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Y駅には大通りと銘打つ通りが二本ある。
一本は車道に沿ったごく普通の商店街。もう一本は、陽が落ちるとけばけばしいネオンサインに彩られる、いわゆる繁華街だ。
俺はその繁華街を、気の抜けた顔で歩いていた。
料理屋から流れてくるタマネギ臭、どこからか聞こえてくるカラオケの声、ひしめきあって並んでいるゲームセンターとその表に置かれたUFOキャッチャー、プリクラを撮るアベック、いたるところから聞こえる嬌声、人混みの中をあちこちぶつかりながら歩く酔っぱらい、ひょいと横道を覗けばラブホテル……。俺の田舎にはない、絵に描いたような繁華街に来るたび、俺は目眩に似た感覚を覚える。
ずっとこんな場所を我が物顔で歩くことに憧れていた。良い子でも優等生でもなく、自由に好き勝手遊べる自分。大学進学を機に上京し、ずっと夢に描いていたそんな自分を手に入れて、しばらくの間俺は有頂天だった。炊事や洗濯といった日々の雑事も、俺にとっては新鮮で喜びだった。
それが「どうでもいいこと」に変わっていったのは、一体いつからだったか…。
田舎に帰る気は毛頭なく、こちらで就職した。そのことに最初はごねた母も、姉の出産のおかげで息子より孫に気を向けてくれたのと、父の「こちらで就職しても転勤はあるんだから、そうなったらどっちみち同じことだ」との言葉で納得してくれた。
俺は自由だ。
中高生の頃、あんなにも望んでいたものが、今は簡単に俺の手の中にある。そのことが、何故こんなにも虚しいのだろう……。
今の会社はそこそこ安定していてそれほど残業もなく、上司もまあまあ、女子社員の割合も多い。ここのところ俺は沈んだ気持ちのはけ口として、職場や合コンで知り合った女の子との恋愛に没頭するようになっていた。
しかし――――
狭い道は、花金のせいか歩きにくいほどの人混みだった。学生が夏休み中ということもあるかもしれない。
雑踏に埋もれながら、俺はため息を吐いた。
(なんでかな……)
たった今、俺は3カ月付き合った彼女にフラれてきたところだった。
(今回は本当にうまくいきそうだと思ったんだけどなあ)
どういう訳か、俺は誰と付き合ってもいつも長続きしない。好みでないのに無理に付き合ったことも、付き合わせたこともないし、別に嫌われるようなことをした覚えもない。
なのに皆、決まって言うのだ。
『ごめんね。貴生(たかき)って、なんか彼氏って感じしなくて』
男に見えない、ということだろうか。
(納得いかねえ!)
通りがかりの店のウィンドウガラスに、自分の姿が映っている。俺はグレーのスーツを着た一見どこにでもいそうなサラリーマン姿の自分を検分した。
広めの肩幅、バランスよく長めの足、逞しくはないが183センチの長身で、そこそこ自慢できる体格だ。
さっぱりと短めに刈った髪の下の、奥二重の「優しそう」と言われる目も、筋の通った鼻も、引き締まった口元も、自分はこれで充分だと思えるだけの物を備えている。
自分で言うのも何だが、よくカッコイイと言われるだけはあると自負している。少なくとも容姿にコンプレックスを持ったことはない。
それなのに……互いに「いいな」と感じたから交際したはずの相手と、半年保った試しがないというのはどういう訳なのだろう。
(俺ってそれほどに内面の魅力がないんだろうか)
どうしても考え込んでしまう。
一流ではないが大学を出て、仕事をし、親元から離れて一人立ちして暮らしている。これ以上ないイイ男では決してないし、確かに欠点も多々あるんだろうが、そんなにすぐに交際を打ち切りたくなるような極端な欠陥はないはずだ。
(けど、だからって…俺のどこが悪かったのか教えてくれ、なんて言えっこないしなァ……)
俺はふっと自嘲した。周りは楽しそうな男女で溢れかえっている。
一人暮らしの気楽さで、俺は夕飯を用意するのが面倒な時はたいていこの辺りで食事を済ませてしまう。その癖で、ついいつものようにここへ足を運んでいたが、実はもう食事は済ませてあった。
(久々に、ちょっとだけ飲んでいくか)
早く帰ったところで誰が待っているわけでもない。
そう割り切って、さて今日はどこの店に行こうかと見回し――その視線が、ある一点で釘付けになった。
(うわ…!)
俺の視線の先に、一人の少女がいた。
不揃いだが艶やかに波打つ俺好みのストレートヘアー、黒目がちのぱっちりした目、思わず摘みたくなるようなツンとした小さめの鼻、ふっくらと柔らかそうな唇。ありきたりのジーンズと白いパーカーを纏った華奢な手足に思わず見とれる。
高校生くらいだろうか。どこもかしこも小作りで可愛らしく、しかし掴もうとするとすり抜けて行ってしまいそうな柳のしなやかさを連想させるその少女は、まさに俺の理想が形になって現れたようだった。
奇跡のような想いで俺はすぐ脇を通り抜けていく少女を見送りかけ、彼女が雑踏へ紛れかけるのに慌てて方向転換した。
(このまま二度と会えなくなったら――)
一瞬だけ俺の胸中で、つい先刻まで失恋して落ち込んでいたくせにもう新たな相手を追いかけるのかと、自責の念が湧いた。
だが俺は、軽く首を振るとそんな気持ちをかき消した。
(今、俺はフリーなんだ。一期一会というじゃないか、この機を逃したら一生後悔するかもしれない!!)
これが一目惚れというものか。
俺は、どうしてもその少女に声をかけなければという切迫した想いに駆られ、雑踏をかき分けていった。
「いやあ、本当に付き合ってくれると思わなかったよ」
この界隈にしては割とお洒落なイタリアンレストランで、俺は少女と向かい合っていた。
やにさがりそうな顔を『にこやか』な笑顔に必死に保たせている俺に、その子は淡泊に言った。
「ちょうど暇だったし、お腹空いてたから」
少女はこうして見ると随分と肉付きが薄く、少年のようでもある。
やや低めのアルトの声も少年ぽいが、俺の耳には充分心地良い。もっと声を聞きたいと思うが、初対面で緊張してでもいるのかあまり喋ってくれない。
(それにしても、近くで見るとますます可愛い子だなあ)
俺は、こんな美少女が一人で暇を持て余していたという幸運に感謝した。
「ところで君、名前はなんていうの?」
「……」
「あ、俺は原貴生(はら・たかき)っていうんだ」
「ふうん」
食事さえ驕ってもらえれば、名前などどうでもいいという感じだ。媚びない態度は案外好感が持てるが、あまりに興味がなさそうにされるのも悲しい。
「字はね、こう……で、親は……なんて考えて付けたらしいだけどさ」
なんとか会話を成り立たせようと、無意味な言葉を羅列してしまう。
「リョウ」
「はい?」
唐突にポソッと言われ、俺は何を言われたのかわからず訊き返した。
「…って呼ばれてる」
「エ? あ、ああ、そうか、リョウ…ちゃんか」
(リョウコちゃん、かな?)
「リョウでいい」
「あ、そう……」
『ちゃん』はいらないというわけか。ちょっと嬉しい。
ふと、あまり喋らないのは自分のことを詳しく知られたくないためかもしれないと思いついた。
(そりゃそうか。未成年がこんな時間にこんなところ歩いてるんじゃ)
夜の8時は別に遅すぎる時間でもないが、女の子が意味もなくこんな場所をフラフラ歩き回っている時間ではない。
会話らしい会話が交わされないままに、注文した料理が運ばれてきた。
料理はすべてリョウの希望のものだ。(ちなみに注文の時も、リョウはメニューを指差すだけでほとんど喋らなかった。)
まずはバジルとトマトのサラダをリョウに取り分けてあげ、自分も口にする。
(うん、美味しい)
俺は初めて入った店の味に安堵した。
次いでかぼちゃの冷製スープ、クリーム仕立ての魚介のスパゲッティーに、サラミのたっぷり乗ったピッツァ。
それにしてもよく食べる子だ。俺自身は振られた彼女と食事をすませていたからほとんど手を付けていなのに、料理は着実に減っていく。
(よっぽどお腹がすいてたのかな)
可愛い顔して無愛想だし、華奢なのによく食べるし……外見と中身のギャップがこれほど激しい子は初めて見た。
そんなリョウに戸惑う反面、俺は次は何が出てくるかとびっくり箱のような楽しみも味わっていた。
「デザートも欲しい?」
半分冗談で訊ねると、リョウは口に物を頬張りながらうなずいた。
「何食べたい?」
「あれ」
壁に掛かった、小さな黒板にカラーのチョークで書かれたメニューを指差す。
「『本日のデザート』?」
リョウは首を横に振る。
「『デザートの盛り合わせ』?」
リョウは大きくうなずいた。
運ばれてきたのはいかにも女の子が好きそうな、カラフルで可愛らしいデザートだった。季節のフルーツにカラメルアイスとシャーベット、3種類のプチケーキが盛り合わせになっている。
だが――ちょっと食の細い子なら、これ一皿でお腹一杯になるような内容だ。これはあんまり食べ過ぎではないのか?
(成長期なんだろうし、ダイエットを気にするような体型じゃないけど)
つくづくびっくり箱だ。
おまけに、関係ないけど遠慮がない。俺は食後のコーヒーを飲みながら、こっそり勘定計算してしまった。
すべての料理を平らげ終えると、リョウはふうっと吐息を洩らした。
「満足してもらえたかな?」
多分この時初めて俺を真っ直ぐ見返したリョウは、思いがけずにっこりと極上の笑みを見せてくれた。
白い肌の頬だけが薄桃色に色づき、くりっとした黒い瞳が細められてなんともいえずに愛らしい。
思わず見惚れた俺に、リョウは言った。
「でもさ、俺なんかとメシ食って、お兄さん楽しかった?」
「――は?!」
咄嗟に何を言われているのか理解できなかった。
強調された『俺』という一人称、女声のアルトというより明らかに少年の声――
目を白黒させる俺に、リョウはニヒルな笑みを浮かべた。
「ごっそーさん、モーホの兄ちゃん!」
そう捨てゼリフを残すと、リョウはパッと立ちあがって一瞬のうちに店の外へ走り去って行ってしまったのだった。
後には混乱したまま呆然と口を開けた、マヌケな俺が一人取り残される。
数秒の後、俺は「エエッ!」と声をあげた。
(あの子――リョウって男の子だった訳?!)
あんな可愛らしい男がいるとは、どうにも信じられない。だが、どうやらそれは事実のようだった。
テーブルの上には、気のきかない店員が下げ忘れたままの、リョウによって平らげられた皿が山積みされている。
(――やられた!)
その置き土産はこうして見ると、リョウが男だという証拠そのものだった。
「ハ……ハハッ!」
なんだか笑ってしまった。騙された悔しさより、むしろ俺はその見事な手際に壮快感さえ感じていた。
店を出た後、俺はしばらく辺りを歩き回ってみたが、もうリョウを見つけることはできなかった。
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