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翌日、俺はリョウを捜すためにまた繁華街へ来ていた。
彼を捜してどうしようという目的はないが、何となくまた会いたかった。できたら色々と話してみたい。だが一体リョウがいつもどの辺りにいるのか、そもそも今日は来ているのかさえ見当がつかない。
(まあいいや。どうせ暇なんだし)
毎晩定時で退社すると、無趣味の俺は帰っても特にすることもないのだ。
こうしてリョウを探してしまうのは、一人暮らしを大学時代からもう6年から続けてきて人恋しくなっているせいもあったかもしれない。
かなり遅くまで歩き回ったが、結局その晩リョウを見つけることはできなかった。
次の日曜も、そのまた翌日も俺はリョウを捜して歩き回った。
そうして一週間が経ち、再びリョウと出会った金曜日になっていた。その曜日に希望を託してリョウを捜し歩いたが、一週間分の疲れが溜まっているのか、一時間ばかり歩くともう疲れてきた。
(メシ、食おうかな)
そう考えた時だ。
「ア!」
すぐ先にリョウを見つけ、俺の胸は躍り上がった。一週間前にリョウを見かけた場所の近くで、やはりこの曜日のこの場所なのかと納得した。
リョウはシャッターの下りた一軒の店先で、人待ち顔で佇んでいた。
「リョウ!」
俺は彼を見つけた興奮に、つい大声で声をかけてしまった。振り向いたリョウは、俺の姿に仰天した顔をした。
「あんた…!」
逃げ腰のリョウに、俺は慌てて「大丈夫」というふうに笑顔で手を振りつつ近づいた。
「やあ、先日はどうも。君が男の子だって全然気づかなかったよ」
リョウはばつの悪そうな顔をした。
「別に俺、何も騙すようなこと言ってないからな」
その様子はまるで背中の毛を逆立てているやんちゃな野良猫のようだ。
「わかってる、わかってる」
俺は両手を挙げて、リョウがそれ以上何か言うのを止めた。
「実は俺、あの日彼女に振らてね。落ち込んでたんだけど、今はなんだかすっきりしてる。たぶん君のおかげなんだろうと思ってね。だから、食事代を請求するなんてケチなことはしないから、安心して」
「ふうん…?」
疑り深そうな上目遣いで俺を見るリョウは、男の子だと知った今でもやはり可愛いかった。
(リョウって、歳はいくつなんだろう?)
こういう子はやはり珍しいんじゃないだろうか。
「ところであんたさ、用がないなら行ってくれる? 邪魔だから」
露骨に邪険な態度をとられて内心グサッときたものの、俺は心の狭い奴だと思われたくなくて無理にも笑顔を保とうと勤めた。
「あ、もしかして彼女と待ち合わせとか?」
「何言ってんだか」
リョウはフッと皮肉な笑みを浮かべた。
「知らねえの? …って、あんたならそうかもな」
「何のことさ?」
「あそこ、見てみろ」
俺が訊くと、リョウは顎をしゃくってみせた。
「制服のグレーと茶パツの女がいるだろ。それと、ちょい遠いけどあの赤い看板の下……黄色いTシャツのやつ、見えるか?」
「ああ」
みんなリョウと同じような年頃の子だ。さっきのリョウと同じように人待ち顔で立っている。
「ああいうの、みんな俺のお仲間だよ」
「へえ、いいね。…で、なんの仲間?」
俺の言葉にリョウは吹き出した。
「あんた、本当にわかんない?」
「えっ……」
俺はうろたえた。リョウの仲間というのは、誰でもわかるようなそんな有名な仲間なんだろうか?
「本当にわかってねえみたいだな」
リョウは呆れようにフッと鼻で笑った。
本当はなんとなくわかるような気もしたが、わかりたくないという気持ちが無意識に思考をセーブしてしまっていた気がする。
「じゃあ、はっきり言ってやるよ。俺はね、『売り』してんだよ」
「ウリ……」
それは瓜のこと…じゃないよなあ。
「そ。だから、こうしてあんたにひっついてられると迷惑なんだよ。それともあんたが買ってくれるってんなら話は別だけど?」
『買う』ということは、『ウリ』はやっぱり『売り』のことだよな。
ようやく理解したというか、事実を認めて俺は「エエッ!?」と驚きの声をあげた。
「何驚いてんだよ。人のことナンパしたくせに」
「だ、だってそれは君が女の子だと思ったから…」
「男を買う気はないってか」
そんな、買うだなんて!
「いや、そういうことじゃなくて……」
ああもう、混乱して何をどう言っていいのかまるでわからない。
「で、結局どうすんだよ。行くのか、買うのか?」
なのにリョウは、可愛らしい口をひん曲げて迫ってくる。俺はとっさにリョウを探している間ずっと考えていた言葉を口にした。
「と、とりあえず、俺とご飯食べ行かない?」
まるっきり三枚目だ。これじゃ女に振られても仕方ないかもなぁ…。
俺は再びリョウと向かい合って座っていた。今日は安上がりに牛丼屋だったが。
「あんた、結局何なわけ?」
「何って…」
「だって、なんにもしないで飯だけ驕るなんてさ」
「おかしいかな?」
「すっげえ変」
無遠慮に憎まれ口をきくリョウが可愛いなぁと思い、そんな自分に俺は内心苦笑した。
「ところでリョウは、本名なんて言うんだ?」
「……」
リョウはムッと口をしかめる。言いたくないんだろうか。
「別に言いたくないなら無理に言わなくてもいいけどさ。リョウっていうのは本名なの?」
リョウがじっと俺を凝視する。安心させるように微笑んでみせると、フイッと視線を逸らし、しばらくしてリョウはポソッと呟いた。
「……リョウジ」
「え?」
聞き取れずに聞き返すと、リョウはやけのようにきっぱりと言った。
「安藤涼史(あんどう・りょうじ)ってんだよ、俺のフルネーム!」
「涼史君か」
名前を教えてもらえたことで、俺はリョウの心の壁を一つ抜けられたような気がして嬉しかった。
それなのに、リョウは渋い顔をした。
「涼史って呼ぶなよ」
「エ、なんで……」
「ここらでは、俺はリョウって通してんだよ。本名が知れると何か面倒があったとき困んだろう」
リョウはぷいっとそっぽを向いた。それはなんだか照れ隠しのように見えた。
「つまりそれって、俺のこと信用してくれたっていうこと?」
「別にそういうんじゃねえけど……まあ、あんたは学校とも商売とも関係ないし」
利害関係の問題か。それでも嬉しい。
それでつい気持ちが緩んで、訊かなくても良いことを訊いてしまった。
「じゃ、俺が客になったら?」
「……ご馳走様」
「冗談だよ、やだなぁ」
立ち上がりかけたリョウを、俺は慌ててなだめた。
「あのさ、リョウ。できたら『あんた』はやめて欲しいんだけど」
「じゃあ、名前教えろよ」
「前に会ったときに言ったんだけどね」
俺は鞄からカード入れを取り出した。
「原貴生といいます。ハイ、これ名刺ね」
「ああ……」
言われて思い出したようだ。
リョウは名刺を受け取るとしばらく珍しそうに眺めていたが、尻ポケットに無造作に突っ込むともう目の前に置かれた丼に夢中になってしまった。
大盛りの牛丼をかき込むリョウに、俺はふと気になった。
「こんなとこで晩御飯食べちゃって、お母さん怒らない?」
「別に。いつも外で食ってるし」
「エッ、なんで!? もしかしてお母さんが遅くまで働いてるとか…」
それはごく普通の家庭で育った俺にはひどくおかしなことに思えた。
「そんなんじゃねぇよ。ただ単に飯がないからってだけ」
「お米がないの?」
「なんにもないの!」
嗜好の問題だろうかと思って訊いたのだが、呆れたように言い返された。どうもリョウの言うことはよくわからない。一体どういう家庭なのだろうか。
「御飯がなんにもないって、そんな……」
言いかけたところを、じろっと睨み付けられてしまった。どうやら家のことには触れられたくないようだったので、気にはなったが俺はひとまず話題を変えた。
「リョウって歳はいくつなの? 高校生くらいかと思ったんだけど」
昨日は少女だとばかり思っていたから、割増して考えていたかもしれない。160センチそこそこの身長だから、まだ中学生かもしれない。
「十八だよ」
「エッ、嘘だろ?!」
とても信じられない。こんなに華奢で可愛らしい十八の男がいるものか。
リョウは一瞬、いたずらがバレた子どものような顔で俺を見上げ、すぐ丼に目を戻すと言った。
「……十七」
「ああそう。で、本当はいくつなの?」
一瞬箸を止め、リョウはちっと舌打ちすると、吐き出すように言った。
「十五歳。中3だよ」
(十近くも年下かァ!)
おおかたそんなものだろうと予測はしていたが、やはり驚いた。と同時に胸が痛んだ。
「そんな歳で……」
体を売っているなんて。第一犯罪じゃないのか?!
俺は痛々しい想いで自分が十五歳だった頃を思い返した。
俺は結構奥手で、ようやく自慰をすることに後ろめたさを感じずにすむようになったのがその頃だっただろうか。好きな女の子の服の下をつい想像して一人で赤くなり、ファーストキスに憧れを抱いていた年齢。
実際に誰かとセックスすることはまだ到底考えられず、まして同性相手になんて考えもつかなかった。そういう知識を得たのは、もっとずっと後になってからだ。
(リョウは男も相手にしてるのか…?)
彼の口ぶりからするとそうだろうが、同性同士のセックスなど今まで考えたこともなかったから、まるでリアリティを感じられない。
リョウは俺が考え込んでいる間に、先日はまだ遠慮していたのかと思わせる豪快さで大盛り一杯を食べ終えてしまった。
「もう一杯食ってもいい?」
「ああ。味噌汁もお代わりするか?」
半分冗談だったのだが、リョウは即座にうなずいた。そういえば先週もそうだったっけ。
「卵も付けて」
「はいはい」
この前は女の子だと思い込んでいたから度肝を抜かれたが、育ち盛りの男の子ならこれくらい食べても異常というほどでもないだろう。
それにしても、いい食べっぷりだ。リョウの食事を目の当たりにして、俺は再び爽快感を覚えた。何の根拠もないことだが、たとえリョウがどのような境遇で何をしていようと、この食欲なら安心できる気がする。
まるで飢えた肉食獣のような豪快な食餌。
(実は男らしい子だったりして)
俺はリョウが女の子と間違えられたことに腹を立てていない様子なのに、遅ればせながら胸をなで下ろした。
食べ終えてお茶をすすって、リョウはようやく人心地ついたようだ。口元に、幸せそうな笑みが浮かんでいる。
だがその可愛い口から発せられるのは、とても可愛いとは言えない言葉なのだった。
「しっかし、原さんさあ。いくら俺が女っぽく見えるったって、何十分も目の前にいて言葉も交わしてさ、普通男だって気がつくぜ。あそこまで見事に信じ込んでたのはあんたが初めてだよ。いっつも自分の都合のいいことばっか考えてんじゃねえの?」
見た目とあまりにギャップの激しい辛辣なお言葉に、俺は飲みかけのお茶をむせ返しそうになった。
「だ…だって、髪が長かったから……」
「ああ、これ?」
リョウは食べる間髪を縛っていたゴムを引っ張り、見事な黒髪をばさりと背中に広げた。
「髪ってさ、放ったらかしてたらどんどん伸びてくんだよな、当たり前だけど。切りに行くの面倒だし金もないし、じゃあ伸ばしちまえってね」
「それは……なかなか建設的だね」
俺の苦しい誉め言葉に、リョウはケッと小馬鹿にするような顔をした。
「学校で注意されたりとかしない?」
「まあ、ちょっとはな。けど、受験写真撮るときには切るって言っといたから」
「そんなんで許されるわけ?」
「髭生やしてた先輩とかもいたし、これくらいそんな大したことじゃないだろ。関取り目指すやつは伸ばしてんのが当たり前なのに、俺がいけないってことないじゃん」
「……それは、まあ……」
正論に聞こえなくもないがどこかずれたリョウの主張に、俺は返答に窮した。
それにしたって、中学は義務教育ではあるにしてもなかなかアバウトな学校だ。それとも俺が私学に行っていたから知らないだけで、公立だったらそんなものなのだろうか?
「ところでさ。どうして…そんな、売りなんてやってるわけ?」
俺はリョウの気持ちがほぐれてきた様子を見計らい、ようやく最も気になっていたことを訊ねてみた。
「どうしても何も、まだ来年まで普通のバイトはできねえから」
「バイトがしたいのなら、新聞配達とかならできるんじゃ…」
「ンなんじゃ全然足りねえよ!」
リョウは吐き捨てるように言うと、子どもらしからぬ愁いを帯びた表情でふうっと嘆息した。
「ま、これだけ驕ってもらったんだから多少は教えるけどな――俺んち親父が失業中でさ。お袋は表面は普通の主婦だけどひでぇ酒好きのキッチンドランカーで、到底働きになんて出そうにねぇし。兄貴が一人いるんだけど、高校出て家出たまんま音信不通でさ…。ホント、昼間俺が普通に学校行ってるのが奇跡みたいな状況なんだ」
リョウの語った内容に俺は衝撃を受けた。そんな酷い家庭が今のこの日本にあるものなのか?!
「貯金とかないのか?」
「そんなんあるわけねえよ。だから、働かざる者食うべからずって教訓通りにすることにした訳」
「そんなこと言ったって、君はまだ中学生だろう!」
「んーな悠長なこと言ってたら日乾しになっちまうよ」
「……死活問題ってわけか…」
そんな子がこの国にいるなんて。
俺は3人兄妹で、姉の他に六歳下の妹がいる。俺が就職して家を出たとき、まだ中学生だった。今は短大生だが、これだけ離れていると性格どころか趣味さえ知らない。だが、今やっているウェイトレスのバイトを制服が可愛いことと友達と一緒に時間を組んで貰えるからと、賃金よりも仕事内容で選んだことは知っている。
不況だといっても、まだそれくらいの余裕はあるのが普通だろう。だが、リョウは違うのだ。
「俺、家にいてもどうせ何もないし……することも、食い物もさ。売りやる前まで、いつも『腹減った』ってばっか考えてた。今もしょっちゅう腹すかしてるけど。けどこれ始めてからはちゃんと三食分稼げて食えるようになったし。まぁ、他に出費があるときは食事抜かなきゃいけねぇけどさ」
十五とは思えない言葉の重みに、俺はリョウをきつく抱きしめてやりたい衝動を必死で抑えた。
「大変なんだな」
「慣れれば大したことないよ。嫌だったらいつでもやめられるんだし」
「……いつからやってるんだ?」
「まだ2カ月くらい」
「きっかけは何だったわけ?」
「まるで生活指導の先公だな」
まぁいいけど、とリョウは続けた。
「ここら辺うろついてたらサラリーマンぽいオヤジに声かけられてさ。3万くれるっていって、前金って万札1枚握らされてさ。金、欲しかったから……。いきなりで驚いたけど、やってみたら案外できるもんなんだな。腹空かしてるよりマシだってくらいだけど」
俺はその最初の客を、もし顔を合わせることがあったら殴り倒してやりたいと思った。
「この辺には毎日来てるの?」
「いや、今んとこ週一だけ。あんましょっちゅうでもサツとか色々目ェ付けられるっていうし。土日はしなくて、先月は月曜、今月は金曜って感じでちょっとづつ変えてく予定」
「じゃあ来週はまだ、金曜に来れば会えるんだね」
「他に客がいなければな」
「…もしかして、俺ってリョウの客?」
「違うか。ただのメッシーだった」
サラリと言うリョウに、「おいおい」と俺は苦笑した(内心は、半分本気そうなリョウに大号泣だったが)。
リョウは今まで俺の周りにいなかったタイプの人間だ。一切取り繕うということがなく、口汚いが実は潔い。
もっとリョウを知りたい。――俺はいつの間にかリョウの容姿ではなく内面に惹かれ始めていた。
「よかったら、来週も俺と一緒にご飯食べない?」
リョウの負担を少しでも減らしてやりたいと思ってのことだったが、リョウは訝しげな顔をした。
「そりゃ、そうしてもらえるんだったら有難いけど」
ほとんど知らない子を捕まえて食事を驕ろうなんて、確かにおかしいだろう。俺自身、どんなに見た目が可愛くても相手は男で、しかも一回りも年下で、友達というのもおかしな相手にそんなことをしてどういうつもりだと思う。
「自分でもよくわからないんだけど、リョウとまた会いたいんだ」
「別にいいけどさ」
正直に言うと、リョウはあっさり承諾してくれた。
「多分さっきの辺りにいるから。……じゃ、ごっそーさん」
さっさと席を立って店を出ていくリョウに慌てて勘定を済ませたが、俺が店を出るともうリョウの姿はどこにも見つからなかった。
(そうだよな。リョウはこの一時だけ俺に付き合ってくれたんだよな……)
寂寥感とでもいうのだろうか、なんともいえない淋しさ、手応えのない空虚な感覚に、俺はため息を吐いた。
おそらくもう、この時から俺の中で、今まで抱いたことのない激しい感情が芽生えはじめていたのだ。
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