女戦士セーラムーン」と日本語の構造的に一緒ですし。(形容詞+所属+名前という構成。)私には「GALS!」のままで何の問題もないと思うのですが。


◆グットモーニング・コール(高須賀由枝)
感想を書きたいなという気持ちがおきない作品です。ある意味すごく安定していて、極端なへこみがない分、けだるさを感じます。「グットモーニング・コール」は単行本向きの作品ではないのかという感じがします。

ストーリーは相変わらず興味がわきませんが(菜緒も相変わらず苦手。)、パースの部分がいくつか印象に残りました。
まず、P120〜123の上原くんの実家の豪邸ぶりです。

  • P120の5コマ目のエントランスでは、コマの左側の部分とかどうなっているのだろう。
  • P121の3コマ目から、階段がありそうですが、階段下に収納スペースがあるということは、収納の出し入れ口が下足部分であることはなさそうだから、エントランスだけでなく、エントランスホールも大きいのかもしれない。
  • P123の1コマ目のリビングから、天井の高さは280cm以上ははありそうだ。

などとストーリーに関係ないところに目が奪われてしまいました。

P136の1コマ目は描きこみが密すぎるのではと感じました。
高須賀由枝先生は、アシスタントさんに背景で線を省略しないものを要求されているようです。キャラの絵は、ギャグ絵を多様されており、線を省略しています。だから、背景で線を省略しないのは、意識的にされているのではないかと私は感じます。
私は線を省略しない高須賀由枝先生の作品の背景は好きですが、P136の1コマ目は描きこみは労力の無駄じゃないかと感じてしまいました。


◆ペンギン☆ブラザーズ(椎名あゆみ)
つまらなかったです。今まで楽しかったその余韻で乗り切りました。
1回崩れると、何度も崩れるから不安です。(最近では「GALS!」とか。今よりも1年くらい前の方が私は好きでした。今月号の追試ネタも前のと変わりませんしね。)

「ペンギン☆ブラザーズ」には、80年代マンガのノリが入っているのは承知していますが(2000年12月号の感想より)、暴力団の娘(権力者・富豪の娘)という設定は、あまりにも古くさすぎます。(&藤重豪のそのお付き。)白雪の豹変ぶりのように、P178の「あなたがピンチの時」に飯島豊のキャラが面白い方向へ転がることを期待したいところです。

P156〜158の藤重のタバコに絡むエピソードですが、「彼氏彼女の事情」(津田雅美、白泉社)の雪野を思い出しました。私もタバコに対して男に啖呵を切ったことがありますが、取り上げ→踏みつけるの2段階で、陽菜の性格を考えると面白いエピソードですが、今一歩でした。
同じく、P161の「今は何もない …でも!もしもあなたがピンチにおちいったら必ず助ける!どこにいても駆けつける!」に、「MARS」(惣領冬実、小学館)の「守ってやる なにかあったら必ずおまえの味方になってやる」(第1巻)を思い出しました。だからかこちらも今一歩。
これら2ヶ所は、もう一歩ネームを頑張ってほしかった部分です。つまらないというわけではないけれど、もっと面白くできたのではないかと思えてしまいます。
P166〜168は今月号で一番楽しめたシーンです。西崎のファンが増えそうな感じがします。

P170〜172は「月の夜 星の朝」(本田恵子)を思い出しました。(指ということで「MARS」を思い出した人が多いかもしれませんが。)自分の大切なものを犠牲にしても守りたいものがあるというエピソードは、少女マンガでは多用されているものです。
このエピソードからは、小柴が陽菜を好きだから守りたいと考えていいのでしょうか。P175の1コマ目で甘えていますし。表現があいまいですっきりしませんでした。一色もあいまいですが、ダブルであいまいというのは、何か狙いがあるからでしょうか。

今回の一連の展開で、椎名先生は“元祖グレイ”を全員登場させるつもりだと私は感じました。
2000年10月号P175の1コマ目と陽菜の言葉から、一番上が飯島豊(1年、♀)で、後は、加??(♂)、木??(1年10組、♂)と3人わかります。五十音順で1年生からと考えると加??は1年生だと思われます。残る2人の内1人は藤重豪(3年、♂)なわけですから、残りは2年の男となります。同じくP175の最後のコマのシルエットは、真ん中が飯島豊で、その右が藤重豪っぽいです。

今月号の最後の携帯の主に加えて、元祖グレイ、バタフライ、陽菜と一色の関係etc.謎はたくさんあるわけですが、それらの謎を上手く解決していきながら(謎ばかり増やされても読者は面白くない)、話(グレイを増やす&恋愛ネタ)を展開させていただかないと、今月号のように一本調子に感じられてしまうのでしょう。
椎名先生は『りぼん』の漫画家の中では、構成力がある方だと思います。だから、大崩れはしないと思いますけれど。

あと、P167の柱に「お伽噺をあなたに」の単行本のおわびと訂正がありますが、私は『りぼん』を300冊以上所有していますが、こんな訂正はみたことがないので驚きました。


◆時空異邦人KYOKO(種村有菜)
今月号は急展開でしたが、評価が分かれたのではないでしょうか。私は響古の気持ちについていけなかった人です。(最初から、扉がまろんのようだし。)

「しらない だれ?わたしはひとりでうまれた…あなたはだれなの…?」という先月号の最後(今月号の最初)の憂の言葉ですが、憂はテレパスという設定なのでしょうか。
並大抵のことでは「時空異邦人KYOKO」の世界観には驚かなくなっていますが、ここまで創作度が高い(科学的な根拠がない)と、未来にしないで完全なファンタジー世界として設定したほうがよかったと思えます。
憂ですが、生まれた時から眠り続けているのに言葉が話せるのもすごいです。(テレパスなら可能だということなのかもしれません。)目覚めたときに精神年齢が生まれたときのままでは、ストーリーの格好がつかなそうですが、「クロノスの力を借りれて」(『りぼん』2000年9月号P35より)格好つかせるという設定だと思っていました。私には憂がただの人間とはとても思えません

今月号では、響古が王族(地球王の娘)ではなく魔族かもしれないということがわかったわけですが、ヒロインの出生に秘密があるというのは少女マンガにはよくある設定です。

まず、親が本当の親ではないという設定の作品は、話が進んでいくうちにヒロインがその事実を初めて知るものが多く(水沢めぐみ「ポニーテール白書」・「空色のメロディ」、一条ゆかり「女ともだち」、篠原千絵「蒼の封印」etc.)、「時空異邦人KYOKO」と同じ、最初から知っていたというパターンは、小花美穂「こどものおもちゃ」くらいだと思います。

しかし、「こどものおもちゃ」と一緒というのはどうでしょう。同じ『りぼん』で掲載された連載時期が近い作品、かつ、「時空異邦人KYOKO」よりも知名度もあり、高い評価を受けている作品です。
P196の最後のコマの「どこの誰かもわからない 憂を目覚めさせたら おのずとわかるだろうって 父様は言ってたけど…」とありますが、これでは劇団に所属して名前を売るためにタレントをしはじめた紗南と一緒じゃないかと思わずにはいられませんでした。
とってつけたように響古の出生を明らかにすることに(布石をいれてしかるべき)、種村先生の構成力のなさを感じました。悪い設定だということではありませんが、見せ方を工夫してほしかったです。

P206の1コマ目(キスシーン)は今月号の山場だと思うのですが、正体が知られたら側にいられない(いてくれなくなるかもしれない)→女からのキス→自分から出て行くというストーリーのパターン&ヒロインが本当は人間ではない生き物であるという設定は篠原千絵先生の作品に多いので、篠原先生の作品を思い出してしまいました。(響古よりヒロインに気持ちがついていけたなとか思って。例えば「闇のパープル・アイ」の倫子とか。)
響古の出生の秘密はストーリーの重要な位置を占める大切な部分だと思うので、いろいろと工夫してほしいものです。

ちなみに、さらわれる→ドレス(結婚式)というのは、池野恋「ときめきトゥナイト第2部」、水沢めぐみ「空色のメロディ」にありましたが、こういった流れは、少女が好きな設定なのだろうなと思います。(小学生まででしょうけれど。私は「空色のメロディ」は小5の時だったのでドキドキしたものですが、「ときめきトゥナイト第2部」は興味がひかれませんでした。)
種村有菜先生は『りぼん』の低年齢層に人気があるわけですが、ある意味こういったところが上手いのかもしれません。(定番だとしても。)

あと、今月号でやたら華蓮が、響古のよき理解者(解説者)となっていますが、「天は赤い河のほとり」(篠原千絵、小学館)の3姉妹のように女官(仕える立場)だと目につかないけれど、友達だと客観視できる立場とも思えず、おしつけっぽくて気になりました。

いくらでもツッコミのできそうな作品ですが、そういうことばかりというのは楽しくないので、まったりと楽しませてもらいたいものです。今月号は目が覚める箇所が多く、私には楽しめませんでした。(はまっている人には楽しめるのでしょう。)


◆ガールクレイジー(芳原のぞみ)

つまらないです。連載3回目でこの調子では芳原先生は危ないな…

今、本誌連載の漫画家は槙先生の出現により変化しています。
直接的には、槙先生が本誌連載の漫画家に入ったことで、あゆかわ華先生が枠から脱落しました。(2000年10月号最終回「もっとちょーだい!」が本誌連載以降の本誌連載なし。)
それよりも重要なのは、槙先生が本誌連載が保証されている作家の小花美穂・椎名あゆみ・高須賀由枝・種村有菜・藤井みほな・吉住渉先生(50音順)の中に入ったために、連載の枠が狭まったということです。

本誌連載保証漫画家の下の位置にいる亜月亮・倉橋えりか先生は「Wピンチ!!」、「世紀末のエンジェル」で結果(人気)を出しているので、次の『りぼん』本誌での連載が保証されています。
芳原先生はその下の位置にいる漫画家で、先月号に連載を終えた朝比奈先生と、ある意味一騎打ちの状態にあると思います。(藤田先生は掲載ページ数が少ないから別枠という感じのところもありますが、彩花みん先生が本誌にでてくるとなるとし烈なことになるでしょう。)
朝比奈先生は「偽りのライオン」が2回目の本誌連載なので、化けるかもしれないという可能性にかけてもらえますが、芳原先生は3回目なりの結果を見せなければならないはずです。

「ガールクレイジー」は少女マンガにありがちなパターンの8、9の項目にかなり重なっています。未となつめがあっさり両想いになるというのだけはやめてほしいものです。

扉絵の未を見て、渡瀬悠宇先生を思い出しました。口の小ささとあごの細さからでしょう。
P235の扉にある“おしゃれに決めて、ラブ・ゲット!!”というキャッチフレーズをダサいなと思ったのですが、芳原先生の絵にはピッタリだと思います。芳原先生の描くオシャレさは、いつも垢抜けなさを感じます。
ダサいとは言うものの、私は『りぼん』を読んでいるわけで、マンガにセンスのよさ(格好よさ)だけを求めているわけではありませんが。(『りぼん』はダサいわけですから。感性の豊かさは求めています。)

あと、芳原先生の作品を読んでいると、コマ割り・コマ構成が原因となった読みにくさが気になります。『りぼん』をさっとめくってみると、「ガールクレイジー」のコマは小さく、斜めのものが多いことに気づくと思います。
それ加えて、ロングカットとアップが隣り合わせにすることが多いので、焦点があわせずらく感じます。例えば、P237の1コマ目(アップ)と2コマ目(ロング)、P238の2コマ目(ロング)と3コマ目(アップ)etc.です。P257の1コマ目のように、フィルムを重ねるように同時刻のロングとアップを見せるような見せ方の場合には同時刻なので焦点があわないことは感じませんが。
P260からP267(最後)までは非常に読みやすく、これを31ページ続けられないのかなと思うと残念です。

とりあえず、「ガールクレイジー」というタイトルの意味がわかるまでは、芳原先生は一発逆転できる可能性があります。今のままでは、ちょっと…


◆ランダム・ウォーク(吉住渉)
今月号で最も楽しめました。よい意味で期待を裏切ってくれたのと、懐かしさのためです。

期待を裏切ったのは、当然、桂がクローズアップされたからです。
2001年3月号の感想で書いたように、第3クールは起承転結の“転”の部分であり(起…話を切り出し読者を引き込む、承…起を受けて話を広げる)、話に変化をつけて広げるという難しいことをさらっとされていて、ベテランだよなと思わずにはいられませんでした。

今月号の桂のエピソードの大まかな流れはよくあるパターンのものです。
街で出合った人をちょっといいなと思う→でももう会えないしとあきらめる→偶然再会する→彼に急速に魅かれていく→しかし、彼には付き合っている人がいるらしい…ということですから。題材は単純なものですが、味付けを変えることで印象を変化させたのでしょう。
第3クールの主要キャラは、優架、輝、亜希子(浮気相手の大学生)は決まっていたのですが、それに桂、寺門を加えて様々な展開できそう楽しみです。吉住先生の作品は、5人程度の恋愛関係を描く作品が多いですが、きっと上手く描いてしまうことでしょう。

「ランダム・ウォーク」で吉住先生は、ヒロインがいい女を目指していろいろな男の間を渡り歩くという新たな試みに挑戦されています。しかし、第2クールは「ミントな僕ら」のまりあ・良陽・晶に似ています。海斗・紗央里の性格は、良陽・晶と正反対にしていますけれど。ちなみに、望はルックスがいい優しい年上の男ということで、良陽タイプであるわけですが。
まりあは良陽と別れた後に、大輔(昔の知り会い)から告白されてすぐに付き合い始めました。しかし、「ランダム・ウォーク」でその展開をすると、「ミントな僕ら」のこともありますし、優架に読者がついてこなくなるので避けて当然かなと思います。(今月号のワンクッションはすぐにという感じもしなくなりますし、このあたりの上手いとしか言いようがないでしょう。)

のえる:
「そーゆーことするから 純なりぼん読者の 反感をかって 人気投票で 佐々や未有に 負けるんだそ!! せっかく最近晶のことで同情票が集まってるのに…」
まりあ:
「いーんだもん わかる人だけわかってくれれば」

というセリフが「ミントな僕ら」にありますが、まりあと違って優架は単独のヒロインです。優架が読者に嫌われると「ランダム・ウォーク」の人気に直接関わるので、やはり慎重にせざるおえない感じなのかもしれません。

あと、佐々と十和もキャラがかぶっているので、十和の描き方には注目してしまいます。佐々よりも年齢が上のため、恋愛経験が佐々よりある設定なので、骨がありそうで期待しています。
まだ、十和のキャラはあいまいなので、こちらの方がまりあと優架よりも問題が大きい気がします。(優架がまりあタイプであることは、第1回の2000年7月号の感想で指摘済。)

懐かしさとは、当然、亜希子です。弘(寺門)は「OSAMU」を読み返してはじめて気づいたのですが、亜希子は目元のほくろですぐにわかりました。

「ハンサムな彼女 番外編 OSAMU」は『りぼん』1990年6・7月号に掲載された作品です。すでに10年以上前のことになります。「OSAMU」で亜希子は20歳(大学2年)の設定でしたが、今月号で大学4年になっています。「OSAMU」から実際には11年間時間が経過していますが、作品世界の中では2年しか過ぎていないことになります。

キャラを新たに作るのが面倒だから、「OSAMU」に出てきたキャラを出したようには思えません。注釈もないことから、わかる人だけわかってくれればいいやみたいな感覚なのでしょう。(単行本ではフォローが確実に入ると思いますが。)

あと、P464の吉住先生の先生からのひとことに「憧れのアンバサダーホテルに泊まったよ」とありますが、ディズニーアンバサダーホテルのことでしょうか。遊ぶために東京近郊のホテルとはさすが優雅な身分です。(東京に住んでいると東京のシティホテルに泊まる機会は少なくなる。)


◆世紀末のエンジェル(倉橋えりか)

「世紀末のエンジェル」のストーリーには興味はありません。

そろそろクライマックスかな
。となると、「Wピンチ!!」の次に終わるのは「ガールクレイジー」か「世紀末のエンジェル」だな。でも、最終回は早くて「ガールクレイジー」で6月号、「世紀末のエンジェル」で7月号だろうから、「Wピンチ!!」の枠には読み切りしか入れられない。連載枠をつくるには、連載作家が休むという手もある。休むとなると、吉住渉先生が妥当だけれども、地位が安定した種村有菜先生を休ませるという手もありそうだ。いやむしろアニメ化にからんで藤井みほな先生という手もなくはないかと、思いつつ読んでしまいました。

ふーやんさんから、2001年3月号の扉に関して以下のようなコメントをいただきました。

倉橋えりか先生の扉ですけど(中略)、足袋はいてないし、長じゅばんきてない、帯揚げ、帯締めなしとなんかへんなのなんですね。(浴衣と考えればいいのですけど3月号ですし、柄も小紋のようですし)私が着物の着付けの師範をしているせいで、気にしすぎですか?
帯揚げとかないのは、半幅帯で貝の口(普段着の帯結び)とか説明つきますが。全体的には、好きな扉ですが。
倉橋先生はベテランなので、きちんとしてもらいたいですね。

ふーやんさんは着付けを習いにいけばいいのにとおっしゃられていて、確かになと思いました。
新人漫画家だと金銭的にも、精神的にも余裕がないとは思うのですが、漫画家には習い事でもして、様々な知識・技術を身につけていただきたいなと思います。


◆Wピンチ!!(亜月亮)

キレイに謎解きされていて、楽しめました。

P344の3コマ目のかえるですが、「月の夜 星の朝」第1巻の“おめでとう”のエピソードを思い出してしまいました。女の子の顔にかえるはちょっとひどいだろうと思ってしまいます。

P353〜354で猪神をアリサが振るエピソードですが、女にとって男をふる理想系だなと思いました。P354の1コマ目の「My下僕ナンバーワンの座はあんたにやるよ」は、「今まで通り友達でいよう」というありがちな振り方(私も使った経験がありますが、この言葉で振る人は多いはず。)と違っていいなと感じてしまいました。現実はそう甘くはないですけれどね。(振るのに理想もあったものじゃないし。)

P357の最後のコマですが、だれの顔であるかはっきりわかりませんし、“ぴき”の訳がはっきりしません。
アリサの場合、暁名に無視されて怒ったと考えられます。暁名の場合、ありさと猪神の関係にヤキモチをやいて、怒りつづけていると考えられます。
ただし、P357の最後から2番目(3段目の真ん中)のコマでは、暁名よりもアリサに焦点があっているので、最後のコマでアップになるのはアリサだと考えられ、“ぴき”はアリサである可能性が高いといえます。
しかし、P358の1コマ目で「あたし 猪神とチューしちゃった。」というセリフがありますが、アリサが“ぴき”となったなら、なぜこのようなセリフをいったのか意味がわかりません。むしろ、“ぴき”が暁名で、アリサは能天気にかまえているという流れの方が自然だと思えてしまうのです。
“ぴき”のコマは、べたぬり&まわりが波線ということで、強調されています。意味なくこういう手法をとられるとは考えにくいですし。
“ぴき”がアリサで、アリサが暁名の気持ちを試しているというふうに解釈するべきなのでしょうか。

P363の1コマ目の1コマ目の暁名の子供時代の顔から、子供時代のアリサは暁名に嫌いといわれたと想像できます。
となると、P356の猪神の“ムカムカ ぐしゃ”は、子供時代の猪神が、暁名がアリサを嫌いという瞬間を聞いてしまったのかもしれません。アリサが“ユキちゃん”を思い出せなかったということは、3人の間で何かあったと考える方が自然かもしれませんが。

P366の1コマ目の3番目の人格ですが、P340の最後のコマの女の子のタイプです。
暁名が前に好みのタイプはアリサとは正反対だといったことがありましたが、子供時代にそのような暁名のセリフからありさの人格が生まれて、P340の最後のコマのセリフから亜理沙の人格が生まれたと考えるべきでしょう。(&嫌いのセリフ。)
多重人格には現実を忘れるためにできるということがあるようですが、嫌いといわれる度に人格が増えているというのはすごいことです。

最後にはどの人格が残るのでしょうか。アリサの人格きえてしまうのでしょうか。そうなると寂しいな…元はアリサの人格なので、ありさが消えるということも考えられるわけですが。(全部残る可能性が一番高そうだけれど。)


◆解放迷路(北沢薫)

全体的に
絵が上手くないのを上手く見せようとして、画面構成を格好つけているように思えました。そして、4月号だというのに季節が夏というのはいかがかなと。

P370は「見かけない顔だな あんた」という中央の丸いふきだしを中心に3つのコマがあります。1コマ目は導入のコマです。2・3コマ目は「見かけない顔だな あんた」と同時刻であり、コマによる時間分節の効果はありません。シーンを切り取って並べているだけです。コマの間にストーリーが流れていない。つまりイラストなのです。
作品全体からマンガではなくて、イラストという印象を受けてしまいます。「時空異邦人KYOKO」のP200にイラストがありますが、連載作品での1ページならばいいと思います。しかし、最初のページからというのは読者が作品に入りずらいと思います。
P375の1コマ目の親の顔は、40代くらい人の顔が描けないのでしょう。ごまかしているのを褒めるべきか、描かないと上手くならないといういうべきか迷うところです。読者にわかりやすい作品作りを心がけていただきたいものです。

私はこの手の夏の思い出(当然、セックス含む。)を描いた作品をいろいろ読んでいます。『りぼん』の作品ではなく、岡崎京子・小野塚カオリ先生などの作品です。岡崎先生の作品は好きなのですが、上手くやらないと格好つけマンガになってしまうのだなと「解放迷路」を読んで感じました。

2001年1月号「おてなみ拝見!」(西野りんご)、2001年3月号「いつでもいっしょ」(大野のぞみ)、2001年4月号解放迷路」(北沢薫)と、『りぼん』の初登場作品ではなく、本誌連載経験のない漫画家の読み切り作品が続きましたが、どれもいまいちでした。


(注)
2000年『りぼん冬休みおたのしみ増刊号』の「りぼんオールまんが家名鑑」より。
槙先生の似顔絵は、下を向き読者と目を合わせていません。このような似顔絵を描いていらっしゃる方は何人かいますが、
似顔絵は似顔絵という要素だけでなく、読者へのあいさつをかねているものだと思うので、読者の目を見てあいさつをしていただきたいと私は感じます。変装するとかはかまわないと思いますが、目だけは読者の方を向けていただきたいのです。それが読者への礼儀だと思います。


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