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Piece of Love


− 11 −

 学校で、ちょっとショックなことがあった。
 一番仲が良いと思っていた友達が転校することになり、それも一週間後だというのだ。そのことを教師からクラスの全員へという形で伝えられ、他の奴へ知らせないのはともかく、俺にも一言もなかったことを俺は怒った。
 別れを惜しんでくれて、言い難くて黙っていたのだったら許せた。それでも言って欲しかったけど。
 でも、そいつは平然として言ったのだ。
「言うほどのことじゃないと思った」
 言外に「別れてしまう相手などどうでもいい」と言われたように感じて、悔しくて哀しかった。
 確かに俺達は忙しい。学校だ部活だ塾だと奔走し、行事もあるしテストもある。来年には受験も控えている。どうせ高校は別々だっただろうから、遅かれ早かれ自然と連絡を取り合わなくなっていたかもしれない。
 でも、友達ってそいういうものじゃないんじゃないのか!?
 なんだか裏切られた気分だった。そうして自分の価値がまた一つ下がった気がした。自分などどうでもいい物に思えた。
 哀しくて、淋しくて……気が付いたら、またこの街に来ていた。稼がなければという切羽詰った気持ちでなくここへ来たのは、これが初めてのような気がする。
 俺はますます自分の穢れを意識し、自己嫌悪した。


 いつものようにビルの壁に寄りかかり、客待ちをしていた。
 最近この辺りは前にも増して物騒になってきている。気のせいか警官の巡回が増えたようだ。
 警官に見つかると厄介だが、網の目のように小道の入り組んだこの街は警察でも把握しきれない路地裏がいくつもある。心得た者は街灯に誘われる羽虫のように、そこへ入り込んできた。
 俺も最近はそうした小路でぼうっとしていることが多い。
(疲れた……)
 今日はいつもより多めに待っている気がする。不景気だな、と思って無理せずしゃがみこんだ。ずっと立っていて足も疲れてきた。
 そんな俺の頭上から、若いが野太い声が落ちてきた。
「お嬢ちゃん、こんなところでどうしたんだい?」
 バカにしたような口調にムッとして顔を上げると、3人ばかりの少年に囲まれていた。高校生だろうか、3人とも俺なんかよりずっと体格が良い。
(ヤバい)
 焦ったが、もう遅い。この街にいることに慣れて油断しきっていた。
「もしかして、ここが俺達の通り道だって知ってて待っててくれたのかなァ?」
 下卑た笑いに吐き気がした。ここでは何度か客待ちをしているが、彼らのことは今日初めて見る。完全な言いがかりだ。
 それでも力のある方が正しいのが、ここのルールだ。彼らは俺に何をするつもりだろう。金品を取られるのは当然だが、気まぐれにサンドバックにされるのか、それとも……。
 思わず顔がこわばる。複数を相手に虚勢を張っている余裕はないし、そんなことをしても却って彼らを煽ることにしかならないだろう。
 何とかして彼らの包囲から逃れられないかと、俺は隙をうかがった。力ずくは無理に決まっている。そうでなくても腕力に自信のない俺が、この大柄な複数の少年達を相手に敵うとは思えない。
「ふぅん、お前は逆らわないんだな。昨日の奴なんか、下手に暴れるからムカついてバコバコにしてやったけどよ」
「バコバコってわかる? 足でもヤったけどよ、他のトコでもしてやったんだぜぇ?」
 またしても下卑た哄笑をあげると、少年達は俺を汚らしい路地の上に押し倒した。手足を摑まれ、衣服を剥がされる。
(……今夜は厄日だ)
 躰を這う牡の体温を感じながら、輪姦(まわ)されるのを覚悟したとき。
 すぐ近くで突然警報が鳴り響いた。人が走ってくる足音に、少年達はうろたえた。俺を押さえ込む手が緩む。
 そこへ一人の男が走り込んできた。スーツを着ているが、私服警官だろうか。俺と同じことを考えたのだろう、たじろいだ少年達に、すかさず俺は男へ向かって駆け出した。
 補導されるのも嫌だが、輪姦される方が嫌に決まっている。とりあえず男の方へ逃げれば、少年達は追ってこられないだろう。
 男の脇をすり抜けようとしたのだが、狭い路地なのであっさり捕まってしまった。
「痛てッ!」
 慣れた動作で腕を捕まれ、軽く捻られただけで動けなくなってしまう。
 男が俺を捕まえるのを見て、少年達はあっさり逃げ出した。男は一人だったが、巡回している私服警官は必ず二人以上で行動している。つまり、すぐ近くにあと一人はいるはずなのだ。三対一ならともかく三対ニとなると、それなりの訓練を受けた成人男子に半端な不良少年達など太刀打ちできないだろう。
 俺は俺で、男に捕まれた腕をどうにか剥がそうと必死だった。少年達から逃げられたのはいいが、こんなところで捕まるのもごめんだ。逃げられる可能性があるうちに逃げなければ。
 だが、そんな俺に男が言った。
「おいおい、そんな嫌がらなくてもいいだろう? せっかく危ないところを助けてやったっていうのに」
「――小杉さん!?」
 その声にようやく彼の顔を確かめて驚いた。彼は俺の常連客の一人だった、小杉さんだった。

「まったく笑っちまうよなぁ。まさかこんなチンケな手に本当に引っかかってくれるとはね」
 俺と小杉さんは、先ほどの小路からそれほど遠くないファーストフード店へ行った。
 先ほどの警報は、小杉さんが携帯電話に入れていた着信音の「警報」だった。俺が危ないと見て、それを鳴らしながら駆けつける演技をしてみせたのだ。
「動物の鳴き声とか昔の電話の音っていうのは聞いたことあるけど、着メロってそんなのまであるんだ」
 俺は感心してしまった。
「これはネットでダウンロードしたんだ。面白そうだったから。まさかこんな形で使うとは思わなかったけどな」
 ちなみに俺の携帯は初期設定のままだ。原さんは携帯をくれたけど、説明書を一緒に渡してくれなかったので(多分忘れているんだろう)、怖くて色々いじくれないのだ。
「最近ご無沙汰だね」
 俺が恨めしそうに上目遣いをしてみせると、小杉さんは苦笑した。
「ダメだよ、俺のことは。以前の俺ならリョウのそんな目にクラッときたんだろうけどな」
 今日の客を一から取り直さなければいけなくなったことに内心で舌打ちしつつ、そんならしくない小杉さんに俺はまさかと訊いてみた。
「もしかして、小杉さん……恋人ができた?」
 図星だった。あの表面ばかり優しくて内面は冷たいと思っていた小杉さんが、照れたように笑み崩れたのに俺は心底驚いた。
 同時に、心の奥底につっかえていた何かがストンと落ちたような気もした。
(そっか…。俺には客以上の相手になってくれなかったけど、この人でもこんな顔ができたんだ……)
 ほんのちょっと胸が痛んだが、不思議とそれほど哀しくはなかった。
 以前、小杉さんのことを確かに少しは好きだった。でもきっと、もし今この人に好きだと言われたとしても、俺は彼と恋人になりたいとは思えなかっただろう。
 あの頃のように俺は自分の気持ちを誤魔化そうとは思わなかった。既に誤魔化しようがないほど追い詰められた想いを抱え込んでしまったせいでもあるけれど…。
「良かったね。どんな人?」
 素直にそう訊けることには安堵した。
「高校時代の友人なんだけどね。一時期付き合ってたのが、なんとなく別れちゃって気になってたんだけど…。進路も別だしそのまま連絡も取らなくなっててね。それがたまたまこの前、仕事先で会ってさ。そんなこともあるんだなぁって驚いたけど――」
 よほどその相手のことを好きなのだろう、小杉さんは何度も寝ていてよく知っていると思っていた俺が驚くほど饒舌になって、あれこれ勝手に話してくれた。
 のろけまくられた腹いせに、俺は冷やかし気味に言ってやった。
「ふぅ〜ん。小杉さんでもそんな顔、できたんだ?」
 意地悪く見上げてみせると、小杉さんは少々気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「いや……なんかなぁ。あいつに会って、俺がずっと引き摺ってたこと思い知らされたというか。ようやくあるべき姿に戻った気がしてさ。俺もあいつも男だし、悩みがない訳じゃないんだけど、せっかく運良くまたこういう関係になれたんだから、大事にしなきゃなぁって思うんだよな」
 本当に幸せそうな顔で言われて、不思議と俺もなんだかちょこっと幸福になった気がした。羨ましいなと思う。
 この人には、見つけられたんだ……。
「それはどうも、ご馳走様です。ま、どうぞお幸せに」
 少々嫌味を込めて言ってやると、
「ありがとうございます」
 テーブルに両手をついて丁寧にお辞儀するという茶目っ気たっぷりの返事をされて、俺はアハハと声をあげて笑った。
「うらやましいなぁ」
 自然に本音が洩れてしまった。
「リョウは相変わらずなのか? 特定の人は作らないで…?」
「いないよ。俺を養ってくれるような相手がいれば、あんなことになってねえよ」
「そうか」
 短く言って、黙られてしまう。
 以前は拒絶されたが、今の小杉さんなら俺なんかの話でも聞いてくれるかもしれない。
 ――誰にも言えない、この胸の内を晒したい。吐き出してしまいたい。
「相手を作れたらいいなとは思うよ、最近はね…」
 俺は話し始めた。小杉さんはそれをじっと聞いてくれた。
「…家のことはまあ、だから仕方ないって思ってるけど。最近は見つからないように稼ぎはなるべく身に付けといたり、学校とか色々隠すようにしてんだけど。親のことは仕方ないっていうか、もうダメかなっていうか……。来年になったら堂々とバイトできるって思ってたけど、未成年だとまだ保護者の承諾なんているんだってな。バイト代も振込みとかで、通帳なんて作ったらまた勝手に持っていかれちまいそうだし。なんか八方塞がりだよ。客のこともなぁ……」
「リョウってそんなことになってたんだ」
「うん、でもまあ、本当に金がなくなったらしょうがないから親も働いてくれるだろうと思ってるけど。その頃には家も何もなくなってるだろうけどさ。問題は飯だよな。子どもに食わせないってんだから参っちまうよ。ホントに、俺を養ってくれるっていうんだったら、段々腹のヒヒジジイんとこでも喜んでついてっちまいそうで我ながら怖いよ」
 言いながら俺は自嘲した。半分冗談だが、半分は本気だった。そんなバカを言ってしまうことや、そんな自分を可哀想がってしまいそうなことも嫌でたまらなかった。
「そういうことは、本来なら専門の機関に話すべきなんだろうけど……」
「うん、まあね。でも今の状況に慣れちゃって、また色々ゴタゴタするのも嫌っていうか…。学校にはそこまで酷いってことは知られてないし、知られたくないってのもあるし」
「そうか……」
 今夜は恋人との約束はないのか、小杉さんは辛抱強くつまらないだろう俺の話を聞いてくれた。まったく、以前のこの人からは考えられない。よほど今の恋人が良い相手なのだろう。
 図に乗って、俺は原さんのことまで話し始めてしまった。
「お客を好きになってもしょうがないって思うけど、金で俺なんかを買うような人でも、たまに『いいな』って思っちゃう人がいるんだよね」
「そういうこともあるのかね。俺も人のことは言えないけど、子どもを金で買おうって輩は、やっぱ性格的にまずいだろう」
「ホントに言えないね」
 俺は笑った。その『いいな』の中に自分が含まれていたなどと、この人は気づいていただろうか。
「今さ、客っていうのか判らないけど、躰の関係がない人がいるんだ」
「へぇ?」
 小杉さんは初めて興味深げな目を向けてきた。
「どういうわけか俺のこと気に入りまくっちゃって、一緒にご飯を食べるだけでいいからって、本当に飯を奢るだけなの。俺のいいようにするって、いつでも呼び出してくれなんてさ、ほら、この携帯も持たせてくれて。でも……」
「リョウはそれが不満なわけ?」
「え?」
「その人と肉体関係になりたいの?」
 あまりにストレートな質問にドキリとした。
「関係って……」
「その人としてもいいと思う?」
「するのは……うん、いい。…あ、やっぱりイヤかも」
「嫌なの?」
 俺は戸惑いつつ頷いた。
「俺はいいよ。あの人と……してみたい、かもしれない。でもそんなことしちゃいけない気がする」
「なんで」
「だって、俺はこんなだし……。躰の関係になったら、あの人も俺とおんなじに汚れちゃ――」
 ハッとした。俺を見る小杉さんの目は真剣だった。その目で、小杉さんは頷いた。
 そうして俺は、自分の持つ罪悪感にようやく気づいたのだった。
 俺はもう何ヶ月も身売りをしている。見知らぬ男達に金で買われ、親や友達にとても言えない行為を重ねてきた。俺は自分が汚いことを知っている。
 原さんは、知識としてしかそんな俺のことを知っていない。もしも気づいたら、こんな俺のことを知ったら――同じ空気を吸うのも汚らわしいような、そんな人間だと思われてしまったら――。
 今さら俺の罪は消せない。そうして、俺を買うことは俺と同じ罪を被ることだ。そんなことを、優しいあの人にさせていいのか!?
 原さんを拒みきれない狡い自分や、原さんに愛されたい、癒されたいといった想いが交錯する。
 あの人に嫌われ、拒まれたら。こんな俺を受け入れようとしてくれているあの人に、拒絶されてしまったら。そうしたら俺は一体どうなってしまうんだろう。
「すべてを真っ正直に受け止めてたら、とても生きては行かれないよ」
 小杉さんが静かにそう口にした。
「人はそんなに強くない。細かな失敗は誰でも毎日のようにするし、いけないことや、いけないとされていることをしてしまうのも、それが人間だからだ。誰にだってそうした経験の一つや二つくらいある。俺だって、あいつに言えないようなことを沢山してる。君とのこともね。そんなことをいちいち気に病んでいたら、とても生きてなんていかれないよ?」
「…………」
 小杉さんの言うことは判る。多分、判っていると思う。
 それでも駄目なのだ。俺は…――怖い―――
「確かに、一度してしまったことは消えないよ。そうして自分の罪と真っ向から対面するのも、それを受け入れて乗り越えることも困難だろう。けど、一度犯した罪は、少なくともその事実は一生消えないとしたら、それを『乗り越える』なんてことが本当の意味で出来るもんなのかな?
 あの時ああしてれば…なんてのは、今に知っても意味ないんだ。だったらクヨクヨしないで、したいようにするのが一番だと俺は思うけどね」
 俺は何も言えなかった。俺にはそこまで達観することは、まだとてもできない気がした。
「ま、もし今度そいつとそうなれそうな機会があったら逃さないことだな。どんな聖人君子だって、人間だったら多少の穢れはあるもんだろ。リョウが生きるために必要なんだったら、そいつも喜んで一緒に汚れまくってくれるさ」
 「な?」と言う小杉さんに、俺は曖昧に頷いた。
 原さんがもし俺と一緒に汚れたいと思ってくれたら、そうしたら俺はすごく幸せかもしれない……。

 今後は小杉さんが客になることはないし、こうして話すこともなくなるだろうから、お別れの記念というのも変だけれどご飯を奢ってくれることになった。
「ま、今だけは俺のことをそいつだと思って、何でも話して甘えてみなよ」
 そういう小杉さんの優しさは、今の俺には有難い。俺は切ない気持ちで微笑んだ。
 恋人同士の気分を味合わせてくれるつもりだろうか、小杉さんは俺の肩へ腕を回し、抱くようにして歩いた。照れくさかったが、そんな風に堂々と身を寄せてくれるのがちょっと嬉しかった。
 そのときだ。
「リョウ…!!」
 聞き慣れた声に振り向くと、そこに原さんが立っていた。

注釈:小杉真惟とその恋人・岩崎恩の話は「君の瞳を見つめる時」で読めます。

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