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喉がいがらっぽい。
(ちょっと騒ぎすぎたな)
一体自分が何曲歌ったのか見当がつかない。
普通、歌というのは一日に二時間程度しか練習しないものなのだ。それを強引なノリで続けざまに歌ったのでは、喉も傷むはずだ。
俺は喉を休めるために何か甘いジュースでももらおうとカウンターへ行った。
「長門さん、ジュースかなんか下さい」
「ごめん、なんか飲み尽くされちゃって。持ち込みされたやつならあるみたいだけど……」
長門さんが示したのは、例によっていつの間にやら智久達が持ち込んで、自分で割ってチューハイを作っている濃縮果汁だった。
「ゲエ、まずそう……」
「お酒と割るためのものだから、薄めて飲んでもまずいねえ。ウーロン茶ならあるけど、喉にはジュースの方が良さそうだよね」
「あ、いいです、それ下さい」
とりあえず喉を潤せるなら何でもいいが、アルコールは逆に喉を痛めてしまうので避けたい。
長門さんが氷を入れたグラスにウーロン茶を注いで差し出してくれる。
「……アー、喉に沁みる!」
半分を一気飲みして、俺はようやく一息ついた。
「そういえば、琳君は全然お酒飲まないんだね」
悪友共に知られるとからかいのネタにされてしまう理由だが、長門さんなら話しておくのが得になるかもしれない。
「アルコールって喉が荒れるからあんま気持ちよく歌えなくなっちゃうし…ってのが建て前ですけど、本当言うと俺、滅茶苦茶弱いんですよ。コップ半分のビールでもフラフラになっちゃって」
俺は正直に話した。
「それでも飲んじゃう人が多いんだけどね、琳君は随分と理性的なんだねえ」
「いや、そんなんじゃないですよ」
あんまり真面目に言われたもので、俺は思いきり照れてしまった。
「俺、ちょっと飲むとすぐ眠くなってどこででも寝ちゃうんです。みっともないから気をつけてるだけ」
そう言って俺がウーロン茶の残りを飲み干すと、長門さんはすぐ注ぎ足してくれた。
「ところで今日のパーティはどう?」
俺は一杯になったグラスを手の中で弄びながら答えた。
「もうすっごい満足です。料理もうまいし、カラオケってやっぱ楽しいし」
「そう? よかった」
いつもはこの店にもアルバイトがいるが、今日は長門さんが一人で切り盛りしてくれていた。お世辞でなく、軽いつまみからホットサンドにメインの肉類の料理まで、ただの歌好きのおじさんとは思えない美味さだ。
「それにやっぱボックスとは全然違いますよね。これくらいの広さがないと自分の声を聞き取りにくいし、特に俺は声がでかいから。狭いとこだと響きすぎて耳が馬鹿になりそうになるんですよ」
「ああ、そうかもね。琳君はほんと、マイクいらないって感じだもんねえ」
「別に小さい声でも歌えるんですけど、気分も小さくなっちゃう感じがするから。でもここだと部屋も綺麗だし気持ちいいです。そういや今日は特に音がいいような気がしたな」
長門さんが「おっ」と片眉を上げた。
「わかる?」
「あ、やっぱ違うんですか? マイクのせいとかじゃないですよね。多分、スピーカー」
「ピンポーン」
長門さんは自慢げに説明した。
「実はドイツ製のスピーカーに換えたんだ。なんとなく、国産のステレオって欧米のと比べてあんまり好きじゃないっていうか……」
「ああ、そういえば有名なミュージシャンとかもよくニューヨークとか行ってレコーディングしてますしね。何かあるのかもしれませんねぇ」
実は全然判っていないが、つい適当に相槌を入れてしまう。
「国産品だって性能はいいし、価格も安くて家庭用としては手頃でいいんだろうけどね、なんか響きが固い気がして…。前からチェックしてたメーカーのスピーカーに取り替えたんだけど、それだけで随分変わったでしょう? …って言っても、僕も詳しいことは知らないんだけどね」
「へえー」
さすが自称カラオケ狂、と俺は感心した。
「たかがカラオケだけどさ、どうせならなるべくいい音で聞きたいだろう」
「それはそうですよねぇ」
俺は同意した。
「そういえば、今まで聞いたことなかったけど」
俺はいつか機会があったら訊いてみようと思っていたことを口にした。
「たしか長門さん、カラオケのために脱サラしたって聞いてますけど。もし聞いてよければ、なんでまた、安定した職を捨ててまでこういう店を始めようと思ったんです?」
「安定してるかどうかは、このご時世じゃもう当てにならないかもしれないけどね――そうだなあ。まあ、色々あって…一言では言いにくいけどね」
そう前置きし、長門さんはいかにも過去を懐かしむ顔で話してくれた。
「昔、中学に入った頃からかな、バンドとかそいうものにすごく憧れてね。でも僕の時代って、そういう軽音楽とかをやる子は不良みたいなイメージがあってね。まあ田舎だったせいもあるんだろうけど、自分からバンドを組むなんて勇気はとてもなかったんだ。それに高校もバイト禁止だったし、楽器を買うお金なんて全然なくて、当然親だってそんなことする暇があったら勉強しろって言うに決まってるからもう言う前に諦めちゃって。
それでも音楽をやることに対する憧れがどうしても消えなくてね。自分に対する折衷案として、吹奏楽部に入ってサックスとか吹いて、無理矢理自分を満足させてたんだ。ブラバンだって別に充分楽しかったし、そのうち諦めたことも忘れてしまうようになって…結局普通に大学に入って…普通に就職して…。
それでもやっぱり心のどこかに諦めきれない気持ちが残ってたんだろうね、一度カラオケにはまったら、もうどうしようもなくそういう音楽に触れていたくなってね。今この店をやってるのは、そういう小さな我慢が積もり積もった結果なんだろうねぇ」
「そうなんですか……」
それは俺にとって感慨深く、心にしみる話だった。
俺は店の中を見回した。
この店は、建物自体は古いけれどまだできてから何年も経っていない。けれど、こうして形作られるまでに一人の人生の、ささやかながらも紆余曲折があったのだ。
それでも俺は、長門さんの経てきた葛藤はわかるが、夢を諦めることでこの店を得たんだというような諦観といったものはまだわからない。
本当に望んだものを手に入れずに代用物で補うことで、そんなふうに幸せそうな顔できるものなんだろうか…。
「俺もいつか、そういうもの見つけられるのかな……」
「なに言ってんの、琳君なんてまだまだ若いんだし、この先何でもできるじゃないか」
長門さんは俺を安心させるように微笑んだ。そうして細められた瞳は、不思議と俺の心を和ませた。