ON WINGS OF SONG


- 9 -

 ――バーン!
 唐突に景気良く鳴らされたドラムの音に、みんなの注目が集まる。
「よっし、準備OK!」
 目白が叫んで周りを見回した。
「じゃ、まあ百聞は一見にしかずっつーし。あ、この場合は百見は一聞にしかずっつーの? ま、それはともかく琳君はとりあえずそっちで座って聞いてて」
 目白の言葉に、皆が慌てて自分の持ち場に戻る。やはり実質的にこのグループをまとめているのは目白のようだ。
 間をおかず、目白がスティックを4拍分打ち鳴らすとそれは始まった。狭い部屋一杯にワッと音が満ち溢れる。持ち込まれた楽器はフル装備というには今一つ淋しいものだったが、彼らの音楽を聴かせるには充分足りるようだった。
 曲は昨夜俺が最初に歌ったバンドのもので、一見(一聞か?)ソフトなロック調になっているが、リズムが細かく複雑でテクニック的には相当な難曲だ。それをまだ十代のこの3人が危なげなくこなしていく。俺は内心感嘆の声を上げた。
 みっしり筋肉のついた太い腕をものすごい迫力で打ち鳴らしつつ、しかも細かなニュアンスも忘れず左右のバランスも絶妙な目白。正確無比な運指で冷静に曲をこなしていく山下。多少オーバーアクション気味の、だがなかなか渋い良い音を出す片瀬さん。
 3人は性格同様、演奏もそれぞれ非常に個性的だった。彼らは普通に生活している分には、互いに積極的に接触を持とうとすることはまずなかっただろう。それが、それぞれが出す音を重ね合わせ、酔い楽しめる共通のもの――音楽によって結ばれていることを、俺ははっきりと聞き取ることができた。
 何故これだけ性格の違う同士で組んでこの先やっていこうと決心したのか、この一曲で俺は充分に納得できた。
「どうだったよ?」
 曲を終え、片瀬さんが自信満々で俺に訊いてきた。
「なかなか…いいですね。思ってたよりずっと良かったですけど…」
 つい素直に「良かった」と一言で済ませられず、そんな遠回しな言い方をしてしまう。
 この人のこういう態度がなければ、メンバーに加えてもらうのに申し分ないバンドなのに。
「『けど』? 文句でもあるってのかよ」
 俺の言い回しを敏感に捕らえて喧嘩腰になる片瀬さんを、「まあまあ」と目白が制した。
「どんなことでも気が付ける耳があるだけいいってことよ」
 目白は生意気な俺の態度をどこか喜ぶように、目が笑っていた。
「どうせだから、何か気になることとかあるなら言っときな。一緒にやらないなら言い逃げできるし、一緒にやるならどうせそういう言い合いは必要なんだから。ちゃんと口に出来るだけの考えがあるなら…な」
 試すように続ける。俺はその親切な挑発にのった。
「そうですね。テクニックは申し分なく凄いと思いました。でもどうせならオリジナルを聞きたかったかなってことと、歌が入らないとやっぱり感じがいまいち掴みにくいかもしれないってことくらいかな。俺もよく知ってる曲だったし」
「当然だろ、まずは俺らのテクを見せるために選んだ曲なんだから」
 片瀬さんが憮然として言う。しかし、それならそうと一言何か説明しておいてくれれば良かったのに。そういう大人げない言い方をする片瀬さんを、やはり俺はどうにも好きになれそうにない。
「じゃ、あと何曲聞かせてもらえるんですか? 歌が入った感じは無理としても、オリジナルはあるんならぜひ聞かせて頂きたいですね。あと、この先どういう路線で売っていくつもりなのか、そういうのは知っておきたいですしね。もし今もう方向性が決まってるんなら」
 喋りながら、俺は昔先生に言われたことをぼんやり思い出していた。
『何かを表現するためには、それを人に伝えるだけの技術がないと駄目なのよ。楽しいとか美しいとかって感じる気持ちは誰だって持ってるんだから。勿論そういう感覚を磨くことも大切だけど、それを表現するのに技術がなかったらどうしようもないでしょう。人に聴かせて何かしら感じてもらうためには、「表現技術」が必要なのよ』
 プロとしての絶対条件は、技術があること――その点では、このグループは充分に条件を満たしていると言える。
「方向性かよ? ずいぶん生意気言ってくれるな」
 片瀬さんが小馬鹿にしたように嗤う。ムッとしつつ、この人はまだ俺の歌を聞けていないのがもしかすると気に入らないんだろうかという考えが浮かんだ。
「別に生意気ってほどじゃないと思いますけど。どんな物をやろうとしてるのかは気になって当然でしょう。――率直に言って、なにもヴォーカルを入れなくても音楽はできるんじゃないかと思うんですよね。この3人でだって充分バンドとして成立してるのに、わざわざヴォーカルを入れるってことは、音だけでなく言葉を使うってことですよね。片瀬さんは、ヴォーカルの役割をどういうふうに考えてるんですか?」
「どうって……」
 片瀬さんは、俺の質問に答えるために半ば口を開きかけたまま沈黙した。
 俺自身、考えていた。俺のやりたいこと――それは歌を歌うことだ。どんな歌を歌いたいか、まだ明確なビジョンはないけど、とにかく気持ちよく歌えて、人を気持ちいい気分にさせたい。
 ずっとクラシックをやりたいと思ってきたけど、もしかすると俺は本当は歌えるんだったら何でもいいのかもしれない。それが、俺に俺自身の存在意義を与えてくれるものならば。
「あー、頭痛ェ!」
 目白がいきなり頭を抱えて叫んだ」
「うだうだ言い合っててもしょうがないだろ。ちゃっちゃとやっちまおうぜ、オリジナル!」
「そうだね。じゃ、やっぱアレかな」
 山下が楽譜の束から手書きの楽譜を取り出した。
「あ、そうだな。これは結構いいよな。――これを聞いてもらえば俺らの音楽が少しはわかると思うぜ」
 目白が、後半は俺の方を向いて言った。そうして俺に、ピアノ譜の上に歌詞の入ったヴォーカルパートが書かれた楽譜を差し出した。
「楽譜、読めんでしょ?」
「一応読めますよ」
 俺はそれを受け取った。
 『慈雨〜レイン〜』と題されたそれは、片想いのやるせない気持ちを歌ったバラードだった。
 歌詞を読んでみる。けっこう赤面ものの内容だ。概要はこんな感じ。
 ―――『俺』は雨にうたれながら歩いている。想いを寄せる人にはすでに最高の恋人がいる。俺の気持ちを知ってなお、変わらず接するその人を、俺は逆恨みと知りつつ呪う。
 こんな優しい雨ではなく、冷たく激しい氷のつぶてとなって、いっそ何もかもを打ち壊し、凍え固めてしまえ!
 …そう願うが、ままならない人の心のように、雨は優しく降り注ぎ、薄汚れた町を洗い浄める……――
 歌詞はありがちな感じがしてイマイチだったが構成はまずまずで、何よりメロディーが綺麗でいい。和音の組立がどこか異国風で美しく、盛り上がりも耳に残りそうなドラマティックさがある。
 俺の好みからいうと、曲に比べて歌詞が女々しすぎる嫌いはあったが、かなりいい曲ではある。
「それ、作詞作曲とも片瀬さんがやってるんだ」
 山下の説明に、俺は反射的に片瀬さんを振り返った。
(へえ……この人にこんな曲が作れるんだ)
 意外だった。小型犬のように吠えてつっかかってくるような人に、こんな曲が書けるなんて。片瀬さんの俺への反発は、片瀬さんが自分に自信がないから無理に突っ張ってそんな態度しかとれないでいるのかと思えたんだけど。
「まだバンドとしてちゃんと固まってないから、これはいわば試作品だけどな」
 若干の照れを覗かせて明後日の方向を向いて言った片瀬さんに、俺は初めて好感をもった。
「あ、なぁ。どうせなら琳の歌も入れてみようよ!」
 ふいに山下が言った。
 片瀬さんが、胡散臭そうな目で俺を見る。
「え、そんないきなりはムリだろ?」
「最初は聞いてもらうとしても、すぐ歌えるんじゃないの? 琳だったら」
 山下が試すような目で俺を伺う。
「なぁ、どうよ? その楽譜見て。すぐ歌えそう?」
 俺は一瞬ためらったが、すぐ頷いた。
「音を拾うくらいならできると思うよ」
「じゃ、決まりな。一回俺らだけで通すから、その後歌ってみて」
 なんだかいつの間にかそういうことになってしまった。
 俺はまず、彼らの音をじっくりと聞かせてもらった。じっくりと言っても一度だけだが、楽譜だけで脳裏に組み立てた音より、やはりライブの音の方が断然いい。その音に、楽譜を睨み付けるようにして自分が歌う旋律を想像で乗せる。
 歌詞のイメージを充分表すには到らないだろうが、音は外さずに歌えるだろう。
「判った? …じゃ、やってみるか!」
 目白に促され、俺は長門さんが用意してくれたマイクを手に取る。人前で歌うときでも滅多に緊張しない俺だが、やや鼓動が早くなっているのを自覚した。
 前奏は16小節。わかりやすい、きちんとした構成でできた曲なので、入りもきれいに入った。
 初めて歌う歌だが、そうと感じさせないように出来るだけ気持ちを込めて歌う。それでも当然だが、あらかじめ練習しておいた歌のように思い通りには歌えなかった。
 暗譜していないのでそれほど余裕は持てないし、仕草で魅せるわけにもいかない。気持ちの込め方も通り一遍で、上手い具合に「この曲」と考えられたものになってくれない。
 本当だったら、歌の雰囲気に合わせて微妙に声のニュアンスを変えるようなことをしたかったけど……。
 歌ってみてわかったが、やはり流行りのプロの作品に比べて編曲の具合が一、二段階劣る。だがメロディーは充分歌わせるものがあるし、歌詞も曲に合わせて作られていて歌いやすかった。
 楽器の合わせは申し分なかった。それぞれがすでにセミプロ級以上のテクニックの持ち主だし、おそらくすでに何度も合わせていたのだろう。そこへ今の状態の俺がのっかることは、少々辛い物があった。
 それでも俺は、それなりに歌い切ったと思う。
 演奏が終わり音が切れると、真っ先に片瀬さんが口を開いた。
「確かに声もテクもまずまずだな。けど肝心の、お前がこれを歌う意味はないな」
 フンと鼻で笑うように言われて、俺は頭に血が上りそうになった。それでもグッと堪えて聞き返す。
「それどういう意味ですか」
「さっきお前、言葉を扱うヴォーカルの意味がどうとか偉そうなこと言ってたけど、今の歌い方じゃあ、口ばっかって言われたって仕方ねえんじゃねえかってことだよ。楽器じゃなく言葉を使って訴えるっていう、そこんとこが今聞かせてもらった歌からは感じれられねえな」
 揶揄するような口調に、片瀬さんがはなっから俺を気に入らず難癖を付けるつもりだったんだろうと俺は感じた。
 そうとなったら遠慮することなんかない。
「何言ってんだよ。こんないきなり楽譜渡されて、練習する時間もなくっていきなり歌わされて、音拾うだけで精一杯になってもしょうがねえだろ!?」
 俺は片瀬さんへの反感を隠さず、きつい口調で言い放った。
「そんなのはただの負け惜しみだろ。そんな『いつもはもっと上手いんだけど』なんてやつは、下手クソの言い訳の常套句じゃねえか」
 これには俺も完全に腹を立てた。俺は自分が天才的に上手いなどとは思っちゃいないが、下手クソだなどと言われる覚えは断じてない!
 その時、山下が控えめに俺を援護した。
「琳が言うこと、一理あると思う」
「何だって!?」
 おそらく反論されたことへの怒りだろう、片瀬さんはキッと山下を睨みつけた。それにまったく頓着せず、山下は淡々と続けた。
「おれ達はこの曲を前から練習してて何度か合わせもしてるけど、琳はほんの数分前に初めて楽譜見たとこなんですから。今現在のおれらと同じレベルを要求したって、そりゃ無理でしょう」
 山下の言い方は至極わかりやすかった。それへ言い返す言葉は見つからなかったようで、片瀬さんは悔しそうな渋面になる。
 そこへトドメとばかりに目白が付け足した。
「それにまあ、歌詞にしろ曲にしろ、好みってもんがあるからな。琳が(いつの間にか呼び捨てになっている!)納得した曲だったらもう少し違ったかも、ってことは考えられるかもな」
「つまり、俺の曲が悪いってのかよ!?」
 目白に怒鳴る片瀬さんに、俺は片瀬さんへの怒りは解けないものの、なんて自分本位な子どもっぽい人なんだろうと呆れてしまった。そんなことを言ったって自分の立場を悪くするだけなのに。それともわかっていながらつい口が滑って言ってしまうんだろうか。まさか本当にわかっていないのか。
 片瀬さんが俺の何を気に入らないのか見当が付かないが、もう少し折り合ってくれるようなら実力充分の魅力的なバンドなんだけどなぁ……。
(やっぱり断ろう)
 メンバーの仲がうまくいかないようでは、とてもやっていく自信はない。そう決心して口を開きかけたのだが、
「じゃ、もう一回合わせろよ!」
「えっ?」
 いきなり片瀬さんに指差され、俺は狼狽した。
「だから。一回じゃわかんねえっていうなら、お前が練習してからもう一回合わせてみりゃいいんだろッ!? 曲も出来てるやつ全部渡すから練習してこい!!」
「そんな…」
「できねぇってのかよ?!」
「できますよ。…まあ、それなら確かにフェアっていえばフェアだけど…」
「じゃ、それで決まりな!」
 挑むように言われ、俺は引くに引けなくなってしまった。
「判りました。楽譜、貸して下さい。それと、できたら楽器パートが入ったテープか何かあったらそれも」
「ここにあるよー」
 山下がのんびりした声で言う。なんと、見ると紙袋にきっちりまとめて用意されていた。もしかして俺、謀られたんだろうか?
「そうしたらお前、日にち決めろ。ただし俺達だってそんなに時間ねえんだから、できるだけ早い方がいい」
「じゃあ……山下、それって全部で何曲あるんだ?」
「ちょうど十曲くらいだよ。でもやるのは一曲でいいんじゃないの?」
「じゃあ、3日後は?」
 今日中に全て目を通して一曲選んで暗譜し、明日、明後日と歌い込めば、さっきの合わせにちゃんと付いていかれるはずだ。
「3日後…と。そういう訳なんで長門さん、3日後にまた部屋お借りしていいですか?」
 目白が長門さんに訊ねた。長門さんはにっこり頷いた。
「勿論。他に借りに来る人はまだいないし、なるべく来てもらった方が僕も助かるからね」
(ああ、そうか)
 思い出した。長門さんはこの防音室を貸すことで部屋代を取っているのか。
 それを意識した俺の内側から、何やらもやもやした怒りが湧いてきた。
(さっきから……立場上口を挟めないのは仕方ないにしたって、この雰囲気…。長門さん、全然俺のこと援護なんてしてくれてねえのな。夕べは勝手にあんなことしてきたくせに!)
 なんだか急に、起きてからの怒りが沸き上がってきた。
(まったく何考えてんだか、さっぱりわかんねぇや!)
 数分で時間などの打ち合わせを済ませると、俺は「今日はもう帰ります」とむくれて店を出た。

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