『りぼん』2001年9月号感想

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『りぼん』は創刊46周年を迎えました。そして、編集長が今井鈴人氏から、村井憲司氏に交代しました

編集長の存在に書いたように、私は編集長の存在を非常に重視しています。今月号の『りぼん』では、編集長が交代したことが原因かはわかりまりませんが、変化を感じる部分がありましたので、その部分を先に触れておきます。

1.2001年10月号ふろく「藤井みほなの蘭ちゃん超ファッションバンダナ」

P5、6(雑誌は、紙が1枚であっても折れ目がある場合、別ページとして換算されます)で、ふろくの広告にページを割いています。(藤井先生のコメント付き)また、P482の1ページをふろくに使った広告を出しています。異例の扱いです。

バンダナが雑誌のふろくになる事が『りぼん』がはじめてではないことは、P407・482の“りぼんふろく初!!”とあることがそれをものがたっています。
1960年代の『りぼん』には、布地製のふろくはあったのですが、近年はほとんどありません。1954年にできた規制のままだと、来月号のふろくは違反になるので、状況は緩やかな方向に変化しているのかもしれません。
でも、雑誌のサイズ以上のふろくは付ける事ができないことや(雑誌より大きいふろくは必ず折りたたんでいる)、ふろくは2つ以下にまとめる(ふろくにおいて、1つはビニール袋で、1つは帯が常についている)規則は明らかにあります。
このバンダナは、規制のギリギリの線をいっているものだと思います。

『りぼん』のふろくは近年停滞していたと思います。70年代に紙製のふろくで一大ブームを巻き起こした頃がありました。児童向け少女マンガ雑誌のふろく王者の地位を取り戻してほしいものです。

バンダナに関連しての連想ですが、まず、「ふろくファンルーム」の担当編集者が、がちゃこから、まっちにたった4ヶ月で戻りました。このような人事異動は珍しいことです。

それに、部数に関連している気もします。
編集長は、部数会議に出席しなければなりません。編集長は、販売担当や編集担当の取締役(上司)に、『りぼん』の現状をプレゼンテーションしなければならないでしょう。
私はなんとなく、来月号の『りぼん』はこのバンダナと全プレがあることによって部数を増加させているような気がします。(『りぼん』では、読者が冬休みでお年玉が期待できる2月号と、夏休みの9月号に売り上げが上がるといわわれています。だから、普通は下げる。)

あと、別冊ふろくも9月号に付くのが今までの『りぼん』の慣例だったのに、11月号にもってきています。これも異例の事です。

2.新人の起用・ベテラン戻し

水沢めぐみ先生の新連載には驚きました。ベテランを放出することを積極的にを行っていた今井鈴人編集長でしたら、水沢先生が本誌連載に戻れたとは私は思いません。(村井さんが、水沢先生の担当でもしていたからかもしれませんが。)
これに関連して、吉住渉先生が『りぼん』から出て行く事も延びるかもしれないなどと考えてしまいました。

今月号から酒井まゆ先生の本誌初登場・初連載が始まりましたが、過去のデータと合わせるとかなり異例(「ボクたちの旅」の感想の部分で細かく触れます。)のことです。
しかし、P5の2001年11月号の加月るか先生の本誌初登場・初連載の予告と、P471の酒井先生の扱いを見る限り、単に使われているだけで、酒井先生でなくても新人漫画家であったのなら誰でもよかったように感じました。ピースに合うのがたまたま酒井先生だっただけで、『りぼん』を盛り上げるために誰か必要で、酒井先生を使っているように思えます。

今井さんの漫画家の起用には『りぼん』の規則に沿ったものが目立ちましたが、村井さんの漫画家の起用は派手さを感じます。

3.ドラマ『ネバーランド』撮影舞台ウラ大紹介!

これには目眩がしました。
私は、『りぼん』で『りぼん』のマンガ以外がクローズアップされることを嫌います。『りぼん』原作のアニメでも外モノに感じますし、『りぼん』の漫画家以外の作品が掲載されるなど考えただけで嫌なのです。

70年代前半の『りぼん』には芸能界の情報が載っていました。ふろくにも芸能界に絡めたものが多数ありました。乙女ちっくマンガ(詳しくは2001年8月号感想の(注)参照)が人気が出た70年代中盤以降に、芸能界ものふろくや、情報ページがなくなりました。
80年代前半の『りぼん』は、乙女ちっく漫画家の第一人者である陸奥A子・田渕由美子・太刀掛秀子先生の勢いに衰えが見え始め、『りぼん』に芸能界に絡んだものや、他誌の漫画家と絡めた企画が洗われ始めました。それも、1985年2月号を最後になくなっていたのです。

芸能界が絡んだ80年代中盤の『りぼん』は、部数が伸び悩んだ次期と重なります。

「りぼん」は昭和57年10月よりテレビアニメ化された「ときめきトゥナイト」がバカ受け。これ1本で100万部を割るかという低迷を一気に吹き飛ばし、58年に入ってみるみる上昇、年末には180万部に届く部数になった。この急激な伸びは、小学校低・中学年の読者離れが起きていたところに、テレビアニメ化によって、この読者層が戻ってきた、というのが原因。
                            −1984年出版年報P157より

当時の状況から考えると、芸能界が絡んでくるということは、それだけ今の『りぼん』が苦しいことの象徴とも思えます。部数が増えていれば、芸能情報は必要ないのですから。



◆GALS!(藤井みほな)
本誌の表紙&巻頭カラー、『りぼん夏休みおたのしみ大増刊』巻頭カラー、10月号のふろくの柱(『りぼん』初!!)と大プッシュです。

「GALS!」は嫌いではないですし、苦手でもありません。『りぼん』の王道路線を走っているので、読みやすい作品です。
でも、最近あまりにも同じようなエピソードが連続しているので、先月号までの“ハート”のエピソードのように柱があるときの方が作品に緊迫感がでて、ひきしまるように思います。

今月号のエピソードには、違和感を感じました
蘭は高校3年生。つまり、受験生でしょう。進学しなくても、進路について考える時期なのではないでしょうか。

今月号では、マミと2位、美由と大和の関係を軸に話が進んでいました。美由と大和との関係は以前にも描かれているので、新鮮味があるのは、マミと2位とになります。とはいっても、P47の最後のコマの「“慣れ”か・・・ナルホドな それならわかる気がする」という綾への乙幡への言葉をひきだすためだけのエピソードというところなのかもしれませんが。

私は、「天使なんかじゃない」(矢沢あい)の翠&晃、「ママレード・ボーイ」(吉住渉)の光希&遊と同い年です。受験生だった私には、2作品の受験の描き方が満足だったわけではありませんが、進路(受験)という当り前のことを抜きには、高校3年生は描けないと思います。
「GALS!」という作品の性質上、「ママレード・ボーイ」以上に受験を描かないわけにはいかないでしょう。早めに、進路の部分のエピソードをいれて作品を組み立ててほしいです。

タツキチのエピソードは、町田が地元の私には楽しめました。
しかし、町田からは千葉の九十九里にいくよりも、神奈川の大磯にいくほうが近いので、九十九里にいくというのがお笑いという設定なのですが、町田の位置がわからない人にはその部分で楽しめたのでしょうかね…

また、さらに突っ込むとP39の小田急線町田駅の出口は、デパートがある町田の中心方向とは反対の出口です。(この方面には塾が乱立している。)裏口という設定が、上手いというか。
ちなみに、この出口から50mほど歩いたところにラーメン屋さんがありますが、こ綺麗な店なので、「がんこいってつ黒井ラーメン」的な店はありません。この手の店って、駅から歩けない場所にありそうな感じがします。


◆あたしはバンビ(槙ようこ)
槙先生は、タイトルに“バンビ”をいれた意味を忘れているとしか思えません。
「あたしはバンビ」は、
2001年4月号の感想で触れたように、子供だった主人公が、困難を乗り越え、成長していくストーリー、槙先生の“麻衣の成長漫画なので”とコメントがあるままのストーリーに持っていってほしいです。現状だと、中身があまりにも普通すぎて、どうしようもないという感じがしてなりません。

先月号から登場した未波ですが、ネーミングはあいかわらずいいのですが(空子、空緒、麻衣、泉、八重蔵と、槙先生はキャラクターのネーミングセンスがすごくあると思います。ネーミングの時点で外してしまう漫画家も多い中で、読者の心をしっかりと作品に取り込むキャラの基本となる名前をつけられるセンスがあるというのはすごい武器だと思います。)、「ママレード・ボーイ」の亜梨実タイプ(ヒーローと過去に付き合っており、ヒロインにはない華があり、ヒロインになれなれしく、キツクてイヤミのある言葉をさらっと言ってのけるタイプ)のありがちなキャラだなという印象を受けました。

それに、「ママレード・ボーイ」で亜梨実が初登場したのは、連載開始から4ヶ月目です。(1992年5月号連載開始で、8月号初登場)亜梨実は、ヒロインの親友・茗子の次に出てきた女の子で、光希・遊・銀太の三角関係に変化をもたせるために出てきたキャラでした。(私は「ママレード・ボーイ」は好きではないのですが、連載開始のこの時期は好きです。)

「あたしはバンビ」は、連載開始から6ヶ月目です。ヒロインの友人・朋の次に出てきた女の子でこの手のキャラがないと話が進まないところまで来ているのでしょう。もちろん、麻衣、泉、八重蔵の関係に変化をもたせるために出てきたキャラであることは明らかで、槙先生の『りぼん』での立ち位置は、吉住先生と重なるなと改めて感じました。
少なくとも今後、亜梨実のように未波を立たせることができるかが、連載前半の作品の面白さを左右することになると思います。

「あたしはバンビ」を私は楽しいとは感じていませんが(別に、嫌いではありません。ただ、あまりにも内容ないストーリーなので、気持ちが盛り上がりません。)今月号は、1ついいシーンがあったので、よかったと思いました。
気に入ったシーンは、P87・88の下りです。麻衣が笑うこと、そのタイミング、そしてページをめくった後にくる麻衣の笑顔がとてもいいと思いました。

最後に、「あたしはバンビ」のネームは、助詞が抜けていたり、語尾で意味を判断しないといけない文脈や、独特の言葉回しがが多くあります。私はとても言葉使いの悪いので、言葉使いの悪さはどうでもいいことなのですが、このネームが好きな人と苦手意識を感じる人がいるではないでしょうか。

例えば、P75の1・2コマ目「泉 元気?」「…ああ 元気じゃん?」。P76の3コマ目の「なんかとにかくはちゃけた人だね」。P94の2コマ目「一緒帰る?」。
上に挙げた中で私が苦手意識を感じたのは「…ああ 元気じゃん?」と「一緒帰る?」。「はちゃけた」という言葉もどこかの方言だか知りませんが、おもしろいと思いましたし、女の子の独特の言葉使いはいいと思いますが、男の子に使われると違和感を感じてしまうのです。

槙先生だけでなく、朝比奈先生も独特のネーム回しがありますが、『りぼん』で今後この手のネームの漫画家が増えそうな気がします。(そのネーム回しが小花美穂先生のようにあえばいいのですけれど。)


◆無重力少年(亜月亮)
初回の読んだ感想は、亜月先生の思惑どうりかもしれませんが、
とらえどころがなく変な感じがしました。(別につまらないという意味ではありません。)

まず、作品の入りがとらえどころがありませんでした。
非常に細かいことなのですが、作品の入りのP107ですが、風子の顔のアップから、“ぬん ぬん ぬん”の文字を追い、坂を登っていく風子の後ろ姿を追うことになります。目線が上に抜けてしまい、下のコマを読むまでに、間が開きます。最後のコマはツッコミなので、間があくことはいい効果なのだと思いますが、作品の最初なので、このように目線を動かされるのは、とらえどころがないように思えました。(私は少しついていけなかったのです。)

ページをめくって、ヒロインのアップと独白(P108の1コマ目)があり、友達と会話をしたあと、自転車を隠すために旧校舎裏の秘密の自転車の隠し場所にいって、“ヤツ”を目撃します。
しかし、“気になるヤツ”と表現したP108の意味が、P109では、わかりにくいように感じました。

P109の1コマ目で屋上にいる“ヤツ”を見るコマの描き方が問題なのかもしれません。作品のタイトルにある「無重力少年」の魅力を引き出すには、P109の描き方はもう一歩だと感じました。(ここでも、私は少しついていけなかったのです。)
ただし、P110の最後のコマの“ヤツ”を横に描いている効果は非常にでていました。これは、P108の風子のアップとP109をはさんで対照の関係となっているので、上手いと思いました。(そうすると、やっぱりP109が弱く感じてしまうというか。)
と、ここまでが起承転結の“起”の部分なので、こんなものでいいのかもしれません。

P113の最後の落ちから、P117までは、「ピーターパンの空」(椎名あゆみ)でした。周りに距離を置く、クールなヒーローを描く上での定番なのだと思います。亜月先生は乙女ちっくを基本としていると感じる部分です。よく、乙女ちっくさに恥ずかしさがあって、ご自身で突っ込んでいらっしゃることがありますが、好きだからできることなのだと思います。

P116の2コマ目のエピソードは「ソラソラ」(槙ようこ)があったばかりなので、あまりいいセリフとは思いませんでした。それに、亜月先生は槙先生とは違って、キャラのネーミングセンスは、あまり良いほうではないと思います。
また、流風は「海の闇 月の影」(篠原千絵)があります。いくら『りぼん』の作品ではないとはいえ、「海の闇 月の影」は非常に有名な作品で、双子ものということで、名前も重要な位置となるため、性別を変えたとしても、避けた方がよかったのではないかと感じました。
しかし、どうして格上の人気作品と同じ名前を付ける漫画家が絶えないのでしょうか。有名な作品のヒロインやヒーローとだけは、名前がかさならないようにしてほしいものです。(私は何だかむなしくなってくる…)

P118からは亜月先生の良さが出ていてとても楽しめました。
*P119の4コマ目(カバンがあってどさっというのはよく意味がわかりませんでした。)
*P120の3コマ目(なんだかかわいい)
*P122の1コマ目(亜月先生の作品にはマスコットが必ず出てきますが、ヒロインやヒーローよりも毎回変化があり、愛情の注ぎ具合がわかります。)
*P123の2コマ目(藤田先生がお手伝いされたのでしょうか。)
*P135の1コマ目(亜月先生はかわいい顔の女の子を1種類しか描けないのですが、相変わらずの美少女ぶり。ヒロイン・ヒーローの顔も一種類しか描けませんけれど。)
*P143の1コマ目(とても亜月先生らしいコマだと思います。)
とか。

ヒロインが、超能力を身につける作品は多くありますが、使えない超能力ものというと、「きもち満月」(谷川史子、頭に四角いものをのせると馬鹿力がでる超能力)くらいしかないでしょう。
重力を操る能力という目のつけどころは面白いと思いますが、今後どのようにストーリーを展開していくのじゃ、まったく想像できません。
このあたりも、とらえどころのなさを感じた理由の1つだと思いますが、期待しています。

「先生からのひとこと」によると、亜月先生は気付け教室に通いだしたそうですが、私は漫画家は習い事をするべきだ(マンガとは関係ないことの勉強をするべきだ)と考えているので、素晴らしいことだと思いました。(亜月先生はすらっと背が高く、着物美人だと思いますし。)


◆ボクたちの旅(酒井まゆ)
酒井まゆ先生を見ていると、新人時代の椎名あゆみ先生を思い出してしまいます。

本誌初登場・初連載は、2001年4月号の感想で書いていますが、吉住渉先生の「四重奏ゲーム」以来のとなります。しかし、酒井先生と吉住先生の本誌初登場・初連載の背景はかなり違います。

というのは、吉住渉先生は「天使なんかじゃないイラスト集」のインタビューにもあるように、デビューしてからも漫画家として活躍する意志もなく、マイペースで創作活動をされていました。(超寡作…)だから、「四重奏ゲーム」はまさに大抜擢でした。

「四重奏ゲーム」の連載が始まった当時、吉住渉先生と仲が良かったと思われる周りにいた漫画家はすべて吉住渉先生よりも漫画家としての経験が上でした。
同期の柊あおい先生は、「星の瞳のシルエット」で当時、『りぼん』の頂点まで上り詰めていましたし、ほぼ同期の矢沢あい先生も、連載を何本もしていましたし、漫画スクール出身ですが、デビュー時期はほとんど一緒の北原菜里子先生も、本誌デビューだったので、本誌に作品経験があり、デビュー時期こそことなるものの、同年齢の水沢めぐみ先生(吉住先生は、1963年6月18日生まれ、水沢先生は1963年7月3日生まれ。)も、本誌で確たる地位を築いていました。

酒井まゆ先生は、榎本ちづる先生と仲が良いようです。榎本先生は本誌初連載中ですので、漫画家としての経験度は、酒井先生よりも上になります。しかし、同期には本誌掲載経験がある方はいません。しかも、酒井先生はデビュー時から“期待の超大型新人 記憶に残る衝撃デビュー!!”(『りぼんオリジナル』2000年10月号、P271)と猛プッシュを受けています。

椎名先生も酒井先生と同様にデビュー時から、他の新人漫画家とは待遇が違いました。
椎名先生は、今無き「りぼんNEW漫画スクール」で準りぼん賞でデビューしています。通常、デビューが決定するのは、3ヶ月に1度のS・B賞の結果を待たなければならないところを、S・B賞の結果を待たずして、『りぼんオリジナル』でデビューをし、本誌初連載「ピーターパンの空」までの間の2作「心にそっとささやいて」「魔法をかけて」はすべて本誌掲載でした。破格の扱いだったのです。この点が重なるのです。

また、椎名先生と同様に、4作目での本誌連載開始ということも注目されます。4作目ということは、単行本の1冊目から連載作品を収録したものである可能性があり、これが実現すれば、吉住渉・椎名あゆみ・種村有菜先生に続いての珍しいことになります。(ちなみに、瀬戸優菜先生も、5作目で本誌連載をしていますが、本誌連載以降、本誌に作品掲載はありません。)

さらに、椎名先生のデビュー時は、乙女ちっくの影響を受け(当時は、柊あおい・水沢めぐみ先生など乙女ちっく系統の漫画家の活躍が『りぼん』では目立っていました。)、漫画として上手くまとめられていました。酒井先生も、小花・種村・槙先生に影響を受けており(今の『りぼん』の売れ線)、漫画として上手いのです。

種村・槙先生もプッシュされましたが、読者に先導され、それを誇張したものでしょう。(読者の人気を押されて、編集側がその価値に気づいたもの。)しかし、酒井先生は、読者に人気が無いわけではないでしょうが、編集側がこの漫画家は絶対に外さないと核心してのプッシュでしょう。

以上のような理由で、私は椎名あゆみ先生と重ねてしまうのです。

「ボクたちの旅」に話を移します。
「ボクたちの旅」は、最近読んだ初連載ものの第1話としては最も好印象でした。酒井先生の作品はデビュー作しか読んでいませんが、デビュー作と比較していいなと感じた部分が多かったからだと思います。

ヒロインと、ヒーローの性格は、デビュー作の「プライマル・オレンジ」とさほど変わりませんが、ヒロインの背景が描き込まれてあるので、感情移入がしやすかったです。
また、「プライマル・オレンジ」でも使われていた“絵”というありがちなモチーフも、画集という小物に絡めたエピソードを出すことで、わかりやすく、新鮮味を感じました。

しかし、ストーリーはよかったのですが、絵はデビュー時の方が整っていて、私には読みやすかったです。『りぼんオリジナル』2000年10月号の感想で書いたように、その整い方が私はいいとは思わなかったので、今の方が反対にいいのかもしれませんが。(これが整い出した時に、酒井先生のオリジナリティーがでているかもしれないんで。)、
酒井先生の絵は人気があるようですが、私には男の子が男に見えませんし、全体的に猫っぽくなんか怖いので、どこが魅力なのかわかりません。トーンをはりまくることがすごいとも思えませんし(空間恐怖症じゃあるましし。)、書き込みが多いことがすごいわけでないでしょう。(シンプルな線にこそ、漫画家としてのセンスが出ることが往々にしてあるのです。)

残念だったのは、キャラが外見も中身も幼く、中3という設定が不自然に感じてしまった部分です。(作中では明確ではありませんが、P467の「スクープ!まんが情報」でわかります。)
タイトルも「ボクたちの旅」と第一人称に“ぼく”を使っていますし、小6という設定で描いた方が自然になったように思います。(中3だと家出も、シャレにならない部分もあるでしょうし。)
小6だと「こどものおもちゃ」と重なるので。避けたのかもしれませんが、今後、小6ではなく、中3であるキャラを意識してしっかりと描いていただきたいものです。

椎名先生が今の位置にあるのは、「無敵のヴィーナス」あってこそだったように、酒井先生が今後伸びていくためには、ただの売れ線というだけではない自分自身の色を作らければならないと思います。「ボクたちの旅」は間違いなく人気がでそうですが、ただの売れ線漫画家で終わらない様に脱皮してほしいものです。


◆聖・ドラゴンガール(松本夏実)
立て続けにカラーだったり、全プレに登場したりと、ここまで人気が出るとは驚きました。
つまらない作品とは思いませんが、とりたてて面白い作品とも思えないのですが。

どこに人気があるのか考えてみたのですが、何だかP226の1コマ目のキスシーンと、P238の2コマ目のキスシーンに集約されているように思いました。種村先生の作品にも見られるのですが、ラブシーンが多いのですが、ラブシーンが余分に多い感じがするのです。

少女マンガでは、近年、ラブシーンが過激になってきているといわれていますが、『りぼん』では、それをキスシーンを増やすことでまかなってる部分が見られ(得に、両想いになる前からキスするというパターンが激増している。)「聖・ドラコンガール」でもその流れに乗っている部分が人気につながっているのではないでしょうか。
それと、コスプレ&アクションシーンも原因としてあるのかもしれません。(これも種村先生の作品にも見られる。)
「聖・ドラゴンガール」の方がストーリー的には、種村先生の作品よりもまとまっていますが、本誌にはどちらか一方でいいのではと思ってしまいます。(ただし、種村有菜先生を本誌からは外せないのが。。)今月号を読む限り、最終回が近いように感じますが、今のプッシュを見る限り終わりそうな感じはしませんが。


◆グットモーニング・コール(高須賀由枝)
今月号は楽しめました。上原と菜緒と恋愛を見るよりも、今月号のような
上原メインのストーリーの方が私は好きです。(菜緒が好きではないので。)

P260の3コマ目、P264の1コマ目の菜緒の内面のセリフは、状況を読者に説明する意味と、落ちの前ぶりの意味の両方があったりと、ネームのリズムがよく読んでて気持ちよかったです。
しかし、
次のP264の3コマ目からP266にかけての上原と千崎兄は、あっさりしていまね。トーンがほとんど使われていません。ストーリーの中でのつなぎの場面だから、反対にあっさりしているくらいでいいのかもしれませんが。

P269の最後のコマには「ぎゃははははっ」、P281の最後のコマには「ベキッ」というオノマトペ (擬声語、擬態語)が、それぞれ画面転換の画面で使われています。高須賀先生のオノマトペの描き方は、かなりシンプルなので、こういった使い方が効果的になるのだと思います。

P284の最後のコマの菜緒ですが、この髪型をされると若奥様〜っていう感じですね。
相変わらず、吉川・上原くんと呼び合う2人の関係が、江藤・真壁くんと呼び続けた「ときめきトゥナイト」を思い出してちょっと嬉しいです。(『りぼん』で以前、名字で呼び合うカップルが多かったわけではなく、「ときめきトゥナイト」の時にも名字で呼び合うカップルというのは珍しいものでしたので、「ときめきトゥナイト」に直結してしまうのです。)


◆アンダンテ〜Andante〜(小花美穂)
すごい展開になってきましたね。おもしろいです。(私好みの展開で嬉しい…)
現在のストーリーの中での問題箇所は

1.那都とメルはいつお互いの関係を知るのか。
  (2人同時という可能性は低いでしょう。そして、茗はいつ知ることになるのか。)
2.
メルの過去。(オーストラリアから来た小包の中身は何か。)
3.
洲の過去。(なぜ、家出をしているのか。)
4.
茗と洲との今後の関係。

など、どの方こうに進んでもすごいことになるようなものばかりです。(茗・那都メルの三角関係、茗・洲・那都の三角関係とどちらも重い…)

今月号で衝撃が走った那都とメルとの関係ですが、小花先生は近親相姦のタブーものを取り上げるのは初めてなので、期待する部分も大きいのですが、一条作品に侵されている私としてはちょっと怖いです。(ちょっとでもつまらないと思うと、すごくつまらないように感じてしまいそう。)
P321の1コマ目に那都とメルのベットシーン(後)がありますが、このシーンから即、2人の関係をばらすあたり、あざとい(上手い)なと感じました。

細かい部分では、ネームの量は多いのですがP316は好きです。P316の最後から2番目と最後のコマで、茗が最後のコマの叫ぶシーンで、首の角度を微妙に首をずらして、P317の1コマ目でそれを受ける那都という流れも自然でした。(ネームそれ自体が一番いいのですけれどね。だから、コマとかに目が止まるのです。)

「アンダンテ〜Andante〜」で唯一辛いのは、茗とメル(那都とメルとの関係が明らかになった以上、2人の名前が似ているのも、意識的にしたのかもしれませんね。)の顔が似ている部分です。普通の子という設定の茗と、超美人というメルとの区別がつかないのは問題でしょう。(茗と那都とは血はつながってないので、茗とメルとは血の繋がりはないと思いますが。もしかすると、これもわざとかもしれないので、何ともいえない部分ですが。)

「パートナー」のフリートークで、小花先生が読者がマンガの先読みすることについて触れられていましたが、私も先読みをしますが、当ったからといっても嬉しいわけではありません。ストーリー上での願望はありますが、先読みしてどうこうとは別です。


◆ペンギン☆ブラザーズ(椎名あゆみ)
今月号を見て「ペンギン☆ブラザーズ」が、今月号にカラーではない理由がわかるような気がしました。

P72、208の広告から、2001年『りぼん夏休みおたのしみ増刊号』で、「ペンギン☆ブラザーズ」はカラーページ付きであることがわかります。
現在の椎名あゆみ先生の仕事量を考えると、カラーP24と、本誌カラーP31をほぼ同時期に描くのは難しいのではないでしょうか。(「お伽噺をあなたに」のフリートークに書いてあるように、椎名先生は、現在、仕事量を多少減らしているようです。)

また、消去法で椎名先生以外にカラー落ちできる漫画家がいなかったようにも思えます。
「時空異邦人KYOKO」、「ランダム・ウォーク」は、今月号で最終回でしたが、種村・吉住先生の『りぼん』での位置を考えると、両方一辺に終わる時、どちらか最終回で片方をカラー落ちさせるという露骨な事はしないようです。(ずれているならよかったにしても。)
2001年『りぼん夏休みおたのしみ増刊号』では、「時空異邦人KYOKO」、「ランダム・ウォーク」ともにカラーではありませんでした。この当たりでも、種村先生をプッシュしているとはいえ、露骨に吉住先生と差をつけることはしていないことが読み取れます。

新連載2作品のカラーは外せませんし、「GALS!」、「グットモーニング・コール」は柱作品ですからこれも外せないでしょう。「聖・ドラゴンガール」は現在、急にプッシュを受けはじめていますし、「アンダンテ」も連載が始まった直後ということもあり、プッシュを受けています。(小花先生は仕事量をどうこうということももちろんありませんし。)

となると、仕事量で調節できるのは椎名先生と吉住先生(元々寡作な方なのです。)しかいないわけで、吉住先生のカラーは外せないとなったら、椎名先生には『りぼん夏休みおたのしみ増刊号』のカラーを餌に引いてもらうしかないというところなのかなと感じました。
しかし、椎名先生が恐い方という意味ではないですが、椎名先生はプロ意識が『りぼん』の漫画家の中ではトップクラスにある方だと私は認識しているので、カラーはないですと伝えた担当編集者は冷や汗ものだったのではないでしょうか…

ということで、先月号に考えていたのとは違い、「ペンギン☆ブラザーズ」のカラー落ちは、いろいろな事情が重なった産物という感じがして、私はほっとしました。

先月号に続いて、入りが好きでした。上手いな〜と歓心してしまいます。
P324は、陽菜の回想に、一色と西崎が異母兄弟である事実に関して、椎名先生が読者にヒントとして描いていた最も核心的な部分をいれて、先月号で明らかになった衝撃の事実を、作品の前提で以前からあったことを読者に納得させ、印象づけられます。そして、P325の1・2コマ目の「じーっ」は、先月号の最初を繰り返す面白味があります。雑誌で読むからこそ、このような効果を感じる部分でもあります。(雑誌読者と単行本読者への見せ方は異なることは、漫画家は意識しているでしょう。『りぼん』は月刊誌と刊行間隔が長いため、雑誌読者と単行本読者の感覚が近く、雑誌読者へのアピール度のみを意識している高い作家がほとんどのように感じます。椎名先生は、ベテランですから両方とも意識されないといけない立場ですが。)
文章でエピソードの積み重ねと表現していますが、私はエピソードが畳み掛けられると非常に弱いんです…

P327の最後のコマの、小柴のハンドルネームが“TETTA”だというのが、普通すぎて面白かったです。きっと、ネット上でも小柴のままの性格でやっているのでしょう。(私は、ハンドルネームが本名なので、ハンドルネームが本名から連想できる人の方が親近感を感じやすいのです。)
しかし、「下弦の月」(矢沢あい、RMC全3巻)の頃は、マンガでネットで調べることを描くのが新鮮でしたが、あれから、3年以上経ち、当り前のことになってしまったのだなと感じました。

P330の1コマ目の補習授業の貼り出しですが、“守谷”という名前は、2000年4月号P27の1コマ目の順位発表で3位にもあるので、何気に気になります。(補習と総合3位ではまったく正反対なのに。)
この2つのシーンも、コマ構成や、陽菜のセリフ(「うそーん!!」「うっそーん!!」)が重なることから、エピソードの繰り返しによる面白さの効果も多少狙っている部分だと思います。(陽菜の周りにいる仲間の数が増えていることが、今までの陽菜の活躍が忍ばれてちょっと嬉しかった。)

P335の恭ちゃんですが、“恭ちゃん”というニックネームは、「せつないね」(小花美穂、RMC全1巻)、「君しかいらない」(吉住渉、RMC全3巻)で、いずれも、ヒロインが想いを寄せる年上のキャラとして使われています。
結果として、「ペンギン☆ブラザーズ」の“恭ちゃん”は、「せつないね」、「君しかいらない」よりも出番が多いわけではないのですが、“京茶”があることで、上手いネーミングとなっていますが、不思議なことです。(そんなにいいニックネームとも思えないのですが。小花・吉住・椎名先生ともネーミングセンスはよい方ですし。)

P336の4・5コマ目の陽菜のセリフの内容は、2000年4月号P22に描かれている部分からの流れなのですが、椎名先生記憶力いいですね…すっかり忘れていたので、陽菜の行動には度肝を抜かれました。デートと称して連れてくるとは。
それに、一色はデートに誘われて断わらなかったということになりますし、小柴が気が気でないでしょうね…(もてもてなのに、「ベイビィ☆LOVE」のせあらのように読者に嫌われないのは、陽菜のすごいところだと思いますが。せあらもすごくいいヒロインだと私は思っていますけれど。)

P341から、陽菜の記憶がなくなった事情がわかりましたが、そのきっかけが、母親が目の前で交通事故でというのは、さほど面白味はありませんでした。
P342の1コマ目でひどいという表現が使われています。これは、母親の死に様がひどかったという意味だけではなく、陽菜の後ろのガードレールが切れていることから、陽菜が飛び出して、それを母親がかばったという背景があることも読み取れます。しかし、この理由を加えてもまだあっさりしていると感じました。

このように私が感じるのは、事故で親を亡くし、その記憶を失っているのがヒロインの3作品「秋への小径」(太刀掛秀子、RMC全1巻)、「ポニーテール白書」(水沢めぐみ、集英社文庫コミック版全3巻、飛行機事故)、「夢のあとさき」(一条ゆかり、RMC全1巻、船舶沈没)を小学生のときに読んでいるからでしょう。(「秋への小径」、「夢のあとさき」には、とても巧妙な事故背景が描かれてありました。)
「ペンギン☆ブラザーズ」も、7歳の陽菜のことはかなり練り込んであるような気がするので、今後の展開を楽しみにしています。

P346の1コマ目の回想カットをみていると、陽菜と一色の過去が読者の期待を裏切らない様にかなり密に練ってありそうで、気になります。
一色と西崎の関係を明らかにして、陽菜の過去を一部明らかにすることで、反対に陽菜と一色の過去を遠ざけるという心憎いストーリー展開なので、この事実がわかるのは当分先のような気がしますが。


◆ナツの甲子園(榎本ちづる)
乙女ちっくだよなとつくづく感じる作品です。榎本先生は私と同い年なのですが、この乙女ちっくぶりには多少驚かされました。

私達の世代は、『りぼん』で「ときめきトゥナイト」・「星の瞳のシルエット」をリアルタイムで読み、熱狂した世代です。「ときめきトゥナイト」・「星の瞳のシルエット」は共に、80年代型の乙女ちっく作品です。(乙女ちっくの基本は、70年代にできました。90年代型は「天使なんかじゃない」であり、谷川史子先生だと私は考えています。)だから、世代的に乙女ちっくの影響を受けていて当然なのかもしれません。

「ナツの甲子園」は、80年代型の乙女ちっく作品に近く、エピソードそれぞれの組み込み方はうまいと思いますが、エピソード1つ1つは古く、デビュー直後の椎名あゆみ先生など、80年代最後の時期の作品群と印象が重なります。
例えば、
*女の子っぽくない、友達同士、転校、涙の告白=「涙のメッセージ」(椎名あゆみ)
*髪型=「魔法をかけて」(椎名あゆみ)
*髪型、野球、女の子らしい小物(注)=「ピーターパンの空」(椎名あゆみ)
  注…ヘアピンのこと。「ピーターパンの空」でのドレス。
*身長=「私の中の自分に」(森本里菜)
などでしょう。

それぞれのエピソードは、効果的なものと、効果的でないものにわけられます。
最も効果的なものは、髪型でしょう。ばっさりと髪を切った夏子は、夏子らしさがとても出ていていました。髪型に付随して、ヘアピンが出てきますが、これはもう一歩。(「ピーターパンの空」の方がいいと私は感じます。)
反対に最も効果的でないものは、身長でしょう。女らしくなさを引き立てる要素の1つなのですが、いれないほうがよかったように思います。

というのは、2001年8月号P230の2コマ目に、夏子の身長は171cmとあります。171cmといえば宝塚歌劇団の男役と一緒くらいですから、周りの人と比較すればかなり大きいはずですが、それを感じません。また、大地は夏子以上の体格であるので、175cmくらいはあるはずですが、夏子が見えないので、大地もそれを感じません。
夏子は女の子らしくないというのがコンプレックスの女の子なのですから、そのコンプレックスを描かければ、共感しにくくなるのです。

つまらない作品とは思いませんが(やはり、エピソードの入れ方は上手いと思いますし。)、いまいち新鮮味に欠ける印象のまま、次号で最終回ということで寂しいです。

榎本先生に次の本誌連載はあるのでしょうか。芳原先生の本誌連載はすぐにはないでしょうが、酒井・加月先生と若手の本誌連載が来ていますし(酒井先生は、榎本先生を超すと思いまうし。)、まさかの水沢先生の本誌連載がありますし、当然、種村・倉橋先生も戻ってくるでしょうから、本誌連載枠はキツキツなので…
もう一度くらい本誌経験させて成長をみたい漫画家です。


◆ランダム・ウォーク(吉住渉)
吉住渉先生に関するチャット大会を行ったのですが、「ランダム・ウォーク」に対する評価は思わしくなかったです。
最終回でしたが、十和の優架への気持ちの描き方が中途半端だなという印象はやはりぬぐえないでしょう。2001年『りぼん夏休みおたのしみ増刊号』を読んでも、優架の気持ちの経過を描いてあるだけで、十和は?という気持ちになりました。

「ランダム・ウォーク」では、2000年11月号の感想で触れたように、優架が恋の放浪者になるという新しい試みに挑戦されています。『りぼん』の対象年齢の読者にはなかなか共感の得られにくいヒロインタイプのためか、優架の描き方はかなり注意深さを感じます。

最終回で、優架と十和をいきなりくっつけるのではなく、P416のセリフをいれて保留としたのは、これが、「ミントな僕ら」のまりあのセリフ「…あたし 今度はもう ものすごーく好きになった人とじゃなきゃつきあわない」(2度目に振られた後のセリフ)にあるように、吉住先生の一線なのだと思います。

優架が十和にひかれた理由はわかる気がします。女の理想でしょう。
話が飛びますが、発売日の前日に、宝塚歌劇団宙組「ベルサイユのばら〜フェルゼンとマリー・アントワネット編」を見にいきました。(2001年5月号の感想で「ベルサイユのばら」に触れたのも、社会人になる直前に、宝塚歌劇団星組「ベルサイユのばら〜オスカルとアンドレ編」を見にいったからです…最近、マンガを一通り読み返したりしましたし。)
パンフレット(星組・宙組版とも)に以下のような文章があります。

(略)『ベルサイユのばら』に出てくる二人の男性も、まさしく女の理想像であった。(略)幼なじみとして育った二人は、何でもずけずけと言い合い、まるで男同士のようなつきあいなのだ。
  けれどもアンドレは、何かことがあれば命を賭けてオスカルを守ろうとする。献身的などというものではない。全身全霊をかけてオスカルを愛しているのだ。けれでも彼はこうしたことをおくびにも出さず、親友としてふるまおうと必死に努力する。仲のいい男友だちが、実は自分をずっと愛してくれていたというのは、女が欲する恋の理想の形である。相手は自分の何もかも知り抜いていて、しかも許してくれるとう安らぎ、そしてちょっぴりの優越感。やがて相手の男は、すべてをかなぐり捨てて自分に迫ってくる喜び。これらの下敷きがあるから、あの有名なシーン、
「千の誓いが欲しいか、万の誓いが欲しいか」
というところで、女たちは恍惚となるのである。(略)
                           ベルサイユのばら、二つの愛−林真理子

「ベルサイユのばら」の漫画評はそれなりに読んでいますが、この作家・林真理子さんの文章にもうなずいてしまいました。
「ランダム・ウォーク」の優架と十和の関係も、「ベルサイユのばら」と同じではありませんが、女の恋の理想の形として重なる部分があると思います。

さて、吉住先生の進退ですが、編集長が変わったことで、ここのタイミングでは『りぼん』を出て行かないのではないかと考えています。(出て行くなら派手に出て行かれる。)
何故そのように思うかというと、吉住渉先生は村井編集長が担当した漫画家の1人だからです。(ママレード・ボーイのCDにお名前が出ていることからわかる事実です。)

『りぼん』が最も売れていたバブル時期の原動力は、「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)、「姫ちゃんのリボン」(水沢めぐみ)、「ママレード・ボーイ」(吉住渉)でした。(「天使なんかじゃない」(矢沢あい)はその次です。メディアミックスしていなかったので。)

つまり、村井編集長から見れば、大ヒット作を共に生み出し、闘った戦友です。吉住先生は頼りになる存在と見ているのではないでしょうか。編集長に就任したばかりのこの時期、すぐに手放すということは何と無しに考えにくいような気がします。
まあ、出るならしっかりお膳立てしてくれるでしょうから、吉住先生にとっては悪くない人事のような気がします。

水沢先生の本誌連載復帰はすでに皆さんご存知の通りですが、ちびまる子ちゃんニュース!のはしもさんからの情報によると、「ちびまる子ちゃん」が2002年1月号に掲載されるそうですし、村井編集長は完全に動きだしていらっしゃるので、自ら担当された吉住先生も影響は必至だと思われます。

以前に書いたように、『りぼん』を出るなら『コーラス』がいいです。切実に…吉住渉先生の『Cookie』の読者向けの作品は私はあまり読みたくないのです。『りぼん』の方がいいです。
出張レベルなら(読み切り)、『Cookie』だろうが、どこでもいいので描いてほしいです。1991年以来読み切りを描いていないなんて、普通じゃないよ…(矢沢あい先生も描いていないですが。)


◆時空異邦人KYOKO(種村有菜)
無難ですが、キレイにまとめた最終回だと思います。どこかで見たようなシーンの連続である気持ちはぬぐえませんでしたが。

P437の1コマ目「命をかけて幸せにします 必ず…!」は、「ときめきトゥナイト」(池野恋、RMC全31巻)の「幸せにする かならず」(第14巻)に、セリフだけでなく、ストーリーの背景も(生まれ変わり)、構図も(背中から)、場所も(天上界でした)重なります。

P441〜443ですが、地球王って危ない…自分の妻の身体を娘に挙げるとは。ちょっと、「蒼の封印」(篠原千絵、SC、全11巻)を思い出しました。(こちらは危なくない。)

P449、450は、「ときめきトゥナイト」12巻の「おいで」と重なります。名シーンなんですよね。。

P452〜454は、パーティ脱げ出しということで「ハンサムな彼女」の第1部のこれも最終回「おれだけの専属のヒロインだよ…」と重なりました。

種村先生は、ここだというシーンにオリジナリティーを感じたら面白く読める漫画家だと思います。今は、決めシーン(力が入っているシーン)はすべてどこかで読んだシーンの組み合わせに感じるので、作品を読む度に記憶探索の旅となってしまいます。
本当に面白いと思う作品は、私は過去の作品と比較したりしません。(比較できないところが面白いのだから。)せめて、自分の作品との比較だけになるようにストーリーにオリジナリティーを出すように工夫してほしいものです。

P455〜459の響古の独白ですが、実は種村先生のオリジナリティーが最もある部分はこのネームだと思うのです。ネームの説得力は、ストーリーに納得できないと生まれません。ストーリーにナットクできないとただの、説教でしかないんですよね。(ここで、はまっている読者は感動するのでしょうけれど、私は読んでの通りの分析体勢です。

とりあえず、読み切りは久しぶりということで、11月号掲載の「吟遊名華」に期待しています。(連載よりも、オリジナリティーがでそうか予感がしなくもないので。)



P214にある漫画家志望への朝比奈ゆうや先生の激励マンガは、今の『りぼん』の新人漫画家の姿が見えたような気がしました。

私が『りぼん』を読みはじめた1984年頃は、事情が異なりました。今よりも、新人漫画家の進学率・就職率がよかったように感じるのです。さくらももこ・岡田あーみん・柊あおい・水沢めぐみ先生など、若手漫画家の多くが大学・短大生との両天秤であることが触れられていました。また、池野恋先生のOL時代があったということが情報コーナー「こちらまんが情報」で触れられていたりしました。
私は、漫画家という職業は、普通に大学や短大まで進学し、進学しなくても就職して、売れて初めて専業漫画家になる職業だという認識していました。

その後、バブルがはじけ、漫画家としての敷居が低くなり(80年代中盤は、漫画家になることが特殊な才能の持ち主にしか許されない雰囲気があったと思います。同人誌活動が盛んになったことで、アマとプロの境が薄まったのかもしれません。)、仕事が満足になくても、高校を卒業しても、進学も就職もしない漫画家が増えたように感じます。プロの漫画家になるために必要な専門的な技術レベルが向上したこともあるでしょうし、以前、『りぼん』出身の漫画家との話で、仕事がなくても、自宅を出なければ生活はできるからという話があったことも関連しているのかもしれません。

この傾向は、漫画家志望者にもあるような気がします。
朝比奈先生は結局、大学受験をしなかったわけですし、同じく北海道出身の新人漫画家・砂原ともみ先生の記事

 砂原さんは生まれも育ちも室蘭市。物心付いた時からイラストを描き、少女漫画家にあこがれていた。登別高校時代は友達同士で同人誌などを作り、「プロの漫画家」を志した。卒業後市内の会社に就職したが、漫画を描く時間が制約されることもあって平成10年秋に退社。両親も『夢』を理解し、
砂原さんは本格的にプロを目指す決断をした。(略)
                              
室蘭民報、2000年11月2日付け朝刊

を読んだ時にも、感じました。

このような傾向により漫画家としてのレベルが上がっても、経験によって得られることが片寄ってしまうのではないかということことが少し不安になります。
だから、私は亜月亮先生の感想の部分に書いたように習い事をしたりして自分の世界を漫画以外の面にも広げる漫画家に安心感を感じるのだと思います。(森先生のように学生時代をエンジョイしていたり、森本里菜先生のように語学留学をする漫画家とか。)
進学したり、就職しなくても、視野が広い方もいらっしゃるので、個人差のあることだと思いますが。(環境の変化があると、普通に考えると広げやすいからという理由だけですから。)


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