家に帰った俺が自分の部屋でふてくされていると、玄関から「こんにはァ、お邪魔しま〜っす」といつもの智久の声がした。
ほどなく部屋にノックがあり、智久が顔を見せる。
「琳、生きてるかァ?」
俺はひどい不機嫌だったので、ベッドに転がったまま返事もしなかった。
勝手知ったる智久は、部屋に入ってくると俺の顔を覗き込んだ。
「なんだ、シケたツラして。溜まってるわけじゃねえしなぁ?」
「バカ野郎……」
力無く言い返して、俺は「ん?」と思った。
「あれ、そういえば――」
智久は、俺が酒に異様に弱くてすぐ眠り込むことを充分に承知している。もしも夕べのあれがとっさにやった偶然ではないとしたら……全てが計算済みで、わざと俺に酒を飲ませて潰しておいたんだとしたら――!?
「おい、智久。お前、なんでそういうこと思ったわけ?」
「へ? そういうことって何さ?」
本当に判っていないのか、しらばっくれているのか、智久はニヤニヤしている。
「だから……溜まってんじゃないとかって、なんでそんなの判るんだよッ!?」
怒鳴るように言うと、ようやく「ああ…」と納得した顔をした。どうやら本当に判っていなかったらしい。
「なんとなくな、そんな気がしただけだけど。なんだよ、ホントに何かあったわけ、そういうことがァ?」
面白がって訊ねてくるのに、俺は再びバカヤロウと返してやった。
「お前、何か知ってんだろう? 本当に何も判ってないわけじゃないよな?! もしかして、昨日俺を酔い潰したのってわざと謀ってやったんじゃないのか――おい!!」
勢い込んで喚く俺に、智久はサラッと言った。
「ま、多少はな。――って、そう怒るなよ。長門さん、初対面から琳のことすごく気に入ってたからさあ。有り体に言うと、長門さんはずっと琳のこと狙ってたんだよ。そのことは琳だって知ってただろ?」
「う……」
俺は言葉に詰まった。そのことは智久は気づいているだろうと薄々感じていたが、今まで特に話題になることはなかった。あまり大っぴらにできる話でもないし、俺としてもどちらかというと触れられたくないことだったから口にしなかったのだが、改めて言われて俺は何とも言えない気まずさと気恥ずかしさに顔をしかめた。
「まぁ、そのことは長門さん、あんまり隠してなかったからもしかして他にも気づいてる奴がいたかもしれないけど」
「それはない…と思いたいけどな」
俺は力無く嘆息した。
「でさ。昨日、ロフトに行く前に話したこと覚えてるか? 長門さんが何か頼みたいことがあるって」
「ああ。もしかして、そのことも聞いてたのか?」
俺は驚いた。長門さんは一体どこまで智久に話したんだ?! よほど信頼しているのだろうか……。
だが智久はそれは否定した。
「あ、いや。その頼みってのは、別のことだと思うけど。なに頼まれたのか…は、まぁ後で聞かせてもらうとして。
その話をされたときに、もう一つの頼みの方を聞かされてさ。っていうか、ちょっとな、珍しく長門さん、愚痴っぽいことこぼしてたから、じゃあ俺の方で何かお膳立てできたらしてみましょうかーって冗談半分で言ってたんだよ。まさか本当に上手く行くとは思ってなかったけどな」
「お前な……」
冗談半分であんなことになった俺のことなど、智久は省みもしなかっただろう。ただ世話になっている長門さんの機嫌を取れて、俺もはっきり嫌がっていたわけじゃないからなるようになれば、という考えが見え見えだった。
「ってことはつまり、俺はうまいこと二人に乗せられたわけだ」
恨めしそうに智久を睨む。そんな俺から視線を逸らし、智久は気まずげは顔をしながら言い訳した。
「いやー、でもさ、長門さんだって一応大人なわけだし。そんな無体はしなかっただろ? まぁ琳が酔っぱらってて手ェ出しやすかっただろうとは思うけど――で、結局お前、何されたんだ?」
話ながら変な方に興味を持ってしまったらしい。智久がまじまじと俺を見返してきて、今度は俺が視線を逸らしてしまった。
「そんなの口に出来るか!」
俺は気恥ずかしさも手伝って、鬱屈した怒りを智久にぶつけた。
「いくら好きとかいったって、あんな…弱ってるとこ狙うような真似、許せねえよ。お前ももうああいうのやめろよな!? あんなことばっかあったら、俺もうお前のこと信用しなくなるぞ?」
「ごめん、それは悪かったって」
智久は初めて謝罪の言葉を口にしたが、俺はむくれたまま無視するように続けた。
「頼みったっていきなりだったし、ほとんど了解もなにもなくてさ……」
俺は愚痴のはけ口にするように、怒りながら智久へ今朝の出来事を話した。真面目に考えると際限なく落ち込んでしまいそうで、乱れた感情のまま喚き散らしてしまった。
「初めて引き合わされた相手と起き抜けにいきなり歌わされてさ、その相手の片瀬さんはあれだけつっかってきてんのに、その間長門さんはずっと黙って俺達を見てたんだぜ? あの場では部外者だったのかもしれないけど、ちょっと冷たくないか?」
口にすることで改めて、俺はそんな彼に怒りに似た哀しみを覚えた。
別に俺だって長門さんに恋こがれていた訳じゃない。でもそれだと長門さんだって俺のことを真剣な気持ちで好きな訳じゃなくて、ちょっと気に入ったくらいの気持ちで、夕べも単に『丁度いいから戴いちゃった』みたいじゃないか。
「うーん、でも長門さんも、つい手ぇ出しちまって却ってそういうのに口出ししにくくなったとかあるかもしれないし。金取って部屋貸してんだったらなおさら、そういうことに口出しできないって立場上の問題あるんじゃないのか?」
「普通に施設で部屋借りるんだったらそんな口出しはしないだろうけど、長門さんとこはそういうんじゃないだろう。自分が好きでやってて、あの場にずっといたんだから、ずっと黙ってたのって変じゃないのか? 様子見るにしたって、彼らのこと何かフォローするとか、俺の…今朝の状態のこと考慮するとか、なんかありそうな気がするけど。…俺って結局、いいように遊ばれてるだけみたい……」
「いや、そんなことねぇって」
情けなくも涙目になった俺をなだめようと智久が慌てたとき、唐突にピロピロ〜と場違いに間抜けな機械音が鳴りはじめた。
「おい、琳。携帯鳴ってんじゃないのか?」
判ってるよ、と睨んで、帰ってきてから放ったままになっていた鞄へ手を伸ばした。
着信を見ると、知らない電番が表示されている。俺が登録していない相手からの電話のようだ。
「あ、じゃあ俺、今日はもう帰るわ」
これ幸いというように、智久は「じゃあな」と言い捨ててそそくさと出ていってしまった。
「もしもし」
俺が重い気分で電話に出ると、相手は意外な人物だった。
『琳? 山下だけど』
「なに、どうしたんだよ。電話なんて」
『どうしたって、さっきのこと気になったからさ。琳に悪いことしちゃったかなあって思って』
俺は一人でもそうして気にかけてくれていた人がいたことになんだかほっとした。
『今、練習終わったとこで、おれ一人でロフトに残ってんだ。琳、悪いけど今から出て来れない?』
そう言われて俺は顔をしかめた。
「これからまたそっちに行くわけ?」
とてもじゃないが、今はロフトに行くような気分じゃない。
『長門さんも琳に話したいことあるって。面倒だけど、来てくれれば驕るからってさ』
今は長門さんの顔を見たくない気分なんだけど…。なんだか今日は嫌なことばかり起きる。
長門さんとあんなことになって、いきなりバンドなんて紹介されて嫌な雰囲気の中で歌わされて、智久にはバレてるし、長門さんに持ってた「穏やかでいい人」というイメージはガタガタになるし。
――もうこうなったら、ことんまでやってやろうか。
「わかったよ。じゃ、行くよ」
開き直りに似た心境で、俺は山下に了解を告げた。