『りぼん』2001年12月号感想

表紙画像

10月29日に『りぼん』2001年11月号の「りぼん漫画スクールの緊急アンケート」を『りぼん』編集部に、10月30日に太刀掛秀子単行本未収録作品文庫化プロジェクトの署名を『YOU』編集部、集英社文庫コミック版編集部、太刀掛秀子先生に提出させていただきました。

HPを開設しているため意外に感じる方がいるかもしれませんが、私は陰から見守るタイプの読者です。

私は、1984年7月号から現在まで『りぼん』を購読していますが、その間全プレを除いて、『りぼん』の漫画家にファンレターを出したことは一度もありません。
『りぼん』出身の漫画家に、太刀掛秀子先生に署名提出に添えて3回(2000年2回、2001年1回)、一条ゆかり先生にサイン会のプレゼントに添えて1回(1988年)と、すべて二十歳を超えてから、何かのついでに出したファンレターです。

また、読者コーナー「みーやんのとんでもケチャップ」に1回(「今月号のアラ」)、「トミーのくねくね横町」に1回(ネタではありません。太刀掛先生の単行本未収録作品のコミック化の要望・「今月号のアラ」の復活希望etc.を書いたような。)、「ふろくファンページ」に今のふろくに関する不満と同じことを1回出した以外は、その他イラストなども一切応募したことはありません。その他には、懸賞に2回応募したことがあるだけです。

HPを開設してから、『りぼん』の漫画家と何度か接触はありました。しかし、サイトを開設しているという理由だけで、『りぼん』の漫画家と関わるというのは、イレギュラーなことです。これらの接触により、私のサイトの運営方針や、スタイルが変わることもまったくありませんでした。

先月、りぼん漫画スクールの緊急アンケートを、2001年11月号の感想の内容にプラスして出しました。もちろん、プラスした部分が私の意見となるわけですが、アンケートの内容に関して、私は実現したいと強く願っているわけではありません。私の意見が実現したら、いかにも『りぼん』らしいのでおもしろいに違いないと思ってはいますが、まあ王道ではない考えですから。

私が、実現してほしいと強く願っているのは、太刀掛秀子単行本未収録作品文庫化プロジェクトだけです。単行本未収録作品を文庫化しようという、とても王道ではないプロジェクトです。この活動をささえるのは、ただ、単行本未収録作品の素晴らしさのみ。こんな素晴らしい作品をほっとくなんて、集英社のバカヤローというわけです。

考えてみると、署名の提出先が『りぼん』ではなくて本当によかったかも。太刀掛先生が『りぼん』から忽然と姿を消して、もし『YOU』で連載を始められることがなければ、この16年間の想いがドッと『りぼん』編集部へ…

恐ろしい。。。私は太刀掛先生の単行本未収録作品(&「ときめきトゥナイト」)に関しては、完全に盲目です。だから、例えば、『りぼん』が提出先だったら、先月号の漫画スクールでのアンケートの

(2)漫画スクールに載った投稿作品の中で、読んでみたいと思った作品はありますか。あれば、どの作家名か、作品名を。

に、投稿者の作品よりも太刀掛先生の単行本未収録作品はどうした!と抗議文を送りつけていたかもしれないわけです。今の現役の『りぼん』の漫画家には、好きだな〜としみじみ感じる存在はいても、盲目になれる存在はまったくいません。全員新人時代から知っていますし、利点と欠点を冷静に判断できる部分がありますから。(太刀掛先生の欠点は頭ではわかっていても、読んでいるとすっとんでしまうのです…)

今月号の『りぼん』は、発売日の前日11月1日に手に入れました。太刀掛秀子先生のエッセイマンガが連載されている『YOU』の発売日と丁度重なりました。
先に開いたのは『YOU』の太刀掛先生のページでした。ニューヨークのテロについてのレポート(太刀掛先生はアメリカで暮らしていらっしゃいます。)という予告だったからです。4ページに描かれたレポートに自然に涙がこぼれていました。太刀掛先生の作品を、『りぼん』でリアルタイムで出会えて本当によかったです。『りぼん』の読者歴が長くなるにつれ、つくづくそう感じます。


◆GALS!(藤井みほな)
2000年10月号の感想でも書きましたが、「GALS!」の受験に関する記述はあまりにも現実離れしているように感じます。リアルに書く必要もないと思いますが、現実ではありえないようなことを描くのはやめてほしいものです。本編とか関係ない些細な部分で、作品の中で藤井先生はリアルに描きたいと考えている部分のリアリティーがなくなっていくようでもったいないですから。

具体的には、P26の1コマ目の「んーあいつ文系クラスだけど 化学や物理も選択してるっってことは 私立大受けてもすべり止めで本命は国立大だろーなァ」です。
高3の秋に、文系で理科2科目、物理・化学を選択しているわけないでしょう。物理か化学のどちらか一方だったら可能性としてはあるでしょうけれど。(普通は、地学か生物を選択する人が多いです。所詮センター試験でしか利用しないので、勉強の負担を軽くするためにそうします。)

反対に、P24の3コマ目で描かれている美由の短大の推薦のエピソードはリアリティーがあります。以前、2001年4月号の感想でも書いたように、美由の絡む部分は綾の絡む部分よりもリアリティーがあります。(ただし、2001年6月号の感想で書いたように奨学金に絡む部分はリアリティーを感じません。)藤井先生は短大出身です。たぶん、推薦進学されたのではないと思われるので、(すでに漫画家であったわけですし。)ご自身の経験に基づいて描いているのd、リアリティーを感じるのかもしれません。

綾(と乙幡)の進学に関しては、いくら経験がないからといっても、いい加減で作品全体へ不安を感じます。担当編集者は、たぶん一流大学出身の文系の人でしょうから(集英社の社員は、そういう人が多いから。)話を聞いてみるとか、担当編集者がネーム段階で直すとか、何とかならなかったものかと感じます。

蘭の将来がこんな状態で描かれると思うと、少し不安になります。現段階では、蘭に関しては調べられているようですが、綾・美由と違って、蘭の将来の描き方は作品の出来を大きく左右しますので、慎重をきしてほしいと思います。
蘭の将来は、あの性格から、警察官か、教師しかないように私は思います。ただし、後者は、「生徒諸君!」(庄司陽子)・「天使なんかじゃない」(矢沢あい)など有名な作品が多く、避けた方が無難なので、警察官しかないように感じますが…
高卒の就職内定率が40%を切るご時世ですので、進学しない場合、このあたりも考慮していただきたいものです。

その他、受験に関する部分では、P45の最後のコマの「全然 受験勉強することは辛くないんだ」というセリフはわかる気がしました。


◆MAXラブリー!(倉橋えりか)
「MAXラブリー!」を読んで、倉橋先生は“乙女ちっくタイプ”の漫画家ではなくなったんだと感じ、寂しさをおぼえました。

倉橋先生の初期作品については、私は記憶がほとんどありません。興味をひかれなかったので、覚えていないいないのだと思います。

初めて読んだ倉橋先生の作品は、本誌初登場作品の「チョコミント・メモリー」(『りぼん』1990年7月号掲載。)読み返してみたのですが、なんてことない乙女ちっく作品でした。

本誌初登場作品が、このように印象に残らない作品だったために(ほんとに記憶にない…)、倉橋先生は本誌ではなく、関連誌での作品発表が続きました。今も、昔も、本誌掲載作品を当てないと、本誌に戻ってくるのはかなりの苦労します。(りぼんと新人漫画家との関係、参照。本誌経験の有無、特に連載経験の有無は、漫画家人生を左右します。本誌で連載した方は名前を覚えるからかわかりませんが…)

私が次に作品を読んだのが、「あいつはサマーボーイ」。(『りぼん』1993年5月号掲載。)
この時点で、同期デビューの出世頭の春日るりか・森本里菜は、本誌初登場読み切り→本誌初連載を経験しており、後からデビューした、長谷川潤・藤井みほな先生はもちろん、同号で倉橋先生の後からデビューした小花美穂先生が2回目の本誌連載の初回だったことを考えると、“フレッシュ読みきり”とのコピーがありますが、新人ということよりも、本誌掲載2度目ということからのフレッシュさだったのだなと感じます。(りぼん漫画家デビューリスト、参照。)
こちらも、読み返してみたのですが、なんてことない乙女ちっく作品でした。

次は「ウェディング・ベル」(『りぼん』1994年2月号別冊ふろく)。
この作品は記憶に残っています。これも乙女ちっく作品ですが、記憶に残っているということは、何か勢いを感じたのかもしれません。
その後、『りぼんオリジナル』連載の「乙女ちっく戦争」が評判がよかったのか、同タイトルの「乙女ちっく戦争」(1994年7月号〜9月号)で本誌初連載となりました。
その後、ブレイクすることもなく地道に本誌連載を繰り返し、前回連載の「世紀末のエンジェル」で初めてのヒット作に恵まれたわけです。

話を元に戻しますが、私は倉橋先生を乙女ちっくタイプの作家だと思っていました。実際にそうだったのだと振り返ってみるとそう感じます。
でも、連載を続けるにつれ、ラブコメ作家になっていき、「世紀末のエンジェル」もラブコメ作品でした。

「MAXラブリー!」を読み終えた時に、寂しい気持ちになったのは、過去を捨てたように感じたからです。
「世紀末のエンジェル」のヒットがやはりとても嬉しかったのかもしれませんし、自分の居場所を見つけたのかもしれません。でも、なんてことない乙女ちっく作品しかまだ描いていないに、その乙女ちっく作品ではなく、一見作品を作品をよくみせやすいラブコメに乗り換えたように感じました。

「MAXラブリー!」の第一印象は、「ガラス色のBOY」(あいざわ遥、RMC全2巻)に、りぼんっこに受けそうな要素をプラスした作品というところでした。(「ガラス色のBOY」は、あいざわ先生の最大のヒット作にして、出世作です。)

りぼんっこに受けそうな要素は、入れるのはいいと思いますが、“F”って組織は何とかならなかったものでしょうか。はったり度が強すぎると感じました。
『りぼん』では、浦川まさる・樹原ちさと先生などの漫画家が、この手のはったりを使われていましたが、出世作はよかったのですが、徐々にこの手のはったりが、浦川・樹原先生の人気を落とす結果となったように思います。
P100の3コマ目の五条が持っているノートの馬鹿らしさは、寒くなりました…(もちろん、中学生の授業で、なわとびがあるのも変に感じましたが。それも隼やらないでしょ…)

次の展開は、愛里・多樹・菜子の三角関係とFとの絡みになると思いますが、Fはさっさと解決して終わらせていただきたいものです。三角関係中心の方が私は確実に楽しめるので。

多樹が女に都合のいいだけの男なのが気になりますし、愛里と菜子についてのエピソードはありがちなのは気になりますが(「白のフィールド」(矢沢あい、RMC「エスケープ」収録)を思い出しました。)、そのあたり上手くかわしていってほしいものです。


◆あたしはバンビ(槙ようこ)
泉に2人で告白するという展開はいいのですが、泉の反応には首をかしげました。

P109の最後のコマの「…おれは今までずっと隠してきたんだよ ばれないように…嫌われたくないから」という八重蔵のセリフは、今までのエピソードから充分よくわかります。「あたしはバンビ」では、八重蔵に関しては、かなり細かく描かれいるように思います。

P106の2・3コマ目、P113の1・2コマ目から、八重蔵が麻衣の告白の提案にのったのは、泉への気持ちが落ち着いているからだと感じることができます。つまり、告白したのは自分のためというよりも、麻衣のためだったのだと思われます。これについては、P117の4・5コマ目からも感じることができます。さらに、P120の1コマ目・最後のコマも、泉への気持ちに完全に決着がついていることを示しているようにも感じました。
だから、P132の2・3コマ目の八重蔵にも、徐々に麻衣への気持ちが具体化していく部分を感じとれました。

問題は、八重蔵ではなく、泉です。P119の最後のコマに「うん 知っている」というセリフがありますが、八重蔵の気持ちに気付いていたなら、泉は無視していたことになります。P120の3コマ目の「おれも おまえらのこと 超好き」というセリフが本当なら、悩むなりするものではないでしょうか。なんとも思ってないなら無視するものありかと思えますが、恋ではないにしろ、相手の方は「…おれは今までずっと隠してきたんだよ ばれないように…嫌われたくないから」と苦しんできたわけですから。
先月号に描かれていたような自分で勝手に傷ついていたような恋が原因で、八重蔵の気持ちを無視していたのと思えて、疑問に感じました。(2001年12月号の感想、参照。)

「時空異邦人KYOKO」(種村有菜)にも、読者が知らないことをキャラ自身は実は知っていた(知らないと思っていた側のキャラはそのことを悩んでいた)というエピソードがありましたが、このようなエピソードを描く時には、それなりに気をつかって描くべきだと思います。読者があとから、実はあのエピソード・セリフはそうだったのかと気付かせるような推理もの(サスペンスもの)っぽい手法を使ったりとか。
単に、キャラはがすべてお見通しの方が格好いいかな程度では(「時空異邦人KYOKO」にしても、「あたしはバンビ」にしてもそのレベルと思える。)やめてほしいです。事実を知っていたことが、作品に矛盾を生む原因になるような気がします。

それにしても、泉って大した男じゃないように思えます(なさけない部分があるならそれも描いてくれないと。同情できるかもしれないし。)
今後、出番が増えそうな八重蔵がいいかというとそんなこともないのですが、泉よりも描き方が丁寧、かつ複雑なので、キャラの気持ちを自分の感じるままに自由に解釈できて、状況により感情移入できる部分がいいと思います。

麻衣は自分のことしか考えていないキャラなので、未波のことも八重蔵とのことも一面性しかとらえていないように思えます。「私はあなたのことはみんなわかる」というような偽善的なキャラ(『りぼん』では「星の瞳のシルエット」の香澄と、「神風怪盗ジャンヌ」のまろんあたりが、最強の偽善キャラでしょうね…)でない部分が、今の時代読者の心を捉えるのかもしれません…


◆聖・ドラゴンガール(松本夏実)
表紙でした。森本里菜・長谷川潤・亜月亮先生にはできなかったのに…とふと思ってしまいました。槙先生の時には、ある種別格だからという気持ちがありましたが、松本先生は別格だとも思えず、変な感じがします。

内容では、最後の話し出すロンロンを見て、「銀曜日のおとぎばなし」のリルフィー(ヒロインのポーにしか言葉はわかりません。)、「ときめきトゥナイト」のペック(第一部)とポテト(第3部)、そして何よりも、「姫ちゃんのリボン」のポコ太を思い出しました。

アニメ化でも狙っているのでしょうか。松本夏実先生がというよりも、『りぼん』編集部が。アニメ化の話が奥であるのなら、今のプッシュもうなずけますし。(注1)ペット(家来)は、魔法少女もの(“魔法少女もの”というジャンルは、アニメ特有の呼び名であり、漫画では“変身もの”といわれています。)の特徴の一つです。
「聖・ドラゴンガール」は、ロンロンが話せるようになったことで、魔法少女ものとしての要素が、すべて出揃ったのでそう感じました。


◆無重力少年(亜月亮)
こういう漫画が描けるというのは、貴重だなとつくづく思いました。強いオリジナリティーがあるわけではないのですが、亜月亮先生しか描けないような気がするのです。
どこかで読んだ売れ線の要素をかき集めた一流気取りの作品よりも、徹底的に二流を極めようとする姿勢のこの作品は、私は好きです。(一流ではないから、結果それなりという部分もありますが。)

P181の流れが印象的でした。P180の最後のコマの風の線と、P181の1コマ目の風の線が重なっているため、一気に視線が下から上に行き、1コマ目の上部が左にあいているため、そこから、左の2コマを順に下ってこれるという構成となっています。読んでいて、スピードの調節がしやすく、疲れません。
ただし、P185でも同じコマ割りを使っており、亜月亮先生の限界も感じます。上手くいったからこその重ね技なのだと思いますが、もっとバラエティーがほしいと感じる結果ともなりました。

でも、コメディ部分と、乙女ちっく部分と、ミステリアスな部分との配分が絶妙で、ネーム段階でよく練られているという感じがひしひと伝わってくる回でした。


◆探偵レボリューション(森本里菜)
私は森本先生は好きなので、単行本をほぼ所有していますが、この「探偵レボリューション」だけは、おもしろいと思わず、所有していません。
シリーズ化しているくらいだから、人気がある作品なのだと思いますが、森本先生が持っている良さが半減して見えてしまいます。

森本先生に関しては、最近、絵のくせが強く出てきて、ベテランとしての難しさを感じてしまいます。
2001年12月号の感想の「あたしはバンビ」で書いたように、絵はその漫画家が最も輝いていた時期にピークを迎えることがほとんどだと思います。絵のくせを直さない限り、森本先生の未来は厳しいように思います。(ベテラン漫画家は、くせをなくすとか、のりこえて、また第一線に戻ってくるものだと思います。)

ストーリーの感想は、特に「探偵レボリューション」のキャラでなくてもいい事件で、キャラが活かせておらず、おもしろさを感じませんでした。(ただの事件で楽しませられるほどでもないですし。)まあ、最後は星華と透也とキスするのでしょう。
森本先生の俳優とのキスシーンものというと「バニラの笑顔」(RMC「君は青空の下にいる」第1巻収録)が好きです。

「探偵レボリューション」を読む度に、「ハンサムな彼女」(吉住渉)の劇中映画「プライヴェート藍」を読んでみたいなどと関係ないことを思ってしまいます。「探偵レボリューション」よりも、おもしろいような気がしてならないので。


◆グットモーニング・コール(高須賀由枝)
今がクライマックスだと信じたい…


◆アンダンテ〜Andante〜(小花美穂)
単行本向きの作品のような気がします。

P308の1コマ目に「しかし…気の毒な娘だよ…」というセリフがありますが、小花先生は不幸を作るのが上手いです。この点では、一条ゆかり先生には及ばなくても、太刀掛秀子先生には匹敵しているように感じます。
不幸に関しては、椎名あゆみ・吉住渉先生のように、ベテラン漫画家で不幸を描くのがちっとも上手くない方もいらっしゃいますし(ご本人も上手いとは思ってないでしょう。持ち味が違うところにありますから。)、種村有菜先生のように、不幸を描くことが好きでも、甘く、ツッコミどころ満載という方もいらっしゃいます。
小花美穂先生は、このあたり才能をやたら感じます。このご時世とても貴重な才能かもしれません。(それも、苦労しらずの読者や漫画家が多そうな『りぼん』で。)

メルの病気には裏がある(実は直ってない)ような気がしていたので、P308の4コマ目を見ると、本当に元気になっているらしく変な感じがしました。やけにあっさりしているような。(那都に関しても。)あとで、すごい不幸がまっている気がして、平穏さに怖さを感じます。

P315の最後のコマのネームはすごくよかったです。だから、もっとためてほしかったのですが、さらっと流しています。小花先生は乙女ちっくタイプではないですから、軽いのかもしれません。乙女ちっくだと、このあたり盛り上げるのが普通ですから。

今月号のストーリーの新たな謎は、結子(P322の4コマ目)。“ちゃん”なので、妹あたりが適当だと思いますが、州が家出した原因も、結子にあることは間違いないので、謎が明らかになるのが楽しみです。
メル・那都側よりも、州側のストーリーの方が興味がありますが、州が那都を知っていたことから、二つがそのうち絡んでくるかとも思われ、そのあたりも楽しみです。

とはいえ、今月号のストーリーがおもしろかったわけではありません。常に面白さを出して、描いていただきたいものです。『りぼん』に連載しているのですから、単行本向きの作品にしないようにお願いいたいものです。


◆ペンギン☆ブラザーズ(椎名あゆみ)
中途半端な終わり方で、いい気分しませんでした
本人が急病というわけではないのに、完結編を増刊号で描くというのは「ときめきトゥナイト」(池野恋)以来だと思います。池野先生とは違って、今回の場合は、椎名先生にも問題がありそうだから、同情はありませんでした。(注2)椎名先生はスランプのようなので酷なことだと思いますが、頑張って形にしてほしかったです。

それに、第2部という形式をとれなかったのでしょうか。問題が解決しないで、第2部へという形は「女ともだち」(一条ゆかり)以来となりますが(「ハンサムな彼女」は第1部ですべての問題は解決していて、第2部で新たに作っていた)、連載を終わらせたいなら、時間を開けて第2部という方法もあったはずなのに。椎名先生の選択肢に第2部というものがなかったのかもしれませんが、残念です。

ストーリーに関しては、増刊号を読んでからにしたいと思います。今月号は、連載を終わらせるだけの回で、先月号から解決したことはないので。


◆泥棒リング(加月るか)
まったく興味がわかない作品です。(ストーリーも、絵も。)本誌初登場・初連載ということ以外は、忘れてしまいそうな作品です。
とりあえず、P390の最後のコマのパースはおかしいので、直してほしいと思いました。


◆いちごの宝石(水沢めぐみ)
いい意味でも、悪い意味でも乙女ちっく作品でした。何の新しさもありませんでしたが、かといって乙女ちっくは永遠な部分もあるのでこんなものかと思ったり。
決して駄作だとは思いません。作品にアラもありませんし。キレイにまとまっています。でも、キレイすぎて、感情が動かされることがなく、おもしろくありませんでした。

演出の問題かもしれません。演出を変えて、さらに、脇キャラを膨らませたらおもしろくなったのかもしれません。連載3回というと、普通の連載とは異なり、最後までキチンと作品を練って始めないといけないはずです。そのわりにこの出来というのは信じがたいのですが…

それに、P403の表紙、P407の1コマ目とP408の1コマ目、P422の1コマ目の鈴の型通りのポーズに象徴されるように、型通りにキャラ・作品が展開し、おもしろさを半減させていたように思います。

この作品は、水沢先生の本誌最後の連載作品となると思います。初連載からの読者の1人として見届けたと感じました。



(注1)
「紅一点論」(斎藤美奈子、ビレッジセンター出版局)の第2章に以下のような記述があります。

◆魔法少女は父親から見た理想の娘である
(略)女の子の国は、ファッションと恋愛(とその延長にある結婚や家庭)が絶対的な価値をもつ「私的な」社会である。(略)
◆魔法少女は十五歳未満である(略)
◆魔法少女はいつもペット=家来といっしょである
(略)女の子の国ではチームが発達していないが、ファミリーが異常発達している。姫には、なにせ親が二組もいたりするのである。(略)魔法少女には取り巻きが多い。家族に守られ(縛られ)、家来に守られ(見張られ)、友達に恵まれ(邪魔され)、一人で暴走しないよう、彼女は幾重にもガードされているのである。
◆魔法少女の将来の夢は「お嫁さん」である
魔法少女の恋人は、男の子の国のヒーローが出張してきたみたいなわかりやすい「好青年」である。(略)

この文章から、「聖・ドラゴンガール」の魔法少女ものぶりや、種村有菜先生のアニメの影響を分析できます。

(注2)
『りぼん』編集部は、「りりか☆SOS」のために、「ときめきトゥナイト」という名作を打ち切りました。私は、「ときめきトゥナイト」の権利が、『りぼん』編集部から、コミック文庫編集部に移ったことを正解だと思っています。

『りぼん』編集部を批難しているわけではありません。私は『りぼん』にはそういう部分があるところだと理解しています。視線が狭く、今のイチオシ作品以外しか見てない部分があるのです。もし、『りぼん』の視野が広かったら、出身漫画家を整理するようなHPを私は作ったりしていなかったでしょうし。

それに、『りぼん』で最もプッシュされる作品は、1漫画家1作品のみです。一度最もプッシュされてしまったら、プッシュはされても最もプッシュはされることはないのです。(『りぼん』を創刊時から、私が調べた結果です。目次のない1973年以前は、私の主観による部分が強いですが、『りぼん』が形作られたのは、新人漫画賞が始まった1968年以降と考えるとほぼ網羅しているとも考えられます。)二度栄華を極められた方は誰もいらっしゃいません。

つまり、今だと最もプッシュされている作品は「GALS!」となるわけですが(一時期に1作品のみ。)連載が終われば、藤井先生も今以上プッシュされることは、今後、ありえないでしょう。
「グットモーニング・コール」のように、プッシュはされても、最もプッシュされていたわけではない作品の場合は、次の作品でも最もプッシュされる望みはありますが。

『りぼん』が46年間生き残っていた理由は、ここにあるのだと私は思います。

自らの手で漫画家を生み出し、一度きりの漫画家の栄華を作り、常に漫画家の新陳代謝をはかる

という…ちなみに、『りぼん』を出てしまえば、最もプッシュされることも、第2の栄華もよくあります。『りぼん』が漫画家の何かを吸い取ってしまうのかもしれません。


-- Talk top ---- Log top --
--
← 11月号 ---- 1月号 → --

Presented by Eiko.