〜 11 〜
ようやく日常会話ができる程度に回復したティングは、少しずつラムスに心を開き始めた。
口数も増え、話す言葉も長くなっていくティングに、ラムスは子どものように無邪気に喜んだ。そんなラムスに、ティングはぎこちない笑顔を向けるようになっていった。
ラムスはティングのことを聞きたがったが、ティングはまず自分の知らない間のことを知りたいと思った。
「おれはどうしてここに連れてこられたんですか?」
そう訊ねたティングに、ラムスは初めて暗い顔をした。
「――そうだね、それは気になるだろう。いずれ話さなくてはいけないと思っていたけれど……。どうせなら、初めからきちんと話そう。おそらく、それを説明するにはザビオン男爵のことも話しておいた方がいいと思う」
その名前にティングの躰はビクンと小さく震えた。
「もしまだ聞くのが辛いようなら、今はそこまで話さないで簡単に説明するに止(とど)めておくけど――」
「いえ、大丈夫です」
ティングはけなげな瞳でラムスに真実を求めた。
「あの人がああしたことをしているのは、もう周知の事実でね。無論、国の恥だと嫌悪する者もいるけど、ほとんどの者が見ぬ振りをしてるのが実状だ。噂ではこのレヴィス国の実力者の半数以上が彼の顧客になっていると言われているけど、真実はわからない。誰もいまだに手出しできないところを見ると、おそらく事実なんだろう」
ラムスは滅多に見せない渋面で語った。
「ザビオン男爵も、元はルミナス人なんだ」
ルミナスは、ティングのいた国だ。その事実にティングは驚き、不快な気持ちになった。
たいして学のないティングに、ラムスは地図を広げながら丁寧に説明してくれた。
「世界にはいくつかの大陸がある。その一つがここ、モントル大陸だ。その中に主にルーフ・モルチック地方、バーク・モルチック地方、ノートレム地方がある。これは知ってたかな?」
「なんとなく……」
地図で見ると、自分の生国であるルミナス国は頼りないほど小さい。そのことを初めて知って、ティングは哀しいような居たたまれないような、なんとも切ない思いがした。
「モルチック地方は、元は強大な一つの国だった。それが分裂して小さなたくさんの国になったのが、また統合されて今は主に二つに別れている。それと同じくらいの大きさと繁栄をしているのが、このノートレム地方だ」
ラムスが海に面した南東の一画を、囲うように指先で示した。
「この辺りも30年ほど昔は小さな国の集合体だった。それが、少しずつ統合されて力を付けてきたモルチックの国に対抗するために、連合したり戦争を起こして統合したりで、今は5つくらいの国になっている。現在最も生存が危ういのがルミナス国。これは残念ながら時間の問題だろう」
ラムスの言葉に、ティングは憔悴しつつ頷いた。
時代の流れには逆らえない。仕方のないことだとは思うが、やはり自分の生まれた国がなくなるのは哀しかった。
「そうして最も力を持ち、おそらくそう遠くない内にノートレム地方を統合するだろうと思われるのが、このレヴィス国だ」
レヴィス――ルミナス他多くの国を襲い、支配下に置いて膨れ上がっている、ザビオンやラムスの国だった。
「ザビオン男爵は、母上がレヴィス人で、父上がルミナス人なんだそうだ。多少の推測をすると、ルミナスは長く持たないと考えて、貴族だった母上のツテでレヴィス人になり、武官として仕官するようになったのだろうね。
男爵の権力は、もともと無いに等しかった。半分は敵国の血を引いているわけだし、母上は元貴族といっても名ばかりでほとんど力らしい力を持たなかったらしいから。仕官したばかりの頃は、後ろ盾どころか馬鹿にされたり侮蔑や不当な非難の対象にされたりで大変な思いをしたらしい。爵位を与えられるに到るまでは、相当な苦労をしたんだろう。正規の方法では、到底そこまでのし上がることは出来ないだろうと推測するのは容易い。おそらく、そのために……」
ためらいがちに口をつぐんだラムスに、ティングは「判っている」というように頷いた。
自分が辛苦を舐めたからといって、他人を虐げる理由にはならない。そうまでして権力を握ることがどれだけの幸せをもたらすのか、果たして幸せになれるのかは疑問だ。苦労話をきいたからといって、ザビオンに対する怒りが解けるわけでもない。
それでも、済んでしまったことはどうしようもないのだと割り切って考えられるようにはなった。そういう人物がいて、被害者となった自分がいる。ティングがどれほどザビオンを非難しようと、例えばそれによってザビオンが何らかの罰を受けることになったとしても、起こった事実はもう変えようがないのだ。
今後のことは別問題として、事実を受け入れる準備はできていた。
そんなティングに、ラムスは頷き返して先を続けた。
「レヴィスは元は港町として栄えたところで、街の中心部には大きな歓楽街もある。そんな背景からか、性に対しては奔放な人が多いんだ。ことに貴族や豪族達は、多くの妻妾を抱えていたり、専用の娼館を営む者までいるほど、男女を問わず快楽を追求したがる者が多い。
でもそれも元のレヴィス国領内にいる間だけの話で、国外はもちろん、占領したばかりのこの辺りでは、そんな彼らを満たす娼館など存在しない。どんどん進軍を続けて行くなら気に入りの小姓の数人で我慢しようとも思うだろうけど、同じ人物が続けてだと必ず疲労が出るし、長期戦では可能な限り人員はある程度入れ替えるのが普通だ。それで移動の手間も省けるということで、占領した土地の管理を任されてそのまま配置されてしまうことが多いんだけど、一度落ち着いてしまうとどうしたって不満が出てくる。
ザビオンはそこに目を付けたらしい。この数年、副業まがいに娼婦なんかの斡旋をはじめて、自らものめりこんでいってしまった……」
ラムスは思わずというように言葉を切った。話しながら、ザビオンに対する憤りで気が高ぶってしまったらしい。小卓にあった杯を取ると、中の果実水を半分ほど喉へ流し込むように飲む。そうして一息ついて気を鎮めると、再び話し始めた。
「私はこれでもそこそこの名門の出でね、跡継ぎではないけれど、順調にいけば将来はそれなりの地位が約束されている。それでまず人脈を掴むためにと父の計らいでザビオン男爵の下につけられたんだ」
ラムスがザビオンの部下と聞いて、ティングの両目は驚きで見開かれた。
「言っておくけど、私自身はあのサバトに参加したことはないよ。誘われたこともあるし、様子を聞いたこともあるけど。どうしても受け付けない者だっているし、そんなことは強要できるものでもないしね」
ティングは、信じていたとはいえラムスの口からはっきりそう聞いて安心した。
「それでずっと気になってたんだ。酷い目にあってる子がいるらしいと、ちょっと耳にして……。男爵は、罪人や、自分にとって不要になった奴隷には容赦ない。専用の墓穴を掘らせているくらいだからね」
ティングは暗い面持ちで頷いた。
「あそこに放り込まれるのは死体ばかりだけど、もしかしてという想いもあったから…。自国の人間のために誰かが無為に殺されるとあっては気にしないでいられないし、でも私自身があれに参加して救い出すというのもまず無理だ。男爵は多くの奴隷や兵を抱えていて屋敷の警備は厳重だし、どれだけ使えるのか私には判らないが魔導師も何名かいる。その中で確実だと思えたのが、墓穴を見張ることだけだったんだ。消極的な方法でしかなかったけど、幸いこうしてティングを見つけることが出来た」
その時のことを思い出したのか、ティングを見つめるラムスの眼差しには喜びと苦しみが混じり合っていた。
「肝心の場所は男爵の領地内にあるから、見つかれば不法侵入として見張りにやった者が何をされるか判らない危険があったけど、どうしても放っておけなくて、特に信頼のおける身軽な者に頼んでにこっそり見張ってもらっていたんだ」
詳しく話そうとはしないが、どうやらラムスの立場もかなり微妙なものらしかった。
「以前、やっぱり瀕死で投げ出されていた者がいたんだ。本当にすぐに息絶えてしまったそうだけど、それからどうしても気になって、見つかったら危ないとは判っていたんだけど、ほぼ毎晩見に行ってもらっていた。もしもまだ息のある者が埋められそうになっていたら、なんとしても助けて連れ帰るようにって」
微笑んだラムスはどこか辛そうだった。
「もし君を助けられなかったら、私は自分の力のなさに己の存在意義を見失っていたかもしれない。これまでにもあの屋敷で殺された者は大勢いるはずだし、その内のたった一人でしかないんだけど、私はこうして君と話せることで、私自身が救われたんだ」
そう語ったラムスに、ティングは目頭の熱くなるのを感じ、ただ黙って頭を下げた。
ラムスのような人間がいなければ、自分はとうに息絶えていただろう。全てに絶望して何もかもをなくして、そんなふうに死んでしまわなくて良かったと、今は心から感謝していた。
ティングを見つけてくれた人にもお礼を言いたいと思ったが、ラムスの屋敷は人手不足のようで、伏せっていたあいだ世話をしてくれた小姓や侍女くらいとしか顔を合わせる機会はなかった。
「君の気持ちは伝えてあるから。彼は屋敷の奥のここまではなかなかやってくる時間がないけど、君が元気になって起きあがれるようになったら自分から彼の処へ行ってくるといい」
ラムスにそう言って、早く元気になるようにとティングの頭を撫でた。
ティングの聞きたいことを話し終えたラムスは、今度は遠慮なくティングのことを訊ねてきた。
「今度は君のことを話してくれる番だよ」
「大して話すこともないですけど……」
「言いたくなければ無理に言う必要はないから。教えられる範囲で話してもらえるかな?」
ラムスの気遣いに、ティングは「いいえ」と首を振った。
「話せないことは別にないです。ただ、あんまり楽しい話じゃないですよ」
「それでもいいよ。君のことを聞かせてくれる?」
労るような微笑に、ティングは固くなっていた気持ちが解れるのを感じた。
ティングは語り始めた。
「オレには親がいません。最初は母親がいたんですけど……いつの間にかいなくなっていて。捨てられたってことなんですけど、オレは小さかったからよく覚えてないんです。ただ、幸いなことに近所の子どものいない夫婦が俺を引き取って本当の子どもとして育ててくれたんです。でもその父さんもすぐ徴兵されて戦で死にました。母さんは……」
ティングは、まるで夜の闇が広がるように視界が暗く煙るのを感じた。心臓が早鐘を打ち始め、呼吸が苦しくなる。
「少し前に、いくつかの町がまた戦で焼き払われたそうだ。ティングのいた町も…?」
ティングは頷くのがやっとだった。
「わかったよ。嫌なことを無理に話させてごめんね」
ティングは必死で首を振って、そんなことはないという意志を伝えようとした。
「でもあの、母さんは本当に俺に優しかったですし、父さんも、あんまり覚えてないんですけど凄く俺のこと可愛がってくれて、俺はずっと幸せでした。あの戦で母さんが……母さんと別れるまでは……」
ティングは全ての苦しみを吐き出すように、滔々と、時に胸の痛みを堪えながらも語り続けた。
幼い頃の楽しかった思い出に始まり、突然の災厄、母親の死、逃亡と、間近で見たあまりに多くの死と、自分の全てを奪っていった出来事を――。
この屋敷で意識を取り戻すまでを語り尽くした時、ティングの両目からは滂沱と涙が流れ落ちていた。止めようのない嗚咽に喉が痛んだが、何もかもをすっかり吐き出したためか気分はすっきりしていた。
「……そうしてラムス様に拾われて、今はここにいる……。なんだか不思議ですね」
そう語り終えて微笑んだティングを、ラムスはふわりと大きな腕に抱え込むと、そっと頭を撫でてくれた。
「哀しいことを思い出させてしまって済まなかったね」
「いえ、いいんです。どこかで区切りを付けなきゃいけなかったんですから。せっかく助けていただいた命ですから、この先しっかり生きていくためにも良い機会でした」
初めて「生きる」と宣言したティングに、ラムスは愛おしむように、その白い額に祝福の口づけを落とした。
話しながら、ティングには気になることが浮かんだ。
ずっと忘れていて――いや、考えまいとしていて忘れ切れなかったことだ。
おそらく自分の望む答えは返ってこないだろう。訊くことは怖ろしかったが、今でなければそれを口にすることができないかもしれない。
「ラムス様」
ティングは思いきって訊ねてみた。
「あの、もしかしてラムス様はご存じなんじゃないですか? おれのいた町のこととか、一緒に避難して川を下っていた人達が、あの後どうなったのか……」
自分はこうして助かることが出来た。だが、あの川には実に大勢の人達がいた。彼らの中で一人でも助かった者はいたのだろうか?
ティングの質問にラムスは厳しい表情になった。
「確かに、私は彼らのことを耳にしている。その行く末についても聞いたよ」
言葉を濁すラムスから、ティングはやはり最悪の結果が待っていたのだと知った。
「実は……」
下流に逃げる彼らを待っていたのは、奴隷として有用そうな者を捕らえる獄吏達であり、その他『不要なもの』を狩る兵士達だった。川岸を固めた兵士達のために途中で逃げ出すこともできず、逃げ延びることができた者はただの一人もいなかったという。
予想していたことではあったが、いざそうと知るとティングは愕然とした。衝撃が強すぎてどう感じたら良いのかさえ判らない。
「そう、ですか……」
暗い顔で押し黙ったティングの頭を、ラムスは慰めるように長いこと優しく撫でていた。ラムスの暖かい手に甘えるように目を閉じたティングは、その温もりに次第に心が鎮まっていくのを感じた。
あまりに深く傷つくと、その傷跡は決して完全に癒えることはない。それは躰も心も同じだ。だが、どんなに傷だらけになっても、こうして生きてさえいれば再び前進することもできる。
「……ありがとうございます、もう大丈夫です」
ティングは頭を上げ、微笑みと共にラムスへ礼を言った。
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