『りぼん』2002年1月号感想

表紙画像

1.公式ホームページ

『りぼん』の公式HPりぼんわくわくステーションが2002年2月号の発売日に公開されることが発表になりました。
『りぼん』の公式HPに関しては、今までに
何度か触れています。そのためやっとかという気持ちで、編集長が変わってからの『りぼん』の変革ぶりを思うと、驚きはなく当り前という感じが強いです。

ちょっと気になることは、“りぼんわくわくステーション”というサイト名です。
念入りな討議の結果決まった名前だと思いますが、
やたら長いような気がします。それに、1994年の夏のイベントが「りぼんスーパーステーション」でしたので、イベントっぽい名前に思えてしまいます。

とにかく、編集長が変わってからの編集サイドの変革を見ていると、編集者はすごい量の仕事に追われていると思いますが、公式ページの担当者には頑張っていただきたいものです。

2.カラーページ

2001年11月号の感想でもカラーページ数について触れましたが、今月号で、巻頭作品のカラーページ数が2ページになったことが決定的となりました。
今までも、『りぼん』では3ページカラーが巻頭作品以外はないという状況でした。それがついに巻頭カラーでさえ2ページしかなくなったのです。
村井編集長に変わってから様々な改革が行われていますが(
2001年9月号2001年11月号感想参照)、このページの変更はふろくと同等のかなり大きいものだと感じています。

今月号の『りぼん』を読んで一番考えたのが、カラーページ削減の真相でした。この一面が今の『りぼん』に置かれている状況が少し感じられるような…

カラーページ削減の理由は、まず、カラーページがふろくの予告に割かれたこと、そして、特別ふろくがつくようになったことから明らかなように、『りぼん』がカラーページよりも、ふろくを優先させていることが挙げられます。

これはもちろん、カラーページの原稿料を、ふろく関係の予算にまわしているということでもないでしょう。漫画家がカラーを嫌ったわけでもないでしょう。
編集者が、「カラーのページ数が3枚から2枚になっても、読者への影響はほとんどない。」と判断したからではないでしょうか。

70年代の『りぼん』は、カラーページは豪華さの象徴のようなものでした。(1976〜1980年りぼん目次、参照)巻頭カラーは8ページくらいはありました。乙女ちっく全盛で、読み切り作品が主流だったことも、カラーが多かった要因の1つかもしれません。(長期連載の一条ゆかり「砂の城」のカラーページは多くはありませんでしたから。)

連載作品が主流となった80年代は、2001年11月号の感想で書いたように、カラーページがつく作品数は今とほとんど同じでした。むしろ今の方が少し多いくらいです。しかし、カラーページ数は、今の方が40〜50%くらい少ないのです。

これらの事実は、70年代とは異なり現在は、1ページカラーがつけば、後はカラーであってもそうでなくても読者へ影響は変わらないと編集者が判断し続けた結果のあらわれではないかと感じます。

カラーページは私にとって雑誌を読む理由の1つにあるものです。単行本ではカラーページは、そのほとんどがモノクロになってしまいます。カラーを堪能できるのは、雑誌ならではのおいしい部分だと思うのです。

逆から考えると、脆さが見えてきます。単行本でモノクロになってしまうカラーページをわざわざ大量に描かせることはないのです。1ページカラーがあれば、雑誌の表紙にも、単行本の表紙にも困らないのですから。

カラーページは、表紙の役目(飾り)ではなく、漫画表現の1つ(実)だと私は思っています。カラーページを減らすことは、今後生まれたであろう『りぼん』作品の財産を生む芽を摘んでしまったのだと思えてしまうので、残念でなりません。

ちなみに、「ちびまる子ちゃん」が3色カラー8ページですが、以前よりも紙質・印刷のグレードが上がっていますが、1分で調べた限りでは(違っていたらすみません。)、1987年2月号掲載の「有閑倶楽部」(一条ゆかり)以来の3色ページ!?
あまりの久しぶりさに「ちびまる子ちゃん」の『りぼん』掲載には絶対に何かがあるに違いないと3色カラーだけで私は考えてしまいました。

3.ふろく

『りぼん』にしろ、『なかよし』・『ちゃお』にしろ最も動きが激しいのがこのふろくのように思います。

「コミック・ファン」13号に、「少女まんが誌の付録、こんなに豪華で大丈夫!?」と題して、『ちゃお』の編集者のインタビューを中心に、『りぼん』・『なかよし』・『ちゃお』のふろくの現状をレポートした記事が掲載されました。
その中で以下のような文章があります。



●幼年誌において付録の果たしている役割は、購買意欲にそのままつながるような大きなものだとお考えですか?

林(『ちゃお』の付録編集者):
大きいと思いますね。特に『ちゃお』は、今では部数で『なかよし』を抜きましたけれども、最初は『りぼん』、『なかよし』という大きい雑誌を後ろから追いかけていく立場でしたんで、[1]まず興味を引かなくてはいけない。(略)もうひとつは、まんが誌というのは、仕方ないですけれども、回し読みされる率が非常に高いわけですね。付録というのは、(略)自分が持っていないと意味がない。見るだけでは仕方ないんで、[2]回し読み防止と言いますか、欲しければ買っちゃおうという、読者を購買につなげていく大きな働きがあると思います。

●差し支えのない範囲で、今後の展望を教えて下さい。
(略)読者アンケートを見ていると、[3]新しいものをつけた時に非常に反応するんですね。(略)

飽食時代と言われて久しい現在、少女たちの時代を読む目、モノを見極める目はより厳しく、確かになった。付録のラインナップなら、編集部がそんな読者の変化を敏感にキャッチし、求められている新しいモノを積極的に取り入れる努力をしているのが見えてくる。[4]付録は、編集部の読者に対する姿勢を示すバロメーターとしての側面を持つと言って良いだろう。[5]実際に販売部数に影響を与えていることからも、少女まんが誌において、付録は決して軽視できないものになっていることは明らかだ。

だが、少女「まんが」誌である以上、まんがよりも付録の方に余計に手間とコストがかかっているなどという状況が訪れたら、それは本末転倒というもの。恐らく、今回調査した3つの編集部においても、[6]まんがと付録のバランスについてはさかんに議論されているところではないだろうか。(略)

                     −「コミック・ファン」13号、P104、105より


[1]
『りぼん』は『ちゃお』とは違います。まず、発行部数から考えて見ても明らかなように、興味を引かないといけない割合は低いはずです。しかし、ふろくではないにしろ、どこかで興味を持ってもらわなくては雑誌を買ってはもらえません。読者が興味を引かれる部分は、『りぼん』の場合は、『りぼん』そのもののブランド力が最も大きいと私は思っています。

[2]
回し読み防止でふろくに力を入れるというのはあまり効果ないように思えるのでこのコメントには驚きました。
児童向け少女マンガ雑誌にはずっとふろくがついてきました。ふろくがあるのは当り前で、ふろくがついているからこそ、少女は自宅でマンガ雑誌を読む習慣となっています。(少年誌のように電車の中で読まれることは少ないでしょう。)少子化が進む現在では、姉妹が大勢いるとも思えず、家族での回し読みは減っていると思います。それに、学校に雑誌を持っていって回し読みするのはある程度の学年にならないとしないものです。その年齢の頃にはふろくで読者を引き止められるような年齢とは思えません。

[3]
『りぼん』はここ最近、特別ふろくをつけていますが、『ちゃお』・『なかよし』と比較すると突飛なものはないように感じます。
多分このあたりが『りぼん』のスタンスの1つではないかと思います。過激にならなくても、豪華さだけはまけなければいいわけです。言葉でいうのは簡単ですが、難しいところ…(結局、作品が人気があれば、ふろくの質はあがるものなのですが、作品の質を上げるのも難しいんですよね…)

[4]
その通りだなと思います。しかし、今のふろくに関する不満で指摘したような事実があったことから、『りぼん』がこの当り前のことに改めて気付いたのがつい最近という気がします。

[5]
カラーページの部分で、1ページカラーがつけば、後はカラーであってもそうでなくても「読者へ影響は変わらない」と書きましたが、「発行部数に影響はない」というのがより正確な表現かもしれません。
カラーページが減った最も大きい原因は、発行部数に直接は影響しないからカラーページを多くする必要はないと編集側が判断しているからではないかと私は思っています。
ふろくは、発行部数の増加という効果はないかもしれませんが、短期的に読者を引き止めるのに有効なのは間違いないです。『りぼん』側としては、決してカラーを減らしたくて減らしているわけではないでしょう。カラーが多いほうがいいなんて誰でもわかることです。
でも、企業は利益だしてなんぼなので、売り上げが上がらないことには、カラーページを増やしようもない(ふろくからカラーページへ予算を回す勇気がない)という感じなのかもなと思いました。

[6]
私には、まんがとふろくのバランス対決が、“カラーページ vs ふろく”に思えてしまいます。
『りぼん』・『なかよし』・『ちゃお』各編集部は、まんがをふろくよりもおろそかにするとは思えません。しかし、ふろくに力を入れると、バランスが崩れていく部分がでてくるはずです。
『りぼん』においては、そのバランスの崩れが、まず、カラーページに出ているのではないかと私は感じるのです。

あと、記事とは関係ない部分では、ふろく担当の編集者が直接インタビューに答えてしまうあたりが、『ちゃお』(というか小学館)だよななど思ってしまいました。『りぼん』だったら編集長が出てくるはずですから。

4.ココロのさけび

誌面の下部の欄外コーナーが先月号からリニューアルされました。以前、欄外コーナーで触れたように、『りぼん』の欄外コーナーにつまらなさを感じていたので、リニューアルしてよかったなと思っています。
“りぼんっこ名鑑”と“ココロのさけび”を比較して、“ココロのさけび”の方がおもしろいとはちっとも思いませんが(内容は一緒ですから。)、変えていこうという意志が働いたことを評価したいと思います。

5.突撃!!まんが情報

2000年1月号「それいけ!!まんが情報隊α」、2001年1月号「スクープ!まんが情報」というリニューアルの経緯から、『りぼん』編集部では、編集者の情報コーナーの持ち回りが1年毎であることが推測されます。まんが情報ページの『りぼん』での経緯については、2001年1月号の感想、参照。)

2001年1月号の感想でも書いたように、「スクープ!まんが情報」は私が好きだったかつてのスタイルに戻りつつあり評価していました。「突撃!!まんが情報」でもその流れを継承しつつよりよいページを目指してほしいと思います。

リニューアルそのものは別にどうでもいいのですが、一つ気になる部分があります。それは、マスコットキャラについてです。

1980年代にはじめてまんが情報ページにマスコットキャラ“アニー”が生まれました。池野恋先生デザインの幼いおさげの女の子です。しかし、名前の由来は“まん情のおにーさん”からで、キャラができてからも、相変わらず漫画家の返答(カット)へは編集者の毒舌なツッコミが入り、キャラとの連動はありませんでした。

キャラとの連動が始めて生まれたのが、スドミ(1993年10月号より)でした。
「天使なんかじゃない」のスドーザウルスに絡めたキャラでした。(「みーやんのとんでもケチャップ」の花輪くんと魚屋ジミーの関係だと思った人は私くらいかもしれませんが、路線的には一緒だと思います。)
結局、スドミが出て来てから“漫画家と読者を結ぶ情報ページ”や“編集者のツッコミ”が隠れてしまい、読み物としてはおもしろいかもしれませんが、やたら内容の薄いページと変わってしまった事実が残りました。それがやっと最近、“情報”という面に関しては戻りつつあるのですが。

今月号のリニューアルにあわせて、ミキマキ先生デザインの新キャラとなりましたが、相変わらず中途半端でどうしようもないいう印象を受けました。欄外の漫画は、まんが情報ページとしての何の役目も果たしてないと思いました。ちっとも意味がない部分に思えます。
マスコットキャラのよくわからない話よりも、漫画家の情報のミニ情報を載せたほうがコーナーとしてよほど充実すると思います。読者ページと履き違えたような中途半端なマスコットキャラや、ミニマンガは私はやめたほうがいいように思います。

キャラを全面に押し出すなら、強いアイドル性が必要です。コーナーの内容は薄くなりましたが、スドミにはこれがありました。本誌人気連載作品のマスコットキャラの裏仕様ですから。
スドミ以降の情報ページマスコットキャラはアイドル性が皆無です。いきなり“BJ”だか、“ウノ”、“カル太”なんていわれても知らないよという感じがします。そもそも、マスコットキャラネーミングというのは、覚えやすいこと大前提なのに、3つがバラバラでどうにも語呂が悪いですし。(カードゲームに絡めた名前であることはわかりますが、なぜいきなりカードゲームに絡めた名前になるのか繋がりが不明確すぎます。)
ミキマキ先生が双子の新人漫画家として自身をキャラにした方がよほどアイドル性があるってものでしょう。(記事の内容は編集者がまとめるので、自分自身をレポーターのようにはできないのは当然なのですが。)

今月号から、「りぼんときめき星占い」のコーナーのカットも加藤みずき先生に変わりました。占いコーナーのカットやミニマンガは方向が明確で、誰に変わろうといいと思うのですが、情報コーナーのキャラの扱いには、中途半端さを感じます。

キャラを固定せず、その場に合わせた自由なカットという方がまんが情報ページとしては私はふさわしいと思います。(編集者のツッコミも好きでしたけれど。)コーナーの内容は充実してきていますので、今回のリニューアルで更なる充実を期待したいところです。

6.ふろくファンルーム

2001年11月号の感想で、ふろくの担当のすべての編集者の名前を出すべき、イラスト担当の漫画家の扱いが不明確と書きましたが、今月号で改善されていました。“モリー”が新人ということから配属されて、『りぼん』編集部に来た可能性もありますが…
しかし、“しのび丸”って、今月号を見る限り、マスコットキャラではなくて、編集者のようですね。あまりの影の薄さに、キャラだと思っていました。(ちょっといまいち信じがたいので、数ヶ月様子を見てみないと。)

最近、「ふろくファンルーム」の担当編集者の影が薄くなっている感じがします。以前は「ふろくファンルーム」を読んで、編集部の様子(編集者がかわりばんこに夏休みをとること、女性の新入社員が入ってきたことまで)を垣間見たものですが。

私にとって「ふろくファンルーム」の担当編集というと、
“ひげちょぼ記者”・“リョーコ姉”
…お2人が担当したふろくを私はリアルタイムでは体験していません。しかし、読者に対する真摯な姿勢は『りぼん』史上最高だったと思います。
“がんちゃん”
…読者コーナー「ペチャクチャらんど」(1981年1月号〜1984年3月号)の担当と、さらに「ふろくファンルーム」(1986年4月号〜1995年4月号)の担当を務めました。1編集者として、読者の前の顔出しした長さ『りぼん』史上最長でしょう。サングラスつきの似顔絵が『りぼん』に似合わず印象に残っています。
“トマト”
…新入社員の時代からふろくを担当(1989年8月号〜1995年4月号)。「ふろくファンルーム」では、“がんちゃん”と“かおりん”に挟まれて、あまり印象は残ってはいなかったのですが、「ともだちなんにんなくすかな」(現代洋子、ヤングユーコミックスワイド版)第2巻P126「新担当ト●ト(新婚5ヶ月)」を読んだ時に手がとまりました。
紛れもなく「ふろくファンルーム」の“トマト”でした。私はこの1コマで『りぼん』から『コーラス』に異動になっていたことと、結婚していたことを知ったのです。(逆算すると、1998年4月にご結婚されたことになり、1989年4月に入社した時点で22歳と考えると31歳で結婚されたわけか、と即座に計算してしまいました…)

が思い浮かびます。もちろん、“ケン兄”、“ヒロコ姉”、“かおりん”もわすれてはいませんけれど。

編集者の影が薄くなったのは、情報コーナーと同じでマスコットキャラがいるからだと思います。(“しのび丸”が編集者でも扱いはマスコットなので。)
かつては、マスコットキャラがいなかったので、編集者自体がキャラ的な部分を務めなくてはならなかったため、コーナーを盛り立てるために、互いの個性を活かしつつ、自分に色をつけていました。今は、マスコットキャラを漫画家が描いてくれるので、淡々と仕事をこなしているという印象を受けます。
別に、“まっち”が悪いわけでも、木月先生が悪いというわけではないのですが、コーナーを読む面白味に欠けるように思います。(ここ最近は、読者コーナーの欄外マンガよりも、ふろくファンルームの最初のイラスト方が好きなんですけれど。)

とにかく、2002年のファンルーム、“まっち”、“しのび丸”、“モリー”の3人体制でいくようですが、印象に残るふろくとコーナーを作りだしていただきたいものです。

7.ジョバンナ王子のうらら王国

「キクゾーのぱおぱおサーカス」に飽きていたので(嫌いではありませんでしたが、キクゾーがただいい人というだけという印象。長すぎましたし…)、やっと変わったという感じがしています。

初回の感想はというと、記事自体は特におもしろいとは思いませんでしたが、スタンスとしては期待できるかなと思っています。まず、イラストにおおいま奏都先生を採用していることがあげられます。

読者コーナーの担当編集者は、『りぼん』編集部の中でも若手の編集者が担当するのが常です。若手の編集者には、若手の中での注目株・これからブレイクの予感という漫画家をイラスト担当に抜擢するのが一番ふさわしいと思います。

この考えは、「みーやんのとんでもケチャップ」でみーやんと、柊あおい・さくらももこ両先生のコンビを見てしまったからそう思うのだと思います。
とんケチャの後に、イマムー(北條知佳)・トミー(田辺真由美)・キクゾー(渡辺わかな・朝菜きり)と見てきましたが、コンビに初々しさがどうしても欠ける印象をぬぐえませんでした。
ジョバンナ王子がおおいま先生を読者コーナーのパートナーに選らんたことは、いい選択だったと私は感じました。

もう一つは、“マコ”の存在です。
マコ=おおいま奏都先生なのでしょうか。女性の編集者なのでしょうか。

女性の編集者が加わったとなると、読者コーナーに女性編集者が参加したのは『りぼん』史上初ということで大快挙ということになりますが(2000年7月号の感想で触れたように私は待ちわびていました)、おおいま先生が出てこないので、マコ=おおいま先生だと私は思ったのですが…

「ジョバンナ王子のうらら王国」では、ジョバンナ王子の方を謎めいた存在にしたいようですが、『りぼん』の若手の編集者というだけで謎も何もあったものじゃないと思います。マコの方が位置づけが不明確でよくわからない存在だと私は感じます。

余談になりますが、「みーやんのとんでもケチャップ」の担当をしていたみーやん(宮永正隆氏)の公式ホームページみーやんのYummyLoungeができました。
読者コーナーの欄外マンガは今でこそ当り前ですが、始めたのは「みーやんのとんでもケチャップ」からなのです。画期的なことだったなといまさら思います。

8.りぼん漫画スクール2002

りぼん漫画スクール2002の佳作・努力賞の文字の上のリボンのフォントが、エフォントでした。
「Love Dream Smile」内の1コンテンツである
りぼにすと同盟や、りぼんっこリングのバーナーで利用しているフォントなので、やたら庶民的だなと思いました。


「ちびまる子ちゃん」・「泥棒リング」・「探偵レボリューション」以外の感想は、2002年2月号の感想で触れられているものもありますので、参照して下さい。


◆ちびまる子ちゃん(さくらももこ)
作品の内容は、“「ちびまる子ちゃん」だな〜”ということしかいえません。
「ちびまる子ちゃん」は、かつて、BSマンガ夜話で取り上げられた際に、大人に絶賛(だと私は感じました。盛り上がっていましたし。)されていました。そのためか、『りぼん』という子供の読む雑誌に載る作品としては、どうかという気がしてしまいました。(もちろん、BSマンガ夜話では子供からのFAXも多数きていたようですし、アニメを毎週やっているので、子供への影響力は計り知れないとはわかっているのですが。)

さくら先生は、私にとって、『りぼん』の漫画家ではなく、『りぼん』出身の漫画家です。(From Ribonで紹介させていただいております。)
『りぼん』の漫画家と、出身の漫画家とでは、私の中での接し方が異なります。(『りぼん』の漫画家であるか、出身漫画家であるかという事実を分けることは、私の『りぼん』の関わり方、読み方に密接に関係していて重要なことの1つです。)
今回、「ちびまる子ちゃん」を読んでいると、過去のものが今にあるような違和感を感じてしまいました。

私が、「ちびまる子ちゃん」とさくらもも子先生に最も想い入れがあるのは、「ちびまる子ちゃん」がアニメ化される前のこと、「みーやんのとんでもケチャップ」(読者コーナー)の担当を開始時から、「星の瞳のシルエット」終了までなのです。(『りぼん』:1986年9月号〜1989年5月号。単行本:1巻〜5巻)この意味を理解できるのは、リアルタイム読者だけだと思いますが。

みーやん(当時の読者コーナー「みーやんのとんでもケチャップ」の担当編集者の宮永正隆氏のこと。さくらももこ先生の離婚した元旦那で、泥沼の離婚劇はマスコミでも取り上げられました。みーやんについて詳しくは、公式HPへ。)の担当漫画家、さくらももこ(「ちびまる子ちゃん」)、柊あおい(「星の瞳のシルエット」)、岡田あーみん(「お父さんは心配症」)先生の『りぼん』での活躍ぶりは、言葉では説明できないほどのものがありました。

アニメ化された後の「ちびまる子ちゃん」は、確かに作品として充実期を迎えていたと思います。(「ちびまる子ちゃん」の初版の発行部数が200万部を超えていた時代。)
しかし、私にとっては「ちびまる子ちゃん」は、まだ、カラーページももらえない、『りぼん』の王道じゃないよという雰囲気を出していた頃の「ちびまる子ちゃん」なのです。

今月号では、作品の横の余白に、「ちびまる子ちゃん」の単行本、関連本、さくら先生のエッセイ本、懸賞・アニメ・公式サイトの紹介が載っています。
私はこれを読んで、さくら先生の想い入れのある過去の『りぼん』の時代のことを走馬灯のように思い出してしまいました。

P98の横の余白のコメントを読むと、今後も定期的に掲載されることがあるようにも感じます。私は別にどちらでもいいと思いますが、『りぼん』に作品が載っている事に違和感を感じました。

2002年1月号が発売された直後の12月中旬、さくら先生の新作エッセイ「ももこのトンデモ大冒険」(徳間書店)が書籍の売り上げランキングで上位にいるのを新聞で見ました。
エッセイというのは、人の生き方・考え方・ものの見方を読んで楽しむものです。『りぼん』の読者が、さくら先生のエッセイ本を買っているとは到底思えません。だから、さくら先生の漫画を読みたいのも、『りぼん』の読者ではないところにあるのではないかと感じるのです。

編集部の狙いとして、読者層の上の層を確実に押さえるという意図も感じます。というのは、村井編集長に変わってから、水沢先生に本誌連載をさせたりと、そのような意識が見受けられるからです。
読者層をあげようとしているわけではないと思いますが、発行部数が上がらない今、『りぼん』の対象年齢が「小学生以上(中心は小3〜中3)」(『プ〜タオ』2000年冬の号)を確実に押さえていきたいという意識は多少なりともあるでしょう。
雑誌で「ちびまる子ちゃん」を掲載できるのは『りぼん』しかありませんし、『りぼん』としてはメガヒットにあやかりたいというところなのでしょう。

あと、2002年1月号の感想で触れたように、3色カラーには驚きました。
懸賞で「ちびまる子ちゃん」の景品をつけるという配慮もされていましたが、『りぼん』編集部が関わっているものは、“パネル時計”だけなのは明らかです。(他の商品には、RIBONのマークではなく、さくら先生のプロダクションのマークは入っているから。)
たった30名へのプレゼントのパネル時計よりも、1987年2月号以来のカラーページの方が私には特別待遇ということを実感できました。


◆泥棒リング(加月るか)
第2回までは興味がまったくわきませんでしたが、最終回はいい後味で読み終える事ができました。しかし、本誌連載は早かったような気が。読み切りで充分…

全体としては、友美が素直でいい娘すぎるだけでキャラクターとしての面白味に欠けていたことと、廉次(毬男)が、ただのプータローとしか思えず、こんな奴のどこがいいんだかと思ってしまいました。(21歳で、人生に挫折していると思っているなんて甘い奴。過去にいろいろな経歴があって、という設定がないと納得しようがない。)

最終回がよかったと思ったのは、P372の3コマ目〜P376の1コマ目のためです。(ピークは、当然、P374・375のぶち抜きの友美のアップの1コマ。)
ネームのパワー、漫画家が作品に懸ける想いを感じれました。作品全体は未熟さを感じましたが、このネームを描ける限りは成長が期待できるように思います。


◆探偵レボリューション(森本里菜)
折角の本誌掲載なのだから、星華の過去に関わるエピソードにしてほしかったです。というか、今回の事件がつまらなかったというわけではなかったのですが(星華と透也の2人の関係・心情に丁寧に絡めてあって、事件としては上手いとは思いました。)、その下に流れる作品の設定が地味に感じました。星華と透也とは両想いだけれども…というわりに、2人の間の障害がないので盛り上がりにかける感じがするのです。

「探偵レボリューション」を『りぼん』に掲載すると決めたのは、編集側の要望だと思いますが、時期的にオリンピック前ということもあり、「クリスタル前奏曲」の続編の最後(婚約&ソルトレークオリンピックの開幕シーン)がなければ、ここで読みたかったと感じました。「クリスタル前奏曲」の続編の最後は詰め込みすぎて、もったいなかった…)

P398の3コマ目「なんかあの時以来だな はじめて会った事件の時の」、P399の1コマ目に「絶対 あの時みたいに助け出してみせる」とありますが、私は“最初の事件”を知りません。読者が知らないことも視野に入れて、回想シーンを組み込むべきだったと思います。そのシーン1つで単行本を買ってみようかという気になるかもしれないのに。今回のエピソードは、2人の関係の発展を描いているのですから、2人の関係に関するエピソードは丁寧にいれてほしかったと思います。

P430の3コマ目の透也の表情を見ると、星華(あるいは、紗梨)を見て驚いているようにはみえません。となると、紗梨はどうやって透也を連れ出したのでしょうか。
透也が紗梨の誘いに簡単にのるとは思えませんから、透也は星華があの場にいることをすでに知っていたのか(この設定だと透也ってなさけないと感じます。。)、あるいは、紗梨により星華が透也をあの場に誘った事になっている(この設定だと透也は紗梨がいたら驚きそうなものですが。)、ということも考えられます。2人の関係を盛り上げるためには、このあたりの設定を明確にした方が盛り上がったように思うので、謎だったのは残念です。

さらに、P431の4コマ目と最後のコマにギャップを感じました。キレイな夜景を目の前に好きな人がとなりにいて、いきなり事件の話をするとは、透也の意図がわかりません。
森本先生は、星華から告白するようにしたかったのでしょうか。星華の性格を思うと、透也からしたほうが自然だったのではと感じます。
告白後のP434の4コマ目も、わざわざ後ろから抱きしめるかな〜と思ってしまいました。そのまま引き寄せて、がばっと抱きしめるほうがありそう。(単に、私がこの設定の方が好きなだけ。背後からよられるのはちょっと…)告白から間をとりたかったのかもしれませんが、反対に間がぬけている感じがしました。
透也の告白も、P435の「星華のことが…」のセリフは、星華の内面のセリフ「透也…!!」にかかってることは頭では理解できるのですが、最後のコマの段階で言っているようにみえてしまうのは、なんとかしてくれと思ってしまいました。

極めつけは、P436、437の落ちですが、「無敵のヴィーナス」(椎名あゆみ)に負けているなと思いました。というのは、P436、437に「無敵のヴィーナス」の最終回を思い出して、さらに、「きのうの夢を話そう」(森本里菜)の単行本のフリートークで、森本先生が「無敵のヴィーナス」の最終回を手伝っていたことを思い出したからです。「探偵レボリューション」のキャラが弱いからでしょうね。(楓・てっぺいを肇として周りのキャラも立っていたもの。)

普通の漫画家ならば、よし!とできたかも知れませんが、森本先生のキャリアを考えると、もっとがんばってほしかったと感じる出来でした。

(注)

私のみーやんに関わる3人の漫画家の認識は以下の通り。(過激ですが。)

さくらももこ先生:
みーやんと一緒に成長したが、才能があるがゆえにみーやんと対立。

柊あおい先生:
みーやんに才能を引き出されたが、その引き出されたものを自分では収拾も、変革もできなかった。

岡田あーみん先生:
みーやんにより才能を極端に引き出され、潰された。

いずれも、みーやんがいなければ、「ちびまる子ちゃん」、「星の瞳のシルエット」、「お父さんは心配症」はなかったことだけは確かだと思っています。


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Presented by Eiko.