『りぼん』2001年11月号感想

表紙画像

今月号は全体的におもしろくなかったのですが、相変わらず編集長が動いています。
まずは、気になった部分を3つ取り上げます。

1.特別ふろく

今後は定期的に特別ふろくがついていくようです。
先月号に続いて、巻頭カラーのカラーページを削ってのふろくの広告がつきました。気合入ってます。

気づいた方は少ないと思いますが、ふろくのキャッチフレーズとネーミングが今月号から変わりました。(りぼんふろくリスト参照)これはとてもすごいことなのです。

キャッチフレーズは、私が確認した最も古い1968年の『りぼん』から“〜○大ふろく”でした。(“○大特別ふろく”とか多少は違っていた部分もありますが、大まかな部分では。)それをふろくの数ではなく“〜りぼん○月号ふろく”と変えています。
今のふろくに関する不満で指摘したようにキャッチフレーズのいい加減さが目に余っていたところだったので、よくぞ決意したと評価したいところです。
しかし、35年間以上当り前のように続いたことが編集長が変わったとたん、ころっと変わってしまうって雑誌ってすごいものかもしれません…

ネーミングは、漫画家がふろくのイラストをつけるようになったのは大体1973年以降ですが、それ以来ずっと“漫画家名の〜”というものでした。キャラの名前が入ったのは1983年からで“漫画家名のキャラ名・〜”だったのが、1986年以降“漫画家名のキャラ名ちゃん〜”となって現在に至り、今月号から“漫画家名/キャラ名ちゃん〜”となりました。
つまり、25年ぶりの変革となりました。

その他に気になることは、本当にまっち1人でふろくを担当しているのかということ。今井編集長の時には、女性2人(1人はまっち)だと編集長のインタビューでありました。

私が『りぼん』を読み始めてからの「ふろくファンルーム」の担当(=ふろく担当編集者)は、2人以下になったことはなかったと記憶しています。たぶん、もう1人くらいはいないといそうですが、だったらなぜ名前がでてこないのでしょう。
イメージキャラのしのび丸はわかりますが、木月庭子先生(にわにわ)は、ふろくの案をだしているわけではなくカットを書いているだけなので、「ふろくファンルーム」に出てくる意味はないと思います。(ふろくの立案をしているのだったら、漫画家だろうが顔出しはいいと思いますが、まず、してないでしょう。)名前が出るということは、責任を負うということです。無意味に名前を出すこともないと思います。“カット・木月庭子”で、充分だと私は思います。以前からありますが、よくわからないシステムです。

今のふろくに関する不満で書いたように、『りぼん』のふろくは以前、かなり怠惰な状況にありました。だから、これくらい気合を入れてふろくに取り組むのも当り前という感じもします。

2.りぼん漫画スクール&りぼん新人漫画賞

P196にあるように「りぼん新人漫画賞」が50回目から生まれ変わります。
「ショート&ギャグ部門」は、結果として受賞者0、入賞者も0という結果でした。

失敗をすぐに改めるというのはよいことですが、「4コマ漫画部門」も続くものでしょうか?今の4コマ漫画家は皆、漫画スクール出身です。漫画賞そのものが、4コマに向いているとは私は思えませんけれど…

それに、池野恋・水沢めぐみ先生が審査員からいなくなりました。『りぼん』からいなくなる意味なのか、外されたかはっきりとはわかりませんが、替わりが倉橋・松本先生という本誌連載レギュラーということを見ると、外されたのでしょう。

りぼん新人漫画賞には、審査委員長がいなくなりました。つまり、次から「新人まんがデビュー作集」は、池野恋編ではなくて、りぼん編集部編になる可能性が高いということです。
少なくとも、池野恋編は終わります。「りぼん新人まんが家デビュー作集/(21)」が最後の池野恋編となります。「ときめきトゥナイト」はやはりRMC最長コミックスのままか…池野恋先生の脱退がその原因というのが、微妙な関係などころだなと感じる部分です。

りぼん漫画スクールの「緊急アンケート」(P456)に答える

(1)漫画スクールのページを読んだ感想は?

今のままでよい

(2)漫画スクールに載った投稿作品の中で、読んでみたいと思った作品はありますか。あれば、どの作家名か、作品名を。

第16回 りぼん新人漫画賞 佳作「One Day・・・?」(吉住渉)
第16回 りぼん新人漫画賞 努力賞「トロイメライの風にのせて」(柊あおい)
第20回 りぼん新人漫画賞 佳作「SA・KU・RA咲く」(森本里菜)
第33回S・B賞次席「未完成な感情」(長谷川潤)
第25回 りぼん新人漫画賞 佳作「白雪姫症候群」(小花美穂)
第35回S・B賞次席「Always with a smile」(藤井みほな)
第49回S・B賞次席「なでしこ戦風」(亜月亮)

新人漫画賞の作品も入っていますが、『りぼん』で活躍された漫画家で、デビューのきっかけとなった作品とデビュー作が異なる場合、デビューのきっかけとなった作品は読みたいとずっと思いつづけています。

特に、吉住渉「One Day・・・?」は、続編をデビュー後に描かれているので、元ネタはずっと気になっています。
他にも、上記にはありませんが、
種村有菜先生などのように投稿時代の作品をリニューアルして描かれているような漫画家の投稿時代の作品は気になります。(かなり多いようなので、リストにしませんでしたが。)

私は、『りぼん』は、『りぼん』の漫画家が描く雑誌だと思っています。そのため、デビューしてない投稿者の作品を、読者に掲載(公表)するというのは反対です。投稿者と『りぼん』の漫画家の境目のケジメはつけてほしいです。

ということで、デビュー済の漫画家(それも本誌連載レベルの漫画家)の過去作品は、その漫画家の単行本にでも掲載するということは、読者として興味深いので賛成です。(過去では、清原なつの先生のデビューのきっかけ作品は掲載例がありますが。)

(3)今まで、漫画スクールに投稿したことはありますか。

ない。これからもしない。

(6)漫画スクールの作品募集ページへの意見や、注文があれば。

『りぼん』の漫画家の審査員の名前を公表して下さい。
また、りぼん新人漫画賞の方では、13、14年前までのように、選考状況などのレポートをつけてほしいです。

(7)漫画スクールのページでやってほしい企画や意見、提案、または感想や注文があれば自由に書いて下さい。

漫画スクールは、編集者が幅を利かせていて、漫画家が出てきても、編集者に言われて書いているという感じを否めません。
新人漫画賞は漫画家にできる限り任せる、漫画スクールは編集者が仕切るというふうにはっきりと分けてしまったほうがわかりやすいのではないでしょうか?
そこまでしなくても、投稿者にとって、誰がどのようにデビューを決めているのかということが最も気になる部分だと思われるので、そこがはっきりわかるシステムを作って下さい。

私は以前、ネット上で投稿者(投稿志望者)を対象にアンケート調査をしたことがあります。
『りぼん』の投稿者同士は交流が深く、濃密なネットワークができているようですが、意外とお互いのことがわかっていない部分が多いようです。漫画スクールでは、技術的な面ではなく、投稿者のアンケート調査を行なったり、漫画家の投稿時代のエピソードを掲載するなど、投稿者の心理面をフォローしているコーナーを目指してほしいと思います。

あとは、(1)の質問に絡みますが、作品の批評は準りぼん賞・佳作・努力賞の人はどの受賞者よりも厳しいものでしてほしいです。デビューする、デビューが近い人は他の投稿者とは訳が違うと思います。厳しい漫画スクールにすることで『りぼん』全体がしまっていくと思います。

久しぶりに『りぼん』に手紙を出そうかな。前回書いたのは、今のふろくに関する不満に書いたことを出した時です。「Love Dream Smile」を開設してから、一度も書いていません。

太刀掛秀子単行本未収録作品文庫化プロジェクトの署名が100人集まったので、集英社の『YOU』編集部・コミック文庫編集部・太刀掛秀子先生には、手紙を出す予定なのです。ついでには手軽な内容かもしれません。(署名提出はいろいろと気合入りますが。)

3.『りぼん』作品枠

来月号で、「ペンギン☆ブラザーズ」と「いちごの宝石」が最終回となります。
「いちごの宝石」は3、4ヶ月しか続かないと思っていましたが、「ペンギン☆ブラザーズ」はあと4ヶ月くらいつづくと思っていたので驚きました。

近々の『りぼん』で、作品掲載枠が空く印象を受けたので、2002年3月号までの近々の『りぼん』の枠を整理してみました。
「GALS!」「あたしはバンビ」「グットモーニング・コール」「聖・ドラゴンガール」「無重力少年」「アンダンテ〜Andante〜」は、この期間には終わらないと思われるので除外しています。「泥棒リング」は、同じ初初登場初連載の「ボクたちの旅」の3回であったことから3回と仮定しました。

『りぼん』掲載枠(12月号〜3月号)

2002年2月号からは3作分空きが出てきます。
「泥棒リング」の連載が4回でも2作分の空きです。さらに、「ちびまる子ちゃん」は長期連載になることは、さくら先生の意志を変えることになるのでありえないでしょうけれど、2ヶ月くらいは連続する可能性があります。(意志とは、連載という形態では満足いく「ちびまる子ちゃん」を描きつづけられないからというもの。さくら先生は意志を変えるタイプではないので、「ちびまる子ちゃん」は連載という形態には戻ることはないでしょう。)それでも、1作分掲載枠があります。

空いた掲載枠ですが、2001年3月号までに本誌で連載が始まる可能性がある連載待機組は、吉住渉・朝比奈ゆうや・藤田まぐろ先生。誰がどこにくるのか、こないのか。
榎本ちづる・酒井まゆ先生は、関連誌での読み切りを描いた後でないと本誌連載はないので、2月号には無理でしょうけれど、早いと3月号からという可能性もなきにしもあらず。
新人の初連載や、昨年の例にならうと読み切りがある可能性も外せません。(編集長が変わったので、中堅どことの読みきりではないと思いますが。)

『りぼん』は入れ替えがあるからこそ、限りあるからこそ、おもしろいのです。次は誰が『りぼん』に上がってくるのか楽しみです。


◆吟遊名華(種村有菜)
マンガ作品として成功している作品であるとは思いませんが、“漫画家・種村有菜”の作品として成功していると思いました。単純に、「吟遊名華」が“ファンタジーにしてファンタジーにあらず”という作品だったからです。

もし、花音が桜の精である設定だったのなら、マンガ作品として成功の方向に傾いたように思います。というのは、今までの種村先生の作品にはファンタジーの要素は欠かせないもので、それだけ種村先生もファンタジーというものの描き方を心得ていると思われるからです。それに、多くの読者にとって、花音が桜の精であるという設定の方が驚きはなく、納得いく作品に仕上がったのではないでしょうか?しかし、マンガ作品としての成功が、種村先生にとってよかったかというと私はそうではないと思います。

種村先生は、すでに、「神風怪盗ジャンヌ」でマンガ作品として成功させています。しかし、「神風怪盗ジャンヌ」発表当時、種村先生の漫画家としてのキャリアはあまりにも短く、今後も続くであろう漫画家としての活動を保証するものではまったくないでしょう。

漫画家として読者を引き付けていくために、自分の持ち味をいかしつつ、新しい要素を入れていくということが欠かせません。その点において、ファンタジー要素が微妙なバランスを持って入っている「吟遊名華」が成功したと感じた理由です。

「神風怪盗ジャンヌ」で種村先生のファンになった読者の年齢は確実に上がっています。かつて、ファンであったけれども、現在は『りぼん』の他の先生の方が好きだというファンも大量にいると思われます。
これらの読者に対して「吟遊名華」のファンタジーにしてファンタジーではないという点がもたらした影響ははかりしれず、上手さを感じずにはいられませんでした。

作品の細かい部分を見ていきます。
「吟遊名華」と直接関係ないのですが、P18で前号に続いての巻頭カラーでカラーが2ページでした。今後も巻頭カラーのカラー枚数が少ない傾向が続くようだと、堪忍袋の緒が切れます。。
私は雑誌を買う意味の1つにカラーページがあると考えています。漫画家にとっていくら大変でも、読者にはカラーページは大変嬉しいものなのです。ふろくの広告で、カラーページを割くなんて、カラーページの大切さを認識しているとは思えません。

私が『りぼん』を読み始めて初めての11月号の1984年11月号のカラーページは、4ページ1作品、3ページ3作品、1ページ3作品、3色カラー8ページ(現在はなくなりました)2作品で、合計フルカラー16ページ、3色カラー16ページでした。
『りぼん』が最も売れる傾向にある2月号では(1985年2月号)、7ページ1作品、3ページ3作品、1ページ3作品、3色カラー8ページ2作品で、合計フルカラー19ページ、3色カラー16ページでした。(ちなみに、70年代は、作品の掲載数は1984、85年より少ないですが、カラーページが20ページあまりありました。ふろくも最盛期なので、ふろくの部分に手を抜いているということもありません。)
今月号、2001年11月号のカラーページは、2ページ1作品、1ページ8作品、合計10ページです。

情けない…
現在は当時よりも発行部数が少ないからカラーページが少なくて許されるものということはないでしょう。1985年と比較すると、「ときめきトゥナイト」(池野恋)、「有閑倶楽部」(一条ゆかり)という集英社の少女マンガ売り上げベスト5に入る作品がなくなった時点で今の『りぼん』は負けているんです。(「月の夜 星の朝」の映画化と、「GALS!」アニメ化をイコールで考えても。)差がありすぎて話にならない、最初からあきらめてしまっているようでは困ります。

P21の1コマ目は、上手くごまかしているなと思いました。「講堂」「古いけど趣があっていいところ」という言葉が出てきますが、意味不明な角度のパースなので(廊下のようにしか見えない)言葉で説明されていることは読者は想像するしかないのです。
“描きたくない部分は描かない”種村先生が絵が上手いわけではないという部分がわかるコマだと思います。(絵に自信があって、上手いと思っているなら、絶対に絵で描いてしまうことでしょう。)

P21の2コマ目の秋吉のアップですが、顔がどうこうというよりも、本の持ち方が不自然…これが普通なのが種村先生のキャラだなという感じがします。
ちなみに、3コマ目では普通に手で本を持ち、P22の1コマ目では右手に持ち替えて、持ち方もP21の2コマ目と微妙に違うという周到さ。まさか、秋吉の微妙な心理を現わしているのでしょうか?私には本1冊持ち歩くくらいで大げさな奴としか思えません。

P23の2コマ目「ピアノソロなのに「カノン」ってタイトルなんだ!?」「つまり1人じゃひけない。」に、昔にピアノを習っていた程度で音楽の知識がない私の読む手が止まってくらいなので、ピアノに多少精通している人は拒否反応を示したかもしれません。気持ち悪いので、有名なパッヘルベルのカノンのピアノ曲について調べてみました。
Collection of Pachelbel's Canon [ピアノ]Pachelbel Street内の1ページ)によると、やはり1人での演奏は可能なようです。(ピアノソロと何ヶ所にも書かれてあります。)このようなミスがあることが、作品的に成功しているとは評価できないポイントとなっているような気がします。

P25の2コマ目の「花音といいます」。私にしか関係ないことなのですが、私にとって花音という名のキャラは「おきゃんでゴメン」(本田恵子、RMC全2巻)のヒロインの鎌倉花音だけなのです。私は本田先生のファンページを作っている本田ファンですので、私のパソコンは“かのん”と打つと、一発変換で“花音”になるように準備されているくらいなのです。

鎌倉花音は、タイトルにあるように“おきゃん”で、スポーツ万能、頭もよく、美人で、男の子からカッコよすぎて彼女にするには問題あるかもといわれてしまうようなヒロインでした。
「吟遊名華」の芹沢花音は、病弱で、P51の3コマ目にあるようなポーズをしてしまうようなブリブリ路線ということで、あまりにも正反対すぎて反対によかったのかもしれません。
しかし、種村先生は依音・まろん・花音というように、この手のゴロの名前が好きなのかもしれませんね。

P26の3コマ目の「桜の精だって?ばかけてる そんなのいるわけないじゃないか 冗談につきあっているヒマないんだ」、P28の最後のコマの秋吉のセリフを読んで、「くじら・舞踏会」「マリア」(萩岩睦美)を思い出しました。
別に取りたてて似ているというわけではないのです、少年と不思議な体験、純粋な少女というストーリーは萩岩先生が何度も描いているところだからです。ちなみに、「吟遊名華」を中断して2作を読み返したのですが、特に「マリア」(萩岩睦美、RMC「くるみの森」第1巻収録)は名作だと改めて感じました。
「マリア」は「吟遊名華」と同じようにピアノが出てくる作品です。非常にオススメなので、機会があれば目を通されることをオススメします。

P27からの2度目の花音との出会いシーンの秋吉のくせ(メガネを取ると地がでる)と、ねこふんじゃったのエピソードは、P34からP39の花音とのシーンに上手く絡められていて、上手いなと感じました。

P36の最後のコマで、秋吉が小6だということがわかるわけですが、とても見えませんね…中3にすればよかったにと多くの人が思われたことだと思いますが、種村先生は秋吉が小6であるという設定に変にこだわっているような感じがして疑問に残りました。
P47、48のネームを読んでいると「ぼくの地球を守って」の輪レベルで、絵だけではなく違和感を感じました。

P45の最後のコマですが、作品のタイトルが漢字であることに気づいていますが、作品の意味(タイトル含めて)も知らないでコンクールに挑んでいるということに矛盾を感じます。
それに、P46の2コマ目の「日本語ならピアノソロのタイトルでも納得だ!!」とありますが、音楽をやっているのだったら、楽譜を見ればそれだけで“Canon”なのかどうなのかわかるはずです。タイトルが「カノン」であっても、“Canon”ではないのなら、タイトルが漢字であるかどうかなど関係ないと思います。種村先生が「カノン」を誤解していることから来た矛盾です。(種村先生には手紙で大量に「違います!!」とか来てそうですね…)

作品全体に矛盾が多いのですが、私は最も矛盾を感じたのは、秋吉と桜がある裏庭との関係です。
P21の1コマ目の「地元の音楽学校」「コンクールをやるのってこの講堂?」、P22の1コマ目の「僕 ちょっと散歩してくるね」、P22の4コマ目の「裏庭」、P31の1コマ目の「この桜の精とかいうやつはなぜだか俺につきまとってくるのだった」、P28の3コマ目「松葉が講堂で弾いているぞ!!」、P45の1コマ目の「最後は大谷音楽学院初等部6年」を読むと矛盾を感じずにはいられなかったのです。

秋吉の通う大谷音楽学院は、コンクールを開催する講堂や桜の木がある学校とは違うはずなのに(地元の音楽学校という表現から)、毎日裏庭に気軽にいったり、食堂で食事をしていると講堂の様子がわかるのはなぜでしょう。そもそも地元の音楽学校に行ったのはなぜなのでしょう。下見とか?

「地元の音楽学校」=「大谷音楽学院」だったら納得できます。(「地元の音楽学校」の発言は、秋吉と一緒の制服を着ている子が言っているので、ミスではありえないわけですが。)
つまり、コンクールを行う講堂は、初等部の講堂ではないが、同じ学校内の講堂なのです。秋吉は制服を着ていますし、周りのクラスメート男の子しかおらず、クラスメートもコンクールに参加することから私立の音楽系の小学校に通っている設定という部分とも一致します。

しかし、P50の4コマ目の「私はこの学校の理事長を務める芹沢篤という者だ」という部分や、P57の「中等部からはここにくるよ」という部分から、秋吉は「音大付属中学」の推薦を蹴って(結果は作品では明らかにされていませんが、たぶん優勝でしょう)、「地元の音楽学校」に通う決心をしています。「地元の音楽学校」=「大谷音楽学院」ではないわけです。
私はたくさんある矛盾の中で、これらの矛盾だけは到底受け入れることはできませんでした。

それに、男の子だけの音楽学校という設定に種村先生の趣味を感じます。
少年のみが通う学校という設定はやおいの匂いがして、作品に独特の雰囲気をもたらします。(色気というのか。)「吟遊名華」の舞台は日本なのに、まったく日本っぽくないという作品の雰囲気にも合いますし。(種村先生の作品は常にそうですね。なんちゃってヨーロッパ調。)
私が男子のみの音楽学校→「オルフェウスの窓」(池田理代子)、カノン→「カノン」(竹宮惠子、「変奏曲」の続編)を思い出したことからの発想なのでしょうけれど。

最後に、種村先生は12歳と17歳でハッピーエンドとするということの読者への戸惑いは考えなかったのでしょうか。せめて、編集からのツッコミはなかったのかなと疑問に感じました。
少なくともこの設定でのハッピーエンドは、投稿者がやったらはじかれそうな気がします。種村先生だならOKなのでしょう。

「吟遊名華」の作品の設定・雰囲気・テーマの大枠は好きなものですし、目のつけどころも確かだと思います。しかし、具体的な部分に矛盾があまりにも多く、私にはとても浸って読むことはできませんでした。


◆あたしはバンビ(槙ようこ)
ストーリーの展開に納得できない部分がありました。私以外の人がどのように納得して読んでいるのか興味がわいたくらいです。(普通は納得できない部分があっても、自分で納得がいく答えを見つけて解決しているので。)

細かく触れていきます。
泉の未波への態度は、2001年9月号のP98の4コマ目では“無視”、P99の1コマ目の“暗い表情”、同じくP99の最後のコマでは自分の腕にさわった未波を“手をはたいて突き放し”、P100の2コマ目では“「さわんなって」”と言い捨て、P101の1コマ目ではさっさと未波の前から“立ち去る”、さらに、2001年10月号のP36の4コマ目からP37の2コマ目にかけて“「おまえと何もなかったみたいに普通に話したりできない」「もう学校とか来ないで 困るし もう会えない」”というエピソードがありました。
泉が未波にこのような態度をとるのは、P74の4・5コマ目「私が悪いんだよ 私が弱くて泉を傷つけた」から、未波が泉を傷つけたのが原因であることが明らかにされます。
付き合っていた2人の間に、何が起ったために、泉が未波に対してこのような態度になり、未波は泉を傷つけたと告白しているのかは、読者としては気になる部分となります。

しかし、結果として描かれていたのは、P90・91の「さわんないでっ」「泉なんか好きになるんじゃなかった…っ」だけでした。
この程度のエピソードで、泉が未波への態度と、未波の泉を傷つけた告白を納得させようなんて、読者をなめてんのかと思ってしまいました。

この程度では、泉の未波への態度の方が、未波が泉を傷つけたというエピソードよりもあまりにも重く、今までの泉の態度が納得できるわけありません。
未波は泉を傷つけたといってはいますが、泉はP90・91の「さわんないでっ」「泉なんか好きになるんじゃなかった…っ」というセリフを、顔に傷を負い、泣いている付き合っている彼女から言われているのです。それなのに、未波の中で泉が一方的に傷ついたようにいわれていたのはなぜなのかも納得できません。
さらに、P91で未波は「私は小さくて つらいこと全部抱えきれなくて」といっていますが、2人は付き合っていたわけですし、全部を1人で抱える必要性はなかったのかもしれません。泉が未波を想いやるべきでしょう。一度守れなかったくらいで自分の方が傷ついてどうするのでしょう。

そもそも、P78・79・83〜86に描かれている未波へのイジメの理由も弱く感じました。
少女マンガでは、平凡なヒロインは人気のあるヒーローと付き合うというパターンが多いため、逆恨みによるイジメのシーンは多数出てきます。このようなイジメのシーンの前提として、(1)ヒロインとヒーローとの深い関係、(2)ヒーローが並外れた人気、(3)ヒーローとイジメた女との関係、以上3点が描かれている必要があると思います。

しかし、「あたしはバンビ」では、
(1)の対応するシーンは、P82の最後のコマで「学校でイチャこいてんなよー」とあります。P80の最後のコマからP82の2コマ目に、泉と未波の甘いシーンがありますが、教室のベランダでのシーンで、特に人通りがあるところでのシーンではなく、学校でイチャついているわけではないでしょう。北村が影から見ているというカットをいれるべきだったと思います。そうでないと、北村に怨まれる原因がわかりません。

(2)に対応するシーンはありません。高校(現在)の泉の人気から読者は想像することになりますが、学校でのシーンは少なく(大勢の中にいるシーンを描くことで、カリスマ性が出るのです。八重蔵と麻衣とのからみばかりでは、泉のカリスマ性を感じることはできません。)、弱さを感じました。

(3)に対応するシーンは、P83の最後のコマの「私は泉にちゃんと自分の気持ちを伝えたっ 北村さんみたいに何もできないで陰でこんなことしないし ずるいことなんかしてないっ」になります。これをいわれたら、ぶちきれる理由もわからないではないですしかし、P84の1コマ目で「はい 以上?」というセリフが入っており、このセリフで直接ぶちきれたようには明確には描かれてはいません。そうなると、北村と泉との関係を簡単に描いておいた方が読者としてはわかりやすいのです。

同じようなシーンがある他の作品での描かれ方を例に挙げておきます。

  • 「女ともだち」(一条ゆかり、RMC全3巻、集英社文庫コミック版全2巻)
    (1)デートが雑誌にスクープされた。
    (2)ヒーローの晴臣は人気アイドルである。
    (3)熱狂的なファンからヒロインの菜乃はリンチを受けました。菜乃は芸能人ではありませんが、菜乃の親戚の搖子は女優で、かつ晴臣とはスキャンダルな関係にありました。2人に年齢差があることや、搖子の芸能人としての貫禄から、搖子には嫉妬の対象にはなりませんでした。そこに新たにわいた搖子の親戚の菜乃とのスキャンダルです。(それも菜乃は美人。)嫉妬が増幅されて、その反動が菜乃に向けられたのです。
  • 「MARS」(惣領冬実、KC)
    (1)ヒロインのキラは学校でも変わり者として有名で、誰とも話しをしないタイプだったのに、ヒーローの零とだけは話をしたり、零がみんなの前でキラの傷ついた指をなめてあげたりします。(その目立った行動を、零の親友の達也の口を通して再度、指摘しています。)
    (2)始業式からバイクで派手に遅刻しての登場シーンから始まり、バスケのシーン、バイリンガルだとわかるエピソードなど、零の学校内でのカリスマ性がわかります。
    (3)イジメた晴美は、高1のときからずっと零を狙っており、初登場のシーンから猛烈にアタックしている様子が描かれています。学校内でのキラと零とのエピソードは、すべて晴美が見ていたように描かれていました。晴美の言い分も描かれてあります。

ここまではとはいかないまでも、せめて「ソラソラ」くらいは描いてもらわないと(「ソラソラ」は(1)〜(3)はそれなりに描かれていました。)、私はイジメの理由を納得できません。

いじめられた後のヒーローの行動も、上記の2作品と泉とは大きな違いがあります。

  • 「女ともだち」
    菜乃の親友・こずえの足を怪我させてしまった晴臣は、追い討ちをかけるように菜乃が自分のファンに袋だたきにあったことも聞かされます。その後、ファンからの脅しのファンレター、菜乃が学校にいけなくなったことを知った晴臣は記者会見を開き…(記者会見の内容は、ネタバレになるので、触れることを避けます。晴臣が、菜乃、そしてこずえを守る行動に出たことは言うまでもありません。)
  • 「MARS」(第1巻P89〜93)
    零「どうしたの?−靴」
    キラ「捨てたの サイズ合ってなかったから」
    零「オレ そこまで頭わるくないよ だれにやられたの?」
    キラ「きいてどうするの?」
    零「!」
    キラ「樫野くんには関係ないよ」
    零「おい まてよ 本当にオレに関係ないの?」
    キラ「いままであなたとつきあった女の子でひどい目にあったコいた?」
    零「いや…」
    キラ「そういうことなの 問題はあたしにあるの あたしがグズでトロいから… みんながイライラするのも無理ないよ」
    零「なんで怒んないの?」
    キラ「怒ったって仕返しされるだけだもの」
    零「またやり返せば いいだろ」
    キラ「そんなことしてたら殺し合いになっちゃう…」
    零「いいじゃん」
    キラ「樫野くん怖いものないでしょ でも あたし いっぱいあるの 樫野くんには私の気持ちなんかわかいんないよ」
    零「! それで帰るの?」
    キラ「べつに歩けないわけじゃないから」
    零「結構いー根性してんじゃん」

    その後、零は晴美には乗せなかったバイクにキラを乗せて送ることになります。このあたりの下りは2人の性格・関係を上手く描き出していて、とても上手いなと感じた部分の1つです。

上記と比較すると、泉は1人で傷ついただけです。相手を守ろうとか、話を聞こうという部分は一切描かれていません。

このようなエピソードになった1つの仮定として、泉が過去に問題があり、傷つきやすいキャラだという設定が考えられます。つまり、P90・91の「さわんないでっ」「泉なんか好きになるんじゃなかった…っ」だけで、ショックを受けてしまうようなトラウマを抱えているというわけです。

少女マンガには、トラウマを追ったヒーローが頻繁に登場します。上記の「女ともだち」の晴臣も母親との関係は良好であるとは言えませんでしたし、零は暗い過去を背負いまくっているという設定です。

『りぼん』の作品でも、「デザイナー」・「ティー・タイム」・「砂の城」(一条ゆかり)、「花ぶらんこゆれて…」(太刀掛秀子)を始め、「花ぶらんこゆれて…」から始まる初恋ものの「月の夜 星の朝」(本田恵子)、「ポニーテール白書」(水沢めぐみ)、「星の瞳のシルエット」(柊あおい)、90年代に入ってからのヒット作品「ママレード・ボーイ」(吉住渉)、「天使なんかじゃない」(矢沢あい)、「こどものおもちゃ」(小花美穂)など、人気作品のほとんどが、ヒーローの過去に問題があるといっても過言ではありません。

反対に、ヒロインの過去だと、「砂の城」・「花ぶらんこゆれて…」・「ベイビィ☆LOVE」(椎名あゆみ)、「神風怪盗ジャンヌ」(種村有菜)などがありました。
しかし、「砂の城」や「花ぶらんこゆれて…」のナタリーとるりの不幸度と比較すると、「ベイビィ☆LOVE」のせあら、「神風怪盗ジャンヌ」のまろんの不幸度は低く、読者からヒロインが“もてすぎ”、“ぶりっこ”という印象を持たれてしまい、一部の読者に嫌われた事実はあると思います。

その点、ヒーローにトラウマがあるという設定は、軽いにしても重いにしても、女性キャラに感情移入する読者からすれば、ヒロインを通じてヒーローの過去を受け入れることで、ヒーローのみならず、ヒロインにも共感できて、描きやすいように思えます。
そのようなヒーローの過去は作品が進むにつれて明らかになる場合が多く、「あたしはバンビ」ではまだ描かれてはいないのではないかと仮定することができるのです。

とはいえ、上記の「MARS」などでは、キラ「そんなことしてたら殺し合いになっちゃう…」零「いいじゃん」の会話に見られるように、設定を表に出さなくても匂わせるくらいはあります。(初期設定から決まっている場合がかなり多いためでしょう。)
泉の今までの行動からは、過去のトラウマについては不明確でしかありません。そのような設定にするならば、今までのエピソードから読者が「そうだったのか」と納得できる部分(そうだと、今月号あたりが鍵になるように思いますが。)を落としておく必要があると思います。

今月号の最後は、泉が麻衣の元を離れるという展開で終わっています。
このように、ヒーローが昔の彼女や昔の想い人のもとへいってしまうという展開は、いくらでもおもしろくできるものだと思います。ただし、ヒーローがヒロインのもとに戻ってくる理由は、“昔の彼女への想いはすでに過去のものである。今はヒロインが好き”というものしかありえません。
「ハンサムな彼女」の一哉(昔の彼女・彩)にしても、「天使なんかじゃない」(昔の想い人・博子)にしてもそうでした。「ハンサムな彼女」の場合は、ヒロインの未央は収と付き合い、一哉は映画制作にのめりこみ、そこで未央への気持ちに気がつきます。「天使なんかじゃない」の場合は、ヒロインの翠は、晃は海外へ自分の過去に決着をつけにいき、翠への想いを再確認します。

泉が麻衣の元に戻っているとしたら、このパターンになる可能性がかなり高いと思われます。
しかし、今回のように納得できない展開を続けていくなら別ですが、麻衣と泉との間にはエピソードが少ないので、このパターンにもっていくのは難しいように感じます。
このパターンだと、麻衣は八重蔵と付き合うことになりという展開になるわけですが、その展開になったら2人で落ち着いてしまいそうですし。(未央や翠のように崩れて御破算なんでしょうけれど。想像力の乏しい私には説得力にかける展開に感じます。)
私的には、泉の過去の設定を出して突破口を開かない限り、または新たな新キャラを出して作品をかき回さない限り、泉が麻衣の元に戻ってくる話の展開はありえないと思います。
少なくとも、必ず、新キャラ(男)はすぐにあるでしょうけれど、次は「ママレード・ボーイ」のキャラにかぶらないようなキャラをだしてほしいものです。

泉の人となりに疑問を感じる回でした。
P75の最後のコマの「ミートゥー」も、私なら彼が外国人でない限り、こんなこといわれたらひくよ…泉のどこがいいんだか、私にはわかりません。


◆GALS!(藤井みほな)

「吟遊名華」・「あたしはバンビ」の粗さを読んだ後に読んだので、藤井先生は、種村・槙先生とはキャリアに違いがあるので、作品がマンネリではあるけれど粗さはないよなと思ってしまいました。マンネリとアラさだと、マンネリの方が危ないんですけれどね。。


◆泥棒リング(加月るか)

(種村有菜+朝比奈ゆうや)÷2という印象。素人さ爆発という感じで、これを本誌で連載させてしまうところが『りぼん』だよなとか思ってしまいました。
ストーリーはラブコメで、内容は特に何もありません。『りぼん』の作品は、内容のないものが少なからずありますが、本誌初登場・初連載だと気合が入って内容をつけようとしそうなのに、ここまでないというのはある意味すごいかもしれません。作品の雰囲気を楽しむ種類の作品なのでしょう。
連載のレギュラーに上がっている方とも思えず、興味がまったくわかない作品でした


◆聖・ドラゴンガール(松本夏実)

特になし。


◆無重力少年(亜月亮)

私は亜月亮先生を見くびっていたかもしれません。「無重力少年」ですが、なんかおもしろい…
すごくおもしろいわけではなくて、なんかおもしろくて目が離せません。亜月先生には、巻頭カラーは無理でも、表紙は経験させてあげたいなと切実に思います。

P239の2コマ目、P240の1コマ目で、セリフが横になったり逆さまになったりしています。この手法自体は別に珍しいものではありませんが、そう頻繁にあるものではありません。そのため、作品の最初から入れるのではなく、作品世界に読者が徐々に慣れてきた第3回目の最初にいれたことは、読者として入りやすかったように思えます。今後、多用するのかはわかりませんが、ある程度は出てくると思います。でも、読者に戸惑いはないでしょう。

今月号でよかったのは、当然かなりの苦労したと思われるバスケの試合のシーンです。試合を頑張る風子を通じて、読者が風子に感情移入できたように思います。第1・2回は、風子に読者が共感できるようなエピソードはなかったので(1シーンとか、単発のセリフくらい)、作品世界に読者を引き込む上でも、効果的だったのではないでしょうか。

バスケのシーンで、はっとさせられたのは、P249の最後のコマの風子の表情です。P246の試合開始から、P249の1コマ目までのバスケシーンはコメディです。しかし、P249の最後のコマの風子は真剣で、その真剣さに心を打たれました。一つ前のコマであるP249の3コマ目も、今までの夏希だったら、風子を馬鹿にしてそうなのに、していません。この部分がコメディではないから、このような反応となったのでしょう。
さらに、P250の1コマ目では、真剣さを外しています。基本的にはコメディ作品ですから、シリアスさを長続きさせないというのも読みやすさを感じた点です。

さらに、保健室での夕海との会話の後、P255の1コマ目で「夏希やユミユミが納得するくらい あたしも真剣だって証明しなきゃいけないんだ」とありますが、2コマ目では、単なるコメディシーンが描かれています。これは、前のとは逆に、シリアス(というか、ノーマル)とコメディを使い分けたのでしょう。

P256〜261の流れはキレイだと思いました。“引力の応用”を風子が掴んだことが、P259の最後のコマの「つ…かんだ コツ…」で読者にはわかりやすいですし(これがわからないと、P267からのエピソードが成り立たなくなりますから。)、P260・ 261の風子と流風の仲が一歩進んだのも、自然だと感じました。(P262の最後のコマにある「なに勝ちほこってんだか知らないけど…クラス的には思いっきり負けてるっつーの」の落ち具合もよかったです。)

P267から最後までのエピソードには驚きました。盛り上がるようで、ちっとも盛り上がらない終わり方だからです。ふいにわいたようなエピソードでどう頭を切り替えたらいいのかよくわからないという感じでした。
とりあえず、P266の最後のコマにある「なんで流風にはこんな能力があるんだろう……」の疑問に、このエピソードが絡んでくると思うので、そのあたりの展開に期待しましょう。


◆アンダンテ〜Andante〜(小花美穂)
「アンダンテ〜Andante〜」の何がおもしろくないって、那都の良さがわからない点につきるように思います。ヒロインの茗も、メルも那都が好きなわけだから、那都がちっとも好みではない私には何かものたりなさを感じるのでしょう。
今月号は那都が出てくるシーンが多かったのですが、そのシーンがすべてつまらなかったです。(私は那都が音楽の天才だろうがそんなことはどうでもいい。それに、前のTV出演のエピソードの方がよかったですし。)ただ、P275の最後のコマを見ていると、那都と茗の身長差何センチ?とか思ったくらいでしたから。

P278の1・2コマ目ですが、深刻なシーンが続き、重くなっているところだったので、「うっ… うつくしィー…」というネームは効いていました。こういう小花先生のセンスは好きです。
P282の3・4コマ目の州のセリフは好きです。私は“中の上”とは言われたことがありませんが(P283の2コマ目に「たいしてホメてねーだろ。」とあるように褒め言葉ではないからです。当然、“上”で褒められます。)、“上”ではないのは承知しているので、“中の上”といわれると、お世辞ではない本当のことをいっていると感じて嬉しいかもしれないなと感じました。まあ、言われた相手によってなんとでも変わりそうか…

メルが過去に長期入院していたというエピソードですが、メルって死んでしまうキャラなのかもと一瞬考えました。「アンダンテ〜Andante〜」は、もっとラブコメタッチな作品になってほしいので(暗いのは那都ひとりで充分)、死ぬキャラは出てほしくありません。メルにも新しい恋をしてほしいですし。
小花先生は「パートナー」で主要キャラを殺しているので、一度殺すとくせになるからちょっと危険な感じがしました。(新旧ともに、『りぼん』における死に関しては、太刀掛秀子先生の上にくる人はないと私は思っています。太刀掛先生と比較すると、誰もが重過ぎたり、『りぼん』じゃないだろと感じたり、浅いと思ったりと難しいのです。)

P303の4・5コマ目はさすがに小花美穂先生だよなと思いました。普通だったら、茗がメルのことをかばっておしまいになりそうなところなのに、「こんなことでいちいち泣いたりしたら やってけないよっ!? もっと強くならないと」とメルにも喝をいれるとは。
このエピソードは、なんか前にも読んだことがあるようなと思ったら「ロマンチックください」(一条ゆかり、RMC全1巻、集英社文庫コミック版全1巻)で、なずながすずなに喝をいれるシーンとか、一条先生の作品で何度か出てきていたように思います。
かわいいけれど、がさいげのないヒロインは、なずな(「ロマンチックください」)・菜乃(「女ともだち」)と連続してはまった一条作品のヒロイン像でした。(「有閑倶楽部」は別格として。)結局、茗のタイプは、自分に近い理想のヒロイン像なのだと思います。
「ロマンチックください」を読んだのは小6のときだから、すでに倍の月日を過ごしているというのに、理想のヒロイン像が変わらないとは…まあ、1人でも『りぼん』に、自分に合うヒロインを描く漫画家がいるというのは読者としてはいいことです。


◆グットモーニング・コール(高須賀由枝)
なんだかやっと終わりそうな雰囲気になってきました。(菜緒・上原・一星の三角関係が問題になっているから。「グットモーニング・コール」を盛り上げるのはこの三角関係しかないので。)OVAにもなったことですし、想い残すことなどないでしょう。

映画のデートのシーンは楽しめました。私は、ピーク時には年に35本劇場に足を運んだという(ビデオなんて画面が小さくて邪道、映画は大きいスクリーンで見るべしというタイプの人なので。)映画好きです。(最近は少ししか見なくなりました。かわり宝塚歌劇を見ているけれど…)
P317の3コマ目の上原の行動はわかる…私も劇場いくと1人で勝手に楽しむ傾向があります。ドキドキしてしまうのよ。
P319の4コマ目の「北浦さんひとりで来てんの?ねーなんかかっこいいね似合う似合う!」とありますが、1人で見ることがかっこいいものでしょうか。私は映画の他にも、建物見学とか、建築系の展覧会とか、美術館とかにもよく通いましたが、よほど映画よりかっこいいと思います。

問題は、P320の3コマ目の「言っとくけど おれ 並んで座んのやだよ」です。私も何度もデートで映画に行ったことはありますが、この経験はありません。1人ではなく、複数で映画を見た時は、見た後にお互いに批評をできることが楽しみの1つだと思います。
見る時に1人でないと気が散るというタイプは、ビデオ中心に映画を見ているタイプの映画好きのような気がします。劇場中心型は、試写会にせっせと通ったり(試写会という場所は、劇場いっぱいに人がいます。)人込みの中で映画を見ることになれていると思いますから。

P322の5コマ目の「映画観ながら物食うのキライだからいらない」は共感。私も飲み物は飲みますが、集中して観たいので一切食べません。
P324の1コマ目にあるように、監督についても語るのは映画好きの常識です。

漫画家は映画好きが多いでしょうし(それも、ビデオ派の。)ある意味リアルだなと思いました。
りぼんの読者に、上原の行動が理解されないのは計算済のことでしょう。(私だって初デートでこれやられたら怒ると思うもの。)


◆ペンギン☆ブラザーズ(椎名あゆみ)
2001年10月号の感想書いたように、最終回が近いことは予期していましたが、来月号で最終回とは驚きました。

まず、内容面ではなくページ数がひっかかりました。
P339に“カラー32P”とあるのに、実際には“カラー28P”でした。読み終えた直後に短いなと気づきましたが、「ペンギン☆ブラザーズ」では以前にも同じことがありました。
与えられた仕事をしてないのでは、とても本誌で連載を続けさせられないでしょう。椎名先生のこのような態度には問題があると感じます。
当然、担当編集者にも問題がないわけではないでしょう。担当編集者は、椎名先生を“椎名さん”と呼んでいることから、椎名先生よりも年下の方だと思いますが、迫力負けしてどうするんだと思います。漫画家に期限までに、規定の量の作品を完成させるように指導するのは仕事でしょうに。(椎名先生が締め切りにルーズなのは、ご本人がおっしゃっていますが、それを何とかしてこそ、社会人ってものでしょう。)
椎名先生は仕事のマネイジメントが上手くないように思います。新人のうちは、マネイジメントも必要ありませんが、10年以上も第一線にいる漫画家なわけですし、次回作ではこの点も考慮された作品を読んでみたいと思います。

学校の問題は、あっさりと解決してしまいましたが、結末としては面白味はないものの納得できるものでした。しかし、キャラの魅力が引き出せているとは思えませんでした。クライマックスにも関わらず、盛り上がり不足に感じたのはこのためかもしれません。

今月号で最もよかったのは、当然、小柴です。P356、357で、陽菜に振られたの小柴の反応は、期待を裏切らないものでした。
反対に、P348、349の一色をみているとただのガキで、彼が昔から成長してないことを描きたかったからかもしれませんが(一色は、よくある暗い過去があるヒーローですし。この手のヒーローは、普段は強くても、一部に弱く、幼い部分が残っているというのが定番。)、もう少しかっこよくしてもいいのにと感じました。
P346の最後のコマの西崎は、初登場したときから態度の変化がないようで、クライマックスなのだから、過去が明らかになっているわけだし、態度を変えてほしかったです。(一色は過去が明らかにされてないので、変化のつけようがない部分がありますが。)

P363の2コマ目から剛が出て、陽菜の背中を押しています。「ペンギン☆ブラザーズ」では、客観的に状況を把握しているキャラとして、男で剛、女で豊を配置していました。
椎名先生はキャラ配置が無駄がないのですが(使い捨てキャラが少ない漫画家だと思います。)、剛と豊はキャラが立ってはいないように感じられて、このシーンも必要なシーンだということはわかるのですが、剛じゃないキャラに言わせてほしかったです。(できれば、小柴がよかったのですが…)

最終回で、すべての謎を解決し、恋の行方もまとめてくれることを期待します。


◆いちごの宝石(水沢めぐみ)
「「おかあさんの時間」」(柊あおい、学研)(注1)を読みました。「星の瞳のシルエット」「耳をすませば」のヒット作で知られる『りぼん』出身の漫画家・柊あおい先生の育児マンガです。巻末に水沢先生との対談記事があります。この文章を読んでいると、お2方が最も輝いていた時代を、『りぼん』の対象年齢の時期に『りぼん』で楽しませていただいた読者としては、すっかり過去の人になったなという印象をぬぐえませんでした。

「いちごの宝石」を読んで、藤本由香里「私の居場所はどこにあるの?」の文章を思い出しました。(女と恋愛──少女マンガのラブ・イリュージョン参照。)

この時点まででほぼ、少女マンガにおける一代妄想体系が確立する。そのテーゼは、
一途な愛は必ず勝利する、
という黄金のテーゼであった。(略)

誰でもが参加できる平等な基準がある。
“私のほうが、愛してる”
(略)かくして、彼女は自分の愛を証明するために、「愛し続ける」ということを選択せざるを得なくなる。「あきらめられないの」という言葉は愛の深さを証明するのだ。(略)

しかし、誰でも知っている通り、本当のところ、その愛が真実かどうかなんて恋が実るためには何の関係もない。「命をかけようがどうしようが、実らないものは実らない」のである。そのわかりやすい真実を、“真実の愛”願望が覆いかくす。

「愛の深さが勝利を決める」という最終回はやめてほしいものですが、そうなることでしょう。もう少し最終回に期待がもちたいものですが。

しかし、「いちごの宝石」のP400に描かれているヒーローがいちごのパフェを食べるのを見て幻滅するライバルよりも、「グットモーニング・コール」P309の5コマの牛乳プリン(バナナ味)を食べるヒーローの方が、今の感覚だと思います。


◆ボクたちの旅(酒井まゆ)
体質に合う作品でした。(絵は苦手ですが。)ヒロインが今の自分に問題・目的意識を持ち、最後に夢を持つに至るストーリーだからだと思います。
80年代中旬の『りぼん』のヒロインは成績が悪くても馬鹿っぽくはなかったのに、最近の『りぼん』のヒロインは、天然バカ(普通は癒し系という)で、気が抜けてしまいます。私は癒し系のヒロインは、苦手なのです。

歩も好きなタイプのヒーローというわけではありませんでしたが、香菜は感情移入しやすくかったことや、イヤミなく香菜との対比を読ませてくれたので、気になりませんでした。

例えば、P407の2コマ目ですが、普通の作品だとヒロインがこのセリフを言う展開になると思います。踏みとどまらせるのは一歩ひいてヒロインを見守るヒーローというように。
P414の1コマ目のような描き方も新鮮でした。P413の2コマ目で「うそ…うれしい−」という香菜のモノローグがありますが、次のコマか、1コマ目と2コマ目にP414の1コマ目にこのコマをいれるのが普通だと思います。
これらのエピソードが逆に香菜が歩に惹かれる理由にもなっているため、歩を自然に読めたのだと思います。
あと、P429の「負けんな−!!」もよかったです。言われなくても、香菜はくじけないでしょうし、負ける気もないでしょうけれど、好きな人に言われたらやる気でるってものです。(このセリフがP430の1コマ目の香菜の表情につながっていますが、好きな流れです。

「ボクたちの旅」は全体的にエピソードの入れ方も、モノローグも綺麗、かつ納得もできた作品でした。
次回作は連載が3回よりは確実に多くなると思いますが、“重さの中に軽さ”ではなく、“軽さの中に重さ”を求められると思います。(「せつないね」「パートナー」と「こどものおもちゃ」、「ソラソラ」と「あたしはバンビ」、「四重奏ゲーム」と「ハンサムな彼女」「ママレード・ボーイ」、「下弦の月」と「天使なんかじゃない」ように、短期は重くてもいいのですが、長期の場合は重いのは難しいのです。)どんな作品か楽しみです。


◆きいてきいて、王子(槙ようこ)
私が今まで読んだ槙先生の作品の中でダントツで出来がいいと感じた作品でした。斬新な作品というわけではありませんが、「あたしはバンビ」で感じる不自然さを感じることなく、槙先生のよい点だけを堪能できました。

はじめに、本誌連載中での別冊ふろくについてですが、80年代は、下記のように長編連載作品で5回、6作、

1982年9月号…池野恋の100ページ・ワイド版別冊まんが『ときめきトゥナイト』
1985年9月号…池野恋のワイド版別冊まんが『ときめきトゥナイト』番外編
1986年6月号…池野恋のワイド版別冊まんが『ときめきトゥナイト』(52ページ)
1988年9月号…柊あおい・高田エミの別冊まんが『星の瞳のシルエット』番外編/『ねこ・ねこ・幻想曲』番外編
1989年10月号…吉住渉・水沢めぐみの別冊まんが『ハンサムな彼女』番外編

短編の「お父さんが心配症」を含めると(1回は「ときめきトゥナイト」と一緒、2回は単独。)、計7回、8作にものぼり、めずらしいことではありませんでした。

それを今になって、いかにも珍しい、特別企画のように言われてしまうと、「今の『りぼん』読者って気の毒。これくらいのことで…」なとど思ってしまいました。(カラーにしてもですが。)
上記にあるように、番外編ではなく、読みきりの新作は珍しいので(連載中の読み切り新作は、関連誌での発表になるため。)、その点は主張していいとは思いますが。

そもそも、表紙の“スーパーボリューム84P”はやめるべき。表紙を含めた実質は、「きいてきいて、王子」は49ページ、「天然★サンダーガール」は33ページです。本誌と同様に、実際のページ数を表紙に記載するべきだと思います。
2001年7月号の感想で触れていますが、今回全プレになったOVAに関しても、“アニメの菜緒ちゃんが見られるのはこの会場だけ!”という小細工がありました。

『りぼん』では、かつて、裏表に描かれたポスターを表1、裏1と2つのふろくだと数えていた習慣を絶ちきったそうです。(「たそがれ時にみつけたもの」(大塚英志、P104より)

1点なのに「2大」と表示する大人の欺瞞に読者は敏感である。ふろくの点数を1点多く表示することよりも、そこから生じる小さな不信感の方を編集部は恐れたのである。
                                  −「たそがれ時にみつけたもの」

この心意気が、ふろくの黄金時代を築いた『りぼん』の編集部と、発行部数でいくら差を開けても、『ちゃお』と『なかよし』に『りぼん』のふろくは負けていると言われる今の『りぼん』の編集部との違いだと思います。
すぐにばれるような小手先の見栄とかではなくて、真のアイデア・質で勝負してほしいものです。

さて、「きいてきいて、王子」ですが、「いちごの宝石」で記載した藤本由香里さんの文章のままで、乙女ちっく(注2)度が高い作品だと思います。
槙先生の本質は乙女ちっくタイプではないと私は考えています。だから、乙女ちっくの要素を取り入れても新鮮味を出せたのではないでしょうか。

まず、“王子”のキャラですが、彼は突飛なキャラのように描かれていますが、実は「一途な愛は必ず勝利する」「私のほうが、愛してる」という期待に応えてくれる平凡なキャラだと思います。
実は平凡なのに、それを感じさせないで描けたという点に成功の秘訣があったと感じました。(冷静になれば、つきあって2年経つのに、彼女の本質を自分で見抜けなかったなんて、大した男じゃないのではという印象を持ってしまうところなのに。)

そして、一見すると突飛な王子のキャラにあわせて、ヒロインは今までの槙先生の作品と比較すると平凡さを出して、ヒーローにひかないようになっているのではないでしょうか。(ヒロインの目を通じなくても、ヒーローのよさが伝わるタイプではないので。)
一見、平凡な杏ですが、恋する少女以外の余分な要素を排除し、背負っているものがないので、逆に槙先生のヒロインとしては珍しいタイプのように思います。(くせがないので、さらっと読みやすい。)

ということで、いい作品だと思いました。
あと、手抜きせずに本誌連載と別冊を描きあげたことに歓心しましたが(表紙裏の作品もおもしろかったですし。)、反対に、絵で人気の加速をつけているタイプの漫画家なので、いつか崩れたときが怖いなと感じました。

絵は漫画家が変えたくなくても、変化します。変わらずにはいられなくなるのです。漫画家として最ものっているときに、漫画家は絵ものるものです。(ピークを過ぎると、ピークを過ぎた絵になってしまうのです。)

多忙な中、これだけの絵の質で読み切りを描けたことは素晴らしいことだと思いますが、いつか訪れる絵のくせを槙先生がどう乗り切るのか興味がわきました。


◆天然★サンダーガール(松本夏実)
特になし。


(注1)
「「おかあさん」の時間」(柊あおい、学研はなまるきっず子育てコミックス)
育児マンガとしてはおもしろくはありませんでした。おもしろいのは、水沢先生との対談と、巻末の長谷川潤先生のマンガだけでした。
長谷川潤先生は柊あおい先生の単行本に何度もおまけマンガを描いていらっしゃいますが、「「おかあさん」の時間」で衝撃的だったのは、「彼女は本業の少女漫画より、ドキュメンタリー漫画の天才的な才能がある」と書いている柊先生がさらっと書いていることでした。
長谷川先生は現在、私が『りぼん』の漫画家(出身を除く)で最も好きな方です。確かに少女漫画家としては天才ではないと思いますが、天才だから好きになれるとは限らないのが、少女マンガというものだと思います。(少なくとも『りぼん』では特に。)
ちなみに、『りぼん』関連の漫画家が描かれた育児マンガは、「チュー坊がふたり」(田渕由美子、講談社文庫全1巻)がとてもオススメです。

(注2)
2001年8月号の感想の(注)を参照のこと。


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Presented by Eiko.