White Labyrinth


〜 1 〜

  フュスルーの街の向こうには、まるで街を守るかのようになだらかに連なるイグロス・パスの山脈を望める。
 その、さほど深くもない森に裾野を囲まれたフュスルーの外れ、下草に埋もれがちな山道を辿った先には、とある伝説があった。
 そこには自由に変えることの出来る未来があるという――。
 今、その山道を、目立たぬよう地味な革の鎧を付けた騎馬の一行が向かっていた。時折、普段聞くことのない蹄鉄の音や人馬の気配に驚かされて、小鳥や小動物が慌ててその場を離れる時にたてる草や枝の揺れる音が響く他は、彼らはまるで何かを恐れるかのように言葉もなく粛々と進んでいく。
 彼らは十騎ばかりの小隊だった。一見して判らないようにはしているが、統制の取れた動きは明らかに職業軍人のものだ。
 その中に、何故か子どもが一人混じっていた。片方の肩を出し、膝上までの短い白の貫頭衣を、ごく細く裂いた革を寄り合わせて作った腰紐で結んでいる。フュスルーの者なら一目でそれと判る服装だ。
 その子ども――少年は、伝説の森の生け贄に選ばれたのだ。
 『イグロス・パス』とは「魔の通り道」という意味を持ち、この近辺は特に伝説の森と通称され、忌むべき場所として滅多に人が通ることはない。
 正確にはこの森の奥にある切り立った崖の梺にある洞窟に、変えるべき未来を教えてくれるという伝説の魔導使いが住むと言い伝えられていて、その周辺が「魔の棲む処」――『イグロス・デュス』と呼ばれる。
 魔導使いとは、あらゆるものに対応する医者のような存在だ。突拍子もないことを行うお伽噺の魔法使いとは違い、厳しい修行によって得た腕力とも精神力とも微妙に違う力によって、動植物の傷を治癒したり逆に傷つけたり、居ながらにして遠方の情報を入手したりする。卓越した者に到っては、水や空気、食物といった物資を、何の道具も材料もなしに生み出すことができるという。
 魔導の力にはきりがない。何が出来て何が出来ないという制約がないためだ。そのため魔導使いは、通常の人間より遥かに貪欲で、より大きな力を得るために手段を選ばない者として恐れ蔑まれ、一部の王室などのおかかえ魔導使いを除いては、人目を避けた辺鄙な場所に住まいを構えるのが常だ。
 だが、この伝説の森の魔導使いの場合はどうやら事情が異なるらしかった。どう違うのか――それは未だ明らかにされていないが、どうやら彼の者は人前に姿を現すことが出来ないらしい。
 より強力な魔導の力を得るために生け贄を必要としていることから、僅かに残された良心によって人目に姿を晒さないのだとも、あまりに尋常でない魔力に逆に取り込まれ、既に人として生きることができずに魔物と化していて、目にした人間を貪り喰ってしまうのだとも言われている。
 噂ばかりで真実は欠片も明かされていない。ただ一つ確実なのは、言い伝え通りに定められた儀式を行い、年端の行かない少年少女を生け贄として差し出すことで、こちらの知りたいことを過去未来を問わず教えてくれるということだ。そして、その予言は必ず当たるのだという。
 儀式を行った、または参加した者ならばその姿を目にしているかもしれないが、長い街の歴史の中でそれが噂になることはついぞなかった。生け贄を差し出してまで未来を知り富や栄光を得た者が、伝説の魔導使いを頼ったのだなどと口にするはずもないからだ。
 それでも伝説の森の魔導使いの話は、フュスルーが今のような街ではなくもっとずっと小さな村とも呼べない小さな村落だった昔から、秘かに人々の間に事実として語り継がれてきた。そうしてそれらの言い伝えの終わりには、必ず忌まわしい結末が付け加えられる――
 せっかく得た情報を活かせず何十人もの生け贄を無駄に流し、ついには自分自身が殺人鬼と化したある貴族の話、伝説の魔導使いへ生け贄を差し出したことで勝利を得たという不名誉な事実を知られたために、部下とその一族を皆殺しにした将軍の話、生け贄のために無理矢理子どもを奪われた母親が哀しみの余り気が触れて、ついには幽鬼と化して憎い敵を呪い殺した話――そんな逸話がこの森には数限りなくあった。
 ともあれ、それはごく普通の平穏な生活を望む人々にはあまり関係のない話であった。ある日突然自分の子どもが生け贄として奪われていくなどという無体は、国の形も定まらず文化と呼べるほどの物もなかった大昔の出来事だ。
 それでも人々は、決して消えることのない不安を抱えてはいたのだが……。
 今、秘かにイグロス・パスを行く彼らを見た者がいたならば、やはり今も昔も変わらず栄華を欲する者がいる限り、この忌まわしい伝説も伝説として朽ち果てることはないのだと戦慄したかもしれない。
 少年は、進物として浄められ清潔にされてはいるものの、粗末ななりをし、逃亡しないよう縄をかけられ馬上に揺られている。少年の周りを固める男達が一言も口をきかず、手綱を手にひたすら先を進んでいるのは、そうした背景のためもあっただろう。
 だが中に、様子を窺うように時折少年へ視線を向ける者がいた。
 面頬を上げた兜から、意志の強そうな瞳やすっきりと通った鼻筋などが見てとれる。精悍な美男子だ。周りから頭一つ分抜きん出て、馬上にあってもかなりな長身であることが窺える。
 その双眸が少年に向けられるとき、哀しみとも怒りともつかぬ感情が浮かび上がった。明らかに彼は少年を憐れみ、この道行を納得していない様子だった。
 その時、それまで頚垂れていた少年がふいに顔を上げた。自分よりやや斜め後ろに位置する青年を向き、視線が合うと逆に労るように微笑んでみせた。そんな少年からとっさに視線を逸らした青年の顔は苦悶に歪んでいた。
 青年は少年を助けたいのだろう。だが、他に何人もの騎士がいるというのに彼一人で一体何が出来ただろう?
 そうする間にも、洞窟のある崖が近づいてくる。そこは濃い緑で覆われた森で唯一、見る者の不安を誘う土肌を覗かせていた。
 やがて密生していた木々が途絶え、ぽっかりと草原が現れた。その向こうに、暗く沈んだ洞穴があった。
 少年を見張る者と、どうやらこの一行の主らしき壮年の男を一人残し、残りの者はそれぞれの馬から荷物を下ろし、儀式に使うのだろう荷物や松明などの用意を始めた。
 少年も乗り慣れない馬からようやく下ろされ、ほっと安堵の息を吐いた。歳の頃は十二、三か。背も体格も、少年と呼ぶことさえ躊躇われるほど小さい子どもだが、翳りを帯びつつも腹を決めたように決然とした瞳の強さに、彼が既に親に頼り甘えて過ごす子どもの時期をとうに過ぎていることが窺えた。
 あらかじめ決められた作業をこなしながら、先ほどの青年が少年へ時折視線を向けていた。青年の目は、なんとかして周りの隙をついて逃げるよう少年を誘っていたが、そのたびに少年は自分にその意志がないことを微笑を浮かべることで伝えていた。
 そうしてほどもなく準備が整った。

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