ON WINGS OF SONG

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  大通りからは一本はずれた古いビルの脇に、深緑の飾り文字で『ロフト』と書かれた小さな看板が出ている。狭い階段を上がった2階が店だ。
 焦げ茶のドアを開けると、ビルの外から想像するよりずっと広くて落ちついた空間が現れる。焦げ茶を基調にしたやや暗めの店内は、入ってすぐにカウンターを備えたL字型になっている。奥に2つ少人数用の個室があり、そこでもカラオケができる。
 今日は個室の方にもお客は入っていない様子だった。よほど長門さんが俺らを気に入ってくれているのか、それとも単に閑古鳥が鳴いているのか。
「今晩はァ。遅くなりました、岡部ですー」
 智久が叫ぶと、カウンターの奥にあるスタッフルームから長門さんが出てきた。
「いらっしゃい。今日は完全貸し切りになってるから好きなだけ騒げるよ」
「やった! さっすが長門さん!」
 いつもの優しい笑顔で迎えてくれた長門さんの言葉に、みんなワッと歓声を上げる。
(あれ?)
 その柔和な笑顔と、実は伊達らしい黒縁眼鏡はいつも通りだったのだが…。
「長門さん、髭剃ったんだ」
 前に会ったとき、長門さんは薄い口髭を生やしていた。美しく整った顔立ちが自分では気に入らないらしく、それまで長門さんは顔を隠すように髭を生やしていたのだ。
 ハンサムなのに顔が隠れてしまうのは勿体ないし、似合わないからやめなよ、と俺はずっと言っていたのだが、もしかするとそのせいだろうか。
「ああ。琳君に散々似合わない似合わないって言われてたから、却って気になってきちゃってね」
「ウ。どうもすみません」
 俺は一瞬詰まり、しかしそれでも言って良かったなと考えて、そんな自分に苦笑した。
「でもその方が全然いいですよ。長門さん、せっかくハンサムなのに髭なんかで隠しちゃもったいないもん」
「それは…ありがとう」
 照れくさそうに苦笑した長門さんは、妙に子どもっぽく可愛らしく見えた。
 知り合ってからまだ一年弱だが、俺は長門さんの案外はっきり物を言う大人の面も、こうした屈託のない子どものような面も非常に好きだった。それが長門さんだからなのか、この年代の人というのは大体こういう感じなのか判らないけれど。
「えー、じゃあさっそく乾杯といこうか。長門さん、グラスは?」
「あ、そのテーブルにまとめて置いといたけど」
「OK。じゃ、みんな適当に座りながらグラス回して」
 智久の仕切りでそれぞれが適当な席に散らばっていく。
 ところが智久自身は席に着かず、さりげないふうを装って長門さんの側に寄ると、こんなことを言った。
「ところで会費のことなんですが、ホントに……で大丈夫なんですか?」
 智久は小声で喋ったが、しっかり聞こえてしまった。ヒソヒソ声というのは案外に通るものなのだ。
(ホテルなんかでよくやってる格安バイキング並じゃん)
 驚いてテーブルを見ると、いつもよりやや豪華な料理とジュース類が並べられている。
 過ぎた好意というのは、なんだか心配になってしまう。
「今日は僕のお気に入りの琳君の誕生祝いだからね、サービスさせてもらうよ。その分多めに歌ってもらうってことで、…ね?」
 二人を見ている俺に気づいた長門さんは、智久にというより俺に向けて言った。
 俺は嬉しい反面、そうやって先に色々良くしてもらってしまうと後から長門さんに「頼みたいこと」を切り出されたとき断りにくくなると考え、そんな計算をとっさにした自分に内心で自嘲した。
 いつもお世話になっている長門さんの頼みなんだから、出来ることなら聞けばいいし、できないことは言われたってどうしようもないんだから。
 ――だが、そんな些細な考え事は、「琳はココ」と示された座席を見るとすぐに吹き飛んでしまった。
「えーっ、ここォ!?」
 その席はちょうどカラオケステージの目の前、長テーブルの端の目立つところで、いかにも『お誕生席』だったのだ。
「当然、今日の琳はここだろ。カラオケのすぐ前ってのもナイスだよな」
 一同頷く。
「そんなこと言ったら俺、ずっとマイク離さねえよ?」
 半分冗談で言ったのに、拍手喝采で喜ばれてしまった。
「よっ、太っ腹!」
「なにそれ」
 笑ってしまった。
 幸せな気分が俺を充たす。俺が歌うことをみんな楽しみにしてくれているのかと思うと、単純な俺としてはつい、じゃあ今日は何を歌おうかと張り切ってしまう。
「…みんなグラスは回ってるな?」
 智久は周りを見回し、したり顔で頷くとグラスを掲げた。
「それでは、琳の十七歳を祝って――!」
「乾杯!」
「乾ぱ〜い!」
 型どおりの乾杯が成され、いよいよお楽しみの無礼講だ。滅多にできない食べ放題、歌い放題と相成った。
 未成年は飲んではいけないアルコールは長門さんがきちんと見張っているはずだが、いつもどこからか紛れ込んでくるので油断できない。アルコールに極端に弱い俺としては、気分が解放されると同時に緊張する時間でもある。
「琳、今日は何歌うよ?」
「そうだなあ……」
 早速マイクが渡され、機械に電源が入れられ調整される間に、曲目の載っているコード表をめくる。
「俺、琳の歌うの今日初めて聞くんだよな。噂によるとすごいらしいけど」
 今年クラスが一緒になってから親しくなった山下が言うのに、智久がニヤッとして得意そうに答えた。
「お前、まだ聞いたことなかったの? 琳は本当にすげえぞ」
 中学からの友達の清水や花井も支援する。
「なんていうか、俺らとは声が全然違うって感じだよな。マイクなしでも全然OKって感じで、声量あるし」
「そうそう。それに琳って声に深みがあってさ。マイク持つといきなり演技入っちゃうし、普段からは想像つかない姿が拝めるぜ」
 普段の俺はあまり騒いだり羽目を外すことのない、どちらかというと大人しめの人間だ。
「へええ……」
 多少疑っているような山下に、俺は内心微笑した。
(聞いて驚け!)
 俺はカラオケが大好きだ。こっそり隠れて練習しているくらい、歌うこと自体が好きだけれど、カラオケは声楽とはまた違った面白さがある。
 曲の質がまず違うし、今の俺に関して言えば、カラオケなら聞いてくれる相手がいる。自分の歌で周りを盛り上げるのが面白くて、誰か誘ってはよく歌いに行っている。
 相手はいつでもすぐ見つかる。歌いたがりの奴にさえ、俺は決まってリクエストされるほどなのだ。
 俺は他に特別秀でたものは持っていないが、歌だけは絶対の自信があった。
 そう、たかが歌と言うなかれ。何にでもコツというものがあるのだ。
 ほんの五分足らずで人を魅了するのは案外神経がいる。
 俺は常に五つのことに気をつけている。
 第一に、自分の声質と得手を掴むこと。例えば演歌などの拳をきかせる唄が得意な人もいれば、英語が得意な人、音程がしっかりしていて調性がコロコロ変わる歌が得意な人もいる。まず、自分にそうした何が向いているか、何ができるかを知ることだ。
 俺の場合、音感・リズム感に自信があって、よほどの難曲でない限りきっちり歌いきれるのが売りだ。だから一般に難しいと言われるテクニック重視の派手な曲を選ぶ。
 第二に、ずばり選曲だ。安易に目新しい流行の歌に飛びつかずに、自分の声質に合い、得意技を披露できる曲を普段からよく調べてチェックしておくこと。無論、新曲を常に取り込むことも大切だが。
 第三が、準備だ。曲数を知っているだけでも選択の幅が広がりかなり有利だが、それ以上に大事なのは練習だ。人前でそれなりに聞かせるには、ある程度は影の苦労が必要だ。それがまた自信にもつながる。
「…よし。今日はまずコレにしようっと」
 俺はそれらを考慮した上で、十八番の一つ、歌いにくいとされているあるロックバンドの少し昔の歌に決めた。
 ナンバーを入力すると、すかさず画面が切り替わって曲が流れ出す。
「よっ、待ってました!」
「ヒューヒュー!」
 拍手の中、俺はにこやかに一段高くなった舞台に立った。
 第四が、歌うときの姿勢だ。まずは態度で惹きつけること。堂々と真っ直ぐ聞き手に顔を向け、笑顔でマイクを持つ。これだけで相当上手そうに見えるし、聞く側も自信なさげな顔をされるより笑顔を向けられた方が好意的になってくれる。
 第五は簡単で難しい、自信を持つこと! 根拠のない自信で自分を見失うのは論外だが、自信のない歌い方は聴いていてあまり気持ちのいいものではない。
 俺は思うのだが――歌う間、理性を働かせつつも、別人になりきって歌の雰囲気を出さなければ周りはのって来ない。そのためにはまず自分のテンションを上げなければならず、結果としてどれだけの自信を持って歌えるかが決め手になるんじゃないだろうか 。
 一つの手段として、俺は一曲目は少し長めの前奏のある曲を選ぶようにしている。前奏の間に気分を高め、心の準備をするのだ。
 足で軽くリズムを取りながら前奏を過ごし、気持ちを曲にシンクロさせる。
 第一声ははっきり発声。――自分の声が室内に満ちていく、快い緊張の瞬間!
 話しかけていた奴も飲み食いしていた奴も、その瞬間にサッと俺の方を向いた。「オオ!」と小さく叫んだ口の形、見開かれた目……この瞬間がたまらない。これでもう俺は無理なくのりまくれる。
 だが完全に理性を捨てることはない。頭の中は常にフル稼働で耳から与えられる情報を分析・処理し続ける。
 歌というのは、楽器と違って自分の躰を鳴らす。自分自身が響くから、自分と他人では聞こえかたが相当に違ってしまう。そのため、完璧には無理でも周りの壁等からの反響をよく聞き取る必要がある。
 俺はこのことは真に理想の声を出すためには必要不可欠だと考えているが、実現するには天性耳が良い上に訓練の積み重ねを必要とする至難の技だ。
 けど――俺にはそれをする力がある!
 カラオケなんて誰にでもできるけれど、こうして注目を浴びながらみんなをノらせる快感は誰にでも味わえるものじゃない。それを意識して高音域を上手い具合にキメてみせると、聞いている方もすかさず「おおっ!」と拍手してくる。
 手拍子のマネをして拍手をせびり、曲に合わせて軽くステップを踏み、次第に昂揚していくメロディーにのっかって俺自身も声を上げ、シャウト!
 ――最ッ高!!
 思いきりヴィブラートをかけて長く長くのばしながらポルタメントし、喉を仰け反らせ、フィニッシュ(本当は仰け反ると喉が締まっていい声は出ないものだが、見た目が格好いいので。)――
 ――決まった!
 初っぱなから思いきり盛り上げてやった。
「さっすが琳!」
「かっこいー!」
「や、どーもどーも」
 普段はごく真面目な俺が、歌い始めるとちゃんとノリノリ(死語?)になれるところは我ながら不思議だ。
 笑顔を振りまきながらマイクを置いて席に戻ると、俺はさっき疑り深そうな様子をしていた山下にたずねた。
「どう? ご感想は」
 一曲目だからいまいち声が出きらなかったけど、充分俺の歌になっていたはずだ。
「なんていうか……すげえな」
 山下は、俺が望んだ通りの反応を見せてくれた。
「正直言って話半分かと思ったけど、噂より実際に聞いた方が数倍良かったって感じ」
「そ、そう? ありがと」
 思わず照れつつも、俺は内心ガッツポーズを作った。
「な、俺が言った通りだったろう?」
 智久がまるで自分の手柄のような顔をする。
 だが山下の感想には続きがあった。
「けどさ、どうも上手く言えないんだけど……ちょっと耳慣れない感じがしたかな。それが琳の個性ってやつなんだろうけど、声そのものがしっかりしすぎてて、音とかも絶対外さないのが、なんか…上手すぎてロックっぽくないっていうか……」
(こいつ――)
 山下の言葉に、俺はドキリとした。
 ポピュラーと、クラシックである声楽とは発声の仕方が違う。歌い方の違いで違和感を感じられることを、俺は秘かに恐れていた。
 それを山下は感じとったのか……。
「それだけ琳がすげえってことだろう」
 智久が、ムッとしたような声で言った。いちゃもんをつけられていると感じたようだ。智久の場合、別に俺を気遣っているのではなく、自分の意見をちょっとでも曲げられることが気にくわないだけだ。
「山下、別に智久の言うことなんか気にしなくていいぞ」
 俺は言ったが、山下は「いや」と軽く手を振った。
「実際、琳は上手いと思ったよ。声質もすごい張りがあっていいし。ただ、うますぎて驚いただけだから。発声とかがもう、おれらとは何か違うよな。それはまた新鮮でいいし、好きな声だったし。だから文句じゃなくって、ただ気が付いたことを言ってみただけなんだ。……実は俺、こう見えても長いことピアノやってるから耳には自信あるんだ。絶対音感あるし」
「へえ、それって初耳!」
 驚いたふうに智久が叫んだが、俺も驚いた。俺も実はソラで音程を聞き取る絶対音は持っているが、これはそう簡単に身につけられるものではない。そういう人が身近にいるだけでも非常に珍しいことだ。
 そもそも絶対音感なんて、最近になって多少一般にも知られるようになったが、ちょっと前まで音楽関係者でないと知らなかった言葉ではないだろうか。
「まあ、あんまり言いふらすことじゃないからね。男でそういうのやってるって、ちょっと恥ずかしい気がするし」
 それは俺としても非常に同感だ。
「けど…聞いた感じ、琳も音感あるよな」
 ある、とは言えなかった。認めると、これまで俺が隠してきた過去が明らかになってしまう。
 俺は自分が歌をやっていることをずっと周りの人間に内緒にしていた。やめたつもりでいる今もそうだ。
「前に何かやってた?」
「べつに、特に何もやってないけど…」
 ごまかそうとしたが、そんなはずはないと確信を持った目で俺を見る山下の目に、それは無理そうだと諦めた。
 仕方なしに俺は一部だけ白状した。
「お袋が昔、声楽やってたんだ。それでよくCDとか聴いてたし、ピアノもあるから少しは触ったことある」
 ピアノは調律さえきちんとしておけば、いつでも正しい音程をくれる便利な楽器だ。
「やっぱそうか」
 山下は『仲間』ができて嬉しそうだった。
「琳の歌い方は絶対、ちゃんとしたレッスン受けたことある人のだと思ったんだ。…あ、声楽やってたんだろ?」
「まあね…って、いや、ほんのちょっとだけどさ」
 あんまり当然のように言われたので咄嗟に認めてしまい、俺は慌てて言い訳をした。
「ホント、もう小学校ン時のことだから。お袋の趣味でほとんど形だけ通ってただけだし、今じゃもう全然関係ないよ」
「そうかな。そのおかげで基礎ができてるんじゃないの?」
「基礎なんて、そんなんねえよ」
 いつの間にか歌い始めていた二番手のドラ声を聞き流しながら、俺は感情的になりかける自分を抑制するのに必死だった。
「まあ俺は耳は割といい方らしいけどな。それでお袋がその気になっちまって、それらしいことも少しはしたけど、考える前にやらされてたって感じだし、名前負けって言われるのも嫌だったし…」
「『名前負け』?」
 くり返されてシマッタと思ったが、覆水盆に返らず、一度出した音は消せない。俺は仕方なしに説明した。
「俺の名前、お袋が付けたんだ。琳って王偏に林って書くけど、『綺麗な音』みたいな意味があるんだってさ。何か音楽に関する名前を付けたいって調べたらしいけど、同じ意味で『玲』って字もあるからどうせならそれで玲一とかってしてくれたほうが男らしくて良かったのに」
 つい卑屈な気分で言い訳まで付け足してしまった。
「いい名前だと思うけど。橘 琳なんて、格好いいじゃん」
「でも、おかげで『名前負けしたくないでしょ!』なんて変なハッパかけられるはめになって、俺は嫌だったんだ」
 それは本当のことだった。反面、そういう意味合いさえ考えなければ俺は本当は自分の名前を気に入っていた。
「そうか、琳君ってそういう環境だったから歌が上手いんだ」
 ふいにマスターの長門さんが会話に入ってきた。
「まったくの素人にしちゃ上手すぎるとは思ってたけどねえ」
 しみじみ言われても困ってしまう。
「そうと聞いたら『なあんだ』って感じでしょう」
 ついそんな憎まれ口をきいてしまう。
「いや、そんなことないよ。種明かしされてもやっぱりすごいと思う手品もあるだろう、そういう感じかな」
「長門さん……それって誉めすぎですよ」
 大切な宝物でも見るような眼差しを正視できず、俺はとっさに目をそらすと照れ隠しにポテトを摘んで口に放った。
 長門さんは時折、今のようなひたむきというか、何ともいえない眼差しを俺に向けてくる。俺は長門さんのそういう好意がとても嬉しいのだが、そうした明からさまな顔をされるとどうにも困ってしまう。
「知られざる琳の過去、ってとこだな」
 見ると、智久がぶすくれた顔をしていた。
「長い付き合いなのに、俺、琳が歌やってたなんて全ッ然知らなかったぜ?」
「悪かったね。知られたくなかったんだ」
「なんでよ?」
 理由は一言では言い難かった。
「ま、いいじゃん、そんなことは」
 適当にごまかして、俺は席を立った。
 いつのまにか、歌うのと食べるのと、こうして話す3つのグループに分かれている。俺はカラオケのコード表を覗き込んでいる連中に向かって言った。
「俺、二曲目歌うぞ!」
「おっ、琳、歌うのか?」
「何歌う?」
「次って誰の曲だよ? …えい、面倒だ。消しちまえ!」
 いつも、つるみながらもめいめいがマイペースにしたいように遊ぶ悪友達だが、こんなときは進んで強引な割り込みをさせてくれてしまう。
「あ、いいや。その曲歌うー!」
 俺は画面に現れたタイトルを指差し、マイクを握ると思いきり声を張り上げた。

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