『りぼん』2001年5月号感想

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4月から社会人となりました。2週間にわたる泊まり込みの研修が終わり、配属先もきまり、これからが社会人としての本当のスタートになります。

私は住宅メーカーに総合職として入社したのですが、その会社には女性の総合職が10人もいません。女性の総合職は全体の1%もおらず、同期の女性の総合職の誰もが、同じ役職についている女性の総合職が誰もいないという状況でのスタートです。
“りぼんっこ”像という文章を書きましたが、私はなんだかこの文章に触れられているままの路線を歩んでいるよなと感じてしまいました。

私は『りぼん』の読者像というものにとても興味があります。自分がなぜ『りぼん』にこんなにも引かれるのかということを『りぼん』の読者像から探ることができると思うからです。
少年マンガでは、集英社:読者主体、講談社:編集主体、小学館:作家主義ということが一般的にいわれますが、少女マンガにもそれと同じようなマガジンカラーはあるように感じます。
『りぼん』の初代編集長である長野規さんは、
「編集者は読者の顔が見えなくてはいけない。頭の中も胸の内も、いや財布やポケットの中身も見えなくてはつとまらない」(西村繁男、さらば、わが青春の『少年ジャンプ』P31より)を信条としていたと言われていますが、これも読者の満足を得ることが重要だと考えている集英社らしいことだと思います。

現在、『りぼん』の読者の『りぼん』への満足度は決して高いものとは言えないでしょう。その原因の1つに、私は“読者のことを知ろう”という意図が低いことがあげられると考えています。
ジョン・グッドマンの法則から、不満を持つ読者の心を聞き出し、解決するのがいかに大切だということがわかりますが、漫画家も編集者も大切なのはわかってはいるけれど対策がみつからないというところなのかもしれません。

石本美穂先生が、MIHO HOUSEアンケート調査を実施されています。勇気があることだと思います。
昔は読者への詳細なアンケート調査があったんですけれど、最近はありません。読者の心を知らずして、読者にとって望む『りぼん』ができることは絶対にありえないと考えます。底打ちした『りぼん』の発行部数をあげていくには、読者像をとえることが重要ではないでしょうか。
私のような優等生(王道のマンガが好き)で、オタクではない(同人やアニメには興味無し)というタイプの読者についてはアンケート調査などしなくてもわかると思いますが。


◆GALS!(藤井みほな)

アニメが始まりました。いつものように1回も見ることなく終わってしまうのでしょう。
「姫ちゃんのリボン」・「赤ずきんチャチャ」・「ママレード・ボーイ」・「こどものおもちゃ」のようにアニメが好評だと『りぼん』に影響を及ぼしますが、アニメが不評でも『りぼん』は卑怯なもので、逃げて終わりという印象をいつも受けます。アニメがヒットしないことは、作品の人気にはプラスになりませんが、マイナスにはなりません。私はアニメがヒットしなかった場合には、作家への影響の方が気になったりします。
例えば、矢沢あい先生のヴィヴィアン(ブランドの名前です)。アニメになったことよりも、「ご近所物語」以降の矢沢先生を読み解く上で重要でしょう。また、種村有菜先生のメディア(外部)への露出。端から見て、種村先生が楽しかったのはアニメ化されることよりも、ここだったように思いました。これがその後の種村先生を読み解く上でキーポイントになった部分もあったように思います。
私は「GALS!」がアニメになっても、『りぼん』に影響がでるような人気にはならないと思っているのですが(アニメを見てないので、ただの勘)、藤井先生への影響が必ずあると思っています。それが何なのかがとても楽しみです。

本編ですが、今月号は、優等生モードというか、蘭の説教モードです。私はこのモードの回の方が好きです。「GALS!」の最も上手く、また、ずるいのが、この蘭がただのコギャルじゃないんだという部分ですが、連載が長くなるにつれ、マンネリ気味になっているのは確か。恋愛関係を軸に盛り上げてほしいものだと感じます。
でも、
蘭も綾も恋愛に関して極端なので、読者としてはわかりやすいけれども、感情移入しにくいのが難点です。外見からのギャップも蘭が純情であること意外にはなく(っていいうか、綾も美由も純情一直線。りぼんっこに共感されるためには、純情路線が定番だからでしょう。)、恋愛関係の糸がすごく単純なので(ただの三角関係)、マンガの恋愛の形としてはものたりないんですよね。

藤井先生は「GALS!」で、絵柄を変えました。これは漫画家として退路を絶つことを意味しています。前へ進むしか道はありません。「GALS!」の連載もそう長くないし、このまま気づいていたら終わっているなんてことにはならないでほしいです。
藤井先生の燃焼し尽くす様をみてみたいような…燃えかすになったら、漫画家として壊れますが、骨格が崩れる様はみてみたい。小花美穂先生も、種村有菜先生も崩れていましたが、そういう情熱というか、作家として止められない勢いというのは、たぶん漫画家人生で1回だけではないかと思います。
藤井みほな先生ってプライド高いんですよね。プライドの高さは漫画家には必要だと思いますけれど、崩して我武者羅な姿がみたいものです。


◆アンダンテ〜Andante〜(小花美穂)

いかにも小花美穂先生らしく、ファンには待望の新作でしょう。第1回の印象としては普通って感じですが、少なくとも
ゆったり楽しめそうだと安心しました。

私は「パートナー」を評価していません。小花作品として、「パートナー」のどこに魅力的に感じるのか語れる人がいたら、是非おしえてほしいです。私は「こどものおもちゃ」後の気分転換、息抜きとしての作品ということでとらえています。今後、小花美穂先生には「こどものおもちゃ」以上に肉体的・精神的に大変な作品はないわけですから。(ヒット作がでないという意味ではなく、最初のヒット作というものは作家にとって大変なものであるという意味です。)

「アンダンテ〜Andante〜」の中には、竿竹屋の音楽とサザエさんの歌が、いかにも小花先生らしい小物として登場しています。P95の3コマ目で私は「こどものおもちゃ」第1回の1コマ目を思い出しました。
「こどものおもちゃ」第1回1コマ目は、LOVE&PEACEの文字と地球をバックに、子供たちが「ボクらは未来のちきゅうっこさァ… 未来は子供達の手の中にあるよ…」と楽しそうに笑う姿から始まっています。私は連載初回のカラーページの1枚目の1コマ目でこの絵を見て本当に驚いたことを今も覚えています。

私は竿竹屋の音楽やサザエさんの歌の発想そのものには笑えませんでした。しかし、小花先生は読者を笑わせるために、2つの題材を持ってきたわけではないと思います。
笑いを意識したのは、P82の2コマ目、P88の最後のコマ、P95の3コマ目、P101の3コマ目だけでしょう。小花先生にとって笑いは、絵に落とした段階ではじめて意識されるもののように感じます。つまり、笑いの表現として最も古い手段、変な顔をするのを見ると笑えるというのものだけを意識しているように思います。
例えば、P78の3、4コマ目の茗と那都の会話で、茗は那都を“フツーの人”と表現していますが、フツーの人である私から見れば、どう考えても那都は“変わった人”に見えます。つまり、小花美穂先生から見たらフツーの許容範囲に入ってしまっているわけで、無意識なのかなと感じてしまいます。
小花美穂先生はネームがとても特徴ある漫画家ですが、特徴があるだけではなく、それが無理なく読めるというのが、最もすごいところだなと思います。

気になったところは、1つ目は絵、特に口元。P73の茗のアップの口元、P75の1コマ目の茗の口元、P77の最後のコマの那都の口元etc.小花美穂先生は絵の変化が緩やかな方ですが、漫画家は絵に変化が表れないことはありえないので、くせは気になります。
小花先生は絵柄が堅い方なので、このくせは表情に変化をもたせたいという意志が表れていることからのように思います。「パートナー」では、トーンを重ねることから、空気の密度感や、表情を表現することを試みられているように感じましたが(
2000年6月号『りぼん』感想)、作風の違いもあり、ペンによる工夫をされているけれども、安定しないというところでしょう。早くなれてほしいものです。反対に堅さを感じてしまいます。

2つ目は、茗が中学生であることです。吉住・椎名・小花先生のお3方は『りぼん』への影響が大きい方です。プッシュされているのは、藤井・高須賀・種村・槙先生であっても心理面での影響はベテランに片寄るのです。(第一線ですし。)
なぜここで小花先生は中学生のヒロインをもっていたのでしょうか。茗が14歳、那都が17歳、メルが15、16歳という設定でないといけない理由があるのかが気になります。メルを茗と那都の間の年齢に設定するためだけに、茗を中2にするとは思えませんし。驚きました。


◆あたしはバンビ(槙ようこ)
槙先生はカラーがキレイではないですが、あっという間に上手くなると思うのでほっとおくとして(センスはあると思いますし。)「今月号のひょんなできごと」のイラストはすごいですね。上手いとか言う意味ではなくて、こんなところに手間をかけさせる編集者はすごいという意味です。
『りぼん』の漫画家は、決してマンガだけに集中されてくれません。ふろくやらカットやらの比率がやたらあります。槙先生って仕事が早いのでしょうか。編集者が考えたコメントに4コマのカットをつける面倒さはかなりあると思います。1回やったからには、今後も続けなければならないわけですが、頑張っていただきたいものです。

連載第2回目となったわけですが、初回の設定展開の方が面白かったです。楽しみにしていただけに、拍子抜けでした。麻衣は空子ではないのだし、折角どうにでも展開できる設定もつけたのだから、活用してほしかったです。ストーリーがわかりやすいのはいいのですが、幅を広げる話を展開していないように感じました。
別につまらないわけではありません。ストーリーがとてつもなく普通なんです。いつ盛り上がるのかなと思いつつ読んでいたら、あっさり終わってしまい、何なんだという第2回でした。

麻衣の中学生活は少ししか明らかにされていませんが、新しい学校ですし、男は当然としても、まずは女友達が重要なのではないでしょうか?朋って何で麻衣とひっついているのでしょう。
朋の顔をまったくみない麻衣の描き方がとても気になります。相手の目を見て話しをさせてほしいです。朋はちゃんと麻衣の顔を見ています。P124の4・5コマ目、P126の1コマ目、P138の2・3コマ目など
朋の顔をみようともしない麻衣に感じの悪さを感じてしまいました。ただの自己中キャラにしか見えません。

ヒロインには、女友達は大事にさせてほしいです。いい娘になれとはいいませんが、せめて周りのことを考えた振る舞いをさせてほしいです。私は麻衣みたいにになりたいと思わないし、友達にもなりたいとは思いません。麻衣は友達をなんだと思っているのでしょうか?男さえできればいいというのならかまいませんが、そんなことはないはずですから。
こんな状態だから、P134の「わたし本当に可哀想」というネームに、反抗的な気分になってしまったのでしょう。
先月号の感想で、槙先生の似顔絵が読者と視線を合わせないことを指摘しましたが、槙先生の作品では視線というものがへんに流れているところが気持ち悪く感じます。

最後のライバル宣言も、ありきたりでした。ライバル宣言に至る流れはいいと思うのですが、少女マンガでライバル宣言はすごくたくさんあるので、この程度の障害でライバル宣言されても盛り上がりに欠けるのです。

小花先生のところでネームに特徴があることをあげましたが、槙先生はネームで小花先生にかなり影響されているように感じます。微妙な言い回しで、小花先生の作品だと自然なので、槙先生の作品だと気になるというところがあります。P144の1コマ目と最後から2コマ目の麻衣のセリフです。
先月号の感想でも、槙先生が小花先生を好きなのは触れましたが、好きならば影響されるのは仕方ないと思いますが、不自然で、読みにくいので、早く改良してほしいものです。

槙先生のオリジナリティがよくわからないです。「ソラソラ」では上田美和先生からの影響ぶりに驚きましたが、作品の1つ1つの要素のレベルはすべて平均点以上はいっている方だと思います。でも、これだ!というものを作品に見つけることができていません。
ハラハラとか、ドキドキとか、感動とか、笑いとかいう感情をおこさせるような話の展開をさせてほしいものです。


◆時空異邦人KYOKO(種村有菜)
扉絵ですが、響古・逆滝・氷月が三角関係になっています。氷月は響古にキスしただけで(作品中ではまだ未確定ですが、氷月が相手なのは衆知の事実。)、響古への恋愛感情は描かれていませんが、ウィドシークも響古が好きなので、響古モテモテ路線かと思ってしまいました。

「時空異邦人KYOKO」のファンは、低年齢層の読者が多いんだろうなとつくづく思います。恋に憧れている読者にというか。夢見がちですよね。
P201の「女の子は生まれたときから 必ず誰かのお姫様なんですよ」が、完全に「シンデレラ」(待っているだけの女)だったりと、「時空異邦人KYOKO」は童話の世界を見ているような気分にさせられます。
私は、「運命だって変えてみせます」(池野恋「ときめきトゥナイト」第11巻P13より)といった蘭世や、「関係ねえよ 2千年まえがなんだってんだよ」(池野恋「ときめきトゥナイト」第9巻P96より)の真壁くんの言葉に触れてきたので、いまさら「シンデレラ」の考えには戻れません。少女の心は古来の考え方に戻っているのでしょうか。

「空色のメロディ」(水沢めぐみ、RMC全5巻、1987年6月号〜1988年8月号)という作品が、私が小学生の時に『りぼん』で連載されていたのですが、「時空異邦人KYOKO」は「空色のメロディ」を彷彿とさせられます。姫とか、守るという時代錯誤とも思える設定がおおっぴらにあるからだと思います。(「空色のメロディ」は「天空の城ラピュタ」に影響されている部分が強いのですが。)こういうものは女の子は必ずある年齢までは好きなんですよ…
しかし、ある程度の年齢に達すると童話の世界ではもの足りなくなるわけです。(中学生以上かわ分かれる。)たとえば、逆滝ですが、女から見て都合のいい理想の男すぎて、反対にもの足りなく感じます。

逆滝がもの足りないのは、「ベルサイユのばら」(池田理代子)のアンドレと比較しているからかもしれません。アンドレは少女マンガの中で最も有名なボディガードです。(正確には、オスカルの影ですが。)逆滝はアンドレよりも能力面ですべて上ですが、逆滝の響古への愛と、アンドレのオスカルへの愛と比較すると密度の薄さを感じます。

P183の4コマ目の「それでもわからないと不安なら 私は何度でも誓いましょう 忠誠を―…」の流れは、「ベルサイユのばら」の有名なシーンの1つ

オスカル:生涯わたしだけ…わたしだけだと誓えるか!?
アンドレ:千の誓いがいるか、万の誓いが欲しいか。
        おれの答えはただ1つだ。―愛している。

と重なります。オスカルとアンドレが初めて思いを通じ合わせる有名なシーンです。
「時空異邦人KYOKO」のシーン自体の形はかっこいいのですが、心を打たれず、「ベルサイユのばら」の偉大さを感じて、ため息をついてしまいました。ふたりの愛が盛り上がる前に、他の作品から、感動シーンを持ってこられたからでしょう。
「ベルサイユのばら」を読んでない人がいましたら、すぐに一読することをオススメします。「ベルサイユのばら」読んでいなければ、真に少女マンガを読んでいることにはならないと私は思います。少女マンガの基本です。

P174の1コマ目の裸の逆滝ですが、現実と精神世界の境界線を描いていないのでまぬけに見えます。「ベルサイユのばら」ならいきなりギリシャ神話でもおかしくないですが、「時空異邦人KYOKO」は前置きがないとまずいです。

P182の2コマに逆滝が助けにきますが、短い別れでしたね。実質、数時間ということでしょうか。すれ違いの日々の中で2人の想いもすれ違って、ストーリーが盛り上がるのかと思っていたので、期待はずれでした。響古が悩みながら頑張って成長してくようなストーリーを描いてほしかったです。逆滝が側にいたら、今までと変わらないように感じてしまいました。

P185の2コマ目の響古ですが、高校生の少女が、人前で着替えるというのはあまり気持ちのいい設定ではありませんでした。(女が人前で着替えるとか、化粧をするとかいうのは、非常識なことでしょう。)描かれているブラも紐付きのようなので、肩が出ているドレスを着ていたわけですから、ブラまでつけかえたのかとか思ってしまいました。
P185の最後のコマでの響古の意識の変化・目覚めと、P186の1コマ目を効果的に見せるための着替えシーンだと思いますが、外見ではなく、心に変化があったことが重要なのだから、着替える設定をなくしても(或いは、自然に着替えるような流れを作る)意識の変化を表現できるような工夫をしたほうが深みあるシーンになったのではないかと思います。
種村先生はこのようなサービスカットがよくありますが、少年マンガではないのだから入れる必要性はないと思います。

文句ばかりですね…「ベルサイユのばら」と比較した時点で今月号は終わっているのかもしれません。


◆グットモーニング・コール(高須賀由枝)
P216の5コマ目ですが、PHSでもメールはできます。私はモバイルをするので、PHSを使っています。(携帯電話より通信速度が速いためです)高須賀先生は遠い昔に携帯電話に替えてしまわれたのでしょう。読者からアラの指摘が大量に来そうですね。

P208の最後のコマ、P219の3コマ目のコンビニの店長のセリフですが、現実感があまりにもないように思えます。(美化委員もかなり妖しかったのに。)
P222の2コマ目の「こめん 疲れてるから ちょっと静かにしてて…」のセリフを言わせるためにある設定なのですが、ギャグ化したものではなく、もう少し真面目な設定にしてほしかったです。「グットモーニング・コール」の世界観では、これが普通なのはわかっていますが。
「こめん 疲れてるから ちょっと静かにしてて…」は、今月号の最もキーポイントとなるセリフですが、私は違和感を感じ、読む手が一瞬とまりました。上原と菜緒の関係が、高校生のカップルの会話とは思えず、エリートビジネスマンと専業主婦のように感じられたからです。
「時空異邦人KYOKO」でも古風な考えだと指摘しましたが、そういうご時世なのでしょうか。


◆ペンギン☆ブラザーズ(椎名あゆみ)
私は今、グレーの立場です。
職場で私の他には、男性は全員スーツであり、女性は全員制服(事務職は制服なのです。古い…)という状況の中、私1人だけ女性で私服だからです。(別にいじめられたりはしていませんが。)
陽菜がクレーが5人“も”いると歓んだことがありますが、心境がよくわかります。夏までは私1人だけしか女性の総合職の内定者はおらず、内定で呼び出された時に全員男!という状況を経験しているので、その後女性の総合職が4人になった歓びたるや(導入研修が2週間泊まり込みというのは聞いていたので、自分以外全員男って状況はさすがに避けたいものがありました)、陽菜のような反応でしたから。
読んだ時には深くは考えなかったのですが、なかなか上手い流れだったんだななどといまさら感心してしまいました。

先月号はサブキャラの設定と動きが鈍く楽しめませんでしたが、今月号は機敏な動きで楽しめました。ただ、絵の雑な部分が気になります。わかりやすい部分は、P243の最後のコマ、P253の1コマ目、P255の2コマ目の陽菜の足と、最後のP271のコピーです。

まず陽菜の足ですが、漫画家はアシスタントがいますが、キャラのペン入れは自分でされる部分でしょうから、椎名先生ご自身が描かれている部分だと思われます。足太すぎでしょう。ヒロインなんだから、キレイに描いてほしいものです。
コピーですが、マンガにはよくコピーは使われます。手抜きのためが多いのですが、技術としてのコピーもあります。椎名先生は新人漫画家ではないのですから、手抜きを手抜きとして見られないような技術はあるはずです。見苦しいコピーは、漫画のレベル低下につながるだけです。

話がいいときに限って、絵が雑のような気がします。椎名先生は〆切関係のルーズさについてはいろいろと言われていますが、ネームに時間かけすぎが原因とも思えませんし…細部にもこだわって仕上げてほしいです。

今月号には、「時空異邦人KYOKO」(P203)、「グットモーニング・コール」(P237)、「ペンギン☆ブラザーズ」(P241)に作品紹介が1ページを裂いてありました。(「ランダム・ウォーク」も半ページありましたが。)発行部数の低下もおさまったということで、部数増加に向けての地道な努力(5月号は春休みで『りぼん』も売れる時期でしょうし、初めて読んだ読者への配慮)だと思いますが、どれもなかなか力作で、担当編集者の努力を感じてしまいました。(サイトで、ときめきトゥナイトポーの一族に関してまとめていますが、手間がかかるものだと思います。)

その中で「ペンギン☆ブラザーズ」の作品紹介には、気になる箇所がありました。“ペン☆ブラのなぞ”の「一色と西崎の関係」の部分です。
今月号はその部分に関して謎を深めるエピソードがありますが、読者としては、一色と西崎の関係よりも、一色と陽菜の間に過去に何があったのか方が気になる謎だと思います。担当編集者は一番最初の読者です。漫画家と打ち合わせしているうちに読者の感覚から離れてしまったのかわかりませんが、ネタバレしているようで気持ち悪かったです。P252の2コマ目と、P254・255のあたりを新鮮な驚きとともに読みたかったです。今月号の山場をどうしてくれるんだ…

ちなみに一色と西崎の関係ですが、普通に考えると西崎の親戚として出てきた宮部夏海が一色の親戚でもあるという線でしょうか。(つまり、2人は血がつながっている。)この設定だと、「トーマの心臓」(萩尾望都)、「砂の城」(一条ゆかり)などという大傑作があり、少女マンガの常識路線ということになります。

P257の3コマ目の「人と話す時はちゃんと 目 見て話しなさいよ!!」には、「あたしはバンビ」でキャラの視線の気持ち悪さが気になったこともあり、つぼにはまりました。コマ割りも単調なのですが、構図がわかりやすく、このあたりが椎名先生の上手さなんだろうなと思います。
『りぼん』の漫画はアップの多いと言われますが、顔の大きさだけでなく、そのキャラの視線を大事にするのは重要だと私は思います。

先月号の感想で、小柴の陽菜への想いがすっきりしないと書きましたが、P261の最後のコマの「俺も自分でしてみてわかった」というセリフと、P262ですっきりしました。わざとあいまいな表現にして、一色とのやりとりの中で明確にするというのは、上手い流れだなと思います。これは、一色・西崎・小柴が、陽菜とどのような関係になっていくのかを盛り上げることに効果的に働いていると思います。
今後の展開が楽しみです。


◆ランダム・ウォーク(吉住渉)
「吉住渉先生、『りぼん』を出ましょうよ。」と思いながら、読んでしまいました。

「『りぼん』を一生読み続ける。」と、『りぼん』に夢中な読者はよく言いますが、私はそれがほとんど無理なことだと考えています。『りぼん』の対象年齢の読者には、漫画家が全員替わった『りぼん』を想像もできないと思います。
私は今とはまったく違うメンバーの将来の『りぼん』のことをしばしば考えます。『りぼん』をずっと読みつづけるということは、漫画家がまったく替わっていてもその『りぼん』が好きでありつづけられることができるかということだと考えます。

私は、1984年7月号から『りぼん』を読みはじめました。当時、『りぼん』で第一線(本誌連載作家)に活躍していた漫画家で、今も第一線で活躍されている漫画家は1人もいらっしゃいません。『りぼん』は、いつまでも漫画家がとどまることができる雑誌ではないのです。
『りぼん』の漫画家は、皆『りぼん』で描きつづけることはできない事実を承知されています。それに向き合いつつ『りぼん』で描いていらっしゃることでしょう。

吉住渉先生は、1984年『りぼんオリジナル初夏の号』でデビューされ、今年で漫画家歴17年になります。『りぼん』で最も長く活躍された一条ゆかり先生(1968〜1993年の25年間)は、『りぼん』を出ない理由を、冗談まじりに「面倒だから。」とコメントされていました。吉住先生も、同じような理由だと私は想像しています。

「ランダム・ウォーク」を読んでいると、吉住先生の苦労もわかりますが、苦しいなと感じます
苦労とは、2000年10月号の感想2000年11月号の感想etc.で書いたように、新しいことにチャレンジしていることが読み取れることです。苦しいことは、2001年3月号の感想先月号の感想etc.で書いたように、計算されつくされた堅さと、今までの作品の焼きまわしのように感じる部分があることです。

『りぼん』は次々と読者が替わっていきます。それにあわせて、漫画家も次々と替わっていきます。『りぼん』の漫画家は、『りぼん』という枠の中で、常に大量に出てくる新人漫画家に負けず、読者に新鮮さを提供し、変化し続けなければならないのです。
「ランダム・ウォーク」を読んでいると、今後『りぼん』で変化する吉住先生をみたいという期待度よりも、『りぼん』以外の雑誌での新たな吉住先生をみたいという期待度の方が上回ってしまいます。

私は、2000年1月号の感想で書いたように、『コーラス』への移籍がいいと思います。

現在、『りぼん』の漫画家の『Cookie』への移籍や、ゲストでの作品掲載がとても多いですが、吉住渉先生が他誌に行くとなると、大御所にふさわしいお膳立てが必要となります。
『Cookie』には、そのお膳立てをする隙がありません。『Cookie』は、矢沢あい先生を創刊時で引き抜いて布陣の先頭にすえ、売れ行き好調ですから(「出版月報」2000年12月号、P3より。『りぼん』、『なかよし』の部数減少が底に達し、『ちゃお』は推定73万部に伸長。好調なのは『デザート』、『少女コミックCheese!』、『Cookie』などといった中学から高校生の女の子向け雑誌。)、吉住渉先生クラスの漫画家が来られても、その布陣が乱れるだけでしょう。

それに対して、『コーラス』は一条・くらもち・槇村先生の3巨匠が一息つき(一条「正しい恋愛のススメ」、くらもち「天然コケッコー」、槇村「イマジン」の連載が終了し、新連載が始まってはいますが、前作と比較するとまだ本調子という感じではないという意味です。)、さらには雑誌の売れ行きもかなり停滞しています。
もちろん、吉住渉先生の作品が、『Cookie』よりも『コーラス』向きだという理由もあります。『コーラス』の対象読者が、吉住渉先生の作品を好みそうというか。吉住先生自身も、『コーラス』の作家と交流があり、「大御所ばかりで息つけない」ということもなさそうですし。(吉住先生って人見知りしなそうですけれどね…念のため。)
『YOUNG YOU』でも面白そうですが、『YOUNG YOU』も隙がない感じがするんです。『りぼん』から作家が来られてもどうかなと感じます。

ちなみに、集英社の雑誌に移ることを前提にしているのは、集英社がどんな手を使っているかわかりませんが、『りぼん』でトップに上り詰めた漫画家が、すぐに集英社の雑誌から出て行くということはほとんどないからです。1回移籍後は他社もありますが、旬のうちは確保しています。
吉住先生がいきなり他社なんてことがあると、集英社と決裂か!?と想像してしまいますが、その可能性は低そうなので、集英社のどれかからと考えているのです。

とりあえず、クイーンズコミックスの『りぼん』関連作家の第1号になっていただきたいものですが、これだけでは移籍の餌としては足りない…編集側から、吉住先生にふさわしいおいしい餌を用意されることを期待しています。
先月号の感想で書いたような、本田恵子、一条ゆかり、矢沢あいクラスの移籍ほどのお膳立てが今、集英社にできないので想像でしかありませんが、派手な移籍をファンとしては期待したいところです。

「ランダム・ウォーク」の感想に移ります。
桂と寺門ですが、吉住先生は「ママレード・ボーイ」の茗子と名村で、教師と生徒ものの恋愛を描いていますが、御都合主義で片づけられてしまったなという印象を受けました。読み切りではないんだから、あっさり2人を両想いにさせなくても…
茗子と名村の話を私は好きではなかったので、桂と寺門に期待していたのだと思います。御都合主義であっても桂と寺門の方が好きなのですが、もう少し楽しませてほしかったです。

ただ、驚いたことが一つありました。P283の2コマ目の寺門のコメントが、妙に現実的だったことです。
私は、吉住先生は現実的な人だと思っています。(種村先生など、ある意味現実離れしていらっしゃる漫画家も多いのですが、吉住先生は現実派タイプ。)象徴的コメントが、「ハンサムな彼女」第9巻、P173の2コマ目にあります。

りぼんの読者くらいの年齢だと
結婚=きれいなウェディングドレスとか好きな人とずっと一緒にいられるとか
プラスのイメージしかないんだろうな

私なんかだと結婚は当人同士だけの問題じゃないから(家とかからんでくる)
いろいろとわずらわしーとか現実的に考えちゃうけど

吉住先生には、よくこの手のコメントがあるのですが、りぼんっこを馬鹿にしているわけではないと私は思います。ただそういう人ってだけです。
しかし、吉住先生は現実的なわりには、作品がやたら現実離れしているものが多いと思います。この傾向は、吉住先生にとって漫画がそのようなものだからかもしれません。だから、寺門のコメントに驚いたのです。

さらに、P283の2コマ目のを受けたP293の1・2コマ目の寺門のコメントが、連載陣の中で最もベテランである吉住先生に重ねてしまい、妙に印象的でした。このネームは、「ママレード・ボーイ」時代の吉住先生からは生れなかったものではないでしょうか。

私は現実的な人です。でも、マンガに現実的なものだけを求めているわけではありません。むしろ、『りぼん』のコンセプトである、愛・夢・笑いを求めているのだと思います。
私が吉住先生が好きなのは、そのあたりの割り切り方が、重なるものを感じるからかもしれません。

P305の最後のコマの十和の「ふーん」で、十和が確実に前に出させていることを感じました。2001年3月号の感想で指摘したように4ヶ月、つまり7月号で輝と決着がつき(第3クール)、優架、十和のが4ヶ月あり(第4クール)、おまけに1ヶ月ということで、休載をいれず順調に行けば、12月号あたりに「ランダム・ウォーク」は終わりそうだなと感じました。

となると、吉住渉先生が移動するならば、今からとっくに話が水面下で進行してないといけないという感じです。進んでいると信じよう…吉住先生が、どこに行かれても、移籍第1作は雑誌を買って読ませていただくつもりです。(通常『りぼん』の漫画家が出ても雑誌を買って追いません。単行本でいいやとか考えてしまいます。『りぼん』の漫画家の移籍が、当り前のこと過ぎてしまっているのです。)


◆世紀末のエンジェル(倉橋えりか)
予測通り、終わりそうです。

「世紀末のエンジェル」を読んでいると、前世もの(生まれ変わり)は女の子が一度は通る道なのかななどと考えてしまいます。
私は、「ときめきトゥナイト」(池野恋、RMC全31巻)、「ぼくの地球を守って」(日渡早紀、HC、全21巻)のリアルタイム世代です。超人気作品で前世ものを通っています。

前世ものは、すでに少女マンガの中で古いモチーフであり、描き尽くされて定番になっています。連載が長くなれば、長くなるほど苦しくなる…1年くらいで納めた方がいい作品になった気がします。読んでてなんだか辛いです。


◆ガールクレイジー(芳原のぞみ)
次号で最終回ですか…芳原先生の最後の本誌連載である可能性が高いですね。第1回がよかったので残念です。でも、仕方ないとは思います。その後、面白くありませんからね。
読み切りでもすぐには難しい気がします。そろそろ、新人の読み切り連載(数号に渡り、新人漫画家の読み切りが連続して掲載される。この評判がいいと本誌連載に近づくのです。)が始まるでしょうし、その中には芳原先生は入れませんから。
こういうことを何度も見てきていますが、『りぼん』は競争社会だよなと感じる瞬間です。これがあるからこそ、私は『りぼん』を読んでいるからかもしれません。

P374の2コマの「え…?」は何なのでしょう。
絵から判断して、篤子が自分自身の肩になつめが手を置いたことへの驚きだと判断できます。しかし、読者はヒロインに感情移入しているので、心の声は未のものであるのが普通です。実際、P375の「どーいう事ー!?」は未(これは未のものであることは確実)の心の声であるので、「え…?」は未の心の声であると思われます。
が「え…?」と言っていることになると、なぜそう感じたのでしょう。「未わかってない」という篤子の言葉を受けたと考えるのが普通ですが、絵からみると、なつめが篤子の肩に手を置いたことへのもののような気がします。理解に苦しむネームです。

さらに、P376の1コマ目の「なつめくんが好き」も篤子の顔を描くべきところだと思います。なぜ、P375の最後のコマの「 あたしね」からページをめくったら、未の「え」になるのか私には理解できません。
コマ割り、コマ構成があわないと、マンガに感情移入できないので、練りこんでほしいところです。絵そのものは、ある程度のレベルに達しているので、問題ないと思うので、もったいないなと思います。

P384で未が1人で帰っていますが、普通付き合ってすぐの時は特別な理由がない限り一緒に帰るものでしょう。ラブラブな時期じゃないですか。P378からP380のとも兄との会話に、一緒に帰れない訳をいれてほしかったです。P396では一緒に帰っているので、余計なぜだと感じてしまいました。
学生の時は(学園恋愛ものにとって)、登下校の時間はすごく大切なものだと思います。

P387の1コマ目ですが、一瞬、とも兄が未の胸を触ったのかと思ってしまいました。これも、コマ割り、コマ構成からくる誤解です。P386の最後のコマで、とも兄のアップになっているのだから、次もとも兄を描くのが当然だと読者としては思ってしまうのです。P386の2コマ目と最後のコマを入れ替えた方が話が、P387に通じる気がしなくもありません。

P388の3コマ目の「−その呼び方 やめろって」は、とも兄がしつこくなってしまうので、辞めてほしかったです。しつこい男は嫌われます。寂しげな顔のとも兄をいれて、その顔を見て、呼び方のことに気づくという流れの方がいいと思います。とも兄もメインキャラなわけですから、いくら芳原先生がなつめがタイプであっても、キャパを広げるために脇も格好よく描いてほしかったです。
この描かれ方だと、とも兄は嫌な奴に感じてしまいますし、未はいい娘ちゃんにしか感じないんですよね…細かいことなのかもしれませんが。

「感動の最終回」とのことですが、感動できるものでしょうか。未となつめが両想いになって、感動できたらすごいと思う…
「ガールクレイジー」には、
恋の楽しさも、切なさも描き切れていたとは言い難いです。これが描かれていないと感動はできないと思うのです。


◆Wピンチ!!(亜月亮)
キレイにまとめられていました。キレイすぎて、想像通りでしたが(先月号の感想より)、好きな作品でした。
最後のページの“ハンパに長いれんさい”という表現に、亜月先生の『りぼん』での微妙な位置を実感してしまいました。私は好きな作風なのですが、看板を張るには地味なのも否めないんですよね…

P406の1コマ目の手書きの読者へのメッセージに、乙女ちっく作品の読者へのメッセージを思い出してしまい嬉しく感じました。かつては、単行本で漫画家のフリートークなどなく(太刀掛先生などのように描き直しされて、広告のスペースを残されない漫画家もいらっしゃっいました。)、本誌の他には、このようにマンガの中で読者へメッセージという手法が多かったのです。

亜月先生のりぼん歴は20年ほどだと思いますが、この手法を知ってられるからこそさらっと使えるのだと思います。亜月先生の単行本のフリートークは『りぼん』の漫画家の中で最も好きな部類に入りますが、主義・主張などいいたいことはすべてマンガにいれて、読者への感謝の言葉を影ながらマンガにいれるというこの手法が私は趣きがあって好きなのです。

P420の3コマ目の猪神の「バカじゃないの!?それくらい…自分で 考えなよ……!!」の女言葉が、猪神の動揺が出ているようで面白かったです。

P421の2コマ目にドッチボールに関して亜月先生の「7対7でやれる競技が他に思いつかなかった」とツッコミがありますが、「Wピンチ!!」にはドッチボールの素朴さがあっているように感じます。なんとなく…

P421の最後のコマの「ちびまる子ちゃん」の藤木にかけたひきょーものネタですが、今のりぼんっこには「ちびまる子ちゃん」さえリアルタイム世代がほとんどいないのだろうと思うと複雑でした。(私はうけましたけれど。アニメで知っているというところなのかな…)

P426の2コマ目のありさ?と暁名のキスを見た各キャラの反応が面白かったのですが、伊世がトト丸の目をふさいでいるのが得に目につきました。「ときめきトゥナイト」の15巻P60で、蘭世と真壁くんの人工呼吸のシーンでアロンがヨーコ犬の顔を押さえて「ちっちくしょういいなあつ 見るな おまえは見るな」(手書きで)「むなしいだけだ…」というつっこみを思い出してしまいました。
トト丸は、P428の最後のコマ、P429の1コマ目、P430の3コマ目など他のキャラがメインなはずなのに、なぜかトト丸にピントがあっているように感じるコマが多く、「最終回も相変わらずだな」などと感じてしまいました。

P428の猪神の暁名に似せていたことと(最後のコマの猪神のセリフもよかったです。ヒロインに振られた男がよくないと、いい作品にはなりません。つまらない男は振られて当然なので、面白くないんで。)、P430の暁名のほくろの謎解きには、ちょっと感動しました。

連載お疲れ様でした。早く次の作品が読みたいものです。


あまり注目している人は少なそうですが、今月号からふろくファンルームの担当が入れ替わりました。(“まっち”から“がちゃこ”へ)ふろくファンルームの担当が替わる=ふろくを作っている人がかわる=ふろくが変わることを意味します。
相変わらず、『りぼん』のふろくは女性編集者の持ち分のようですが(なんで読者コーナーが周ってこないのだろう。まだまだ、『りぼん』編集部も女性には厳しい部分があるようです。)、男性編集者が担当されていた時期のふろくの方が活力があったので、女性がふろくの担当に向いていることはわかりますが、女性ばかりというのは私はあまり賛成しかねるんですけれどね…
しかし、がちゃこ(あだ名なので呼び捨てで失礼します)って、“初心者”ってことは、入社2年目とかでしょうか。そうだと、23歳ということになります。

読者や漫画家が自分よりも年齢が下なのには慣れましたが、編集者でというのは少しショックを受けました。私よりりぼん歴が短い人が編集長になることと比較すれば、編集者が自分より年齢が下であることなど、気にすることもないことかもしれませんが。(今井編集長は80年代初頭から『りぼん』に関わられており、当然、私のりぼん歴よりも長いです。)

あと、現在発売中の「編集会議」第2号で、表紙グランプリのようなものがあり、『ちゃお』の表紙が選ばれていました。勢いのある雑誌は、表紙まで評価されるのかと思いましたが、りぼんっこの私は無性に悔しかったです。こういうことで、『りぼん』にすごく負けてほしくないんですよね…


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