『りぼん』2001年10月号感想

表紙画像

今月号の『りぼん』をすべて読み終えたのは9月15日でした。
読み終えるのがこんなに遅れたのは、休みがほとんど取れなかったり(学会の時に休むために、取れないだけですが。)、気持ちが他のことにいっていたからです。しかし、発売から約2週間を経過するまで、『りぼん』を読む時間も、読む気持ちとなる時間もなかったわけではありません。
今月号の感想は、最初に、このあたり事情について触れておきます。

私は、本誌のことの他にも、『りぼん』に関連して考えていることがたくさんあります。例えば最近気になったことは、

1.岡田あーみん

まず、復刊ドットコムを利用して行われている岡田あーみん先生の単行本未収録作品を含めた作品集の出版の署名への返答

交渉方法:訪問
交渉相手:出版社
「著者への連絡不可。単行本未収録作品の為、フィルム存在せず。」

は、衝撃でした。
岡田あーみん先生が『りぼん』の漫画家の過去を忘れ去りたいと思っているということは、岡田あ〜みんを崇める会の情報により知っていました。
私は、ファンとは言えないまでも、「お父さんは心配症」の連載初回から岡田先生の作品を読んで来ているので、岡田先生が好きですし、深い思い入れがあります。また、太刀掛秀子先生の単行本未収録作品の署名活動を行っているので、活動そのものが他人事ではなく、この返答は辛いものでした。

『りぼん』出身の漫画家で、『りぼん』の漫画家であった過去を忘れたい人がいるということを知ったのは、インターネットをはじめてからです。
忘れたいとまでいかなくても、捨て去って新たな一歩を踏み出していきたいと考えている人も多いと思います。

「Love Dream Smile」の特徴は、現役の読者・漫画家だけでなく、元読者・出身漫画家について取り上げているだと思います。『りぼん』の感想があるのも、元読者・出身漫画家について取り上げているからこそできるものです。
だから、この情報は胸がつまりました。

(復刊に関しては、希望は捨てずに頑張るしかないでしょう。私もそろそろ、太刀掛先生のが、集英社への署名提出時期が近いので、気が張っています。)

2.ときめきトゥナイト

Yahoo! オークションにおいて、「ときめきトゥナイト」関連のものが最近かなり高騰しています。
私も「ときめきトゥナイト」連載開始号以降の『りぼん』を集めているので、現在の異常事態を目にすると目眩を感じます。

『りぼん』関連のものは今までほとんど、内田善美先生関連のものしかプレミヤがついていませんでした。
「ときめきトゥナイト」関連のものに高額の入札をしているのは、今まで、少女マンガの古本市場に触れたことがない方が多いのではないでしょうか。だから、ほしいものにはいくら出してでもほしくなっているのではと感じます。

一刻も早く落ち着いてほしいと私は願っています。

などです。もちろん、これらのことが『りぼん』が読むのが遅れた理由には直接つながってはいません。(岡田先生のことは結構衝撃でしたが。)

『りぼん』を読めなくなったのは、「聖・ドラゴンガール」(松本夏実)が原因です。(ちなみに、最後に読んだのは、「ボクたちの旅」・「旅篭屋ラプソディ」でした。他の作品は、発売日に読んでいました。)
何故かというと、「聖・ドラゴンガール」に「ときめきトゥナイト」(池野恋)のパクリを感じたからです。

具体的に挙げていきます。

P155の最後のコマの「おそらく…黒龍にすべての“気”を…」は、2000年前のエピソードでのゾーンと戦ったジャン=カルロでしょう。まあ、この程度はパクリとは言えませんが。

P157の最後のコマからP160は、「ときめきトゥナイト」第2部で、今までチップルから無理難題を押し付けられても、決してそれを承諾しなかったなるみが、鈴世を助けるためにその条件を承諾し、チップルから“月のなみだ”を受け取り、鈴世に飲ませるのと重なります。

また、命を助けるためのキスでというのは、第3部で反対に鈴世がなるみを助けるシーンがそうでした。(口移しで飲ませたのは、魂の形をしたものですが。)

「ときめきトゥナイト」においては、自然な流れだったこれらのシーンですが、「聖・ドラゴンガール」では、矛盾を感じるところがパクッたんじゃないのという疑問を高めています。

例えば、P158でなぜ桃華はキスで竜芽に紅真珠を飲ませたのでしょうか。息が止まっていたからでしょうか。わざわざ自分の口に含むという行為は、不自然な感じがします。

P164の最後のコマに「真にその死者を愛するものでなければ口に含んだだけで絶命する猛毒となります」と紅真珠について説明があります。しかし、これはP158の段階では口に含むどうこうについてはまったく触れられておらず、口に含まないで飲ませればいいだけじゃないと思わずにいられません。

P159の最後のコマからP160のキスシーンの「神様 神様 あたしの命を取ってもいいです だから…竜芽を助けて」のセリフも、いくら竜芽が心配だからといっても、紅真珠を飲ますだけなのに、紅真珠の意味を最初から意図していることが前提となっている心象表現としか思えず、矛盾を感じる部分です。この設定にあったセリフをつけるべきところだったのではないでしょうか。
「ときめきトゥナイト」の鈴世の魔界人としての永遠の命をかけてのキスと同じような効果をここでは狙うべきではないでしょう。

ちなみに、この紅真珠と同じような設定はマンガでは頻繁に出てくるもので、「ときめきトゥナイト」では禁断の剣がありました。禁断の剣は、永遠の命をもつ王族であっても真に愛する者に切られると死んでしまうというものでした。また、愛するもの意外には猛毒になるという設定は、「ビビデ・ダビデ・ラブ」(本田恵子、MC)があります。

2001年9月号の感想の「時空異邦人KYOKO」でも「ときめきトゥナイト」と一緒だと触れていますが、シーンが一緒というのはいいのですが、今回のようにエピソードをパクられる感じると思考が停止します。

きっと、「ときめきトゥナイト」を読んでいた人でもそんなことを考える人は私くらいだろうとわかってはいるのですが、駄目でした。

私は、「ときめきトゥナイト」のために『りぼん』を読み始め、「ときめきトゥナイト」が初めて買ったコミックスであり、「ときめきトゥナイト」が初めて集めたコミックスであり、「ときめきトゥナイト」のヒーローの真壁くんが初めて憧れたマンガキャラという、典型的なときめき世代のりぼんっこです。

「ときめきトゥナイト」は私にとって諸刃の剣なのです。「ときめきトゥナイト」が好きであったからこそ『りぼん』を読みはじめた反面、「ときめきトゥナイト」を侮辱されたと感じるようなことがあれば、その行為を見逃すことは絶対にできないのです。今までのように、「聖・ドラゴンガール」をただあまり興味のない作品と思えた方がどれほどいいか。

という、心底、意地悪〜い気分だったので、とても『りぼん』を読めるような心理状態ではなく(他の漫画家にもあたりちらしそうでしたから。結局していますが。)、封印していたのでした。

本来の『りぼん』に話を移します。相変わらず編集長が変わって微妙な変化が起きているようです。

1.「槙ようこの表紙」と「藤井みほなの蘭ちゃん超ファッションバンダナ」

バンダナを表紙に持ってくるのが斬新だとか思う前に、表紙のダサさに驚きました。しかし、これを通す編集部に『りぼん』という雑誌が見えた気がしました。

『りぼん』という雑誌のマガジンカラーは、完成度という部分には比重が高くありません。
たとえ、マンガの技術が高くなくてもデビューさせるし、変な才能の持ち主もデビューさせる(ちなみに、単に技術が高いというのはデビューさせないという部分もあるように思います。先が見える才能の持ち主というか。)わけですから。

この表紙も、センスも、技術もないけれど、バンダナがふろくにあるということはわかりやすく、ふろくへのインパクトはあるのです。
普通だったら表紙を藤井先生に担当させて、キャラにバンダナを身につけさせるとかしそうなものなのに、小細工はしないで(小細工ともいえない誰でも考えられるレベルのことですが。)インパクトを優先させているというのが、なんとも『りぼん』というか…

バンダナのふろくに絡んで、あゆむさんから以下のようなコメントをいただきました。

ちょっと脱線するかもしれませんが。
マガジンハウスのファッション雑誌Oliveが、
ついこの間復刊したときの復刊第一号に、
ふろくでバンダナがつきました。
ちなみに1年間定期購読者特典で、
それの色違いをもらえる、というものもあったので
ちょっとした流行なのかもしれません。

私はこのコメントを見た時に「たそがれ時にみつけたもの」(大塚英志、太田出版)の第2章の最後の項目のタイトルは「『りぼん』から『オリーブ』へ」の部分を思い出しました。

ふろくがキャラクター商品化していったことの理由は先に述べた2つの背景が大きく影響している。高年齢の読者の前にはDCブランドを始めとする大衆化したブランドが登場し、またサンリオ系のファンシーグッヅに限られていた<かわいいもの>は原宿や代官山に登場しつつあった雑貨店で輸入物を中心に簡単に手に入るようになった。(略)他誌との低年齢読者をめぐる市場争いの中で雑誌そのものを低年齢向きにシフトしていかざるを得ない’70年代末以降の事情も重なり、ファッション志向はふろくにおいて交替していくべき要素だったのである。(略)
’82年、マガジンハウスが少女向けのファッション誌『オリーブ』を創刊。(略)『オリーブ』は<かわいいもの>をめぐる少女たちの欲望を巧みに演出し、’80年代の消費社会を駆け抜けていくことになる。もはや少女まんが誌の紙製のふろくの中に<かわいいもの>を夢見る必要はなく、彼女たちの前には<記号としてのモノ>に満ちあふれた消費社会が「現実」として開かれていたのである。
幼年向け少女誌に戻った『りぼん』がそこに残った。

70年代の『りぼん』を知らない人や、「たそがれ時にみつけたもの」を読んでない人には興味ない部分なのかもしれません。
しかし、『オリーブ』が復刊したときに、『りぼん』でキャラクターグッヅとしてのふろくではなく、<モノ>としてのふろくがついたことに不思議な面白さを感じました。

2.種村有菜「吟遊名華」巻頭カラー&表紙

来月号において種村有菜先生の読み切り作品が、巻頭カラー&表紙になるようです。これは、『りぼん』においてはじめてのことではありませんが、久々のこととなります。

乙女ちっく漫画家が第一線で活躍されていた70年代では、現在のように連載作品が『りぼん』の主力ではなかったということも原因でしょうが、『りぼん』の巻頭カラーは、読み切り作品がよくありました。なにしろ、一条・太刀掛・金子・坂東先生以外の漫画家の作品は、読みきりが中心だったような時代だったのです。
「ときめきトゥナイト」の連載が開始された1982年7月号を境に、急速に『りぼん』は乙女ちっく漫画家が第一線からいなくなり、同時に読み切りから連載ものへと移っていきました。

別に今回の読み切り作品の表紙&巻頭カラーが、70年代にように『りぼん』がなるという意味で、このようなことを書いているのではありません。(バンダナもそうですが。)読み切りを巻頭カラー&表紙にしても、『りぼん』の本質が変化しない限り、ただ珍しいことをしましたというだけなのですから。
連載だけでなく、読み切り作品も同等に扱っていこうという傾向に、不思議な巡り合わせを感じたので、触れてみました。

3.来月号の予告

P84〜87では、4ページを割いています。『りぼん』の現役読者を手放さないための苦肉の策なのでしょう。来月号がいかに面白いかをアピールしているわけですから。こんなことをしても、マンガ作品が面白くないとどうしもうないことを気づいていないわけがないのに(短期的には、これでいいかもしれませんが、長期的に見て読者の囲い込みにはなりません。)、必至という感じがします。

ちなみに、夏のイベントで放映されたアニメが全プレになるのは、2001年7月号の感想で指摘した通りでした。“アニメの菜緒ちゃんが見られるのはこの会場だけ!”なんて嘘ついてなんの得があるのだろう。全プレになっても、イベントにはいきたいから応募する読者の数は減るわけないのに。

来月号からの『りぼん』ですが、P463のアンケートに「(9)今後、紙や、ビニール以外の素材で特別ふろくがつく場合、ほしいものを一つ書いて下さい。」とまた、特別待遇のふろくがつく方針のようです。
ボールペンや、シャーペンなどの文房具関連のような気が私はしていますが、何になるのでしょうか。

4.りぼん漫画スクール2001

2001年6月号の感想で書いたように、漫画スクールの評価を決定しているのは、漫画家ではなくて、編集(得に編集長)だと思われます。編集長が変わったとたんに、デビューする人数が減ったり、今まで高い評価だった投稿者の成績を下がっているところが興味深いところです。

デビューさせる人数が減ったことが嫌だと思うのなら、『りぼん』に投稿しなければいいわけですから。漫画家になりたい人はあり余っているわけで、投稿する意志がなくなった人を追うことはないでしょう。

それに、今まで成績がよくても、思い入れがなければ評価が下がるというのは、残酷なことだと思いますが、ある意味真実を見ている感じがします。漫画界は、結果がすべて。学校のようにきちんと勉強して、品行方正にしていればいいという世の中ではないでしょうし。もちろん、真面目なのはいいことですが。

どんな状況でもそれを突破するパワーがある投稿者だけが生き残っていけるという状況は私にはよいものに思えます。



◆あたしはバンビ(槙ようこ)

巻頭カラーでしたが、1ページをふろくの広告に割かれ中途半端でした。でも、巻頭カラーというのは、中身が重要ではなく、なるかどうなのかということが重要なのでカラーの枚数などどうでもいいことでしょうけれど。

未波のキャラがP21で麻衣が感じたようなキャラだったらよかったのにと読み終えた時に思いました。結局「ママレード・ボーイ」と一緒設定だとは(亜梨実も遊に未練がありました。)、期待を裏切られた気分です。

私は、最後の「自分の恋が 終わるような予感がしてたんだ−…」を、私は「自分の恋が 終わるような予感がしたんだ−…」と読み違えて、麻衣の泉への想いに変化があったらこれは面白い展開になるかもと思ってしまい(そこまで未波に感情移入するなんて新たな展開がまっているかもと。)、ただの読み違いで、単にP45の3コマ目の「麻衣じゃないんじゃないの」との繋がりでのネームだと気づいた時には気抜けしました。
今までの麻衣の描き方からも、簡単に忘れられるようなキャラではないのはわかっていますが、もう一度自分の恋を見詰め直す時を描くのを読みたかったのです。

ちなみに、未波の“表には普段現わさない隠している正反対の一面がある”という設定自体は、よくある設定ですが、私は好きです。このような一面は誰でもある部分だからでしょう。
しかし、P46の未波の告白に関しては、「天使なんかじゃない」
での志乃の号泣と比較するとインパクトに欠け(志乃のはエピソードをかなり積み重ねましたから。未波は出て来てすぐでしたから。)、そもそも公園のこんな場所にしゃがみこむのがちょっとおかしいかな(しゃがみむ場所が、広場の中央というのは。志乃は床に伏せったことを思うと、しゃがんでいたほうが絵的にドラマチックになる部分はあるのかも。)とか思ってしまいました。

とにかく内容のないストーリーだけは何とかしてほしいものです。ストーリーが単純でも、キャラが個性的というわけでもないですし。泉は女の理想とする男で、八重蔵は女の理想とする男友達で(自分に欲情せず、困った時には助けてくれる。)、ヒロインは普通の、むしろ冴えない女の子という、最も単純で、かつ、好きな娘も多いというありがちなものなのですから。

人間が面白いと感じる物語には、ある共通の「面白さのコード」が隠されている。少女マンガに限らず、あらゆる読み物のストーリーがパターン化し、おうおうにして陳腐になってしまうのはそのせいだ。

枡野浩一「漫画嫌い」P73より

という話もありますが、王道の枠組みの中でも面白い作品を数多くあるので、(枡野さんも同じようなことを書いているわけですが。)何とかならないものかと思ってしまう作品です。


◆いちごの宝石(水沢めぐみ)

乙女ちっくマンガです。(乙女ちっくマンガの説明は、2001年8月号の感想参照。)
なぜ今、水沢めぐみ先生が本誌連載する必要があるのでしょうか。今の『りぼん』の読者は、「姫ちゃんのリボン」以前の水沢先生の活躍を知っているとも思えず、“永遠の少女まんが家”(P436より)と評されていることが反対に寂しさを感じずにはいられませんでした。

水沢先生は、1979年8月号、第117回りぼん漫画スクールにおいて、中2(15歳)で準りぼん賞でデビューしています。準りぼん賞は、今の漫画スクールにおいてはりぼん賞にあたるわけで、それを中2で受賞したということは、当時としても衝撃的なことだったようです。
1980年5月号に「5月のお茶会」で本誌に初登場し、その後も猛プッシュをうけて、本誌に作品を掲載しつづけます。しかし、ブレイクのきっかけを掴めず、本誌から離れていきました。(しかし、この挫折と、受験の経験が、その後の水沢先生の強さとなっていくのです。)

1984年12月号に掲載された「頬ずえの午後」は私はリアルタイム読みましたが(初めて読んだ水沢作品。)、全然面白く感じませんでした。同号に掲載された「魔法のとけたプリンセス」(柊あおい)は好きで、当時は小2ということで幼すぎて新人どうこうという意識さえありませんでしたが、何度も読み返したものです。後になって気づいていたことですが、「頬ずえの午後」は、水沢先生が尊敬する(私も『りぼん』の漫画家で最も尊敬しております)太刀掛先生の「くりねずみ物語」似た感じがすることに気づきました。

1985年8月号から「ポニーテール白書」の連載を開始しますが、「頬ずえの午後」が評価されたのではなく、1985年『りぼんオリジナル』初夏の号に掲載された「ねむり姫のイブ」が評価を得たのだと想像されます。(これはよい作品だと思います。)
ちなみに、同号には、柊あおい先生の「春風のメロディ」が掲載されており、この作品は面白くありませんでした。この作品の評価の差と、キャリアの差(柊先生は1984年にデビューしたばかり。)で、柊先生は「ポニーテール白書」の連載開始された次号の1985年9月号に読み切り「乙女ごごろ 夢ごごろ」でもう一度試されることになります。(そして、「乙女ごごろ 夢ごごろ」で高い人気を得て、「星の瞳のシルエット」へとつながるのです。)

「ポニーテール白書」の連載は、水沢先生にとって千載一遇のチャンスでした。水沢先生はこの連載で大化け。「ポニーテール白書」は、太刀掛先生の作品に影響を受けてはいますが(「なっちゃんの初恋」と「花ぶらんこゆれて…」を読むとその影響を分析できます。私は「ときめきトゥナイト」の次に手にした単行本が太刀掛先生の作品という小学生にして太刀掛作品を語る生意気な娘でした…)、パクリではない水沢先生ならではの新鮮さがある作品です。
その後、「空色のメロディ」(「天空の城ラピュタ」っぽい作品ですが、私は好きでした。小学生でしたし、童話の世界が嬉しい時でしたので。)・「チャイム」(ここまで来たかと思いました。水沢流の乙女ちっくを極めた作品です。太刀掛先生の殻からついに脱皮した水沢先生独自の濃い乙女ちっくの世界です。)を発表し、「姫ちゃんのリボン」となります。

「姫ちゃんのリボン」は、『りぼん』が最高部数を記録した時にそれを支えた作品の1つです。
しかし、私が『りぼん』の作品で唯一といってもいい、嫌いな作品なのです。(私は『りぼん』が好きなので、苦手だとか、下手だとか思っても、嫌いにはなりません。)
「姫ちゃんのリボン」は最初から私にとってつまらない作品でした。当時、私は中2であり、「姫ちゃんのリボン」の幼さすぎる設定とストーリーについていけませんでした。今まで、自分が興味のない作品が人気がでるなどということがなかったので、そのことに戸惑いましたが、ふろくはかわいかったですし、内容は無視すればよく、一条ゆかり先生の「女ともだち」や、吉住渉先生の「ハンサムな彼女」に夢中になっていました。

「姫ちゃんのリボン」は、つまらないだけならよかったに、あろうことか「ときめきトゥナイト」をパクッたのです。(あくまでも断定させていただきます。詳しくは、『りぼん』はつまらない雑誌なのか?(注3)参照)前述した通り、「ときめきトゥナイト」への侮辱は私への挑戦状というタイプの人なので、一気に嫌いになりました。
「姫ちゃんのリボン」は当時大人気作品でしたので、私は“「姫ちゃんのリボン」が人気があるのは今だけ。「ときめきトゥナイト」を超える評価は絶対に出るわけがない。「ときめきトゥナイト」を好きな人は私だけではないはず。”と思いつづけました。

今、「ときめきトゥナイト」が再評価されてきています。戸惑う反面、“見たか「姫ちゃんのリボン」。”という気持ちに私はなるのです。
「ときめきトゥナイト」の筒井圭吾にそっくりな「姫ちゃんのリボン」の織田和也は、水沢先生の良心がいたんだのでしょう。単行本ではそっくり削除されていますが、私にとって、水沢めぐみ先生は、「姫ちゃんのリボン」の前3作は好きですが、もう思い出したくない嫌な思い出があるので、前3作以上の作品に興味を引かれない方なのです。

私には、水沢先生は「チャイム」までで封印したい漫画家です。いまさら、本誌での連載に何の意味も感じません。(前回の連載の「トウ・シューズ」も、「SWAN〜白鳥〜」(有吉京子、MC)、「アラベスク」(山岸凉子、HC)というバレエ漫画を読んでいる私には絶えられないものでしたし。)

「いちごの宝石」は、ヒロインの髪型から、ヒーローの設定から、パズルゲームから、ヒロインのライバルの性格から、そもそもいちごからして、古さを感じてしまいました。
私くらいの世代が水沢先生をよく知っているだから、水沢先生を評価しないでどうするのという現状なのに、私自身が水沢先生は駄目という現実を思い起しただけでした。
こういうのって、ツライです…水沢先生に関してはいつも思うのです。「チャイム」の時に戻れたら、「姫ちゃんのリボン」がなければと。

これが、本当の本誌最後の連載になることでしょう。短い連載ですぱっと終わってくれますように。


◆無重力少年(亜月亮)

先が想像できず、なんとなしに面白い作品です。とらえどころのなさが楽しめるようになっています。やはり、私は亜月亮先生の作品が好きなようです。

P99の表紙の「Girl Kong」に興味を引かれました。実際にあるものなのでしょうか?P119のお便り募集のコメントを見ると「クイーン・コング」に興味があるそうなので、そのあたりの文字りだと思われますが。また、風子が手にしているシアトル系コーヒーも実際にあるのか気になります。(両方ともなさそうな気がしますが。)

P109の3コマ目「靴が片っぽないと思ったら…」とありますが、P109の2コマ目にも、P108の最後のコマにも風子の靴はしっかりと描かれています。なんてわかりやすくて、素晴らしいアラなんだろう。アラはよくあるものですが、ここまで単純なアラは珍しいです。

P110の5コマ目の「オレから離れれば どうせ消えるんだよ この能力」とありますが、ヒロインが、超能力を身につけ、その能力がいずれ消えてしまうものという設定は、2001年9月号の感想でも挙げた「きもち満月」(谷川史子)、「ときめきトゥナイト 第2部」(池野恋)などとありますが、連載が長くなれば一度は能力が消える展開があることでしょう。(短いと消えて終わり。)流風の能力のこと、夏希との関係(過去)を含めて、どのような展開となっていくか楽しみな部分です。

P112の4コマ目のこのセリフをヒロインに言わせられるのは亜月亮先生だけだと思います。
P124の2コマ目は、なぜ急に“琴の若”なのでしょう。前作「Wピンチ!!」でも、相撲と絡めたキャラが出てきましたが、相撲にこだわっているのでしょうか。

P125の1コマ目は、風子の身長はどれくらいあるかわかりませんが、51Kは痩せてはないと思います。でも、風子=亜月先生の身長と考えると、亜月先生これくらいの体重はありそうな気がします。(1年前の話ですが、やせられてはいないようでした。作品にあるように、太ってもいませんでしたが。P125の2コマ目の風子のように亜月先生は足が長かったですし。)

P130の球技大会での勝負ですが、普通だとおしいところで負けるでしょう。賭け事というと、「無敵のヴィーナス」(椎名あゆみ)を思い出しますが(何度となく、スポーツで賭け事をしていました。他の作品もありますが、「無敵のヴィーナス」が最もそのエピソードを駆使していた作品だと私には記憶されています。)、今までの作品にはない展開を楽しみにしたいところです。

本編と関係なく気になることといえば、流風のピアス。左右違うのに意味があるのでしょか。右はいるかの形(P108の2コマ目)で、左は普通に丸い(P110の3コマ目)ようですが。


◆聖・ドラゴンガール(松本夏実)
前述した通り。わたしの中では終わった作品です。


◆GALS!(藤井みほな)
P177の2コマ目の証明写真ですが、これで蘭が警察官になることが決定ですね。
「火消し屋小町」(逢阪みえこ、小学館、消防隊員になった女性たちの物語。ドラマ化もされています。)のように、なってから様々な経験を積み、仕事にやりがいを覚えていくのでは遅いので、その前にエピソードが入ることでしょう。
蘭の卒業まであと半年…連載終了まであと半年…?

P194、195の絵の密度に、おおやちき先生(注1)の「おしゃまさんリュリュ」(『りぼん』1974年〜8月号掲載。)の書き込みを思い出しました。(おおや先生の方がさらにすごいのですが。)目がチカチカするくらいの密度の濃さです。
こういうことは段々エスカレートするものだと思うので、藤井先生が切れたときが怖い気がします。気持ちがペンに乗り移って、取り付かれているように思えます。おおや先生は絵に固執するあまり、漫画家としての筆を折られています。
藤井先生は、別に絵そのものに固執しているわけではないと思いますが、次の作品は書き込みが少ないような気がします。

2001年『りぼん夏休みおたのしみ増刊号』に出てきた乙幡のいとこの瑠衣のキャラが気に入ったので、本編でもでてきてほしいです。ただし、瑠衣をカタカナ表記でルイと書かれると、私は真っ先に岡田あーみん「ルナティック雑技団」の愛咲ルイを思い出してしまうので、漢字表記でお願いします…(たぶん、漢字が難しいからカタカナにしたのでしょうけれど、ルビふればいいじゃないのと私は思うのです。)


◆グットモーニング・コール(高須賀由枝)
来月号で連載50回となります。
読んでて害はないですが(面白くはないですが、別段つまらないわけではないので。)、菜緒が性に合わない私には、一生性に合わない作品なのでしょう。


◆ボクたちの旅(酒井まゆ)
P251の表紙ですが、読む気が何故か削がれました。(だから後回しにしてしまいました。)上手いとか、下手とかいうレベルの話ではなくて、単に私の好みの問題です。先月号の表紙は好きだったのですが…

ストーリー的には、そんなに突飛なことを描いているわけではありませんが、切り口がちょっと新鮮でとても良い作品だと思います。新人でこれだけのネームを描けるのは才能があるのでしょう。絵は私は好きではありませんが。

P258の1コマ目の「わかりやすい(?)残金講座」は最もツボでした。私は理系の人なので、こういうのは好きなのです。
高速バスのHPによると、確かに高速バスが最も安そうです。夏季講習中なので、青春18切符の発売期間だと思いますが、青春18切符は5枚1組11500円なので、1人5100円(2人で10200円)の高速バスの方が安くなるのでしょう。
しかし、この残金講座には単純な手落ちがあって、残金講座なのに残金がわからないのです。
名古屋についた段階で9260円。夕食代が1500円だから、7760円になります。(夕食ですが、お金がどうこう言っているわりに、豪勢にたべましたよね。名古屋にはいったことがありませんが、駅から歩ける場所にこんな郊外にあるような典型的なファミレスがあるのも不自然だと思いますが。)本編とは関係ないツッコミですが。(注2)

P264の4コマ目の「あゆ。」ですが、気合がそれなりに入っているエピソードのようですが、イマイチついていけなかったです。
先月号のP175の最後のコマに「アユ?…何それ アイツのこと?」「そー!!」という会話を始め、何度か柳瀬が「アユ」と呼ばれているシーンがあります。しかし、香菜が「アユ(あゆ)」と呼ぶことにこだわっているとは思いませんでした。周りからつけられたあだ名よりも、柳瀬が香菜のことを「香菜っぺー」と呼ぶように、2人だけに通じるあだ名をつける方が私には自然に思えます。(一応、ひらがなにして変化はつけているようですが。)

P267〜271はキレイな流れで好きです。
P273のカツアゲを見て、やはり主人公達が小6だという設定でこの作品を読みたい気がしました。いまどきの中3は大人びているし、小6くらいのほうが、やっぱり“ボクたち”という感覚にあうと思うのです。

P279の2コマ目で「なんか 右京さんって あんな絵を描いている人には見えないなあ…」とありますが、私にはイメージそのものって気分なのですが。
P280の3コマ目の反応も、期待していた通りの展開でした。この反応をしない大人はいないでしょう…定番の反応なのですが、ヒロインの憧れの対象である画家に言わせることで上手い効果を引き出しているなと思いました。

最終回のまとめ方が気になります。


◆ペンギン☆ブラザーズ(椎名あゆみ)
2001年『りぼん夏休みおたのしみ増刊号』を「3days」のために買いました。今月号の感想を書く前に、「3days」の感想です。

「ペンギン☆ブラザーズ」は「ベイビィ☆LOVE」と正反対のもので勝負しようという椎名先生の意気込みと、「ベイビィ☆LOVE」に拒否反応を示した読者への挑戦状だと私は思っています。
「ベイビィ☆LOVE」は苦手だけれども、「ペンギン☆ブラザーズ」は好きだという人が少なからずいるのは、「ペンギン☆ブラザーズ」では乙女ちっくさを削除しているからだと思います。

「3days」は乙女ちっくな作品です。「ペンギン☆ブラザーズ」において、乙女ちっくさと最も無縁な西崎と豊を乙女ちっくでまとめた点が今とのギャップがあり、上手い設定だと思います。

豊と同じ孤独なヒロインという設定は、椎名先生の初期作品「魔法をかけて」がありました。「魔法をかけて」と比較するとよくぞここまでと思ってしまう出来でした。(「魔法をかけて」が駄目な作品という意味ではありませんが、完成度が比較になりません。)

P227の3コマ目、男子が女の子の噂話をしているというエピソードですが、何度読んだかわからないくらいある定番のものです。面白いのは、西崎がさわやかスポーツ少年だという点と(これだけで、読者には衝撃的)、P228の最後のコマと、P229の豊の心のセリフです。

P232からP233の1コマ目にかけての

あんたみたいに 明るい 悩みのない奴に あたしの気持ちなんか わからないよ… ガキで 単純バカで お調子者で でも不思議と憎めない奴…

というネームから、「魔法をかけて」の

いつも元気で 明るくて お調子もので 人気者 悩みなんてひとつもないみたい あたしとは正反対のひと

を思い出したからです。漫画家は13年経っても、昔使ったネームとそっくりなネームが自然と描けてしまうものなんですね。(前後を読むと、「3days」の方がよりまとまっていることは明らかですが。)

とにかく、椎名先生、素晴らしい!!と素直に思える短編でした。P242の1コマ目の「あ−…やべぇ…… 心臓 とび出しそ−…」は、得に好きなシーンです。
読み終わって、西崎と豊がくっつけたいと思った私のような単純な人は多かったはず。これほどまでに、乙女ちっくな2人の過去を読んでしまったらね…

今月号の感想に移ります。
まず、転校するという話題を読んで、「ペンギン☆ブラザーズ」が最終回に近いことを感じました。

P291の最後のコマに豊が登場していますが、「3days」のため、豊に肩入れしてしまいました。
しかし、P297の

「友達として忠告する あの子の言う通り 余計なことはしないこと
でないとあんた あの子も小柴も 両方とも失うことになるよ」

の部分には首をかしげてしまいました。セリフの重さのわりに、豊のキャラが立ってないので弱いのです。『りぼん夏休みおたのしみ増刊号』の番外編を読んだばかりであっても、豊に女の友情を語れるキャラだとは思いませんでした。

「女ともだち」(一条ゆかり、RMC全3巻、集英社文庫コミック版全2巻)に以下のようなセリフがあります。

「友情を取りたいのなら もっと上手なうそつきになることね
自分をだませるくらいの
あんたの恋にとやかく言うつもりはなかったんだけど
このままじゃ恋も友情も両方失くすわよ」

いかにも一条ゆかり作品だと思わせる搖子のキャラだからこそこのセリフを説得力のあるものになっていたと感じます。
豊は搖子とは異なりヒロインとの関係も浅く、恋や友情面での経験も浅いのですから、そのような関係に合う相応のセリフをもう少し考えてほしいと感じました。「でないとあんた」以下は、でしゃばり過ぎに思えました。

P298の1コマ目と2コマ目には時間と場所の経過があるのですから、そのようなことを現わすことをしてほしいです。何もなくて読みずらい。
P288の2コマ目と3コマ目にも同じような場面転換がありますが、この場合は、同じ陽菜なのでわかったのですが、場合によってわからない場合があるようでは困りますので、注意して描いてほしい部分です。
小花先生のように場面転換をキッチリ描くのも個性ですから、小花先生ほど描かれても作品のリズムが変わるので、「ペンギン☆ブラザーズ」に合うものを開発していただきたいです。

P300の1コマ目、「ペンギン☆ブラザーズ」が連載してから初めての陽菜の乙女ちっく顔には、素直にかわいいと思いました。小柴とは違う意味で、衝撃を受けた読者は多かったはず。

P301の1コマ目の「キスもエッチもできねーじゃん」ですが、別に倫理面での問題だけでできるにはできるでしょう。恭一が陽菜をなんとも思ってない事が問題なだけだと思います。
恭一は陽菜の気持ちには気づいているでしょう。だからこそ、9月号の最後の「陽菜はやらねーぞ オレ以下の奴にはな」というセリフもでてくると思います。かといって、陽菜の気持ちに答えるつもりもないようですが。

P301の最後のコマからP303までを読んで、「ペンギン☆ブラザーズ」の番外編をいろいろと読みたいなと思いました。陽菜の過去話はもちろん、前にいた学校でのストーリーとかも。

P306からP309の小柴の告白はいかにも椎名先生だなと思いました。
P308の1コマ目の「あーもう!完全にフライングだよ!こんなとこで言うつもりなかったのに……!」というセリフに象徴される告白は、「あなたとスキャンダル」でありました。

告白する方が一方的に押すのは、新の友香への告白(「好きや!友香が好きや!好きなんやーっ!!!」)、告白された相手が呆然となるのは、タケの芹香への告白(冬彦が出て来てから焦り出すタケと、恭一が出て来てから焦り出す小柴は一緒。)があります。
P308の2コマ目の

「今 返事すんなよ!「お友達にしかみられませーん」とか言われて こんなとこで玉砕なんてありきたりな展開ぜってぇーやだかんな!!」

は、タケが告白した後の芹香の

「び…びっくりするだろっ いきなりそんなこと言われたってこ…困るよ!おまえのことはいい仲間だと思ってる ……けどそれだけだよ!恋愛感情なんてもってねぇよ これから先だって……

というセリフを思い出して、おもしろいところでした。「あなたとスキャンダル」ではその後、タケの名セリフ

「知ってるよ 俺のものにしたいなんて言わないよ 望みはひとつだけだ おまえを 誰のものにもしたくないんだ……」

があるわけですが。
豊とは違って、陽菜も小柴も、友香・新・タケ・芹香もキャラがしっかりと立っているので、ちゃんとキャラにしっかりかみ合ったエピソードになっていておもしろいところだと思います。一歩違えると、平凡なシーンになるところでしょう。

P313の最後のコマからの話の切り替えには考えられているなと感じました。陽菜の過去と、陽菜の恋愛関係とに意識が完全にいっていたところだったので、白・黒・グレイ対決への話の切り替えが上手いなと感じたのです。来月号には、こちらは解決されそうな勢いですね。

先生からのひとことに「今後の展開をおさめたFD消失で顔面蒼白…。」という椎名先生のコメントが載っていますが、パソコン本体に保存しておけば何の問題もなさそうなのにというツッコミはさておき、どこまで詳しく書かれていたものなのかというのは気になります。プロット程度なのか、セリフまで細かく書かれているものなのかとか。
「ペンギン☆ブラザーズ」は、ストーリーの構成がキチンとされているので、椎名先生がどのようにマンガを制作しているのかをしりたいなと思っていたところだったのです。(何か書かれているものを知っている方はおしえて下さい。)

◆アンダンテ〜Andante〜(小花美穂)
期待はずれの展開で、拍子抜けしました。2001年9月号の感想ストーリーの中での問題箇所を4つあげましたが、1があまりにもあっさり解決してしまったからです。

「こどものおもちゃ」で、紗南が羽山・直純・風花との4角関係に悩んで絵で整理するエピソードがありますが、私はあれくらい茗・那都・メル・洲の関係を煮詰めてほしかったです。
「でも、このことを那都もメルも、そして茗も知りません。」とP321の“これまでのお話”で書かれてあります。この“知りません”のところがおもしろいわけで、今月号だけで3人全員にとばらしてしまうことはなかったのにと感じてしまうのです。時間差攻撃で盛り上げるだけ、盛り上げてほしかったです。
小花先生は個々のキャラや関係を描くことは好きな印象を受けますが、総合的に描くという部分には興味が薄いのかもしれません。私は、複雑な人間関係を、こちらからも、あちらからも、そちらからも描かれているようなマンガは好きな人なので、今月号の展開が期待外れに感じたのだと思います。
那都が最後にマンションを出るわけですが、これから始まるという気分にはなれず、「終わったな…」という気分でした。

今月号でよかったのは、洲が出てくるシーンです。
P324の3コマ目の笑顔は、ありきたりですがこのあたりで見せて、読者の心を掴んでおくかなとでもいうような上手さがあります。

P324の最後のコマ「適当にかわいーし わりと好みだし」、P337の2コマ目「やっぱわりとかわえーよなコイツ」という州のセリフがありますが、羽山で「嫌いじゃない=好き」がありましたが、このストレートではない言葉の使い方が小花先生用語だなと思います。
小花先生の好きな言葉は“てきとう”です。しかし、インタビューなどを読む限りでは小花先生はプロ意識のある漫画家だと思います。マンガに対する姿勢を見る限り、ちっとも“てきとう”ではない人でしょう。
小花先生作品であいまい用語を文字通りの意味に読む人はいないと思います。使い方が上手い部分です。

P328の2コマ目の「あるー?」から、州の怪しげなバイトがうかがえます。早く州の過去を知りたいものです。

P329、330にベットシーンがありますが、やめてほしかったです。
私は『りぼん』でのセックスシーンに反対してはいません。別にいいんじゃないという肯定派です。
私が初めてマンガでセックスシーンを読んだのは『りぼん』の作品ではありません。「あさきゆめみし」(大和和紀、KC全13巻)でした。
「あさきゆめみし」は、「源氏物語」が原作という教科書的な側面があります。(講談社の歴代少女マンガで売り上げベスト2というヒット作でもありますが。)「源氏物語」を読むことは少女に禁止される理由はないのだから、『りぼん』は駄目だなんて理由にならないなと思ったことが、セックスシーン肯定派の理由の根底にある気がします。
つまりは、内容の問題でセックスシーンそのものがどうこうという問題ではないのではというわけです。

今回やめてほしいと感じたのは、一度ベットシーンを描いているわけだから、二度描く必要性を感じなかったからです。現実には、付き合い始めたばかりなわけで、セックスをしたいのは当り前です。しかし、2人がラブラブであることを読者がわかればいいわけで、何度も描かれる意味はないと感じました。

とりあえず、今後の展開が楽しみな作品です。残り3つの問題の他にも、茗とメルの関係とかも気になりますし。メルは、今後もいい娘ちゃんっぽいですが…(おかげで、メルに感情移入ちっともできず、ずるい娘という印象しかない…)


◆ナツの甲子園(榎本ちづる)
作風が洗練されてはないのだから、
もっと徹底的に恥ずかしい(濃い)エピソードをいれてはどうかなどと考えてしまう最終回でした。(洗練された作風は、本当にまだ先は流そう…というか、正反対なので目指しているとは思えませんが。)

スポーツを題材とした作品を多く描かれている森本里菜先生は、非常にベタなエピソードを描かれる漫画家です。徹底していて、これもありという気持ちになります。榎本先生は自分を捨て切れない感じがあり、読んでいる方としては冷静になってしまいます。榎本先生の強みはこれだという押し出しがほしいと思いました。

次の本誌連載はあるのだろうか…


◆旅篭屋ラプソディ(佐藤キリエ)
本誌初登場で、45ページという長さを飽きさせず読ませたというのはすごいことだと思います。
しかし、
ズルさを感じずにはいられませんでした。恋愛を描いていないからです。

私は佐藤先生の作品を「トナリはナニをするヒトぞ」と「旅篭屋ラプソディ」しか読んだ事がありませんが、恋愛の要素がないのが気になります。別に『りぼん』だから恋愛くべきだとか思っているわけではありませんが、だから何を描きたいのか、描けるのかというとその点もよくわかりません。

人情派コメディとあるので、人情路線なのでしょうか?人情派というと、私はさくらももこ先生を思い出します。しかし、さくら先生のような毒が佐藤先生にあるかというと疑問です。毒あってこその人情ものだと思います。それに、さくら先生は絵で毒を消していますが、佐藤先生には絵からして毒消しの要素はなく、さくら先生路線を狙っているとも到底思えません。

P392の2コマ目の絵を見て芳原のぞむ先生を思い出しました。芳原先生の絵と同様に重さがある絵です。

P425の1コマ目の「ありがとう。」があるから、P427の1コマ目の「ありがとう」は無用でしょう。P425の1コマ目良さを消すだけです。

P427からのネームは急なまとめという感じがしました。砂雪の成長を作品の中に感じる事ができなかったからです。(砂雪は成長したことから出たセリフですから。)
砂雪は、最初は最後まで正体をばらすつもりがありませんでした。笹田の擁護により結局はサングラスをとる“羽目”になっただけで、隠していたことを悩んでもいません。
だから、落ちとしては急だと思いました。もっとネーム段階で練り上げてほしかった部分です。

「旅篭屋ラプソディ」はいい作品だと思います。でも、私は本誌で佐藤先生の連載作品を読みたいかというと、そうは思いませんでした。佐藤先生の作風は読みたくなると無性に読みたくなるもので、読み切り向きのような気がしました。



(注1)
おおやちき
…『りぼん』出身の漫画家の中でも、少女マンガ史に名前が挙がる数少ない漫画家の1人。少女マンガの初の評論集「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」(橋本治)にも、陸奥A子先生と共に『りぼん』の漫画家として取り上げられています。美大出身だからということもないと思いますが、得に絵柄の華麗さ、レベルの高さに定評があります。

(注2)
mayaさんから以下のようなコメントをいただきました。

私は名古屋に住んでいますが(駅前です)名古屋駅周辺にあんなファミレスはありません。
一番近いところでも歩いて20分はかかります。

マンガだからこそのフィクションというところなのでしょう。
酒井先生は最もらしいことを描く作風だと思うので(好きな人はこの最もらしいところに共感して好きになっているはず。)、嫌う人のポイントになりそうな部分だと思います。(結局ははったりじゃないのというふうに。)

漫画家個々の作風なので、種村先生のように最初からフィクションで、本人の思い込みだけで押し切って、それについていけるファンだけはOKというのも、それはそれでありだと私は思います。(私はついていこうとも思わないので、興味ないわけです。)

私は別に頭のよい漫画家だけが好きなわけではありませんが、どちらかというと頭のよいと感じる漫画家の方が好きな方が多いです。フィクション部分がアラに感じてしまうことがあるからでしょう。
絶妙な嘘を積み重ねて、実際にもこのマンガの中のようなことが起こりうるんだと読者に信じ込ませる事ができるか否かは、漫画家の力量の一つだと思います。


-- Talk top ---- Log top --
--
← 9月号 ---- 11月号 → --

Presented by Eiko.