ON WINGS OF SONG


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 半時間後、俺はロフトのカウンターに山下と並んで座っていた。
 カウンターの向こうにはいつも通りの微笑を浮かべた長門さんが立ってグラスを磨いている。長門さんは、俺と山下の話が終わるまで口を挟まないつもりらしい。
「今日はごめんな」
 いきなり山下はそう謝った。
「片瀬さんはそう悪い人じゃないんだ。ただ、ちょっと…なんていうか、色々あって。焦ってるっていうか……。はっきり言うと、自分に自信が持てないから必要以上に突っかかるみたいになっちゃうんだと思う」
 山下の話に、俺は気のないふうを装ってアイスコーヒーのストローをいじくりながら耳を傾けていた。
「片瀬さんはギター歴がもう十年近くあるらしいんだけど、ずっとメンバーに恵まれなくて思うような活動ができないままもう二十歳になるって気にしててさ」
「あの人、今現在の出来にばっか目が向いてて、リーダーとしてメンバーをまとめるって出来なさそうだもんな」
「まあね、その問題もあるんだけどね」
 山下は肯定した。気づいていたのか。
「でもそれについては、おれと目白とでサポートするし。っていうか、目白が上手くあしらって片瀬さんを動かしてるって感じかな」
「あぁ…やっぱりそうなんだ」
 俺はあまりに想像通りだったので思わず苦笑してしまった。
「一人で全てを背負っちゃうワンマンよりもむしろそういう方がいいかな、なんておれなんかは悟っちゃってるんだけどね」
 山下も悪戯っぽく笑った。リーダーと言いつつ、実は周りから支えられないと立っていられない脆い存在な訳だ。
「でもまぁ、曲はいいの作ってくれるしね。楽器の練習もだけど、そっちもかなり勉強したみたいだよ。独学だけど。すごい構成がっちりしてるし、印象的なメロディー作るの上手いしさ。な、琳もそう思わない? 楽譜、もう目ぇ通した?」
「あ、悪い。ちょっとまだ……」
 帰ってボウッとしてしまったせいで、まだ全く見ていない。俺は焦って謝りかけたが、山下はしれっとして言った。
「じゃ、後でよく見てみて。好みとかの問題を抜きにして、あれは気に入ってもらえると思うよ」
 まるで自分が作った物のように愛しげに言う。当然といえば当然だけど、山下はもう片瀬さんをメンバーの一人として自分の一部のように感じているんだろう。
「おれはお稽古の延長だし、目白は部活の延長で、いわば遊びみたいなものだったんだけどね、最初は。今は違うけど。でも片瀬さんは違ったんだ。初めから、けっこう小さい時からプロになりたくて頑張ってたらしいんだ。
 ギターでやっていけるだけの実績を持てればすぐにでも大学なんてやめるのに、ってのが口癖でさ。一浪して文系の英文科ってのもコンプレックスならしいんだ。楽器で食べていかれなかったら自分の将来真っ暗みたいに思い込んでることろがあってさ、何がなんでも早くメンバーだけでも揃えてコンテストなり何かしら目に見える活動したいっていうから、長門さんにも便宜はかってもらったのに……」
 山下は困ったように嘆息した。
「いつもは片瀬さんが弾きながら歌もやってるんだ。でも音痴じゃないけど下手でさあ。本人もそれを充分わかってるし、バンドの顔はやっぱヴォーカルって意見は一致してて、ずっといい相手がいないか探し回ってたのに、あんな天の邪鬼な態度とって。目白なんか実はあの後すごい怒ってたんだよ」
 ヘエ、と俺は適当な相づちをうった。
「やっぱ怒ってるよね?」
 山下は探るように俺の顔色を窺う。
「まあ、多少腹は立ったけど。でも山下が気にするほどじゃないよ」
 本当はかなり怒っていたが、そんな風に話された上にこう申し訳なさそうにされては、素直にそうは言えない。
「本当? 良かった!」
 山下はにっこりと笑みを見せたが、おそらく俺の胸の内は察しているだろう。
「山下さ、わざわざそんなこと言うために呼び出したわけ?」
「勿論それだけじゃないよ。電話で話したら失礼かなってことを言いたくてさ」
 続けて山下が言ったことは、俺はどこかでわかっていたような気がする。
「話し合って、琳が欲しいってことになった。だから、三日後の合わせは琳がどうするか決めるために行うって感じになる。当然だけどいい返事が欲しいから、あらかじめ話しておきたかったんだ。試されると思うより、自分が決めると思った方がやっぱいいだろう?」
「まぁ…」
 俺は曖昧に頷いた。
「そんな訳で。琳、正式にうちのヴォーカルやってくれないか? 勿論、三日後にもう一度合わせてから決めてもらえばいいんだけど」
「でも……」
 俺はためらった。検討以前に、片瀬さんのことはどうするつもりなんだ?
 俺がそう疑問を持つことはわかっていたのだろう、山下は言った。
「片瀬さんも琳の実力は認めてる。っていうか、片瀬さんが一番琳のこと買ってるかもしれないくらいなんだ、本当は。いきなりであれだけ合わせられた奴なんて、今までいなかったし。あの時の憎まれ口も、多分驚いて圧倒されちゃったんじゃないかなぁ」
 本当だろうか。まあ、音楽なんてやりたがる人間はみんなプライドの高い奴ばかりだが。
 それにしても意外だ。てっきり俺の声が好みじゃないとか何か理由があって、難癖を付けて追い払いたいのか…とか考えていたんだけど。
「でも俺、あんま自信ないよ」
 それは俺の本心だったが、俺は素直になれなくて敢えて本音と裏腹なことを言っている口ぶりで言った。
「琳ならできるさ!」
 山下は明るく言い切ると、立ち上がった。
「おれたちは将来的にはメジャーデビューするつもりでやってる。琳はまだそこまで考えられないだろうけど、もし一緒にやってくれる気があるならそのことは覚えておいて。
 あと、やっぱ一緒にやってみないと判らないこともいっぱいあるし、仮に今月だけやってみて様子みるとかでもいいよ。正直、返事はできるだけ早く欲しいんだけど、それ以上に少しでもヴォーカルと合わせる練習がしたくてさ。ベースなんかだと、おれもシンセいじったりでなんとか出来るんだけどね。どうも編曲が上手くいかなくてさ、少ないパートでいい感じに仕上げるってのがどうもできなくって」
 山下はペロッと舌を出して苦笑した。
「来月に早速ちょとしたコンクールがあってさ、もう〆切ギリギリなんだ。今は少しでもそういうのに挑戦したいから、もし一緒に参加してもいいと思ってくれるならお願いな。
 とりあえず3日後ってことで、よく考えてなるべくいい返事ちょうだいね」
 山下は、言いたいことはみんな言ったという顔でふぅと一息つくと、目の前のグラスの残りを一気に飲み干した。
「おれの話はそれだけだから。あと長門さんに代わるねー」
「あ…ああ。じゃ、またな」
「うん。三日後にね」
 そう言って、山下はさっぱりした顔で帰っていった。

「琳君」
 二人きりになり、長門さんが声をかけてきた。
 俺は長門さんが夕べのことと今の話とどちらのことを考えているのか測りかねて黙っていた。
「今日は悪かったね」
 そう切り出した長門さんに、俺は頬杖をついてそっぽを向いたまま「何が?」と返した。
「山下君たちと、前フリなしでいきなり対面になっちゃったこととか」
「『とか』?」
 俺は意地悪く言葉尻を捕らえて返す。
「起きるときに一人にしちゃったし」
「そんなの、赤ん坊じゃあるまいし」
 つんと言いはねる。
「怒ってるね」
 俺はそれを肯定するため、あえて黙っていた。
「もし夕べ君にしたことについて怒ってるんだったら、一応言い分を言っておいたほうがいいのかな」
 長門さんは自分用のお冷やのグラスに入ったウーロン茶を一口飲むと、続けた。
「酔ったところをいきなりあれじゃ、後でもめるかもしれないとは予想してたけどね。でも琳君も僕に好意を持ってくれてたし、多分ああいうことを嫌がらだろうってことも何となく判ってたから」
 その言葉に俺はムッとした。いきなり肉体関係を強要されて嫌がらないだろうという考えは、当たり外れの問題ではないだろう。
 それは本当のことかも知れないが、まったく何でもないことのように言われたのに腹が立った。
「そんな…いい加減な。それじゃまるで、本当にちょうど都合良く目の前にあったからつまみ食いしてみた、みたいじゃないですか!」
 グラスを持った手が微かに震えた。怒りで頭に血が上って見境無く怒鳴り散らしそうになるのを懸命に抑える。
「都合良く、ね…。ある意味そうだったのかもしれない」
「なっ…!」
 思わず顔を上げると、長門さんの真剣な眼差しとぶつかった。真っ直ぐに俺を見返す瞳に思わず圧倒される。
(な、何なんだよ!?)
 その眼差しに含まれた哀しげな色合いに、俺は狼狽えた。
「琳君。君は僕なんかとは違う、特別な人間なんだ」
「な……」
 急に冷静な口調で言われ、俺はなんと返したらよいか判らず固まった。
 長門さんは、まるで物の判らない子どもに諭すように滔々と話し出した。
「初めて君の歌声を聴いたとき、才能があるっていうのはこういうことなんだと思ったよ。努力だけではどうしても手に入らないものがある。そうした物の中で特に憧れて欲していた物を、君は持っていた。それも酷く眩しく輝いてるやつをね」
「そんなの……」
 何か言い返したかったが、なんとなく口を挟めない。
「君はいつかは必ず表舞台へ出ていく人間だ。それはもう確かだと思う。今はこんなちっぽけな店に来て気楽にカラオケなんて披露してくれるけど、そのうち声もかけられないような存在になるんだろうなって、よく考えるんだ」
(なんでそんな淋しそうな顔をするんだよ)
 胸の当たりが微かに痛んだ。
「いつか手の届かないところに行ってしまうのなら、何でもいいから君の上に僕の痕を残したい――忘れられない存在になりたいって。そんなことをずっと考えてて、煮詰まっちゃってね。情けないことに、岡部君にも様子がおかしいって見抜かれて…。まさか本気で手を貸してくれるとは思わなかったんだけど。夕べ、それでもかなり迷ったけどね……結局は、手に入れられる内に一度でもこの手に入れておこう、ってね…やっちゃったね」
 長門さんは、本当にまったく後悔していない顔をして、優しい眼差しで俺を見た。俺はそんなふうに見られるのが何となく気まずくて目を逸らした。
「まあ、それでも手加減はしたけどね。悪いことしたとは判ってるつもりだけど……そんな言い訳じゃ気が済まないだろうけど。何だったら殴ってもいいよ」
「そんな」
 なんと言えばいいのか判らなかった。
 長門さんの気持ちに戸惑いはしていたが、確かに惹かれてもいたのだ。いつまでもこのぬるま湯のような関係が続くものだとばかり考えていたときには判らなかったが、俺は長門さんを好いていた。あんなことをされても本気では怒れないくらいに――そういう間柄になるのも悪くないと思えるほどに………。
「……狡いよ……」
 結局出てきたのはそんな気弱な言葉だった。
「ねぇ、琳君」
 長門さんがカウンターから手招きした。俺はちょっと首を傾げ、伸ばされた長門さんの手に、彼が何を求めているか悟った。
 俺は立ち上がって長門さんの肩に手を置いた。大人の骨太な掌が俺の髪をそっと撫で、後頭部を支える。互いの顔が近づいていく。
 初めてのキスだった。
 それは俺がずっと心に描いていたような気持ちの高揚はなかった。けれど想像したことのない温もりと、ふんわり優しい気持ちとをもたらしてくれたのだった。

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