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Love Piece

 

− 3 −

 次の週、早い時間にリョウをつかまえることのできた俺は、Y駅から少し離れたビルの高層レストランへ行った。
「ここ、気に入ってるんだけど一人だとなんとなく雰囲気が入りにくくて」
 そう言い訳したが、本音はここからの眺めをリョウに見せたかったから連れてきたのだ。
「へえ……」
 鮮やかな夕焼けの名残が微かに残る紺闇の空の下に、まさしく星のごとき光が散りばめられた街は、ムードに弱い女ならずとも思わず感嘆してしまう美しさで一見の価値有りだ。
(多分、リョウはこういう場所には来たことないだろうし)
 その読みは当たり、リョウはここからの眺めをすっかり気に入ったようだ。
「ここって料理も美味しいんだよ。一皿毎の量が多めだけど、リョウなら大丈夫だよね」
 リョウは期待に満ちた目をして大きく頷いた。
 少し値は張るが、ディナーのコースにした。イタリア料理だが、本格的なフランス料理のような手順で前菜から順に幾皿もの料理が運ばれてくる。
 それをリョウは、俺が舌を巻くほどの相変わらずの食べっぷりで綺麗に片づけていった。
「よく食べるよねぇ!」
 一体幾度その言葉を口にしたことだろう。
 なんでこんなに食べていてこんなに細いんだ? 身長はこれから伸びるにしたって……どうにも謎だ。
 それに対してリョウは、
「食べれるときに食べとかないと」
まるで毎日がサバイバルであるかのような答えを返してきた。
 食後のお茶を飲んでいるとき、白衣を着た赤ら顔の太った外国人が俺達のテーブルに近づいてきた。なんと、ここの料理長だという。
 アクセントは少々おかしいが、流暢な日本語で彼は言った。
「わたしは料理をたくさん食べたい人に合わせてたくさん作ります。でも、全部食べてくれる人は毎日はいません。それもこんなに綺麗に食べてくれた人はとても久しぶりです。とても嬉しいです」
「いや、すごく美味しかったんで」
 わざわざ挨拶に来て言葉通り嬉しそうな笑顔で話す料理長に、リョウはそれまでのポーカーフェイスを崩してはにかんだような笑みをみせた。
 思いがけないリョウの素顔に、俺の鼓動が高鳴った。
(やっぱりリョウ、可愛い……)
 リョウの可愛さは単に顔立ちだけのものではない、内面も実にけなげで可愛いのだ。
 何気ない言動に、生来の勝ち気とこの歳にして自力で生きているのだといった誇りが覗く。そのキリリとした部分が、逆に愛らしさを強調しているのだ。
 リョウは生命力に満ち溢れている。いつでも精一杯体を張って生きている、それがリョウという人間なのだろう。
(こんなにも美しい人間に、俺は初めて会った)
 リョウと出会わせてくれた何者かに、俺は心の底から感謝した。


 食事の間、俺はずっと機嫌が良かった。目の前にずっとリョウがいるのだから当然だ。だが、
「じゃ、俺はこれで」
たった一言残しただけで、リョウはさっさと行ってしまった。俺は途端に喜びに膨れていた気分が萎えていくのを感じた。
 そうしてようやく気が付いた。
(そっか……)
 リョウは食事を驕ってもらうのが目的でその間俺と一緒にいてくれるだけの、まったくの他人なのだ…と。俺はリョウの名前しか知らない。考えてみればリョウだってそうなのだ。
 俺とリョウとは帰る家が違う。そうである限り、必ず別れの時は訪れるのだ。
(……リョウ……)
 雑踏に消えていくリョウの後ろ姿に、胸が締めつけられる思いがする。
 俺は、リョウに惚れている自分をはっきりと自覚した。


 リョウを帰したくない。別れたくない。ずっと一緒にいたい。いつでも側にいて欲しい……。
 それは我侭で叶わぬことだと自分に言い聞かせるが、頭では理解しても気持ちを抑えることは困難だった。リョウは俺を快適なメッシーと認めたようだが、次第に欲の出てきた俺は自分から進んでそうなったとはいえただのメッシーであることがたまらなく切なかった。
 告白してしまえば、この関係は崩せるだろう。だがそれは、俺が単なるメッシーから更にリョウにとってどうでもよい客の一人に成り下がることを意味している。それが怖くてとても本音など言えなかった。
 それでも次第に会える日が増えているおかげで、このどうしようもない想いも辛うじて我慢することが出来ていた。始めはリョウが『仕事』をする金曜にしか会えなかったが、「毎日でもかけていいよ」と教えた俺の携帯に、リョウは本当に毎日のようにコールしてくれるようになっていた。
「一食でも食費が浮くと、すっげー助かるんだよ」
 リョウはまったく悪びれずにそう言って俺を呼び出す。形としては、俺はリョウの顔を見ながら食事ができるのが嬉しいので、ギブアンドテイクが成り立ったというわけだ。
 だが俺はいつまでこんな中途半端な状態を保ち続けていられるか、自信がなかった…。
 ある日、嬉しそうに食事しているリョウを見ながら俺はポロッと洩らしてしまった。
「俺、リョウが好きだな……」
 言ってからハッと気づいて固まる。おそるおそる伺うと、リョウの目が真っ直ぐこちらを向いていた。
「あんた、俺と寝たいの?」
「エッ、それは……」
 自分の気持ちを自覚する前までは、単なる興味だと思っていた。リョウは俺の理想の外見をしているが性格は男っぽく、そのギャップがまた面白くて、見ていて飽きないのが気に入っただけだ…と。俺は今まで同性相手に恋愛感情を持ったことは全くないし、リョウに対する気持ちは弟へのようなものだろうと思い込んでいたのだが…。
 今ははっきり自覚している。リョウとしたい。リョウを想いながら自分を慰めたことはもう幾度となくあった。だがそんなことを本人に、それもこのリョウに言えるはずがない。
「驕ってくれるのは有り難いけど、妙なこと言われてもこっちも気持ち悪いんだよね。単に寝たいってだけならわかるんだけど」
 そう言われて俺は困惑した。俺はようやく自分の気持ちを自覚したばかりで、それでどうしようと行動を決めるところまでは考えていない。感情のままに行動するわけにもいかないだろうし…。
 黙り込んでいる俺に、リョウはフッと苦笑した。
「あんたも物好きだよな」
「そうかな?」
「そうだよ。こんな一文の得にもならないどころか、金をドブに捨てるような真似してさ。まあ、驕ってもらっといて言うべきことじゃねえんだけど」
「…確かに、俺はおかしいのかもしれないな」
 俺は笑みを浮かべようとぎこちなく口を歪めた。
「そうだな……たぶん、俺はリョウが好きだから。一緒にいられれば、口実なんて何でも良かったんだ」
 色々悩んでみても、嘘はつけない。俺は結局そう白状した。
 リョウは呆れたような顔をした。
「あんたノンケだったんじゃないのか?」
「そのはずなんだけど、リョウに関しては違っちゃったみたいだなあ」
 一瞬、リョウは何故だか哀しそうな目をした。…と突然、とんでもないことを言った。
「もし…本気で俺を好きだっていうんなら、ここで俺にキスしてみろよ」
 レストランの中はほどよく混んでいる。こんな公の場所でとてもそんなことはできないだろうと、リョウは言いたいのだろう。
 そして、それぐらいのことができなければリョウにとっては『恋愛』とは言えないということだろうか?
 ふっくらとして艶やかな薄紅色のリョウの唇を我知らず意識する。あれに触れたい。あれをこじ開け、柔らかく温かい口腔を思うさま蹂躙してみたい……。
 しかし俺は、正直な欲望よりも頑固な理性で答えた。
「…そこまでの勇気はないよ」
 瞬間、リョウは無表情になった。俺の言葉に失望したのだ。
「できないよな、そうだよな、それが当たり前だよ」
 リョウが徐々に怒りを表し、いつになく饒舌に言う。
「人間誰しも自分が可愛いもんな、よっぽどのことがあったってそこまでするようなやつはいないよ。こんなとこで男同士でさ、できるわけないよな」
「いや、その……」
「狡いよ」
 リョウの目が、まるで俺を射抜くように睨んでいる。
「本当に好きだって言うなら、本当ならそれくらいできるんだ。ちょっとおかしなことがあったって、一瞬くらい周りの人間は知らん顔するさ。けど、それでもやっぱりって思う、それって結局なんだかんだ言っても自分が可愛いんだ。そいうエゴ、いっつもあんたから感じてたよ。いっつも人の顔色ばっか伺って、口では色々いいながら実際に自分から何かしようとはしないんだ。相手のこと思いやってるフリして自分じゃ考えずに人に決めさせようとするんだ。――これはどうか、あれは好きか、さりげないフリして訊いて、絶対失敗がないように自分が傷つかないようにしてる」
「そんな、リョウ……」
 俺は何とか言い繕おうとしたが、何故だか言葉が出てこなかった。いきなり突きつけられたリョウの生の感情に驚き、彼の言葉に戸惑い焦った。
 自分はそんなんじゃない、そんなつもりはないと言いたかったが、言い訳の言葉を並べるのはためらわれ、結局沈黙してしまった。
 気まずい空気が流れる中、食事だけは黙々と進んでいく。俺はとても物を食べる気分ではなくなってしまったが、リョウはこんな時にも旺盛な食欲ですべての皿を綺麗に片づけた。
 店を出るとき、リョウは一言だけ言った。
「べつに、あんたに何か期待してるわけじゃないし、これからもいつも通りケータイするから」
 そうしてクルリときびすを返し、リョウはいつものように雑踏に紛れて行った。


 その後、リョウに言われたことが気になって仕方がなくなってしまった。
 今まで付き合ってきた女とのあれこれを思い返してみる。
 突然別れようと言ってきた子――そういえば、遊びに行く先はいつも決めてもらっていたような気がする。俺はまだ大学に通い初めて日が経っておらず土地勘がなかったのと、相手も同様に地方から上京してきていたので、俺はいつもガイドブック片手に『次はどこに行きたい?』と訊いてたものだ。ただ、いつまでもそれではまずいとさすがに気づいて色々計画を練ってセッティングしエスコートしたのだが、そのすぐ後に別れ話を切り出されてしまった。
 自然消滅した女性――年上で、付き合い初めてすぐ社会人になった彼女が忙しそうなので、邪魔をしまいといつも電話をかけてくれるのを待っていた。そのうち連絡がなくなって、そうするうちに俺は他にいい感じになってしまった子ができたのではっきりさせようと別れの電話をすると、向こうはとっくに別れたつもりで男を作っていたのだ。飽きられたのではなく、俺の方が飽きたんだと思ったと言われたときはちょっとショックだった。
 積極的に出たこともある。――全然違う部の可愛い子で、気になって好きだと自覚して告白した。幸い向こうはフリーでしかも告白をされたのは初めてと嘘みたいなことを嬉しそうに言われ、「お友達から」ということで付き合い始めた。交際をするのも初めてというので、焦らず付き合おうとまずは俺のことを知ってもらおうと、俺の好きなCDや本を貸しまくった。ところが、それが『趣味が合わないようだから…』と断られてしまったのだ。あれは押しつけが過ぎてしまったのか、実際に好みの相手と違うと思われたのか、はたまた別の理由があるのか、未だもって判らない。
 高校生の頃、好きな子に告白されて有頂天になったことがあった。相思相愛だなんて本当にそんなこともあるのかと嬉しかったのに、いくらも経たないうちに他に好きな人が出来てしまったと言われた。あれは向こうが移り気だったのだと思いたい。確かに俺よりいい男なんてごまんといるんだろうが……。
 そんなことばかり考えているとどうしても気持ちが落ち込んでくる。
「こんな俺なんかに好きだって言われたって、OKできるはずがないよな…」
 もうリョウにつきまとうのはやめようかとさえ考えてしまう。しかしそれでもリョウから連絡があると出かけずにはいられなかった。
 あの時の言葉通り、それからも変わらずリョウは携帯へ連絡をくれる。だが以前は少しは感じていた、リョウの俺に対する興味がまったく失われていることに気づかないわけにはいかなかった。
 一緒にいるのに心がこちらを向いていない。無関心の恐怖に俺は次第に気持ちが追いつめられていった。


 その日、俺はリョウからの連絡もなく夕食を作る気分でもなかったので、仕事を終えるとまた繁華街へと出かけていった。
 リョウから連絡をもらうようになってからはリョウが仕事をしている曜日を訊くこともなかったし、またリョウがそういうことをしていることを、無意識に考えないようにしていたのだ。
 そのため、その場面を見て俺は凍り付いた。
「リョウ…!!」
 リョウが俺よりやや年輩くらいの男に肩を抱かれて歩いていた。話には聞いていても実際にリョウが『客』といるところを見たのは初めてだった。しかもこんな気分の時に会ってしまうなんて…!
 リョウは俺へちらっと目をやると、すぐ何でもなかったかのように歩いていこうとする。男の方が気にしてリョウへ訊ねた。
「知り合いじゃないのかい?」
「いいんだよ。今はあんたといるんだから」
「ああ、そういうこと…」
 男がニヤリと薄笑いを浮かべて俺を見る。
 その顔に俺は思わずカーッとなって、気づくと男へ殴りかかっていた。
「キャーッ!!」
 すぐ側を歩いていた女が悲鳴を上げる。
 ふいをつかれた男がたまらず道へ倒れ込む。俺はリョウの腕を掴むと強引に引きずるようにしてその場を連れ去った。
「おい! 何するんだよ!!」
 抗議をし抵抗して暴れるが、華奢なリョウは力では到底俺に敵わない。繁華街の外れまで来る頃には、リョウもむくれながらも大人しくなっていた。
 ふと、前に一度だけ入ったことのある店の看板が目に留まった。薄暗いバーだが、酒だけでなく何故か紅茶も充実していて酔い覚ましに訪れる客がほとんどという店だ。
 目立たず、未成年のリョウを連れてはいるにも都合がよい。
 その店へ腰を落ちつけるとリョウはさっそく口を開いた。
「いきなり何てことすんだよ、あんた!」
 まだ先刻の怒りが覚めない俺は、うまく話すことができず黙り込んでいた。が、タイミング良くすぐに一杯目のグラスが運んでこられ、それをグイッと飲み干すと、ようやく少し舌がほぐれた。
「なんであんなやつといたんだ」
「あんなって…」
「さっきの奴、別に知り合いとかってわけじゃないんだろう?」
「客だよ」
 リョウは悪びれずに言った。
「けど、それが何だってんだよ。あんただって知ってたことだろう?! 今更だからどうだってんだ」
 高飛車に言い放つリョウに、俺は無性に腹が立った。
「そういうことを言うのか? 俺がリョウのことをどう思ってるか知ってて、それでああいう態度をとってそういうことを俺に言うのか?!」
 リョウはフッと吐息を吐くと、冷静な声で言った。
「言えるよ。あんたはそうと知ってて俺に構ってたんだし、会ってる間だって何もやめろとかそういうこと言わなかったじゃねえか。それが目にした途端、急に思い出して我慢できなくなったなんて、そんなガキみたいなことを言うわけ?」
「……」
 そのことを言われると、俺には一言もなかった。
「俺が好きでやってることだし、別にそれであんたに迷惑かけたこともないし。構わないだろうが」
「構うよ!」
 俺の怒りは次第にリョウに見放されまいとの焦りへ変わっていった。自分の怒りがリョウへの心配と思ってもらいたくて何とか取り繕おうと考え始める。
「危ないことだろう、そういうのは。やっぱやめた方が…」
「それってシマのことか? それなら大丈夫だよ。ここら辺のやつらは互いに干渉しないように暗黙の了解があるし、客はけっこういるから取り合いもまずないし、飲食店やホテルはあってもソープみたいのはないから、これもんが出てくる心配もないし」
 リョウは頬に人差し指でスッと線を書いてみせた。
 さすがというか、妙に詳しい。そんなことを気にしないといけないことなのだと改めて思い知らされ、俺はゾッとした。
「病気のことだってあるだろう」
「一応ゴムはつかってるよ。だからって絶対安全じゃあないだろうけど、確率としては低いんだから、なったらもう運が悪いってことでしょうがねえよ」
「そんなのって…」
「わかってやってることなんだから、いいんだよ」
 リョウの眼差しは決然としていて、俺はそれ以上の言葉を口にできなくなってしまった。
 リョウが、運ばれてきていた良い香りのする紅茶とチョコレートを片づける間、俺はただ呆っとリョウの指先や口元を眺めていた。
 カップの中身を飲み干し、それを受け皿に戻すとリョウはスッと顔を上げ真っ直ぐ俺を見た。
「ここで俺にキスできる?」
 照明が落とされ薄暗いバーの中は、カウンターに数人の客が背を向けているだけだ。狭い店でテーブルもごく小さく、リョウの顔はすぐ近くにあった。
 俺はつと腰を上げ、リョウの頬へ指を触れると、顔を近づけそっと唇へ触れるだけのキスをした。
 そんな俺に、リョウは満足そうに微笑んだ。
 次に俺が何をすればよいか、俺は言われなくとも不思議にわかっていた。
「――君の値段、いくら?」
 そう、俺は訊ねた。

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